逢いたくて




部屋のチャイムが鳴った。続いて、玄関ドアの鍵が開く音も。
その瞬間、真島はハッと目を覚ました。
熟睡には到底及ばない程度の中途半端な眠気など、跡形も無く霧散していた。
ずっとずっと待ち焦がれていた、その音を聞き取った瞬間に。


!!」

入って来たのはやはり彼女、だった。


「おはよ〜っ!ごめんごめん、遅なって!すぐお昼ご飯作るわな!」

飛び起きて駆け寄った真島に、はいつものように明るく笑いかけた。


!お前どないしてここが分かってん!?」
「えぇ?何よそれ?人が来るなり変な事言うて。ふふっ。」
「よう来れたなぁ!来て大丈夫やったんか!?佐川は!?バレたらえらい事とちゃうんか!?」
「何言うてんのよ。佐川さんが私に言うたんやんか。あんたの面倒看たってくれって。」
「・・・・あ・・・・・」

そうかと納得したら、他の事にも全て納得がいった。
がこの蒼天堀のアパートを知っているのも、全くいつも通りに明るく振舞っているのも、佐川公認の下だからだ、と。


「あははっ!何よ変な事ばっかり言うて。夢でも見て寝ぼけてたん?」

一度は終わってしまった『契約』を、佐川がまた新たに結んだのだろうか?
そう言えば、もう一月延長したと言っていたか?
いや、そもそもはっきり終わっていなかった気もする。
いずれにしても、どうでも良い事だった。


・・・・・!逢いたかった・・・・・・!」

真島はを強く、強く、抱きしめた。


「・・・・・逢いたかった・・・・・!」

元気だっただろうか?
佐川に酷い事をされていないだろうか?
泣かされたりせず、大事にして貰えているだろうか?
家族の事も、ちゃんと面倒を見て貰えているだろうか?

気になる事は沢山あるが、訊く気にはなれなかった。
何か訊けば、ではなく、佐川の情婦『』の事を知ってしまう事になる。
なんて女の事は知らない。知らなくて良い。
やっと『』に逢えたのだから。が今こうして、腕の中にいるのだから。


「何よ、どしたん・・・・・?」
「ずっとお前に逢いたかったんや、ずっと・・・・・」

吐息が微かに震えてしまったが、はそれを茶化しはせず、ただ真島を抱きしめ返して優しい笑い声を微かに洩らした。


「私も逢いたかった・・・・・・」

突然引き離されたあの日からずっと抑え込んでいたこの想い、もう無理に抑える事はない。己の心のままに、真島はに口付けた。


「んっ・・・・・・」

深く口付けて、舌をしっかりと絡め合わせると、その感覚だけで早くも腰が甘く疼いてくる。
ずっと、ずっとこうしたかったのだ。
早く会わせろと佐川に掴み掛かりそうになるのを毎日毎日堪えながら、この時が来るのをずっと待ち続けていたのだ。


「ぁ、ん・・・、なぁ・・・、ご飯は・・・・?お好みしよって・・・言うてたやん・・・・・」
「ああ、後でな・・・・・。今はあかん・・・・・、辛抱でけん・・・・・!」
「んんっ・・・・・!」

今はの温もりに包み込まれる事しか考えられなかった。
真島は貪るようなキスを繰り返しながら、を掛け布団の上に押し倒し、性急な仕草で脱がせていった。
そして、目の前にまろび出た白い乳房の頂に、無我夢中で吸いついた。


「あぁんっ・・・・・!」

が上げた甘い声に、己が熱く滾るのが分かる。
目くるめくような歓びに満ちていたあの日々が、やっと戻ってきたのだ。


「あ、ん・・・!やぁ・・・んっ・・・・!あぁっ・・・・・!」

身体を雁字搦めにするような堅苦しいタキシードが、邪魔で仕方ない。
と逢えた今、もうこんな鬱陶しい御仕着せを辛抱して着続ける必要は無い。
真島は着ている物全てを破るように脱ぎ捨てながら、の身体を夢中で弄った。
一刻も早く一つになりたいという想いに急き立てられて、愛撫がついつい激しくなってくる。しかしは逃げずにそれを健気に受け止めて、熱い蜜を溢れさせた。


「あ、は・・、あぁっ!あぁっ!あんっ・・・!」

いじらしく膨らんだ花芽を舌で転がすリズムに合わせて、の嬌声も弾ける。
誘うように小さく開いた花芯に指を沈めてかき回すと、蜜の撹拌される淫らな音がそこに加わる。
ずっと刺激され通しの楔はもうどうしようもなく昂りきっていて、の温もりを求めてビクビクと脈打っている状態だった。


