白い薄絹は、幸福の布。
触れた指先から伝わる幸せな温もり。
「邪魔をするぞ。」
呼び声に反応して、は作業を中断し玄関へと急いだ。
「はーい、あ、レイ!いらっしゃい!」
「どうだ、進んでるか?」
「ええ。今日も見ていくんでしょ?」
「ああ。そうさせてもらうつもりだ。」
「だと思った。さあ、上がって!」
レイを部屋に招き入れたは、彼に椅子を勧めると自分もその隣に腰掛けた。
そして、先程まで一心不乱に取り掛かっていた作品を手に取る。
「どう?あともう少しで仕上がりそうなの。」
「うむ、見事だ。完成が待ち遠しいな。」
「ふふっ、ありがとう。」
レイの賛辞を純粋に喜び、は再び針を持った。
が作業を始めると、レイはその様子を見守り始める。
時折会話を交わす他に特に何もしないこの時間は、レイにとっても、そしてにとっても平和な一時であった。
レイが初めての家を訪れたのは、二月程前であっただろうか。
の母の評判を聞いて、ウェディング用のケープを作って欲しいと依頼してきたのである。
の母は腕のいい針子で、特に婚礼衣装の類に関してはかなりの評判が立っていた。
レイはその噂を聞きつけてわざわざ村の外から訪ねてきたのだが、生憎との母は長年の労がたたって目を悪くし、針を持てなくなっていた。
事情を知ったレイは諦めて帰ろうとしたが、それを引き止めたのがこのであった。
は子供の頃から母に技術を習い、それを身につけていたからである。
母の跡を継いで間もない為、自身の評判はまだ無いに等しいが、腕に自信はあった。
だから半ば諦めていたレイを強引に説得し、依頼を受けたのであった。
それ以来、レイは週に1度はこうやって訪れて来る。
「レイってば、最初の頃はあんなに私の事見くびってたのにね。」
「それを言うな。悪かったと思っている。」
からかうようなの口調に、レイは苦笑しつつもバツが悪そうに謝った。
「しかし、お前のような娘がこれ程の腕前を持っているとは思わなかったのだから、仕方あるまい。」
「子供扱いしないでよ。私はもうすぐ結婚するあなたの妹さんと同い年なのよ?」
「妹もお前も、俺にしてみればまだまだ頼りない小娘のようなものだ。」
「ひっどい。」
「ククッ、そら見ろ。子供みたいに脹れているじゃないか。」
おかしそうに笑うレイに脹れてみせつつも、は本心から腹を立ててはいない。
むしろこのように接してくれるのが嬉しかった。
「妹さん、結婚式楽しみにしているでしょうね。」
「ああ、とてもな。素晴らしいケープをプレゼントしてやると言ったらおおはしゃぎだ。」
「じゃあ頑張って素敵なのに仕上げなきゃ。」
は当初、このケープは彼の花嫁となる女性のものだと思っていた。
しかし、後にそれが妹へのプレゼントだと知った時、はほんの少し安堵した。
そう、は日を追うごとに少しずつレイを慕うようになっていたのだ。
胸を焦がすような激しいものではなく、まだ仄かに胸を温める程度の淡いものであるが、それは『恋』と呼べるものなのかもしれない。
「これをつけた時のあいつの笑顔が思い浮かぶようだ。」
器用に動くの手先を見つめて、レイが柔らかく微笑む。
「ありがとう。そう言ってもらえると報われるわ。」
「素晴らしい出来に仕上がりそうだな。やはりここへ来て良かった。」
「婚礼衣装は女にとって特別なものだから、心を込めて作るのは当然よ。」
「いい心掛けだな。」
「母さんの受け売りだけどね。婚礼衣装は幸福の象徴で、触れる人に幸せを与えてくれるんだって。」
「ほう。」
「作る者がまず心からの祝福の気持ちを持たなきゃいけないって、母さんいつも言ってる。そうすれば、巡り巡って必ずその祝福が自分にももたらされるからって。」
「良い母親だな。」
「うん。」
手元に視線を落としたまま嬉しそうに微笑んで、は針を進めていく。
一針一針心を込めて刺繍をし、それをレイが慈愛に満ちた眼差しで見守る。
こうして二人は日が暮れるまで、ケープに祝福を織り込んでいた。
「邪魔をするぞ。」
「いらっしゃい!今日あたり来るんじゃないかって思って待ってたの。」
週が変わって再び現れたレイを、はいつものように迎え入れた。
しかし、今日はいつもとは状況が違っている。
「ご注文の品が仕上がりました。どうぞお納め下さいませ。」
「うむ。」
レイはおどけて畏まってみせるの手からケープを受け取った。
繊細なその布を広げて、出来栄えを確認するようにそっと掌でなぞってみる。
純白の透けるような薄絹に、厳かかつ清純なクロスを模った模様の刺繍が施されているそれは、溜息が出るほど繊細で優美である。
デザイン・仕立て両方の美しさに、レイは心からの賛辞を贈った。
「素晴らしい。これ程のものはどこを探しても見つかるまい。」
「ありがとうございます。」
レイの優しい笑顔に釣られて、も自然と笑みが零れる。
「妹もきっと喜ぶ。礼を言うぞ、。」
「どういたしまして。お役に立てて良かったわ。そうだ、これを言い忘れちゃいけないわ。」
「なんだ?」
「この度はおめでとうございます。妹さんに『お幸せに』とお伝え下さい。」
「ああ、ありがとう。必ず伝える。」
この笑顔を見るのも、今日が最後。
そう思うと、少し寂しくなる。
「私にもいつかそれをつける日が来るかな?」
「来るとも。」
「そうかな?」
「ああ。俺が保証する。」
「ふふっ、じゃあレイの言う事を信じて楽しみにしてようっと。」
「じゃあな。達者で暮らせよ。」
「レイもね。良かったらたまには顔でも出して。」
「ああ。また必ず来よう。」
レイはに十分すぎる程の代価を支払い、外へ出た。
もレイを見送る為に共について出て行く。
「もう会えないかと思うと寂しくなるね。」
「そんな寂しそうな顔をするな。近いうちにまた必ず来る。」
「絶対よ?」
「ああ。お前も一度俺の村に遊びに来るといい。妹を紹介しよう。」
「行ってもいいの?」
「勿論。何もない所だが是非一度来てくれ。改めて礼をしよう。ではまたな。」
「ええ、またね!」
軽く握手をして去っていくレイを見送って、はにんまりと微笑んだ。
不思議と寂しさは消えていた。
再会の約束と、レイの手の温もりを感じた時に芽吹いたある一つの憧れのような夢のお陰で。
いつか結婚する時が来たら、自分の為に心を込めてケープを作ろう。
そしてもしも叶うのなら、それをつけた自分の隣に立つのは彼だといい。
白い薄絹は、愛の象徴。
触れる者に幸福を与える。
作った者から贈る者へ。
贈る者から贈られる者へと、祝福の温もりが伝わっていく。
そして与えた祝福は、巡り巡っていつかこの手に。
それは素敵な、幸福の環。