CASE0:「突然の訪問客、解けるものなら解いてみそ」

 コンコン――、

 落ち着いた感じの扉のノック音。こんな場所に誰かがやって来るなんて、珍しいこともあるものだ。

 残念ながら、この部屋には今、俺以外の人間はいない。背もたれのついたイスに腰を下ろし、淹れたばかりの紅茶でも飲みながら、まったりとした読書タイムにでも洒落込もうとしていたというのに、とんだ妨害が入ったものだ。

「セールスか何かの類だったら、三秒で追い出してやる!」

 大いに遺憾ではあったが、俺は自らの体に鞭を撃って立ち上がった。少し誇張した表現かもしれないが、面倒な上に疲労が溜まっているのだから、仕方あるまい。

 仮にもここは、大学敷地内のサークル部室なので、セールスの線は薄いかもしれないが、それに似たようなことは起きる。

 例えば、サークルの勧誘である。ちなみに、ここも歴とした「DETECTIVE&MYSTERYの間」という、立派な(?)サークルであるというのにもかかわらず、やって来るのだ。

 一度、そのことでこの場所を訪れた、礼儀知らずの輩を咎めたことがある。だが、その者は平然とした表情で答えたのだ、「変なサークル名だったので、部室保有目的のためだけのサークルだと思った」と。

 確かに、変なサークル名だということは、俺も認めざるを得ないのだが、これは俺の先輩である狭山芹奈部長が決定したことなので、無下にすることはできないのである。

 俺は丁重にその者の勧誘を断ることにした。何のサークルの勧誘だったかは、もう忘れてしまった。「インドカレー研究会」だったような気もするし、「仏教推進委員会」だった気もしなくはない。特に興味はなかったので、言ってみればどうでもいいことなのだ。

 それよりもとにかく、以上のこともあり、俺は訪問客というのをあまり好ましく思ってはいない。部長の基本理念が、「その道、来る者を拒まず」なので、一部員の俺が訪問客を鼻であしらうことはできないのである。

 なので、基本的には相手のペースにある程度調子を合わせつつ、適当に片付けることにしているのだ。

 さて、今日もいっちょ揉んでやりますか。

 俺はドアノブに手をやると、静かに扉を開けた。

「――はいはい、いったい何の用ですか? セールス、勧誘等は、うちはいっさいお断りしていますので――」

 一応客なので、普段あまり使わないような丁寧な口調を用いる。そして、同時に浮かべたその笑顔のまま、いったいどこの誰がどの面をさげてやって来たのかを探るべく、俺はその訪問客を見下ろした。

「――あ、あの、わたしは御幸辻紗枝という者です。よろしくおねがいします!」

 どうせ汗臭い野郎が来るものだと、半ば確信していた俺の予想を良い意味で裏切るかのように、俺の目の前には一人の女がそわそわとした様子で立ち尽くしていた。

 見た目は特に問題なし。いや、俺の過去のデータから言っても、かなり良い部類に入るのではないか。どこかお嬢様な風格が漂う、艶のある黒髪の女だ。

「――はぁ、しかしですね、名前まで名のって頼み込まれたのは結構なことなのですが、うちは今申し上げたように、セールス・勧誘等はいっさいお断りしていますので、お引取りください」

 俺は相手に主導権を握らせることなく、丁重な扱いをもって押し切った。これで大抵の者はあきらめて帰ってくれるのだ。

 俺は勝利の瞬間を心待ちにしていたのだが、まさか俺の期待を悪い意味で裏切ろうなどは、露とも思っていなかった。

「――あのですね、実はわたし、ここのサークルに入会させてもらおうと思って来たんです!」

「……えっ? 入会……入会っ?!」

 素っ頓狂な声を出して、俺は驚いた。こんなに驚嘆したのは、実に久方ぶりのことである。自分で言うのもなんだが、こんな怪しいサークルに入ることを希望する者など、現れることはないと思っていた。

