第三話 「あなたに……秘密を……」



[目次]






あとがき

YUKの現在の一言


[本文]

   1

 陽気な朝日が雲ひとつない空に昇りはじめる。夜明けまで降り続いていた雨も今はその跡はない。
 三月の中旬になっては、いよいよ春が到来したという感覚を人々は無意識にも覚えはじめる。
 卒業という名の離別と入学という名の出会い。ちょうどその狭間の時の空間にあたる今日この頃。
 つい三日前、とある学区内で平行三校と呼ばれる上位校の一つである聖城高校では、先日行われた入学試験の合格発表が行われた。
 一喜一憂様々でありそれぞれの結果により人生の道が分かれるといっても過言ではない。
 ここで、相崎祐人という一人の少年の良い一例がある。
 祐人は滑り止めのために私立高校を二校受験したのだが、その両方にあえなく失敗。その状況の中でトップクラスの高校を受験したわけなので、高校浪人の可能性が非常に高かったわけである。
 しかしながら、少年、相崎祐人は無事聖城高校に合格することができた。
 祐人はかなり合否について神経質になっていたのだが、祐人の義妹である佳奈、幼なじみの月村綾香、悪友的存在の矢吹俊也、打倒怪盗¢ルージュこと栗丘春樹。
 祐人たちは一緒に合格発表を見に行ったのだが、この四人は絶えず余裕の表情であった。そして案の定、皆合格であった。
 何はともあれ、相崎一行合わせて五人は、高校生として人生の道を進めることが確定した。



「いつまで寝ているんですか兄さん! 早く起きろ〜〜!」
 今もなお気持ちよさそうな顔でベッドに寝そべる少年とおっかない顔でそれを怒鳴り散らす少女。
 その少女、相崎佳奈は大きな声とともに少年の腹部へ重さ3kgの健康危具を投下した。
「っんがぁっ!?」
 声にもならない声を出し、少年、相崎祐人はベッドの上で跳びはねた。
「今日の目覚めはいかがですか、兄さん♪」
 先ほどとは打って変わって佳奈のにこやかな笑顔。
「はは、起死回生ってところかな」
 祐人はなかなかにダメージを受けたようで、その手でお腹をさする。それにより痛みを和らげようとしていた。
「兄さん、今日は何の日か覚えてないでしょ?」
 見ると、佳奈は明らかにこれから外出しそうな服装をしていた。
 記憶を辿ってみたところ、珍しくすぐに思い出すことができた。というよりは、思い浮かべた直後、思い出したくもない悪友の顔が出てきたのである。
 なので、連動的に今日どこに行くのかも思い出したのである。
「UFK……か」
 祐人は小さくつぶやいた。
「うん。綾香ちゃんも菜々香ちゃんも着替えて待ってるから、早く用意してね」
 それだけ言い残して、佳奈は祐人の部屋をあとにした。
「綾香はともかく菜々香も……か」
 三日前の合格発表の時、悪友的存在である矢吹から「なかなかにいい話がある」と、話に付き合わされた。その時に、今話題の新テーマパークであるらしいUFKに誘われたのである。
 祐人自身、あまり興味があるわけではなかったが、半ば強引に行くと言わざるを得なくなってしまうのであった。
 そして、その日の夕方。ちょうど夕食の席で、祐人、佳奈、綾香、菜々香の四人が会している時に、佳奈がうっかりと口を滑らして、UFKのことを言ってしまった。
 後悔したところで時すでに遅し。この時から菜々香が自分もUFKに行くと駄々をこねだしたのだ。
 矢吹がUFKのチケットを六枚持っていたので、もう一枚融通してもらおうと、矢抜きに連絡してみたのだが、すでにメンバーは決定したので不可能だと言われてしまった。
 しかし、そんなことを説明したところで菜々香が治まりはしない。祐人はいいかげん我慢の限界にきて、ついつい言ってしまった。
「勝手にしろ……」と。
 その一言で勝負はついたようなものであった。UFKに行けると大いに喜ぶ菜々香を見てしまっては、もはや彼女に誰も絶望の一言をかけることができなくなったのである。
 ――そんなこんなで早くも三日が経ち、約束の日となる。


「それでは、出発〜♪」
 相崎家の玄関前。最後に祐人が急いでやってきて、四人がそろったところで、菜々香が元気の良い声とともに、手を大きく上に振り上げた。
 矢吹の要望により、待ち合わせの場所は相崎家からの最寄り駅である九智奈駅に集合とのことであった。
「ねぇ兄さん、あと二人っていったい誰が来るの?」
 佳奈が祐人に尋ねた。
 矢吹はチケットを六枚持っていたのだが、祐人と佳奈と綾香に一枚ずつ、自分用に一枚で、四人はメンバーが決まっていたのだが、残りの二人は誰が来るのか知らされていなかった。
 それは祐人にしても同じならしく、あっさりとした口調で答えた。
「オレも知らん……」
「まぁいいじゃない、もうすぐ会うんだし」
「うん。そうだね」
 綾香の一言に佳奈は納得したように言った。
 集合場所である九智奈駅前は、相崎家から歩いてそう遠くない距離にある。
 祐人たちはさっそく、約束の場所である九智奈駅前の広場へと向かうのであった。


 良好な天気も幸いして、九智奈駅前の広場は休日の午前というだけあって、なかなかに人で賑わっていた。
 たいていは待ち合わせのために来る人だったが、散歩をしにきた老人や不良っぽい兄ちゃんなども、極わずかには見られた。
「何でこんな朝っぱらからみんな賑わっているのか、オレには理解できん」
 どうにも納得のいかないような顔で、祐人は口を開いた。
 「休みの日は昼に起きる」を座右の銘として、欠かさず実行している祐人にとっては、午前という時間帯は一種未知の世界なのである。
「兄さんみたいに昼まで寝ているのが、普通じゃないんですよ……」
 佳奈があきれたように言った。
「まだ矢吹は来てないみたいね……」
 綾香は駅前の広場一体を見渡したが、矢吹の姿を見つけることはできなかった。どうやら、まだ到着していないようである。
「あれ、あそこで何やってるんだろ?」
 そう言って、菜々香は広場の隅の一角を指さした。その指し示された方向を見てみると、男が三人と少女が一人、なにやら話し合っていた。
 もう少し詳しくいうと、不良っぽい兄ちゃん三人が、嫌がる少女をなんとかして説得しようとしているのであった。
 ありていに言えば、その少女はナンパされているのであった。
 きれいな黒髪をポニーテールにまとめたその少女は、ナンパされてもおかしくないぐらいの容姿をしていたのだ。
 なので、実際にナンパされたわけなのだが……。
「えっ? あの人って確か――」
「『絶世の大和撫子』こと、春日野百合花嬢だな」
 佳奈の言葉に付け加えるように、祐人たちの後ろから声がした。
「……でたな悪魔め」
 祐人は後ろを向き、悪友的存在であるその少年、矢吹俊也に言葉をぶつけた。
「ふっ、相崎。悪魔とはもともとは天使であったのだよ。つまり、オレは天使ということか、はっはっは。……それより、彼女を放っておいたままでいいのか?」
 矢吹は真剣な表情に戻ったかと思うと、その指を「ナンパされる絶世の大和撫子」こと春日野百合花の方に向けた。


「いいじゃんかそんなの。オレらと一緒に遊びに行こうぜ」
 と、不良兄ちゃんA。
「そうそう。オレらが全部おごってやるからさ、いっぱい楽しいことしようぜ」
 と、不良兄ちゃんB。
「オールデイはもちろん、オールナイトでかわいがってやるぜぇ、ひゃははは!」
 不良兄ちゃんCはそう言って笑い出した。
「わたしは今、人を待っていますから!」
 強気にも百合花は少し声を大にして三人の不良に対して言った。
 しかし、その言葉を受けても、三人の不良はへらへらとした笑いを浮かべた。かえって逆効果であったようである。


「何なんですか、あの不良たちは!」
「女の子が嫌がってるのに何も思わないわけ! 許せない」
 憤りのあまり、佳奈と綾香は声に出して言った。綾香に至っては、どこから取り出したのか木刀のようなものを手にしていた。佳奈も闘志がにじみ出てきそうな感じで立ち尽くしていた。
 佳奈の場合は、空手の熟練者であるので、そこいらの不良が束になってかかってきたところで、相手にもならないだろう。
 綾香の場合も似たようなもので、幼少の頃から剣道を習っており、中学時代には名実ともに剣道部のエースとして飛び抜けた実力を誇っていた。
 相崎祐人も二人の実力は、十分に身を持って理解している……わけなのだが。
「相崎、おまえあのまま春日野嬢を放っておくつもりか? まさか、相崎妹や月村に不良の相手をしてもらおうなどとは思っていないな。自分は何もせずに、妹や幼なじみを使ったりはしないよな」
 暗に祐人に不良の相手をさせるように仕向けた一言である。
「……だりぃけど仕方ないか」
 相崎祐人はとても憂鬱になった。
 不良三人に対して、佳奈と綾香を戦いにいかせて、自分だけは何もしないでいるということに少しでも引け目を感じてしまったことが、祐人の敗因であった。
 結果は明白であったのだが……。


