明るい通りに面したオープンカフェ。
いくつもの白いテーブルのその殆どは、幸せそうなカップルに占領されている。
― 来たはいいが、退屈だな・・・。
彼らに紛れるようにして座るカミュは、所在なさげに冷めたコーヒーを一口啜った。
天気の良い休日に一人で宝瓶宮に閉じ篭る気がしなくて街に出て来たのだが、来たら来たで退屈なものだ。
特に何か目的があった訳でもなく、ただ虚しい気分が少しは晴れるかと思って来ただけだから、それも当然といえば当然かもしれない。
とにかく、睦み合うカップルにこれ以上挟まれているのはいい加減にうんざりだと、カミュは思った。
「そろそろ帰るか・・・・」
カップの中身を飲み干してしまおうとした時、背後からよく知る声が聞こえてきた。
「あれ?カミュじゃない?」
名を呼ばれて振り返ってみれば、そこには。
「。奇遇だな。こんな所で会うとは。」
「本当だねー!後ろ姿見てまさかって思ったんだけど。あ、ここ良い?」
「勿論。」
カミュは向かいの椅子をに勧めた。
そこへが腰を下ろして間もなく、ウェイトレスが注文を取りに来た。
「えーっとね、ダージリン下さい。ホットで。」
にこにこと注文をするに触発されて、カミュもコーヒーの追加を頼んだ。
帰ろうと思っていた事は、いつの間にか忘れていた。
しばらくして飲み物が運ばれて来てから、2人の会話は本式に始まった。
「買い物にでも来たのか?」
「ううん、違うよ。ちょっとお散歩しに来ただけ。カミュは?」
「私か?・・・まあ、似たようなものだ。」
僅かに微笑んでみせて、カミュはカップに口をつけた。
は『ふぅん』と小さく相槌を打ってから、さらりと言ってのけた。
「でもさ、何で一人なの?彼女は?」
「ぶッ・・・・!」
「あーあ、ちょっと大丈夫!?」
「ゴホッ、ゴホッ・・・!だ、大丈夫だ、ちょっと咽ただけだ・・・・」
涙目でコップの水を飲み干して、カミュは何とか呼吸を整えた。
「しかし、何故がそんな事を知っているのだ?」
「ミロが言ってたの。カミュに最近彼女が出来た、って。」
「・・・・・あのお喋りめ・・・・」
悪気のない笑顔を浮かべる親友を思い浮かべて、カミュは一瞬顔を顰めた。
しかし、彼にバレた時点でいつかこうなる事は覚悟していた為、怒りはさほどでもない。
「今日は彼女と一緒じゃないの?」
砂糖を一匙入れたカップをスプーンでかき混ぜながら、は不思議そうに尋ねた。
「ああ。というか、今後もずっとだがな。」
「嘘っ!?なに、それってもう別れちゃったって事!?」
最新情報に驚いたは、目を丸くしてスプーンを持つ手を止めた。
いかにも事の顛末を知りたそうな様子をしている。
カミュは苦笑しながらコーヒーを一口啜り、その期待に応えて一通り話した。
「そっか〜、振られちゃったんだ・・・・。ごめん私、余計な事訊いちゃって・・・・」
そこから二の句が継げなくなったは、努めてゆっくりと紅茶を飲んだ。
下手な事を言って傷付けないよう気遣ってくれているのがはっきりと分かり、カミュはまた苦笑した。
「別に気にしていないから、妙な気は遣わないでくれ。」
「・・・・本当?」
「ああ。付き合っていたと言っても、ほんの一月程度の話だ。さして深入りもしていない内だったから傷は浅い。」
「そっか、それなら良かった。」
軽い口調で言ってやると、ようやくは安心したように笑った。
しかし、口で何と言っていても、やはり多少は傷付いている筈だ。
そう思ったは、遠慮がちな小さい声でカミュを励ました。
「・・・・でも、元気出してね。」
当の自分より余程しょげて見えるが何となくおかしくて、カミュはつい声を上げて笑ってしまった。
