第一話

[主要登場人物紹介]

シンヤ・ミナヅキ(IV 高橋広樹)

 オーストラリア皇国陸軍アデレード駐留軍司令部直属特設小隊リーダーである十七歳の少年。階級は中尉。普段はおとなしい性格であるが、一たび戦闘に入るとその気迫はかなりのものである。戦う必要性、戦わなければいけないという責任と義務が少年を戦争へと駆り立てていくのだ。

「どうしておまえたちは戦う?! どうして平和を裏切る!?」

 

リーナ・ツヴァイク(IV 後藤邑子)

 アメリカ大陸同盟海兵隊隷下第八特務小隊隊長である十七歳の少女。階級は少尉。強気な性格をしてはいるが、その一方で心優しい一面も持つ。戦いにおける自己の義務感は人一倍強い。白兵戦での戦闘能力はもちろんのこと、TBWの操縦技術も群を抜いて優秀である。

「――今日は特別な日。終わりであり、始まりである日……」

 

サキ・ミナヅキ(IV 清水愛)

 オーストラリア皇国陸軍アデレード駐留軍司令部直属特設小隊に所属する十五歳の少女。階級は少尉。シンヤ・ミナヅキは実兄である。基本的には気弱な性格であるのだが、芯は強いものがある。華奢な少女ではあるが、そんな彼女が軍隊という組織に身を置くのにも理由がある。本人にとって、とても大切な理由である。

「……そ、そんな、わたしがお兄ちゃんのものだったなんて……はぅ」

 

セリア・リープクネヒト(IV ひと美)

 オーストラリア皇国陸軍アデレード駐留軍司令部直属特設小隊に所属する十七歳の少女。階級は少尉。シンヤ、サキとは幼なじみの間柄である。大方、気さくで陽気な性格の少女ではあるが、時に禁句ワードを発して怒らせてしまえば、一大事に発展することもしばしばある。彼女もまた内に秘めたる信念のもと、戦いに身を置くことになる。

「――クネクネ言うなぁっ〜!!」

 

リュシアス・ウェリントン(IV 堀川亮)

オーストラリア皇国陸軍アデレード駐留軍司令部直属特設小隊に所属する十七歳の少年。階級は少尉。一風変わった口調で話し、凄まじくノリの良い性格をしている。また、目に見えて分かるほど、サキに好意を寄せている。そんな彼が時折見せる真剣な顔つきは、戦いに対する己の意志を露にしている。

「これぞっ、まさしく棚から牡丹餅ぃっ!?」

 

エミリー・ロバーツ(IV 田村ゆかり)

 アメリカ大陸同盟海兵隊隷下第八特務小隊に所属する十五歳の少女。階級は少尉。リーナの部下にあたり、彼女のことを「お姉様」と呼びとても慕っている。それもあり、リーナに関連したマイナス面の事件は、エミリーを激怒させるのに十分なものである。それに比して、平時は割と同年代の少女と同様の雰囲気が漂う。

「わたしのお姉様に何すんのよ〜!?」

 

アーネスト・マッキンリー(IV 荻原秀樹)

アメリカ大陸同盟海兵隊隷下第八特務小隊に所属する十六歳の少年。階級は少尉。リーナの部下にあたり、普段は冷静でクールな性格をしてはいるが、戦闘に入ると闘争的な部分が前面に出るところがある。戦闘能力は総合的に言っても非常に優秀である。

「……何やってんだ、あのバカ……」

 

ニスト・ナガン(IV 緑川光)

 オーストラリア皇国軍親衛隊総隊長を務める十九歳の青年。階級は准将。また、本国の最高意思決定機関である執政部会のメンバーの一人である。常に冷静沈着であり、戦闘中であろうが一切変わることはない。彼の戦闘能力、TBW操縦技術は皇国軍中ではトップクラスである。

「クリス……おまえをここで死なせるわけにはいかない」

 

ユリアーノ・クリス・ミストラル(IV 堀江由衣)

 オーストラリア皇国軍開発局長を務める十八歳の少女。階級は大佐。ニストと同様に本国執政部会の一人でもある。少し天然の入った性格だが、優しくて陽気な少女である。また、皇国軍開発局長を担えるだけの頭脳を持つ。すなわち、皇国内でもトップクラスの賢者である。

「これはね、とても良く効くおまじない。お腹痛いの飛んでいけ〜ってね♪」

 

ユウ・ススキ(IV 子安武人)

 オーストラリア皇国軍総帥である二十四歳の青年。階級は大将。ニスト、クリスと同様に、本国執政部会の一人である。本国において、過去の戦争の活躍により英雄視されるユウは、自分の意志とは関係なく総帥のポストに就いたが、現在はそうではない。皇国の誇りを誰よりも強く感じているのは、他ならぬユウなのである。

「これでも『ライトニングゴールド』の異名をとったわけだしな」

 

セイイチロウ・ミナヅキ(IV 松本保典)

 オーストラリア皇国軍アデレード基地副司令官であると同時に、本国の開発次官を兼任する四十歳の男性。階級は技術少将。シンヤ、サキの実父である。皇国一の頭脳を持ち、開発局長であるクリスと共に中心となり、極秘に新兵器の開発を進める。

「君たちの任務はこの状況から生き延びることだ。私は意外に運の良い男なんだよ」

 

 

第一話

「再会は悲しみの戦場で」

第一節

(Boy’s and Girl’s Memory in childhood) 