「別にいいじゃんか、そんなの。オレらと一緒に遊びに行こうぜ」
「行きません!」
 不良兄ちゃんAの言葉に百合花は強く反発した。
(なんなのよ、この人たちは……。事を大きくするわけにもいかないし、どうしよう……)
「いいじゃんいいじゃん、かわいがってやるからよぉ!」
 不良兄ちゃんCは強引にも百合花の手をつかみとった。 
「やっ、やめてくださ――」
「……やめろ」
 背後から聞こえたその声に振り返ると、一人の少年が仁王立ちしていた。しかし、その声に比して顔はどうにもやる気なさげである。
 少年の後ろでファイティングポーズをとる少女に、木刀のようなものを構える少女の方が余程闘志をむきだしにしていた。
「あぁん! 何なんだよおまえは!」
 不良兄ちゃんAは凄みをきかした声で祐人に言った。
「えっ? 何なんだって言われてもなぁ……。その女の子の彼氏ってことでどうだ?」
「オレに聞くなやぁ!」
 話を振られた不良兄ちゃんBは怒りだした。
「違うのか?」
「えっ? あ、あの……」
 祐人は次に百合花本人に同意を求めようとしたのだが、百合花は訳がわからずに沈黙した。
「調子に乗ってんじゃねぇよ!」
 不良兄ちゃんCはたまらなくなって祐人に殴りかかった。しかし、殴ったかのように見えた拳は、祐人にわずかによけられてしまった。
「早くここから立ち去った方がいいと思うぞ。……ケガしないうちにな」
「ふざけんじゃねぇ!」
 再び不良兄ちゃんCは殴りかかる。だが、どの一発も祐人には当たらない。
 その時、不良兄ちゃんCの目には、祐人ではなくその後ろにいる佳奈や綾香に目がいった。
「おい、おまえら。後ろの嬢ちゃん二人を狙え!」
 その言葉に触発された不良兄ちゃんAとBは、それぞれ佳奈と綾香につかみかかろうとした。
「おーい……やめた方がいいと思うぞー」
 祐人はぼそりとつぶやいたが、残念なことにその声は彼らの耳には届かなかった。
 実のところ、佳奈や綾香も百合花と張りあうぐらいの美少女であるので、不良兄ちゃんAとBは「つかみかかろうとする」よりは「口説きにかかろうとした」のであった。
ところが――、
『ぐぼはぁわ!』
 不良兄ちゃんCはいったい何が起こったのか理解できなかった。一瞬の間があった後、すでに不良兄ちゃんAとBは地にひれ伏し悶絶していた。
 佳奈と綾香の神業的な攻撃が炸裂したのであった。
「ひっ! ひー!」
 恐怖にとりつかれた不良兄ちゃんCは大きな声をあげて逃走した。なお、去り際のセリフは「あんなにかわいいのに、何であんなに強いんだー!」とのことであった。
「大丈夫だったか。えーと、春日野さんだったっけ?」
 祐人は何が起こったのか状況がよく理解できていない百合花へと話しかけた。
「えっ? は、はい。助けてくれてどうもありがとうございます。……でも、どうしてわたしの名前を?」
「んっ? そ、そりゃあ君は絶世の大和撫子なんだろ?」
「??」
 百合花が訳のわからない顔をしていると――、
「兄さんは余計な事を言わないの」
 佳奈は祐人につっこみチョップをいれて祐人をおしのけると、百合花の方を向いて口を開いた。
「あの……兄さんが余計な事を言ってすいませんせした。この前の聖城高校の合格発表の時に、偶然あなたの噂を聞いたんです」
 祐人に代わって佳奈がわかりやすく説明した。
「オレが君のことを教えてやったんだがな」
 いつのまにか、佳奈と百合花のすぐそばに矢吹は立っていた。
「あっ!?」
百合花は矢吹を指さしてわずかに声をもらした。
「えっ? もしかして矢吹君、知り合いなの?」
 佳奈の言葉に矢吹は当然のような口調で答えた。
「ああ、その通りだ。何を隠そう彼女は今日ともにUFKへと向かう同志なのだよ」
『えー!』
「……あなたが無理矢理誘ったんでしょうが……。しかもチケットと一緒にちゃっかり携帯の番号を書いたメモまで握らせた上に、何が『矢吹までLove Call Please』よ……」
 驚いた佳奈と綾香の声にかき消されてか、百合花の小さい独り言が皆の耳に届くことはなかった。


 矢吹を除いては、祐人たちは百合花とは初対面であったので、一通り軽く自己紹介をすることになった。
 ちょうどそのころ、残った最後のメンバーがやって来た。祐人たちが大方予想していた通り、最後のメンバーは栗丘春樹であった。
 しかしながら、春日野百合花という少女は周りからは「絶世の大和撫子」と謳われているものの、その実人見知りなどしたりはせず、春樹がやって来た時にはすでに佳奈や綾香や菜々香とすっかり打ち解けていた。
 なので、春樹はまず百合花がこの場にいることに対して驚いたし、さらにはすでに打ち解けている、すなわち相崎一行化していることには、呆気にとられたほどだった。
 あと、話してみてわかることだが、百合花は清楚で可憐というイメージよりも、天真爛漫なイメージをもつ印象を受けた。
 そんな彼女でも、春樹との初対面でのあいさつは、どうしてか少しぎこちないものであった。
 まぁ、何はともあれ、メンバー六人におまけ(菜々香)合わせて七人は、UFKに向けて出発すべく、九智奈駅の改札をこえていった。


   2 

「……これのどこが新テーマパークなんだよ」
 相崎祐人は目の前を見据えながら憤慨のあまり声をもらした。
 祐人たちは電車に乗ること小一時間。目的地に到着したわけであるが、その目的地は予想していた目的地ではなかった。
 何かがまちがっていた。矢吹に率先されるがままに電車に乗ったわけだが、それがそもそもの過ちであった。
 果たして、相崎一行はUFKとは違う場所に辿り着いたのであった。
 UFKとは違った施設を目の当たりにした祐人たちは、皆矢吹を睨みつけた。良く晴れた明るい天気ではあったが、祐人たちの周りはどうにも暗い雰囲気が漂っていた。
「矢吹……これはどういうことだ」
 祐人は皆を代表するような形で矢吹に尋問した。
「うむ……。まぁ、とりあえずあれを見てみろ」
 矢吹はその施設の入園ゲートにあたるところを指でしめした。
 そこには、いわゆる宣伝文句として「あのUFKに類似!」とか「大人気テーマパークUFKに負けじ劣らじ〜」などが掲げられていた。
「……だったら、このチケットに書かれている『UFK無料招待券』ってどういうことなの?」
 動揺を隠せないまま佳奈が口を開いた。
「考えてもみろ、人というものは自分の都合のいいように物事を謀るものだ」
 矢吹は虎視眈々と言ってみせる。
「それって悪いことじゃないの?」
 菜々香があたりまえの疑問を口にした。
「まぁ、そう言うな。諸君らが何を期待していたのか分かりかねるが、ここもそう卑下するところではない。それにここは、知り合いが経営しているのでな」
「何にせよ、あんたにハメられたってわけね……」
 嘆くように綾香が言った。UFKに行けるものと思っていたのに、それを裏切られた反動はなかなかに大きかったようである。
 結局、矢吹に説得されるような形で、祐人たちは渋々入場することになった。
 こうして、相崎一行はその古びた新テーマパークこと「まったりパーク」の入場ゲート前へと足を進めた。
 しかしながら、ここで一つ問題が生じることになる。
「――でだ、菜々香。おまえいったいどうするつもりだ?」
 祐人は菜々香に意見を求めた。実のところ、矢吹は無料招待券を六枚しかもっていなかったので、菜々香の分の入場チケットがなかったのである。
「矢吹、何とかしてもらえないかな?」
 菜々香に代わって、姉である綾香が両手を合わせて矢吹に懇願した。
「いいだろう。何とか話をつけてみよう」
 そう言って、矢吹は自分の分のチケットを菜々香に手渡した。
 矢吹を除いたチケットを持った六人は、先に「まったりパーク」の入場ゲートをこえた。
 残った矢吹は入場ゲートのところにいた係員のお姉さんに向けて口を開いた。
「失礼、社長を呼んでもらえるかな?」
 弱冠、中学卒業見込みの矢吹が社長を呼んでくれというセリフを口にしたことのギャップに、係員のお姉さんは首をかしげた。
「あの、入場なさるのなら、まずチケットをお買い求めください」
 係員のお姉さんは順当にマニュアル通りの言葉を言った。その反応に矢吹は半ば苦笑していると、入場ゲートをこえたところにある中央広場の方から、五十代半ばくらいの中年男性がこちらに向かって歩いてきた。
 中肉中背の体型で、額縁の眼鏡に少し髭を蓄えており、見た感じ穏やかなおじさんといった印象をもてる。
「これはこれは、矢吹君ではないですか」
「ご無沙汰しております、社長」
 矢吹はこの中年の男性に対して一礼した。
「中央広場あたりで矢吹君の友達の方と思う子供たちを見かけましたが、矢吹君はここで何をしているんですか?」
 非常に丁寧な口調で「社長」と呼ばれた中年の男性は話した。
「実は、チケットが一枚足りなくなってしまったんですよ。それで何とか社長に頼もうかと思いました。今しがたそこの係員の人に呼び出してもらおうと」
 社長は矢吹の事情を聞くや、少々蓄えた髭に触れながら穏やかに笑った。
「ほっほっほ。大方の事情は分かりました。どうぞ早くお友達のもとに向かってください」
 社長はあっさりとチケットなしで矢吹を招き入れた。その様子を見ていた係員のお姉さんは驚いていたものの一言も口を開くことはなかった。
「ほっほっほ。やはり、先ほどの子供たちが矢吹君の友達で間違いないでしょうな。矢吹君が考えるところのものも、あながち間違っていないのかもしれませんね」
 社長は中央広場に向かって歩く矢吹の背中を見つめながら小さくつぶやいた。


