第四話 「何でもない……また後で会えるから……」

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あとがき


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   1

「……っんがぁ!」
 少年、相崎祐人は破壊力抜群の攻撃により崩れ落ちた。
 意識が揺らぐ中、祐人は虚ろな目で自分に攻撃を加えたその二人を見上げる。
 圧倒的な威圧感を持つその二人は、もはや戦意を喪失した祐人を見下ろした。頭に怒マークを数個浮かび上がらせるぐらいに、怒りを覚えているようだ。
 辺りには、この三人以外に人の気配はまったくない。しかしながら、それも当然といえば当然である。
 彼らは今、とある学区内で平行三校と呼ばれる上位校の一つである聖城高校の体育館裏にいた。
 体育館自体には決して悪いイメージはない。だが、そこに「裏」という一文字が付け加えられることによって、話は違ってくる。
 体育館裏といえば、やれイジメだの、やれケンカだの、やれ恐喝だのと、あまりに良いイメージが浮かんでこない。
 そんな場所で、相崎祐人もちょうど絶望的な気分を味わったところである。
「そろそろ飽きただろ? ……オレをいじめるのに……」
 身体は痛い、心も痛いという状態の中、祐人はもはや開き直った感じで、その二人に向かって口を開いた。
 祐人のその言葉に、彼を見下ろしたその二人は、ムッとしたような、それでいてあきれた表情をみせた。
「兄さん……あまり懲りていないようですけど……今日のところはこれぐらいにしておきます」
 その威圧感からは、まったくもって程遠いといえる、かわいらしい声をあげたのは、その二人の内の一人、相崎祐人の義理の妹にあたる相崎佳奈である。
「そうね……さすがに疲れるわ……」
 少し気が強そうな声であったが、その中にも十分なかわいらしさが含まれるような声を出したのは、二人の内のもう一人、相崎祐人の幼なじみである月村綾香であった。
 綾香が疲れると言ったのも無理のない話である。もうかれこれ、三人が体育館裏に来てから、一時間が経とうとしている。
「はぁ〜、生きてることはすばらしいことだな」
 ズキズキと痛む身体を耐えしのいで立ち上がった祐人は、二人に聞こえない程度の声でつぶやいた。
 そうは言うものの、相崎祐人は朝から実に憂鬱である。
 その理由は、いたって簡単なことであった……。



 昨日、祐人は佳奈、綾香、綾香の妹の菜々香、悪友的存在である矢吹俊也、打倒怪盗¢ルージュこと秀才の栗丘春樹、あと最後に初対面であったのだが、聖城中学で「絶世の大和撫子」といって、他校にまでその噂が届くぐらいの少女、春日野百合花とも、どうしてか一緒に遊びに行くことになった。
 どうやら、矢吹が百合花を半ば無理矢理に説得したようである。この計画も、そもそも矢吹の提案であった。
 矢吹は当初、今話題になっている新テーマパークであるUFKの無料招待券を持っているといって皆を誘った。
 しかしながら、矢吹が連れていったその場所はUFKではなかったのである。彼の知り合いが社長をしているという古びた新テーマパークこと「まったりパーク」なのであった。
 口々に不満を漏らす祐人たちではあったが、結局まったりパークで手を打つことになり、予想以上に楽しむことになる。
 時間が過ぎるのは早く、祐人たちが夕方になってそろそろ帰ろうかと話し合っていた手前、数台のパトカーを発見する。
 春樹が気になるから行ってみようと言うので、ついていってみると、そこには春樹の父親である栗丘警部の姿があった。
 それによると、どうやら怪盗¢ルージュがこのまったりパークに現れるとのことであった。
 特にこれといって自分には関係ないと思っていた祐人ではあったが、矢吹に言いくるめられて、怪盗¢ルージュを捕まえようということになる。
 ¢ルージュの予告にあったとおり、お化け屋敷前で待ち伏せしていたのだが、あっさりと警官に捕まってしまい、春樹に見つかってしまう。が、矢吹は春樹の心情を巧みに見抜き、容易に説得した。
 その直後に「裏方にまわる」とだけ言い残して矢吹が去ったため、かくして祐人と春樹の名(?) コンビが誕生したのである。
 そうして、二人は怪盗¢ルージュと相対することになるのだが、ここで異様な光景を目にするのだ。
 それは異常な雰囲気をもって宙に浮かぶ日本刀であった。
 祐人が日本刀に関して、あまり好ましくないことを回想していると、突如嫌な予感が彼を襲った。
 ちょうどその瞬間、今まで浮かんでいるだけであったその日本刀が、祐人たちの方に突きかかってきたのだ。
 凄まじいスピードで、怪盗¢ルージュに向けて、それが突き進む。
 反応しきれずに、立ち尽くしたまま悲鳴をあげる怪盗¢ルージュ。ワンテンポ早く行動した祐人は一か八か怪盗¢ルージュを庇うような形で飛びかかった。
 祐人の身体を貫いたように見えた日本刀は、間一髪で彼の横を通り過ぎていくのである。
 ところが、祐人の危機は別のところにあった。怪盗¢ルージュに飛びついてそのまま倒れこんだ祐人は、彼女に覆いかぶさることになる。
 その時に、祐人は¢ルージュの顔を覗き込み、まじまじと数秒間眺めた。ここで祐人に無念なことには、正体がばれると焦った¢ルージュが暴れ動いたことによって、彼女の足が祐人の急所にクリティカルヒットした。
 祐人は沈み、あっさりと怪盗¢ルージュに逃げられてしまうのだが、春樹にある策を説明される。その策というのは、春樹がこのまま¢ルージュを追いかけて、祐人は春樹があらかじめ考えた怪盗¢ルージュの予想逃走経路に基づき、まったりパークの傍にあった公園で待ち伏せすることであった。
 これは一種の賭けであったのだが、勝利の女神は祐人と春樹に微笑むことになる。
 怪盗¢ルージュは、空からこの公園に降りたった。祐人は茂みの奥に隠れていたので、見つかることはない。
 そんな祐人の心には、ある一つの疑問が浮かんで消えなかった。祐人は先ほど怪盗¢ルージュの素顔をはっきりと見た。そして、祐人は彼女を自分の知っている、いや、知り合ったばかりの少女と同一視することになる。
 つまりは、怪盗¢ルージュの正体が春日野百合花なのではないかという疑問を持った。
 その祐人の疑問は、見事に的を射ていたのである。
 怪盗¢ルージュが降りたったその場所から百合花が出てきたので、祐人はこれを確信した。
 祐人が突然目の前に現れたことに、驚いた様子でいた百合花は、祐人の言葉を内心では動揺しつつも否定した。
 しかし、百合花は決定的なミスを犯してしまっていた。
 それは例の宙に浮かぶ日本刀を手にしていたままだったのだ。祐人は、もはや言い逃れができなくなった百合花の落胆する姿を見て、一種の罪悪感のようなものを感じた。
 祐人は決して百合花を傷つけようとなどは思っていない。なので、祐人はその純粋な気持ちを百合花に伝えることになる。
 それが、祐人と百合花が秘密を共有するきっかけとなった。百合花は自分の秘密を祐人に話すことになるのだ。
 そして、話はつい一時間ほど前に戻る……。