・・・・、・・・・・!」
「ああぁっ・・・・!!」

を正面から組み敷いて、柔らかく綻んだ花芯に痛い程張り詰めた楔を埋め込み、最奥まで一気に貫くと、はビクンと身を震わせて真島にしがみ付いた。


「ハァッ・・・・!・・・・・!」
「あ、んっ・・・、吾、朗・・・・!あぁっ・・・・・!」

を取り戻せた。
佐川の手から、遂に取り返せた。
もう二度と佐川の好きにはさせない。もう絶対離さない。


「何処にも行くなや・・・・!?もう・・・、何処にも行くなや・・・・!?なぁ・・・・・!?」
「行かへん・・・、行かへんよ・・・・・、あぁんっ・・・!!」

狂おしいまでの恋慕の情に突き動かされて、真島は強くを抱きしめ、一心不乱に腰を打ち付けた。
その激しすぎる情熱が、の奥深くで弾けてしまうまで―――――


「ハァッ・・・・・!!」

―――――弾けた瞬間、またハッと目が覚めた。


「ハッ・・・・!?ハァッ・・・・!ハァッ・・・・・」

最初は何が何だか分からなかったが、時間が経ってくると理解出来た。
只の夢だったのだ、と。
世話係のバイトとして佐川に雇われたが、甲斐甲斐しく世話を焼きに来てくれていた日々は、もうとっくに終わっているのだ、と。


「・・・・ハァ・・・・・・」

今さっきまでこの腕に抱いていた筈のは、もう何処にもいなかった。僅かな気配や残り香さえも無かった。ここにいるのはただ一人、パンツ一丁で汗だくになって呆然と床に寝転がっている真島だけだった。
更に意識がはっきりしてくると、今しがた弾けた夢がパンツの前を盛大に汚しているのにも気が付いた。


「・・・フッ・・・、ハハッ・・・・、最悪や・・・・・」

情けなさすぎて、哀しすぎて、涙どころか乾いた笑い声が出た。















楽しくて、幸せで、些か暇を持て余してもいたあの穏やかな日々は、と引き裂かれ、この蒼天堀に連れて来られた日を境に一変してしまった。
今は佐川に任された、いや、丸投げされた不良債権『キャバレー グランド』の支配人として、常に仕事に追い立てられていて、次から次へと起きる問題に頭を悩ませ、その解決の為に奔走する毎日を送っている。
金、人、時間、全てが不足していて、分身の術でも使えたら・・・なんて馬鹿馬鹿しい事を半分本気で考えてしまう位だ。
勿論、今日も今日とて仕事だった。
未練がましく熱の籠ったベタベタの身体を水浴びでサッパリさせ、季節感皆無の黒い御仕着せをいつも通りに着込み、鬱陶しい長髪を一つに束ねて黒革の眼帯で左目を覆うと、真島はボロアパートの犬小屋へやを出た。
グランドはほんのすぐ目の前なのだが、先に腹ごしらえをする為、ひとまずは素通りする。暑さも相まって、食欲はあまり無いのだが、無理にでも食べておかなければ身がもたない。何かあっさりしたものを目的に、真島は蒼天堀の街をブラつき始めた。

この街に連れて来られて、もう2ヶ月が経つ。
季節は夏の盛りで、夕方の4時を回ってもまだ暑い。西日が強烈で、真昼間の日射しと何ら変わりないのだ。
暑くなり出した頃から蒼天堀の川の臭いが強くなってきて、そのほとりにあるあのクソ狭い部屋には今や、湿っぽい熱気と共に生臭いドブの臭いが充満している。
その臭気と蒸し暑さに耐えかねて窓を開けると、より一層強烈な悪臭が入って来る。一晩中働いてクタクタに疲れて帰って来た身体には、とどめの一撃にも等しいものだ。只でさえ、覗き魔みたいな佐川組の連中にあちこちから四六時中見張られていて、ゲンナリしているのに。
こんな所で寝起きして、酒癖の悪い酔客にペコペコ頭を下げて、言いたい放題ワガママ放題の店の女共のご機嫌を取って、来る日も来る日もその繰り返し。俺は一体何をしているのだろうと、虚しい疑問を己に投げ掛けない日は無い。
だが、やるしかなかった。佐川の命令通りに、この暮らしを続けるしか。
でなければ、永久に極道には戻れないし、にも逢えないままなのだから。