 その中央広場の一角では、祐人たちがベンチに座って待っていたのだが、何とも言いがたいムードである。
 その原因は栗丘春樹と春日野百合花が何やら言い合いをしているところにあるようだ。
「なんだと。俺はもう少しで怪盗¢ルージュを捕まえることができたんだ。俺の知略があれば怪盗¢ルージュを捕まえることも容易い!」
 春樹は少々向きになって言った。
 割合に、春樹と百合花は初めてにしては打ち解けて話しているように思えた。しかしながら、怪盗¢ルージュのことが話題になった途端、春樹と百合花の間に険悪な雰囲気が漂いはじめた。
「それはありえない。今まで一度も捕まったことのない¢ルージュをそう簡単に捕まえられるわけないじゃない」
 百合花の方も少し怒っている様子である。実のところ、絶世の大和撫子と呼ばれ容姿端麗、品行方正、頭脳明晰と文句のつけようのない美少女である百合花も一つ欠点をあげるとするならば、それは少々短気であるということだった。
「そんなことねぇよ。この前も¢ルージュが卑怯な手さえ使ってなかったら、あいつは絶対に逃げられなかった」
 春樹が言うのは、先日一条邸に怪盗¢ルージュが現れた時の春樹と¢ルージュの一戦のことである。
 春樹は¢ルージュを一条邸内にわざと侵入させて、回転する壁のトリックによって、¢ルージュを混乱させて一度は後方から捕らえることに成功した。
 しかしながら、怪盗¢ルージュは女性の特権を行使することで逃れることができた。
 ありていに言えば、春樹は¢ルージュの胸に触れてしまったことに動揺して、捕まえていた手を離してしまったのである。
「ふん。言い訳はみっともないわよ。悔しければ捕まえてみなさい」
「なっ、なんだと!」
 一触即発の危機的状況の中、矢吹が入場ゲートの方からゆっくりと歩いてきた。
「おいおい、何をもめているんだ」
 矢吹は春樹と百合花にあきれた表情を向けた。
 二人の様子を困った表情で見ていた佳奈は矢吹にケンカの原因が怪盗¢ルージュにあることを説明した。
 すると、矢吹の顔は興味深そうなそれに変わる。
「とりあえず二人とも落ち着け。せっかくのイベントだ、ケンカなどで台無しにするのはもったいないだろう」
 矢吹の一言で、二人とも少しは反省したような表情を見せた。矢吹の言ったことは実に正論である。
 しかしながら、矢吹は不敵な笑みを浮かべたかと思うと、その言葉に付け加えるように口を開いた。
「過ぎたことをとやかく言っても仕方なかろう。なぁに、怪盗¢ルージュは向こうから姿を見せることになるかもしれん。もしかしたら、この『まったりパーク』に現れるかもしらんしな」
 矢吹の謎な発言に、二人はその意味が分からずに黙ったままであった。


 祐人たちの訪れた「まったりパーク」は古びた新テーマパークではあったのだが、先ほど矢吹が言ったようにそれほど卑下するものではなかった。というのは、敷地面積がそう狭いというわけではないし、それなりに設備はととのっていた。
 祐人たちは話し合った結果、まずは定番のお化け屋敷で手を打つことにした。
「では諸君、早速ペアを決めようではないか」
 矢吹はどこからともなくペア分けのための割り箸を取り出した。
「二人が二組と三人が一組できるようになっている。順番にひいていってくれ」
 矢吹に促されるようにして、祐人たちは順に一本ずつひいていった。
「まずは相崎、何をひいたか言ってみろ」
「オレはBだ」
 祐人は割り箸に記されたアルファベッドを見せるようにして言った。
 祐人のその言葉に反応したのは……綾香であった。
「なんだ、祐人とペアか……」
 綾香は何とも言えない表情をした。
 次に、矢吹がCであると言うと、それには佳奈と菜々香が反応した。
 これにより、残った春樹と百合花がAということになった。二人の先ほどの揉め合いは、もう跡は残っておらず、それほど良くない雰囲気ではなかった。
「それでは、Aチームから行ってみよう!」
 ややテンションが高めな菜々香は、元気良く春樹と百合花を送り出した。
 少々怪しげな雰囲気を放つこのお化け屋敷に吸い込まれるかのように、春樹と百合花は中に進んでいった。
「んっ? どうした綾香」
 祐人はわずかに綾香の肩が震えているのに気づいた。
「な、なんでもないわよ!」
 綾香は強気にもそう言ってみせるのであった。


 そのお化け屋敷の中は暗闇に包まれていた。しかしながら、そこまで恐怖を感じることはなかった。
 人員削減のためか、脅かし役などはいないようであった。ただ、ところどころにありきたりな装置があり、恐怖を引き起こそうとはしたが、あまり効果は得られそうにない。
「……さっきは怒鳴ったりして悪かったな」
 おたがい無口のまま出口付近までやってきた春樹と百合花だったが、春樹の方から口を開いた。
「わたしも少し言いすぎたわ……ごめんなさい」
 互いに顔が見えない暗闇の中、二人は先ほどの自分の非を謝罪した。
 こうして、仲直りを果たした春樹と百合花は、出口に向かって進んではいたのだが、ふと百合花が足を止めた。
「どうかしたのか、春日野?」
 突然足を止めた百合花を不思議に思ってか、春樹は後ろを振り返った。暗闇のためによくはわからなかったが、百合花はどうやらある一点を見つめているようであった。
 しかし、それが何であるかは春樹にはまったく分からなかった。
「春日野、何かいるのか?」
「えっ! ううん、別に何でもないわよ」
 余程集中していたのか、春樹が百合花の肩に手を置いたことに対して驚いた様子である。
「ちょっと気になっただけだから。さ、早く行きましょう」
 春樹は百合花が見ていたものが多少気になりはしたが、百合花に置いていかれるわけにもいかないので、先を急ぐことにした。
 百合花が見つめていたある一点には、何にもないように思われたのだが、どうにも怪しい空気が漂っているように思えた。
 そんな時、一瞬そこから怪しい光が放たれたかに見えた。
(どうにも、怪盗¢ルージュが登場しなければならないようね。うーん、さっきの矢吹君の言葉がどうもひっかかるわ……)
 半ば早歩きをするようにお化け屋敷の外に出た百合花に続いて、すぐに春樹も出てきた。


「それでは、次行ってみよう!」
 春樹と百合花が中に入ってからしばし後、菜々香は次いで祐人と綾香を送り出した。
「お姉ちゃん、がんばってねー」
「なっ、う、うるさい」
 菜々香の送る謎のエールに半ば動揺しながらも、綾香は祐人の後について中に入っていった。その足取りから、いくらかの不安を抱えているように思われた。


 相崎祐人はこれといってお化け屋敷に恐怖を感じたりしなかった。
 どうということもなく出口付近まで来て、幼稚園児や小学生なら怖がったりするのだろうか疑念を抱きながら歩いていたのだが……案外それだけではないようであった。
「……綾香、おまえ何でこんなにくっついてくるんだ?」
 先ほどから、いや、お化け屋敷に入ってから綾香の様子が突然変わった。
 なにやら少し震えながら祐人にぴっとりとくっついている。どこをどう見ても、祐人は綾香が怖がっているようにしか見えなかった。
「もしかして、怖いのか?」
 祐人は、自分の腕にあたる綾香の胸の感触に少し顔を赤らめながらも口を開いた。
「なっ、そ、そんなわけないじゃない…………きゃあああっっ!」
 祐人に対して言い返した直後、綾香は悲鳴をあげて祐人に強くしがみついた。
「ひ、光った、今あそこ光ったわよ!」
 綾香は震える指先を暗闇の中のある一点に向けた。祐人は指さされた方向を見てみたのだが、そこはただの暗闇であった。
 わずかに違和感のようなもの感じることができるだけだった。
「おい、何もないじゃないか……」
「そ、そんなわけないわよ! だってさっき間違いなく――」
「わかったわかった。ほら、さっさと行くぞ」
「あっ……」
 祐人は不意にしがみついている綾香の手を掴むと、そそくさと出口に向かって歩き出した。暗闇の中なのではっきりとは分からなかったが、綾香の方も赤面していた。
 そして――、
「よぅ、相崎、……おまえら何で手なんかつないでるんだ?」
 なんとか外に出たと思いきや、そこでは春樹と百合花がこちらを微妙な表情で見ながら立っていた。
 祐人と綾香は手をつなぎあったまま外に出てきたのだ。
『なっ!?』
 指摘されてはじめてそのことに気づいた二人は、瞬間的に手を離しあった。
「ちょっと、手なんかつなぐわけないじゃない。つないでいるように見えただけよ」
 向きになって言い訳する綾香の頬は赤みがかっていた。
「まぁ、そういうことにしといてくれ……」
 祐人が覇気のない声をあげた。
 このことについては、春樹も百合花も特に問い詰めたりなどはしなかった。もし佳奈がこの場にいたとしたら、どうなっていたかはわからないが。
 祐人たち四人がしばらく話をしていると、Cチームの佳奈と菜々香と矢吹が出てきた。
 三人ともやはり、特に怖がったりなどはしなかったらしい。
 相崎祐人はふと心に浮かんだところのものを口にしようとした。
「結局、お化け屋敷で怖がったのは綾香だけ――むぐぐっ!」
 言い終わることもなく、祐人は綾香に勢いよく口をふさがれた。
「これ以上しゃべるとどうなるかわかってるんでしょうね?」
「……(すまん、オレが悪かった)」
必死に頭を前後する祐人見て、綾香は渋々と手を離した。
「兄さんたち、いったいどうしたんですか?」
 見ると、佳奈以外の四人も何事かと祐人たちの方に顔を向けていた。
「な、なんでもないから。ねっ、祐人」
 綾香はそう言って祐人を睨みつけた。どうやら同意を求めているようである。
「……まぁ、なんでもないということに」
 相崎祐人は淡々と棒読みで、その限られた選択肢を口にするのであった。



   3

 この日、古びた新テーマパークこと「まったりパーク」の経営代表である社長の特別室に、一通の予告状が送られてきた。
 その予告状にはこう書かれていた。
「――予告状
      本日十九時にお化け屋敷の光をいただきにまいります
怪盗¢ルージュ――」
 この予告状を見た社長は、穏やかな笑みを浮かべたままそばにおいてあった受話器を手にとった。そして、番号をプッシュする。
「ほっほっほ、とりあえず警察の方々にも来ていただきましょうか」
 社長は受話器越しの相手に丁寧な口調で状況を説明した。その相手はただちに急行するとだけ言った。
 ただ、最後に自分が栗丘という警部であるという言葉を残して。