 今日は聖城高校で合格者入学説明会あるということで、祐人は佳奈と綾香の三人で聖城高校に向かった。
 ところが、その途中で祐人たちは春日野百合花とばったり出会う。
 佳奈や綾香は昨日のまったりパークですっかり百合花とは仲良しになっていた。
 三人の会話を聞き流しながら、祐人は三人の少し後ろを歩いていく。ここまでは、万事事態は良好に進んだ。――が、事件は聖城高校正門前にて起こる。
 突然、祐人の方を振り返った百合花は、自分に対するいくつもの好意の視線をもろともせず、一歩一歩と祐人のもとに近づいた。
 そしてついには、目と鼻の先にまで顔を近づけたかと思うと――、
「ちゃんと秘密は守ってね」
 百合花は大胆にもまるで頬にキスするかのように、祐人の耳元でささやいた。
 動揺を隠しきれない祐人は、彼女を呼ぼうとした直後、
「百合花でいいよ、祐人君♪」
 百合花の大和撫子スマイルにつられて、祐人も愛想笑いを浮かべた。
 その二人の姿は、傍から見ているといかにも恋人同士であった。
 それを見た大衆は、怒りと嫉妬を隠すことができなかった。祐人に突き刺さる痛いほどの視線。
 その中でも特にひどかったのは……佳奈と綾香である。
 後ろから襟首を掴まれてしまった祐人は、二人の威圧感にもはやなすすべもなく、引きずられるままに体育館裏に行くことになるのだ。
 ――そして、現在に至る。