「――このペンダントをキミにあげるよ」

 それは懐かしい風景。街を出て丘を登ると、その場所は見えてくる。幼い子供たちの足でも十分に辿り着ける距離にあった。

 その丘陵の頂上に行くと、広々とした芝生の上にたった二本の木が立ち並ぶ場所がある。そこから見る景色は、何度見ても飽きがこないほど良いものだ。海が見え、山が見える。人々の生が宿る街が一望できる。美しい風景であると同時に、この世界における自己存在を再確認させてくれるのだ。幼い子供でも、そのことは直感的にとはいえ実感できた。

 そんな懐かしい風景。幼き日々の思い出。少年と少女はこの場所で出会い、この場所で別れる。二人の時間は一炊の夢のように儚く過ぎていく。けれど、その時間は二人にとって、とても大切なもの。

 だから、少年は笑顔のまま別れたかった。その気持ちは少女のそれとまったく同じものであった。

「……ありがとう」

 少女は静かに言葉を発して、少年からそのペンダントを受け取った。必死で作った笑顔がどこか悲しげなものに、少年は思えた。きっと、自分も同じ顔をしているのだろう。

 今は夕暮れ時。夕焼けに赤く染まる空を眺め、沈んでいく夕日に目を向ける。いつものように、二人は並び立つ二本の木のそばに座り込んだ。

 二人ともが言葉を発しようとはしない。話し合う話題がないわけではないのだ。ただ、二人して並んで座り、空を眺める。一つの空を二人で眺める。それだけで心が通じ合っているように思えた。

「そろそろ日が暮れるね……」

 いったいどれくらいこうしていただろうか。ようやく少年のほうが言葉を発した。それは少女に向かって話しかけたわけではなく、空へと呟いたものだった。

「うん……」

 少年の隣では、少女が顔を俯かせていた。その姿を見ていると、少年は無性に心が苦しくなった。悲しくなんかない、平気なんだと、必死に自分に言い聞かせていることに気がついた。もう、我慢は限界に達しようとしていた。

「……もっと、ずっと一緒にいたい……っ!」

 無理な願いということは分かっていた。だけど、言葉にして伝えなければいけないと、少年は思ったのだ。目の前がよく見えなかった。目から零れ落ちるものが妨げとなって、少女の顔をまともに見ることができないのだ。少女がこちらを向いているのはわかった。少年には、少女も泣いているように見えた。

「……わたしも一緒にいたい……けど――」

 少女も少年と同じ思いだった。同じだと分かっていても、言葉にして初めて伝わる気持ちというものもあるのだ。

「――わかってる。でも、僕はキミのことを忘れない。そして、キミも僕のことを忘れなければ、きっとまた会える……」

 再会できる保証など、どこにもない。戦争の最中、敵国同士の人間がそう簡単に会えるわけはないということぐらい、子供でも分かる。でも、少年と少女はその残された可能性を信じるしかなかったのだ。

「……わたしも……忘れないよ……」

 少女はその瞳に光るものを浮かべながらも、かわいらしくも儚げな微笑を見せた。それを見て少年の目からは、自然と涙が溢れ出した。悲しみの涙と嬉しさの涙が半分ずつ混ざって零れてきたのだ。

 ひとしきり泣いた後、少年と少女は丘を下りて街に向かって歩き出した。二人の顔には、すでに涙は残っていなかった。日が没し、この次に日が昇ってくる時には、二人はもう離れ離れになる。

 だけど――、

「約束だよ……」

 少年の言葉に、少女は今日一番の笑顔を見せた。

 もはや二人には、言葉は必要なかった……。

 

 

第二節

(A Event at Minaduki’s House 

One Morning)

 オーストラリア大陸の南岸にアデレードという都市がある。オーストラリア皇国軍の重要な基地の一つがここにはある。

 時に新西暦1182年、五月十八日。時刻は暁の頃である。海鳥が一羽、夜明け前の海上を自由に飛翔している。東の空が徐々に赤く染まりつつあった。

 そんな時だった。突如として、海上に何かが浮かび上がってきた。魚ではない。それは、ずっと巨大なものであった。潜水艦である。

 その潜水艦が浮上してきたのは、沿岸の沖合数百メートルの場所である。周囲の様子を窺うかのように、しばらく動く気配がなかったが、ついにその艦は行動を開始した。

 甲板に数人の人間が現れたのである。あらかじめ用意しておいたのだと思われるゴムボートに、その中の一人がエンジンを取り付けているようであった。

 その作業もすぐに終わり、ゴムボートを海に浮かべた後、三人の人間がそれに乗り込んだ。女が二人と男が一人である。驚くべきことに、三人ともがまだ少年少女であった。

 甲板の上に立つ、軍服を身にまとった中年の男がボートに乗る三人に向けて、無言のまま手をかざして敬礼した。それに答えるように、三人も敬礼を返した。

 ゴムボートは岸に向かって、その艦を発していった。三人の少年少女――黒髪を腰のあたりまで伸ばした少女とその少女の横に付き従う茶髪が肩にかかるくらいの少女、もう一人は茶髪で短髪の少年である。

