果てなき道へ




バスタオル一枚のまま、は呆然と立ち尽くしていた。

「ど〜しよ〜・・・・・、2キロ増えてる・・・・・」

ショックの原因は、足元のヘルスメーターの針。
一ヶ月前に量った体重にプラス2キロの重量を指しているそれを見て、は今、真剣に焦りを感じていた。

「・・・・・何とかしなきゃ!」

只でさえ、これから寒くなるにつれて、どんどん痩せ難くなるのだ。
チャンスは今しかない。
は固い決心を胸に、明日からの険しい道のりを見据えた。







体重が増える、その仕組み自体は至ってシンプルだ。
消費したカロリーより摂取したカロリー方が多ければ、それが体内に蓄積され、脂肪となる。
という事は、『消費カロリー>摂取カロリー』にすれば良いだけの話なのだが、人はそこで大きく分けて二通りに分かれる。

即ち、消費カロリーを増やす事を意識する者と、摂取カロリーを減らす事に専念する者だ。

そして、まずが選んだ道は。




「やっぱり、食べないのは危険よね。」

この為だけにわざわざ買ってきた新品のトレーニングウェアに身を包んだは、首に巻いたタオルも勇ましく、早朝の聖域を見渡した。
ここを毎朝一巡り走れば、2キロぐらいすぐに落ちる。
それに、筋肉を付けねば、脂肪の燃焼も悪くなるというではないか。

「よしっ、行くわよ!」

シューズの紐をきりりと締めると、は勇み足で力強く駆け出した。



こんな風に、普段し慣れない運動をすれば、一体どうなるか。
筋肉痛?それはもう少し後の事だ。
運動後、僅か一時間程の内に起きる現象、これがまず第一の難関だった。


。」
「う・・・・ん・・・・・・・」

キーボードに手を置いたまま、こっくりこっくりと揺れているを、サガはゆさゆさと揺さぶった。
の端末の画面は、『;lsasldsaazzzzzzzzzzzzz』などという無意味な文字列が今もなお増殖中であり、それはが意識して打ち込んだのではない事、即ち眠っている事を如実に示していた。


!」
「・・・っはい!?

サガの大声に心地良い夢を壊されたは、ガバッと飛び起きて、辺りをキョロキョロと見回した。

「はいっ、何ッ!?」
「何ではない。執務の最中に居眠りは困るぞ。」
「あ・・・・・、ご、ごめんなさい!!」
「寝不足か?全く・・・・、夜更かしも程々にするように。執務に差し支えるような事があっては困るぞ。」
「はい・・・・・、ごめんなさい・・・・・・、でも寝不足って訳じゃ・・・・・・」
「では何が原因だ?」
「え?」

ダイエットを始めた事は、出来れば誰にも言わずにおきたい。
は慌てて口を噤むと、ヘラヘラと笑って誤魔化した。

「う、ううん、何でもないの!以後気をつけます、はい!」
「そ、そうか・・・・、なら良いが・・・・・」

去っていくサガの後姿を見送って、は額を拭った。
今後はこのような事がないように重々気をつけねばと、決意を新たにして。






ならば、疲れ果てて眠ってしまわない程度にすれば良いのだ。
そう考えたは、翌日からジョギングコースを半分にした。


「いた・・・・、あいたたた・・・・・!」

初日からずっと引き摺っている筋肉痛と闘いながら、は五日間、人知れず早朝に走り続けた。
だが、結果は。


「うそっ、何で!?何で200グラムしか減ってないの!?」

たったの一日で、ジョギングを半分に短縮したのがいけなかったのだろうか?
いや、それでも合計六日間、意識して運動したのだ。
勿論、間食や揚げ物は自粛している状態で。
そこまでして予定のたった10分の1では、余りに割の合わない結果である。

「・・・・・仕方ない、こうなったら・・・・!」

かくなる上は、第二の道。
摂取カロリーの徹底削減、これに望みをかけるしかなかった。



「よし、今日からこれでいくわよ!」

たった今書き上げた表を掲げ見て、は意気込みを新たにしていた。
それはこれから暫くの食事メニューで、朝はサラダとゆで卵一つに牛乳一杯、昼は小さなサンドイッチ一つとグレープフルーツ半分、夜はサラダのみ、という献立であった。
これをジョギングと合わせて暫く続ければ、2キロぐらいすぐに落ちる。
身体を壊さない内にノルマが達成出来るだろうから、健康にもそう差し支えはない筈だった。


