その人は、喩えて言うならそう、
春の妖精だった。
「ウォンッ、ウォンウォンウォン!」
「こりゃこりゃ、待たんかセキ!そんなに走っては転ぶぞ!」
麗らかな陽気に誘われて、わしは愛犬のセキを連れて散歩に出た。
主のわしが言うのも何だが、メディスンシティーは良い街だ。
通りは多くの犬が悠々と闊歩していて、思い思いに日向ぼっこを楽しんだり、クソを垂れたり、泣いて逃げるガキを追い回したりして遊んでいる。
いやはや全く、のどかな光景だ。
良い街というのは、犬が自由に暮らせる街という事だな。
「ウォンウォンッ、ウォン!」
「ワンワン、ワン!」
「ん?」
ふと見れば、わしのセキに見慣れない白い犬が近付いておった。
ふわふわと綺麗で柔らかそうな長い毛をして、首にピンクのリボンなんぞ巻いておる。
人間で言えば深窓の令嬢といった感じだ。多分、野良犬ではないだろう。
「お前、どこの犬だ?飼い主はどこにおる?ん!?」
「キャンッ!」
わしはしゃがみ込んで、その犬の頭を軽く小突いた。
犬に罪はないのだが、飼い主には罪があるからな。
わしに無断で勝手に犬を飼うとはけしからん。
「セキにちょっかいを出すでないぞ!何処の馬の骨とも知れぬメス犬に、わしの大事なセキを誑かされては堪らんからな!」
「アメリア!」
睨みを利かせたその時、女の声が聞こえた。
わしは顔を上げて、その声がした方を見て・・・・
「アメリア!こんな所に居たのね!?探したのよ!」
一瞬にして目を奪われた。
白いドレスを着て、ふわふわとした長い巻き毛をそよ風になびかせて立っている彼女はまるで妖精、
この世のものとは思えない程美しい女性だった。
「もしや、貴方様が保護して下さっていたのですか?どうも有難うございます!ちょっと目を離した隙に飛び出してしまって・・・・・」
「は・・・・い、いや・・・・・・」
「どうも済みませんでした。うちの犬が、何かご迷惑をお掛けしませんでしたでしょうか?」
「い、いや、別に・・・・・・・」
「申し遅れました。私、と申します。この子はアメリア。」
「は・・・・・・」
「まあ、可愛いワンちゃん。」
「ぁ・・・・・・・・」
キュウゥゥゥン、と胸が締め付けられるようだった。
セキに向けられた彼女の微笑みは、まるで春の木漏れ日のように温かくて、花のように美しくて。
わしは一目で恋に落ちた。
「お名前は何と仰いますの?」
「あ・・・いやその・・・・、狗法眼ガルフだ・・・・・・」
「まあ、立派なお名前のワンちゃんですのね。」
「あ、いや!狗法眼ガルフはわしの名前で、こいつはセキという名で・・・・!」
わしがしどろもどろで答えると、彼女は一瞬きょとんとしてから、小さな笑い声を上げた。
「狗法眼ガルフ様に、セキちゃん、ですね?どうぞ宜しく。」
「あぁ・・・・いや・・・・・・、こちらこそ・・・・・・・」
可憐だった。
美しかった。
わしの街に突如舞い降りた、春の妖精のような彼女。
「そぉれ、セキ、アメリア!取って来〜い!」
「ウォンウォンッ!」
「ワンワンッ!」
わしはたちまち、彼女との逢引きに夢中になった。
わしがセキとアメリアの相手をしているのを、彼女は楽しそうに微笑んで見ている。
わしの横に、そっと寄り添うようにして。
「さあ、後は若い者に任せて、わしらはあっちの日陰で茶でも。」
「はい、ガルフ様。」
鈴の音のような声。
可憐な微笑み。
花のように美しい人。
その名は。
わしは花に誘われる蜜蜂のようにして、彼女に夢中になっていった。
胸が苦しい。
こんな気持ちは初めてだった。
彼女と居ると、時を忘れる。
彼女と居ると、楽しくて仕方がない。
別れ際は、胸が締め付けられるように切なく苦しい。
「のう、セキ・・・・・・」
「クゥン・・・・・・・」
思い悩んだ末に、わしは決めた。
「・・・・今日は、折り入って相談があるのだが。」
「はい、何でしょう?」
いつものように犬達と遊んでやった後で、わしは遂に話を切り出した。
「あの2匹、なかなか相性が良いようであるし、どうだろうか・・・・・・、ここらでそろそろ結婚させては。」
「まあ、結婚?」
彼女は一瞬、目を丸くした。
「うちのアメリアを、セキちゃんのお嫁さんにして頂けるのですか?」
「あ、ああ、まあ、そういう事になる・・・・・。いや勿論、そなたさえ承知なら、の話だが。」
