過ぎた好奇心はトラブルの素である。
は今、それをひしひしと痛感していた。
遡る事数時間前。
「済みませんね、。急に留守番を頼んでしまって。」
「いいのよ〜、そんな事。それより気をつけてね。」
白羊宮の入口で、はムウの見送りをしていた。
今日のムウは、珍しく牡羊座の黄金聖闘士としての任務に就く。
黄金聖衣を纏った凛々しいいでたちは、ムウが戦士であるという何よりの証拠のようだ。
「すぐに帰って来ますから、よろしくお願いします。」
「OK!聖衣を渡すだけでいいんだよね?」
「はい。それさえやって下されば、後はご自由に寛いでいて下さい。」
「・・・・早く帰ってきてね。」
恋人モードに突入したを、ムウは微笑んで腕の中に抱き入れた。
やけに幸せを感じてしまう自分に我ながら俗っぽいと思うが、悪くはない。
の顎をもたげて、その唇に軽く口付けを落とす。
「すぐに戻りますよ。では行って参ります。」
「は〜い、行ってらっしゃーい!」
マントを翻して歩いていくムウに手を振った後、は白羊宮へと入っていった。
そもそも、何故が留守番をする事になったのかというと。
今日は修復を終えた聖衣の引渡しをせねばならなかったのだ。
だがタイミングの悪い事に、突発的に任務が発生してしまった。
ついでに貴鬼も別件で留守にしている為、白羊宮には誰もいない。
という訳で、がその用事ごと留守番を引き受けたのである。
ところが、その用事は意外と早く終わってしまった。
ムウが出掛けて間もなく聖衣の持主がやって来てしまい、それでの役目は終了したのだ。
となると、あとは。
「退屈〜〜・・・・・」
そう、暇を持て余すしかない。
取り敢えずムウの言葉に甘えて菓子などを摘んでみたが、それもいい加減腹が落ち着いたところでやめた。
貴鬼がいれば遊んで退屈を凌げるのだが、それも叶わない。
かといって、ムウの許可なく他の者を誘い入れるのも悪い気がする。
という事で、は上記の独り言を繰り返すしかなかったのである。
しかし、ある瞬間閃いた案のお陰で、退屈は打破される事となった。
その案とは、ムウの作業場を見学する事であった。
「ふふ〜ん、我ながら良い事思いつくじゃな〜い?」
ご機嫌な鼻歌混じりで、は作業場へとやって来た。
白羊宮の一角にあるその部屋は、他のどの部屋よりも無骨で散らかっている。
普段女性的とさえ言える程の優雅さを湛えるムウの、男らしい一面を垣間見ているようで、は何となく嬉しくなった。
「これ何だろ?砂?何に使うのかしら。」
見るもの見るものが珍しい。
何といっても、ムウの作業場を見るのはこれが初めてなのだ。
入るなと禁じられた覚えはないが、それでも作業中のムウは人を寄せ付けない雰囲気を放つ。
はそんなムウを気遣って、今まで一度もここへ足を踏み入れた事はなかったのだ。
「凄〜い・・・・、匠の世界だわね・・・・」
置いてある道具を手に取って眺めてみる。
ノミのようなそれは、鋭い刃と重厚な艶のある木の柄がついている。
余計な装飾は一切なく、完全な機能重視である事は、素人のが見ても分かった。
重いし煌びやかでもないが、この刃は驚くべき切れ味を誇っているのだろう。
「ふふっ、ムウらしい。」
一つ一つの道具の特徴が、愛しい者の性質と重なる。
そんな事を思う辺り、相当惚れ込んでいるのが自覚出来て恥ずかしいといえば恥ずかしいが、ここには誰も居ないのだ。
思う存分恋に浸ったところで誰に迷惑を掛けるでなし、構わないではないか。
という訳で、は室内を探索するのに夢中になっていった。
そしてそこで、アクシデントは発生したのだ。
「きゃーーーっ!!!」
高らかな悲鳴を上げて、は脚立から落下した。
背の高い棚の上部に置いてある物を見ている最中に、うっかりバランスを崩してしまったのだ。
揺れた脚立はを振り落とし、足場を失ったは咄嗟に棚を強く掴んだ。
かくして。
「いやーーーーっっ!!!!」
ドンガラガッシャーーン!!!