「祐人、百合花はもうわたしたちの大事な友達なんだからね。変なことしたらただじゃすまさないわよ!」
 聖城高校の体育館。
 さすがに合格者入学説明会が始まってしまうということもあり、祐人たちは体育館の中に入っていた。
 適当な席を見つけて腰を下ろしたのだが、直後に綾香は祐人を非難した。
「そうです、その通りです! 兄さん、知り合ったばかりの百合花ちゃんに言い寄るなんて最低です」
 佳奈と綾香は実に不快そうである。
「オレは別に言い寄ってなんかないぞ」
 祐人はすかさずそれを否定するのだが、佳奈も綾香も聞く耳持たない状態だ。
 そんな時、祐人たちの後方の椅子に、わざと目立たせるかのようにして座る音がした。
 少しばかりの不快感を覚え、祐人は後ろを振り返る。
 「あ、あの……な、何か?」
 祐人の後ろに座ったのは、一人の少年であった。身長は祐人よりも低く、165cmほどであろう。短髪で少し度のきつそうな眼鏡をかけたその少年は、どこか怯えたように祐人を見た。
「いや、何でもない」
 祐人はそれだけ言うと前を振り返る。
「何なのよ、あいつ? ただの目立ちたがり?」
「その割にはおろおろとしてますけど……」
 祐人を挟んで、座ったまま佳奈と綾香は何やらこそこそと話し合う。自分の目の前で行われる会話に祐人はやや所在がなくなるのだが、それだけではない。
 祐人を挟んで会話する佳奈と綾香は自然に顔を近づけあって話していたのだが、それはちょうど祐人に抱きついているようにもとれなくはなかった。
 いや、むしろそのように見える。
「……お、おい、佳奈、綾香。そんなにひっつくなって」
 今まで無意識であったのか、祐人のその言葉に佳奈と綾香が反応したかと思うと、みるみるうちに頬が紅潮していく。
「あ……ご、ごめんなさい、兄さん」
「べ、別にわたしはあんたにひっつこうとしたわけじゃないからね……」
 祐人は頬を赤らめて動揺する佳奈と綾香を見ていると、自然に顔がほころんでくる。
「……どうした? 朝からやけにお熱いな、相崎」
 耳元でささやかれる悪魔の囁き。
 祐人は先ほど百合花に耳元でささやかれたのとは天と地の差であると思った。
「……でたな、詐欺師め」
 振り返り、祐人は後方の席に座ったその少年を見た。
 微妙ににやけた表情でいるその少年は、祐人の悪友的存在である矢吹俊也である。
 佳奈と綾香も矢吹に気づいたようで、とりあえずの挨拶を交わす。
「ところでだな、相崎。結局、昨日捕まえることができたのか、怪盗――むぐぐっ」
 祐人と矢吹が昨日、怪盗¢ルージュを捕まえようとしたことは、佳奈と綾香は知らなかった。
「……おい、矢吹。この話は他言無用だ」
 二人だけの時に矢吹にそれについて話すのならともかく、矢吹が佳奈たちの前で突如話しだしたことに動揺して、祐人は慌てて矢吹の口をふさいだ。
「捕まえるって……いったい何をですか?」
 佳奈が思案顔で尋ねてくる。
 変に佳奈と綾香に勘ぐられては、体育館裏での先ほどの二の舞になりかねない。
「昨日、用事があるから先に帰ってくれっていっただろ。実はあれから矢吹に付き合わされてな。矢吹がこの九智奈市内に地球外生命体がいるってうるさくてな」
 矢吹が不満そうに反抗の視線をおくっていたのだが、祐人にとっては今は自分の命が大事である。
「それで、結局その地球外生命体とやらは捕まったの?」
 明らかに疑っているというような顔で、綾香が口を開いた。
「いや、結局見つかりもしなかった」
 少々うろたえながら祐人は答える。
「……兄さん、その話本当ですか?」
 佳奈の核心に触れるような一言。
「い、いや、それはだな――」
 もうだめかと思ったその時――、
「――あっ、祐人君!」
 祐人の言い逃れの文句がちょうど尽きはじめてきたところに、祐人の前方の席から少女の声がした。
 腰にまでとどくかというようなきれいな黒髪をポニーテールにしたその少女は、聖城中学のアイドル、春日野百合花である。
「百合花ちゃんが前に座っていたなんて、全然気づかなかったよ」
 結果として、百合花の登場は祐人の危機を救うことになる。
 佳奈と綾香が百合花と話しだしたことによって、話題がうやむやになったのだ。
 つい一時間ほど前、百合花の問題発言により、祐人は一時生命の危機にまで陥ったのだが、九死に一生を得て、なんとか佳奈と綾香を説得することができたのであった。
 とりあえず、祐人と百合花は友達になり、友達同士なら名前で呼び合うのもおかしくはない、ということで同意されることになる。
 百合花はどうやら彼女の友達と二人で話し合っていたようだ。
 百合花の友達であろうその少女は、百合花よりわずかに身長は高く、割合にレンズが小さめのフレームレスの丸眼鏡をかけ、髪は肩のあたりまで伸ばしている。
 丸眼鏡の女の子といえば、牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡をかけたガリ勉少女をついつい想像してしまいがちだが、この少女に至ってはそうではない。
 眼鏡の奥の瞳はくっきりとしており、端正な顔立ちに、さらさらとした茶色がかった髪をしたその少女は、百合花の隣に並んでも見劣りしない美少女であった。
 その少女は祐人の方を見ると、何がおもしろいのか口元に少々笑みを浮かべる。
「ほぅー、これが噂の相崎君か……いや、祐人君だったかな?」
 そう言って、その少女は祐人の顔を眺めまわした。
「……何なんだ、おまえは?」
 祐人の言葉はまったく無視され、その少女は一通り祐人を観察した後、ポンと手を打ち合わせる。
「ふぅん……まぁまぁかな……」
「も、もぅ、何言ってるのよ、亜紀!」
 亜紀と呼ばれたその少女は、百合花に注意されはしたが、あまり反省した様ではない。
「ごめん、祐人君。亜紀が変なこと言っちゃって。……ほら、亜紀、ちゃんと自己紹介して」
 その言葉に面倒くさそうな表情をしながらも、亜紀は渋々口を開いた。
「はいはい、わかりました。尾谷亜紀よ、よろしく」
 祐人はこの少女、尾谷亜紀が少し取っ付きづらい感じがあるかとも思ったが、どうもそれも勘違いか、佳奈たちと話す亜紀を見ていると、どうも普通に接している。
「ねぇねぇ」
 トントンと肩を叩かれたかと思うと、亜紀があきれた表情で話しだす。
「聞いてよ。百合花ったらね、昨日の夜いきなり電話がかかってきたと思ったらね、いったい何を話したと思う? それはね――ふぐぐっ」
 突如として、百合花は亜紀の口を両の手でふさぐ。そのすばやさはまさに怪盗¢ルージュ級である。
「んっ? どうした、百合花。顔が赤いぞ」
 祐人の言うとおり、百合花の頬はとても紅潮していた。
「な、なんでもないよ、なんでもないから……」
 百合花は亜紀の口をふさいだままだったので、亜紀は首を横に振りながら必死にもがく。やっとのことで解放された亜紀は、百合花の言うままにうなずく。
 どうやら、何かを口止めされているようである。
 と、亜紀は祐人の方を向いたかと思うと、一つ大きく息をついた。
「相崎君、とりあえず百合花のこと、頼んだわよ。あと、わたしのことは亜紀でいいからね」
「おいおい、百合花を頼むっていったいどういう――」
「――もし!」
 今度は後ろの席から大きな声があがった。これは少年の声である。
 見ると、先ほどの少し度のきつそうな眼鏡をかけた少年が立ち上がっいた。
「あ、あの……自分の名前は伊素乃崇弘っていいます!」
 この場にいる誰もが、「誰も聞いてないって……」と、つっこみたくなっただろうが、誰ともなく語りかけることはない。
 しかしながら、一人だけあきれた表情をしながらも、口を開いたものがいた。
「自己紹介どうも。わたしは月村綾香よ」
 綾香は極めて素っ気なく言ったつもりだったのだが、伊素乃崇弘という少年は、感動のあまり身体を奮わせた。
「……つ、月村綾香さん……か。ううー、月村さん! よろしくおねがいしまっす――ぶへっ!」
 綾香は実に冷静に興奮のあまり暴れださんばかりの伊素乃の後頭部を殴打した。
「いったい何なんだ、こいつは? 怯えていると思えば、暴れようとしていたな」
 祐人は椅子にもたれかかってのびる、その少年を見ながらつぶやいた。
 その時、また別の少年が後方の席についた。何か言いたげな表情のその少年は、祐人たちのよく知った栗丘春樹である。
「何だかやけに騒がしいな……」
 春樹の第一声は、実に率直な感想である。
 祐人たちのグループは、他と比べると異なるムードを放っていたらしかった。
 そう言われてみると、祐人もなんとなくではあるが、そんな気がした。周りを見回してみると、こちらに向けていくつも視線がおくられているのがわかる。
「ふむ、野郎の視線が大半のようだな」
 矢吹が冷静に言ってみせた。その通り、大半は男子の視線である。
 つまりは、百合花に佳奈に綾香に亜紀が目当てだということだ。
 祐人はぼんやりとしながら、そうなるのも仕方ないかもしれないと、ふと思った。祐人の目から見ても、四人はかわいいと形容するのがもっともだった。誰か一人を選べ、といきなり言われても、二つ返事で選ぶことはできないであろうが……。
 とりあえず会話が一段落したのか、少し場が静まりかえったかと思っていると、今度は祐人たちが座っている場所の後方から、なにやら女子がキャーキャーと叫ぶ声が聞こえてくる。
 次は何が起こったのかと思い、振り返ってみると、どうやらこちらに向かって歩いてくる少年を、席に座っている女子たちが囃したてているようである。
「……まるで有名人だな」
 祐人は皮肉をこめて言ったつもりであった。
 しかしながら、その少年はどうしてか、どんどんとこっちに近づいてくるではないか。
 距離が短くなるにつれて、祐人はその少年の顔がよりはっきりと見えるようになり、そして気づいたことには、その少年は自分の見知った少年であるということだ。
 向こうは気がついていないようだったので、祐人は前回の出会いがあまりに良い印象を覚えていなかったこともあり、知らん振りをしてやり過ごそうとした……が、
「――なっ! か、佳奈さんではないですか!」
 その少年、如月千火使は一際声を張りあげる。
「あ……千火使君。おはよう」
 佳奈は少し驚きながらも、千火使へと言葉を返した。
 千火使はというと、実に幸福そうな顔をしている。余程、佳奈に会うことができたのが嬉しいのだろうか。
「ねぇ、佳奈。こいつ誰?」
 綾香が佳奈の隣で不思議そうな顔をしている。無理もない、佳奈と千火使が初めて会った時には、綾香はその場にはいなかったのだから。
「えーと、この人は如月千火使君。合格発表の時に知り合ったんです」
 佳奈に促されるように、千火使は簡単に自己紹介した。千火使は矢吹や春樹たちとは一言二言交わしただけであったが、佳奈たち女子四人には割合に積極的に話しかけていた。
「相崎、ちょっといいか」
 千火使はそう言うと、祐人の耳元に手を置いた。
「おい、どうしておまえのまわりにはあんなにかわいい娘が四人もいるんだ」
「はぁ?」
 突然、理解できないといった表情で、千火使が態度を豹変させたことに、祐人は訳がわからず沈黙した。
「いったい何をこそこそと話しているんですか? 兄さんたち」
 佳奈の一言により、千火使は我に返ったのか、先ほどと同じような笑みを向ける。
「いえいえ、何でもありませんよ、佳奈さん。ちょっと相崎と話していただけですから」
 そう言って千火使は佳奈の一つ前の席に腰を下ろす。
「隣に座ってもいいか……って、すでに座ってしまったが……」
 千火使の言葉に、隣に座っていた亜紀は、どうにも不快そうな顔をした。どうやらあまり彼を快く思っていないようである。
「別に構わないわよ、好きなように……」
 素っ気なく、亜紀は言葉を続ける。
「それにあんたが好きなのは、横の百合花じゃなくて、後ろの佳奈みたいだしね」
「なっ!?」
 亜紀の声は、皆には聞こえないぐらいの小さいものであったが、にも拘らず、千火使は狼狽した。しかし、彼としてはここで潔くなるわけにはいかない。
「そんなわけないじゃないか。何を言ってるんだ、亜紀さんは……」
 亜紀はまるで納得していないような表情でそっぽを向いた。
「あと……気安く名前で呼ばないでよね」
 どうやら、千火使は亜紀に嫌われたようである。
(……こ、このクソ女……完全に僕をなめてるな!)
 千火使は心の中で、亜紀に好きなだけ罵詈雑言をぶつけることによって、落ち着きを取り戻した。
 ちょうどそんなところで、そろそろ入学説明会が始まるらしく、教頭であると思われる人物が舞台に上がるところである。
 それに促されるように、場がしんと静まった。
「――では、これより合格者入学説明会を始めたいと思います。まずは、校長の挨拶です」
 すると、舞台袖から恰幅の良い初老の男性が姿を現した。
 この男こそ、聖城高校長、飯尾匡である。
 飯尾は舞台に設置された机の前に立つと、一度広々とした体育館内を大きく見渡した。すると、彼はとても穏やかな表情になり、ゆっくりと口を開くのである。