 もしこの場にいたのが部長なら、泣いて喜んでいるところだが、残念なことに俺はそんな感情を持ち合わせてはいない。

 とにかく、俺は孤独を楽しむ人間なのだ。こんなところで小娘なんぞには構ってはいられないのである。――よって、丁重にもてなしてお引取りしてもらうことにした。

「申し訳ありません。入部を希望するお気持ちは大変喜ばしいのですが、当サークルは現在部員の募集は行っておりませんので、お引取りください」

 胸を張って言おう、明らかな嘘である。

「……そうなんですか。――って、ちょっと待ってくださいよ。アルバイトの募集じゃないんですから。それに先輩一人しかいないじゃないですか?」

 確かに、今この部室には俺しかいない。なかなか鋭いところを突いてくる小娘ではないか。――が、俺とてそう簡単に引き下がるわけにはいかない。

「仰るとおり、ここには私一人しかいませんが、これには事情があるのです。実は、天文学的な確率の事象が偶然発生してしまい、当サークルに会する大勢の部員の半数が不幸な事故に遭い、もう半数が原因不明の病に倒れるという、前代未聞の珍事が、これまた偶然昨日起きたんです……」

 情を込めて語りながらも、わずかにその目に光るものを浮かべる。我ながら見事な演技と巧みな話術である。

 もちろん、これも明らかな嘘である。実のところ、現在このサークルの部員数は三人。部長と俺と、後一人は幽霊部員化している俺の友人である。

「……先輩、嘘ついてるでしょ?」

 さすがに「DETECTIVE&MYSTERYの間」に入部を希望するだけのことはあり、かなり勘が鋭いのか、それとも俺の嘘のつき方が下手くそなのかは計りかねるが、状況が俺に不利なのは確かなことであった。

「実はこの部室を探している時に、場所が分からなくって通りかかった人に尋ねたんです。すると、偶然にもその人が『DETECTIVE&MYSTERYの間』の部員の方だったらしくて、ここを教えてもらうに至ったんです」

 無垢な表情で話すその女は、嘘をついているようにはとても見えなかった。

「――この場所を教えてくれたのは、キザな男だったか?」

 思い当たる節が一つしかなかったので、俺はその者の特徴を尋ねてみた。すでに、良い人を装う余裕は俺にはなかった。

「はい、そうです。とても格好良い方だったと思います」

「――ナンパとかされたんじゃないか?」

 俺の言葉に、女は驚いたように目を少し見開いた。

「よく分かりましたね、先輩。お食事に誘われたんですけど、丁重にお断りしました」

「自分で自分のことを『顔も良いし、運も良い』って、そう言ってただろう?」

「確かに自信満々で言ってましたね。それと後、今部室には『顔は良いが、運が悪い男』がいるって言ってましたけど、それは先輩のことですよね?」

 俺の顔を眺め見ながら女が言った。おそらく、この女が出会った男というのは、このサークルの幽霊部員である、滝谷不動のことに、間違いない! 顔も良いし、運も良いと自称する一風変わった俺の友人である。

