先日、我ら黄金聖闘士は女神から贈り物を賜った。
この辺鄙な聖域に少しでも便利で役立つものを、と下さったのは、一台の自転車だった。
不届きな蟹などは、『だったらもっと数を寄越せよ』などと鼻を鳴らしておったが、笑止。
女神からの贈り物に難癖をつけるなど、黄金聖闘士にあるまじき言語道断な行いであるし、
また、自転車ばかり何十台も送られてきてみたまえ。
この聖域は、たちまち中華人民共和国のようになってしまうではないか。
かの国は嫌いではないが、ここはあくまでもギリシャなのだ。
ともかく、我らはそれを有り難く頂戴した。
だが実際、それを喜んで乗り回しているのはたった一人。
だけだった。
今日も今日とては、心地良さそうに颯爽と走っている。
前籠には大きな紙袋が詰まっているところをみると、恐らく買出しにでも行っていたのだろう。
誓って言っておくが、私は別に何も差し入れを待っていた訳ではない。
ただ少し、訊いてみたかったのだ。
それはそんなに良いものなのか、と。
「あっ、シャカー!ただいま〜!」
「買出しかね?」
「うん、そう。沢山買い過ぎちゃった。」
私の少し手前でブレーキをかけたは、自転車から降りると、家の壁に沿って立て掛けるようにそれを停めた。
「オレンジがね、すっごく安かったの!二・三個持って帰らない?」
「うむ。」
「ちょっと待っててね。今何か袋に入れて来るから。」
誰だ、今『ちゃっかり貰ってるじゃん』などと言った者は。
誤解はやめてくれたまえ、これはあくまでが厚意で申し出てくれた事だ。
人の厚意を無にするのは失礼だろう。
とにかく、それはそれとしてだ。
「待ちたまえ、。」
「何?」
「それは後で構わぬから、少し訊きたい事がある。」
「うん?」
「随分心地良さそうに乗っているが、それはそんなに具合の良いものかね。」
「え、どれ?」
私が指差した自転車を見ると、はにっこりと笑って頷いた。
「ああ、自転車?勿論よ〜!もうホント、これ貰ってから外出が快適でさ〜!重い荷物も持たなくて良いし、足は疲れないし。」
「ほう。」
「それにね、何と言っても移動距離!少々のところなら、バスを使わなくても行けるんだもの!あの無駄な待ち時間が無くなった事が、私には何より嬉しい事ね。そりゃ皆はさ、『テレポート〜v』とか言って何処へでも一瞬で行けちゃうけど、私には無理だもん。」
そんな浮かれた言い方をした覚えはないが、の言っている事は当たっている。
だからこそ、誰も使わないのだ。自転車に乗る必要性がない者達ばかりだからな。
無論私もその内の一人に入る。
だがしかし。
がこれ程自信満々に太鼓判を押すものだ。
必要があろうがなかろうが、気になるものは気になるではないか。
「その自転車・・・・・・」
「え、何?」
「私も乗る。」
たとえ、今まで乗った事がないにしても。
「乗るったって・・・・・・・」
が今呆れた顔をしている事ぐらい、その口調を聞けば分かる。
どうせ、最初の一漕ぎで派手に転倒した事に呆れているのだろう。
何?それならば、私もさぞかし酷い有様になっているいるだろう、だと?
君はこのシャカを誰だと心得る?
倒れる前に飛び降りる事ぐらい、私にとっては朝飯前だ。
お陰で私は全くの無傷、髪の毛一本切れてはいない。
「あんなに自信満々に言うから、てっきり乗れるもんだと思っていたのに・・・・」
「私はそんな事、一言も言っておらんぞ。」
「威張って言う事じゃないでしょ!も〜、乗った事ないならないって言ってよ!自転車はね、乗れるようになるまでに練習が必要な乗り物なんだから!」
「君も練習したのかね?」
「うん。」
「どれ位だ?」
「う〜ん・・・・・、練習したのは小さい頃だから、あんまり覚えてないんだけど・・・・・。一日二日でなかった事は確かね。」
「なんと。」
正直に告白しよう。私は少し自転車というものを侮っていた。
だがしかし、よくよく考えてみれば、それはあくまで十人並みの運動神経しかないのケースだ。
このシャカは、曲がりなりにも聖闘士最高峰である黄金聖闘士の一人、バルゴのシャカだ。
仮にが一ヶ月かかって会得したものだとすれば、このシャカなら一分で会得出来るであろう。
フッ、自転車。取るに足りぬものよ。所詮はこのシャカの敵ではない。
「ならば早速修行してみよう。」
「じゃあ後ろ持っててあげる。」
「手出しは無用だ。」
「え、あっ・・・、ちょっとシャカ!?」
の慌てふためく声を背中に、私は早速ペダルを踏みしめた。
なに、造り自体は至ってシンプルな乗り物だ。
ハンドルを握り、左右交互にペダルを漕げば、車輪が回転して前に進む。
停まる時はブレーキレバーを握るだけ。
実に簡単だ。人に教えを乞う事など何も無いではないか。
そらみたまえ。ちゃんと走り出した。
最初のは加減を掴めていなかっただけだ。
