ある朝の夢




甘く爽やかな香りが、顔を埋めている枕からふわりと漂ってくる。
愛しい者の香りに気が付けば、夢が少しずつ醒めていく。


「う・・・・・ん・・・・・・・」

自分が起きている事は分かっている。しかし、目が開かない。
もう少しこの心地良い香りに抱かれて眠っていたくて。
あと五分、いや、三分で良い。
そんなケチな事を考えながら、ひたすらに惰眠を貪る。



このところ処理する件が多くて、執務が忙しかった。
にも随分と遅くまで手伝って貰わねばならない程に。
流石には毎日帰したが、私自身は自分の部屋に戻るのも億劫で、休憩室で浅い仮眠を取っては山積みの書類を片付ける日々が続いていた。
執務はとてもやりがいがあるし、私はそれに全力を注がねばならぬ身なのだが、やはり時には言い様のない疲れを感じる事もある。
そんな時は、どうしてもに会いたくなる。

そんなに疲れていても、どんなに遅くても。
に会いたい。

やっとの思いで書類仕事を片付けてここに転がり込んだのは、昨夜の何時頃だったか。
多分真夜中近くだった。
私より少し先に帰っていたの、『お疲れ様』と迎えてくれた笑顔が心に染みるようだった。
そして昨夜は、久しぶりに深く深く眠り込んだ。

ああ、だから今日は寝起きが悪いのだ。
この温もりを手放すのが勿体無いから。






「ガ・・・・、サガ・・・・・・」
「ん・・・・・・・・・」
「サガってば。いつまで寝てるの?もう朝だよ。」
「うぅ・・・・・・・」

一度醒めかけた夢にまた引きずり込まれかけていた時、が私を起こしに来た。
ゆさゆさと肩を揺さぶり、私の名を呼び続けている。
部屋の匂いが少し変わった気がしたのは、の身体にバターの香りが纏わり付いているせいだった。

「朝ご飯出来たよ。オムレツ冷めちゃったら美味しくないよ。」
「あぁ・・・・、分かっ・・・・た・・・・・・・」
「・・・・・駄目ね。全然起きないわ。」

いや、起きてはいるのだ。ただ、目が開かないだけで。
折角が作ってくれた食事だ。勿論食べる気はある。
だが、もう少し待ってくれないか。


「ねえサガ!ほら起きてよ!」
「う〜〜・・・・ん・・・・・・・・」

は実力行使にで始めた。
相変わらず私の肩を揺さぶりながら、頬を叩く行為まで加えている。
全く痛みはないのだが、醒めかけている夢はこの程度の刺激でも簡単に壊れてしまう。
それが惜しい。

もう少し待ってくれ。
もう少し。


「・・・・もう・・・・少しだけ・・・・・・」
「ふふっ、寝起き悪いわね〜!でも、今日も忙しいんじゃなかったの?」
「ああ・・・・・」
「・・・・・相当疲れてるわね。何だったら、今日はお休みしたら?ずっとろくに寝てないんでしょ?」
「ああ・・・・・、いや・・・・・、休みはしない・・・・・」

休みたいのは山々だが、完全に片付けてしまうまではおちおち休んでもいられない。
私は何とか必死に瞼をこじ開けて、ぼやける目でを見た。

もうすっかり身支度を整えて、服の上からいつも使っているクリーム色のエプロンを掛けている。
バターの香りがしたのは、多分ここからだ。
そして、黒い瞳が心配そうに私を覗き込んでいる。


「もう少ししたら起きるから・・・・・、済まない・・・・・・・」
「分かった。じゃああと五分したら、また呼びに来るね。」

は私に上掛けを掛け直してくれると、部屋を出て行こうとした。
我侭だろうか。多分、我侭だろうな。
行って欲しくない、離れたくないと思うのは。
そう思うなら、私が起きてと共に行けば良いのだから。
だが、泥のように重い瞼と身体がそれを許してはくれない。

だから私は、必死の思いでどうにか手だけを動かして、の手首を捉えた。


「待ってくれ・・・・・・・・」
「なぁに、どうしたの?」
「こっちに・・・・・・・」

弱々しく手を引いてを引き寄せると、はベッドに浅く腰掛けた。


も・・・・・、もう少しここに居てくれ・・・・・・・」
「良いけど・・・・・・・、でも暇。サガ起きないし。」
「フッ・・・・・・・、それは済まない・・・・・。だったら二度寝に付き合ってくれ。」
「えぇ!?ちょっ・・・!」