「ああ、そうだ。その男が言ったとおり、俺がその『顔は良いが、運は悪い男』だ。その名を河内稔という」

「やっぱりそうだったんですか。先ほどの滝谷さんという方から伺っていた話と食い違っていたので、戸惑ってしまいました」

 困った表情で女が苦笑した。

「――いったい滝谷のバカから何て言われたんだ?」

「……えーと、ですね。美人は超絶大歓迎って言われちゃいました。美人なんてあまり言われたことがないので、少し照れてしまいます」

 その時のことを思い出しているのだろう。女が顔を紅潮させて俯いた。――と思ったら、またこちらを見上げてきた。

「先輩も、話のとおり格好良い方だと思います」

 取ってつけたように、その女は俺の容姿を褒めた。

「――おまえも、話のとおり美人だと思うぞ」

 仏頂面をしたまま、俺はぶっきらぼうに言い放った。滝谷の言うとおり、この女は確かに美人ではあったが、俺は皮肉めいたように言ってやったのだ。

「はい、どうもありがとうございます。でも、ただのお世辞ですので、そんなに気にしないでくださいね」

 罪なき微笑みを浮かべながら、女はさらりと毒づいた。

「小娘が……」

「……はい? 何か言われましたか、先輩?」

「何でもない。俺のほうも世辞だ。気にするな。それと、御幸辻と言ったか? こんなところでいつまでも話すのも疲れるからな、とりあえず中に入ってくれ。それと、俺のことは河内でも、稔でもいいから、好きに呼んでくれ」

 敵を知り己を知れば百戦危うからず、とはよく言うもの。俺はひとまず休戦協定を結ぶことにした。しかし、決してこれであきらめたわけではないのだ。

 俺にはまだ、ある秘策が残されていた。

「分かりました! それでは、稔先輩と呼ばせてもらいます。わたしのことも紗枝って呼んでください」

 満面の笑みを浮かべながら、この女、御幸辻紗枝は俺の後に続こうとした……のだが、

「――わっ……きゃあっ?!」

 突如、俺の背中に人一人分の重みが加わった。

「おいおい、いきなり後ろから抱きつくなよ」

 背中に感じられるふんわりとした柔らかな感触に、ほんのちょっぴり戸惑いながらも、俺は紗枝に話しかけた。

「すいません、決して抱きついたわけじゃなくてですね、わたし実は何もない平面で転倒できる特技があるんです」

 まるで自慢話でもするかのように、紗枝は肯定的に話す。

「――まぁ、確かに普通の人間のなせる技ではないな。そうか、俺に一目惚れしたわけではなかったのか……紛らわしいヤツだ」

 溜め息をつきながら、俺は呆れたふりをする。当然、皮肉というやつだ。

「心配しないでください、先輩。不慮の事故でなければ、先輩なんかに抱きついたりはしませんよ……」

 ――この野郎、かわいらしい顔をしてなかなか言ってくれる?!

「――帰れ」

 俺は一つ、素っ気なくそう言ってみた。目には目を、歯には歯を、というやつだな。

「――あっ? もしかして怒っちゃいました、先輩? ごめんなさい、今のは全部冗談ですから! 稔先輩は、運は悪いですけど、とても素敵です。だから、機嫌を直してくださいよ〜」

 俺の背中にへばりついたまま、紗枝があれこれと騒ぎ出した。とにもかくにも、俺は部室内に予想外の客を招き入れることになった。

 俺という人間は、基本的には孤独を楽しむようにできている。そんな俺が出会ったばかりの女との会話に、ほんの少しでも笑みを漏らしてしまったのは、痛恨の極みである。――このことは内密に願いたい。

「稔先輩、淹れ直しましたよ。はい、どうぞ♪」

 俺の前に淹れたばかりの紅茶が差し出された。先ほど淹れた紅茶が結局一度も口に含むことなく冷めてしまったことに不満を漏らすと、たった今知り合ったばかりのサークル「DETECTIVE&MYSTERYの間」への入部希望者である女、御幸辻紗枝が手早く給仕してくれた。

 こんな怪しいサークルに入部希望とは、物好きなヤツもいたものだ。

 しかし、俺としてもそう簡単に引き下がるわけにはいかない。自分で言うのもなんだが、割と意地っ張りな性格をしているのだ。

「ありがとう。まぁ、狭いところだが、適当な場所に座ってくれ」

 俺の言葉に首肯すると、紗枝はそのまま腰を下ろした。

「……おい、誰が俺の膝の上に座れと言った?」

「――えっ? やだなぁ、先輩。かわいらしい冗談じゃないですか」

「俺は冗談や嘘をつくヤツが大嫌いなんだ」

「またまた、そんなこと言って。先輩さっき思いっきりわたしのことを騙そうとしていたじゃないですか!」

 相変わらず、鈍くさそうで鋭いところを突いてきおるわっ?!

