前門の虎、後門の狼

 〜 アホの定義 〜




狼は歩く。
周囲を警戒しながら、僅かに怯えた様子で。
その瞳には、幾多の闘いを潜り抜けて生き延びてきた強さが宿っているが、その一方で、母にはぐれた仔のように心許なく揺れている。
そんな狼の横を、草食動物達がせかせかと通り過ぎていく。圧倒的な数で群れを成して。
数の恐怖。多勢に無勢。
たった一人、その群れの中に放り込まれて、狼はその恐ろしい牙を剥く事さえ出来ず、自らの進む道を見失って途方に暮れていた。









「・・・・・・困りマシタ、とても困りマシタ・・・・・・」

四方八方へと道が伸びている難波駅のど真ん中で、ヴォルグは大荷物を抱えたまま、呆然と立ち尽くしていた。
今まで一体何人の通行人に、『困ってマース、とても困ってマース』と訴えかけてきたであろうか。
だが彼らは、ヴォルグを助けてはくれなかった。


「なにわ拳闘会は何処デスカ?教えて下サーイ。」
「なにわ拳闘会?さあ、知らんわ。」
「駅員さんに訊かはったら?」
「ほんまにこの駅が最寄でっか?ちょっ・・・・とうちの地図には載ってまへんなあ。交番に行ってみはったら?」

通行人も駅員も皆この調子で、なにわ拳闘会の場所を知る者には誰一人として出会えなかったのである。
こうなったら、もはや頼みの綱は、町のヒーロー・おまわりさんしか居ないのであろうか。
しかし、そのおまわりさんに接触しようにも、交番が何処にあるかがまず分からない。
かくしてヴォルグは、何の実りもないと知りつつも、駅の真ん中で途方に暮れているより他無かったのである。


「ああ、誰か・・・・・・・、誰か教えて下サーイ!助けて下サーイ!!」

駄目で元々ヤケクソ半分、ヴォルグはこれが最後のつもりで、周囲に向かって声を張り上げた。
すると。


「あの、どないしはったんですか?何か?」

『何じゃこの怪しい外国人は』という顔をして素通りしていく通行人達の中から、救いの女神が現れた。
はきはきとした口調が頼もしい、年若い快活そうな女性である。
ヴォルグは今にも感涙を零しそうになりながらその女性に満面の笑みを向け、猛烈な勢いで捲し立てた。

「困ってマース、とても困ってマース!!僕、なにわ拳闘会行きたいデース!でも、みんな知らナイ言う、僕も知らナイ、とても困るデス!!なにわ拳闘会は何処デスカ!?」
「なにわ拳闘会?そこへ行きたいんですか?」
「ハイ!!アナタ知ってるデスカ!?」
「知ってるも何も・・・・・・」

女性は驚いたように目を丸くしたが、ヴォルグの質問に何度も頷いて答えた。


「えっとね、あっこへ行こ思うたら、ここからちょっと歩くんですわ。」
「歩ク?どれ位デスカ?」
「うーん・・・・、私の足で15分位、かな。取り敢えず、道教えましょうか?えっとね、まずこの道をまっすぐ行った出口から出て、左に曲がって、その道をまっすぐ行って、そしたら信号があるから、そこを右に・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・って、分かります?」
「・・・・・・・・分かりマセン」

しょんぼりと肩を落とすヴォルグに、その女性は苦笑を浮かべた。


「・・・・・ほんだら、私が案内しましょか?」
「良いデスカ!?」
「え、ええ。どうせ暇でブラブラしてただけやし。そないしましょ、そっちの方が教えるより早いわ!」
「ありがとございマース!!」

何とも優しいその女性の手を固く握り締め、ヴォルグは深々と頭を下げた。





見知らぬ異国の地、正確に言えば一度試合に来た場所であるが、あの時は観光などする暇がなかったのだから、実質は見知らぬ土地に違いない。
先程までは右を向いても左を向いても不安で仕方がなかったが、今は違う。
隣を歩く女性と目が合い、ヴォルグは嬉しそうに微笑んだ。


「助かりマス、感謝しマス。あなた、お名前何デスカ?」
「私?です。あ・・・・・、、です。」
サン、ですね?僕、ヴォルグです。アレクサンドル・ヴォルグ・ザンギエフ。」
「・・・・・・・ヴォルグ・・・・、ヴォルグ・ザンギエフ・・・・・・。」
「?」
「どっかで聞いた事ある名前やな・・・・・・・、ヴォルグ、ヴォルグ・・・・・・」

ヴォルグヴォルグと繰り返し呟いていたその女性・は、突然大きく目を見開いて叫んだ。


あーーーっ!!!お宅もしかして!?!?」
「は、ハイ!?」
「ホワイト・ファング?ホワイト・ファングさんやろ!?」

ホワイト・ファング『さん』などと呼ばれたのは初めてだが、その技は確かに自分の必殺技である。
ヴォルグは訝しそうに頷いて肯定した。


「そ、それは僕のブローの名前デス・・・・・、何故サンが知ってるですか?」
「府立体育館で試合やったやんね?武士と。」
「タケシ・・・・・・・、タケシ・センドウ・・・・・・!?あなた、センドウを知ってるですか!?」
「知ってるも何も、嫌っちゅー程顔馴染みですわ!!小学校の時の成績も知ってます!!