 真上に昇った太陽もあっという間に西に傾き、一日の終わりを告げようとしていた。
 相崎一行は文句を連発しながらも、「まったりパーク」での時間を満喫していた。そして、最後の締めに観覧車に乗ることになった。
「わー、夕日がきれいだねー」
 沈みゆく夕日に目を向けて菜々香は感嘆の声をあげた。
 同じように隣に座っていた綾香や向かい側に座っていた祐人と佳奈もその夕日を眺める。三人とも同じような感想を口にした。
「最初は拍子抜けだと思ったけど、意外と楽しめたわね」
「そうだね」
 綾香の言葉に佳奈も同意する。菜々香も肯定とばかりにうなずいた。
「まぁ、たまにはこういうのもいいかもしれないな」
 祐人も賛同の意を示していた。
 ところが、その祐人の額には脂汗が少々浮かびあがっていた。その顔も何やらひきつっているようである。
「どうしたの、兄さん? 様子が変ですよ」
「……高いところが苦手なだけだ」
 祐人はあっさりと自分の弱点をもらした。
「ほら、下を見てよ。あんなに人がちっこくなってるよ」
 地上数十mの高さから地面を見下ろしてみた菜々香は、あちこちを見渡していたのだが、ある一点に注目がそそがれた。
「ねぇ、あれを見てみて」
 菜々香はその方向に指をさした。
「パトカー……よね」
 綾香の視線の先には数台のパトカー。
「何でパトカーなんて止まっているんだろ?」
 不思議に思い、佳奈もその数台のパトカーに目を向けた。
 すると、十数人の警官がパトカーから降りたかと思うと、リーダー格の一人だけ服装の違う刑事かと思われる人物を中心として「まったりパーク」へと入ってきた。
 佳奈と綾香と菜々香がその様子を見つめる中、祐人は一人、沈みゆく夕日をいつまでも、観覧車から降りるまで眺め続けていた。


「なにぃ〜! 怪盗¢ルージュからの予告状!?」
 栗丘春樹は熱のこもった声をあげた。
 反対に、これを春樹に伝えた春樹の父親である栗丘警部は、後悔したようなやるせない表情を浮かべた。
 観覧車から降りた祐人たちは、そろそろ帰ろうかという話になったのだが、春樹が気になることがあるというので、とりあえず春樹の後について行くことになった。
「おい息子、今日はもうおまえは帰っていいぞ」
「ふん、はいそうですかと帰れるか! 今日こそ捕まえてやるぜ、怪盗¢ルージュ!」
 春樹のテンションがどんどん高まっていく。
 祐人たちはその親子のやりとりを呆然と眺めていた。
「でもいいのか、息子。彼女と一緒に帰らなくても。おまえもなかなかやるじゃないか、みんな結構かわいいな。あのセミロングのお嬢さんか? それともあのポニーテールの子か? はたまたその横の少し気の強そうな髪を後ろでまとめたお嬢さんか? いや、少し背の低いあのツインテールの子もなかなか――いてっ、何をする息子!」
 耳元でこそこそとつぶやく栗丘警部の脛を春樹は抑え気味に蹴り上げた。
 栗丘警部が言ったのは、順に佳奈、百合花、綾香、菜々香のことである。そして、警部が「みんなかわいい」と言ったことも決して間違いではない。
 百合花に至っては、聖城中学時代に「絶世の大和撫子」と謳歌され、他校にまでその噂が広まるぐらいである。
 佳奈や綾香にしてみても、中学時代は異性からの人気はたいしたものであった。矢吹によって、怪しい企画が計画された時もあった。
 菜々香にしてもなかなか人気があるらしい。
「親父、バカなことを言うなよ。彼女なわけないだろうが」
 春樹は赤面しながら断固これを否定した。
「とにかく! 今回も俺は怪盗¢ルージュ逮捕に協力させてもらう」
「へいへい。勝手にしやがれ……」
 栗丘警部はあきらめたような表情を見せると、現場へと戻っていった。
 春樹は祐人たちのところに戻ると、気合の入った表情で口を開いた。
「今晩十九時、怪盗¢ルージュがここに現れるらしい」
「ほぅ!」
 矢吹は実に興味深そうな声をあげたが、祐人はどうでもよさそうな表情を見せた。
 佳奈たちは、一度怪盗¢ルージュをその場で見てみたいなどと話し合ってはいたが、百合花だけが何ともいえない表情をしていた。
「……相崎、少し耳をかせ」
 矢吹は何かを思いついたようで、口元に笑みを浮かべていた。こういう時は、祐人にとってたいていろくなことが起こらない。
「いやだ……」
 しかしながら、矢吹は祐人の拒否などまったく気にせずに顔を近づけてきた。
「相崎、怪盗¢ルージュに会いたくはないか?」
「はぁ? なに言ってるんだおまえ」
「オレたちも栗丘に協力して、怪盗¢ルージュを捕まえる……こういうことだ」
 矢吹の誘いは祐人にとっては極めて面倒くさいものであった。
 ところが――、
「付き合ってくれるのなら、今日の晩飯はオレのおごりでいいぞ。そう言えば、今日の相崎家の食事当番はいったい誰だったのかねー」
 相崎祐人は矢吹の一言により、精神的会心の一撃を受けた。
 相崎家は現在、とある理由により月村家の綾香と菜々香を加えて、祐人、佳奈、綾香、菜々香の四人で暮らしている。
 そこで、一緒に暮らすにあたり色々な当番を決めていくことになったのだが、食事当番も当然決めることになった。
「おい矢吹、おまえ他人の家の家庭事情にまで首をつっこむなよ」
 祐人はあきれた表情を見せた。実のところ、今日の食事当番は……佳奈であった。
 佳奈は決して天性の料理下手なわけではない。ただ、当たり外れがあるのが恐ろしいところだった。
 つまりは、先遣隊よろしく毒見役に抜擢される祐人が唯一の被害者になりえるのである。
 もしそうなれば、佳奈は目に涙を浮かべて(嘘泣きの可能性も大いにある)「ごめんなさい、兄さん」と深く頭を下げる。綾香はあきれた表情で「出前……かな」と、ぼそりとつぶやく。菜々香もそれに大いに賛同する。
 このような展開が繰り広げられることがたまにある。祐人にとっては、溝に足をはめるような不慮の事故であり、それがたまらなく恐ろしかった。その料理はなかなかの殺傷力を持っているとのことである。
「その話……乗った」
 祐人は矢吹の耳元で返答した。その後、なぜか安堵の表情。
「何をこそこそと話しているんですか、兄さん?」
 見ると、こちらを怪訝そうに眺める佳奈の顔。
「な、何でもないぞ」
 祐人は手を左右に振りながら何もないことを強調した。一瞬、気づかれたと思ったのだが、何とかそれは回避できた。ばれたとあっちゃ、ただではすまされないだろう。
 そうして、祐人が恐怖におののいていると、
「相崎妹。実はな、少し所用によりおまえや月村たちには先に帰っていてもらいたい」
 矢吹が真面目な表情のまま佳奈の説得にかかった。こういうときの矢吹は想像以上に頼りになる。
「わかりました。では、わたしたちは先に帰ってますね」
 見事説得に成功。矢吹は祐人を振り返りニヤリと笑ってみせた。
 そうと決まったところで、祐人たちは入場ゲート前で解散することになった。
 佳奈、綾香、菜々香、百合花はそのまま帰路についた。春樹はもちろんのことながら、祐人と矢吹もその場を離れようとはしなかった。
「おまえたちは帰らねぇのか?」
「ああ。だが、その前に少し寄るところがあるのでな」
 矢吹はそう言うと、入場ゲートとは正反対の方へと歩き出した。祐人も渋々ながらそれに続く。
「何なんだ、あいつら?」
 春樹はよく分からないまま祐人と矢吹の背中を見送った。



 相崎一行は、まったりパークの入場ゲート前で解散したわけであるが、少女、春日野百合花は早々に用事があると言って、佳奈たちと別れることになった。
 現在の時刻は午後六時を少し過ぎたところ。春日野百合花はまったりパークを出てすぐ近くの公園に来ていた。
 そして、そばのベンチに腰を下ろす。
「さてと、あと約一時間か……」
 百合花は公園に置かれた時計を目にした。それにしても、どうもひっかかることがある。
「あの矢吹君の言葉。それに都合良くあらわれたあの光」
 百合花はとりあえず今日一日、何があったのかをまとめておさらいすることにした。
 朝、待ち合わせ場所で不良兄ちゃんたちを撃退してくれた祐人たちとの出会い。栗丘春樹との初めての会話。まったりパークでの割合に楽しめた時間。
 これだけをとってみると、矢吹に誘われて来たが決して悪くはなかったと思える。
「ただ、怪盗¢ルージュの出番さえなければなぁ」
 百合花は独り言のようにつぶやいた。
 色々思いを馳せているうちに、気づけばもう午後六時三十分を過ぎようとしていた。怪盗¢ルージュの予告時間まであと三十分。
 百合花は立ち上がると、人目につかないような公園内の茂みの中へと身を隠した。
「じゃあ、今日もさっさと済ませて帰りましょう」
 百合花は手と手を握り合わせると、自分の全神経をそこへと集中させる。
「――力を貸して、精風神ウィンダミア!」
 透き通るようなきれいな声に反応して、彼女を中心に光が発散する。そして、一陣の風が沸き起こる。
 しばし後、その光と風の中から姿を現したのは、少し派手な舞台衣装を思わせる上着に、下はミニスカート。薄い白マントをつけたその姿は、まさしく怪盗¢ルージュその人であった。
「さぁ、ゲームスタートよ……」
 彼女の周囲から風が沸き起こったかと思うと、彼女の後ろに束ねた髪と左右にまとめたツインテールが風に舞い上がる。
そして次の瞬間、もともとそこには誰もいなかったかのように人の気配すら感じることもなくなった。
 もうまもなく、怪盗¢ルージュはまったりパークに現れる。



