番外編(一)「菜々香のアタック大作戦?」

[目次]
その一
その二
その三
あとがき


その一

 ある晴れた日の正午。しかしながら、季節は冬であることもあり気温は低い。
 「相崎」という字が表札に刻まれた、とあるこの一軒家。
 学校が休みなこともあり、だらだらと昼まで惰眠を貪りたいと思う者も少なくはないだろう。
 その意見に大いに賛成し、なおかつ実行してみせているのは、今もなお自室にて寝息を立てている少年、相崎祐人であった。
「……ん……ん……」
 ベッドの上で時たま寝返りをうつのだが、どうにも寝心地が悪そうであった。
 いや、それもそのはずであった。
 少年、相崎祐人は自分のベッドのちょうど半分しか使えてなかった。布団のふくらみから考えて、どう見てもそのベッドには二人寝ているようであった。
「……(笑)」
 その布団に入っていた少女は祐人の寝顔を微笑みながら眺めた。
 ――そして十分後、
「……う……んんっ……んっ?」
 相崎祐人はどうにも独特な圧迫感に耐えられずうっすらと目を開いた。
 その視線の先には、あろうことか少女の顔のアップがあった。それに気づいたその少女はごくごく自然な笑みを浮かべた。
「おはよう♪ お兄ちゃん」
「…………」
 自分と同じベッドの中の、さらには同じ布団の中にいるその少女の方を見て、相崎祐人はしばらく石になった。
 もしも、こんなシーンを義理の妹である佳奈にでも見つかったのなら、骨の一本や二本は覚悟しなければならない。
 よって、祐人の頭は寝起きにも関わらず全力回転した。
「……げっ! 菜々香……おまえ何でこんなところに!?」
 その少女は、祐人のまくしたてに動じることなく、けろっとした表情だった。
「だって、お兄ちゃんいつまでたっても起きないんだもん」
「……それは確かにそうだが……。でもな、さすがに布団で一緒には……まずいだろ」
 突如、祐人のその言葉に、菜々香は涙目になる。どうも嘘泣きの可能性が高い。
「……ごめんなさい……お兄ちゃん、わたしのこと嫌いなんだ……」
「おいおい、何でそうなるんだよ……」
 祐人は明らかに動揺していた。それは、菜々香の声量が徐々に大きくなってきていた。つまり、誰かに発見される可能性が高い。
 現在、とある理由により、相崎家には四人の人間が暮らしていた。相崎祐人と妹の佳奈、あと隣の月村家の綾香と菜々香であった。
 なので、佳奈と綾香のどちらに見つかっても、祐人にとっては一大事であった。
「わかった、わかったから、頼むから静かにしてくれ……」
 祐人はまるで赤ん坊をあやすかのように、菜々香を言いなだめた。
「……やっぱり、お兄ちゃん優しいから大好き!」
 一瞬にして泣き顔から変わったかと思うと、一際大きな声をあげて祐人に抱きついてきた。
 月村家次女の月村菜々香は普通以上に祐人を慕っていた。ちなみに、年はわずかに祐人の一つ下である。
「……菜々香、そんなにくっつくなって」
 祐人は菜々香と密着していることに困惑しながらも、赤面していた。
 菜々香も育つところは育っているので、祐人が動揺するのも無理はない。ましてや、祐人にとって、一日の始まりからこういう事が起きること自体、非常にだるいことであった。
 そして、決まってそういう時には、祐人にとってよくないことが起こる。
 ……今日も例外ではなかった。
「……兄さん、いいかげん起きてくださ――」
 何の前触れもなく、部屋のドアが開いたかと思うと、少女、相崎佳奈が入ってきては即座に沈黙した。
 昼間にも関わらず、同じベッドの上で抱き合う男女二人。祐人は困惑していたが、菜々香は喜んで抱きついていたので、はたから見れば愛し合っているようにも見えなくはない。
 いや、むしろ佳奈はそういう結論を下したのである。
「……か、佳奈……こ、これには山よりも高く、海よりも深い理由というものがあってだな……あっ! 菜々香っ、おまえ」
 祐人が佳奈に対して必死に言い訳しているうちに、気づけばついさっきまで横にいたはずの菜々香の姿が消えていた。
 見ると、すでに佳奈の後ろに避難していた。どうやらそこは安全圏内であるらしい。
「……兄〜さんっ! 何か言い残したことはありますか?」
 景気よく腕を振り回す佳奈は、すでに臨戦体勢にはいっていた。
(……さぁ、どうっすかな……)
 与えられた極わずかの時間で、祐人の頭の中にはいくつかの選択肢が思い浮かんだ。
 まず一つ、窓から外に逃走する。ちなみに祐人の部屋は二階にあるが、パジャマのまま逃走するのは、幾分恥ずかしかった。
 次に二つ目に、一か八か佳奈と対決する。しかしながら、祐人には妹に手を上げる気など更々なかった。それに勝算もあまりない。
 最後に考えたのが……死んだ振りをすること。
 とりあえずこの三つの選択肢を検討してみたのだが――、
(全然だめじゃん……)
 見上げると、佳奈が目を光らせて仁王立ちしている。その後ろでは、菜々香が謝罪のジェスチャーをしていた。
 こうして、相崎祐人の今日という日は、まずは黒星からのスタートとなった。
 無残にも、佳奈によって手痛い制裁を加えられた祐人は、もう一度眠りにつくことになる。
 菜々香は申し訳そうで、少し残念そうな顔をしていた。しかし、気合を入れなおすように、その手を握りしめるのであった。