「ふっふ〜ん、完璧!さ〜て、早速明日のお弁当でも作ろうかな。」

献立表を書き上げて一仕事終えた充実感に早くも浸っていたは、意気揚々と翌日の昼食にするサンドイッチを作り始めた。



そう。
運動・食事制限両方に共通する落とし穴は、まさにその先走った充実感だった。
ウェアや器具など、道具を一式完璧に揃える事然り、運動や食事メニューを緻密に練り上げる事然り。
こんな風に、先に形から整えすぎると、かなりの確率で後のテンションが下がる。

そこで挫折する者が多いから、ダイエットは苦行なのだ。








だが、は頑張った。


「サンドイッチ飽きた・・・・・・」

毎日同じ弁当を食べ続けて今日で七日目、は確実に衰弱し始めていた。
野菜が中心で、申し訳程度のハムの欠片が入った小さなサンドイッチは、今ではもう食べた方が余計に空腹と苛々を増長させるようになっている。
睡眠だけは辛うじて取っているが、どういう訳か日に日に身体から張りが無くなり、集中力も途切れがちだ。

「その割に減らないのよね・・・・・・」

そう、そのくせ体重は、未だ1キロ減という段階に甘んじているのだ。
あともう1キロが、にっちもさっちもどうにもいかないのである。


「何が減らない、だと?」
うわっ、カノン!?

突如背後から声をかけられたは、慌てて食べかけのサンドイッチを隠した。

「な、何よ!?」
「最近、昼飯時になるとコソコソ一人で出て行くと思ったら、こんな所で食っていたのか。」
「い、良いでしょ別に!好きなのよ、ここ!」

教皇の間の裏手など、雑草が茂っているだけで別に美しくも居心地良くも何ともない。
自分でも無理があると思いつつ、は強引にそう言い切った。

「ほう。虫に喰われながら昼飯を食う趣味があったのか?」
「いっ、良いでしょ別に!私の勝手じゃない!」

人間、空腹になると怒りっぽくなる。
いつもは適当に流せるカノンの皮肉だが、今のには、かなり際どい部分まで導火線を脅かすものだった。


「おお、恐ろしいな。そんなに目を吊り上げて。凄い顔をしているぞ、お前。」
「なっ、何よーー!!」
「まあ、そんな小さなサンドイッチ一つが昼飯では、そうなっても当然だな。」
「な・・・・、み、見てたの!?」
「ああ。」

可笑しそうに笑ったカノンは、更にを挑発するような口調で言った。

「他の連中には黙っていてやるが、無駄な行為は早めに見切りをつけてやめる事だな。」

これがとどめの一言だった。


ほっといてよ!!!

は烈火の如く怒り狂うと、昼食の包みを持って立ち上がり、カノンをその場に置いてズンズンと立ち去った。






「無駄って何よ!失礼しちゃうわ!人がこんなに頑張ってるのに!あんな言い方しなくたって良いじゃない!?」

セカセカと歩きながら捲し立てたは、不意に胃の辺りを押さえてしゃがみ込んだ。

「あ・・・・だめ・・・・・、お腹空いて力が出ない・・・・・

文句を言う体力もない事に気付き、はラップに包まれた半割りのグレープフルーツとスプーンを取り出すと、その場で力なく口に運び始めた。

「・・・サンドイッチだけじゃなくて、ちゃんとこうして果物だって食べてるんだから・・・・」

食べたところで活力など漲ってはこないのだが、は敢えてそれは考えずに食べた。
ただ一つ、めでたく無事元の体重に戻った自分を支えにして。








しかし、それにもとうとう限界がやってきた。



「おかしいな・・・・・・」

日も傾き始めてきた頃になって、サガはしきりと首を捻っていた。


「どうしたの、サガ?」
「ああ。ここに置いてあった書類を知らないか?」
「え、書類?」
「ああ。確かにここに置いた筈なのだが・・・・・」
「おかしいぞ・・・・・・・」
「カノンまでどうしたの?」
「おい、俺の報告書を知らないか?」
「え、報告書?」
「ああ。」

サガとカノンが瓜二つの顔を同じ仕草で顰める様を、ははじめ『面白い』などと呑気に見ていた。
適当にやっている割にはミスのないカノンと、ミスなど絶対に犯すものかと常に緊張感をもって仕事をする二人でもこんな事があるのかと。

だがその余裕は、カノンの一言で打ち消される事となった。


「そういえば、お前さっき古紙の束を片付けていただろう。」
「え?うん。束ねて雑兵さんに預けたけど?」
「まさかその中に、間違えて俺の報告書やこいつの書類を混ぜなかっただろうな?」
「まっさかー!ちゃんと見て片付けたわよ!」
「そうだぞ、カノン。は今まで、そんなケアレスミスはやった事がないだろう?お前ならいざ知らず。
どういう意味だ、サガ?