はどうしているだろうか?
これもまた、思わない日は無かった。
だが、この街に来てからの夢を見たのは、今日が初めてだった。
やけにリアルな夢だった。
まだ鮮明に覚えているし、思い起こすとまた身体が反応しそうになる。
只の夢だと分かって酷く落胆はしたが、それでもあの夢を見ていた間の甘い幸福感は、まだほんのりと心の中に漂っていた。
本当にリアルだった。
もしかしたら・・・、そんな期待がじわじわと膨らんでくる程に。
妙にソワソワと落ち着かない気持ちのまま、真島は目についたうどん屋に入り、ざるうどんで腹ごしらえをした。食事を楽しむ気分ではなかったのだが、食べてみたらそれなりに喉を通るし、美味いとも思う。結局普通に1人前平らげてから、真島は店を出た。
腹ごしらえも済んで、いよいよ仕事に行かねばならなかった。
強いてコツのようなものと言えば、それは諦めだ。『しゃーない』の一言で自分を諦めさせて、真島はグランドに向かって歩き始めた。
その時、良く似た後ろ姿が、少し先を歩いているのに気が付いた。


「っ・・・・!」

カジュアルなTシャツとブルージーンズの、溌剌とした後ろ姿。
肩に少しかかる位の、栗色のストレートヘア。
背格好もまさしく同じ位だ。


― ・・・・・!?

あれはじゃないか!?
ここに来てから初めて見たの夢、身体の快感も心の幸福感もやけにリアルだったあの夢、あれはやはり予知夢とか正夢というやつでは!?
そう思った瞬間、真島は堪らずに駆け出していた。
他の通行人達を押し退け、掻き分け、愛しい後ろ姿目掛けて一目散に駆けて行った。
、待ってくれ、俺や、心の中で呼び掛けながら必死で距離を詰めていき、遂にその華奢な肩を掴んで振り向かせてみると。


「きゃあっ!な、何っ!?」

その顔は、とは似ても似つかぬ別人だった。


「あ・・・・・・」

割と本気で、心がへし折れた気分だった。
しかし、ただ夢を見たというだけで、そこまで期待してしまっていた自分がアホだというだけの事だった。
ちょっと考えてみれば分かるのに。
あの佐川が、目下飼い馴らしている最中の『犬』の檻の中に、可愛がっている『小鳥』を無防備に放す訳がない、と。


「ちょっ、な、何やのアンタ!?誰!?」
「あ・・・・、いや、すまん・・・・」
「はぁ!?何そのガッカリした顔!腹立つわぁ!言うとくけど、アンタみたいなヤクザのナンパなんかこっちからお断りやから!」

自分の事を無礼なナンパ野郎だと完全に勘違いしてキーキーと怒っている女を前に、真島はどうするかを一瞬の内に考えた。悩む事などは何も無かった。
今この瞬間も、佐川組の連中が素知らぬ顔でそこかしこから監視の目を向けてきている。少しでも妙な動きを見せれば、佐川に何をどう報告されるか分かったものではない。
あの男が本当に約束を守ってくれる可能性がどの位あるのかは正直なところ分からないが、『飼い主様』の言う事を聞いてせっせと働くお利口な『猟犬』でいなければ、それは下がる。それだけは確実なのだ。


「・・・・あ、あぁ〜!ちゃうてちゃうて〜!」

真島はヘラヘラと笑いながら、素っ頓狂なまでに明るい声を張り上げた。


「逆逆!思った以上のべっぴんさんやからビックリしただけやがな〜!」
「え!?」
「実は俺な、そこのグランドっちゅうキャバレーの支配人なんやけど、オネーちゃん、うちの店で働いてみぃひんか?」
「ええ?キャバレー?」
「そうそう!オネーちゃんやったらきっと売れっ子になれると思うでー!」
「フン、うちそんな仕事する気ないわ。」
「まぁまぁ、そないつれへん事言わんと!ちょっと話だけでも聞いてぇや、な!?な!?」

素っ気無く歩き去って行く女をしつこく追いかけるキャバレーのスカウト、誰の目にもそう見える筈だ。真島はそこら中にいる佐川の手下共に対して、これでええんやろと心の中で吐き捨てた。

こんな事をあとどれくらい繰り返せば、に逢えるだろうか?
グランドの利益はまだ無いに等しく、佐川に要求された1億という額には遠く及ばない。
それは極道に戻る為、親の嶋野に口利きをして貰う事に対する条件であって、にはそこに至るまでに適当に折を見て会わせてやるとは言われたが、具体的な数字が伴わないその曖昧な約束は、考えてみれば嶋野への口利きよりも、果たされる可能性が低いのかも知れなかった。

その約束は、己一人の努力や辛抱でどうにか出来るものではない。
が佐川に対して従順になり、心を開いてその寵愛を受け入れるようにならなければ駄目なのだ。
いつかそうなる日が来るのだろうか?
それとも、もうとっくにそうなっているのだろうか?
佐川の手から餌を啄む『小鳥』の姿を見た時、自分は一体どれ程のショックを受ける事になるだろうか?