 現時刻、午後六時五十分。古びた新テーマパークこと「まったりパーク」では、栗丘親子率いる警官隊により対怪盗¢ルージュ捕獲作戦をいよいよ実行に移す時がきていた。
「準備は調っておりますかな?」
 お化け屋敷前で話し合っていた栗丘親子のもとに、社長は穏やかな表情を絶やさぬまま近づいてきた。
「おまかせください! 絶対に怪盗¢ルージュを捕まえてみせます」
 栗丘春樹は自信満々に断言した。その自信がどこからくるのかは、おおよそ対怪盗¢ルージュへの闘志からきているのかもしれない。
 とりあえず、今日の春樹も気合だけは怪盗¢ルージュを圧倒した。
 と、その時数人の警官が栗丘警部のもとにやってきた。
「警部、不審者を発見しましたのでお連れしました」
 見ると、後ろの警官二人はその不審者とやらの腕を掴み取っていた。話によると、一番警戒しているお化け屋敷の周りをうろついていたらしい。
 その不審者は二人の少年であった。そう、栗丘春樹のよく見知った少年であった。
「なっ、おまえら!」
 春樹はその二人を見て声をあげた。
「よ、よぅ……」
 少年、相崎祐人はなんとも情けない表情でそれに答えた。その横では、彼の悪友的存在である矢吹俊也が訳もわからずフッと笑ってみせた。
「息子? この二人はおまえの連れか?」
 警部の言葉に春樹は首を縦に振ってみせた。
 とりあえず、自由の身になった祐人と矢吹に事情を聞きだすことにした。その返答とばかりに、矢吹は淡々と語りはじめた。
「いいか栗丘、はじめに言っておくが、オレたちは決して遊び半分でこんな行動に及んだわけではないぞ。オレはおまえの打倒怪盗¢ルージュという熱く燃える想いを身にしみて実感している。だからこそ、おまえの野望を少しでも助けたいと思っているわけだ」
 祐人は胡散臭げな表情で「それって単におまえが¢ルージュを見たいだけだろ……」と誰にも聞こえないようにつぶやいていたのだが、春樹はというとその肩がブルブルと震えていた。
「おまえら……いいやつだな!」
 突如、春樹はその目にうっすらと光るものを浮かべながら、抱きつかんばかりの勢いで二人の手を握りしめた。
 少し思考を巡らせれば、「『野望』ってなんだよ、それはおまえのじゃないか」と、つっこむところが多い矢吹の言葉に、感動すら覚えてしまっている春樹は純情そのものであった。
 果たして、矢吹に説得された春樹は、¢ルージュ捕獲作戦における祐人と矢吹の参加をあっさりと認めた。
 しかしながら矢吹曰く、
「いや、オレはパスだ。裏方にまわる」
 それだけを言い残すと、矢吹は不敵な笑みを浮かべながら、社長とともに作戦指令室、もとい社長特別室へと去っていった。
 こうして、祐人&春樹の名(?)コンビが誕生することになった。一方は空手有段者で一応肉体派である相崎祐人に、中学時代は秀才と呼ばれたほどの努力家で頭脳派である栗丘春樹。
 彼ら二人と怪盗¢ルージュとの対決が、今ここに幕を開けようとしていた。



   4

 辺りはすでに薄闇に包まれていた。所々に設置されている照明のおかげで、「まったりパーク」は闇の世界に溶けることはなかった。
 しかしながら、時間などには関係なく一向に闇だけの世界も存在する。
 怪盗¢ルージュの今回のターゲットは、その闇の中に存在する光であった。
「なぁ、お化け屋敷の光って、いったい何のことなんだ?」
 怪盗¢ルージュがお化け屋敷に現れるとのことなので、祐人も春樹も中で待ち伏せすることになった。
 暗闇の中、沈黙を打ち破るかのように祐人が口を開いた。そのことは春樹にとっても疑問であったらしく、少々考え込んでいる様子である。
「相崎、おまえは今日みんなとここに入ったとき何か変わったことはなかったか?」
 相崎一行はまったりパークに着いて、早々に定番のお化け屋敷に入ることになり、矢吹の用意したくじびきによりペアが決められることになった。
 祐人は綾香とペアになり中に入ったわけであるが、特にこれといって変わったことはなかった。あったといえば、綾香が意外にもお化けが苦手だということぐらいである。
 このことは、話すと生死に関わる大事に発展しかねないので、祐人は口をふさいでおくことにした。
 と、綾香とのお化け屋敷でのことに関して、一つだけ気になる点が見つかった。確か……出口付近でのことだったはずだ。
「……そういえば、綾香が光を見たって言ってたような気がする。出口近くだったはずだ」
 その祐人の言葉に、春樹にもひっかかるところが一つ見つかった。春樹は百合花とペアであったのだが、これもちょうど出口付近で、百合花が何もないただの暗闇に目を向けていたことを思い出した。
 もしそれが、何もないただの暗闇でなかったとしたら…………。
「相崎! 出口に向かうぞ。怪盗¢ルージュはそこから現れる!」
 春樹は有無を言わせず走り出した……が、
「んがぁっ」
 あえなく春樹は壁に激突した。暗闇の中で走ることは、極めて危険な行為であるということが、この日春樹の中の教訓の一つになった……わけでもなく――、
「栗丘―、早くしないと逃げられるぞー」
 祐人が苦笑しながら口を開いたその時、
「でたぞっ! 怪盗¢ルージュが現れたぞー!」
 出口付近から聞こえる警官の声。
 一足遅かったか……。
 我に返った春樹に続いて、祐人も出口に向かって急いだ。


 うまく侵入できたと思ったのだが、不覚にも警官に見つかってしまった。幸いにして、一人しかいなかったので、手荒なことはあまり好まないがこればかりは仕方ない。
「わしの昇進がかかっとんじゃ、おとなしくお縄につけぃ!」
 その中年の警官は時代劇染みた言葉を混ぜつつ、特効ヤクザよろしく突っ込んでいった。
 しかし、そのような力まかせの攻撃は彼女、怪盗¢ルージュには決して当たりはしない。
 ひらりと¢ルージュにかわされたその警官は、そのままの勢いで壁に突っ込んだかと思うと、そのまま沈黙した。
「早いとこ片付けないと、また誰か来るわね」
 そうつぶやくと、怪盗¢ルージュはすばやく目的の場所へと足を向けた。
 目的のその場所は、出口から入ってすぐのところにあった。出口へと続く通路の間にある分かれ道のその袋小路。
 普通にその方向を見ても、特にこれといって変わったことはない。しかし、そこには邪悪な気配は存在した。
 いや、言うなれば、邪悪な気にとりつかれたある物品が……。
「……とても強大な悪しきオーラがここから立ち上っているわね。……その本来の姿を見せなさい!」
 瞬間、怪盗¢ルージュのその手が光ったかと思いきや、¢ルージュが邪悪なオーラで満ち溢れていると言ったそれが、本来の姿を現した。
「怪盗¢ルージュ! 今日こそは逃がしはしないぞ! ――なぬっ、なんなんだアレは!」
 怪盗¢ルージュにとっては最悪のタイミングで、栗丘春樹が登場した。
「うーん、どう見てもアレは……刀、……日本刀だな」
 春樹の後方にいた相棒こと相崎祐人は、それを的確に言葉で表した。
 実際、祐人は日本刀を現物で見たことがある。というのは、棒切れを持たせたら空手有段者である祐人ですら圧倒されるほどの大剣豪(?)である隣家の月村綾香が、日本刀を用いて特訓しているのを目にしたことがある。
 本人曰く、「日本刀全力振り回し(改)」という特訓名らしい。
 思えば綾香は以前から、ともすると小学校時代から特訓は始まっていたのかもしれない。
 その特訓をごくごく普通の道端で行っているのを、祐人は幾度となく見たことがあった。当時の祐人は、それが悪いことなのかどうかは特に気にしてはいなかった。
 聞くところによると、偶然通りかかったストレンジャーがその肢体をスッパリ真っ二つにされるというあな恐ろしい噂が広まったりしたこともある。
 それよりも、綾香が今よりもさらに華奢な体で日本刀をフルスイングしていたことも、大いに驚くべきことではある。
 何はともあれ、相崎祐人はどうも日本刀というものを好ましく思っていなかった。
「答えろ、怪盗¢ルージュ! アレはいったい何なんだ」
 春樹はすでに常人の目でも見えるようになった、今も宙に浮かぶその怪しげな日本刀を指さした。
(栗丘Jrに……何で相崎君まで一緒にいるのよ……)
 無言のまま立ち尽くす怪盗¢ルージュ。
 しばしの回想を終え、現実に戻ってきた祐人が目にしたのは、そういった状況であった。
 怪盗¢ルージュとの距離は極めて近く、すぐにでも捕まえることができそうな距離ではあったが、祐人たちは目の前に滞空する悪しき日本刀に目が奪われていた。
「おいおい、何なんだアレは! 自然に浮かんで……勝手に動いて……こっちに向いて……げっ!」
 その日本刀は、ごくごく自然な動きで祐人たちのほうにその刃が向けられた。
 春樹はすでに混乱状態に陥っている。普通では考えられない現象が、目の前で起きているので、当然といえば当然である。
 しかしながら、祐人はというとこれといって特に驚いた様子ではなかった。どうしてか、不思議な感覚に身を包まれている。
 次の瞬間、祐人にはどうにもいやな予感がした。こういった時の祐人の第六感は非常に優れている。
 実際、それは的中することになる……。
「……!? あ、危ない!」
 その切っ先が光り、切れ味抜群と思わせる日本刀の刃が、祐人たちの方に向けられた直後には、それはこちらに向かって勢いよく突きかかってきた。
 それこそ凄腕の剣豪が間髪を容れず神速の突きを与えるがごとく。
「きゃあああっ!」
 女性の悲鳴。無防備な怪盗¢ルージュへとその日本刀は突き進む。
 かろうじてワンテンポ早く身構えていた祐人は、すかさず横飛びになった。
 瞬間、彼女が立っていた位置を、それは悠然と通り過ぎた……ように見えた。
「あ、相崎〜!」
 春樹は大きく叫んだ。彼の目からは、怪盗¢ルージュを庇って飛び込んだ祐人の身体を、その刃が貫いたように見えたからだ。
 ……暗闇の中なので、そのように見間違えても仕方のないことであった。
「……おいおい、人を死にかけの兵士に呼びかけるように呼ぶなよ」
 特にいつもと変わらない祐人の声。祐人は、怪盗¢ルージュに覆いかぶさった状態から、体を少し起こした。
「おーい、栗丘、怪盗¢ルージュを捕まえたぞー」
 そう言った祐人は、平然と怪盗¢ルージュの手首をつかみとっていた。
「それよりおまえ、大丈夫だったか?」
 呆然としている春樹をよそに、祐人は¢ルージュの正面に向かい合った。それも、そのままの状態で……である。
 おそらく祐人の瞳には、怪盗¢ルージュの素顔が映し出されていたことであろう。
「……? お、おまえ……」
 祐人が思案顔で¢ルージュの顔を覘きこんだ時にはじめて、彼女は事態の重大さを悟った。
(……し、正体がバレちゃうじゃない!?)
 どうにかしてここから逃げ出そうとした¢ルージュは、無意識のうちに足をじたばたさせた。
しかしながら、祐人に都合が悪いことに、ちょうどその足が祐人の大事な部分を蹴り上げる形となった。
「☆☆☆」
 意味不明の言葉を発した祐人はあっさりとその手を離し、あまりの痛みにのたうちまわった。
「セフィドヴァンカルム……」
 すかさず立ち上がった怪盗¢ルージュは俯き加減に静かにつぶやいた。どうも少々赤面しているようである。
 その言葉の後、すぐさま彼女の体は突如吹き荒れた風に包まれ、その姿を消し去った。
「くそっ! 逃げられたか……」
 春樹は地団駄を踏むと、すぐに転げ回る祐人のもとに駆け寄った。
「……急所に会心の一撃……相崎死す……ってか?」
 祐人は春樹に痛々しげな笑みを浮かべた。
「動けそうにない……か?」
「当分な。……栗丘、おまえはあの訳わからん日本刀と彼女を追え!」
 突然にも祐人&春樹の(名)コンビの解散の時がやってきた。……しばし黙考する春樹。
「……わかった。なら俺はそっちを追う! 相崎、俺に一つ策がある……」
 そう言って、春樹は祐人に自分の考えを説明した。
相崎祐人は了解とばかりにゆっくりと首を縦に振った。
「なら、俺は行く! 待ってやがれ、怪盗¢ルージュ!」
 春樹は気合十分に走り去った。よって、今この場には、相崎祐人ただ一人しかいない。
 祐人には思うところのことが一つあった。
「怪盗¢ルージュって……あれはでも……」
 少し痛みが和らいだ祐人は、体を大の字にして寝転がった。春樹に与えられた任務を実行するつもりではある。
 しかしながら――、
「とりあえず……疲れたから休むか……」
 こうして、相崎祐人はしばし戦線離脱することになった。