「――今日は特別な日。終わりであり、始まりである日……」

黒髪の少女が漏らした小さな呟きは、まだ明けぬ東の空へと透き通っていった。

どんなに長い夢を見たとしても、寝ている時間に直すとそんなにたいしたものではない。

 どんなに長い夢を見たとしても、目が覚めた時にその夢が脳裏に残っていることなどそうそうない。

 どんなに長い夢を見たとしても、その夢が現実のものとなるなど、普通に考えてあり得ないことである。

 朝の覚醒寸前に起こるなんともいえない倦怠感は、そんな他愛のない事を無意識のうちに考えさせてくれる。起きようと思えば起きられるが、起きたくないという状態のまま、少年がベッドの上に寝転がったままでいると、いつものように部屋の扉がノックされた。

「お兄ちゃん、もう朝だよ〜」

 扉が開けられるのと同時に、少女の声が耳に入ってきた。だが、少年は一向に起きる気配がない。やや呆れた感じの少女は、窓のカーテンを開け放った。直後に、朝の太陽の日差しが少年を容赦なく照らしつけた。これで少年も目を覚ますだろうと安心した少女には不運なことに、少年は頭までスッポリと布団を被ることによって、敵の攻撃を防いだのだ。

「……もぅ。ねぇ、お兄ちゃん、朝だよ。お兄ちゃん〜!」

 打って変わって、少女は少年の体を揺すりはじめた。しかし、少女の穏やかな性格が影響してか、その揺すり具合は絶妙のものであった。力の加減などをせずに、全力で体を揺すってやったのなら、目を覚ましたかもしれないものの、少女のその力ではかえって眠りを誘発させるような心地良さを生み出してしまうのだ。

「お兄ちゃん〜! 起きてよ〜。うぅ……」

 少女はついに涙目になってうなだれてしまった。彼女にはもはや、少年を起こす術は残されていなかったのである。

 ちょうどそんな時――、

「お〜い、サキちゃんいる〜?」

 現在、少年と少女のいる場所は少年の自室で、二階にいるわけなのだが、どうやら一階の玄関口あたりから女性の声が聞こえてきた。もちろん、少年も少女もよく聞き慣れている声である。

 この少年――シンヤ・ミナヅキと、少女――サキ・ミナヅキはこの家で父であるセイイチロウ・ミナヅキと三人で生活している。ちなみに、母はもうこの世にはいない。妹のサキにとてもよく似た美しい女性だったと、シンヤは父から耳にタコができるくらい聞かされたものだ。実際に母の写真を目にしたことも、当然シンヤにはあった。父があれだけくどくど言うのも無理はないと思った。

「――セリアさん、助けてください〜」

 シンヤの自室を出て、階段のそばまで近寄ったサキは、階下にいる少女――セリア・リープクネヒトに向かって助けを求めた。シンヤとサキ、そしてセリアは幼少の頃から付き合いのある、いわゆる幼なじみというやつである。サキがセリアのことを「さん」付けで呼ぶのも無理はない。シンヤとセリアが十七歳であるのに対して、サキは二歳年下の十五歳なのである。

「――よっ。セリアお姉さん、登場しました。どうしたの? またアイツが起きないとか?」

 身長は百六十センチ前後、特徴を端的な言葉で表すならば、美少女。端正な容姿に、透き通るような瞳。程よく手入れされているブロンドヘアーをツインテールにまとめているのが、また魅力的である。それが今目の前にいる少女、セリア・リープクネヒトである。

 とはいえ、セリアを自分とは比較にならないほど綺麗な人だと認識するサキではあるが、実はこの少女、サキ・ミナヅキも決してセリアに引けをとるわけではない。整った顔立ちに、大きな瞳。肩より少し長く伸びた青みかかった髪が、清楚なイメージをうまく引き出している。身長は百五十センチ半ばの華奢な体をした少女である。

「うぅ〜セリアさん〜。わたしがいくらがんばっても、お兄ちゃんが起きてくれないんです〜」

「――はいはい、泣かないでサキちゃん。覚えておきなさい、殿方を起こす方法を教えてあげましょう」

 胸を張ったセリアがサキに告げると、ゆっくりと今もベッドの上で寝息を立てているシンヤのもとに近づいていった。

「サキちゃんは手っ取り早く言うと、優しすぎるのよね。大昔の偉い人が言った言葉の中に、こういうのがあるわ。アメとムチを与えるってね。時には優しく、時には厳しくすることによって、調和がとれるということもあるのよ。いい、サキちゃん。お姉さんのお手本をよく見ておきなさい?!」

「はい。がんばってください、セリアさん」

 サキの声を背に受けて、セリアは注意深くシンヤが頭から被った布団をめくると、シンヤの耳元に徐々に顔を近づけていった。

「――あわわ。セリアさん、お兄ちゃんにいったい何を――」

「しっ、静かに。別にとって食ったりなんかしないから」

「ええっ! と、と、とって食うって……はぅ」

 顔が沸騰して崩れ落ちるサキを放ったまま、セリアはシンヤの耳に触れるぐらいの距離で口を開いた。

「――シン君〜? 起きてくれないと、困っちゃうんだけどなぁ?」

 セリアの甘いささやきにも、シンヤはまだ起きることはない。いや、少しではあるが、言葉を漏らした。

「……いやだ、起きない……」

「――へぇ、そう……」

 たった今、口にした甘い言葉とは対照的にセリアは冷たく呟くと――、

「――今だ!? てぃっ!!」

 それは何と言うか、とにかく荒技だった。その次の瞬間には、大きな音を立てて、シンヤはベッドから転げ落ちた。さすがに、こんな扱いを受けてまで目を覚まさないシンヤではなかった。

