第五話 『――さよならは……言わないよ……』
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1
春分の日はまだもう少し先のこともあり、やはり日が沈むのが早い。すでに日は暮れて、辺りには薄闇が漂いはじめていた。
こうも暗くなるのが早くては、遊び盛りの子供たちは、満足に遊びきる前に、家に帰らざるを得なくなるだろう。
近くで子供たちの声がする。どうやら別れを告げたようで、二手に別れた子供たちの一方が、少年の前を通り過ぎていく。
その少年は、すでにその場に三十分ほど立ち尽くしていた。人を待っているのだ。帰ってくるはずの少女を……。
その少年の横には、「相崎」という表札が見える。その隣の家には、「月村」という表札があった。
少年、相崎祐人は今、限りなく途方に暮れている状態である。
「……兄さん、綾香ちゃん帰って来ないね……」
祐人の後方に、セミロングの少女の姿があった。祐人の妹、といっても義理ではあるが、相崎佳奈という少女である。
「遅いな……。寄り道でもしてるのかもしれないな」
祐人は自分に言い聞かせるように言う。
現在、とある理由により、相崎家では祐人と佳奈、あと幼なじみである隣の月村家の長女綾香と、次女菜々香の四人で暮らしていた。
今日は朝から、祐人は佳奈と綾香の三人で、先日合格した学区内で平行三校と呼ばれる進学校である聖城高校において、合格者入学説明会があるということなので、行くことになった。
合格者入学説明会は滞りなく終わるが、問題はこの後発生する。
部活動が盛んな聖城高校では、文化系の部活においても数たくさんある。しかしながら、数たくさんあるわけではなく、それらの部の中には、普通に学生生活を送っているだけでは、知ることすらないような部も実際に存在する。
その中でも特に際立った存在が、フィーンドレクイエムである。
祐人は半ば強制的にフィーンドレクイエムの予備部室である南校舎三階のある一室につれていかれた。そこで、フィーンドレクイエムの部長である波樹章二から、フィーンドレクイエムについて説明される。
そしてその帰り、事件は発生する。
北校舎の昇降口まで戻ってきた祐人たちではあったのだが、ふと、祐人は綾香の様子が変なことに気づく。聞くと、財布がなくなったようである。
フィーンドレクイエムの予備部室に忘れた可能性が、高いということで、取りに戻ることになったのだが、祐人と綾香の言い合いの末、綾香は一人走り去った。
祐人はすぐにでも追いかけたい気持ちであったが、佳奈たちを放っていくわけにもいかなかったので、祐人はこれを断念する。
それが祐人の後悔の原因になったわけだ。
薄闇が辺りに広がりはじめる夕刻になっても、綾香が帰ってくることはなかったのである。
「ねぇ、お兄ちゃん、どうしてお姉ちゃん帰って来ないの?」
菜々香が心配そうな顔で、祐人に尋ねた。
相崎家一階のリビング。そこにある四人用テーブルには、祐人と佳奈と菜々香が座っていた。しかしながら、綾香の席には座るべき人が座っていない。
「オレに言われてもわからん。もうすぐ何でもない顔をして帰って来るかもしれないだろ」
「でも……いつもならもう帰ってきているはずなんですけど……」
佳奈の言うとおり、綾香の帰りが遅いということは、明らかに珍しいことであった。なので、綾香の帰りが遅いことを三人が心配するのも、うなずける。
相崎祐人には、どうにも嫌な予感がした。口に出すことは決してしないものの、祐人は綾香の身に何かあったのではないかと、心配していた。
もし綾香の身に何かあったとしても、それには何かしらの原因があるはずだ。
祐人が必死に記憶をさかのぼって、思い出そうとしたのだが、なかなかこれといってピンとくるものがない。
「……あっ!」
と、佳奈が何か思い当たる節があるのか、両の手のひらをポンッと打ち合わせて、声をあげた。
「佳奈? 何か思いついたのか」
自分に考えが思い浮かばない分、自然と佳奈に期待がかかる。
「うん。一つだけあります。確か……フィーンドレクイエムの予備部室から帰る時、変な噂をしてませんでしたか?」
言われてみればそうであったかもしれない。確か……フィーンドレクイエムの一員で、祐人をつれていった張本人でもある瀬名原悠明と姫島琴美がそのことを話していたような気がする。
「佳奈……いったい何を話していたか覚えてるか?」
「ちょっとだけ覚えてるような気が……確か、南校舎で何か事件が起こったとか……」
南校舎といえば、綾香が財布を取りに戻ったのも、同じ南校舎だ。
「まさか……綾香がその事件に巻き込まれたってのか……?」
考えたくはないのだが、そう考えていくと納得がいく。
ガタッと音がしたかと思うと、菜々香が何かを決意したような表情で勢いよく立ち上がった。
「行こう! お兄ちゃん……お姉ちゃんを助けに!」
「う……ほ、本当に行くのか、菜々香」
面倒くさがりの祐人にとっては、今日一度行った聖城高校に再び赴くのは、非常にだるいことではあったのだが、綾香の安全がかかっているともなれば、天秤にのせる必要もなく決断できた。
「さっさと行って、綾香をつれて帰ってこようぜ」
祐人は立ち上がり、菜々香へと微笑みかけた。
「わたしも一緒に行きます。やっぱり家族四人がそろわないと、いけませんからね」
「やったー。佳奈ちゃんが来てくれるんなら百人力だね、お兄ちゃん」
菜々香は至って佳奈を褒めたつもりであったのだが、佳奈の顔には少し曇りがさした。
「そうだな、とても力強い味方だ」
「……どういう意味ですか、兄さん。……怒りますよ?」
佳奈を見ると、頭に怒マークを浮かび上がらせている。
「まぁまぁ、佳奈ちゃん。そんなにお兄ちゃんを怒らないで。……それよりも、聖城高校にレッツラゴー!」
菜々香はそう言って、景気良く腕を振り上げる。
佳奈も本気で怒っていたわけではないらしく、菜々香の元気っぷりを見て、顔をほころばせた。
かくして、祐人は佳奈と菜々香の三人で、聖城高校に向かうことになった。すでに日は落ち、薄闇が広まる中、祐人たちは進んでいくのである……。
夜の学校というのは、行きたくない場所だと思う人は、少なくはないだろう。普段、人が大勢集まる場所ほど、空虚になった時に不気味に思えるものだ。
また、夜の闇も、それに相乗効果を与えるであろう。
祐人と佳奈と菜々香が目の当たりにした、夜の闇に包まれる聖城高校は、その二つを同時に備えていた。
いや、しかしながら、聖城高校のすべてが真っ暗なわけではない。南校舎に関しては、完全に闇で覆われているようであったが、北校舎の一部には灯りがともっていた。
少年、相崎祐人は幼なじみの月村綾香を救出(?)するべく、聖城高校正門前にやって来ていた。
「へー、ここが聖城高校なんだー」
菜々香は珍しいものでも見るかのように、聖城高校を眺めている。
祐人や佳奈、綾香が聖城高校に合格してからというもの、自分も来年は聖城高校を受験したい、仲間はずれは嫌だ、と言っていたので、聖城高校を見て、自分の未来に思いを馳せているのかもしれない。
しかし、聖城高校にはそう簡単に入れないというのも、事実である。伊達に平行三校と呼ばれているわけではなかった。
「それじゃあ、綾香を探しにいくか」
偶然かどうか、聖城高校の正門には、鍵がかけられていなかった。祐人は中に入るのにもう少し苦労すると思っていたが、意外にもあっさり侵入することができたのであった。
聖城高校ほどの進学校なら、可能性は低いと思うが、万一不良にからまれたりしたとしても、その点は安心である。
祐人も佳奈も空手の有段者であるので、余程の強者が現れたりしない限り、祐人たちの相手にもならないだろう。
中でも、佳奈は祐人以上の強さであるかもしれない。かわいい外見からは程遠い強さを、軽いノリで告白してきた男子に、見せつけたこともある。
とにかく、二人が強いということは、確かなことであった。
北校舎一階の昇降口。
祐人たち三人は、真っ暗な昇降口をつっきり、中庭へと進む。
「お兄ちゃ〜ん、何だか夜の学校って怖いよ〜」
突如、祐人の腕が柔らかな感触を覚えたかと思うと、菜々香が目に涙を浮かべて、祐人の腕に抱きついてきた。
「お、おい菜々香、冗談はよせ。……顔が笑ってるじゃないか」
いよいよ南校舎に入ったというところで、菜々香は場の雰囲気を和ませようとしたかもしれない……が、
「……か、佳奈、どうしたんだ? 妙にそわそわして……」
見ると、どうも佳奈がぎこちなく怯えている。下手な演技にでもとれなくはないだろう。また、怯える様子に比して、頭には怒マーク。
「……あ、あのね……兄さん。……わ、わたしも……ちょっと怖いかな〜」
祐人は佳奈でも意外に怖がることがあるのかと思った。……そのセリフが棒読みでなかったのならば……。
とはいえ、返答のしようによっては、生命の危機に陥りかねない。
「佳奈……あと30cmほど、オレに近づけ」
多少は、いや、かなり恥ずかしかったが、これが今の最善策なのだろう。
「……えっ……に、兄さん……」
祐人の大胆な行動に、佳奈の顔は一瞬で紅潮する。この腕を組んで歩くという行動は、周りが暗闇で、目撃されることもないという状況が可能にしたのである。
「佳奈……何も言うな……オレだって恥ずかしい」
そう言う祐人の顔は、見るからに赤くなっていた。
佳奈も決して嫌そうな様子ではない。
「ふふっ、お兄ちゃんモテモテだね」
菜々香もどうやらこの状況を楽しんでいるようであった。
(……なんか、本来の目的と違うような気がするんだが……)
どうも何かモヤモヤについて考えようとしたその直後――、
「――誰だ、そこにいるのは」
校舎に響き渡る声。声からして性別は男。
その声は、ホラーでよくあるところの恐怖を引き起こそうとした声ではなく、聞き覚えがありそうな誠実な少年の声だ。
どんどんと距離が近づくにつれて、暗闇の中ではあったが、その姿がだんだんと見えてくる。
「……げっ!」