「――記憶にございません」

「正義のカケラもない政治家ですか、先輩は?」

 一つ含み笑いをしながら、紗枝もイスに座った。

 ほな、ぼちぼち戦いの幕を上げようではないか。

「さて、君にわざわざ部室まで来てもらったのは他でもない」

「ありがとうございます、先輩♪ 早速、部員登録の手続きをしていただけるんですね」

 俺が話を切り出す前に、紗枝がこちらに笑顔をよこしてきた。

「おい、勝手に話を進めるな。まぁ、部員登録の手続きをしてやらんこともない。ただし、条件がある……」

「……条件って何なんですか、先輩?」

 紗枝は期待と戸惑いが半分ずつ含まれたような表情で、俺のほうを眺めてきた。

「今から俺が出すクイズに答えてもらう! 探偵クラブにふさわしく、入部試験が推理問題になっているわけだ」

 当然のことながら、この入部試験というやつも、俺が今即席で作ったものなのだが、これが俺の最終妥協ラインである。

「ええーっ! 普通は入部試験なんてありませんよ!? 先輩、すごい意地悪です。わたしはミステリーは好きですけど、推理は苦手なので、推理クイズなんて答えられるわけありませんよ〜!」

「意地悪と言われようが、涙目になられようが、ルールなんだから、仕方ないだろう」

 あくまでサークルのルールではなく、俺個人のルールだけどな……。

「……わかりました。なんか胡散臭いルールですけど、どうせ文句言っても先輩に『帰れ』って言われそうですし、不本意ながらも先輩の挑戦を受けさせてもらいます!」

 意を決したような表情で、紗枝は俺の目を見つめてきた。

「――フッ、おもしろい。その心意気はよし。おまえの力を、見せてもらおうか!」

「……あの、先輩?」

「なんだ?」

「やっぱり推理勝負をやめませんか。……その代わりに、わたしの体で……なんとかなりませんか? ……恥ずかしいですけど」

「……帰れ」

「冗談ですってば、先輩。ちゃんと勝負しますよ〜!」

「――次はレッドカードだからな」

 俺の言葉に、紗枝は反省したようにうなずいた。

 こうして、俺と紗枝の推理バトルがスタートした。

 俺の脳裏の中には、並の探偵などより余程優れた推理力を持つ、我が「DETECTIVE&MYSTERYの間」の部長である狭山芹奈先輩でさえも頭を悩ませるような難問から、小学生でも容易く正解できるような質問まで、ありとあらゆる問題が用意されていた。

 つまり、紗枝を追い払うつもりなら、飛び切りの難問を出せばよかったのだが、どうしてかその時の俺は、紗枝でも解きかねないせいぜい中程度の問題を口にしてしまっていたのだ。

 出会ったばかりで情を感じてしまったのかどうかは定かではないが、恐ろしく不本意なことであった。

「――ルールはいたって簡単だ。今から俺が出す問題を、おまえが解けばおまえの勝ち。解けなかったら俺の勝ちだ」

「望むところです、先輩! いざ、勝負です!」

「うむ。ではまず、準備運動として簡単な練習問題を出してやろう」

「教育的な配慮、どうもありがとうございます!」

「――紗枝、俺を褒めたところで良いことは何もないぞ」

「――残念です。少し失望しました」

「勝手にしてろ……。とりあえず、練習問題だ」

「――はい、わかりました〜」

「ある日のこと。A会社の社長である某氏が何者かの手によって殺害された。警察の捜査の結果、事情聴取から容疑者が次の四人に特定されたのだ。その四人とは、A会社の社員である山上、山井、井上、そして取引先のB会社の社員である相原だ。さらに犯人を決定づける証拠がないかと捜査した結果、ある一つの手がかりが発見されたのだ」