派手な音と共に、棚にあった物が床へ、そしての上へと雪崩れた。
咄嗟に頭だけは庇ったものの、手や足に色んな物がぶつかって痛い。
「いったぁ・・・・・、あぁもう、何やってんのよ〜・・・」
雪崩が落ち着いた頃、は自分を叱責しながらゆっくりと身体を起こした。
恐る恐る見渡してみると、部屋の中は酷い有様になっている。
「うわ、どうしよ・・・・!?怒られるーーー!!」
は激しくうろたえた。
容赦なくぶちまけてしまった物は、何も簡単に拾える物ばかりではない。
粉やら液体やら、ややこしい物質が床で混ざり合って、にっちもさっちもいかない状態になっている。
「あぁんもう!!何なのよ!!」
何なのよと言っても自分が悪いのは分かっているのだが、言わずにはいられない。
散らかった物に八つ当たりながら、は慌てて室内を片付け始めた。
と、その時。
「ただいま戻りました。?」
「やばっ!!ムウだ・・・・!!」
居間の方から、ムウの声が聞こえた。
確かに早く帰って来てと言ったのは自分だ。
だけどいくらなんでも早過ぎる。
せめてあと30分ぐらいしてからにして欲しかったと、は思った。
「うわわ・・・、どうしよどうしよ!?」
ムウが自分を捜し回っている。
返事をせずにいても、いずれすぐに見つかってしまうだろう。
正直に居直って謝ればいい。そんな事は分かっている。
だがは、まだ何とか片付けてしまおうと足掻いてしまったのだ。
そして。
「いっ・・・・・!!」
今、確かに作業場の方からの声が聞こえた。
「?」
ムウは迷わずに作業場へと向かった。
そしてそこで目にした光景は。
「・・・・な、何があったのです??」
ここだけ地震が起きたのかという程、とっ散らかった室内。
床は濡れた上に粉が塗されて、えらい事になっている。
そしてその真ん中で、半ベソをかいている。
帰った早々こんな光景を見せられては、流石のムウといえどもたじろがずには居られなかった。
「ムウ・・・・・」
「こんな所で何をしてるんです?それにこの有様は一体・・・」
「痛い・・・・」
「えっ!?」
が弱々しく差し出した手を見て、ムウは目を大きく見開いた。
白い指先から血が滴って、真っ赤に染まっている。
さっき悪あがきをした時に、誤って道具で切ってしまったのだ。
「何をしてるんですか!?良く診せて御覧なさい!」
「痛っ!!」
「ああもう、何だってこんな事に・・・・」
ムウは手に持っていたヘッドパーツを放り出すと、慌てての治療をした。
ムウのヒーリングで元通り綺麗に治して貰った指先を擦りつつ、はすっかりしょぼくれていた。
一応事情は説明したのだが、やはり予想通り、ムウは厳しい表情を浮かべてしまっていた。
大事な作業場を滅茶苦茶にされて怒っているのだろう。
「全く、貴方がこんなにお転婆な方だとは思いませんでしたよ。」
「ごめんなさい、でもわざとじゃ・・・・」
「好奇心も結構ですけど、程々にして下さい。」
「はい・・・・・」
「この程度で済んだから良かったものの、棚の下敷きにでもなっていたらどうするつもりです。」
「はい・・・・え?」
は、思わず驚きを表した。
「部屋の事、怒ってるんじゃ・・・・ないの?」
「馬鹿を言いなさい。部屋は掃除をすれば済みます。けれど貴方が大きな怪我でもしたら、取り返しがつかないでしょう。」
「ムウ・・・・・」
不謹慎にも嬉しいと思ってしまう。
そしてそれは、どうやら顔に出ていたようだ。
「困った人ですね。説教の最中に笑う人が何処にいるんです?」
「ご、ごめんなさい!」
「全く、貴方という人は・・・・」
ふわりと笑ったムウは、の唇に羽根のように軽い口付けを落とした。
「今後作業場を見たい時は、私が居る時にして下さい。良いですね?」
「ん、約束する・・・・。ごめんね、ムウ。」
「分かったのならもう結構。さあ、掃除しに行きましょうか。」
ムウはの手を取って立ち上がった。
「え!?私一人でやるわよ!私がやっちゃった事だし・・・」
「良いんです。また怪我でもされては困りますから。」
「・・・・ムウの意地悪・・・・」
「意地悪で結構。さあ、さっさと終わらせますよ。」
の手を引いて歩きながら、ムウは小声で呟いた。
「償いはその後でゆっくりお願いしますから。」
掃除を済ませた後、がどうなったかは・・・・・、また別のお話。