その二

 ある晴れた日の昼下がり。休日には絶好の良い天気である。
 休日には、いろいろな過ごし方というものがある。
 昼過ぎまで惰眠を貪る者もいれば、その者の寝顔をずっと眺めているという割合に暇がある者もいる。
 ともすれば、その二人の関係に腹を立て、その思いのまま行動に移るものもいる。
 これは単に、相崎家という一軒家の例を挙げてみたわけである。
 少年、相崎祐人は寝起きから実に憂鬱である。
 それには理由がありはするが、思い出すもおぞましいので、記憶の奥底に隠蔽されることになった。
「佳奈〜、どうしておまえはいつもそうなんだ〜」
 相崎家一階のリビング。
 祐人は四人用テーブルのイスに腰かけて、目覚めのコーヒーをすすっていた。
 祐人の向かい側には二人の少女の姿がある。
 一人は祐人の義理の妹である相崎佳奈。もう一人は隣の月村家の次女、月村菜々香である。
 佳奈の方は申し訳なさそうな顔をしているのに対して、菜々香はやけに嬉しそうな顔で祐人を見ている。
「わたしも悪かったとは思うけど……兄さんも、もう少しちゃんとしてください」
「とは言ってもなぁ……オレが何をしたっていうんだ」
 実際、祐人は何もしてはいなかった。しかしながら、何もしなかったということが罪となったのだ。
「別にいいじゃない、そんなにお兄ちゃんを責めなくたって」
 菜々香は事もなげに佳奈に言ってみせた。
 実のところ、そんな菜々香が事の原因であったりもする。
「むっ、だって兄さんは……。それに菜々香ちゃんも勝手に兄さんの布団の中に入らないでください」
「えー、どうして入っちゃいけないの?」
「えっ……そ、それは……その、いろいろとあるわけで……あの……と、とにかくだめなものはだめなんです!」
 妙に頬を赤くしながら、佳奈は小さくつぶやいた。
「……どうした、佳奈? 顔が赤いぞ」
「な、なんでもありません! に、兄さんもしっかりしてくださいね」
 それだけ言い残すと、佳奈はいきなり立ち上がり、顔を赤くしたままリビングをあとにした。
「……どうしたんだ、あいつ?」
「さぁ? どうしたんだろうね……」
 祐人も菜々香も訳がわからないまま佳奈を見送った。
 菜々香の場合はどうかはわからないが、祐人はどうもこういう問題に関しては鈍感である。
 リビングが祐人と菜々香の二人だけの空間になり、しばし会話が途切れた。
 祐人は言葉もなくコーヒーをすすっている。
 菜々香はといえば、どこかもどかしげに指と指の先をあてがってもじもじとしている。
 実に何か言いたそうである。
 ふと、祐人はそんな表情の菜々香に目がとまった。
「どうした菜々香? 何かあるなら言ってみろ」
「……う、うん。ねぇ、お兄ちゃん、言ったらちゃんと聞いてくれる?」
 ここで聞かないと言ったならば、また菜々香が駄々をこねるに違いない、祐人は咄嗟にそう思った。
「わかった、わかった。ちゃんと聞いてやるからとりあえず言ってみろ」
 その言葉を聞くや、菜々香の表情がパッと明るくなる。
 同時に、祐人にはどうも嫌な予感がした。
「――お兄ちゃん、一緒に買い物行こう♪」
「は……」
 予感的中。
 祐人は口をあんぐりと開いたまま放心した。
 しかしながら、ここで断ることも、祐人にはできなかったのである。
 女の子の買い物に付き合うことほど、祐人にとってだるいものはなかった。
 佳奈や綾香の買い物にも付き合うことはあるのだが、待たされるだけ待たされて、挙句の果てには荷物持ち係。
 かくして、祐人と菜々香は近所の商店街へと出かけることになった。