「えーと、その手がかりというのは?」

「――ダイイングメッセージだ」

「えっ!? それじゃあ、もう犯人は特定されるんじゃないんですか?」

「――バカ。分かりやすいメッセージだと、それを犯人に見つかって揉み消されでもしたら、すべてが無駄になってしまうだろ」

「そうですね。ということは、被害者は何かしらの暗号を?」

「その通りだ。この事件は衝動的な犯行と見られることからも、焦った犯人は残された暗号が犯人を自分だと示していることに気がつかなかったんだ」

「――ふむふむ。それで、先輩。肝心の暗号というのは何なんですか?」

「……あ」

「えっ? どうかしましたか、先輩?」

「だから……『あ』だ」

「……あの、もしかして『あ』が暗号なんですか?」

「そうだ。殺された被害者の手帳には、『あ』という文字だけが残されていた。――フッ、何か文章を書こうとしたが、息絶えたのかもしれないな」

「手がかりはそれだけなんですか?」

「ああ、そうだ。これで十分な手がかりだ」

「……」

「――ちなみに、俺はこれを解くのには一秒かからなかったぞ」

 ――Can You Answer this Quiz!

「どうしたんだ、紗枝? 練習問題で悩んでいるようでは、本番の問題は解けないぞ」

 時間にすればわずか一分くらいだろう。顎に手をあてて考え込んでいる様子の紗枝が、フッと顔を上げた。

「確かに、わたしはドジで鈍いところはありますけど、そんなに見くびらないでください!」

「ほぅ! それは答が分かったということなんだな?」

「はい! これでも推理家の端くれです」

 紗枝はそれなりにふくよかな胸を張って、笑顔で答えた。「推理家」という言葉に少し疑問を持ったが、特に問うことはしなかった。

「――それで、犯人は誰なんだ?」

 曇るところのない確信した表情で、紗枝はゆっくりと口を開けた。

「……犯人は、井上です」

「――そうか。で、根拠はあるのか?」

「もちろんあります! それはダイイングメッセージです」

 被害者の残したダイイングメッセージ、それは「あ」である。

「先輩はこの『あ』という一文字が十分な手がかりと言いました。だからまず、被害者が文を書こうとしていたのではないと思いました。難しく考えようとしなければ、この暗号はすぐに分かります。これを解く鍵は、五十音順にあるんです!」

 五十音……そうだ、五十音だ。要するに、「あ」・「い」・「う」・「え」・「お」だ。

 紗枝は立ち上がり、そばにあったホワイトボードに、順番通りに「あ」・「い」・「う」・「え」・「お」と書き下していった。

「視覚的に解答を導き出すには、ではなく、に書き下す必要があるんです。これに『あ』というダイイングメッセージを当てはめます。問題になるのは『あ』という文字そのものではなく、『あ』という文字の位置なんです! 『あ』という文字は、『』という文字のに位置しています。『の上……つまり、犯人は井上です!」

「――正解だ」

 俺の言葉を合図に、紗枝は手をたたいて喜んだ。ちなみに、相原はひっかけだな。

「やりました、先輩! これでわたしも今日から『DETECTIVE&MYSTERYの間』の一員なんですね♪」

 俺の溜め息をよそに、勘違い女はひとしきり喜んだ。

「おまえ、バカだろう?」

 俺は目の前の勘違い小娘を罵倒した。

「失礼です、先輩! バカと言う人がバカなんです?!」

 俺の予想通り、紗枝はお約束の言葉を口にした。

「最初に言っただろうが、これはあくまで練習問題だと。お待ちかねの本番は、これから始まる!」

「――そういえば、そんなこともありましたね。興奮して忘れてしまいました」

 紗枝は舌をペロッと出して苦笑する。俺はそんな仕草をかわいいなどとは思わないからな!

「どうしたんですか、先輩? 少し顔が赤いですよ?」

「――知らん!」

 ……くっ、小娘ふぜいが……っ!