祐人はその少年の顔を見るや、思わず声を漏らした。
「……な、波樹さんじゃないですか」
佳奈はその人物の名をあげた。突然の出会いであったので、佳奈の声にも多少驚きが含まれている。
「……意外な場所で会ったね、相崎君。……夜の校舎でデートでも楽しんでいたのかい?」
あまり意外そうではない顔で、波樹と呼ばれた少年は、祐人と佳奈と菜々香が三人仲良く腕を組んでいるのを不思議そうに眺める。
この少年、波樹章二は数時間前には一緒にいた例のフィーンドレクイエムの部長である。
と、気になることには、波樹部長のすぐ後ろに、黒い影が一つ見える。誰かが後ろに隠れているのかと思い覗き込んでみると、祐人はそこにもう一人意外な人物を見つけた。
「はぁ〜、見つかっちゃったか……」
「……どうして波樹さんと一緒にいるんだ、亜紀?」
波樹部長の後ろに隠れていたのは、一人の少女であった。名前は尾谷亜紀という。
亜紀はアイドルでプリンセスな大和撫子である春日野百合花の親友であり、今日あった合格者入学説明会で知り合ったのだ。
祐人は、なぜ亜紀と波樹部長が一緒のいるのかが、まったくわからなかった。
「相崎君、僕たちのことは後においておくとして、どうして君たちがここにいるんだい?」
あと、波樹部長は付け加えて菜々香のことも尋ねた。
波樹部長なら綾香の居場所まではわからなくても、何か手がかりになることを知っているのかもしれない。
祐人は菜々香の紹介とともに、綾香が帰って来ないということを波樹部長と亜紀に話した。
事情を聞くや、波樹部長は思い当たる節があるのか、顎に手をあてて思考する。
「……これは、例の噂に関係することかもしれないな」
例の噂、祐人たちが聞きたかったのは、実にそれである。
「波樹さん! その噂を話してください」
真剣に頼みこむ祐人を見て、波樹部長は無言のまま静かにうなずいた。
「わかった、話すよ。この噂自体はそんなに複雑なものじゃない。むしろ単純なものなんだ」
そう話を切り出して、波樹部長はその噂とやらを話し始めた。
聖城高校は、創立七十年を超えるほどの伝統校である。七十年という月日の流れは果てしなく長い。
当然、その時間の中においては、良い事柄もあれば、悪い事柄も実際にあった。
もう、あれから五十年以上経ってしまった。
学校に怖い話というものは付きもので、聖城高校にもやはり、学園七不思議的なものが存在する。
だが、今から五十年以上も前に起こったその事件は、噂として学校中に広められることもなく、闇へと消えていった。
それは……双子の姉妹の悲劇。
その二人の名前は、神道桜花と神道桃花という。事件が起こったのは、彼女たちが高校一年の春のことであった。
当時、その双子の姉妹はともに比類ない美少女であり、学内でも人気が沸き起ころうとしていた……が、その矢先に事件が起こる。
少し強気な性格の姉の桜花に、人あたりの良い妹の桃花。突如として、この二人が世を去った。
いや、この時点ではどうにも結論を下すことはできなかったのである。
最後に桜花と桃花が目撃されたのが聖城高校内であったというだけで、それ以降は二人に関する情報は断絶してしまう。ともすれば、某国の拉致にあったとも考えられなくはないのである。
しかし、これでこの事件が終わるということはなかった。
事件がちょうど忘れ去られてしまったちょうど一年後に、聖城高校の某所から、驚くべきことに白骨が発見される。
この聖城高校は戦争の被災地でもあったので、そのよく似た二人分の白骨を双子の姉妹と断定することはできなかったのである。
そうして、なぜかそれ以来、この事件が表沙汰になることはない。
しかしながら、どうも最近になって状況が変わってきた。この聖城高校南校舎において、夜になるとどうにも出るらしかった。
ショートカットの少女とロングヘアの少女。その二人の少女が異なる時間の異なる場所で、別々に目撃されている。
情報によると、それは確かに人ではないものであるらしかった。
そして、気がつけばその噂が広められていた……ということだよ。
「だいたいの話はそんなところだよ。……それにしても、どうもこの南校舎には嫌な気が漂っているように思う。相崎君、君は何か感じないか?」
一通り話を終えた波樹部長は、祐人へと話を振る。
真剣に聞き入っていた祐人は、気づけば手には汗がひどく滲み出ていた。
「はい。オレも何か嫌な予感のようなものがします」
波樹部長の話でだいたいの事情はわかった。後は綾香がどこにいるのか、そしてどうやって助けるかが問題だ。
「相崎君、一度フィーンドレクイエムの予備部室に行ってみればいいんじゃないか?」
そう言った波樹部長の口調は、どうにも他人まかせなものであった。
「あの、波樹さんも来ていただけるんじゃないんですか?」
佳奈が波樹部長に尋ねる。波樹部長もついてきてくれるのなら、それだけ頼りになるものはない、と祐人たち三人は思っていたのだが――、
「……非常に申し訳ないが、それはできない……」
その言葉に、祐人は落胆を隠しきれなかった。佳奈も菜々香も同様の表情である。
「どうしてついてきてくれないんですか、波樹さん?」
祐人の問に、波樹部長は自嘲気味の笑みを浮かべた。
「……すまないね、相崎君。……実はこれからデートがあるんだよ」
そう言って、波樹部長は右手の小指を掲げてみせた。
『…………』
彼にしてみれば、場の雰囲気を明るくするための演出であったのかもしれないが、見事に大ハズレであった。
「……ははは、冗談だよ、冗談。ただ、用事があるということは本当だ」
バツが悪そうに波樹部長が苦笑する。
「まぁまぁ、そうがっかりしなくてもいいでしょ。この亜紀さんは一緒についていってあげるからさ」
亜紀は笑いながら祐人の肩をポンッと叩いた。
こんなところでぐじぐじしている場合ではない、早く行かなければ……。
「なら亜紀も一緒に来てくれ。早速行こう、綾香が心配だ」
祐人の言葉に、佳奈と菜々香と亜紀が力強くうなずいた。
こうして、祐人たち四人は南校舎三階、フィーンドレクイエム予備部室へと足を進めていくのである。
2
時は少し戻り、午後三時をやや過ぎたある一時。
聖城高校南校舎三階では、幾人かの話し声が聞こえる。そう、相崎祐人たちである。
だが、彼らはフィーンドレクイエムの予備部室前で少し話し込んでいたかと思うと、すぐにその声も聞こえなくなった。
(……何だ、もう帰ったのか)
と、一度南校舎三階に静寂が戻ったかと思いきや、しばし後、再び階段を上がってくる音が聞こえた。
どうやら、また誰かやって来たようだ。
それは一人の少女であった。先ほどの少女たちの内の一人である。
「……祐人の……バカ」
一言つぶやいたかと思うと、その少女、月村綾香はフィーンドレクイエム予備部室の扉を開けた。
(ふふっ、たった一人で何をしに戻ってきたのやら……)
少女、月村綾香は非常に心細かった。できることならあんな噂を聞いた後に、こんなところに来たくはなかった。
意外にも、綾香はお化けなど、その手のことは超苦手である。
「……こんなことなら、祐人に頼んでついてきてもらえばよかったかな……」
ここで綾香が一人でいるのには理由がある。財布を失くしてしまったのだ。
高確率で綾香の財布がこのフィーンドレクイエム予備部室にあるとの判断で、取りに戻ることになったのだが、少年、相崎祐人と綾香のもめ合いの結果、綾香が一人で行くことになったのである。
正直、少し意地を張りすぎてしまったのかもしれない、と綾香は後悔していた。どうも昔から祐人の前では、必要以上に意地を張ってしまうところがある。
「なんでかな〜?」
気づけば声に出してしまっていた。
と、しかしながら、今はこんなことを考えている場合ではない。
綾香の気持ちとしては、寄り道などせずに早く家に帰りたいという思いが強かった。祐人には寄り道をするといったが、それは真っ赤な嘘である。
「ないかな〜? 確かこの辺に置き忘れていたような……あっ!」
目的の物は、何の苦労もなく見つけることができた。
このフィーンドレクイエムの予備部室は想像以上に小ぎれいな部屋であったので、見つけ易いこともある。
「……よし!」
中身を確認するが、これといって特に異常はなかった。
さぁ、目的を達したなら、後は早く退散するだけである。今から追えば、祐人たちに追いつくかもしれない。それなら気が変わったとでもいって、一緒に帰るのもいいだろう。
そのようなことを考えながら、綾香が部屋を出ようとしたとき――、
「……誰っ! 誰かそこにいるの?」
突然、扉が開いたのだが、その前には誰もいない。部屋の外に出てはみるが、人の気配はない。
廊下を見渡してみても、誰も見当たらなかった。
「――っ!?」
突如として、綾香の背中に悪寒が走った。
「な、なに……誰かいる……の? あっ……頭が……ぼうっとしてきて……」
(……ふふっ、悪いけど、少し眠りについてもらうよ……)
意識を失う寸前、綾香はどこかから女性の声を聞きとった。……が、その次の瞬間には、力無く地面に崩れ落ちるのであった……。
「……祐人、ちょっとちょっと……」
見ると、少年、相崎祐人のすぐ後ろで、少女が手をこまねいている。
「どうしたんだ、亜紀?」
促されるままに、祐人は少女、尾谷亜紀へと近づいた。
聖城高校南校舎三階。幼なじみである月村綾香を探して、祐人たちはフィーンドレクイエムの予備部室前にまでやって来ていた。
祐人が側までくるや、亜紀は祐人の耳にそっと手を置いた。
「……祐人、ちょっと聞くけどね……あんた、百合花のことどう想ってるの?」
一瞬、祐人にはその質問の意味が理解できなかった。
「――なっ! お、おい、亜紀、いきなり何を言いだすんだよ」
「……かわいい、って思わない?」
「今はそんなことを言ってる場合じゃ――」
などと言いつつも、祐人の頭の中には、自然と少女、春日野百合花の姿が浮かんでくる。