 休日の商店街は当然のことながら人で賑わっていた。
 祐人たちの住む九智奈市の商店街は、九智奈市駅を降りてすぐのところにある。規模もまずまず大きい方であろう。
 祐人と菜々香はこれといった目的もなく、ただただ商店街の各店を眺めながら歩く。
 どうもすれ違う人で、こちらを伺い見る視線が絶えないように思えたのだが、まぁ無理のないことであった。
「……おい、菜々香。どうしてそんなにひっつく?」
 祐人と一緒に街に出かけるのがそんなに嬉しいのか、菜々香は景気の良い鼻歌を口ずさみながら、祐人の腕をとって歩いている。
「えっ? お兄ちゃん、もしかして迷惑……」
 祐人に指摘され手前、菜々香の表情に曇りがさす。次第に目には何か光るような粒が浮かびはじめて――、
「迷惑なわけじゃない。ただ、少しな……。だからそんな顔はするな」
そう言って、祐人は菜々香の頭にポンッと手を優しく置いた。
「……ありがとう、お兄ちゃん♪」
 菜々香は祐人へとにっこりと微笑んでみせる。
 祐人は別に菜々香と一緒に腕を組んで歩くことが嫌なのではなかった。ただ、どうしても周りの視線が気になる。
 まぁ、まちがいなく、祐人と菜々香が腕を組んで歩く姿は、恋人同士に見えるのであろう。
 それが祐人には少し恥ずかしかった。また、こんなところを誰かに目撃されたのなら、これは面倒なことである。
 しかしながら、祐人がそういう考えに及んだ時に限って、決まってその逆の願いが叶ってしまうのだ。
「――あっ、祐人君♪」
 聞き覚えのある声。
 ここで彼女と出会えたのは、喜ぶべきことなのかもしれないが、この状況で出会ってしまったことには、祐人はちっとも嬉しくはなかった。
「……いででっ!」
 何を言われるか分かったものじゃなかったので、祐人は一発狙いで、「他人の振りをしよう作戦!」を断行することにした……が、失敗した。
「なんで無視していくのよ、祐人君!」
 少女、春日野百合花は頭に怒マークを浮かび上がらせて、祐人の耳をギュッとひっぱった。
 百合花とは、先日まったりパークという遊園地に一緒に遊びにいって以来、随分と仲良くなった。
 きれいな黒髪をポニーテールにした彼女は、中学時代は「絶世の大和撫子」と呼ばれるぐらいの美少女である。
「おっ? 百合花じゃないか、こんなところで偶然だな」
 祐人はたった今、彼女の存在に気づいた風を装って言ってみたが、どうも疑いの目で見られている。
「へー、菜々香ちゃんとデートしてるんだ……。腕なんか組んじゃって楽しそうじゃない。そりゃ、わたしのことなんか気づかないか」
 百合花お得意の大和撫子スマイルとは百八十度違った不満顔で祐人を睨みつける。
「あのなぁ、オレはデートしてるわけじゃなくてだな、その……なんだ……」
「……お兄ちゃん〜♪」
 祐人が必死で言い訳の文句を考えているというのに、菜々香はというと無邪気な笑顔でひっついてくる。
 正直、胸のふくらみが腕にあったことは、祐人の頬を少し赤くした。
 菜々香はわずかに祐人の一歳下である。なので、街中で腕を組んで歩いていれば恋人同士として見られるのもうなずける。
 百合花が腹を立てる理由もうなずける。
「まぁ……なんだ、買い物に付き合ってるだけだってことだ」
 百合花は黙ったままであったが、怒りが収まったようには思えない。
「ねぇ、百合花ちゃん?」
 見ると、菜々香は不思議そうに百合花の方を向いている。
「百合花ちゃんも、一緒にお兄ちゃんと腕を組んで歩きたいんでしょ?」
「……なっ!?」
 一気に百合花の顔は沸騰する。顔を赤らめたまま俯いてしまった。
「……そ、そんなこと……」
「んっ? どうした百合花?」
 俯いたまま何かを小さくつぶやいた百合花を祐人は覗き込もうとした……が、それが命取りになった。
「そんなこと、恥ずかしくてできるわけないじゃない!」
「ぶへほっ!?」
 祐人が覗き込もうとしたちょうどその時、気合十分に振り上げた百合花の腕が祐人を容易く一閃した。
 まさに、怪盗¢ルージュ恐るべし!
「あっ……。ご、ごめんなさい、祐人君。しっかりして……」
「あーあ、お兄ちゃんのびちゃった……」
 我に返った百合花が祐人を介抱する一方、菜々香は心配顔をする反面、とても残念そうな表情も見せた。
 往来の真っ只中で繰り広げられてはいたが、それも騒々しい人々のざわめきと、気にもせずその場を通り過ぎる人々によって、特に際立って目立ったりはしなかった。
 この後、十分も経たないうちに、祐人は闇から生還する。
 ただ、祐人がちょっぴり嬉しかったことといえば、左右から百合花と菜々香に支えられて、商店街を歩き、両手に花を達成したことだ。
(へっ、羨ましいだろこんちくしょう……はぁ〜)
 祐人は自分の性格が若干変わっているのを自覚しつつも、羨望の視線で見つめる数多の男子に優越感を感じていた。
 あと、気になったことといえば、菜々香が「次こそは……」と、意味深なつぶやきを残したことである。
 総じて言えば、悪くはない、心地良い風を感じるような気分。
 それはささやかな幸せであるように思えた。