   2

 聖城高校体育館で行われた合格者入学説明会は、万事滞りなく終了し、教頭の終了を告げる言葉とともに、体育館内に騒々しさが戻った。
 ある者は同級生となる者との初めての出会いを喜び、またある者はそんなことには興味なしと、そそくさと体育館をあとにする。
 そんな中、少年、相崎祐人はというと、他の男子には非常に羨ましいことに、美少女四人に囲まれていた。もちろんのことながら、その四人の美少女とは、佳奈、綾香、百合花、亜紀のことである。
「――でだ、まぁ、いわゆる故事成語でいうところの『四面楚歌』の状態になってしまったわけだ」
 相崎祐人は実に淡々と自分の武勇譚、もとい己の悲劇譚についてなぜか自慢げに語った。
 知っての通り、「四面楚歌」とは、古代中国の一国、楚の項羽が垓下で漢の劉邦の軍に囲まれた時、夜が更けて四面の漢軍中から盛んに楚国の歌が起こるのを聞いて、楚の民がすべて漢に降ったかと、驚き嘆いたという故事から、助けがなく孤立すること、周囲が皆敵ばかりであることを意味する。
 ついさっき、相崎祐人は実にその状況にあった。祐人と百合花の周囲を困惑させるようなシーンに、周囲は一心に祐人に向けて怒りと嫉妬の視線を投げつけたのだ。
「ははっ、祐人、あんたって結構おもしろいやつねー」
 少女、尾谷亜紀はおかしそうな笑顔を見せる。
 先ほどまでは、亜紀の祐人に対する呼称は「相崎君」であったが、今はすでに「祐人」と呼び捨てになっている。
 意外なことに、この二人は意気投合しているらしい。
「――それでもオレは逃げなかった……向かい来る二人の敵に正々堂々とだな――」
「その二人っていったい誰のことよ?」
 祐人の言葉を遮るように、綾香が怒気を込めた声を出した。見ると、佳奈もなんともいえない表情でこちらを睨みつけている。
 百合花は苦笑していたが、隣にいた亜紀は何かを悟ったかのような顔になったと思えば、祐人の肩にゆっくりと手を置いた。
「わかる……わかるわ、あんたの気持ちが……。なかなか苦労しているようね――」
 亜紀はしみじみとした口調で、同情を含んだ眼差しで祐人を見る。
 祐人はといえば、一瞬驚いたような表情を見せた後、感極まったような顔になった。目にはうっすらと光るものが見えるほどだ。
「……わ……わ、わかってくれるのか……?」
「うんうん。わかってる、わかってる。……まぁ、モテる男は苦労するっていうことよね」
「……へっ? お、おい亜紀、それってどういうことだ?」
 祐人は何が何だかまったく理解できていないといった表情である。
 しかしながら、亜紀以外の少女三人は、なにやら様子が変わったようだった。佳奈も綾香も百合花も、三人ともが頬を赤くしてうつむいている。
 それを見た亜紀は、どこかいたずらをする時の子供のような表情を浮かべた。
「……なんだったら、わたしがもらおうかな〜♪」
『――あっ!?』
「――っ!? なっ、い、いきなり何ひっついてるんだよ」
 亜紀は祐人の背中から抱きつくような形でひっついた。
それに応じて起こる三人の少女の驚嘆の声。
 やはり、まったく何も理解できていない祐人。それでも、ただわかることは、今この場の雰囲気が危機的なものであるということだ。
「亜紀〜、いったいどういうつもり」
 親友であるはずの百合花もどうやらかなり怒っているようだ。三人の凄まじいプレッシャーが合わさって、亜紀に、そしてなぜか祐人にも降りかかる。
「……ち、ちょっと、みんな何マジになってんのよ……冗談に決まってるでしょ……」
 言い訳をする亜紀も、さすがに動揺しているようで、額には汗が浮かんでいる。
 三人が一歩一歩迫りくる中、亜紀は祐人を盾にするようにして、彼の背中に隠れた。
 しかしながら、頭の良い彼女はすでにある事を理解していた。そのある事とは、このままでは祐人もろとも自分も殺られてしまう、ということである。
「おい亜紀、オレを盾にするな。こんな目に遭うのは今日もう二回目――う、うわっ!」
 何の前触れもなく、亜紀は祐人の背中を強く押した。なすすべもなく、祐人は佳奈たちの前に押し出されたかと思えば、そのままの勢いで、あろうことか、佳奈と綾香と百合花の三人に公平に抱きつく格好になったのである。
「あ、はははっ……そ、それじゃ、わたしはこれで……さよならっ!」
 亜紀は一度祐人に憐憫の表情を向けたかと思うと、一目散に颯爽と体育館の出口に向けて疾走した。
 いやはや、またもや少年、相崎祐人は「四面楚歌」である。佳奈たち三人は、わずかに顔を赤らめてはいたが、それでも怒りの方が強いようである。
 祐人は三人の怒りのオーラに触れ、やるせない苦笑を浮かべたが……それも束の間のことであった。
「……兄さんのバカッ! スケベ! 四又!」
 チャレンジャーな四又こと相崎祐人は、佳奈の拳をスタートとして数度宙を舞った。
 悲痛な声をあげながらも、それに耐えて宙を舞う祐人の姿は、まさに立派な生き様である……ようにもとれなくはなかった。
 少なくとも、体育館の中で大いに目立っていたということは確かである。