知ってのとおり、春日野百合花は泣く子も黙る大和撫子である。ありていにいって、美少女である。そんな彼女の微笑みが頭の中で浮かびあがった祐人が口に出す言葉は、必然的なそれであった。
「……た、確かに……それは認める……かわいい……のだろうな」
意外に顔を赤くしながら、祐人は小さくつぶやいた……つもりだったのだが――、
「な〜にが、かわいいんですか、兄さん?」
どうやら丸聞こえであったようだ。
佳奈がムッとした表情でいるかと思えば、菜々香も不満げな顔をしている。
「さぁ、早速中に入るぞー」
「兄さん、ごまかさない!」
すかさず、佳奈は拳を祐人へと打つ。もちろんのことながら十二分に手加減をしている。
「――わかった、オレが悪かった。とにかく今は、綾香を見つけるのが先だろ」
その祐人の言葉には、佳奈も菜々香も亜紀も、ゆっくりと首を縦に振った。
祐人はそれを確認すると、予備部室の扉へと手をかける。
この扉の向こうに綾香がいる……かもしれない。その期待を一心に、祐人は扉を開け放った。
……祐人が見た室内は、先ほどと同じように閑散としたものだった。窓は開け放たれており、そこから冷たい風が流れこんできている。その窓の向こう側には、雲の合間に月が見え、その光も同時に差しこんできていた。
その月光のたたずむ中、一人の少女が立ち尽くす後姿を祐人は見た。
その手には、何か棒きれのようなものを握っている。
しかしながら、その少女は祐人たちが探していた少女ではなかった。その髪型、服装からも、この少女が綾香ではないということがわかる。
割合に長く伸ばしている髪は、綾香のそれとは違っていたし、さらに目を惹くのはその服装だ。神社で奉仕している女性、いわゆる巫女が着ているような巫女装束に似たものを着ている。
――と、祐人たちの気配に気づいたのか、その少女がこちらを振り返った。
冷静な表情で祐人たちを睨みつけるその少女は、端正な顔立ちをしており、少し目つきが鋭い。
少女の手にしていたものは木刀であった。
自分へと突きつけられた木刀を見た祐人の、この少女に対する第一印象は、剣道少女である。
その点で、ふと誰かに似ているというひっかかりがあった。
「……誰だ、おまえたちは……」
祐人たちよりも先に、剣道少女のほうが口を開いた。
「人に名前を尋ねるときは、まず自分からって知らないのか?」
平然と祐人は言い返したが、木刀を突きつけられているので、内心では少なからず恐怖していた。
この恐怖にも理由がある。どうもこうの少女、剣道少女という点で、今祐人たちが探している少女、月村綾香と似ているのだ。
あと、雰囲気そのものも、怒ったときに剣を手にした綾香に近いような――、
「成敗!!」
何の前触れもなく、その少女は凄まじい速さで祐人へと木刀を振り下ろす。
「――っ! おいおい、マジかよ……」
並の人間なら、あっさりと木刀の錆になってしまうほどの剣道少女の攻撃ではあったが、祐人はいろいろと綾香に鍛えられていたので、回避することができた。
「……おもしろい。貴様、なかなか腕がたつな」
臆することなく、むしろ興味深い目で、剣道少女が祐人を眺める。――が、その祐人の前に、一人の少女が立ちふさがった。
「……兄さんには手を出さないでください。相手ならわたしが代わりにします」
少女、相崎佳奈は祐人を庇う形で剣道少女を睨みつける。
「ほぅ、おまえが代わりに私の相手をしようというのか……」
剣道少女は佳奈へと木刀を突きつける。それに対して、佳奈も戦闘態勢に入った。
まさに、一触即発の状態。
二人ともが間合いをはかり、攻撃の機会をうかがう。やはり、剣道少女のほうが木刀を所持しているので、そのリーチは有利なものがある。とはいえ、佳奈も相当な腕前の持ち主なので、十分に勝機はあるだろう。
しかしながら、少年、相崎祐人には思うところのことがある。最終的にはどちらかに勝敗がつくのかもしれないが、それでは手遅れの可能性が高い。
まず、佳奈も剣道少女も怪我をすることはまちがいないだろう。佳奈はもちろんのことながら、この剣道少女が傷つくところも見たくはない。
この少女は、目つきは鋭いが、顔は割りと童顔である。身長も佳奈より幾分か低い。まぁ、見た感じはほぼ間違いなく、世間一般でいうところの美少女の類に入るだろう。
(さぁ……どうするかな……)
考えてもみたが、とるべき行動は一つしかない。いや、考えるまでもなく、祐人のとるべき選択肢はただ一つしか思い浮かばなかった。
「ストーップ! ケンカはよくない――」
佳奈と剣道少女の間に、祐人が割って入った瞬間!
「成敗!!」
「はぁぁっ、旋風脚(サイクロンキック)!!」
カチッと鳴った時計の長針の音を合図に、二人は互いに攻撃を繰りだした。
極限にまで相手に集中している二人は、当然のように祐人の存在には気づきはしない。
「ぐぼへはぁっ!」
佳奈を庇うような形で、佳奈の前に立った祐人は、後ろからは佳奈必殺の旋風脚を、前からは剣道少女の木刀がジャストミート。
いやはや、木刀であっただけまだましである。これがもし日本刀であったならば、危うく向こうの世界に旅立つところだ。
とはいえ、ダメージがバカにならないのも確かである。
(……や、やっぱり……こういうおちかよ……)
祐人は揺らぐ意識の中、どうしてか顔が柔らかい感触を覚えた気がした。
「……なっ! き、貴様っ、どこを触っている!」
動揺した少女の声。同時に、頭にさらに衝撃がはしる。
「……(怒)。兄さんのバカ!」
今のは聞き覚えのある……佳奈の声だ。なぜか背中が痛い。
(どうしてオレがボコられなければならんのだ……?)
ささいな疑問を残して、少年、相崎祐人は無念にも崩れ落ちた。
人の話し声が聞こえる。
聞き覚えのある声が二つと、聞き覚えのない声。どうやら、三人の少女が話しているようだった。
どうしてか、身体のあちこちがズキズキと痛む。
うっすらと目を見開いてみた。暗い。場所はどこかの教室のようであった。
意識がはっきりしてくるにつれて、だんだんと今がどういう状況なのかわかってきた。
(……こんなところで寝てる場合じゃない。は、早く探さないと……綾香を……)
と、目の前に自分を見下ろす少女の姿が見えた。こちらが目を覚ましたのに気がついたようだ。
「――兄さん? 大丈夫ですか?」
これは佳奈の声だ。
少年、相崎祐人は身体の痛みをこらえて立ち上がった。多少ふらついて倒れそうになったのを今度は別の少女が助けてくれた。
「ほらほら、しっかりしてよ、お兄ちゃん」
祐人の体を支えたのは、今、祐人たちが探している月村綾香の妹の菜々香である。
あと、一人離れて部屋の端の席に座っているのは、尾谷亜紀という少女である。
そして、最後の一人は目の前に――、
「……なっ! け、け……」
「……け?」
祐人は口をパクパクさせて、「け」と小刻みに発音する。それに対して、目の前の少女は訝しげな表情を見せた。
「――さっきの剣道少女!」
そういって、祐人が指さした少女は、紛れもなく先ほどの剣道少女であった……が、
「――いででっ……な、何するんだ、佳奈?」
訳もわからず、祐人は佳奈に背中をつねられた。
「兄さん、無闇に人を指ささないの! ほら、早く、玲ちゃんに謝って。それと、自己紹介」
佳奈に促されるまま、祐人はこの剣道少女に頭を下げた。この少女のほうも、なにやらバツの悪そうな表情をしていた。先ほどの剣幕とはえらい違いだ。
「そ、その……さっきはすまなかった。少し気が立っていたようだ」
そういって、少女のほうも祐人へと頭を下げた。
「まぁ、過ぎたことだからな、もういいだろ。オレは相崎祐人、もう知っているかもしれないが、そこにいる佳奈の兄さんだ」
「私の名前は東城玲(とうじょう れい)。よろしく頼む」
わずかではあったが、剣道少女こと東城玲は、凛とした顔に微笑みを浮かべた。それは彼女が今できる精一杯の笑顔であるかのようだった。
自己紹介も終わったところで、祐人は佳奈から詳しい事情を説明された。どうやら、祐人が佳奈と玲の間に割って入って攻撃を受け、揺らぐ意識の中倒れこんだのが、不幸なことに玲の胸部であったため、とどめの一撃を受けて沈むことになったのだ。
ちょうどそんなところで、突然にも終戦に移行する。菜々香が止めに入ったのだ。実のところ、玲は菜々香のことを知っていた。菜々香のほうは覚えていなかったらしいが、玲は菜々香のことを覚えていた。
なんせ、自分の一番のライバルの妹であるのだから。綾香と同じように、玲も中学時代は剣道部で、試合で当然顔を合わせることがあった。そのときに綾香を必死で応援していた菜々香の姿を、玲は覚えていたのだ。
つまりは、菜々香の存在が事態を落ち着かせたのだった。
「それにしても、どうしてあんな場所にいたんだ?」
少しの間、祐人たちは聖城高校南校舎三階の一室、フィーンドレクイエムの予備部室にいた。祐人はある程度佳奈から説明を受けて状況は理解できたが、剣道少女こと東城玲がなぜ一人夜の教室で立ち尽くしていたかが気になった。
「……おまえが知る必要はない」
冷めた口調で玲が言葉を発する。先ほどの妙にしおらしい態度は見る影もない。
「そんなこともないぜ。オレは今、綾香を探しているんだ。話してもいいことなら、参考までに話してくれると助かる」
祐人の真剣な表情を見た玲は、納得したように首を縦に振った。
「……妙な胸騒ぎがしたのだ。何か嫌なことが起きそうな……そんな予感がした。だから、校内を歩き回っていた。ちょうどこの教室に入っていたところで、偶然おまえたちに会ったのだ」
「だったら、綾香を見かけなかったの?」
亜紀の言葉に、玲は黙ったまま首を横に振る。
「そうか……。だが、オレは綾香を探さないといけない。他の教室を探してみるよ……」
祐人の言葉に、佳奈と菜々香と亜紀の三人はうなずいた。
「――ま、待て!」
祐人たちがちょうど部屋の外に出たとき、後ろから待ったの声がかかった。振り返ると、玲が何かを決意したような表情で祐人を見ていた。
「私も共に行く! 月村というライバルがいないとこちらも何かと問題が生じるのでな」