の言葉に、ヴォルグは益々瞳を輝かせた。












「僕、休養中デス!だからセンドウに会いに来たデス!!アメリカから!!」
「アメリカから!?折角の休みにわざわざたっかい旅費出してあのアホに!?」
「アホ?アホって何デスカ?」
「『アホって何ですか』て言われても・・・・・・、アホはアホですとしか答えようがないんやけど・・・・・・、強いていえば・・・・・・、馬鹿?」
「バカ?」
「あ〜・・・・・、英語で言うたらfool?stupid?う〜ん・・・・、何かよう分からんけど、そんな感じ!」

の説明は大層アバウトなものであったが、それが却って理解し易かったのか、ヴォルグは笑って頷いた。


「I Understand.アホ、アホですか・・・・・・、ハハハッ。」
「意味通じた?ああ良かった。」
「センドウはアホですか?」
「アホですよー!!もうねえ、ほんまアホ!!人の言う事聞かんし、勝手ばっかりするし、仮にも『虎』とか『浪速のロッキー』とか呼ばれてる癖してオカマさんにはビビってるし、学校の勉強はいっつもパッパラパーやったし、近所の子供らにはしょっちゅう良いようにたかられてるし!」

ころころと笑いながら話すを見つめて、ヴォルグもニコニコと笑っていた。
の話は、聞きなれない単語があるに加えてイントネーションが標準語とは大きく異なる為、正直半分も理解出来ているかどうか怪しかったが、聞いているだけで何となく楽しげな雰囲気が伝わって来るのである。


「それに、無鉄砲やし。」
「ムテッポウ?」
「う〜ん・・・・・、英語で何て言うんやろ?よう分からんけど・・・・・、前、ヴォルグさんと試合した時ね。」
「ハイ。」
「武士、ボロッボロになってたんですよ。もう、見るも無惨な姿!幕之内選手と試合した時もボロボロやったけど、ヴォルグさんとやった時も負けず劣らずボロボロやったんですよ。」

の言葉に、ヴォルグは一瞬悲しそうな表情を浮かべた。
幾ら試合の上での事とはいえ、他人を傷つける事はやっぱりどうしても好きになれない。
それがヴォルグの性格だったからである。


「そやけどね、あのアホ。私がお見舞いに行った時に、何て言うたと思いますか?」
「・・・・・何デスカ?」
「『こんなん納得いかん、こんなんチャンピオンの闘い方とちゃう。次もう一遍アイツとやって、今度こそホンマもんのチャンピオンになるからな、お前絶対観に来いよ!!』って。アホでしょ?」

自身も胸の痛む思いで聞いていたのだが、クスクスと笑うの表情もほんの少し翳りを帯びているのを、ヴォルグは見逃さなかった。


「こっちがどんな気持ちで観てた思てるんでしょうね、あのアホは。人の気も知らんと、好き勝手ばっか言うてくれて。」
「・・・・・・・サン・・・・・・・」
「ごっ・・・・、ごめんなさい!こんな話聞かされても退屈ですよね?あっ、ほんだら武士のが学校のテストでやらかしてきたおもしろ回答とか教えましょうか?」

慌てて取り繕うように笑ったに、ヴォルグは首を振った。


「・・・・・ゴメンナサイ。僕、あなたの大切な人、傷つけマシタ。僕、あなたに恨まれるでショウ。」
「恨まれるでショウって、そんな予言されてもな;っていうか何言うてはりますのん!!!恨んでませんて!!あれは試合やったんやし、ヴォルグさんかてどえらい怪我してはりましたやん!むしろ謝らなあかんのはこっちの方やし。」
サン・・・・・・・」
「あのアホ、加減知らんから、ヴォルグさんの事思いっきり殴ったでしょ?おまけに、地元でカッコ悪いとこ見せられへんからって、余計に張り切ってて・・・・・。ごめんなさいね、ホンマに。もうあの時の怪我は大丈夫ですか?」
「え、ええ・・・・・・・」
「そう、良かった。心配してたんですよ、相手の人大丈夫かな、って。」

