犬のお手伝い




「ごちそうさまでした!あー、お腹いっぱい!」

パンと手を打ち鳴らすと、世話係はすぐさま席を立ち、食卓の片付けを始めた。
食休みという言葉を知らないのだろうか?それとも落ち着きがない性分なのだろうか?どちらにしてもご苦労な事だ。
テキパキと働く世話係を尻目に、こちらは食後の一服を始める。
一応TVを眺めているが、大して面白くはない。
というか正直、TVよりもこの世話係の方が気になる。
最初は、洗い物をしている世話係のまっすぐに伸びた背筋を何となく眺めていたのだが、その内にだんだん視線が下がっていき、気が付くとついついジーンズに包まれたヒップを凝視してしまっている。
そればかりか、なかなかええケツしとるやんけ、と口には出せない事まで考えている始末である。
口に出してからかってやろうかと思わなくはないのだが、完全に不可抗力だったとはいえ一度シャレにならないレベルでやらかしてしまっているので、下ネタ系のジョークをかますのは困難というか、自爆行為に等しいのだ。
煙草を吸いながらボケーっと世話係のお尻を眺めていると、突然世話係が振り返った。
ヤバい、気付かれたかと焦ったが、そうではなかった。


「ちょっとあんた、これでテーブル拭いて。」

ポイと投げ渡されたのは、しっかりと絞られた布巾だった。
しっかりと絞られているのは良いが、絞りっぱなしの捩じれた形のままである。
これやから大雑把なO型はと、思わず溜息が出た。


「うっさい。変人のAB型に言われたないわ。」

変人と言い返される事について納得はいかないが、取り敢えずテーブルは拭いてやる。
ネジネジに捻じくれた布巾をちゃんと広げて畳み、テーブルを拭き上げると、再度きっちりと畳み直した。勿論当てつけだ。
だがその当てつけは、残念ながら大雑把なO型には通じなかった。


「ん、ご苦労さん。ほな次はこれ、洗い終わったお皿拭いて。」

綺麗に畳んで手渡した布巾はそのままシンクの中にポイと放られ、また新たに乾いた布巾を渡された。全く、これやから大雑把なO型は。心の中でまた独り言ちる。
日を追う毎に、この世話係は人使いが荒くなってきている。
だが、一方的に世話になってばかりなのも何だし、毎日美味い飯を食わせて貰っている恩もあるので、文句は言うが本気で拒否する気はない。
ぶつくさ言いながら思いっきり渋々な顔をして立ち上がり、世話係の隣に立って、言われた通りに皿を拭き始める。
皿を拭きながらそっと横目で世話係を盗み見ると、丸い頭のてっぺんが見えた。
冴島の妹、靖子よりも頭の位置がちょっと低い。
チビとからかってやった時、この世話係はチビちゃうわと怒っていたが、靖子と比べるとやはり小さい。
というより、靖子の方が女の子にしては背が高いのだ。靖子はスラッと長身で、手足も長くて、モデル体型なのだ。
けれども、こうして隣に立っていて気になるのは、このチンチクリンな世話係の方だった。
素知らぬ顔で皿を拭きながら、今にも触れそうなこの肩を堂々と抱き寄せる事が出来たら良いのにと考えてしまう。
この世話係は佐川に雇われて来ているだけの只のバイトで、そんな気など更々無いのは分かっているから、この胸の内はひた隠しにするしかないのだが。
この世話係には、彼氏はいるのだろうか?
出来ればいて欲しくないのだが、でも多分、好きな男ぐらいはいるのだろう。
そんな事を延々と考えていると、視線を感じ取ったらしく、世話係が手を止めてこちらを見上げてきた。


「・・・何?」

思いっきり怪訝そうなその眼差しと口調に、思わず狼狽する。
この胸の内を知られてしまった気がして内心大慌てなのだが、どうにかポーカーフェイスを保ちつつ、いやホンマにチンチクリンやなぁと思って、などと言って誤魔化す。
すると世話係は、途端に般若のような目付きになった。


「うっさいわ!しみじみ言うな、このドチンピラ!」

脇腹にエルボーが一発、ドスッと突き刺さる。なかなか血の気の多い女だ。
そうこうしている内に洗い物が終わり、皿も拭き終わった。
これでやっと終わりかと思いきや、世話係は次に掃除機をかけ始めた。
これが始まると、TVの音も聞こえない。仕方がないからちょっとゴロ寝でもするかと、寝室のベッドに転がる。
爆音に耐えながら寝る努力をしていると、眠りに落ちる前に音が止み、世話係が遠慮のえの字もないような足取りで寝室に入って来て、人が被っている掛け布団をバッサー!と豪快に引っ剥がし、そのカバーを外した。


「ちょっとそこどいて。その敷シーツ洗うねん。」

えー、嫌や。
顔でそう訴えてみるが、見事に無視される。
人が折角まったりと横になっている時に、何もそんなめんどくさい事せんでもええやろと思うのだが、世話係は聞く耳を持たない。