どうしてか、顔を少し赤らめながら玲はいった。
「なんだかんだ言って、おまえも綾香のことが心配なんだな――お、おい、いったい何の真似だ……?」
顔を赤らめた玲は、先ほどと同じように祐人へと木刀を構えた。どうやら怒っているようであった。
「成敗!!」
「ひ、ひぃっ!」
綾香に匹敵するほどの玲の剣をぎりぎりのところでかわした祐人は、夜の校舎に逃走した。
3
聖城高校南校舎。暗闇に染まる廊下で偶然に出会った二組は、ただ一人を残して上階へと駆け上がっていった。
これは、祐人たちが剣道少女こと、東城玲と出会う半時間ほど前の話。
「……何も心配することはない。自分を信じて走ればいいんだ、相崎君」
フィーンドレクイエム部長、波樹章二はそうつぶやいた後、一人歩き出した。
聖城高校南校舎は三階建てになってはいるが、実のところそうではない。それはあくまで、地上三階建てということを意味する。聖城高校関係者の中でも、極めて少数の人間だけが、聖城高校南校舎地下の存在を知っている。
波樹部長もその中の一人である。南校舎一階の真っ暗な廊下を整然と歩く。そして、何もない廊下の端の一角に辿りついた。
慣れたような手つきで壁に手を触れる。すると、その合図に答えるかのように地下への鍵が解き放たれた。
「……すまないね。これも『用事』の一つなんだよ……」
その言葉を最後に、波樹部長も地下へと姿を消した。
地下室というと、何かの秘密基地を想像してしまいそうなものだが、聖城高校南校舎地下はそんなたいそうなものではない。
どこにでもあるような地下研究室と同様に、手前から数えて三つ四つの部屋がある。その突き当りの壁には、TOP SECRETと書かれた張り紙があった。
波樹部長はその奥の一室に入った。その部屋の扉には、きちんとフィーンドレクイエムと記されていた。
「――部長、おかえりなさい」
一人の少女が波樹部長に声をかけた。
このフィーンドレクイエムの正規部室には、一人の少女と一人の少年の姿があった。そう、姫島琴美と瀬名原悠明である。
「実はね、帰りに相崎君たちと会ったんだ」
「そうなんですか? どうして相崎君が夜の学校になど?」
琴美は不思議そうな顔で尋ねるが、悠明は瞬時にその意図を理解したようであった。
「アレを使うんだな?」
悠明の問いかけに、波樹部長は無言でうなずくと、そのまま部屋の隅に移動した。
気づいたことには、そこには一台のベッドが置かれていた。
「……すまないね、いろいろと迷惑をかける」
波樹部長はそのベッドへと両の手を向けて、そこに意識を集中させた。直後に、彼の両手から閃光が放たれた。
「……頼んだよ……桃花君」
波樹部長の視線の先には、白くて淡い光を帯びた塊が漂っている。
それは、ベッドから生まれ出た魂。
その消えゆく魂へと、波樹部長はささやかな願いをとばした。
「……やはり、誰もいないか……」
少年、相崎祐人は目で見てはっきりと分かる落胆の表情を見せた。
祐人は今、佳奈、菜々香、亜紀、そして先ほど出会った少女、東城玲の五人で、綾香の居場所を探している。
聖城高校南校舎三階を探し終えたのだが、ついに綾香が見つかることはなかった。
「――相崎、ちょっと待て」
気落ちする祐人へと話しかけたのは、東城玲である。
玲は中学時代剣道部に所属しており、綾香のライバル的存在でもあった。それもあり、綾香の捜索に協力してくれている。
「ど、どうかしたのか、東城?」
遠慮がちに祐人は聞き返した。玲は悪い性格ではないのだが、綾香以上に短気なところがある。少しでも癇にさわることを言ってしまったのなら、木刀で成敗されかねないのだ。
(……あれはかなり痛かったぞ……)
先ほど玲にやられたところが、まだ痛みを覚えていた。
「何かを感じないか……? どこかに何かがいるような気がするのだが」
玲は真剣な表情で教室を見回している。どうやら、何かの気配を感じ取っているようだ。
本当に気配など感じたりするのか……?
祐人は意識を極力集中させるが、何の気配もしない……はずだったのだが――、
「――どうも、はじめまして」
どこからともなく聞こえてくる少女の声。驚いて祐人は声のしたほうを見るが、誰もいない。
「どこを見てるの? もう少し上よ、上」
確かに少女の声が耳に届く。言われたとおりに上を向いてみると――、
「……なっ! パ、パン――」
「バカ! どこを見てるのよ、どこを!」
祐人が見上げた先、そこには驚くべきことに、宙に浮かぶ少女の姿があった。
怒鳴り声と共にその少女は、地面に足がつくくらいまでに降りてきた。
宙に浮かぶということにおいては、昨日の怪盗¢ルージュの件もあり、すでに驚き済みである。ところが、祐人はその少女の別の特徴に驚きを隠せないでいた。
「……お、おい、一つ聞いてもいいか?」
「んっ? 何か聞きたいことでもあるの?」
祐人は視線を自分の足下、いや、その少女の足下へと向けてた。
「……お、おまえ……もしかして……ゆ、幽霊か?」
視線の先、その少女には足がなかったのだ。少女のほうはというと、何か考えているようであったが――、
「うーん、まぁ、今はそういうことにしといてくれないかな?」
「……お、おう」
祐人は言われるがままにうなずいた。それよりも、今自分が幽霊と話しているということがおかしくて仕方がなかった。
祐人が黙ったままその幽霊を眺め回していると、その幽霊の頬がやや赤く染まった。
「……なに黙ったままじっと見てるのよ……照れるじゃない」
「……す、すまん」
幽霊でも照れたりするのかと、ささいな疑問を抱きながらも、祐人はとりあえず少女へと頭を下げた。
この少女は、幽霊であるということを除いては、ごく普通の少女である。服装は普通のセーラー服。茶色がかったロングヘアに整った顔立ちをしたその少女は、よく見るとかなりかわいい容姿をしていた。
「……に、兄さん……そ、その人、なんなんですか?」
祐人とこの少女に気づいたのか、佳奈がやや青ざめた顔でこちらを見ていた。
「……幽霊……らしいな」
祐人の言葉に、佳奈はショックを受けたようであったが、その後ろでは、玲が木刀を構えて早速戦闘モードに入っていた。
「……そこの幽霊! 名をなのれっ、さもなくば斬る!」
その勢いはまさに斬りかからんばかりのものである。
玲のあまりの威圧感に押されてか、この幽霊少女はすでに涙目になっていた。
「ね、ねぇ君。悪いけど助けてくれないかな? このままじゃ多分、わたしあの人に斬られちゃう」
相崎祐人は、どうも人の頼みを断ることができない性質であった。しかもこの場合、少女にはまるっきり罪はなかった。
「――待て、東城。こいつは別に悪いやつじゃない」
祐人は幽霊少女を庇うかのように、彼女の前に立ち尽くした。
「……どういうつもりだ、相崎。貴様も斬られたいのか?」
木刀を祐人へと構えたまま、玲は睨みつける。
このままでは自分も木刀の錆になりかねない。焦った祐人は、必死で言い逃れの文句を考えた。
「まぁ、落ち着け東城。オレたちの目的は何だ? 幽霊を捕まえることじゃないだろう。気が立つのはわかるが、今は一刻も早く綾香を助け――」
「――あ、あの〜」
祐人の言葉に被せる格好で、幽霊少女が口を開いた。自然と注目が集まる。
「――えーと、実はですね……わたしはその綾香さんの居場所を教えるために、あなたたちの前に現れたわけなんだけど……」
『…………』
この場所にいた誰もが、その意味を瞬時に悟ることができずに沈黙した。
「――ほ、本当か、幽霊っ!」
一瞬、間があいた後、祐人は突如大きな声を張りあげた。やはり声が大きかったためか、幽霊少女は手で耳をふさぎ、実にうるさそうな仕草をしていた。
「わかった。わかったから、そんなに大きな声出さないでくれる? それにいつまでも幽霊、幽霊って呼ばないで。わたしにはちゃんと神道桃花っていう名前があるんだから」
幽霊少女こと神道桃花(しんとう とうか)は頬を少しふくらませて怒っているようであった。
「んっ? 神道桃花って……どっかで聞いたような気が……」
祐人がどうも思い出せずにひっかかっていると、亜紀がしばしあきれたような表情を見せた。
「さっき波樹さんが話していたときに言ってたでしょ。はぁ、綾香のことが気になって、まったく話を聞いてなかったわね」
「あ、あのー、じゃあ桃花ちゃんはほんとに幽霊さんなの?」
菜々香が興味半分、恐怖半分といった表情で尋ねる。
「そういうこと。まぁ、正義の幽霊ヒロイン! 神道桃花ってことでよろしく♪」
冗談半分に、桃花はにっこりと笑って見せた。
「……あ、相崎……やっぱりこいつを斬り捨てていいか?」
その隣では、玲がピクピクと眉をつり上げていた。相当に頭にきているようだ。
「まぁ、そんなにカリカリするな。ところで……神道だったか? 早速、綾香がいるところに案内してくれないか?」
「もちろん、そのつもりよ。わたしの後についてきてちょうだい。……それと、神道じゃ紛らわしいから、桃花でいいわよ」
「紛らわしい? どういうことだ……」
いまいち桃花の言葉に納得できずにいる祐人ではあったが、とりあえず先に進んだ桃花についていくことにした。
突然、祐人たちの前に現れた、自称正義の幽霊ヒロインこと神道桃花につれられて、祐人たちは聖城高校南校舎二階にやって来ていた。
どうやら桃花は暫定的に幽霊になっているらしかったが、詳しい事情までは祐人たちに話すことはなかった。
「――時に玲さん。少し聞きたいことがあるのだけれど……」
南校舎二階のある一室の前に立った桃花は、どうも真剣な表情で玲へと尋ねた。
この先に何かがある、祐人は直感的にそう感じとっていた。
「玲さんは、綾香さんと戦いたいですか?」
「……どういうことだ、それは?」
玲はその真意が理解できず、桃花に聞き返す。
「とりあえず、戦いたいのか、戦いたくないのか、それを教えてくれますか?」
その言葉に、玲は間髪いれず反応した。