「……いたた……なんなんだよ、いったい?!」

「だ、大丈夫、お兄ちゃん? セリアさん、ちょっとやりすぎですよぉ」

「そんなことないわよ。さっき言ったでしょ、アメとムチを与えないとダメなんだって。こうするしかなかったのよ」

 ほんの少しムッとしたような表情をサキはセリアに向けたが、すんなりとかわされてしまった。それにセリアの言うとおり、シンヤを起こすという目標を達成したのも確かなことである。

「あの……セリアさん? 結局アメは何の役にも立ってないんじゃ……?」

 サキがセリアへと尋ねかける。その疑問ももっともなもので、セリアはムチだけでシンヤを叩き起こしたのだ。

「いいえ、ちゃんと役に立ってるわ。お医者様が小さな子供に注射する時にお菓子を渡したりするじゃない。あれと同じことよ!」

「……全然、同じじゃないと思うぞ」

 低い声をあげてうずくまっていたシンヤが、顔を歪めながらのっそりと起き上がった。痛みと眠気のためか、ぼうっとした表情のままサキとセリアのほうを見た。

「大丈夫なの、お兄ちゃん? ち、ちょっと顔が恐い……」

「違うのよ、サキちゃん。ただ、シンヤは眠たいだけよ」

 悲しそうな顔をしてシンヤを心配するサキに対して、セリアのほうはまったく心配した様子ではなかった。

「――怒ってるんだよ、僕は! どうして朝からこんな目に遭わなきゃいけないんだよ」

 シンヤの怒りは当然のものであったのだが――、

「……ご、ごめんなさい、お兄ちゃん。わたし、そんなつもりじゃ……っ!」

 サキの気弱な性格のためか、勘違いのためか、責任のカケラもないはずのサキが、目に涙を浮かべてシンヤへと頭を下げた。

「あ〜あ、シン君がサキちゃんを泣かせちゃった……」

「――なっ! セリア、おまえなぁ! サキ、別に僕はおまえに怒ってるわけじゃなくて……。だから、落ち着いてくれ」

「……ひっく……でも、お兄ちゃん、怒ってるでしょ?」

 確かに、少なからずサキではなくセリアに怒りを覚えたシンヤではあったが、サキの泣き顔をもっての訴えは、シンヤのなによりもの鎮静剤となったのである。

「……サキ、もう怒ってなんかないよ。ほら、泣きやめ」

 シンヤは柔らかな微笑みを浮かべて、サキの頭に手を乗せた。すると、みるみるうちに、サキは落ち着きを取り戻していった。

「――うん。もう泣かないよ、お兄ちゃん」

 手で涙を拭いながら、サキも柔らかく微笑んだ。

「いやぁ、感動的な兄妹愛だねぇ? うん、よかった、よかった」

「――おい、ちょっと待て、セリア」

 腕を組んだまま感銘を受けるセリアの肩に、シンヤはゆっくりと手を置いた。

「……セリア、僕はこの恨みを一週間は忘れないぞ」

「――あたしは十秒もすれば忘れるでしょうね」

「あ、あの〜、お兄ちゃんとセリアさん、何をこそこそと話してるんですか?」

 なんともいえないムードを出して、内密に耳打ちし合う二人を不安に思ったのか、サキが二人に話しかけた。

「いや、何もないぞ、サキ。ほら、いつまでも僕の部屋にいても何も始まらないよ。僕も着替えたらすぐに下に降りるから、先に降りて朝食の支度でも始めておいてくれないか?」

「うん。それじゃあ、準備しておくね、お兄ちゃん。いこう、サキさん?」

「オッケー。……なんなら、着替えでも手伝ってやろうか、シン君?」

「……早く部屋から出ていってくれ」

 シンヤは笑顔のまま、部屋の外を指さした。サキに続いて、セリアも部屋を出ていった。二人とも、どこか楽しげな笑顔を浮かべていた。

いつもならば、妹のサキの手によって、時間をかけて優しく起こされているシンヤが、セリアによって叩き起こされたのにも理由がある。今日は朝から街へと出掛ける予定になっていたのだ。シンヤとサキの自宅に集合することになっていたので、約束通りやって来たセリアが家に上がり、そして今に至るというわけなのだ。

「――うんうん。いつものことながら、サキの料理の腕は一流だ!」

ミナヅキ家一階のリビングでの一時。四人掛けテーブルに腰を下ろしたシンヤ、サキ、そしてセリアたちはサキの作った朝食を食べ始めていた。

「も、もう、お兄ちゃん。一流だなんて、大げさだよ〜」

 テーブルの上に並べられた食事は至ってシンプルなものだ。トーストにベーコンエッグにサラダにスープ、といったような献立である。これといって高価な食材を使ったり、特殊な料理技術を用いているわけではない。だが、シンヤにとってサキの料理は、どんな一流のコックが作った料理よりも余程一流だったのだ。サキの料理は、シンヤ・サキの亡き母の作った料理に匹敵すると、父であるセイイチロウも涙を流したほどである。なによりもシンヤは、自分のためにサキが作ってくれるということが嬉しかったのだ。