 今日は聖城高校で合格者入学説明会が行われている。なので、在校生が校内に見当たることは普通に考えてないはずである。部活動のほうも今日は全面的に停止されているはずだ。……そのはずであるのだが、事態はそれほどまでに丸くはなかった。
 説明会に来た人たちの過半数がすでに帰ったかと思われる今、体育館から校舎へと続く桜並木の真ん中あたり、そこにそびえ立つ桜を背に立ち尽くす少年がいた。
 どうもその後ろには、一人の少女の姿が見える。
 聖城高校規定のブレザーに学生ズボンの少年は、一度眼鏡のブリッジをくいっと持ち上げた。
「いよいよ……だな」
 実に冷静な少年の一言。
「そうですね」
 後方の少女は、腰にまで届くかというような髪を微風になびかせた。
 少年の名は瀬名原悠明という。そして、少女の名は姫島琴美。
 彼らは今、ある人物を待っているところである。もうすぐこの場に現れるはずのある人物を……。
「あの……瀬名原君。今日は部長も部室に来られるらしいですよ」
悠明は、だからそれがどうした、と言いたげな顔を琴美に向けたが、口には何も出しはしない。
「彼を連れて一緒に部室に行きましょう」
「……ふっ、余計なのがついてきそうなものだがな」
 悠明はそう言って笑ってみせた。
 ――そして、待つこと五分。
 二人は無言のまま立ち尽くしていたのだが、ついにその時がやってきたようだ。
 その少年は、一人で悠明たちの方に歩いてきていた。どうにも彼らに気がついていないようである。
 その少年は、なぜか身に着けた服が汚れている。まるで誰かに殴り飛ばされたようだ。
 それに、その少年は、どうにもやる気なさげに、半ばうつむいて歩いている。これは悠明たちにとってみれば、またとないチャンスであった。
 すかさず悠明が彼の前に立ちはばかる。と、その少年は悠明にぶつかる寸前にようやく気がつき足を止めた。
悠明の顔を見上げる彼の顔は、やる気のかけらもない。
「……何なんだ、おまえは?」
 その少年、相崎祐人は実に疲れ果てていた。
 先ほども、体育館でとても不幸な目に遭ったところである。
 祐人は今一人でいるのだが、それには理由があった。
 矢吹と千火使は呼び出しを受けて校長室へ向かった。どうやら、矢吹が入学試験の成績が首席であり、千火使が次席であるようだ。
 千火使は少しプライドを傷つけられたみたいだったが、祐人の配慮もあり、なんとか落ち着きを保ったままでいられた。
 春樹や伊素乃はそそくさと帰ってしまった。
 亜紀はといえば、祐人を見捨てて逃走したし、佳奈や綾香や百合花は、祐人が戦闘不能になるや、三人で楽しく会話をしながら体育館の外に出て行ってしまった。
 よって、現在相崎祐人は一人でいるわけである。
祐人は非常に困惑していた。気がついて見上げてみると、身長180cmはあるかという細眼鏡をかけた少年がこちらを睨みつけているのだ。
 祐人は彼を見返して、言葉を待つことにした。
「……貴様、相崎祐人だな」
 祐人は驚きで言葉を吐くことができなかった。
なぜ見ず知らずの少年がオレの名前を知っている?
「……おまえは誰なんだ? なぜオレのことを知っている?」
 どんどんと場の雰囲気が険しくなっていく。睨みあう祐人と悠明。と、その二人の間にのほほんとした表情で割ってはいる少女の姿があった。
「まぁまぁ、二人ともそんなに熱くならないでください。瀬名原君もケンカをするために待っていたんじゃないでしょう」
 琴美のその一言で、幾分か険悪なムードが回復される。
「ふん、まぁいい。とりあえずついて来い」
 悠明は振り返り、校舎の方へと歩き出す。
「とりあえずついて来いって……何なんだ、あいつは?」
 祐人が悠明の後姿を眺めながら不思議に思っていると、悠明が「早くつれて来い、姫島」と振り向くことなく叫んだ。
「あの〜、相崎君ですね? わたくし、姫島琴美と申します」
 琴美は祐人へと大きく頭を下げた。
「えっ……あ、ああ。オレは相崎祐人です。よろしく……」
 ついつい琴美のペースにはまってしまい、祐人も琴美へと大きく頭を下げる。
 姫島琴美という少女は、怒ることがあるのか疑いたくなるくらいおっとりとした清楚な雰囲気を持っており、至極丁寧な言葉使いからすると、どこかの金持ちのお嬢様かもしれないという想像もできてしまうほどだ。
「あの、大変申し訳ないんですけど、わたくしと一緒に少し来ていただけませんか?」
 琴美は純粋な祈りの視線を祐人へと投げかける。
「んー、そうは言ってもなー」
 相崎祐人はどうにもだるそうに手で額をかいた。これは祐人が真剣に悩んでいる証拠でもある。
「お願いします! 相崎君。相崎君に帰られてしまったら、わたくし、後で瀬名原君にどんな目に遭わされるか……っ……っ」
 祐人の手をギュッと握り、琴美はしくしくとすすり泣きを始める。祐人はかなり困惑しながらも、してはいけないような想像をしてしまっていた。
(いったいどんな目に遭わされるんだ……? ――はっ! いかん、いかん)
 雑念を拭い去るために頭を振る祐人ではあったが、もはや琴美は祐人に抱きつかんばかりの勢いである。
 こうなってしまっては、もはやなるようになれと、祐人は思い始めていたが、もしついていくにしても、こんな場面を誰かに見られることを非常に危惧していた。
 見る人によっては、新入生となるであろう少年が、在校生のお姉さんに襲いかかっていると思うかもしれないし(なにしろ、琴美は涙を流しているし、「(どうか許してください)お願いします」と言っているようにもとれなくはない)、年上の少女が少年を誘惑しているようにも見えるかもしれない。
 どちらにせよ、祐人は先ほどの件もあるので、誰にも、特に佳奈、綾香、百合花には見つかって欲しくなかった。
 もしこの世に神と呼べる存在があるのなら、こんな些細な願いぐらい叶えてくれ! 祐人は真剣に空へと願いを飛ばしたのだが、どうやら神という存在はいないのか、もしくは昼寝でもしているらしい。
 今日の相崎祐人の運勢は、とことん最悪であった。
「あー、祐人があんなところにいるわよ」
 少女の声。それも自分の知った声だ。
 その声のした方向を見ると、先ほど逃走したはずの少女、尾谷亜紀の姿があった。しかしながら、その場にいたのは亜紀だけではない。
 祐人の最も恐れていた人物、佳奈、綾香、百合花もいたのである。
 頭の中で、高速で考えが思い浮かんだことには、一刻も猶予はない、戦慄している暇もない、逃げるしかない!
 相崎祐人は決心を固めた。琴美が握っていた自分の手に力を込めると、祐人は吹っ切れたような顔で琴美を見る。
「こちらからもお願いします、姫島さん! どうか少しだけオレをかくまってください」
 その言葉に、先ほどまで悲しそうな表情をしていた琴美に、穏やかな笑顔が戻る。
「来ていただけるのなら、わたくしはそれで十分です。さぁ、急いでいるんでしょう? 早く行きましょう」
 琴美は祐人の状況が分かっているのかいないのか、祐人の手を握ると、校舎へと駆け出した。
 祐人はというと、琴美の穏やかな笑顔に少し照れながらも、我が命のために琴美へと続く。
後方では、祐人に対する非難の声が大きくあがっていたが、少女四人は同時にうなずいたかと思えば、祐人を捕まえるべく走り出した。