「――それはもちろん戦いたい。月村と剣を交えることほどに、ワクワクすることはそうそうない」
それを聞いて、桃花は少し安心したような表情を見せる。
「では、話しますね。……綾香さんはこの扉の先にいます。わたしには分かるんです。……だって、そこには桜花……双子の姉の神道桜花もいるから……」
桃花はやや落ち込んだ顔になったが、それでも言葉を続ける。
「おそらく、綾香さんも桜花も操られています。そうしているのが誰なのかまでは分かりませんが……」
だいたいの話が見えてきていた。
玲は桃花の言うところのことを悟ったのか、少々苦笑した。
「……だから私に、月村と戦えと言うんだな?」
桃花はそのとおりとばかりに首を縦に振る。
「そうです。……ですが、ただ普通に戦うだけなら、綾香さんには決して勝てない……」
「なにっ! どういうことだ、私の腕が月村より劣ると言いたいのか!」
怒気を込めた口調で玲がまくしたてるが、桃花はそれには動じなかった。
「それは違います。綾香さんと玲さん、力はほぼ互角。けれど、綾香さんは桜花の力を借りてレベルが桁違いになっているのよ」
ややあって、玲がゆっくりと口を開いた。
「……それでも私は戦うぞ。たとえ、それが無意味だと分かっていようとな……」
一歩前に進み、玲はその扉に手をかけた。
「玲さん! ……玲さんのその意志は、決して無意味なんかじゃないです。綾香さんが桜花の力を借りているように、わたしも玲さんに力を貸します! これで実力の差は互角のはずです」
「――おーい、ちょっといいか?」
見ると、祐人がどうも所在なさげな顔で挙手している。
「オレにも何か手伝えることはないのか?」
祐人の言葉に、桃花は意地悪げな笑みを浮かべる。
「まぁ、死にたくなかったら、せいぜい後方待機がいいところね。言っておくけど、今の綾香さんは、少なくとも、通常の十倍の力は軽くあるわよ。どういうことか、あなたなら分かるよね?」
綾香の力がいつもの十倍……。考えるのもおぞましいが、頭の中でシュミレーションしてみる……。
「――多分、オレは死ぬだろうなぁ」
祐人は開き直って嘆いてみせた。しかしながら、祐人が嘆くのも無理はない。通常の綾香でさえ、死を覚悟した時もあるぐらいの強さなのに、それがさらに軽く十倍だと言うのだから、もはや開き直るしかあるまい。
佳奈も菜々香も亜紀も、あきらめたような表情を見せていた。
祐人も苦笑していたが、それでも彼は言う。
「まぁ、何の役にも立たないかもしれないが、いざという時には盾ぐらいにはなれるからな……死ぬのは嫌だけど」
「心配するな、相崎。おまえの出番はおそらくやってくることはない」
「そうそう。でも、あなたなら大丈夫だよ、相崎君。本当にピンチになったのなら、今も寝たままのあなたが、そろそろ目を覚ますだろうから……」
祐人のことを気遣ってか、玲と桃花が彼へと言葉をかける。その二人の目は、決意の光で満ちていた。
……オレにもあるのだろうか、あの光が……
自分の両手を見下ろし、祐人は自分の「力」というものに、初めて思いを馳せてみた。
「準備はいい、玲さん?」
その横で、桃花は玲に話しかける。
「……ああ、いつでもいいぞ」
玲の言葉に無言でうなずいた桃花から、突如白い光が放たれた。次の瞬間には、光の中に包まれた桃花を含めて、その大きな白い光が玲の体へと降りかかった。
今このとき、玲と桃花は一つになったのである。そうして、玲はその手にかけた扉を勢いよく開け放った。
一歩二歩と室内へと足を進める。
何気ない単なる教室。ただ違うところといえば、闇にたたずむ一人の少女の姿であった。その少女こそ、祐人たちが必死になって探していた少女、月村綾香である。
綾香は立ち尽くしたまま動かなかった。
ある程度の距離にまで、玲は慎重に近づいていく。綾香のその瞳には光が宿っていなかった。どうやら、操られているのは確かなことらしい。
「……月村! しっかりしろ、月村!」
玲の叫びにも、綾香からの返答はない。
(……気をつけて、玲さん!)
心に直接、桃花の声が響く。――まさに、その刹那だった。
「――う、うあっ!」
突然、玲から悲痛な声が漏れる。
いきなりの綾香の剣撃であった。先ほどまでは、確かに剣を所持していなかったはずの綾香の手には、なぜかそれが握られていた。それは、言うならば綾香の手から創りだされた剣であった。
信じられないことではあったが、実際に起こった事実なのである。
その剣撃は凄まじいものであった。間合いを読んでいた玲にとって、綾香の剣撃それ自体は、回避することが決して難しいわけではなかった。だが、その剣撃の追加効果までは想定してはいなかったのだ。
闇の光を放つ綾香のその剣は、剣撃と同時に、その剣から波動が生じた。剣それ自体は回避した玲ではあったが、その波動までは回避しきれなかった。その波動は玲の左肩を容易に傷つけたのだ。
「東城!」
後ろから少年の叫び声が聞こえる。相崎祐人である。
「大丈夫だ、たいした傷ではない。ふっ、勝負はこれからだ!」
玲は強気に言うものの、その巫女服に似た道着はばっさりと裂け、血が赤く滲んでいた。
正直、少々無理をしているが、ここで自分が逃げるわけにはいかない。
(来るわよ、玲さん! 早くあなたも「力」を使って!)
桃花の声に後押しされて、玲は綾香へと木刀を構え直した。
再び立ち尽くしたままの綾香。玲は慎重に間合いを詰めていく。
先ほどの攻撃をまともに受けたりなどしたら、華奢な玲の体では一溜まりもない。
「――いくぞ、月村!」
気合の一声と共に、玲が木刀を前方頭上に振り上げる。と、木刀をコーティングするかのように光が解きあふれた。
綾香がもつ闇の剣に対して、玲の木刀は言ってみれば光の剣とでも言えようか。
「早く目を覚ませっ!」
玲の振り下ろした剣を、綾香は容易くガードしてしまう。しかし、それは玲の計算の内である。綾香を傷つけるわけにはいかないので、綾香が正常な状態にもどるまで時間を稼がなければならない。
玲の剣を簡単に受け流した綾香は、間髪入れずに剣撃を繰り出す。
「――くっ……」
さすがに「力」を使用しているだけのことはあり、その剣撃にはかなりの重みがあった。もし、ただの木刀でやり合っていたら、あっさりと弾き飛ばされているところだ。
「何かいい方法はないのか、桃花! ……はぁはぁ」
肩の痛みを耐えながらも、玲は桃花を呼ぶ。
(……そんなことわたしに言われても……。とりあえず、綾香さんに戦闘をやめてもらわないと……)
綾香に戦闘をやめてもらうと、口では簡単に言えても、相手が綾香だということを忘れてはならない。
容赦なく剣撃を繰り出す綾香に対して、玲は防戦一方になってしまっている。やはり、玲が綾香を傷つけてはいけないという前提の下で戦っている分、明らかに玲のほうが不利であった。
防御に徹するということは、玲にとっては厳しいことであった。パワーが増幅している綾香の剣撃は非常に重みがあり、受けるたびに玲の顔が苦痛に歪む。
「――く、くぅっ! ……きゃあああっ」
玲のわずかな隙をついて、綾香は剣を薙ぎ払う。ガードが遅れた玲は、綾香の剣の勢いに押されて後方に飛ばされる。
床に叩きつけられたことで、衝撃が全身に走る。一瞬、視界が真っ暗になり、呼吸ができなくなったが、ややあって玲は意識を取り戻した。――が、さすがにすぐには立ち上がれそうになかった。
(ち、ちょっと、玲さん! 大丈夫なの?)
焦りと心配の混じった桃花の声が聞こえてくる。
「……私としたことが、油断してしまった。……しばらく動けそうにない……」
痛々しげな表情で玲は力なく言う。かく言う間にも、地にうずくまる玲のもとに、綾香がゆっくりと歩み寄る。
側にきた綾香が高々と剣を掲げるのを、わずかに中腰ぐらいまでしか起き上がることができない玲は、それを見上げることしかできなかった。身体がどうしても言うことを聞かないのだ。
(――玲さん、逃げてっ!)
自分へと振り下ろされる剣から目をそらして、玲は両目を閉じる。
「……くっ!」
直後に、衝撃が走る。――だが、予想していたような強大な衝撃ではなかった。いや、そもそもが体当たりをされたような衝撃。それに……なぜか重い。誰かにのしかかられているようだ。
玲はおそるおそる目を見開いてみた。
「――なっ! あ、相崎、貴様!」
玲は顔を紅潮させて、自分にのしかかる少年、相崎祐人を罵倒した。
一方、祐人はというと、存外にも心地良い状況である。
(……と、東城って、小さい体の割には、意外と胸が……)
「――や、やめろ、相崎。いったいどこを触って――ひぅっ!」
祐人の至福は、まさに命の危機を救ったことに対する懸賞のようなものだった。――が、
「こおらぁっっ! 兄さん、なにバカなことやってんのよっ!」
「――っ! か、佳奈。お、落ち着け、これはだな――ぐはっ!?」
猛烈な勢いでこちらに走りこんでくる佳奈を、祐人は手で制止しようとしたのだが、あえなく額を殴打されてしまった。
「……はぁ、まったく、生きるか死ぬかの戦いだって時に、相崎君はいったい何をしているのよ」
見ると、いつの間にやら桃花が玲の体から抜け出て、あきれた表情で祐人のほうを向いていた。
「佳奈さんは玲さんを安全な場所につれていって」
佳奈はその言葉にうなずくと、負傷した玲を抱えて部屋の外に足を進めた。
「――それじゃあ、相崎君。あとは頼んだわよ」
素っ気ない言葉を残すと、桃花も佳奈のあとについで部屋を出ようとする。つまりは、今この部屋には祐人と綾香の二人だけが残されたわけだ。
「……お、おい、ちょっと待て! オレ一人でどうやって、綾香を止めろっていうんだよ――ひいぃ!」
扉の隙間からは、無情なる四人――佳奈、菜々香、亜紀、玲と、一幽霊の桃花が、ちらりと祐人を眺めていた。
祐人は彼女たちに向かって抗議の声をあげようとしたが、直後に綾香の剣撃が彼を襲った。なんとか、その剣撃は回避することができたのだが、祐人は綾香の様子がどうやら少し変化したことに気がついた。
(瞳の色が変わった……?)