 まったりパークの事務オフィスの三階には、社長の特別室が設けられている。
 現在、その特別室には二人の人物――一人はその部屋の主である社長と、もう一人は矢吹俊也という少年。二人は部屋に設置されている大型のモニターを眺めていた。
 そのモニターには、お化け屋敷内にいる祐人たちの様子が映し出されていた。
 怪盗¢ルージュが去り、春樹が去り、そして祐人がその場に大の字になった。
「矢吹君、あなたのお友達を少々危険な目に遭わせたかもしれません」
 申し訳なさそうな社長の表情。どうやら心から反省してるようである。
「いや、そうそう危険なものではなかったでしょう。あいつなら大丈夫だと思っていました」
 矢吹が言うあいつとは、他ならぬ相崎祐人のことである。
「それにしても、あのような日本刀をお持ちになっていたとは驚きです。かなりの名刀だと思われますが……」
「ほっほっほ、そんなにたいした物ではありませんよ。いやぁ、私にとっては、このまったりパークも自分の家のようなものでしてね。ただ、偶然その日本刀がお化け屋敷に置かれていた……そういうことですよ」
 誰が聞いても反論しそうな社長の論理ではあったが、矢吹は納得したようにうなずいた。
「……さて、オレはそろそろ帰ります。あとは事が想定通りに運ばれるでしょう」
 矢吹は扉の前まで歩くと、そこで一度社長へ振り返り頭を下げた。
「それでは社長……いえ……校長。それではこれで」
 それだけ言い残すと、矢吹は部屋をあとにした。
 その後、社長は実にしてやられたというような顔をしていたが、それでも穏やかな表情。彼の陽気な性格が滲み出てきそうでもある。
「ほっほっほ。あまりここではそう呼んで欲しくないものですね」
 まったりパーク社長兼、県立聖城高等学校長こと飯尾匡は一際にこやかな笑みを浮かべた。



 例の悪しき日本刀は、お化け屋敷を抜け、滞空したまま、対怪盗¢ルージュ警戒態勢の警官たちの上空を飛び越えていった。
 次々に叫ばれる警官たちの驚愕の声。
「落ち着けおまえら! とりあえず、アレを追え!」
 冷静さを保っている栗丘警部は的確に指示を与えた。
 栗丘警部は外見以上にキレのある人物である。まぁ、怪盗¢ルージュの操る風の力をたびたび見せつけられては、宙を飛ぶ日本刀を見たところで、動揺の程度が下がるのも無理はない。
 しかしながら、経験不十分な警官たちは戸惑うばかりであった。
 周囲の視線は、ほとんど上空の空飛ぶ日本刀に向けられている。
 それを利用して、怪盗¢ルージュは地を走っていた。その遠く後方には春樹が疾走していたが、風の能力を加えた¢ルージュの速力には、到底ついていくことができなかった。
 対して、日本刀の行方はというと、それはさらに上空に上がり静止した。
 ちょうどその場所は、まったりパークでの一番人気のアトラクションがあるところだった。
 そのアトラクション名は「決戦! メテオギガンティックコースター」と、大きく書かれた看板が目立っている。何が「決戦!」なのかは、あえて触れないことにしよう。
「あ、あんなところに……。待ってなさい、すぐに捕まえるからね」
 怪盗¢ルージュは気合の一声とともに、夜空に風が舞い上がるかのように、その体を宙に浮かせた。
 地上何十mもの高さに滞空しているその日本刀を捕まえるべく、どんどん高度を上げていく。
 ¢ルージュは地面を見下ろした。もう、かなりの高さにまで上がってきている。ふと、栗丘春樹の姿も見つかった。
 何やら下から叫んでいるようであるが、ここまではその声が届いてこない。
「よし、さっさと終わらせちゃおうかな」
 それと同じ高度まで達した怪盗¢ルージュは、その標的に向かって両手を広げると、そこに意識を集中させる。
「さっきと同じ手にはひっかからないからね!」
 その両手から放たれた突風により、その日本刀はもはや動きを封じられたに等しかった。それに続くような形で今度は、その両手からまばゆい閃光が放たれた。
「……ふぅ、任務完了ね」
 しばし後、閃光の中から再び現れたその日本刀は、もはや先ほどまでの悪しき力はすでに消滅していた。本当の意味での名刀に戻ったのである。
 しかしながら、その力を失った日本刀は、重力にまかせて落下を始めた。
 このまま見過ごしたら大事になりかねないので、¢ルージュはそれを掴もうとした。
「……!? い、意外と日本刀って重たいわね。こんな重たいものどうやって振り回せるのかしら?」
 些細な疑問を抱きながら、どんどんと地面へと降りていく。ただ、このまま真下に降りてしまったら、みすみす警察に捕まえてくださいと言っているようなものなので、あらかじめ考えておいた逃げ場所へと向かった。
「待て! 逃げるな! 怪盗¢ルージュ!」
 声のした方向見ると、春樹が大きく地団駄を踏んでいた。
(……お、重い……)
 怪盗¢ルージュは、日本刀の重みに耐えるのに必死なようで、速やかにその場所へと向かった。


 栗丘春樹は全力疾走した。
 怪盗¢ルージュを捕まえるために、全力を出した春樹ではあるが、決して春樹の走力は遅いわけではない。むしろ速い方だ。
 しかしながら、普通人ではやはり限界というものがある。
 「決戦! メテオギガンティックコースター」までもうすぐで辿り着くというところで、春樹は¢ルージュが宙に浮かぶのを目撃する。
 もはや空という領域は、人にとってはお手上げである。
 春樹は真下から¢ルージュを見守るしかなかった。
 危険な臭いをプンプン漂わせる例の日本刀は、大変危険視していたので、栗丘春樹は彼女の安全を心配した。
 しかし、その心配も杞憂に終わり、怪盗¢ルージュは速やかにまったりパークから離れようとした。
「待て! 逃げるな! 怪盗¢ルージュ!」
 春樹は大きく叫びはしたが、¢ルージュは一瞬こちらを振り向いただけであった。
「おやぁ、また逃げられましたか、探偵の栗丘Jr殿」
 振り返ると、タバコを口にくわえたまま、栗丘警部がゆっくりと歩いてきた。
「うるせぇ! 俺も全力で走ったが無理だったんだよ」
 皮肉いっぱいの栗丘警部の言葉に、春樹は大きく憤慨した。ところが、栗丘警部の様子は変わることなく、むしろ真面目な面持ちになった。
「ところで息子、さっきのアレはいったい何だったんだ?」
 さっきのアレとは、やはり例の日本刀のことであろう。そのせいで警官の混乱が起きて、結果的には統率がとれなくなったのである。
「俺にもわからねぇ。……ただ、一つだけ言えることは……普通じゃねぇってことだな」
 春樹の言葉に、栗丘警部はなんともいえない表情をして、タバコの煙を一つ大きく吐き出した。
 それでも、絶望に陥ったりしない力強い目の光。
「そうだな、普通じゃないかもしれない。でもな、アレはともかく、怪盗¢ルージュが人間であることに変わりはない。だったら、捕まえることも不可能じゃない」
 そう言って空を見上げ、再び煙を吐き出す。そんな警部の横顔からは、どこか懐古の念が感じられた。
「……今度こそ……な」
 その声は春樹の耳には届かないぐらい小さいものだった。
 反対に、春樹はというと、割合にさっぱりとした表情をしていた。
「次……次だ! 次こそは必ず怪盗¢ルージュを捕まえてみせる!」
 春樹の顔は悔しさに満ちてはおらず、目には希望の光が残っている。誰かに何かを託すかのように、春樹は空へと視線を投げかけた。
「へっ、今日もまだ終わったってわけじゃねぇ。……相崎、後は頼んだぞ」
 春樹は相棒に向けて一言ささやいた。
 その横では、栗丘警部が色々と話しかけてきたが、春樹は静かに首を横に振った。
 相崎祐人&栗丘春樹の名(?)コンビは、まだ解散してはいなかったのである。