 ところで、シンヤにはもう一つ別の疑問があった。

「――おい、セリア。どうしておまえまで食事を共にしているんだ……?」

 シンヤは訝しげな表情で、対面に座って黙々と食べ続けるセリアに話しかけた。

「えっ? なんでって、そりゃあんたの言ったように、サキちゃんの料理がおいしいからに決まってるじゃない」

「うぅ〜、セリアさんまで……」

 シンヤにもセリアにも褒められたサキは、照れて顔が真っ赤になってしまっていた。

「いっそのこと、あたしのお嫁さんにしたいぐらいだわ」

「えっ!? そ、そんなのダメですよ、セリアさん。わたしなんて、まだ十五だし、かわいくないし、それに何より――」

「――残念だな、セリア。それは無理な相談だよ。サキは僕のものだ」

 サキの言葉を遮って、シンヤが淡々と話した。

「ほぅほぅ。シン君は言うことが大胆だねぇ」

 セリアがにやけた笑みを浮かべながら、サキのほうをちらっと見た。そこにはすでに我を忘れて沸騰しあがったサキの姿があった。

「……そ、そんな、わたしがお兄ちゃんのものだったなんて……はぅ」

「なんでサキがあんなに照れてるんだ、セリア?」

 シンヤ的には、サキは大切な家族であるという意味で言った言葉だったので、どうしてこんなにもサキが顔を赤くするのか理解できなかったのである。それを悟ったセリアは、シンヤへと小さく呟いた。

「――シンヤ、あんたは遠回しな表現でサキちゃんにプロポーズしたわけ、オッケー?」

 プロポーズ……つまり、結婚してください、ということである。

「なっ!? プ、プロポーズって……僕たちは兄妹なんだぞ」

「……そっか、愛は兄妹の壁なんか、すんなりと乗り越えていくのね……」

 顔を紅潮させたまま固まって動かないサキと、陶酔したような表情で黙りこくってしまったセリアを見ながら、シンヤはぼそりと呟いた。

「二人とも、早く元の世界に戻ってこい……」

  シンヤたちは皆そうであるべき年齢ではあるが、学生ではない。歴としたオーストラリア皇国軍の士官、すなわち軍人である。皇国軍には中等教育の修了者に速成教育を施して下級士官として任用する制度があるが、それに乗りかかる形だ。シンヤも例外ではないが、好戦的とは言い難い彼が軍を志したのには、ある理由がある。

幼い頃、出会った少女と約束した。お互い国は違えど、それぞれの国に住む人々の安寧のため、持てる命と力を尽くそうと。そしてちょうどその直後、母が死に、技術士官であった父は今まで通りに仕事に打ち込み続けたため、結果として幼かったシンヤとサキは家に二人だけでいることが多くなった。そうした日々のまま時間が経過していったが、ある時ついに我慢の限界に達したシンヤは、帰宅した父に食って掛かった。親なら親らしく、子供の面倒をちゃんとみたらどうなんだと。年齢不相応な大人びた発言であるが、要は寂しかったのだ。その時、父が語った言葉、それをシンヤは一生忘れることはないだろう。

父が語ったのは、自分の開発している機体が完成すれば、この戦乱の世を終わらせることができる力になるかもしれない、というものだった。それならば、自分がその力を使って、平和な世界を創りたいという想いは、この時代の少年にとっては違和感のないものであった。戦争で片親ないし両親をなくした子供は決して少なくはない。自分の力でできることとできないことの区別がつくようになった今でも、その想いは色あせることはない。

ただ、シンヤの妹のサキまでもが自分の力になるためと言って入隊してきたのは不本意ではあったが。そして、あまり口には出さないし、また敢えて詮索はしないが、セリアとあともう一人の幼なじみにも彼らなりの志望動機はあるのだろう。この二人の場合はそれぞれ十年前の一大決戦で異性の片親を亡くしており、それが何らかのファクターになっているだろうことは想像できた。何はともあれ、皇国陸軍アデレード駐留軍司令部直属の特設小隊こそが今のシンヤたち居場所であり、シンヤはそのリーダーであった。 

「何でや!? 何でワシの分の飯がないんじゃぁ?」

 ミナヅキ家一階のリビングでシンヤたちの朝食が終わりを迎える頃、インターホンが鳴るやいなや扉が開き、ドタドタとこちらに向かって走り寄ってくる音が聞こえたかと思うと、今日一緒に街へ出掛けることを約束していた最後の人物が、開口一番大いに嘆いた。

「――くぅ〜!? ワシはなんちゅう悲劇のヒーローやねんっ! めっちゃサッちゃんの飯楽しみにしてて、夜も中々寝られへんで、朝ちょい寝坊して来てみたらこのあり様やで?! おい、シン! どない責任とってくれる?!」

 一気にまくし立てるこの少年、リュシアス・ウェリントンもセリアと同様にシンヤとサキの幼なじみである。顔立ちは整っているが、ぼさぼさと乱れた髪に、陽気な性格と変な口調。総じてこのリュシアスという少年を評するなら、おもしろくて格好良いが変なヤツといったところだろう。

「……何で僕が責任を取らなきゃいけないんだよ」

 シンヤが呆れて答える。リュシアスが陽気な性格の少年であるのに対して、シンヤは一言でいうならクールな少年である。センターで分けられた髪に切れ長の眉、どこか寡黙で冷静な表情がクールな雰囲気を醸し出しているのだ。