その三

 夜。すべて多い尽くさんばかりの闇……。もうすでに日付が変わろうとしている。
 数ある家々の大半が、すでにその灯りを消していた。
 しかしながら、相崎家という一軒家は、まだわずかに灯りを保ち続けている。休日の夜をエンジョイしているのかとも思ったのだが、実のところそうではなかった。
「……夜は闇、オレの心も闇……。暗い、暗すぎる……」
 現在、この相崎家の大黒柱的な存在にあたる少年、相崎祐人は自室のベッドの上で、どうにも情けない泣き言を漏らした。
 今日というこの日は、非常に良くない一日であった。
 朝……といっても正午に近かったが、まず義理の妹である佳奈によって手痛い目に遭わされてしまった。
昼下がりになって、街に出かけることになったが、そこで偶然にも「絶世の大和撫子」と謳歌される少女、春日野百合花と出会う。
 そこでもまた、祐人は被害者となった。百合花が顔を紅潮させて腕を一閃させたのが、見事に祐人を捉えたのだ。
「今日は厄日かもしれないな……」
 祐人は嘆きながらも、つい四時間ほど前、ちょうど夕食時のことを思い出していた。


「……おいおい、何でおまえたちがここにいるんだ?」
 近所の家々ではちょうど夕食時であり、相崎家でもそろそろ夕餉の芳香が漂ってきそうではある。
 少し前に負傷の帰宅をした祐人は、しばし自室にて療養した後、腹の虫がなったということもあり、いそいそとリビングへと顔を出した。
 そこで、祐人は予想外の人物を目撃する。
「……どうしたんですか、兄さん? そんなところに立ち尽くして」
 リビングのソファに座っていた佳奈が、祐人へと声をかける。
 しかしながら、祐人の視線は佳奈には向いてはいない。どうも先ほどから騒がしいと思っていたのだ。
 その理由は、祐人の視線の先、リビングの四人用テーブルが、いや、そこに座っている四人の人物が物語っていた。
 その内の二人は、共に暮らす家族、隣家の月村家の長女綾香と次女菜々香である。それはそれで、特に何も異常なことではない。――が、
「何でおまえたちがいるんだ? 桃花? 桜花?」
 微妙にだるそうな顔とともに、祐人はその二人の少女に話しかけた。
「何しけた顔してるのよ、相崎君」
「そうよ、顔から不幸なオーラが滲み出ているようよ」
 桃花と桜花の二人ともが、祐人を見て表情を崩す。それだけ祐人の表情はおかしなものであった。
 この二人の少女、神道桜花と桃花は双子の姉妹である。姉の桜花に妹の桃花。二人はよく似ており、ショートカットの桜花にロングヘアの桃花、共に世間で言うところの美少女である。
祐人が初めてこの二人に出会ったのは今から少し前、祐人が合格した聖城高校にて合格者入学説明会が行われた時であった。
「……そういや、あの時は大変だったぞ……」
 祐人は綾香に目を向けながら、静かに嘆いた。
その合格者入学説明会の日の夜、綾香と桜花が操られていたのを祐人たちは助けようとしたのだが、そうそう簡単にはいかなかった。
最終的には、祐人の「眠られた力」によって事は丸く収まることになる。ただ、また祐人の「力」は眠りについてしまったのだが……。