先ほどまで、瞳が虚空であった綾香だが、わずかにその色が薄い赤へと変化していた。その雰囲気からは、「怒」が感じられた。
「……ユウト……コロス……」
感情のこもっていない低い声。
「っ!? おい綾香、オレが分かるのか? しっかりしろっ!」
必死になって、祐人は綾香へと叫びかけるが、反応はない。だが、完全に操られているはずの綾香の口から祐人の名前が出た。それは祐人にとっては、綾香を助けるチャンスであったのかもしれないが、それと同時に命の危機だと分かるのが、綾香の「コロス」という言葉である。
「――ま、待てっ! 早まるな、綾香! う、うわっ!」
祐人の制止もかなわず、綾香は祐人へと斬りかかる。桁違いの速さの剣撃を、祐人はぎりぎりのところで回避していく。その剣撃の威力は、直撃すれば簡単に一撃KOにされるほどだ。
「正気に戻れ、綾香。――や、やめろ……ぐはっ!」
まともに綾香の剣は受けなかったものの、玲がやられたのと同様に、剣の波動に祐人は吹っ飛ばされた。
かなり痛かった……が、再起不能までには至っていない。相崎祐人は、なかなかにしぶとい男だった。しかしながら、次に綾香から繰り出される剣撃を回避する余裕はなかった。
(……こ、これは……マジでやばいぞ……)
祐人は、額から脂汗をびっしりと浮かび上がらせている。
それでも、祐人が起き上がろうとしたそのとき、彼の目の前に人影が現れた……。
「――か、佳奈、おまえ何のつもりだ?」
祐人を庇うような形で、彼の前に立ちふさがったのは、相崎佳奈であった。その目は決意に満ちており、どけと言われてもどきそうにないぐらいの雰囲気は漂っている。
「早く兄さんも立って! そして、何か綾香ちゃんを助ける方法がないか考えてください!」
「オレのことより、佳奈! 今のおまえじゃ綾香とやり合うのは無理だ!」
祐人の言葉に、佳奈はこちらを振り向いてにっこりと微笑んでみせた。
「その点は大丈夫です。桃花ちゃんに頼みこんで、わたしも瞬間的にパワーアップさせてもらっているから、時間稼ぎくらいならできます!」
果たして本当かどうか、扉の隙間から覗き込んでいる桃花に目をやると、うんうんと同意を示していた。
少々痛みに耐えながらも立ち上がった祐人が、綾香をどうのようにして助けるかを考える暇さえなく、佳奈と綾香が戦闘に入っていた。
綾香の放つ剣の連続攻撃を佳奈は割合に容易く回避していく。スピードでは、綾香より佳奈のほうが勝っているのだ。
だが、やはり相手が綾香だということがあり、迂闊にこちらから手を出すわけにはいかない。
「綾香ちゃん、もうやめて! 早くいつもの綾香ちゃんに戻ってよ」
佳奈の嘆きは、無情なる綾香の剣によってかき消される。
「――くっ」
回避しきれずに、佳奈は綾香の剣を真剣白刃取りの容量で、素手で受け止めた。いや、これを素手と呼ぶのは相応しくない。言ってみれば、佳奈はその手に光のグローブを着用していた。
今のこの佳奈と綾香の状態は、綾香の剣を佳奈が支えている互角の状態のように思われたが、実はそうではなかった……。
「――く、くぅっ、うあっ……お、重い……」
佳奈の顔が苦痛に歪み、悲痛な声が漏れる。スピードでは、綾香より佳奈のほうが勝っていたが、一方でパワーでは、綾香が佳奈を圧倒していたのだ。
「佳奈っ! もういい。早く綾香から離れろ」
何とかしなければ……何とかしなければ、このままでは佳奈が……。
祐人の叫びに、佳奈は痛々しげな表情を見せた。
「……そ、そんなことを言ったって……体が痺れて動かすことができないんです……く、くぅっ……」
綾香の剣を受け止める佳奈の両手は、見て分かるほどに震えていた。
(……ど、どうすればいいんだ……?)
今の状況を切り開くべき何かを、祐人は必死に考える。
「力」。
祐人の頭に、ふとその一単語が思い浮かんだ。
自分には「力」がある……未だ眠りについたままの「力」が……。
(……今が目覚めのとき、ってか? ……だるいことはだるいが、背に腹はかえられん)
決心を固めたら、後は迷わず行動に移すのみ。祐人は勢いよく前方にダッシュした。
「――佳奈っ! 悪いがあと三秒ほど耐えろ! オレが何とかする」
言うやいなや、祐人はせめぎあう綾香の後方に回り込み、そのままはがいじめにした。
「……くっ……に、兄さん……わたし……も、もうだめ……」
やるしかない……やるしか……っ!
祐人の想い――佳奈を守りたい、綾香を救いたい。
祐人の願い――オレに「力」があるのなら、眠ったままの「力」があるのなら、そろそろ起きる頃だろ!
時間にしてみれば、わずか一瞬間のことであった。しかしながら、その限られた瞬間で、祐人の中の想い、願い、それ以外の数多の感情、その心の混沌が一つになった……ような気がした。
迷いはない、ためらいもない、……けれど、自信はある!
「――離れろぉっ! 綾香〜!」
光。
言葉と同時に光が沸き起こる。火の光、水の光、風の光、様々な色を帯びた光が、祐人を中心に放たれる。すぐ傍にいた綾香、佳奈も容易にそれらの光に包まれた。
「いったい何なのだ……アレは……?」
目を疑うような状況に、玲が堪らずに声を漏らした。
扉の先、突然起こった異常現象に、覗き込んでいただけの閉ざされた扉を開くや、煌めきの光がまた、菜々香たちを巻き込んだのだ。
「……どうやら……アレが祐人の眠ったままだった力……のようね」
隣にいた亜紀は、特にこれといって動揺してはいなかった。
「あなたの意見はどうなの、幽霊さん?」
その隣、祐人を中心に放たれた光に、魅入られたように目を向ける桃花へと話しかけた。
「むっ、幽霊って呼ばないでっていったでしょ。……そうね、アレは確かに相崎君の力……すべてを包み込む光……あっ!」
と、桃花は突然、何を思いついたのやら、大きな声と共に両の手のひらを打ち合わせた。
「どうしたの、桃花ちゃん?」
菜々香の問に、桃花は勝ち誇ったかのような笑みを見せる。
「実はね……わかっちゃったのよ……綾香さんを助ける方法が……」
「いったいどうするつもりなの?」
亜紀が興味深そうに尋ねてくる。
「ふふっ、それはね……まぁ、見ておきなさい」
自信満々に、桃花はその光へと目を向ける。七色のごとく光を放ってはいたが、それも徐々に静まりはじめてきた。
その光の中からは、祐人、佳奈、綾香の姿がだんだんと見えてきた。
「……はぁ〜、死ぬかと思ったぜ」
少年、相崎祐人は、肩で息をしているものの、特にこれといった外傷はなかった。祐人はサバサバとした表情で独り言を漏らした。
その祐人の腕には、一人の少女が寄りかかっている……そう、佳奈のことである。
「……兄さん、綾香ちゃんはどうなったの?」
力の抜けた声を佳奈はあげる。
佳奈の言葉に促され、祐人が前方に目をやったところ、すぐに綾香の姿が目に止まった。
「おい、綾香! どうしたんだ?」
何が起こったのか、綾香は頭を抱え込んでうずくまっている。
「……う、うっ……あ、頭が……痛い……」
綾香の口から漏れ出た声、それは機械的な声では決してなく、普段の綾香の声となんら変わることはなかった。
「綾香! しっかりしろっ、オレが分かるか?」
祐人の声に、先ほどまではまったく反応しなかった綾香ではあったが、祐人のほうに顔を向けた。
「……くっ……ゆ、祐人? ……ううっ……頭が……」
これは明らかに、完全に操られていたはずの綾香の意識が戻りつつある印であった。しかしながら、頭痛に苦しまされる綾香を見る限り、どうも決定打が足りていない。
「相崎君〜! ちょっとこっちこっち〜」
これは幽霊少女こと神道桃花の声である。祐人は彼女の口から、綾香を助ける方法、最後の決定打を話されることになる……。
そうなるのであるが――、
「綾香さんを助ける方法を言うから、ちゃんとその通りにするのよー。いいわね、相崎君は綾香さんに……」
「……綾香に?」
言葉が途切れた桃花に祐人は聞き返すが、どうやら桃花は頬をやや赤く染めて、言葉をためらっているように思える。
「その……相崎君が……綾香さんに……キスしてくださいっ!」
「……なっ……キ、キスっ!」
祐人は驚いてぶっとんだ声をあげた。
綾香を助けるための決定打は、祐人にとって至極恥ずかしい行為であった。
(キス……って言ったらアレだよな……。その……よく恋人同士がやる、唇と唇を……)
「――って、んなことできるかいっ!」
実に恋愛沙汰にはかなりネガティブである祐人にしてみれば、できるはずもない行為であるのだが――、
「なに情けないこと言ってるのよ、相崎君! あなたも男の子なら覚悟を決めなさい! ……綾香さんがどうなってもいいの?」
その桃花の言葉には、反応せずにはいられなかった。
綾香がどうなってもいいはずがない! 助けたいに決まってる。
「ほ、本当にその……キ、キスすれば綾香は元に戻るんだな?」
顔を紅潮させながらも、祐人は桃花に尋ねる。
「そうよ。相崎君、あなたにしかできないことなんだから……さぁ、早く、綾香さんの意識が戻りつつある今がチャンスよっ!」
……やるしか……ないのか……
少年、相崎祐人は命の危機とは異なるが、それに等しい境地に立たされた。
「兄さん! ……本当のところはかなり腹立たしいですけど……了承します! 早く綾香ちゃんを助けてあげて」
そう言って、佳奈はゆっくりと、それでいて力強く祐人の背中を一押しした。
綾香との距離は目と鼻の先。手を少し伸ばせば、抱き寄せることも容易い。……もはや、逃げ道などない。
「――ええーいっ! ままよ〜!」
今、この瞬間、祐人は一人の漢になった。
迷うことなく、綾香の肩を抱き寄せ、あごを少し上げさせるや、互いの唇を重ね合わせた。
ちょうどそのとき、綾香の瞳が大きく見開かれた。その瞳には、輝きが戻っていた。いや、盛んにギラついているところからすると、「怒」の煌めきが追加されているようにも思える。
それにつけても、その顔は真っ赤になるほど紅潮していた。……どうやら、怒りと恥ずかしさが爆発寸前のようであった。
「……あ、綾香? おまえ、元に戻っ――」
それに対して、祐人も顔を赤くしてはいたが、彼が言葉を話し終えることもなく――、
「このおぉぉっっ! 変態祐人! くらえっ、烈風斬(スラッシュソード)!」
「――ま、待て……は、早まる――ぐぼへはっ!」
突如、綾香の右手に出現した闇の剣をしっかりと握ると、綾香お得意の剣撃、いわゆる必殺技を打ち放った。
クリティカルヒットした祐人は、あっさりと弾き飛ばされたのだが、攻撃が命中する瞬間、わずかに目で見える程度のシールドのような光が、彼のダメージを大いに軽減した。
とはいえ、それでもかなりのダメージは免れることはできないが……。
普通に攻撃を受けたのなら、まず生死の境をさまようぐらいの威力はある。しかしながら、祐人は宙を舞いながらも、綾香が元に戻ったという実感を強く覚えていた……死ぬほど痛かったが……。
(さぁ、今よ、この剣でアレを斬って!)