 暖かな春の気候の中、穏やかな風に包まれる聖城高校。
 この聖城高校というのは、北校舎と南校舎の二校舎にわかれている。
 北校舎は四階建て、南校舎は三階建てになっていた。
「もう少し速く走れないんですか、姫島さん? このままじゃまずいっすよ」
 少年、相崎祐人は実に焦っていた。祐人と琴美は体育館と北校舎を結ぶ桜並木を走り抜け、北校舎の昇降口をさらに前進して中庭を過ぎて、南校舎へと疾走した。
 いかんせん、祐人の走力と琴美の走力には大きな差があり、琴美のペースに合わせていたので、すぐ後方にまで四人の少女が追いかけてきている。
 琴美はおしとやか性格に倣ってか、足の速さまでゆったりとしたものだったが、それでも決してそれは遅くはなく、むしろ平均よりは速いと思われる。
 ところが、佳奈たち四人が尋常ではなかったのだ。平均の走力をもった男子が、この四人と競走したところで、相手にもならないだろう。
 確実に50mを七秒台で、いやそれ以上に速く走るスピードであろう。祐人と琴美は南校舎にまでどうにか辿り着いた。
「兄さん〜〜! いいかげんにあきらめてください〜」
 すぐ後ろから、佳奈の叫び声が聞こえてくる。
「あきらめろと言われて、あきらめるわけにはいかないだろ〜」
 祐人は返事を返しながらも、南校舎に入ってすぐそばにある階段を駆け上がる。
「……はぁはぁ、相崎君……もう一つ上の階です……」
 琴美は琴美なりに本気で走っているようで、すでに息が上がっている。祐人は気持ち半分走る速度を落とし、南校舎三階へと向かった。
「――着きましたよ。で、いったいどこに行けばいいんです?」
 凄まじい速さで階段を上る音にびびりながらも、祐人は早口で言う。もう時間がない、彼女たちはもうじきこの場にやって来る。
(……今度こそ、生死の心配をしたほうがいいかもしれないな……)
 祐人は半ばお手上げ状態になっていたのだが――、
「相崎君、あそこの部屋です……はぁはぁ」
 息が上がりつつも、琴美は祐人にその部屋を指で示した。
 その部屋は南校舎三階の階段から東の方向に二つ目の北側の部屋であった。その部屋の入口には何も書かれてはいない。なので、今では使われていない部屋なのかもしれない。もしくは、倉庫ということもあり得るだろう。
 しかし、そんなことは祐人にとってはどうでもよいことである。今は一刻も早く、室内に避難したいところだ。
 祐人と琴美がその部屋に辿り着いた直後、四人の少女――佳奈、綾香、百合花、亜紀の姿が見えた。
「祐人! もう逃げられないからね」
 もうそれなりの距離を、かなりのスピードで走っているはずなのだが、綾香はまったく息が上がっていないようである。いや、綾香だけではなく他の三人もまったくもって正常だった。
「あらあら、皆さん本当に元気ですね」
 少し息を荒げながらも、琴美は穏やかな表情で言う。
「……姫島さん。佳奈たちをそんな元気という言葉だけで簡単にまとめないでください。そんな優しいものじゃないですから……あ、あれ? ……ち、ちょっと姫島さん、この扉開きませんよ……?」
 祐人は何度か軽く開いてみるのだが、まったく開く気配がない。
「……うーん?」
 祐人に代わって、琴美は扉を開けようとするが結果は同じであった。小さい唸り声をあげながら、琴美は考え込んだかと思うと、突如穏やかな表情になる。いや、開き直った表情といっても問題ないか……。
「……どうやら、鍵がかかっているようですわね」
「……は?」
 祐人は開いた口がふさがらなかった。
 鍵がかかっている……そ、そんなバカなっ!
「ひ、姫島さん! そんな無責任なこと言わないでくださいよ。な、何か方法は……あ……ああ……」
 突然、祐人の言葉が途切れた。祐人の目は琴美には向けられていない。その一つ隣にいる四人の少女を見ていた。
「ここまでのようね、祐人君」
 百合花が微笑みながら言う。だが、それは大和撫子スマイルでないのは一目で分かる。なんせ、目が笑っていないのだから。
「……ま、まぁ……その、なんだ……とりあえず落ち着け、おまえら……」
 額にびっしり脂汗を浮かべる祐人。もはや完全に追いつめられてしまった。
「祐人、あんたこそ落ち着きなさい」
 佳奈と綾香と百合花の三人は、それはとても怒っているようであったが、亜紀だけはどこか意地らしい笑みを浮かべている。
(……は、ははっ……ここまでなのか……)
 じりじりと祐人へと近づく四人の少女。もうだめだと根を上げようとしたまさにその時、何かの音が聞こえた。そう、それは鍵が開くかのような――、
 ガラッ――
「何をぐちぐちと話している、さっさと中に入れ」
 扉がいきなり開いたかと思うと、一人の少年がそこに立っていた。瀬名原悠明である。
「んっ? 何だ、やはり余計なのまでついてきたようだんな。……まぁいい、とにかく中に入れ」
 そう言って、悠明は部屋の中に入る。
「さ、相崎君。早く中に入ってください」
「……えっ? あ、ああ……」
 呆然としていた祐人は、うなずくまま部屋の中に入っていった。
 佳奈たち四人も、何が何だかわからないといった顔をしている。いや、亜紀一人だけはどうもそういった感じではない。
「ほらほら、とりあえず中に入ろうよ」
 亜紀に続いて、佳奈たち三人も部屋の中へと進んだ。
 その部屋は極普通の教室であった。ただ、正規の教室ではないため、椅子と机は少数分しか用意されていない。だが、そこがまた文化系の部室を連想させてくれる。
 カーテンは開け放たれており、もうすぐ南中しようとする太陽の光が窓越しに入ってきていた。
教室の前方には当然のように黒板、その間に教卓が置かれている。その方向に、椅子と机のセットが十ほど間隔をあけて並べられていた。
 気づいたことには、この部屋には悠明以外にもう一人少年の姿があった。その少年は、教卓の所に置かれていた椅子に腰かけていたのだが、祐人たちが入ってきたのに気づくと、ゆっくりと立ち上がった。
「やぁ、よく来てくれたね。悠明が手荒なことをしてしまったのなら、謝るよ」
 その少年は喜ぶ反面、すまなそうな表情になる。
「ちょっと兄さん! これはどういうことなんですか」
 訳がわからず、佳奈は腹立たしげに祐人に話しかけた。綾香も百合花も同様のことを言いたげである。
「そ、それはオレだって訳がわからん。なんせ、いきなりつれてこられたようなものなんだからな」
「えっ? 祐人、この人とイチャイチャしたくて逃げたんじゃないの? だったらどうして逃げたわけ?」
 綾香がイライラしながら言う。
「それは、おまえらが凄い勢いで追いかけてきたからだろう? あの状況では逃げるしかなかったさ」
「それならちゃんと理由を話したらよかったんじゃないの?」
「あの……」
 百合花が祐人へと反論する中、教卓の前に立った少年が声をあげたが、祐人たちにはまったく聞く気配がない。
「そうは言ってもなぁ、オレが訳を話したところで、おまえら耳を傾けたか?」
「それは無理じゃない。多分、祐人はボコられていたわね」
「あの……少しいいかな?」
 亜紀がくだけた感じで言う。まぁ、亜紀の言うことはもっともで、頭に血が上った人間というのは、それこそ制御不能状態である。
 それにしても、横から先ほどの少年が話しかけてはいるが、まったくもって無視されていた。
「まぁまぁ、皆さん落ち着いてください。ケンカはよくありませんよ」
 琴美が佳奈たちをなだめようと穏やかに言った。
「そうそう。もういいでしょ。祐人もその気じゃなかったみたいだし」
 亜紀も琴美の言葉にうなずきながら、説得に参加する。
「その気ってなんだ……? ま、とにかく、オレも何も言わず逃げたことはまずかったと思う。ごめん」
 事態を収束させようと、祐人は頭を下げる。どうやら、これで和平に移行したようで、佳奈や綾香や百合花から、少し怒りが和らいだように思われた。
 それとは逆に、自分の話を聞いてもらえない少年の表情に、だんだんと怒りの感情が表れてきた。
「――わかりました。今回は兄さんを許してあげます」
 綾香も百合花も佳奈の言葉に賛同する。どうやら、祐人は危機を免れたらしい。――が、
「勝手に一件落着するなっ! 人の話を聞けっ!」
 ついに少年はキレて声を張りあげる。瞬間、ハッと我に返ったかと思うと、自らを落ち着けるべく、一つ大きくせき払いをした。
 祐人たちは驚きの表情で少年を眺めている。
「……いったいどうなさったんですか、部長? いきなり大きい声をだしたりなんかして」
 琴美が疑問のまなざしで、部長と呼んだその少年を見る。
「いや、取り乱したりしてすまなかった。なぜか自分だけが別の空間にいる、そんな気がしてね」
 部長と呼ばれた少年は、そう言って苦笑した。
「自己紹介がまだだったね。僕は波樹章二、ここの部長だ」
 祐人たちは室内を見回してみるのだが、はっきり言って何もない部屋である。あるといえば、椅子と机と、あとは掃除用具入れぐらいのものだ。
 ここでいったい何の部活動をしているのか、祐人たちはまったく想像することができなかった。
「相崎君、君は僕たちがここでいったい何の活動をしているのか、不思議に思っただろう?」
 まるで人の心を見透かしたように、波樹部長は言う。
「はい。そう思ったのは確かですけど……どうして分かったんです?」
「……なんとなく……だ」
 そう言われたところで、祐人は納得できていないようだ。佳奈たちもそんな表情をしている。と、琴美が何か言いたげに祐人の肩をたたいた。
「実はですね、相崎君、ここの教室は予備なんです」
「その通りだ。ここはただの予備教室。僕たちの正規の部屋は、別のところにある」
 琴美の言葉に続けるように、波樹部長は話す。すると、今まで窓際の最前列に座っていた悠明が、スッと立ち上がったかと思うと、祐人たちの方へとずかずかと歩いてきた。
「相崎祐人! 貴様は今日からここの一員だ。……そう、フィーンドレクイエムの一員だ」
 悠明は祐人を指さして明確に断言した。
「……」
 祐人はどこからどう解釈していいか、訳がわからず途方に暮れた。半ば強制的につれてこられたかと思えば、いきなり仲間に入れ? それにフィーンドレクイエムっていったい何なんだ?
 と、祐人が困惑していると、佳奈が少し不安げに祐人の服の袖をくいくいと引っ張った。
「兄さん? なんかここ、雰囲気が怪しいですよ。早く出て行ったほうが――」
「――それはこちらとしては困るんだ……」
 佳奈の言葉を制するように、波樹部長が口を開く。どうも複雑な表情をしていた。
「君の気持ちは分かる。だが、こちらにもこちらの事情というものがあってね……。とりあえず少し話をしないか? 説明しないといけないこともあるからね。それならいいだろう、相崎君」
 波樹部長の雰囲気というのは、決して怪しいものではなく、彼の誠実さが身にしみて伝わってくるようである。
 祐人は彼を信用するに値する人物であると、どうしてか確信できた。
「わかりました……。少しだけっすよ」
 その言葉を聞くや、波木部長は安心したように、口元に笑みを浮かべた。
そして一言――、
「……ありがとう」