何故そこで笑うのか分からず、は怪訝な顔をした。
「何で笑うの〜?」
「いや、済まない。笑う気はなかったんだが、まるで君の方が失恋したように見えたものだから。」
「私そんな顔してた?」
「ああ。しかし心配には及ばんぞ。何しろ、本当に思い入れがないのだから。」
「それって、その彼女との事、だよね?」
「ああ。」
事も無げに返事をするカミュに、はまたしても怪訝そうに眉を寄せた。
「そうなの?」
「ああ。彼女は時々行く喫茶店のウェイトレスでな。何度か行くうちに好意を寄せられるようになったんだが、私の方は別段・・・」
「気がなかったんだ?」
「朗らかで素敵な女性だったが、単刀直入に言えばな。」
「じゃあどうして付き合ったの?」
至極もっともな質問をされて、カミュは僅かに返答に詰まった。
魅力のある女性だったのは本当だが、それ以上にもそれ以下にも感じた事はなかったのだ。
そもそも、実は以前から密かに慕う者がいる。
あいにく相手は欠片程も気付いていない為、まだ打ち明けてはいないのだが。
件の女性からの告白を受け入れたのは、言い方は悪いが身代わりを求めていたのかもしれない。
だが、流石にそんな本音は口に出来ないだろう。
従って、カミュはそれを限りなく婉曲に告げた。
「まあ、なんとなく・・・、成り行きというものだろうか。とにかく半ば押し切られる形で付き合い始めた。」
「なるほどね。そういう関係って、いつどういう理由でそうなるか分かんないもんね。」
とて年相応の恋愛経験から、それ位の事は承知している。
だから、それ以上根掘り葉掘り訊く気もないし、まして責めるつもりなどはさらさらなかった。
「付き合う内に私が何の面白みもない男だと分かったのだろう。あっさりと振られてしまった訳だ。」
「そんな事ないわよ〜!そんな『何の面白みもない』なんて自分で言っちゃ駄目じゃない〜!」
自分としては己の性質を率直に表したつもりだったが、にはおかしかったようだ。
苦笑しながらフォローしてくれる。
それに釣られて、カミュもまた笑った。
「でもさ、またそのうち素敵な彼女が出来るわよ!」
「だといいがな。」
「大丈夫大丈夫!そのうちカミュの優しさに気付く人が絶対現れるって!」
― 願わくば、それが君だと良いのだがな。
カミュは心の中で呟いた。
恋心というやつは、気付いて欲しい人にはなかなか届かない。
それでいて、全く予想もしなかった所から突然届くのだから厄介なものだ。
相変わらず何も気付いていないの、その優しい一言が、少し辛くもあり、また嬉しくもある。
「フッ、人生とはままならんものだな。」
「ふふっ、本当だね。」
「シャカに聞かれたら、『今更何を当たり前の事を』と呆れられそうだがな。」
「あはは、言いそう言いそうーー!」
屈託なく笑うを見ていると、これでもいいかと思う自分がいる。
今のこの関係、これはこれで満足だ。
縁があるのなら、いずれ自ずとそういう関係になれるだろう。
― 人生とはそういうものだ。
それからひとしきり、冗談を言い合って二人で笑い転げた。
その笑いが治まる頃には、もう虚しさは消えてなくなっていた。
「さーて、じゃあそろそろ行きますか!」
「もう帰るのか?まだ日は高いぞ。」
「まさか!乗りかかった船ってやつよ。傷心ツアーにお供しますわ。やけ食いやけ酒やけ買い物、何でも付き合うわよ!」
「フッ、なるほどな。ではお言葉に甘えてとことん付き合って貰おうか。」
「そうこなくちゃ!」
まだ明るい日差しが降り注ぐ通りを、カミュとは軽い足取りで悠々と歩いていった。