「……やっぱり、その……わたしの体で手を打つというのは……恥ずかしいですけど」

「――退場。一名様お帰り〜」

「もう! かわいらしい冗談ですよ〜」

「知らん! それに俺は小娘には興味はない……」

「……先輩、最低です」

「――帰るか?」

「最高です♪」

「――よろしい」

 隠すことなく笑みを漏らす紗枝に、必死に笑いを堪える俺。

 こうして、俺と紗枝の推理バトル(本番)がスタートした。

「それでは本題に入るぞ」

「はい! ドンとかかってこい、です」

「――よし。その心意気だけは認めてやろう」

「ありがとうございます♪」

「満面の笑顔でアピールしても、俺には何も効果はないぞ」

「そんなの分かってますよ〜。これはサービスです。スマイル0円です♪」

「――勝手にしろ。では、問題だ」

「お手柔らかに、よろしくおねがいします!」

「ある日のこと。A会社の社長である某氏が何者かの手によって殺害された。警察の捜査の結果、事情聴取から容疑者が次の四人に特定されたのだ。その四人とは、A会社の社員である山上、山井、井上、そして取引先のB会社の社員である相原だ」

「あの、井上さんはさっき捕まったんじゃ……?」

「――そこには特につっこむな。事件の概要自体は、俺が考えた作り話だ」

「そうですか。井上さん、脱獄したのかと思っちゃいました」

「想像しすぎだ。話を元に戻すぞ。さらに犯人を決定づける証拠がないかと捜査した結果、ある一つの手がかりが発見されたのだ」

「もしかして……またダイイングメッセージですか?」

「そうだ。被害者は犯人に気づかれることのないように手帳に犯人を示した暗号を残したんだ」

「それで、今回の暗号は何なんですか?」

「今度の暗号は少し長くて複雑だぞ。机の上にペンとメモ用紙があるから、それに書き記せばいい」

「――了解です」

「では言うぞ。『8−1 28/2 14−9 7*2 2*4−1 9 14−30/2 21 5 2*2−1』。これがその暗号だ」

「……あの〜、先輩? いきなりレベルが格段に上がっていると思うのは、わたしの気のせいですか?」

「――気のせいだ。俺はこの暗号を見てから、三秒もかからないうちに真実の扉を開いたぞ」

「それは先輩の推理力が優れすぎているからだと思います。わたしには無理ですよ〜」

「泣き言を漏らす暇があったら、頭を働かせろ。順序立てて考えていけば、だんだんと答が見えてくることもある」

「――努力してみます」

――Can You Answer this Quiz!

――Clues To Answer this Quiz!

「先輩〜! 分かりません〜っ!!」

「――泣くな。大サービスだ、ヒントを二つやろう」

「先輩、ありがとうございます」

「礼を言うのはいいが、あくまでヒントを言うだけだからな。まずは、ヒントその1だ。数字と記号の意味をよく考えることだ。事件の数時間前、A会社の社長である某氏は、秘書のパソコンを見てこう言った、『*や/の記号を代わりに使って計算するのか』と」

「――ふむふむ、*や/の記号が何かの代わりと……」

「次にヒントその2だ。これはもう答を言うようなものだが、教えてやる。被害者の某氏は、その時秘書に意味深な発言をしていたのだ。その発言とは何かというと、『オリンピックの年は、二月は二十九日まであるが、それ以外は二十八日までだな。もしこれが二十六だったら、アレと同じなんだがな……』というようなものだ」

「――うーん、二十六が何か臭いますねぇ」

「さて、ヒントはこれで終わりだ。後は頭で考えるんだな」

「……わたしの頭脳よ、がんばって!」

「あほ! おまえが考えるんだ、おまえの頭脳でな」

「――了解です!」

――Can You Answer this Quiz!