 日はすでに没し、夜の闇が広まっていく。辺りはどうも強風が吹きすさんでいた。
 古びた新テーマパークこと「まったりパーク」の照明が助長して、そこを出てすぐそばにある、割合に小さい公園の存在感を大きくした。
 と、一際強い風が吹いたかと思うと、その公園の木々を大きく揺らした。いや、揺らしただけではない。その風とともに、人影のようなものが降りてきた。
 直後に、その降下場所からまばゆき光が放たれた。その公園に降りたった者の正体は、怪盗¢ルージュであった。
 まったりパーク一番人気のアトラクション「決戦! メテオギガンティックコースター」で、例の日本刀との決着をつけた¢ルージュは、あらかじめこの公園に立ち寄った時に、ここを逃げ場にしようと決めていたのだ。
 しばし後、その公園の茂みの中から、一人の少女が姿を現した。
 きれいな黒髪をポニーテールにしたその少女は、今日祐人たちとともに時を過ごした春日野百合花嬢その人であった。
 百合花は周りに十分気を配りながら、慎重にその茂みの中から出てきた。こんなところを目撃されるわけにはいかないのである。
 なので、彼女は細心の注意を払ったつもりだったのだが――、
「よっ、どうしたんだ、こんなところで」
 後方から男の声が聞こえた。誰もいるはずがないと思い振り返ってみたが、普通では気づかないような暗い茂みの中から、一人の少年が姿を見せた。
 その少年は百合花の見知った人物、いや、今日初めて話をしてまったりパークでともに遊んだ、相崎祐人という少年であった。
「相崎君こそ……こんなところでどうしたの?」
 もしかしたら、自分の正体がバレてしまったのではないかという不安を抱え込みながらも、百合花は極めて冷静を装った。
「オレはここで君を待っていたんだ」
「…………」
 百合花の沈黙。祐人は構わずに言葉を続けた。
「さっき会ったよな……お化け屋敷で……」
 祐人のその言葉に、百合花は一瞬驚いたような表情をした。
「お化け屋敷なんて行ってないわ。わたしは佳奈ちゃんたちと一緒に帰ったし。ただ、偶然ここを通りかかっただけよ」
 あくまでいっさいを否定する百合花ではあったのだが、祐人はそれに屈した様子はない。
「……そんなことはない」
 祐人は一歩百合花に近づき、彼女の顔をまじまじと眺めた。
「ああ、まちがいない」
 相崎祐人の意外な特徴の一つは、人並みはずれた視力を持っていることであった。
 だから今、祐人が百合花の顔を覗き込んでみた時、ある一つの自信が確信へと変わった。そして、これを言葉にしようと、祐人は口を開いた。
「……怪盗¢ルージュって……おまえのことだろ」
「…………」
 一瞬、二人の間の時間が凍ったように思われた。しかしながら、それはわずか数秒の沈黙であった。
 平然とする祐人に対して、百合花は額に汗を浮かべ、明らかに動揺しているようである。
「……ち、ち、違うわ……わたしは怪盗¢ルージュなんかじゃない!」
 首を左右に強く振り否定したが、祐人はまったく納得したような顔をしなかった。
「本当はそんなこと言って、¢ルージュなんだろ?」
 祐人は先ほどよりも和らいだ口調で、百合花にもう一度尋ねた。
「ち・が・い・ま・す!」
 百合花は少々怒気を込めて強く言った。しかし、内心では動揺を隠しきれなかった。
 祐人はというと、少し困惑した表情になった。
(……か、隠し通せたかな?)
 百合花はおそるおそる祐人と顔を見合わせていると、なぜか祐人はおかしそうな表情を浮かべた。いや、それはむしろ余裕の表情であったのだ。
「なら……それは何なんだ?」
 祐人は、百合花がその両手に持っていたある物を指さした。
「……あっ! ――し、しまった……」
「その手の日本刀を、いったいどうやって説明するつもりなんだ?」
 百合花は痛恨のミスを犯してしまった。手にした日本刀を公園の茂みの中にでも捨てておれば、なんとか言い逃れができたかもしれなかった。
 だが、そのような危険なことは、百合花にはできなかったのである。それがチェックメイトの原因であった。
 途方に暮れた百合花は、手の力が抜け、彼女が手にしていた日本刀が地に落ちて、静寂な空気を少し揺るがした。
 百合花は顔をうずめたまま黙りこくっている。その肩は不安からかどうか、震えていた。
 祐人は彼女を見ていると、なぜか軽い罪悪感に苛まれた。
 相崎祐人はお化け屋敷にて再起不能状態になっている時、栗丘春樹から作戦の内容を説明してもらった。
 それは、春樹はこのまま逃げた怪盗¢ルージュを追い、祐人は春樹があらかじめ推理した怪盗¢ルージュの予想逃走ルートに従い、この公園で待ち伏せをする、といったものだった。
 しかしながら、祐人はお化け屋敷で¢ルージュと接触した時に、彼女の顔を割合にはっきり見た。その時に、春日野百合花が怪盗¢ルージュなのではないかという疑問を抱いた。
 そして案の定、祐人のその疑問は的を射ていたのである。
 それにしても、沈み込んだ表情の百合花を見ていると、自分が彼女を傷つけたのではないかという気がして、祐人にはそれは具合が悪いことだった。
 そもそも、祐人は怪盗¢ルージュを捕まえようとしていたわけではない。矢吹の誘いで、嫌々付き合ったにすぎなかった。
 春樹とのコンビのことがあったが、それはもう解散したと、祐人は自分でそう納得することにした。
「……あのさ……」
 祐人はたいそう優しく語りかけようとした。
「……オレは君を傷つけるつもりは毛頭ない。ましてや、捕まえようとなんて考えてもいない。君が望むのなら、オレは今日あったことは自分の心の内にだけしまっておくさ」
と、顔をうずめたままだった百合花が祐人の顔を見上げた。
祐人はどうにも複雑そうな表情で、手で額をポリポリとかいていた。相崎祐人は困った時や考え込んでいる時、よくその仕草をすることがある。
 つまり、裏を返せば、それだけ百合花のことを真剣に考えていたということだった。
「……で、でもな……」
 祐人は背けた目を百合花の方に向けた。
 百合花は彼の目が真剣そのものであり、決して嘘などついていないように思えた。
「もし君が何であるにしても……オレは絶対に誰にも言わないよ」
 祐人はそう言って優しく微笑んだ。
 そんな祐人の顔を見ていると、百合花は彼になら自分の秘密を話してもいいかもしれないという気持ちが、不思議にも湧き上がってきた。
「あ、あの……」
 百合花は小さくつぶやいた。
小さい声ではあったが、祐人にはわずかに聞こえてきたので、彼女の言葉に耳を傾けた。
「……あなたに……秘密を……」
「えっ?」
 途切れ途切れにしか聞こえてこなかったので、祐人はそれを聞き返した。
 今はもう百合花の表情は沈んでおらず、何かある決心がついたような表情をしていた。
「あなたに、わたしの秘密を話します」
 祐人はふと、彼女には沈んだ顔などは到底似合わないように思った。
 はっきりした、透き通るような声。祐人は無言のまま静かに首を縦に振った。
 それを見た百合花は、緊張が解けたように、一度かわいらしい微笑みを浮かべた。
 さすがの祐人も、「大和撫子スマイル」に少し顔を赤らめていた。
 百合花は一つ息を大きくつくと、ゆっくりと口を開くのであった……。



   5

「祐人遅い!」
「まったく……どうしてちゃんと起きられないんですか、兄さん……」
 朝。相崎家の玄関前。
 イライラしながら待つ綾香とあきれた表情の佳奈。
 そんな二人の前に、祐人は急いで現れた。
 例のように、寝坊癖のある祐人は、佳奈に叩き起こされたのであった。
 昨日に続いて、今日も良く晴れた天気である。今日は、聖城高校において合格者入学説明会たるものがあった。
 なので、祐人と佳奈と綾香の三人は、聖城高校に赴くことになった。
「昨日は楽しかったね」
「まぁ、どちらかというと楽しめた方になるかな」
 佳奈と綾香の一歩前を歩いている祐人は、二人の話を聞いているうちに、昨日の出来事が鮮明に思い出されていった。
 中でも特に、怪盗¢ルージュとの一件が、大いに印象的であった。