「何言うてんの。元々いつから洗ろてへんのか分からん上に、あんたの寝汗も散々吸ってんねんで?洗わな気持ち悪いやろ?早よどいて!ほらほらっ!」

短気な世話係は一方的に喋った挙句、人が動くのを待たずして早々に痺れを切らし、マットレスのシーツを強引に引っ張り始めた。
親切でしてくれようとしている事だし、最初は素直に起きるつもりだったのだが、シーツを引っ張っている世話係の一生懸命な顔を見た瞬間、ウズウズと悪戯心が湧いてきた。


「もー!どいてぇや!」

嫌や。
ツーンとそっぽを向いてやる。


「重たいねんあんた!!早よどいて!!」

絶対嫌や。
手足をデーンと広げて、大の字になってやる。
どうしても俺を退かせたかったら力ずくでやってみろや、と唇を吊り上げてみせると、世話係は頬っぺたをプウッと膨らませた。
その顔何かに似とんな〜と思ったら、リスとかハムスターとかが口ん中にアホほどエサ詰め込んどる時の顔、アレや。アレにそっくりなんや。
アレとコレとを頭の中で重ねて思わず爆笑しそうになるのを我慢していると、挑発されたと勘違いしたらしく、世話係はまた般若のような顔になった。


「上等や、そこまで言うならやったるわ!」

世話係は一丁前な啖呵を切ると、デーンと投げ出していた足を掴み、足の裏を遠慮なしにガシガシと引っ掻き始めた。
全く想定外の攻撃な上に、ダメージが凄まじい。
思わず絶叫しながらのたうち回っていると、勢い余ってベッドから落ちた。


「フン、私の勝ちや。最初からそないやって素直に退いたらええねん。」

世話係は勝ち誇りながら、敷シーツを引っ剥がした。
それをまた大雑把なO型らしく適当にグルグルと丸めて掛け布団のカバーと一緒くたに抱えると、えらい男前な足取りで寝室を出て行った。
かと思うと、世話係はまたすぐに戻って来た。
さっき持って行ったシーツとはまた別の物を持っている。
さっきのはクチャクチャに丸められていたが、今持っているのはキチッと畳まれている。どう見てもサラピンだった。


「これ、シーツの替え買うて来たから付けといて。はい。」

世話係は新しいシーツをポイと投げ渡すと、また出て行った。
やれやれと溜息をひとつ吐いて、世話係の仰せの通りに、新しいシーツをベッドの上に広げてみる。
それをマットレスにちゃんと敷き込んでから改めて寝転がってみると、サラピン独特の何か清々しい匂いがした。
わざわざこんなもんまで買うてきてご苦労さんやな、と思う。
というか、ご苦労さんなんはシーツ付けさせられてる俺やんけ、とも思う。
けれども、世話係のその気持ちが嬉しかった。
夜のキャバレー勤めだけでも大変な筈なのに、毎日のようにやって来て、煩い事を言いながらも色々と世話を焼いてくれる、その優しさが嬉しかった。
掃除だって洗濯だって、その気になれば幾らでもサボれる。
飯だって、何か1品まとめてドカッと作っていけば良いし、もっと言えばそもそも作る必要すら無い。
佐川組の連中のように、パンや出来合いの弁当を適当に買って置いて行けば済む話だ。
佐川はきっと世話係に対していちいちああしろこうしろと煩い事は言っていないだろうから、世話係が万事自分の都合の良いように出来る筈なのだ。
だからつまり、今のこの状態は世話係自身の意思によるものだと考えられる訳であり、それはこちらからすると、ついつい目出度い勘違いをしてしまいそうになる訳なのだが。

・・・まさか。有り得ない。
あの世話係は、金で雇われて来ているのだ。
金に困っていると言っていたし、金を稼ぐ為に一生懸命仕事をしているだけだろう。
何より、こんな野良犬みたいな男の何処に、惚れる要素があるというのか。
金も無く、家も無く、極道でもなければ堅気でもない、文字通り己の命ひとつしか持ち合わせていない、こんな死に損ないの情けない男など。
乾いた自嘲の笑みを微かに洩らしたその途端、また軽快な足音が聞こえてきて、世話係がひょっこりと寝室に顔を出した。


「トイレの電球切れてもうてん。買いに行くから、後で付け替えてくれる?」

・・・ああはいはい、分かった分かった。
電球でもシーツでも、何でも付けるがな。


「ちゅーか他にも色々買うもんあるから、荷物持ちについて来て欲しいねんけど。」

ああはいはい、荷物持ちでも何でもしますがな。


「わーったわーった。ほな掛け布団のシーツ付け終わったら買い物行こか。」
「うん。助かるわぁ、今日は色々重たいもんとかかさばるもんとか買わなあかんねん。牛乳とな、洗剤とな、トイレットペーパーとな。」
「おいどんだけこき使うねん。」

分不相応なこの想いが成就する事はないと分かっているが、それでも、この大雑把で口が悪くてチンチクリンな世話係と一緒にいられる時間を、少しでも増やしたいから。




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後書き

『檻の犬と籠の鳥』、小ネタ第3弾です。
第5話の前半まで位の話です。
どシリアスな内容が長々と続く作品ですので、ほのぼのな短編で時々息抜きして貰えれば幸いです。
ほのぼの・・・・・、真島の兄さんから最も遠い言葉ですけども(笑)。