 俺が紗枝に問題を提示してから、五分近く経過した。

「……もう少しで分かりそうなんですけど、分かりません……ぐすん」

「おいおい、何も泣くことはないだろうが」

 考えても分からないのだろう。紗枝は悔しそうにすすり泣いていた。

「別に分からなくっても問題はない。ただここから立ち去ってくれればいいだけなのだからな」

「――それが嫌なんですよ〜……ぐすん」

「駄々をこねるな。子供かおまえは?」

「そうです。わたし子供です。まだ十八のピチピチです〜……ぐすん」

 何だよ……ピチピチって……?

 とにかく、俺は紗枝との推理対決に勝利したのだ。これで約束のとおり、紗枝を追い出すこともできるのだ。

 しかし、ここで重要な問題があるのだ。俺は「顔は良いが、運は悪い男」なのである。とてもじゃないが、このまま事がうまくいくとは思えなかった……。

 ガチャ――

 突然、ドアが開いたかと思えば、一番来て欲しくなかった人がまさに絶妙のタイミングで室内へと入ってきた。

 それ見たことか、俺は運の悪い男なのだ!

「――稔……あんた何してんの?」

 この人こそ、我が「DETECTIVE&MYSTERYの間」の部長である狭山芹奈先輩である。整った容姿に、腰に届くくらいの長くて美しい髪。さらに抜群のプロポーションとくれば、モデルと胸を張って言っても全くおかしくないような美しい女性だ。正直、俺もこの人には頭が上がらないのである。

「先に言っておきますけど、怪しいことはいっさいしてません」

 部長はわずかに動揺していた俺の顔を少し見て、その横に座っていた紗枝に目をやった。

「二人だけの部室で、かわいい女の子を泣かしているのに、怪しいことはしてないとは、どこか矛盾してるわね」

「部長、俺は無罪です。神にさえ誓えます」

 部長はこの状況を楽しんでいるような様子で、すすり泣く紗枝へと話しかけた。

「――ねぇ、どうなの? 稔はああ言ってるけど、本当に変なことされなかったの?」

「わたし……先輩に優しくして(簡単な問題を出して)って言ったのに……先輩、すごく激しかった(難しい問題を出した)んです……わたし、耐えられません(答えられません)でした……ぐすん」

「ほぅほぅ、激しかった……ねぇ?」

「――部長、そんな軽蔑するような目で見て、変な想像をしないでください。紗枝、おまえも誤解を招くようなことを言うな!」

 めそめそとすすり泣く紗枝を、俺は軽くこづいた。

「きゃっ! 先輩、暴力反対です。わたしは今、この華奢な体に重くのしかかる敗北の二文字を受けて、深く悲嘆に暮れているんです」

 紗枝が悔しそうに、手にしていた暗号の書かれたメモ用紙をキュッと握りしめた。

「ほらほら、落ち着いて。稔、あんたもこの子に謝りなさい」

 部長に睨まれてしまっては、それに従うしかあるまい。

「いきなりどついてすまなかった……」

 俺は超不本意ながらも、紗枝へと頭を下げた。

「――先輩、いいんです。同情しないでください。約束は約束なんですから、解けなかったわたしがダメなんです」

 あきらめのついたような表情で、紗枝はメモ用紙へと視線を落とした。

「なになに? そこに何て書いてあるの?」

 紗枝の持つメモ用紙に興味を示した部長は、チラッと一瞬だけそのメモ用紙を見た。そう、わずかに一瞬である。

「――犯人は井上だ」

 暗号しか書かれていないメモ用紙だったが、確かに部長はそう言った。

「あの……先輩。もしかして、この方は超能力者ですか?」

 驚きの表情と共に、紗枝が尋ねてきた。まぁ、超能力といえば超能力なのである。

「この人は当サークル『DETECTIVE&MYSTERYの間』の部長である狭山芹奈先輩だ。決して超能力者じゃないぞ。部長はその暗号を一目見ただけで解いてしまったんだよ」