心底安堵したように微笑んだの顔に、ヴォルグは思わず目を奪われた。



「・・・・・・・僕を、心配してくれタ・・・・・、デスか?」
「そらそうですやん!命に関わるような怪我なんかして欲しくないですよ、こっちの応援してる選手も、相手の選手も。」
「・・・・・・・そうですネ。僕もそう思いマス。」
「ホンマ、元気そうで良かった。」
サンは、優しい人ですネ。」
「なっ・・・・・・、何言うてはりますのん!」

照れたように笑うを、ヴォルグは眩しげに見つめた。
は、亡き母や世話になった一歩の母とはまた違うタイプだが、じんわりと心を温めてくれる優しさは良く似ている。
母親と見なすには若すぎるの、母性愛とも異性愛とも受け取れる優しさ、それを与えられている千堂が少し羨ましかった。



「・・・・・・ヴォルグさん?どないしはったん?」
「・・・・・・・・いいえ、別に。そうだサン、さっきの話教えて下サイ。Ah・・・・、オモシロカイトウ?」
「・・・・・あっ、ああ、はいはい!えっとね・・・・・・・」


道を歩きつつの話を聞きながら、ヴォルグはいつになく笑った。
充電期間として与えられた休暇を、日本で闘ったかつてのライバルに、それも一歩ではなく千堂と再会する事に使おうと思い立ったのはほんの気まぐれだったが、ヴォルグはその気まぐれに感謝していた。


お陰で、思いもかけない素敵な出会いを得る事が出来たのだから。













それから暫く後。


「おおーっ、ヴォルグやんけ!どないしてん、急に!?」
「今休養してマス、時間出来まシタ、だから会いに来まシタ。お宅、僕に『いつでも大阪来い』って言いまシタ、だから来まシタ。」
「お宅って・・・・・、何かけったいな日本語覚えよったな早速。

ヴォルグは少し呆れ顔の千堂と、再会を喜んで握手を交わしていた。

「確かにそない言うたけど、ホンマに来るとは思わんかったわ!まあええ、休養中やねんやったら、ゆっくりしていけんねやろ?」
「ハイ、そのつもりデス。よろしくお願いシマース。」
「おう。ほんでお前、ようここが分かったな?どないやって来てん?」

千堂の質問に、ヴォルグはにんまりと笑ってみせて、それから後ろにいた人間を前に連れ出した。


「彼女に案内して貰いマシタ。」
!?!?何でお前がこいつ連れて来とんねん!!」
「偶然難波の駅で会うたんや。捨てられた子犬みたいな目ェして駅の真ん中で途方に暮れててな、気の毒に思って声掛けたらヴォルグさんやってん。自己紹介されるまで気付かんかってんけどな、ははは。」
「お前か、こいつに『お宅』とか言う呼び方教えたんは。」
「別に教えてへんがな。勝手に覚えはってんやん。ヴォルグさんって元々日本語上手な上に、すぐ新しい言葉覚えはるねんもん。頭ええねんなー、アンタと違って。
何やと!?

憤慨する千堂の前で、とヴォルグはニヤニヤと笑い合った。


「何やねん、二人して気持ち悪い笑い方しよって。」
「アメリカの首都は?・・・・・・ヨーロッパ。」
「はぁ?何言うとんねんワレ?」
「センドウ。お宅、ジュニアハイのテストでこう答えたんデショ?小学生でも間違えませんヨ、こんな問題。」
「・・・・・・・・ワレが何でそれ知っとんねん・・・・・・っていうか・・・・・・・」

千堂は屈辱に顔を歪めながら、目の前でニタニタと笑うを睨んだ。


お前か、喋ったんはーーーーッッ!!
「うん、暇潰しの話題にな♪」
「暇潰しに人の過去の恥を晒すなーー!!」
「まあまあ、良いじゃありませんカ、センドウ。僕は楽しかったデス。」
楽しむなーー!!!嬉しないんじゃーー!!」
「ははは、アホですネ、お宅。
「上手上手、ヴォルグさん♪」
何やとコラーーーッッッ!?!?!?お前ーーーッ、いらん事ばっかり教えんなーーーッ!!!」

千堂がキイキイと怒れば怒る程、は可笑しそうに笑っている。
さっき道で話していた時の憂いを帯びた横顔は、今や太陽のような明るい笑顔にとって変わられている。
があんな表情をして千堂の身を案じている事を、千堂自身は知っているのだろうか。


― 多分、知らないでしょうネ・・・・・・。


掴みかかってくる千堂をやんわりとかわして、ヴォルグは心の内で呟いた。



あなたは本当にアホです、と。




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後書き

一度やってみたかった、千堂とヴォルグのWキャスト夢です。
ヒロインは千堂夢に登場している人物です。
お笑い一色だった二人の関係に、少〜し位はそれっぽいムードが入るようになるでしょうか。

・・・・・・・・・って、相変わらず笑いに走る気も満々だったりしますが(笑)。