だがそれでも、気持ちは何も変わっていない。
もう一度、どうしてもに逢いたい。
たとえ佐川の言った通り、が二人の男を天秤にかけて自分の意思で佐川を選んだのだとしても、本人の口から何も聞けないまま、佐川の言いなりに諦める事なんて出来ない。


― 俺は諦めへんで、・・・!絶対、また必ずお前に・・・・・!


今はただ、一日も早くあの愛しい笑顔に逢える事を願って、信じて、この蒼天堀という『檻』の中を走り回るだけだった。















全てはお前次第だと選択を迫られ、覚悟を決めて佐川の『籠の鳥』になってから2ヶ月。
広くて綺麗な鳥籠へやを与えられ、身を飾る贅沢品を次から次へと与えられ、存分に女磨きをさせて貰い、追い立てられる事は何も無い。実家の家族にも十分な仕送りが出来ている。
この満たされすぎている日々に、は早くも苦痛を覚え、耐えられなくなっていた。
仕事と言えば、自分の身なりと部屋を綺麗にし、佐川の為に晩酌や軽い食事の用意をし、彼の機嫌を取って性欲を発散させてやる事だけ。
他には何もやる事が無く、いつ来るか分からない佐川を只々待つばかりの孤独で空虚な日々は、に自分を卑しい女だと蔑ませ、自ら裏切った恋しい人の事ばかりを考えさせた。
佐川の手の中から逃げる事など出来ないのに、そして逃げるつもりもないのに、それでもこの辛さ・悲しみから逃げ出したくて堪らなかった。
その気持ちがいよいよ抑えきれなくなってきた頃、は意を決して佐川にねだった。自分の店を持ってみたいと、如何にも甘ったれの囲われ女らしく。
服やバッグとは桁が違うから、流石に聞いて貰えないかも知れないと内心で身構えていたのだが、しかし佐川は拍子抜けしてしまう程すんなりと、理由すら特に問い質しもせずに、了承してくれたのだった。



「ま〜あ佐川さん!ようこそいらっしゃいませ、お待ちしておりました!」

ここは京都・祇園の、とある高級クラブ。
は今、この店のVIP席に佐川と二人で座っていた。
佐川はこの手のクラブやキャバレー、レストランなどの飲食店を手広く経営しており、自分の所有物件か否かに関わらず、様々な店によく足を運んでいる。もこうしてしばしば同行させられ、ご相伴にあずかっていた。
席に着いて少しすると、上品な薄紫色の和服姿の、30代前半位の綺麗な女性がいそいそとやって来た。
その女性はに目を留めると優雅な微笑みを浮かべて会釈をし、失礼しますと断って、とは対極になる佐川の横を陣取った。


「ずっとお待ちしておりましたんえ。最近あんまり来てくれはらへんから、うち寂しゅうて寂しゅうて。」
「ハハ、悪い悪い。何だかんだ忙しくてよ。でもずっとお前の事を考えてたよ?」
「いやホンマぁ?」

ほんの一瞬向けられた彼女の視線に、ふと引っ掛かるものを感じた瞬間、彼女はまた口を開いた。


「それで?そちらの可愛らしいお嬢さんは?」
「ああ、ってんだ。」

初めて出会った時からずっと、佐川はの事を源氏名で呼んでいる。
しかし、それを彼女に説明し、併せて本名も名乗っておく必要は恐らく無い筈だった。


「初めまして。と申します。宜しくお願い致します。」

勤めていたキャバレーは2ヶ月前に辞めており、自分の店もまだ影も形も無いので、名刺は持っていない。
そう、今のは何者でもなかった。佐川の情婦という以外の、何者でも。
出されるべきタイミングで、出されるべき物が出てこない事に、彼女の方もきっと何かを思ったのだろう。また優雅な微笑みを微かに零して、に自分の名刺を差し出した。


「初めまして。この店のママの静江と申します。どうぞ宜しく。
まぁホンマにかいらしい方やねぇ。そないして二人並んで座ってはると、まるで仲のええ親子みたいやわぁ、ウフフ。」

答えようがなくて、も曖昧な笑いで返すしかなかった。
佐川が何か言うだろうかとさり気なく待ってみたが、佐川も特に何も言わず、普段通りに飄々と笑っているだけだった。
そうこうしている内にシャンパンやアラカルトが運ばれてきて、和やかな、しかし何処か気まずい雰囲気の中、3人で乾杯し、歓談が始まった。
間もなくして、佐川が煙草を咥えた。その為のライターを今常に持ち歩いているし、キャバレー勤めをしていた時分にも仕事で散々していた事だから慣れている。はライターを取り出して、その火を佐川に差し出そうとした。
しかしそれより僅かに早く、静江が同じ事をした。佐川がその火を受け取って紫煙を燻らせ始めると、彼女は次にの方にもライターを差し出した。