声。どこからともなく、綾香には少女の声が聞こえてきた。
「誰なのよ? いったい……どこにいるわけ?」
(話は後、目の前の悪霊を先に!)
その、言うなれば、心の中から聞こえてくる声に従い、綾香が前方に目をやると――、
「――ひっ! な、な、何なのよ、これは!」
綾香が目にしたのは、宙に浮かぶ黒々とした塊であった。
実のところ、綾香はこの手の現象に遭遇することを非常に苦手としている。ありていに言うと、お化けが怖いのである。
「い、いやっ、斬るなと言われても斬るわよ〜!」
怯えてはいたが、綾香は手にしていた剣を、その黒い塊へと大きく振り下ろす。
すると、それはあっけなく真っ二つになったかと思えば、そのまま消滅した。
「……ふぅ、何だったのよ、いったい?」
戦い終えた綾香が一息つこうとした矢先――、
「お姉ちゃぁぁぁん〜!」
声の下方向を振り向くと、菜々香がすごい勢いで走りこんできていた。
「うわっ……ち、ちょっと、どうしたのよ、菜々香?」
「……よかった、よかったよ……お姉ちゃんがいつものお姉ちゃんに戻って」
見下ろした菜々香の目からは、ぽろぽろと涙がこぼれていた。
「菜々香、あんたなんで泣いてるのよ……?」
状況を理解できない綾香が、なんとはなく沈黙していると――、
「もぅ、綾香ちゃん、本当にこっちは大変だったんですからね」
そう言って、佳奈がほっと安心したような表情をこちらに向けてくる。
「月村! 今度は本当の意味で真剣勝負をするからな」
「――えっ? 東城、どうしてあんたまでここにいるのよ……?」
自分の剣のライバルである東城玲がこの場にいることも、綾香にはまったくもって訳が分からない。
そもそも、ここはいったいどこなのだろうか? それに、どうしてこんなところにいるのだろう?
「その質問には、わたしが答えてあげるわ」
少女の声、さっき心の中に聞こえてきたのと同じ声だ。
振り向いた先、そこにはそのとおり少女の姿がある……だが、それは見た感じ、ある一点を除いたなら、普通の少女となんら変わらないのだが――、
「――っ! あ、足がない……!」
必要以上に綾香が驚くのは、やはり苦手であるからだろう。
「そりゃそうだよ、お姉ちゃん。幽霊なんだから」
いとも容易く、菜々香が言ってのける。
「……ゆ、幽霊!」
「ちょっと、そんなに指さして幽霊って呼ばないでよね。これでも本当は――、ううん、そのことは、今はおいといて。とりあえず、自己紹介ね、わたしは神道桜花。よろしくね、綾香」
綾香が手にしていたはずの剣はすでに消え、彼女に「力」を与えていた存在である神道桜花が姿を見せた。
「……桜花……よかったね、元に戻れて……これでやっと……」
声のしたほうを見ると、桜花によく似た少女、双子の妹である神道桃花が綾香と桜花のもとに寄ってきた。
「桃花……ごめんね、迷惑をかけて。あっ、紹介するわね、わたしの双子の妹の桃花よ」
桜花に促され、桃花は綾香に一礼した。
桃花がロングヘアであるのに対して、桜花はショートカットである。二人は共に世間で称されるところの美少女に値するだろう。
「ははっ……双子の幽霊なわけね……」
「お姉ちゃん、残念だけど、二人とも本当の幽霊さんだよ」
力なく苦笑する綾香に、菜々香はおもしろそうに話しかけた。
「おほん! いい、綾香」
桜花は一つ大きくせき払いをすると、言葉を続けた。
「わたしとあなたは操られていたのよ……。そして、それを助けてくれたのが、桃花と、あなたの友達と……あと、一番がんばってくれたのは、そこで気絶している彼、相崎君だったかな?」
桜花につられるように、綾香も祐人へと目を向ける。
「なによっ、あんなやつ! ただの変態じゃない……いきなり……その、あんなことするなんて……」
だんだんと頬が赤くなり、声が小さくなるのを見て、桜花は少々あきれた表情になる。
「どうだかね……。素直じゃないんだから……。まぁ、いろいろとがんばりなさい……桃花、そろそろ頃合ね……」
その言葉に、桃花は静かにうなずいた。
「どういうことなんですか、桃花ちゃん、桜花ちゃん?」
半ば想像はつくものの、佳奈は二人へと聞き返した。
「最初に言ったよね、正義の幽霊ヒロイン桃花ちゃんは、暫定的に幽霊なんだって……だから、お別れなの……」
「そういうこと……会っていきなりでお別れなんて、本当は嫌だけど、仕方ないのよね」
桜花も桃花も、二人ともが悲しげな表情を見せる。
別れというのは、いかなる場合も寂しいものである。それにここでの別れは、再会という名の別れとは異なるように思えた。
桜花と桃花の体は、すでにその半分が消失してしまっていた。
永遠という名の別れが、今まさに近づいてきていた。
「待て! いくな、桃花。……私はまだ、礼すらも言ってないんだぞ!」
玲は手を伸ばして、桃花の手をつかみとろうとするが、もはや手と呼べるものさえ、すでに存在していなかった。
『――さよならは……言わないよ……』
桜花と桃花のハーモニー。
まさに、その瞬間、二人の体がこの場から完全に姿を消し去った。後には無念な静寂だけが残る……。
「……行っちゃったね……二人とも」
これは、菜々香の声。
「そうですね……いきなりすぎて、別れの言葉を言うこともできなかった……」
佳奈も悲しみと後悔が混じった表情で立ち尽くしている。
そんな中、綾香は無意識のうちに、先ほどの桜花の言葉を思い返していた。
(――あと、一番がんばってくれたのは、そこで気絶している彼、相崎君だったかな?)
ふと、後方に目を向けてみる。そこには、少年、相崎祐人が倒れていた。なぜ倒れているのかというと、それは自分が剣撃を加えたからに他ならない。
(……もぅ! 死ぬほど恥ずかしかったんだからねっ! でも……)
唇に手を触れてみる。ファーストキスはレモンの味とはよく言うものだが、なんのことはない、まだその実感さえも湧いてこないでいる。
ただ、本当か嘘かはいざ知らず、祐人の想いが伝わってきた……ような気がする。
(……ありがとう……祐人)
綾香は普段見せないような優しげな微笑みを、気絶する祐人をへと向けるのであった。
とても心地良い場所で、身体を休めているような感覚。
ふと、これが夢の中なのでは、と疑問を持ってしまうほどだ。なぜ、自分がこのような状況になってしまったのかと、考えてもみるが、すぐには思い出すことができない。
どこかもどかしい感覚……。――と、突然、暖かな空気に包まれたような、そんな感覚を覚えた。それと同時に、思い出そうとしたこと、思い出したかったことが、一気に頭に流れこんできた。
そうだ、オレはあの一撃をくらって、眠りに落ちてしまったんだ。普通なら多分、死んでしまうぐらいの威力だったぞ……。……ってことは、ここはどこだ……?
(……んっ? なんなんだ、この感じは……?)
