犬の散歩




弱っている犬を元気にさせるには、まず栄養たっぷりの餌を与えなければならなかった。


「あー、食った食った。ごっそさん。フワァ〜ア、腹膨れたら眠たなってきたわ。」

満腹になって満足して、そのまま惰眠を貪ろうとするが、それを許してはいけない。
犬の健康回復を促す為に、適度な運動、つまり散歩は、必要不可欠なのだ。


「あ?何すんねん?ちょっ・・・、痛っ!いだだだだっ!引っ張っとる引っ張っとる、毛ェ引っ張っとるて!」

ボサボサの長毛を綺麗にブラッシングしてやり、持ち物の準備をする。
財布や部屋の鍵は勿論必需品だが、この犬には他にも必要な物がある。


「わーったわーった、行くがな、行けばええんやろ。ちょう待てや、煙草とライター。」

靴を履き、犬共々身支度をする。


「ホンマうっとしいわ〜コレ。別に眼帯なんかせんでも、髪で隠したらいけるやろ?外してええ?」

嫌がる犬を『あかん』の一言で律して、外に出る。
玄関ドアに鍵をかけて、棺桶みたいな狭苦しいエレベーターで下に下りて、いよいよ出発だ。
面倒くさそうにしていたが、外に出てしまえば、犬も満更でもなさそうに歩き出す。
早速煙草に火を点けてスパ〜ッとやり始めた犬と並んで歩いて行く。
そろそろ歩く時間を延ばしてみようと思っていたので、今日は少し用事を組み込んで、最初の目的地を近くのスーパーに決めた。
このスーパーを利用するようになったのはこの犬の世話を始めたのと同時、つまりごく最近からだが、毎日通っているので、品出し係のおっちゃんと顔見知りになって、会えば挨拶位は交わすようになっていた。


「おっ!何や何やオネエちゃん、今日は男前連れて!ご主人かいな!?」

返事に困ってチラリと様子を窺えば、何となく、犬が勝ち誇ったような顔をしている。
肯定もしないが否定もせずに、余裕の笑みを浮かべておっちゃんの勧めてくるマグロのぶつを手に取り、品定めなどをしている。


「今日はこれ!ホンマお買い得やでぇ!」
「ほ〜、確かにこらえっらい安いのう。」
「山芋すったやつともみ海苔を上からかけて、味付けはわさび醤油でな、ほんで出来たらうずらの卵も落として。美味いで〜これ!」
「おお!美味そやのう!」
「精もつくし、晩のおかずに丁度ええでぇ!夜にまたもう一仕事せなあかんやろ?えぇ?ウヒャヒャヒャヒャ!」
「いひひひひ!ホンマやホンマや!」

夕飯にマグロの山かけを作ってやるのはやぶさかでないが、その後の事までは知らん。
そう横目で告げると、犬はしれっと目を逸らした。
そのまま買い物を続け、会計を済ませて店を出る。
スーパーの袋をぶら提げて歩きながら、犬が2本目の煙草に火を点ける。
放っておくと、この犬は煙草ばかり吸っている。
煙草を吸うのは何となく口が寂しいからだと聞くので、その口寂しさを紛らわせる為に、ここらでまた何か食わせる事にする。
この犬はちょっと痩せすぎな位痩せているので、間食は実に都合が良い。
丁度公園が見えてきたので、あのたこ焼き屋は開いているかと確認すると、うまい具合に今日も開いていた。


「え?またかいな?ホンマたこ焼きすっきゃな〜。ちゅーかホンマよう食うなぁお前。さっき昼飯食うたとこやろが。」

いやいやそうじゃない。
これは養生中の犬の為であって、断じて自分の小腹を満たしたいが為ではない。
レディたる者、これでも一応体重を気にしているのだ。


「そういや兄ちゃん、アンタこないだもソレしとったなぁ。どないしたん、めばちこかいな?」
「あぁ〜、まぁな。ちょっとしつこいやつやねん。ほい、勘定。」
「はいよおおきに〜。ホンマかぁ、そら難儀なこっちゃなぁ。養生しぃや。」

たこ焼きを受け取って、犬と共に公園のベンチに腰を下ろす。
犬の健康回復とレディの美容の観点から考えて、自分の分のたこ焼きを2個ばかり犬の舟に移してやると、犬が何か文句を言いたそうな横目で睨んできた。
だが、文句は聞かない。
無視してたこ焼きを食べ始めると、犬も諦めて食べ始めた。
この犬は猫舌だそうで、大袈裟にフーフー息を吹きかけながら食べている。
今日のは焼きたてじゃないからそこまで熱くはないのに、アホか熱いわとフーフーフーフー息を吹きかけている。
それを大袈裟と笑ってやりながら、たこ焼きを食べつつ、他愛もない事を喋る。
そしてそれにかこつけて、この犬の事を聞き出そうとしてみる。
けれども、いざとなると核心に触れるような事はどうしても訊けなくて、今日のところは軽く探りを入れる程度にしといたろか、なんて自分に言い訳をする。
誕生日はこの間聞いた。5月14日、牡牛座だ。ならば今日は血液型でも聞いてみる事にする。


「あ?俺の血液型?ABやけど。・・・何やその『うわー!』て。・・・アホか変人ちゃうわ、AB型は天才肌なんじゃ。
そういうお前は何型やねん?・・・O!?O型かいな!?道理で色々大雑把やと思たわ!」