   3

 聖城高校は創立七十年を超える伝統校である。
 もともとは南校舎だけであったのだが、後に北校舎が建てられた。
 また、平行三校と呼ばれる進学校の一つであるのだが、聖城高校はただ偏差値が高いだけではなく、特に部活動も盛んである。それは体育系の部活のみならず、文化系に部活においても同様であった。
 文化系の部活においては、ある程度の人数が集められるのなら、部として認められるだけではなく、部室も与えられるという利点がある。
 北校舎が建てられてからは、南校舎が利用されることは少なくなり、その空き教室を部室として与えることになったのだ。
 そんな数ある部の中には、普通に聖城高校に通っているだけでは、知ることすらないような部も存在する。まさに知る人ぞ知る部があるわけだ。
 その中でも特に際立っているのが、フィーンドレクイエムである。旧名を悪霊鎮魂会という。話によると、悪霊鎮魂会では名からして怪しすぎるということで、最近になって改名されたらしい。
 まぁ、改名されたところで、フィーンドレクイエムという単語を聞くこと自体、普通はまずあり得ない。
 フィーンドレクイエムがいったい何時成立したかも定かではなく、聖城高校創立時からすでに存在していたともいわれている。
 また、今も昔もフィーンドレクイエムの全貌については表沙汰にはまったく明らかにされていない。しかしながら、現在でもなお、フィーンドレクイエムの活動は秘密裏に行われているのである……。