またいつもの如く睨み合う二人を宥めようとして、ははたと気付いた。



ちょっと待て そんなまさかが そのまさか



そんな標語が頭をちらついた瞬間、は突如、不安に襲われた。



「あ・・・・れ・・・・・・」
「どうした、?」
「私・・・・、確かに確認して・・・・、確認したけど・・・・、あれ!?

山程あった古紙の束を、本当に全て確認してから処分しただろうか?
思い出そうとすればする程記憶は急速に薄れていき、思い出せなくなる。

大変!燃やされちゃう!!
!』

二人の呼びかけも聞こえない程焦ったは、弾かれたようにその場を駆け出した。








「きゃーっ、きゃーっ!!待ってぇーーッ!!雑兵さーーん!!」

呼びかけて聞こえる距離に居ない事を知っていながら、それでもは紙の束を持っていった雑兵を必死で呼びながら、全速力で階段を駆け下りていた。

雑兵に預けたあの紙の束は、彼らの手で焼却処分される予定だ。
もし、もしもあの束の中に、サガの書類とカノンの報告書が混ざっていたら。
そしてそれが燃やされてしまったら。

待ってえーーーッッ!!

きっと、想像したくもない程の地獄が待っているに違いない。
は髪を振り乱し、血相を変えて、ひたすらに階段を駆け下りた。
だが。


「待て、!!」
「危ないぞ!!」

後ろから、カノンとサガが鬼気迫る表情で追って来た。
しかしながら、流石に速い。
二人はあっという間にに追いつき、それでもなお足を止めようとしないに向かって叫んだ。

「ほら見ろ!やっぱり混ぜてしまったんだろう!?」
「ううう、ごめんカノンーーッ!!分かんないのよーー!!だから急いでるんだってば!!」
「もう間に合わんかも知れん!!とにかく少し落ち着け!!」
「でもサガ・・・・!そんな訳にはいかないでしょーー!?」
「でももストも、階段を転がり落ちでもしたら・・・」

とサガが言いかけた正にその瞬間、は不意に眩暈を覚えた。
そして。

キャーーーーッ!!!!
うわーーッ!!!

もれなく両隣に居たサガとカノンも巻き込んで、は小気味良い位の勢いで、階段を転がり落ちていった。




「っ・・・・・・、ほらみろ、だから言ったのに・・・・・」
「俺まで巻き込むな、くそう・・・・・」

を抱きとめていたサガ、サガとを抱きとめていたカノンは、それぞれに割と洒落にならないダメージを喰らいながら、どうにか身体を起こした。

!」
「う・・・・ん・・・・・・・、あいっ・・・・たたた・・・・・・」

一瞬気絶していたは、サガの軽い平手によって無事意識を回復したのだが。

「いた〜・・・・・、ハッ!?しょ、書類ーー!!報告書ーーー!!
!急に起き上がっては・・・・」
「あっ・・・・・・・、あぁ・・・・・・・・」
!?」

自分で思っていた以上に、の体力は限界に来ていたのだ。
再びクラクラと倒れ込むを受け止めて、サガとカノンは右往左往する破目になったのである。








「全く・・・・・・・、大した怪我ではなかったから良いものの。」
「済みません・・・・・・・」
「報告書と書類は、やはりあの束の中に混ざっていたぞ。燃やされるところを間一髪、俺が止めて回収して来たから良かったものの。」
「ごめんなさい・・・・・・」

肘やら膝やらに絆創膏を貼ったは、同じく擦り傷だらけの二人に低頭平身詫びていた。

「このところやけにぼんやりしていると思ったら、今度はこのようなミスまで。、いくらお前でも、こうも身の入らない状態が続くのであれば、私も責任者として然るべき処置を取らねばならないのだぞ。」
「はい・・・・・、済みませんでした・・・・・」
「一体何が原因だ?」
「それはな、サガ。」
駄目、カノン!言わないって言ったでしょ!?
「こうなったら話は別だ。」
「うう・・・・・・」

カノンの冷ややかな視線に一瞥され、は決まり悪そうに黙り込んだ。
そうこうしている間に、カノンはそれはもう見事なまでに歯に衣着せず、洗いざらいぶっちゃけてサガにチクった。



「なるほど。ダイエットか。」
「うう・・・・・・、そうです・・・・・・・」
「食べる物もろくに食べずに無茶をして、とうとう執務に差し支えた訳だ。」
「・・・・・でも、たかが2キロだからすぐに終わると思って・・・・」
言い訳は無用!!