の抗議の声を聞かなかった事にして、その身体をベッドに引きずり込んでやる。
私に手を引かれたせいで倒れるようにしてベッドに横たわったは、ガバッと顔を上げて頬を膨らませた。


「もう・・・・!こんな力があるんなら起きてよ!」
「それとこれとは・・・・別だ・・・・・・・」
「何が違うのか全然分かんない。」

反論しながらも、それ程嫌がっているようには聞こえない口ぶりだ。抵抗もしない。
胸の辺りから、シャンプーの甘い香りがふわりと漂ってくる。
大人しく私の腕の中でじっとしているを抱きしめていると、不謹慎にもこうしてこの怠惰な時間を過ごしたくなってくる。

今日ぐらいは二人で休んで、こうしていようか?
そう言ってしまおうかどうしようか、悩むこと暫し。


「・・・・・・

やっと搾り出せた声は、自分でも呆れてしまう程呆けていた。
寝起きで掠れて、少し鼻にかかったような。
だらしがないとは思ったが、意外だった。

の頬が、薄らと薔薇色に染まっていた。
もしかして、この男は朝っぱらから何か企んでいるんじゃないだろうか、と少し身構えて。

そんなつもりはなかった、とは言わない。
このままを、ベッドから出さずにおこうかと思っていた位なのだから。



「・・・・・・

もう一度名を呼んで、顔を上げさせて、その唇にキスを落とした。
軽く触れるだけの、柔らかいキスをニ度・三度と。
キスを繰り返していく内に、の瞳が潤み始める。
執務の時間も冷めていく一方の朝食の事も忘れて、私達は夢の続きのような時間に暫し身を浸した。


「・・・・・・今日は二人で休みを取ろうか。」
「でも・・・・・・、良いの?」
「半日だけだ、午前中だけ休みを取ろう・・・・。鋭気を養って、昼から頑張れば良い。」
「・・・・・・サガが良いって言うんなら・・・・・」
にも・・・・・、このところ無理を頼んでばかりだったからな・・・・・」

それは勿論事実なのだが、それ以上に私がこうしていたいのだ。
と共に、こうしていたい。
一人で眠っているぐらいなら、起きて執務をしていた方が余程マシなのだから。


「もう一眠りして起きたら・・・・・、食事にしよう。」
「ふふっ、その頃にはもうすっかり冷めちゃってるね。」
「構わん・・・・・・」

身体は睡眠を欲して動かないのに、心はを求めている。
私は動かない身体を無理に動かし、静かに寝返りを打ってをそっと組み敷いた。
つけたばかりらしい艶やかなルージュが、朝だというのに私を誘う。

「・・・・・・
「サガ・・・・・・」



しかし、必要な事はしておかねば。



『カノン。』
『サガか。昨夜も帰らなかったな。また徹夜か?』
『いや、昨夜は少し眠った・・・・・、ついでに今日は午前中休みを取る。皆にそう伝えてくれ。』
『休み?休みは良いがお前、今何処に居る?』
も一緒に休みを取る。』
『・・・・・・フン、そういう事か。良い気なものだな。』
『昼には向かうから、それまで頼んだぞ。』



ルージュのオレンジ色に吸い寄せられる直前、必要な事だけをテレパシーに乗せてカノンに叩きつけてやった。
これで心置きなく夢の中に戻っていけるというもの。


ふわりと唇に触れた温もりに幸福を感じながら、偶には長い朝をゆっくりと過ごすのも良い、


そう思った。




back



後書き

『サガは低血圧で寝起きが悪いタイプ』という設定のお話のリクエストを頂きました。
ううん、なるほど。実は私はそれと正反対のイメージをサガに対して
持っていたのですが、そういう設定も面白いですね、とても新鮮でした!
激務に疲れて大概グロッキーになっていた朝、というシチュエーションで
書きましたが、いかがでしたでしょうか?
リクエスト下さったルナ様、ありがとうございました。
イメージに合っていれば良いのですが。