「――よって、フィーンドレクイエムは現在なお、その活動を維持しているわけなんだ」
 聖城高校南校舎三階のある一室。
 昼になって太陽も西に傾き、ちょうど時刻は三時を刻んでいる。
実際はそうではないのだが、まるで本当に授業を行っているかのように、一人の少年が教卓の前に立って話している。この少年こそ、フィーンドレクイエム部長、波樹章二である。
「何か質問がある人はいるかな?」
 波樹部長はそう言って室内を見回す。小数並べられた机には、相崎祐人をはじめ、佳奈、綾香、百合花、亜紀、そして悠明と琴美が席についていた。
 波樹部長の説明は非常に分かりやすいものであり、下手な講師よりは余程マシなように思える。
 祐人もフィーンドレクイエムについては理解することができた。だが――、
「相崎君、何かな?」
 祐人は自分の疑問をぶつけるべく挙手していた。
「フィーンドレクイエムのことは分かったんですけど、どうしてオレが一員にならないといけないんですか?」
 その言葉を聞いた波気部長は、少々答えに詰まった。言うべきか、言わざるべきかを迷っているようである。
「それにはオレが答えてやる!」
 後ろから声が聞こえた……瀬名原悠明である。
「悠明……まだ彼に話すのは早いと、僕は思うが……」
 波樹部長の言葉に、悠明は無言で首を横に振る。
「いや、それは違うな。出すべきときに出せ、言うべきときに言え、だ。そして、今がその時だということだ……相崎祐人!」
「……な、なんだよ?」
 嫌々ながらも、祐人は悠明へと振り返る。
「貴様には『力』がある」
「……は?」
 祐人は、変なものを見るような目を、悠明に向ける。
「ふん、まるっきり信じていないような顔だな。……いいだろう、見本をみせてやる」
 悠明は手を掲げると、そこに意識を集中させる。
 先ほど飲み物の調達に行った時に買ってきた紙コップが、すでに空の状態で各々の机の上に置かれていたのだが、次の一瞬には、空であったはずの紙コップには、半分よりやや多めの水が出現していた。
「これがオレの『力』だ」
「『力』って手品かなんかじゃないのか?」
 祐人がふざけた感じで言う。
佳奈と綾香はとても信じることができないといった表情をしていた。
 少年、相崎祐人の場合、今の出来事に驚愕するまでには至らなかった。
 それには理由がある。つい昨日、祐人は信じられないことを受け入れたばかりである。それはつまり、怪盗¢ルージュが風を自由に操れることができるように、悠明が水を自由に操れるのではないかと、とっさに考えてしまったわけである。
 そんな普通とはかけ離れたことをふと考えた自分に対して、祐人はおかしく思ったのだ。
「悠明の言うとおりだよ、相崎君。これは決して手品なんかじゃない」
 どうやら祐人は今ある現実を受け入れるしかないらしい。
(……待てよ? 確かオレにも『力』があるって言わなかったか?)
 確かに、悠明は祐人に対して、「力」があると言った。自分に「力」があるといわれて、気にならないわけはなかった。
「一つ言っておくが、相崎祐人! 貴様の力はまだ眠ったままだ」
「……それも悠明の言うとおりだよ、相崎君」
 どうしてか、相崎祐人は少し虚しい気分になった。
「……ふふっ」
 見ると、隣に座っていた佳奈が、何がおかしいのか、くすくすと笑っている。
「兄さんの力が眠ったままって、それは普段の兄さんを見ていると分かるような気がします」
「オレ=眠る存在だというのか?」
「んー、言われてみれば……そうかもしれないわね」
 祐人がたまらなくなって、綾香に話を振ってみたが、何のことはない、綾香はあっさりと佳奈に同意するのである。
「まぁまぁ、相崎君、何も落胆することはないんですよ」
頭を垂れる祐人を、琴美は穏やかに慰める。
「相崎君、そう気落ちすることはないさ。眠ったものは、いつか必ず目覚めるはずさ……その時がきたらね……。んっ、長々と話しすぎたのかもしれないな。……よし、今日はこれでお開きにしよう」
 その言葉に反対するものは誰一人としていない。よって、この場で解散ということになった。
「相崎君、次は部室、それも予備ではなく正規の部室に案内するよ」
 みんなそろって部屋を出た後、波樹部長は祐人へと話しかけた。
「は、はい……まぁ考えておきます」
「逃げたりするなよ、相崎祐人。……ふっ、最近になって妙な噂が校内で流れている」
 唐突にも、悠明は話を切り出した。
「どうやらこの校舎……でるらしいな……」
「それはわたくしもよく耳にします。物騒な噂ですわね」
「あ、あのさ、でるって……いったい何がでるんだ?」
 訳がわからないといった表情で、祐人が聞き返す。
「はい。それはですね、お化――」
「待って! それ以上は言わないで」
 琴美の言葉に待ったをかけたのは……綾香である。
「し、信じない、信じないからね、お化けなんて」
「どうしたんだ、綾香?」
 必要以上に取り乱す綾香に、祐人は声をかけるが、どうも落ち着きがない。
「それでは、僕たちは本当の部室に寄ってから、帰ることにするよ」
 南校舎一階まで下りてきた祐人たちは、ここで波樹部長と悠明と琴美の三人と別れることになった。
「それじゃあ、兄さん。わたしたちは帰りましょう」
 祐人たちは南校舎を出て、北校舎に向かって歩く。
「結局、さっき話してた妙な噂ってなんなんだろう?」
「さぁ、でも何だか事件の臭いがするわね」
 祐人は後方から、百合花と亜紀が話すのを呆然と眺めていた。祐人も何か嫌な予感に似たものを感じとっていたからである。
 北校舎に入り、昇降口についたところで、ふと祐人は綾香の様子が変だとわかった。どこか焦っているようで、ポケットに手を入れ、何かを探している。
「いったいどうしたんだ、綾香?」
 祐人に話しかけられ、綾香は祐人を見上げる。その顔はどこか泣きそうになっている。
「……ない、ないのよ、わたしの財布がなくなったのよ!」
 どうやら、ポケットの中を探っていたのは、財布を探していたからのようだ。
 しかしながら、財布を失くしたとなれば、落としたという可能性は、どうも低いように思われる。そうそう簡単に、ポケットの中にしっかりと入った財布が落ちては話にならない。
「綾香、おまえさっきのあの部屋に置き忘れたんじゃないのか?」
 祐人の言葉に、綾香はハッとしたようになる。
「……そ、そうかもしれない。……わたしちょっと探してくる」
 綾香は反転して、南校舎へと駆け出そうとしたのだが、突如ピタッと足が止まる。
「あ、あのさ……祐人?」
「んっ? どうした綾香。……まさか、一人で行くのが怖いのか? 何だったらついていってやっても――」
「怖いわけなんかないじゃない! わたし、帰りに寄るところあったから、先に帰ってくれて構わないから! 佳奈と二人で帰ればいいわ」
「お、おい、待てよ、綾香!」
振り返って走り去ろうとした綾香の手首を、祐人は逃さずにつかんだ。
「……い、痛い、離しなさいよ!」
「いいや、離さない。綾香、さっき何か言いかけてただろ? オレがからかったのが頭にきたのなら謝る。……だから言ってくれ」
祐人は自分でも、なぜこんなに真剣に話すことができたのか、良く分からなかった。それは、先ほどの嫌な予感に近いものが、そうさせたのかもしれない。
だから、こんなにも優しい口調で話すことができたのだろうか? それだけ綾香のことを心配しているということか?
綾香はといえば、どこか躊躇しているようであった。
「……とりあえず、手を離して」
「あ……。す、すまん」
 気づけば、祐人は綾香の手首を握り締めたままであった。慌てて祐人が手を離すと、綾香は一歩二歩と前に進み出た。
「祐人……ありがとう」
 綾香は頬を赤くしながら小さくつぶやく。祐人には、後姿しか見えていないので、分からなかったが……。
「別におまえが礼を言う必要なんてないだろ? それよりさっき何て――」
「何でもない」
 そう言って振り返った綾香は、祐人へと微笑んでみせた。それには祐人は少しドキッとしたが、その笑顔がどこか不安げで悲しげにも見えた。
「何でもない……また後で会えるから……」
「お、おい、綾香!」
 綾香は、祐人に聞こえるか聞こえないかぐらいの、微妙な声をあげたかと思いきや、すかさず南校舎へと走り去った。
 祐人もすぐにその後を追おうとしたのだが――、
「いったい何をしているんですか、兄さん?」
 急に呼びかけられた声に振り向くと、佳奈と百合花と亜紀が昇降口のところで立って待っている。構わずに、綾香の後を追いかけたいという気持ちは山々だったが、佳奈たちを無視していくということも、祐人にとって具合の悪いことであった。
「……どうしたんですか、兄さん」
 祐人の様子が変なのに気づき、佳奈がそばによってきた。
「……いや、何でもない。綾香が忘れ物を取りにいくから、先に帰っててくれってよ」
 祐人は綾香に言われたままを佳奈に伝えた。祐人の中で、綾香なら心配ないという気持ちが勝ったのである。これで自分自身を納得させることにした。
 実際、綾香の前に不良が現れても、普通の不良であるならば、まず綾香にはかなうまい。綾香は中学時代に剣道部のエースと呼ばれるぐらいに、いや、それ以上に剣の腕がさえる。
「綾香ちゃん、忘れ物取りにいったんだ。……どうする兄さん? 待ってる、先に帰る?」
「帰りに寄り道するようなこと言ってたからな、先に帰るか」
 祐人の言葉に、佳奈は無言でうなずく。
「さ、帰ろうぜ、綾香は先に帰っててくれってよ」
 昇降口で待っていた百合花と亜紀に、祐人は事情を話した。
「ふーん、そうなんだ」
「綾香ちゃんには悪いけど、帰ろうか、祐人君」
 他愛のない世間話を交わしながら、祐人たちは聖城高校をあとにした。
 祐人と佳奈は、途中で百合花と亜紀と別れてからしばし後、難なく自宅に到着する。
 これでひとまず、今日一日が終わったかのように思えた……のだが、実はそうではなかった。



 相崎祐人は言葉に出しようのない後悔をしていた。……綾香を一人で行かすべきではなかったのだ。
 時は夕刻。
 相崎家リビングの四人用テーブルに、祐人、佳奈、そして菜々香が椅子に腰かけていた。
 ――だが、綾香の席には、座るべき人が座っていなかったのである……。

(第四話「何でもない……また後で会えるから……」 終)




 [あとがき]

 いやはや、無事に四話が終わりましたことを喜ぶとともに、完成が非常に遅延しましたことを情けなく思っております。しかしながら、それには山よりも高く、海よりも深い事情があるわけです。それは自分の所有するPCが逝ってるということを意味するわけであります。PCが動かないことには何もできません。ゲームもできない、音楽もできない、当然小説を書くこともできない。これには何か策を考える必要があると思っている今日この頃です。
 さて、先ほどゲームはできないと申しましたが、それでも少しはできるわけであります。それにプレイステーション2に至っては特に異常はなし。よって、十月末に発売されたD.C.P.S.をプレイしたいのは山々ですが、如何せん時間の都合というものから、できない状態が続いているわけです。また、十一月二十八日に発売された永遠のアセリアもかなりやりたいゲームの一つであります。その他にも、つい昨日発売されました大番長も、もちろんです。
さてさて、あまり長引きますとあほPCが逝ってしまいますので、最後に四話の感想と五話の予告を少々。四話ではついに聖城高校を舞台に事件が起きる……と思いましたが、何が誤算だったのか中途半端なところで終わりを迎えました。あとはまたまた新キャラがでてきてだんだんとキャラの収束がつかなくなっていたりして。
 では、五話の予告を。祐人たちと別れ、家に帰ってこない綾香の身にいったい何が起こったのか? 祐人の眠ったままの力とは果てして目覚めるのか? 聖城高校に流れるある噂とはいかに? 
 ではでは、そろそろこの辺で……。
 第五話『――さよならは……言わないよ……』近日公開予定です。
 負けるな、祐人! 希望の世界にパルティール!


2003年 12月20日
著者 YUK