二人の一喝を喰らったは、ビクンと肩を震わせた。
二人にこんな風に怒鳴られたのは、これが初めてなのである。

「そのたかが2キロを落とすのに、体調を崩してどうする!?本末転倒だろう!」
「だから俺が忠告してやっただろう!早めにやめておけと!どうせこんな事になるんじゃないかと思っていたのだ!」
「だって・・・・・!」

サガとカノンに捲し立てられたは、半泣き状態になりながらしどろもどろに説明した。

「だって、食べる物減らして運動すれば、すぐに痩せられると思って・・・・!」
「実際どうだったのだ?2キロ痩せられたのか?」
「そ・・・・れは・・・・・・」
「そら見ろ。だから無駄だと言ったのだ。」
「カノン!無駄って言うの止めてよ!悲しくなるじゃない!!」

悔し涙が、不本意にも溢れそうになる。
それをどうにか堪えようと唇を噛み締め、誤魔化すように瞬きを繰り返すを見て、サガとカノンは小さく溜息をついた。


「無駄というのはな、何もお前の努力の事を言ったのではない。お前の持論は根底から間違っているのだ。必要最低限のエネルギーすら摂取せずに、ただやみくもに極端な食事制限をして運動すれば痩せると思ったら、それは大間違いだぞ。」
「カノンの言う通りだ。そんなやり方では、ただ身体を壊すだけだ。」
「そんな事分かってるけど・・・・でも、ゆっくりしてられないんだもん・・・・・」
「だからそれが間違っているというのだ。」
「そうだ。結果は急ぐものではない。」

結果は急ぐものではない。
サガのその言葉は余りにも正論すぎて、は何も言い返せずに黙り込んだ。


「良いか。身体は何よりの資本だ。お前が健康でしっかり仕事をしてくれなければ、この聖域は一体どうなる?私一人でどうしろというのだ?」
「おいサガ、それは俺を頭数に入れてないという事か?
「デスクワークに関しては、お前も含めて全員当てにならんわ。だからが必要なのだ。分かるか、?」
「サガ・・・・・・・」

仏頂面のカノンを一人放置して、サガは労わるようにの肩を抱いた。

「もう無理なダイエットは今日限り止めるんだ。良いな?」
「でも・・・・・」
「良いな?」
「・・・・・・・はい」

有無を言わせず承諾させられたが、それでも何故か、の心は晴れていた。





「・・・・・・・でも・・・・」

それはそれとして、実際問題、残った1キロはまだ腹やら二の腕やらに付いているのである。
ダイエットを禁じられた今、それをどうすれば良いのか、は途方に暮れていた。

「でも、何だ?」
「じゃあ、これからどうすれば良いの?他に良い方法なんて思いつかないんだもの・・・・」
「何だそんな事か。簡単だろう?時間をかけてゆっくりと落とせば良いのだ。」

サガはいともあっさりと言ってくれたが、その方法が問題なのだ。

「でも、これからどんどん涼しくなるし、そうしたら汗も掻かないし、食べ物は美味しいし、痩せ難くなっちゃう・・・・・」
「だから簡単だろう?長期戦で間食と油物を止めて、継続して適度な運動をすれば良いのだ。」

食欲は人間の三大本能の一つ。美味しいものを食べる事は、人間の楽しみの一つ。
それをいつまでも抑制する事は、健康な人間にとってはある意味死ぬより辛い。
それに、人間の七つの大罪に『怠惰』がある。
疲れる事はなるべくやりたくないのが人情というものだ。

聡いカノンが、それが口で言う程簡単ではないという事を分かっていない筈はない。
つまりこれは。

「・・・・・意地悪ーー!!!
「クククッ。まあ、精々頑張れ。」
「くれぐれも無理はするんじゃないぞ、。継続は力なり、だ。」
「サガまでーー!!酷いーー!!他人事だと思ってーーー!!


良く似た二つの笑い声が、の背を押して果てしない道へと送り出してくれた。
がそれを嬉しく思ったか思わないかは。



・・・・・・本人だけが知る。




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後書き

「夏太りを気にしてダイエットに励み、空腹の為ミス連発でサガとカノンに怒られる」
というリクエストを頂きました。
ダイエットは女性の永遠のテーマですが、身体だけは壊さないようにお互い気をつけましょう。
リクエスト下さった采様、有難うございました。
こんな感じで宜しかったですかね(汗)?