さんは?良かったらどうぞ?」
「あ・・・、ありがとうございます。でも私は煙草吸いませんので。」

それを丁重に断ると、静江はまた一瞬、さっきのように引っ掛かるものを感じさせる眼差しになった。


「あら、そうでしたん?それは失礼しました。まぁ真面目なお嬢さんなんやねぇ。今時は高校生でも吸うてやんのに。
ちょっと佐川さん?こんなお嬢さん、何処で見つけてきはりましたん?好き勝手に連れ回したりなんかしたら、親御さんに叱られるんとちゃいます?ウフフッ。」

その冗談に皮肉の棘が含まれている気がするのは、気のせいだろうか。
誉めているかのような口ぶりで、半人前の小娘と馬鹿にしている。
どうもそんな気がするのだが、わざわざ悪く受け取っても良い事は何も無いので、はまた愛想笑いで流して済ませた。


「ハハ、何言ってんだよ。確かに若ぇ事には違いねぇが、この娘もお前と同業だよ。近々店を構える予定だ。」

佐川が笑いながらそう答えると、静江はまたに目を向けた。
今度はもう、気のせいではなかった。
同じ夜の女と分かった途端に、彼女はに対して、明確なライバル意識と敵意を見せていた。


「あら、そうでしたん?ちっともそんな風に見えへんかったわぁ。えらいおぼこいから、てっきり学校出たてのお嬢さんかと。お幾つ?」
「21です。」
「そう。お店はどちらで出すご予定?このお近く?」
「それはまだ決まってないんです。前に勤めてた店は大阪の蒼天堀でしたけど。」
「へぇ〜、ああそう・・・・」

静江は一度言葉を切ると、不意に艶然とした微笑みを浮かべて、佐川にしな垂れ掛かった。


「あ、そやわ佐川さん、これどう?」
「あん?」
「うちのこの着物。この前買うてくれはったや・つ。最近仕立て上がったんですよ。どないです?」
「ああ、あれか。うん、良いよ。やっぱり良く似合ってるじゃねぇの。」
「ウッフフ、おおきに。」

静江は一層佐川に身を擦り寄せながら、に勝ち誇ったような笑顔を向けてきた。


「この反物、こないだ佐川さんが見立ててくれはったんよ。まるでお前の為に作られたような物だ、なんて言わはって。ウッフフ、気障でしょ?」
「いえでも、佐川さんのお見立て通りやと思います。本当に良くお似合いです。凄く綺麗で。」

は見たままの感想を素直に述べた。他意は何も無かった。
だが静江は、何か癇に障る事でもあったかのように、一瞬僅かに眉を顰めた。


「ねぇさん、この着物、何やと思う?」
「え?何って、どういう意味ですか?」
「どういう意味って、種類よ。何やと思う?」

何やと思う?と訊かれても、に和服の知識はほぼ無かった。
流石に花嫁衣裳、喪服、浴衣ぐらいは分かるが、他の事はよく分からない。せいぜい袂の長短ぐらいしか区別がつかなかった。


「・・・留袖、ですか?」

は少し考えてから、そう答えた。
すると静江は目を丸くした後、さも可笑しそうに笑い声を上げた。


「あっははっ!イヤやわぁさん、そういう意味やないのよ!私が言うたんは生地の種類の事よ。これはねぇ、友禅なんよ、京友禅。」
「ああ、そうでしたか、それは失礼しました・・・!すみません、不勉強で・・・」
「イヤやわぁ佐川さん、この娘こんなんでホンマにママなんか務まりますのん?
ママともなれば、下っ端のホステスと同じ、派手なだけの安い化繊のドレスでお店出る訳にはいきまへんのえ?ホンマに上質な物を見極めて、他の娘らとは格の違う、一際美しい装いが出来やんと。
うちは京都しか知らんさかい、よう分かりませんけど、大阪の方ではこれで通用しますの?
和服の知識はまるで無いわ、煙草もよう吸わへんわ、火ィひとつ満足に点けられへんわ。こんな娘、只のホステスとしてもまだまだ半人前とちゃいます?」

最初は皮肉の棘が隠れている程度だったが、もはやそれどころではない。
単に自分の無知や未熟さを笑われているだけでなく、生まれ育った大阪という土地までも安く見られて馬鹿にされているような気がして、は密かに腹を立てた。


「・・・静江さんは、京都の方ですか?」
「うち?ええそうよ。うちは生まれも育ちも京都の、正真正銘の京女ですねん。」
「そうですか。じゃあやっぱり、着物も地元の京都産に拘りがおありで?」
「そうやねぇ。他にもええもんは色々あるけど、着物はやっぱり京都のもんが一番ええと思ってるわ。」
「ああ〜、何か分かります。大阪のオバちゃんが、ヒョウ柄の服着て『コレええやろ?』って胸張ってんのと同じ感じですよね?私も大阪生まれの大阪育ちやから、何かそういう地元愛みたいなの分かります。うふふっ。」