「嬉しい・・・・!」
彼女は感激したように言った。
「勿論、私も大賛成ですわ。あの子もセキちゃんの事が大好きですし、きっと本望だと思います。」
「そ、そうか・・・・・!」
まだ本題には入っていないというのに、わしはすっかり舞い上がっていた。
「セキもアメリアの事を気に入っとるようだし、良かった良かった!いや、あれにもそろそろ相応しい花嫁を見つけてやらねばならんと思っておったところだったのだ!血統も気性も良くて見目麗しいアメリアならば、わしとて何の文句もない!いやぁ、良かった良かった!」
「私も、お利口で凛々しくて勇敢なセキちゃんがアメリアのお婿さんになってくれるのなら、こんなに嬉しい事はありませんわ!」
「そうかそうか!そうだろうとも!あの2匹が夫婦になれば、きっと可愛くて優秀な子犬が沢山産まれるぞ!」
「ふふっ、楽しみですわね!」
ふと気付けば、わしはいつの間にか彼女の手を握っておった。
わしがそれに気付くと、彼女も気付いてハッと口を噤み、恥ずかしそうに俯いてしまった。
「・・・・・・のう、殿。」
「はい・・・・・・・」
わしが握ったままの手を、彼女はまだ振り解こうとしなかった。
「犬達が晴れて夫婦になるのなら、離れて暮させるのはちと不憫ではなかろうかと、わしは思っておる。」
「はい・・・・・・・・・」
「かと言って、セキはわしの大事な友であるし、そなたにとってもアメリアは大事な友であろう。お互い愛犬と離れるのは忍び難い。」
「はい・・・・・・・・・」
「そこで・・・・・・、どうだろうか?わ、わわわ、わしらも一緒に・・・・・・、暮らさんか?」
わしが勇気を振り絞って言うと、彼女はピクリと肩を震わせた。
「わわわ・・・・・、わしは・・・・・、一目見た時からそなたの事が・・・・・・」
「ガルフ様・・・・・・・・」
「あああアメリアと共に・・・・・・、わ、わしの、わしの所に・・・・・・、嫁に来てくれんか!?」
わしの一世一代のプロポーズ、彼女は受けてくれるだろうか。
わしはドキドキしながら、彼女の返答を待った。
「ガルフ様・・・・・・・、嬉しゅうございます・・・・・・・。私も初めてお逢いした時から、ずっとガルフ様をお慕いしておりました・・・・・・・」
「お、おお・・・・・・・」
「ふつつか者ですが、どうぞアメリア共々、末永く可愛がって下さいませ・・・・・」
「おお・・・・・・・・!」
彼女は、わしの手をそっと握り返して来た。
夢のようだった。
彼女が、が、わしの嫁になってくれる。
そう思っただけで、天にも昇る心地だった。
「殿・・・・・、・・・・・・、愛している・・・・・、幸せにしてやるぞ・・・・・・!」
「ああ、ガルフ様・・・・・・、嬉しい・・・・・・・!」
「・・・・・!」
「ガルフ様・・・・!」
わしは彼女の細い身体をしっかりと抱きしめ、永遠の愛の証として、花の蕾のような薄いピンクの唇に口付けた。
チュッと。
チュチュッと。
ブチューッと。
レロレロレローッ!と。
「ヘッヘッヘッ」
「・・・・・ん、っぶわっ!ペッペッ!く、臭ぇ!なな、何だ!?」
ハッと気付けば、目の前にはベローンと舌を出したセキの顔があった。
わしの顔はセキのヨダレ塗れになっていて、そこでわしは気付いた。
「何だ・・・・・、夢か・・・・・・・」
「ウォンッ」
「エサか?分かった分かった。ちょっと待ってろ、今起きるから・・・・・・」
わしは心底ガッカリしながら、仕方なくベッドから抜け出した。
「しかし良い夢だったなぁ・・・・・・、正夢にならんかなぁ・・・・・・」
せめて彼女の唇の感触を覚えておきたくて唇を舐めてみると、何だかしょっぱかった。
分かっておる、これがセキのヨダレだという事ぐらい。
唇だけではなく、鼻までカピカピと強張っていて、何だか臭い。
「くさッ!セキお前、口臭いぞ!」
「ウォンッ!ウォンウォンッ!」
「余計な世話だと?わしはお前の為を思って言ってやってるんだ。お前だって、可愛い嫁が欲しいだろう?」
「ウォンウォンウォンッ!ウォンウォンッ!」
「何?嫁よりエサだと?そう急かすな!ちょっと待ってろ!わしだって腹ペコなんだから・・・・!」
朝飯が済んだら、今日はセキを連れて散歩に出てみよう。
微かな期待を込めて。