「いつまでも過ぎたことをぐちぐち言ってると、本気で怒るわよ、祐人!」
 「怒」と「恥」が七対三ぐらいの割合で、綾香が立ち上がった。その手にはどこから出したのか、棒切れのようなものが握られている。
「ま、待て! 冗談に決まってるだろ」
「まぁまぁ、お姉ちゃんも、そんなに怒らない、怒らない」
 菜々香が言いなだめたこともあり、とりあえず手にした棒切れだけはどこにともなく消し去った。
 綾香の「怒」はともかく、綾香の「恥」にはそれなりの理由がある。
 祐人は綾香を助けるためとはいえ、状況に流されて綾香とキスしてしまうのだ。それは祐人にとっても恥ずかしいことであったので、特に話題に出すということはしなかった。
「それにしても、もうすぐ入学式だぞ」
 話題をすりかえるかのように、祐人はみんなに話し出す。
「そうだね。思ってみたら、あと一週間もないわね」
 桃花が言葉を続け、会話を噛み合わす。その通り、もう入学式まで一週間を切っていた。
「みんな同じクラスになったら、おもしろいわね」
「あまりおもしろすぎるというのも、困りものだけどね」
 そう言って、綾香と桜花は苦笑を浮かべる。聖城高校は入学式の日と同日に、クラス発表がされることになっている。
 祐人たちは、それもあり初日からドタバタすることになるのだが……それはまた別の話である。
「祐人!」
「――っ!? な、何だよ、綾香」
 突然、祐人は綾香によって指名された。同時に、菜々香、桜花、桃花の視線も祐人に向けられる。
 どうも嫌な予感がした……。
「あんた、今晩の夕飯を作りなさい!」
「……は? なんでだ、今日はおまえの当番だろうが」
「……パス」
 綾香はやるせない顔と一緒に、手で×マークを作ってみせる。
「……おいおい、パスって……そりゃねえだろ」
 相崎家では、毎日の食事当番というのが決められていたのだが、今日は紛れもなく綾香が当番であった。
「別にいいわよ、作りたくないんだったら……佳奈に頼む――」
「それは困る」
 綾香が言い終わる間もなく、祐人は言葉を発した。祐人にとって、いや、相崎家に住むものにとって、佳奈の料理は一種脅威である。
 これは決して佳奈の作る料理すべてが、不味いということを意味するのではなく、当たり外れが激しいということが、そう思われる所以である。
 通常、祐人が先陣を切って、玉砕するというシーンがたまに見られる。つまり、一方的に不利益を被るのは、他ならぬ祐人なのである。
「……やり方が汚いぞ……綾香」
 もはや祐人は退くに退けない状況にあった。
「はぁ、それだけ言うならもっと正当な方法にしてあげるわ。ジャンケンでどう? 祐人が勝てばわたしが今日と、次のあんたの食事当番を受けもつわ。ただし……負ければ――」
 と、祐人は納得したかのような笑みを浮かべた。
「――おもしろい。負けねえぞ」
 祐人と綾香は勢いよく立ち上がった。そして、構えに入る。
「文句なしの一回勝負だからね、祐人」
「望むところだ」
 二人は大きく片方の腕を振り上げた。
『せ〜の!』
 掛け声とともに、二人の運命は一本の腕に託された。
 次の瞬間、綾香が口の端を微妙に歪めたのであった。