 夜の公園で、相崎祐人と春日野百合花は二人きりであった。
 古びた新テーマパークこと「まったりパーク」のすぐそばにある公園で、祐人は怪盗¢ルージュを待ち伏せしていた。
 その時すでに、祐人は怪盗¢ルージュの正体が、春日野百合花なのではないかという疑問を持っていた。
 結果的に、百合花は祐人を信用して、彼に自分の秘密を話した。
 それは祐人にとって、にわかには信じることができなかった。だが、百合花が嘘をついているとは決して思えなかったので、祐人はそれをすんなりと信じた。
 大まかなところの百合花が話したことをいうと、まず彼女、春日野百合花が怪盗¢ルージュであること。そして、彼女が風を自由に操れる能力を持っているということ。また、その力を利用して、そこかしこに散らばる陰の力、つまり悪しき気の呪除を行っているということだった。
 祐人は彼女と話していて、彼女が好き好んで怪盗などやっているのではないということを理解した。
 それに、彼女に泥棒意欲など微塵も感じなかった。それは彼女、春日野百合花と話したことがある人間なら、誰もがわかることであろう。
 彼女は決して悪い人間ではないということを……。
「……まぁ、話はそんなところかな」
 振り返った百合花の後姿を祐人は眺めた。すぐ隣にある、まったりパークからの照明が、彼女の後姿を照らし出す。
「わたしのことどう思った? ……変だと思ったでしょ」
 祐人は百合花のその後姿が、先ほどの彼女の沈んだ表情の時と同じように思えた。そんな彼女は似合わない……と思った。
「そうだな……絶世の大和撫子って呼ばれる女の子なんだから、そうかもしれないな」
 それは、祐人の本心からの言葉。祐人が、少しおどけた感じで言ってみせたのは、はっきりと百合花が普通の少女である(絶世の大和撫子ということを除いて)と言うのが、どうにも恥ずかしかったのだ。
「……ふふっ、ありがとう♪」
「そうか……お釣りはいらないよ」
 あまり意味のわからない祐人の言葉に、百合花はおかしそうに笑みをこぼした。
 それにつられてか、祐人も口元に少々笑みを浮かべていた。
 そんなこんなで、祐人と百合花はシリアスな話をしていたのだが、それも程々に、二人はしばらく公園のベンチに座って話し合った。
 祐人は初めてとは思えないぐらいの雰囲気で百合花と話すことができた。
 こうして二人で話す限りでは、百合花に関する色々な噂は、やはりただの噂に過ぎないように思われた。
 そんな彼女が時折見せる、少し怒ったような表情も、祐人は少しかわいいかもしれないと思った。
 そして、早送りするかのように時は過ぎ、気づけば祐人は相崎家の玄関前に立っていた。
 結局、今夜の夕飯は食べていない。祐人は自分の空腹が、現実を生きている証だと思った。矢吹には逃げられてしまったので、次に会った時の仕打ちを考えながら、祐人は我が家へと入っていた。
 その夜、相崎祐人は夢を見た。
 いや、実際は夢か現実かのどちらかは、はっきりとはわからなかった。ただ、それが夢だと思ったのは、自分が空を飛んでいたからだ。
 その夢はあまりに現実味に溢れるものであった。
 上空から見下ろす夜景は、祐人が見慣れた町並みのそれのように思われた。
「……どうかしら? ここから見下ろす町の風景は。わたしは好きだなぁ」
 不意に声が聞こえてきた。
 祐人は声のした方を向くと、その視線の先には一人の少女。気づいたことに、少女が祐人の手をしっかりと握りしめていた。
 そして、祐人も無意識にその握力に答えていた。
 その少女は、上は白い薄マントに黒の衣装。下は短めのスカートで、どことなくその少女が舞台に立つ姿が想像できそうである。
 祐人は、その少女が誰か知っていた。
「……怪盗……¢ルージュ……か、春日野?」
その祐人の言葉に、少女はこちらを向き優しく微笑んだ……ように思えた。というのは、ちょうどタイミング良くこの時になって、相崎祐人の夢の世界は終わりを迎える。
 現実に引き戻してくれるような激痛を以って……である。つまりは、相崎祐人は例のごとく、佳奈によって重量3kgの健康危具を投下されたのであった。



「……オレって夢遊病なのか……」
 昨夜の出来事を回想していた祐人は、ふと思いあった節を口にした。昨夜見た夢と思われるものは、あまりにもリアリティがありすぎた。
「はぁー、寝坊の上に夢遊病? まったく……あきれてものも言えないわ」
 口ではそう言うものの、綾香は少し心配そうな顔をしていた。
「兄さん……しっかりしてよね」
 佳奈も同じような表情。
 祐人はどうも体調が全快ではなかったが、家で寝込むようなものでもなかった。
 今日は合格者入学説明会が聖城高校で行われることもあり、聖城高校に近づくにつれて、ちらほらとそれらしい人が見え始める。
 両親とともに歩いているものもいれば、友人たちでのグループで歩いているものもいた。
 相崎祐人も佳奈と綾香を隣に、桜並木の道を横一列で歩いていた。
「おはよう♪」
 祐人たちの背後から、聞き覚えのある声がした。
「百合花ちゃん」
 佳奈は後ろを振り返ってその少女、春日野百合花に答えた。綾香の方も親しげに話している。
 どうやら昨日の一件で、すっかり仲良しになったようである。
 祐人は、佳奈たち三人が話しながら歩いているその後ろに続いた。
 そうして、桜並木を歩いていく。
 祐人は佳奈たちと話しをする百合花の後姿を眺めながら、もう一度昨夜のことを考えた。
 にわかには信じられないことであったが、祐人はあっさりと信じた。
 もう一つ祐人にとって気がかりなことは、例の夢だった。一度、百合花本人に聞いてみようかと思っていると、突然当の本人がこちらの方を振り向いた。
 気づくと、祐人たちはもう聖城高校の正門前まで足を進めていた。
「春日野……どうした?」
 祐人は百合花の顔を見て言った。
 百合花の後ろには、佳奈と綾香とは別の少女の姿が何人か見える。おそらく、彼女の友人であるのだろう。
 きれいな黒髪のポニーテールが特徴である百合花は、「絶世の大和撫子」と呼ばれるだけのことはあり、正門を通り過ぎる人――たいていは男子だが――が百合花の顔をチラッと眺めては、少し顔を赤らめ、それでも幸福そうな顔をしていた。
 そのように、周囲の視線を集める中、百合花は知ってか知らずか、祐人のそばまで自然と歩く。
 そのままさらに顔を近づけたかと思うと、祐人の耳に自分の手を覆いかぶせるようにして、こっそりと彼に耳打ちした。
「……空の旅、楽しめたかな?」
「……ええっ?」
「ちゃんと秘密は守ってね」
 それだけ言うと、百合花は一歩二歩と歩き出した。
 祐人は百合花の息が自分の耳にかかったことにやや頬を赤くしながらも、今の彼女の言葉を反芻してみたが、どうにも祐人には腑に落ちないところがあった。
「……お、おい……春日野――」
 祐人は最後まで言葉を続けることができなかった。すかさず振り返った百合花は、何かを提案するように、右手のひとさし指を上に伸ばした。
「――百合花でいいよ、祐人君♪」
 祐人が口をパクパクとしながら唖然としていたのに対して、百合花はというと、いわゆる「大和撫子スマイル」を炸裂させた。
 以前よりもスマイルレベルが上昇したのかもしれない。それには理由がある。
 百合花は、ただ笑顔を浮かべたというわけではない。相崎祐人という一人の少年のための笑顔であった。
 と、祐人はあることに気がついた。
 先ほどよりもいっそう、周囲が騒がしくなっているのだ。それに、自分に向けられた怒りと嫉妬を含んだ、突き刺さるような視線。
 それには百合花も気づいたらしく、苦笑いをしていた。
 それを真似て、祐人も愛想笑いを浮かべていたのだが――、
「……っ! ……ぐぐっ」
 突然にも、祐人は後ろから襟首をつかまれて呼吸に苦しんだ。
「……げっ! 佳奈……綾香……」
 相崎祐人はどうも嫌な予感に襲われた。
 たいていこういう予感は的中する……無念なことに。
 まぁ、佳奈と綾香が体から滲み出るような怒りのオーラを発散させているので、祐人以外の人でも、簡単に気づきそうなものである。
「兄〜さん! ちょっと付き合ってもらいましょうか」
「そうね……じっくりと問い詰めないといけないわね」
 佳奈と綾香の強大な威圧感に、祐人はたじろいで後ずさった。
「お、おい春日――ゆ、百合花、二人を何とかしてくれ」
 泣きすがるぐらいの勢いで、祐人は百合花に懇願した。
 春日野と呼ぼうとしたら、百合花がムッとした顔をしてきたので、祐人は言われたように下の名前で呼ぶことにした。
 実際、少し恥ずかしかったが、今はそんなところにまで気持ちがいかない。
「えーと……ごめん」
 祐人に絶望的なことに、百合花までもがお手上げらしい。
『さぁ、覚悟はできてるわね』
 佳奈と綾香が異口同音に低い声をあげた。
(……ははっ、これは昨日の日本刀よりも……すさまじいプレッシャーだな……)
 祐人にはもはや抵抗する力が残ってなかった。まさに、蛇に睨まれた蛙である。
 佳奈と綾香の後ろで、あどけない顔で詫びを入れる百合花のその微笑みだけが、祐人にとっての唯一の仏であるように思われた。
 聞くところによると、この後軽く小一時間は、祐人の不正に対する査問会が、佳奈と綾香によって開かれたという。



(第三話「……あなたに……秘密を……」 終)



[あとがき]

 まず、はじめに、無事に三話が完成したことを喜びたいと思います。それにしても、当初二万字ほどで終わる予定だったのですが、終わってみれば三万字。実に1.5倍増しになってしまいました。あともう一つは、その三万字を忙しい中わずか一ヶ月で書き上げたということです。作品の質は二の次にして、このことはやや自画自賛です。
 さて、では次に内容についてのコメントを。前回に予告したとおり、今回はみんなで遊びに出かけるという話になりました。それと、今回のメインは「絶世の大和撫子」こと春日野百合花嬢でした。春樹と百合花を密接にするという案も浮かびはしましたが、結局は、やはり主人公である祐人がいいだろうという結論に落ち着きました。
 続きましては、最近の私の近況としましては、先日2003年10月10日についに発売されたLOVERS。これに見事にハマりやり込んだわけでありますが、不幸なことに私のPCが逝ってしまったのです。当然のことながらデータも全部消えてしまいました。なお、立ち直るのには三日かかったとか。
 特にネタがないので次回の予告を少しして終わりにします。第四話は、合格者入学説明会から、要するに第三話の続きの話になる予定です。ついに、学校を舞台にして、事件が起こりそうな予感がします。あと、第四話は、できれば入学式までの最後のステップにしたいと思っております。
 ではでは、このへんで。
 次回が存在したならば、「祐人ともに、希望(ゆめ)の世界へパルティール!」。


2003年10月30日

著者 YUK(ユーク)



(YUKの現在の一言)

 この「それでも最後はハッピーエンドで!?」の三話を執筆したのは上記のとおり2003年10月末。そして、思えば今は2005年10月末。

 ――あれから、2年

 改めて読み返してみるとなんだか不思議な感じがしました。
 この話しを読んで少しでも何かを感じて頂ければ、書いた甲斐があるというものです。
 これからもぼちぼちがんばっていく所存です。
 ではでは、この辺で。
 
2005年10月27日

YUK