ド天然を装ってそう言い返してやると、静江はあからさまに顔を強張らせて絶句し、佐川は手を叩いて爆笑した。


「わはははは!オバちゃんのヒョウ柄服かぁ!なるほど、そいつは言い得て妙だな!どうだ静江?おっもしれぇだろこの娘?」
「え、えぇまぁ・・・・」
「お、あれ俺の歌じゃね?ちょっくら行って来るわ。」

流れてきたカラオケのイントロに気が付いて、佐川は席を立ち、ステージへと行ってしまった。
その途端、静江は不機嫌を隠そうともしない顔になって煙草を咥えた。ライターの火を差し出してはみたが、彼女は意地を張るように自分のライターで火を点け、深々と煙を吸い込んで忌々しそうに吐き出した。


「・・・・アンタ、勘違いしたらあかんえ?」

いよいよ『アンタ』ときたもんだ。
本性を現し始めた静江が本音を喋り出すのを、は黙って待った。


「えらい余裕ぶってるけど、自分は安泰やと思ってたら大間違いやで?今は物珍しいから可愛がってくれてるかも知らんけど、無邪気な小娘のふりなんかじきに通用せぇへんようになるわ。
あの人なぁ、女の好みにうるさいねん。インテリやさかい、あんまりアホな物言いしとったら、頭のレベルが釣り合わへんてウンザリされて捨てられるで?
店の話も、くれぐれも鵜呑みになんかせんこっちゃ。若い女のおねだりに負けてついええカッコしてしもただけで、あの人ホンマはそんな気無いで。アンタみたいな半人前に店の経営なんか出来る訳ないさかいな。」
「・・・・・」
「蒼天堀なんて下品な場末の店から拾ろてきた女なんか、ま、所詮は束の間の遊び相手なんよ、あの人にとっては。精々少しでも長う側に置いて貰えるように、ようお気張りやす。」

先程までよりもワントーン低い声で繰り出される侮辱の数々は、即ち、この人の執念なのだろう。佐川の事を本気で愛しているのか、それともパトロンとして失いたくないのか、理由は分からないが。


「・・・・ふふっ・・・・」
「何やの?何がおかしいん?」

おかしいのは、静江ではなく自分自身だった。
ほんの2ヶ月前まで、こういう女同士のイザコザは大の苦手で、これを回避する為なら落ちこぼれの一匹狼で上等だと本気で思っていたのに、受けて立とうとしている自分自身が、思わず笑ってしまう程おかしかった。
今の暮らしに苦痛を感じているくせに、それでもこの人と同様、佐川に捨てられてなるものかと必死になっている、自分自身が。


「ご忠告ありがとうございます。よう肝に銘じておきます。お礼に私も1個忠告というか、情報交換しますね。」
「ええ?」
「あの人多分、頭のレベルが釣り合えへんアホな物言いする女より、今にもヒス起こしそうに不機嫌な顔してピリピリしてる女の方がウンザリすると思いますわ。
現にあの人、私の言うた事には楽しそうに大笑いしとったけど、静江さんのお話にはそない大した反応してへんかったでしょう?」
「・・・・何やて?」
「あの人に捨てられへんように、お互い頑張りましょうね?」

がニッコリ笑ってそう言ってのけた途端、静江は顔つきをガラリと豹変させて鬼のようになり、自分のシャンパングラスの中身をの顔目掛けて思いっきりぶち撒けた。


「きゃっ・・・・!」
「もっぺん言うてみい、この泥棒猫!!」
「何やのっ・・・・!」

それだけでは飽き足らず更に掴み掛かってくる静江に、反射的に抵抗しながらも、の頭の中は何処か冷めていた。こうなる事が見えていながら下らない喧嘩を買った自分が、ばかみたいだった。


「店ん中で何やってんだ、静江。」

この騒ぎでカラオケを中断して戻って来た佐川が、と静江との間に割って入って、静江の方を睨み据えた。


「佐川さん!違うんよ、この小娘が・・・!」
「理由なんか訊いてねぇ。店ん中で、客の前で、無粋な大声張り上げたのはお前だ。それでも経営者か?」

佐川のこんな冷ややかな態度を、しかもそれを女相手に取っているところを見たのは、これが初めてだった。日頃の鷹揚な態度とはまるで違う、別人のようなこの様子に恐怖を感じて、は思わず身震いした。


「お前には失望したよ、静江。所詮はこんな程度の女か。お前にこの店任せたのは間違いだったみてぇだな。ガッカリだよ。」
「そんな・・・・!何言わはるの、佐川さん・・・・!」
「帰るぞ、。ほら。」