「みっともないわよ、リュウ。遅れてのこのことやって来たあんたが悪いのよ。一つ言っておくとすれば……美味だった……ね」

 食事を終えてコーヒーをおいしそうにすすりながら、セリアが口を開いた。リュシアスはセリアやサキからはリュウと呼ばれているのだ。

「――ワシもサッちゃんの飯、ごっつ楽しみにしてたのに……」

 悲嘆の表情のリュシアスが苦悶の声と共に大粒の涙を流す……ふりをした。その様子を呆れて見るシンヤの向かいでは、サキが心底同情の念を沸き立たせていた。

「……あ、あの、リュウさん? よかったらですけど、これを召し上がりませんか?」

 申し訳なさそうに、サキはわずかに食べ残していた物をリュシアスへと差し出した。サキは華奢な体に比例するように、少食で食べるスピードも遅いのだ。

「――っ!? ほ、ほんまか、サッちゃん! 食べてええんか?」

「はい、構いませんよ。それよりも、残り物ですいません」

 サキがリュシアスへと頭を下げる。だが、サキの言葉が耳に入っていないのか、リュシアスは興奮した様子で大きくガッツポーズを決めた。

「これぞっ、まさしく棚から牡丹餅ぃっ!? ワシは今日のこの日のために生きてきたいうても過言ではない! ……あ〜、サッちゃんの食べさしが目の前に〜しかもこれはもうワシの――」

 感動の涙を流しながら熱く語るリュシアスが話し終える前に、実に素早い動作で、シンヤは皿に残された食べ物をすべて平らげてしまった。

「……ははっ、今この時をもって、リュウの野望が消えたと……」

 ちょうど同じタイミングでコーヒーを飲み終えたセリアは、手と手を合わせて神様に感謝を、ついでにリュシアスの冥福を祈った。

「――うん。やはり、サキの料理の腕は一流だ!」

「……あ、あわわ……お兄ちゃんがわたしの食べ残しを……はぅ」

 満足のいった顔でうなずくシンヤと、セリアから何事かをささやかれて耳まで真っ赤になったサキ。そして――、

「――ワ、ワシの命の源がぁ〜っ!?」

 ご近所迷惑なリュシアスの大音声が、ミナヅキ家からこだました。

 

 

第三節

(Executives in the plane)

 オーストラリア皇国の首都A.M.キングダムはオーストラリア大陸のちょうど中心部分に位置している。以前まで、皇国の首都はキャンベラにあったのだが、前々代の首長であるオーストラリア皇国教皇がA.M.キングダムに首都を移転させたのである。ちなみにA.M.というのは、オーストラリア皇国教皇の襲名であるアイザック・モンフォールの頭文字である。

 オーストラリア皇国軍総帥であるユウ・ススキ大将と、実質的には総帥補佐のポストにあるオーストラリア皇国軍親衛隊総隊長であるニスト・ナガン准将が首都A.M.キングダムよりオーストラリア大陸南岸のアデレード基地へ向けて皇国軍高官専用の航空機で飛び立ったのは、つい先ほどのことである。後一時間もすれば、アデレード基地へ到着するであろう。

 目的は視察。あくまで名目上は視察ということになっているのだ。だが、実際は単なる視察ではなく、重要な意義を持った行動であるのだが。

 ユウやニストたちの乗る航空機内は実に閑静としていた。それも当然といえば当然のことで、機内の客席は百人程度の座席スペースがあるのに対して、座っているのはたったの三人。客席の端の一列三シートのスペースに、その三人は座っていた。

「……寂しい視察だな。いっそのこと三人で旅行者気分を満喫するのもいいかもしれん。そうは思わないか、ナガン准将殿?」

 いかにも退屈そうな顔をしながら、ユウ・ススキ大将は言葉を漏らした。ユウの左隣に座っていたニスト・ナガン准将は、その言葉を聞いて顔をしかめた。ちなみに、ユウが三人と言ったが、その残りの一人はニストの左隣に座っている少女、ユリアーノ・クリス・ミストラル大佐のことである。

「――おい、ユウ……皇国軍の総帥殿がそんな呑気なことを言っていてもいいのか?」

 ニストは自分よりも上官であるユウに対して、敬語を用いることもなく平然と話した。普通の者であるなら、軍の総帥たる者に無作法な話法を使用したとなれば、ただではすまされないのは当然のことである。だが、ニストはそれには当てはまらない。ついでに言うならば、そのニストの肩にもたれかかって安らかな寝息を立てているユリアーノ・クリス・ミストラル大佐も特別な存在である。

 その理由は、オーストラリア皇国執政部会にある。皇国軍とは別に本国の政治・行政・司法部門を担当する最高意思決定機関が執政部会なのである。基本的に世襲方式をとる執政部会であるが、現在この執政部会のメンバーは四人である。まず、執政部会代表でありオーストラリア皇国教皇であるアイザック・サガ・モンフォール。弱冠二十二歳でその地位についている。そして、後の三人の執政部会のメンバーというのが、ユウ・ススキ大将、ニスト・ナガン准将、そしてユリアーノ・クリス・ミストラル大佐である。三人の年齢は順に、二十四・十九・十八歳である。オーストラリア皇国はわずか四人の若者の手によって動かされているといっても過言ではないのである。