ヒヒヒと笑う顔が憎たらしい。
確かに大雑把な部分はあるけれども、それはおおらかという長所にも通じているのだ。
変人のAB型にとやかく言われる筋合いはない。
その後暫く、お互いに自分の血液型の長所を誇り、相手の血液型の短所をあげつらうという小競り合いをしたが、やがて馬鹿馬鹿しくなってやめた。
たこ焼きを食べ終わり、食後の一服をしている犬を待っていると、下校してきた小学生の姿がちらほらと見え始めた。
初めて来た時には昼前という時間帯だったから全く見かけなかったが、下校時刻から夕方のまだ日が出ている時間帯には、こうして子供達の姿が見受けられる。
大抵の子は見ず知らずの大人になど興味は無く、素通りしていくのだが。


「なぁなぁ、おっちゃん男やろ?」

中にはこうして、物怖じしない好奇心旺盛なタイプの子供もいる。


「何で男のくせに髪の毛長いん?」
「あ?ほっとけや。ちゅーか誰がおっちゃんじゃこのクソガキャー。」
「あとその目ェどうしたん?」
「やかましわ。向こう行け。」

そういうタイプのごんたくれが数人、わらわらと犬に群がってくる。
大人なら皆怖がるような、見るからに獰猛な犬なのに、ごんた達は天真爛漫に、きゃらきゃら笑いながら迫ってくる。
犬が怖い顔をして唸れば唸る程、面白がってグイグイ来る。


「何で何で?カノジョとデート中やから?」
「何でこんなとこでデートしてるん?」
「なあなあ、その目ェどうしたん?」
「なあなあ、髪の毛伸ばしてるん?」
「なあなあ。」
「なあなあ。」
「チッ・・・・、しつこいのうお前ら。ええ加減にせぇよ?」

犬は眉間に皺を沢山寄せて、無邪気な子供達を睨み据えた。
まさかこんな年端もいかない子犬相手に本気で噛みつきはしないだろうが、しかしかなり怖い顔をしている。
流石のごんた共も、ちょっとビビッた顔になっている。
場合によってはこの子らを庇わねばと密かに身構えていると、犬は煙を吐きながら、一段と低い声で呟いた。


「・・・・俺のこの目はな、犬に食われたんじゃ。目ん玉食われてしもたから、こっちの目ェは穴開いたまんま、覗き込んだら頭蓋骨の中が見えるんや。」
「ウ・・・、ウソや〜!」
「ウソやウソや〜!」
「犬は人間の目ん玉なんか食わへんわ〜!」
「それに目ェの穴開いたまんまやったら、脳ミソに空気入って死ぬわ〜!」
「ホンマや。嘘やと思うなら見せたるわ。よう見とれよ・・・・」

犬は思わずゾクッとするような不敵な笑みを浮かべると、眼帯に指を引っ掛けて少し浮かせた。
そして、固唾を呑んで注視している子供達に向かって・・・・・


「ほるぁぁぁぁ!!!!」

眼帯を取る、ふりをした。


「キャーーーッッ!!!!」
「ワーーーーッッ!!!!」
「キャーーッッ!!!」
「キャーーーッ!!!」

子供達は耳にキーンと響くような甲高い声で絶叫しながら、一目散に逃げて行った。
子供達を追い払うと、犬は清々したようにフンと鼻を鳴らして、煙草をもう一口吸った。
犬と子供達の声のデカさに驚いて只々唖然としていたが、少しすると、何だか笑けてきた。
笑いが止まらなくてずっと笑っていると、犬が顔を顰めた。


「何笑ろてんねん。・・・意外?何が?・・・は?ちゃうわ。別に子供なんか好きやあらへん。」

口では否定しているが、いやいやいやいや、そうでもなさそうだった。
本当に子供が嫌いなら、あんな風に相手をしてやりはしない。
事実、逃げて行った筈の子供達は、向こうの方で足を止めて、楽しそうな笑顔をまだこちらに向けていた。
追い払われたのではなく、遊んで貰ったと解釈している証拠だ。


「え?うわ、ホンマや。まだこっち見とる。・・・うわっ、また来よった!しつこいのうあいつら!あかん、逃げるで!」

犬はスーパーの買い物袋を持って、サッと立ち上がった。


「ほれっ、行くで!」

不意に手首をガシッと掴まれて引っ張られ、そのまま走り出された。
その大きくて力強い手の感触に一瞬ドキッとしてしまった事をこの犬に悟られたくなくて、文句を言う。
けれども犬は立ち止まらない。
買い物袋を軽々とぶら提げて、飄々と笑いながら、身軽な動作で走って行く。


「何言うてんねん、ちゃんとお前に合わせてゆっくり走ったってるやろ!お前のチンチクリンな短い足でもついて来れるようにな!いひひひひ!」
「はぁ!?誰の足が短いって!?チンチクリン言うな、このドチンピラ!」

犬に引っ張られて無理矢理走らされながら、文句を言い続ける。
この手首を掴んでいる大きな手が、まだ離れてしまわないように。

まだもう少し、このままでいられるように。




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後書き

『檻の犬と籠の鳥』、小ネタ第2弾です。
これは本編の第4話と第5話の間ぐらいの話です。
名乗り合った後ですが、二人共名前出していません。っていうか兄さん犬呼ばわりです(笑)。
お互い密かに意識してきているような甘酸っぱい時期なので、名前で呼ぶのは戸惑ってしまう、みたいな感じで(´艸`*)
「お前」とか「あんた」とか、「なあ」とか「おい」とか「ちょお」とか(笑)、そんな風に呼び合っている時期の、ヒロインのお話でした。