「まぁ、佳奈が作ることに比べれば、まだましだったか……」
 祐人は自室のベッドに横たわり、ぼんやりと物思いにふけっていた。
 結論から言うと、祐人は綾香との勝負に負けて、夕食を作ることになった。桜花と桃花も混ぜた六人での夕食になった。
 なお、味の方は割りと好評であった。
「……さて、そろそろ寝るか」
 祐人はさっさと電気を消すと、布団の中に潜り込んだ。まもなく、心地良い睡魔が祐人を包み込んでいく。
 そうして、祐人の意識は眠りの淵に消える……はずなのだが……。
 しばらく意識がとんでいたのか、ぼうっとした気分の中、祐人は目を見開いた。それは単に寝つけないからではない。妙な違和感がしたのだ。
 違和感といえば、野球選手もよく使う言葉である。怪我をしたのかしていないのかも、はっきり表に出さない言葉。非常に微妙な言葉である。
 が、祐人はその微妙な差異さえも実感していたのだ。
(ただ今、ベッドの中……生命反応が二と……)
 心の中で、祐人はやれやれといった溜め息をついた。
「……ちゃんと自分の布団で寝ないか、菜々香」
 祐人は起き上がり、布団をめくりあげた。そこには祐人の言うとおり、パジャマを着た菜々香の姿があった。その顔はとびきりの笑顔であった。
「……だめ?」
「だめだ」
 祐人の言葉にも、菜々香はまるで屈しない。
「わたしは本気だよ……お兄ちゃん」
「残念だな、オレは本気じゃないな」
 と、菜々香の笑顔にもわずかに曇りがさしたように思えた。
「……お兄ちゃん?」
「ん、何だ……?」
 祐人が見た菜々香の顔は、瞳が潤み、頬には赤に染まり、心が動かされそうな魅力は確かにあった。
「あのね……、わたしの初めてはね、その……お兄ちゃんがいいなぁ」
「――っ!? バ、バッ!」
 菜々香の大胆発言に、祐人は一気に沸騰した。
(そ、そんなことを言われたら、男としては放っておけなく……ではなくてっ!)
「あほ! その……なんだ、そういうのはもう少し年齢を重ねてだな――」
「そんなことないよ、お兄ちゃん。この前も友達の京子ちゃんが――」
「とにかく! だめなものはだめだ」
 断言した祐人に、菜々香は一瞬泣きそうな表情になったが、すぐに元の笑顔に戻り、
「……それじゃあ、一緒に寝よ♪」
「……あのなぁ」
 堪らずに、祐人は嘆くとともに手で額をかいた。祐人が困った時にする仕草である。
「お兄ちゃん、これ以上は妥協できないよ。だめって言ったら、『いやあぁっ、お兄ちゃんが襲ってくる〜!』って大声で言うもん!」
 それは、祐人にとっては非常に具合の悪いことであった。今の菜々香の表情を見る限り、本気でやりそうな勢いはある。