 話は戻るが、どうしてニストがユウに敬語も使わずに話すのかという理由の答は、同じ執政部会のメンバーであると共に、幼い頃からの付き合いがあるということなのである。

「――まぁ、そう硬くなるなよ、ニスト。目的は滞りなく実行する。何事においても、急いては事を仕損じるというものだ」

「別に私は急いているわけではない。それと、旅行者気分などは論外だな。本末転倒になるのは目に見えているというもの」

「しかしなぁ、最近は忙しいどころの騒ぎじゃないぞ。それこそ寝る時間もないくらいだ」

 苦笑したままユウは両手を上げて、降参のポーズをとる。これにはニストも渋々ながらもうなずいた。

「……残念だが、それはどうしようもないことだ。これからもっと大変なことになるかもしれないしな……」

「――フッ、そうだな」

 ユウとニストは共に、どこかやるせないような悲痛な表情を浮かべた。それはこれから起きる事態を物語るかのようだった。

「……ん……うん……っ……」

 ――ちょうどそんな時、ニストの肩にもたれかかっていたクリスの目がうっすらと見開かれた。寝起きということもあり、手で何度か目をこすっていたクリスは、ふとニストとユウの表情が沈んでいることに気がついた。

「――どうしたの、お兄ちゃんたち? 難しい顔してるけど、何かあったの?」

 クリスが心配するような顔で二人を見つめてきた。幼い頃からの付き合いが長いため、クリスはニストやユウのことを「お兄ちゃん」と呼んで慕っている。階級こそ大佐であり、執政部会のメンバーの一人ではあるのだが、その中身はまだ十八歳の少女である。クリス自身、一人前といっていいぐらいの義務感を持って日々臨んでいる。だが、ニストをはじめユウや教皇であるサガは、少しでもその小さな背中に負担をかけないようにと思っていた。

「――ははっ、クリス。そんなに難しいことなど何もないぞ。ただ、ニストのヤツが腹痛を患っているらしくてな。どうしようもないんで、途方に暮れていたんだよ」

 口を大きく開けて笑いながら、ユウはニストの肩を数度叩いた。話を合わせるための簡単なサインである。

「――なぜだ……この私が腹痛などと……」

 ニストは納得のいかないような表情で、眉間にしわを寄せた。だが、そのしかめた顔を腹痛に悩まされていると思ったのだろう、クリスがゆっくりとニストの下腹を撫で始めた。

「お、おい、クリス……何をしている?」

 普段冷静な表情を崩すことのないニストにしては珍しく、その顔にほんの少し動揺の色が見えた。それがおもしろいのかどうか、ユウが必死に笑いを堪えているようであった。

「これはね、とても良く効くおまじない。ニストお兄ちゃんの、お腹痛いの飛んでいけ〜ってね♪」

 子供じみてはいたが、ニストにしてみればそのクリスの心遣いが純粋に嬉しかった。クリスの柔らかな笑顔は、先ほどの重いムードを吹き飛ばすぐらいの力は十分にあった。

「どうだ、ニスト? 痛みは治まったか?」

「――フッ、おかげさまでな……」

 正確に言うと、痛みが治まったのではなく、元から痛みなどなかったのである。

「えっ? 治ったの、ニストお兄ちゃん? ふふっ、よかった♪」

 どこか皮肉めいた笑みをニストは浮かべていたが、クリスは特に気にすることもなくにっこりと微笑んだ。

「おっと、クリス。安心するのはまだ早いぞ。残念なことに、ニストはまだ頭痛と腹痛に苦しんでいる――」

「――その話はもういい、ユウ」

 ニストはちょうどクリスからは死角になるユウの脇腹を軽く小突いた。

「痛ぅ!? ニスト、おまえ上官に対して何をしとるか」

「――知らん?!」

 憮然とした表情で、ニストはそっぽを向いた。

「……どうしたの、お兄ちゃんたち?」

 どうやら、クリスは何が起こっているのかまったく理解できていないようであった。

 まもなくアデレード基地に到着しようかといった手前、特にプレッシャーを感じることもなく、ニストたちは雑談に花を咲かせていた。だが、基地に着くまでに、確認の意味も込めて話しておかなければならないことがあった。

「――さて、もうすぐ基地に着くが、ここで一つ昔話をしようか……」

 オーストラリア皇国軍総帥であるユウ・ススキ大将は、表情を真剣なものに改めて話を切り出した。総帥とはいっても、まだ二十四歳の青年だ。がっしりとした体付きをした、短く切られた金髪の大男である。

「それは構わんが、なるべく簡潔にな」

 ユウの隣に座るニスト・ナガン准将は、静かに口を開いた。大方、これからユウの話そうとすることを悟っているのであろう。整った顔立ちに、腰に届くくらいの黒髪を首の付け根あたりで、リボンのような紐を使ってまとめている。軽く百八十センチを超える長身である。

「いったい何の話をするの、ユウお兄ちゃん?」

 ニストの左隣に座るユリアーノ・クリス・ミストラル大佐は、興味深そうな様子でユウへと尋ねかけた。端正な容姿に肩よりも少し長く伸びた髪の美少女である。身長は百五十センチ後半といったところだが、育つところは育っており、理想的な体型をしている。クリスはまだ十八歳の少女である。