佐川は追い縋る静江を無視して、手近にあったお絞りで酒に濡れたの顔や髪を軽く拭くと、の腰を抱いて一緒に店を出るように促した。


「待って!待ってぇな佐川さん!うちは・・・!」

静江の泣き声を聞いても、佐川は冷たい無表情のまま、振り返りもしなかった。
これでも『女は泣かさない主義だ』と言い張る気だろうかと思ったが、当然口には出せなかった。
尤も、もし口に出して問うたとしても、この人はきっと平気で肯定するのだろう。
俺は怒鳴ってもいなければ殴ってもいない、この女が勝手に泣いただけだ、とでも。


「うち本気やねん!そんな小娘なんかより、うちの方がよっぽどあんさんの事愛してるわ!あんさんを誰にも盗られとうないんや!なあ佐川さん・・・・!」

あちこちの店に連れ歩かれてはいるが、こんなに後味の悪い、苦い思いをしたのは初めてだった。














「・・・酒くせぇな」

黒塗りベンツの後部座席に佐川と共に乗り込んで帰途に就き、少しすると、佐川が不意にそう呟いた。
はすみませんと謝り、出来るだけ佐川から離れるように座り直した。


「窓、開けましょうか?」
「いやいいよ。我慢出来ねぇ程酷いって訳じゃねぇから。」

はもう一度、すみませんと謝った。


「怒ってはる?」
「お前こそ怒ってねぇの?」
「私が?何でですか?」
「何であんな店にわざわざ連れてったんだー、とかさ。」

確かに色々と嫌な思いをしたが、佐川のする事に文句を言ったり拒否が出来る立場ではない。それを重々承知しているのだから、怒る道理が無かった。


「・・・とんでもない。むしろ良い勉強になりました。」
「例えばさぁ、ネンゴロになって店持たしてやったら、だんだん勘違いするようになってきた面倒な女切る為に、お前を利用した・・・、とかだったりしても?」

それは、嫌な役回りをさせたという罪悪感から出た自白なのだろうか?それとも、俺の不興を買えばお前もこうなるぞという、見せしめのつもりだったのだろうか?
しかし何にしても怒る筋合いはやはり無かったし、理由も別にどうしても知りたいとは思わなかった。この人に捨てられさえしなければ良いだけで、別にこの人の寵愛を独占したい訳ではないのだから。


「それならそれで、尚更良い勉強になりました。二の舞にならんよう、私も気ィつけなあきませんね。」

は微笑み、遠慮がちに手を伸ばして、指先だけでそっと佐川の太腿に触れた。
すると、佐川がの手首を掴んでやんわりと自分の方に引いたので、はまた佐川の方に身を寄せた。


「なかなか良い喧嘩っぷりだったよ。ハナからとさかに来てる相手に真っ向からブチ切れたって自分の損だ。暫く辛抱して、頃合いを見てほんのチョイとつついてやりゃあ、相手が自爆する。」
「・・・・別にそんなつもりじゃ・・・・」

冷静に作戦を立てられる程、喧嘩などし慣れていない。我慢の限界が来たのが偶々あのタイミングだったというだけだ。
そんな言い訳を心の中で呟いていると、佐川がの肩を抱き寄せた。二人の間にまだ少しだけあった隙間は、それにより完全に無くなった。


「女の水商売の世界はな、男の極道の世界と通じるもんがある。見栄張ってナンボ、どれだけ美しく、どれだけ煌びやかな見栄を張れるか、それが肝心だ。地味でパッとしねぇのはナメられるもんだ、目上からも目下からもな。良く覚えとけ。」
「はい・・・・」
「キタの新地でな、良い場所に空き店舗が出たって情報が入ったんだ。今とりあえず仮押さえしてあるから、明日見に行こう。お前が気に入りゃあ、そこで決定だ。」
「・・・・あ・・・・・」

唐突に振られたその話が頭の中に沁み込んで理解出来ると、もう一つ、気が付いた。
もしかしたら、今夜自分は試されていたのかも知れない。
本当に店を持たせてやるに値するかどうかテストされていて、そしてそれにひとまずは合格出来たという事なのかも知れない、と。


「・・・ありがとうございます。」

微笑んで礼を言うと、佐川もその涼やかな目元を細めてを見つめた。


「ナメらんねぇように、精々見栄張ってイイ女になれよ。
着物のウンチクはともかく、仮にもキタのクラブのママが煙草のひとつも吸えないんじゃ、確かに格好がつかねぇぞ。」