バランスを取るのに少しコツが要るようだが、なに、それも乗っている間にすぐ掴めるだろう。
「人の話聞いてた〜〜!?」
走り出した私の後ろから、が追いかけて来た。
本当に心配性な娘だ、は。
「そこで待っていたまえ、!一巡りして戻って来るゆえ!」
無用な労力を使わせまいと気遣ってやり、私はを置いてひたすら前を目指した。
「うむ、なかなかに気分の良いものだな。」
なるほど。歩くのとは全く違う感じで周りの景色が流れていく。
無論、テレポートなどとは全く別次元だ。
風を切って走るというのは、こういう事を言うのであろうな。なかなかに清々しいものだ。
「待ってぇーシャカーーー!!危ないからそんなにスピード出しちゃ駄目ーー!!」
「まだついて来ていたのか?」
全く、心配性もここまで来ると少々度が過ぎているな。
そんなに私の事が信用出来んのかね、君は。
何もそんなに髪を振り乱して血眼になって追いかけて来ずとも良かろうに。
牛や獅子のような、見るからに肉体派の筋肉馬鹿ではなくとも、私とて身体能力には長けている方だ。そうでなければ、黄金聖闘士にはなれぬからな。
「心配は無用だ、!みたまえ、私は君より遥かに早いスピードで乗りこなしているであろう!」
「それは坂道だからだってばーーー!!危ないからブレーキかけてーー!!」
「それが無用な心配だと言うのだ!坂道であろうが砂利道であろうが、このシャカにとっては・・・」
「危なーーいシャカ!!前見て前ーーーッッ!!!」
「?」
いかん。ついの身を案じるあまり、注意力が散漫になっていたようだ。
目の前に木の枝が伸びている事に気付かなかった。
だが、案ずる事はない。私の動きを持ってすれば、今からでも十分に避けられる。
「キャーーッ!シャカーーー!!!???」
む、私の光速の動きについて来れぬとは、おのれ自転車、何と不甲斐無い。
ブレーキをかけても最早意味がない。全く、これでは何の為についているのか分からんな。
しかし・・・・・、そうか。これが自転車という乗り物なのだ。
この愚鈍な所も含めてきちんと把握してやり、操らねばならんのだ。
全く・・・・、まるで私の隣人達のようではないか。
自転車ごと舞い上がった宙で、不意にや皆の顔を見た気がして、私は思わず苦笑を浮かべた。
「まったくもう!調子に乗ってスピード出すからよ!」
「調子になど乗ってはいない。自転車の運転など、私には容易い事だ。」
「でも枝に引っ掛かって派手に転んだじゃない、っていうか飛んでたわよ!?」
「あれは君が不用意に後ろから声を掛けてきたからだ。私の運転にミスはなかった。」
の後ろに乗せて貰いながら、私はまた先程とは違った景色を見ていた。
私が一人で乗っていた時とは随分違う、ゆったりと流れていく景色だ。
「怪我は?大丈夫?」
「うむ、大事ない。全てかすり傷だ。」
「そう、だったら良いんだけど。念の為、戻ったら消毒しなきゃね。」
「フッ、全く心配性だな、君は。」
「何よ、他人事みたいに。誰の心配してると思ってるのよ?」
憮然とした口調で言ったは、不意に私の方を振り返って尋ねてきた。
「でもさ、どうして最初の時みたいに脱出しなかったの?こう、ヒラッと。」
「あの勢いだったのだ。それをすれば、折角の女神の贈り物が大破してしまったであろう。そんな無礼な真似は出来ん。」
「あ、な〜るほど。」
「それに、君の大事な足である事だしな。」
そう、風を切って心地良さそうに走るの姿を見られなくなるかと思うと、身体が己一人自転車から飛び離れる事を嫌がったのだ。
「・・・・・ふふっ、前籠はベコベコになっちゃったけどね。」
「後で形を整えれば良い。乗れぬ程に壊れた訳ではないのだから、良しとしよう。」
「あははっ、それもそうね!でも、今度はちゃんと練習してから乗らないと、本当に壊れちゃうわよ?」
「その心配は無用だ。」
「何で?」
そう、もうその必要はない。
女神には申し訳ないのだが、私はもう飽きてしまった。
いや、それ以上に、こうしての後ろに乗るという事の方が心地良い、という事に気付いたのだ。
「暫くは、こうして君に乗せて貰うとしよう。」
「え〜っ!?私、シャカの足!?」
「人聞きの悪い。これも近所付き合いの一環ではないか。」
「ふふっ、何それ?」
「早速だ、ひとっ走り町まで頼む。私も丁度買出しに行こうと思っていたところだったのだ。」
「は〜いはい。」
「何かね、その諦めたような口調は。」
「べ〜つ〜に〜。」
「何をモタモタしている。もっと速く走れぬのか?日が暮れて店が閉まってしまうではないか。」
「きゃーーッ、ちょっと!押さないでよ!!」
そうか、私が気になっていたのは、こうして楽しそうにしているだったのだ、
と今気付いたのだが、それはには今暫く黙っておこうと思う。