それは実に微妙な刺激であった。言ってみれば、自分の唇に何か柔らかいものが触れた感触……。
「――んんっ……だ、誰だ……?」
意を決して、少年、相崎祐人は大きく目を見開いた。
「――え、ええっ? に、兄さん!」
驚いたことには、目を見開いた先、そこには少女の顔のドアップがあった。
「……か、佳奈? お、おまえ、どうしたんだ?」
起きてはじめて目にしたのが、義妹の佳奈の顔、それもあろうことか、二人の距離が目と鼻の先であったことには、少なからず動揺を隠せないでいた。
それはどうやら、佳奈にとっても同じであるらしく、驚いた様子を見せたかと思うと、頬を赤くするなどという程度を超越するほどに恥じらいの様子になる。
今気がついたのであるが、祐人はベッドの上に寝ていた。それも見慣れた自室のベッドの上である。
「なぁ、佳奈……どうしてオレはここで寝てるんだ? 結局、あれからどうなったんだ?」
自分の唇に残る柔らかな感触を不思議に思いながらも、祐人は佳奈へと話しかけた。
佳奈はというと、少しは落ち着いたのか、それでも頬を赤くしながら祐人のほうを見る。
「兄さん、綾香ちゃんのことなら心配しなくて大丈夫ですよ。今はもう、部屋で休んでいると思います」
薄暗い部屋の中、時計の時刻を確認してみると、もうすでに真夜中である。
「オレは……そうか、あれからずっと眠っていたのか……」
あれからというのは、もちろん綾香の烈風斬をくらってからである。
「そうですよ、兄さん。すっごく大変だったんですからねっ!」
そう言って、佳奈は怒ったような表情を見せる。しかしばがら、本気で怒っているというわけではない。どこか照れ隠しのようにも思えた。
「ただ……桃花ちゃんと桜花ちゃんは、消えていなくなってしまったけど……」
祐人は気絶していたために、桃花と桜花が消え去ったことは知らなかった……のだが、
「……まぁ、そう落ち込むな、佳奈。もう二度と会えなくなるわけじゃない……どうしてか、そんな気がするんだ」
それは佳奈を気遣うための言葉では決してなく、祐人が直感的に感じたことであった。
それよりも、祐人にはどうにも気になることが一つあったのだ。
「……ところでな、佳奈。あ、あのな、おまえオレの部屋でなにしてたんだ?」
祐人の核心に触れるような一言に、佳奈は明らかにドキッとしたような反応を見せる。
「……へっ? ……あ、あわわ、そ、それは……その……実はですね……」
再沸騰した佳奈の表情は、見ているだけでもおもしろいものである。
「……どうしたんだ、佳奈、顔なんか赤くして?」
おそらく真剣であろう。祐人はこういうことには鈍感なこともあり、佳奈が恥ずかしがっている理由をまったく悟っていないようだ。
それでも佳奈は、口をパクパクしたままうつむいていた。
「――さっき寝ているときだけどな、急に暖かい空気に包まれたような感じがした……。その後だ……なんともいえないような柔らかい感触が唇に――」
「――スト〜ップ! これ以上は言っちゃだめ! ……わ、わたしは兄さんのことが心配になって、ここにやってきた、ただそれだけのことです! それ以上言ったら怒りますからね。わかった、兄さん!」
一気に祐人をまくしたてる佳奈には、なんともいえない威圧感があった。下手をすれば殴られるだけではすまない勢いである。
「……わ、わかった、わかったから、そんなに怒るな」
佳奈の恥ずかしがる理由、佳奈の怒る理由をとても知りたくはあったのだが、佳奈の手によって再び眠りにつかされることになるのが、祐人の大変危惧するところのことであった。
「……そうですか……。わかってくれれば、それでいいです♪」
と、百八十度コロッと表情を変えんばかりに、佳奈は微笑んだ。
「それじゃあ、兄さん、わたしは部屋に戻るね」
振り返ると、佳奈はそのまま祐人の部屋をあとにしようとする。しかしながら、ちょうど佳奈が部屋を出て、部屋のドアが閉じられる瞬間、ふと祐人は佳奈のこぼした独り言の一部分が耳に入った。
「……綾香ちゃんだけってのは……ずるいですからね……」
ドアは閉じられ、結局中途半端にしか聞くことができなかった。
「……佳奈……いったい何だったんだ? ……まぁいい、今日は疲れた……寝るか」
そうと決まれば、祐人は早速布団の中に潜りこむや、目を閉じて眠りに入る。自分でも気がつかないほどのもどかしい想いが、祐人の睡眠を妨げたが、迫りくる睡魔の前に、うやむやのままに夢の世界に溶け込んだ……。
4
「――何してるのよ、祐人! 歩くの遅いわよ」
「おいおい、そんなことを言うぐらいなら、一つぐらいは手伝ってくれてもいいだろう?」
「は? あんた何言ってるのよ、こういうときは男が持つものでしょ?」
「……こういうとき……ってのはどんなときだ?」
祐人の言葉に、彼よりも数歩先を歩く少女、月村綾香はどうしてか頬を少し赤く染める。
「それはその……デート――って何恥ずかしいこと言わせてんのよ!」
声を荒げた綾香の手刀が、そのまま両手を荷物によって封じられた祐人に直撃する。
「いてっ! いきなり何するんだよ――ってわわっ」
衝撃の反動で、危うく持っていた大盛りの荷物を地面に落としてしまいそうになる。
「……落として、汚したり壊したりしたら……弁償してもらうからね」
そう言って、綾香に睨まれてしまう。もともとは綾香の手刀が原因であるはずなのだが。
しかしながら、少年、相崎祐人は特に悪い気分はしなかった。いや、むしろ今のこの状況をそれなりに楽しんでいるといってもいいかもしれない。
「へいへい、わかりましたよ」
とりあえず、祐人は綾香に適当な返事をした。
今日というこの日は、祐人は綾香に駆り出され、「荷物持ち係」という名目のもと、二人で街に出かけることになった。
先日、つい一週間前になるが、祐人たちは大変な目に遭ったところである。
それは祐人たちが合格した、聖城高校で起こったのだ。
「あのときは、もう死ぬかと思ったぞ、綾香」
操られた綾香の剣の前に、祐人は真剣に命の危機に陥った。
「だ、だからそのことはちゃんと謝ったでしょ。いつまでもグチグチと言わないでよね」
綾香は少し怒っているようで、少しは恥ずかしがっているようである。
綾香を助けようとした際に、祐人はそれだけに必死だったので、自分の眠られた「力」が発動したことにも気がつかなかった。
あれ以来、また「力」は眠ってしまっている。
一度真剣に、手を大きく広げ、「出でよ、炎よ!」や、「風よ、吹きすさべ!」などと、どこぞの魔法使いみたく叫んではみたのだが……ただ恥ずかしいだけであった。
(オレには「力」なんてない……あるのは、守りたいという想いだけだったのかもな……)
と、祐人は心の中で嘆きあきれてみた。
また、綾香が少し恥ずかしがることは、祐人も思い出すと顔が赤くなる。なんせ、綾香を助けるためとはいえ、あの状況の中で、綾香とキスしてしまったんだから……。
「――そういえば、あいつは元気でやってるかねー」
唐突に祐人は口を開く。あいつというのは、祐人に綾香とキスするように促した幽霊少女、神道桃花のことである。
空を見上げながら静かにつぶやいた祐人を見て、綾香も同じように空を見上げる。
「さぁね。そのうちひょっこり現れるんじゃないかしら?」
そんなことはもうありえない……双子の姉妹、桜花と桃花はすでに消え去ってしまったのだから……。それを分かっていながらも、綾香は冗談をこぼした。
ところが、祐人にしてみれば、その綾香の冗談は真実であるように思えてならなかった。
もう会えなくなる……そんな気がまったくもってしない。
こういうときの、少年、相崎祐人の第六感は比類ないほどに優れたものである。
そんなことを考えながら、祐人は重たい荷物を持ち、人でにぎわう九智奈市駅前の商店街を歩く。――と、その視界の端に、いつか見た少女の姿が捉えられた。
祐人は二人の少女の姿を見た――一人は自分の見知った少女、もう一人は知らないが、二人の顔を見る限り、すぐに双子であると推測がつく。
人が良さそうなロングヘアの少女に、少し気の強そうなショートカットの少女。
ついつい勢いで通り過ぎてしまった祐人と、それに気づくことなく歩いていった綾香の背中に、その二人の少女から、声がかけられることになる――、
「こんにちは、お二人さん。楽しいデートをお過ごしですか?」
「これがデート……ねぇ? 主人と召使いの間違いじゃないの」
それは、祐人が確信していた再会の瞬間。
「……えっ……う、嘘……桜花と、桃花なの……?」
綾香は信じられないといった表情で立ち尽くすばかりである。
しかしながら、今があるのが、この二人の少女の微笑みが、これが現実であるというなによりもの証拠。
祐人は自然と一歩踏み出すと、当然のようで、ホッとしたような、なんとも形容しがたい表情を一瞬見せた。それは、祐人自身、はじめに何を話したらいいのかがわからなかったのだ。
けれど、悩むことなど何もなかった……言うべきことは決まっていた――、
「はじめまして……かわいらしい二人のお嬢さん」
祐人は二人の少女、神道桜花と神道桃花へと手をさしだした。
本当は、少なくとも桃花とは、初めて会うわけではない。とはいえ、これはある意味、初めての出会いであったのだ。
人と人としての、初めての出会いである……。
『うわっ、どこぞのナンパ師ですか、あんたは』
「……祐人、最低」
「……ちっ、ファーストコンタクト……失敗か」
おどけた感じで、祐人が舌打ちをする。
直後に、三人の少女の笑い声が起こった。
それは、暖かな昼下がりの空へと、包みこまれていくかのように響き渡っていった……。
(第五話『――さよならは……言わないよ……』 終)
[あとがき]
大変ながらくお待たせしました……などという次元ではないぐらい遅れてしまいましたが、「それでも最後はハッピーエンドで!?」第五話、完成しました。もう完成することがないかもしれないと思われていたのですが、なんとか、なんとか完成した次第であります。実のところ、第五話の原稿自体は、半年以上さかのぼる四話のあとがきのところでも記したように、去年の十二月には完成していました。単に作者の怠慢の結果が、この事態を招いたわけです。それもあって、もはや内容は忘れてしまいました。改めて読んでみると、な、なんじゃこりゃ〜〜! というような内容ですが、ご了承ください。とりあえず、この五話でそれハピ第一部完! ということになります。続きは……うーん、また気が向いたらということで♪
それでは、読者の皆様への感謝にかえまして筆を置かしてもらいます。
次回がもし存在するならっ!
祐人と共に、希望(ゆめ)の世界にパルティール(出発だ)!!
2004年 9月4日
著者 YUK
[YUKの現在の一言]
ああ、もうあれ(それハピ五話完成)から1年以上経つのか、とまず不思議な実感がしましたね。それハピの五話が終了(原稿執筆)してからは、実質2年が経とうとしています。今思い返して見ると、非常に懐かしい思いで一杯です。
義理の妹、幼なじみ、大和撫子(怪盗)、眼鏡美少女、巫女系少女に双子姉妹。様々なキャラクターで溢れている作品ですね。その反面、ストーリーがイマイチ良く分からない。自分で書いておいていうのもなんですが、未熟なんでしょうね。
この五話を持ってそれハピ第一部は完、ということになっていますが、別にこの作品をもう書かないということではないです。ただ、なんか設定にまとまりがつかなくて途方に暮れている感があります。
それにプラス、いろいろと忙しいですし。例えば、就活とか就活とか就活とか……。
とにかく、この作品を読んでくれる人が1人でもいてくれたら、作者冥利に尽きるというものです。
これからもボチボチとがんばっていきます。本作品を読んでくださった読者の皆様方、可能であるならば、温かい目で見守ってやってください。
それでは、これにて筆を置かせてもらいます。
尚、近日中に『それでも最後はハッピーエンドで!?』外伝(一)「刻の雫は涙を残して」と番外編「菜々香アタック大作戦」を更新する予定です。
2005年 12月 18日
YUK