そして、人差し指での唇をからかうようにつついてから、おもむろに深く口付けてきた。勿論それも、拒む事は許されなかった。














翌日、の出店計画は本決まりとなった。
店舗物件の賃貸借契約が済んだ後、佐川はを自宅マンションまで送り届け、自分はまだ仕事があるからと言って再び出掛けて行った。
マンションの前で車から降ろされたは、そのまますぐには帰宅せず、近くにある煙草の自動販売機に立ち寄り、佐川の煙草を1箱買った。それから改めて、そこに並んでいるラインナップを眺めた。
沢山の銘柄があるけれども、皆何を判断材料にして選ぶのだろうか?
パッケージのデザイン?価格?それとも・・・?
はもう一度小銭を入れて、ボタンを押した。自分から切り捨ててしまった恋しい人の、真島吾朗の吸っていた、ハイライトのボタンを。
帰宅すると、昼間留守にしていた間に籠った熱気で部屋が暑くなっていたが、空はもう夕陽に染まってきているので、クーラーを点けずとも風を通せば凌げそうだった。
はリビングのガラスサッシを開けて網戸にし、扇風機を点けた。
そして、佐川の為に買ってきた煙草をストック入れの籠に片付け、ハイライトと灰皿とライターを持って網戸の側に座り込んだ。
煙草のビニールを剥がし取り、1本取り出して咥え、おずおずと火を点けてみるが、先端がジジジ・・・と炙られるだけで上手く火が点かない。人の煙草には上手く火を点けられるのに、自分のはどういう訳か上手くいかない。
知らず知らずの内に息を詰めていたらしく、だんだん呼吸も苦しくなってきて、は何の気なしに息を吸った。
するとその瞬間、それまで黒く焦げてばかりだった煙草の先端に突然赤い火が熾り、猛烈な煙が一瞬にして口の中いっぱいに噴出した。


「うぅっ!ゲッホゲホゲホッ!ゴホッ!」

煙なんて、ふわふわと立ち昇ってスッとかき消えてしまう儚いものなのに、吸うと何故こんなに重いのだろう?
肺にズシンと響くようなその重さにとても耐えきれず、は盛大に咳込んだ。


「ゴホッ、ゴホッ・・・!何これ、きっつ・・・・・!」

こんなもん、ようあんなバカスカ吸えるわと思わず呆れると、クラクラする頭の中にこれを吸っていた人の顔が浮かんできた。
食卓の差し向かいで、公園のベンチの隣で、これを吸いながら笑っていた真島の顔が。


「・・・・っ・・・・」

あの人との恋を諦め、佐川の情婦になったあの日も、こんな風に夕陽の眩しい日だった。
あれからずっと、あの人を失った悲しみに泣き暮らしてきた。
女の涙が嫌いな佐川の前では意地でも見せないようにしているが、悲しみは一向に薄れず、幸せだったあの束の間の日々を思い出さない日は無い。佐川に身体を売って家族の面倒を見て貰い、贅沢な暮らしをしている今の自分を蔑まない日は無い。
これから開店準備で忙しくなっていけば気が紛れて、この悲しみもだんだん和らいでいくだろうか?


「うぅっ・・・・・」

『嘘は大嫌いだ』なんて男の言葉は、もう信じない。
だから、良い子にしていれば真島に会わせてやるなんて約束は、信じてはいけない。
いつもそう自分に言い聞かせているのに、それでもいつか、もしかしたらという期待が胸を過ぎってしまうのは、まるであの人が今ここにいるかのような気分になっているからだろうか?


「・・・・フゥ・・・ッ・・・・・」

は震える唇でもう一度煙草を吹かし、苦い煙をそのまま細く吐き出した。
無理をして胸の中まで吸い込まなくても、それで十分だった。
それだけで十分、あの人のキスを思い出せた。


「・・・・こんなん・・・・、無理やわ・・・・・」

こんな身も心も辛くなる煙草なんて、とても吸えない。
あの人の事を忘れるなんて、とても出来ない。


「・・・・・吾朗・・・・・・!」

逢いたい。
あの人は今、何処にいるのだろうか?
出来るものなら今すぐにでもここを出て、あの人の所へ飛んで行きたい。
独りぼっちの『籠』の中で咽び泣くの想いを乗せた苦い煙が、網戸をすり抜けて鮮烈なオレンジ色の夕陽に溶け込んでいった。




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後書き

龍8の発売日当日、ボケ〜っとネットしながら、いよいよ今日発売か〜と思っていたら、急に何か書こうという気になりました。
ほんで、過去にメモってたネタを見返しながら1つチョイスして、練り直して書いたのがこれです。
練り直したら、佐川はん率が結構高くなりました。
元々のネタはヒロインが初めて煙草を吸う話だったのですが、話の時期的に佐川はんが二人の上で思いっきし幅を利かせている頃ですので、「俺が出なきゃ話になんねーだろ?」とばかりにグイグイ前に出てきました(笑)。
更には、ちょっと裏も入れてみよか?と魔が差して、こんな感じの話になりました。
・・・龍8要素、欠片もありませんね(笑)。