もし現実になれば、一瞬間の後に佳奈と綾香が姿を現し、その次の瞬間には、自分の生命が存続していることに自信がもてない。
 もはや、祐人に逃げ場所はなかった。
「まぁ、人は闘ってなんぼのもんやからなぁ」
 吹っ切れた祐人は、バッタリと倒れ込むように、ベッドへと沈んだ。
「菜々香、いいか、今日だけだからな……」
 祐人の力ない言葉に、菜々香は満面の笑みで返した。
 祐人のベッドは二人では少し狭かったが、それでも特に問題はなかった。ただ、あるといえば、それはお互いがぴったりと、まるで抱きついて寝るかのようになってしまうことであった。
 やや赤面する祐人に対して、菜々香はといえば実に嬉しそうである。
「ふふっ、これがお兄ちゃんの温もりかぁ」
「はいはい。わかったからもう早く寝ろよ」
 菜々香に背中を向けた格好でいた祐人は、その言葉を最後に、目を閉じて眠りに入った。
 万が一、いや億が一、変な気でも起こしてしまわないように。
 菜々香は祐人の一歳下。同じ年齢の男子ならば、二つ返事で菜々香の願いを叶えるぐらいの、少女であり女性であった。
(……おやすみなさい……お兄ちゃん)
 菜々香は祐人の背中に張り付くような格好で、眠りに落ちていった。
 大満足まではいかないが、これでも十分に満足である。
 しかしながら、菜々香のアタックはまだまだこんなものではない。
 明日もあれば、明後日もある……。
 菜々香の挑戦は続いていくのである――。


 ちなみに、後日談であるが、翌朝不幸にも佳奈と綾香に発見されてしまった祐人は、それはそれは酷い目に遭わされたという。


[あとがき]

 まぁ、このそれハピ番外編「菜々香のアタック大作戦?」は「それでも最後はハッピーエンドで」第五話の後日談であり、内容的には「それでも最後はハッピーエンドで!?」第一部(第一話〜第五話)の総集編にも類した意味合いが込められているわけであり、まだ手もつけられず闇の中に蠢く「それでも最後はハッピーエンドで」第二部への橋渡し的な意味をも含むと、こういうわけであります。
 で、あるからして、「それでも最後はハッピーエンドで」第五話までを読破していないと、内容的に未知である箇所が現れてくるので、YUK氏著「それでも最後はハッピーエンドで」第一話〜第五話の読破を僭越ながら推奨させていただくと、こういうわけであります。
 それでは、再び祐人が道なき道を歩み続けることを願い、「希望の世界へパルティール!!」を決め台詞として、幕を下ろしたいと、こういうことです。
                                   2004年 初春

                                                 著者  YUK