「ふふっ、そういうこと」

 部長は途方に暮れる紗枝へと、ウインクを一つ送った。そして、なぜかまた俺が睨まれてしまった。

「さて、稔君……どういうことなのか、事情を説明してもらおうかしら?」

 直感的に身の危険を察知した俺は、起こったことすべてを自白した。

 その結果――、

「……御幸辻紗枝、サークル『DETECTIVE&MYSTERYの間』への入部を許可する……と。はい、これで完了! 紗枝ちゃん、これで今日からあなたも私たちの一員よ」

 部長へと自白した結果、罰として五日間の部長と紗枝への奉仕活動を言い渡されてしまったが、命に別状はなかった。

 「入部条件に推理テストがある」という俺の嘘に、最初紗枝は怒っていたが、部長から入部の許可をいただくや、その怒りはすぐに吹き飛んでしまったようである。

「改めて本日からDETECTIVE&MYSTERYの間に入部しました、御幸辻紗枝です。稔先輩、芹奈部長、よろしくおねがいします♪」

 曇りのない笑顔で、紗枝は一礼した。

「――ところで、芹奈部長? さっきの暗号、いったいどうやって解いたんですか?」

 暗号の書かれたメモ用紙を眺めながら、紗枝はまだ頭を悩ませていた。

「この暗号はそれほど難しいものじゃないわ。せいぜい中程度といったところでしょうね」

 そう言って、部長はこちらへと目を向けてきた。俺は黙ったまま、ただ頭を垂れた。

「これは二度の変換によって解けるようになる暗号よ。最初は*と/の計算。*を×にして、/を÷にして計算すればいいの。ここで注意するのは『−』ね。これをマイナスと思って計算してしまうと、暗号は解けなくなるわ。次に、出てきた数字をアルファベットに変換するのよ。1はA、2はB、3はC……という感じでね。このとき『−』でつながれた二つの数字がアルファベットになったときに、セットになるのよ。紗枝ちゃん、完成したローマ字を声に出して読んでみて?」

 始めは慌てていた紗枝だが、コツをつかんだのか、要領良く暗号を解読していった。

「は・ん・に・ん・は・い・の・う・え・だ……犯人は井上だ! と、解けました、わたしやりましたよ、芹奈部長!」

 やや興奮気味に、紗枝は右手の拳にグッと力を込めた。

「はいはい、よくできました。えらい、えらい。――これでテレビの前のみんなも大丈夫ね」

「――部長? いったい誰と会話を……」

「秘密……よ」

 ……テレビの前のみんなって誰だよっ?

「まぁ、とにかく我がサークルに紗枝ちゃんみたいなかわいい娘が入ってくれて嬉しいわ。仏頂面の誰かさんと二人じゃ、どこか空気が重かったのよね」

「――悪かったですね。……人のこと散々こき使うくせに……」

「稔……何か言った?」

 異常なまでの推理力と共に、俺の小言を聞き取るぐらいの聴力が部長にはあった。

「特に異常はなしです、サー!」

「――あの、稔先輩が異常だと思うんですけど……?」

「……うるさい」

 本日をもって、サークル「DETECTIVE&MYSTERYの間」の部員は四人となった。新入部員の名は、御幸辻紗枝、十八歳。美人だが、ドジ。しかも鈍感。

 ――でも、どこか鋭くて、憎めないヤツである……。

 失礼。一つ言い忘れていた。ちなみに、俺は井上という人物に対して怨恨を抱いているわけではないと、誤解のないように言っておこう。

(Case.0 終)

[あとがき]

 筆者初めての推理物で慣れていないのですが、なんとか書き終わりました。少しでも、おもしろいと思っていただければ、まさに本望です。暗号のほうは色々調べて適当に作りましたので、質が悪かったならば申し訳のないことです。読者の皆様に感謝と敬意を表して、筆を置かせてもらいます。
 ――真実は、その扉の先にある! D&Mの間でまたお会いしましょう……。     

2004年10月16日     
著者 YUK