「ささいな昔話だよ。――クリス、ちなみに今日は何の日か知っているか?」

 新西暦1182年、五月十八日。本日の月日である。

 問いかけられたクリスは特に考える風もなく答えた。

「ダカール休戦協定と三ヶ国通商条約の効果が切れる日、だよね」

「そのとおりだ。勉強熱心で偉いぞ、クリス」

 ユウが手を数度叩いてクリスを賞賛する。

「もぅ! ユウお兄ちゃん。それくらいわたしでも知ってるよ!」

「そうだぞ、ユウ。あまりクリスをからかってやるな」

 ニストが注意するような目でユウを睨みつけた。

「すまん、すまん。俺が悪かった。まぁ、とにかく今日は特別な日だということだ」

 あくまで実際に起こった歴史的事実を確認するため、そして今日という日がどれだけ重要な日かを再実感するために、ユウは間単に話を始めた。

「今からもう十年も前の話だ。ユーラシア連合国、アメリカ大陸同盟に比べて国力の劣っていた我がオーストラリア皇国に一つの危機が訪れたのだ。その危機というのが、ユーラシア・アメリカの二カ国における期限付停戦条約の締結及び共同戦線の策謀だ」

「言い換えてみれば、二つの国がわたしたちオーストラリア皇国を滅ぼすために手を組んだということだよね」

 ユウの話に軽くクリスが口を挟んだ。

「その通りだ。ユーラシア・アメリカ両国が手を組み、圧倒的戦力をもって我が国の部隊を殲滅しようとしたのだ。――しかしだ、そうは問屋が卸さなかった」

「やけに誇らしげに話をしているな、ユウ」

 ニストがそう思うのも仕方がないことに、覇気のある声で自慢話でもするように、ユウは語り続けていた。

「それはまあ、俺の偉大な武勇譚だからな。これでも『ライトニングゴールド』の異名をとったわけだしな」

 新西暦1172年。ユウがまだ十四歳の時である。ユウは幼いながらも第一線で偉大な功績をあげたのだ。彼の活躍がなければ、この戦いを乗り越えることができなかっただろう。現在、ユウがオーストラリア皇国軍の総帥の地位にあるのも、それが大きな原因となっている。今でこそ世間が騒ぐことはないが、当時のユウは誰の目から見ても英雄であったのだ。

「――過去の栄光というものだな……」

「そうだね。今のユウお兄ちゃんからは想像できないね」

 ニストもクリスも特に関心を示さなかった。

「……おまえら、それは言い過ぎだろ! 俺はなあ、おまえらがまだガキだった頃から、命を懸けて戦ってきたんだよ」

 ユウは声を荒げて大いに憤慨した。

「とにかくだ、話を元に戻す! オーストラリア皇国の部隊は出せるだけの戦力をもって両国が合流する前に、アメリカ軍をメジュロ沖にて奇襲殲滅し、その勢いのまま半ば戦意を喪失させたユーラシア軍をマリアナ沖にて討ち破ったわけだ、はっはっは!」

「……ニストお兄ちゃん、何か変だよユウお兄ちゃんの様子……」

「――心配するな、クリス。情緒不安定なだけだ。すぐに元に戻る」

ニストの言葉通り、しばらくするとユウは我に返った。

「――えー、ごほん。まぁ、話をまとめるとだ、オーストラリア皇国のメジュロ沖海戦とマリアナ沖海戦での勝利がきっかけとなって、ダカール休戦協定及び三ヶ国通商条約が締結されたのだ。こうして、世界は十年間平和の道を歩んでいたが、それも今日で終わりだ。本日、新西暦1182年、五月十八日をもって、この協定及び条約が失効となる。今日は特別な意味を持つ日なんだよ」

 ユウが話し終えるのとちょうど同じタイミングで、機内に放送が流れた。ニストたちの乗る飛行機がアデレード基地へと着陸し始めようとしていた。

「――ねぇ、ニストお兄ちゃん……また始まるのかな、戦争が?」

 クリスが悲痛な表情で、ニストの軍服の袖をキュッと握った。

「クリス……おまえは何も心配することはない」

 ニストは何かを決意したような顔で、静かに呟いた。そして、クリスのその美しい髪を優しく撫で下ろすのだった。

 

 

第四節

(Accident in the town)

 シンヤたちが街に出かけたのは、何も特別な理由があるわけではない。日頃基地で任務についている少年少女たちにとっては、良い気分転換になるわけである。シンヤたちが向かうアデレードという街は、騒々しいまではいかない、程よく賑やかな街である。所々に建ち並ぶショッピングセンターに足を運びながら、街での一時を過ごしていった。

 そして、ちょうど昼時になった頃、シンヤたちは一軒のレストランへ入った。フランス系のそのレストランは「パラディ」という名前の店で、シンヤが街に遊びに出た時に、たまに立ち寄ることがある。

「いらっしゃいませ〜」

 元気の良い女性店員の声に迎えられて、シンヤたち四人は席へと案内された。メニューをテーブルの上に置くと、スマイルを一つ残して店員は離れていった。

「――よしっ!? 腹いっぱい食うで〜!!」

 メニューを手にとって眺め見ながら、リュシアスが抱負を述べる。

「今日は全部シンヤの奢りやさかいに、サッちゃん何でも好きな物頼みや〜。――そうそう、ついでにセリアもな」

「――どうして僕が奢らなきゃならないんだよ」

「あたしは何か無性に腹が立つんだけど……」

 シンヤが当然のように反論し、セリアが握り拳のまま言葉を漏らした。

「当たり前やっ!? ワシは今朝の悲劇を三日は絶対に忘れへんぞ。正直な話、ここでどんだけたらふく飯を食ったところで、サッちゃんが作ってくれた飯には遠く及ばへんのや。その上、サッちゃんの食べ残しいうたら超プレミアもんやいうのに、シンヤ〜おまえというヤツは〜〜〜!!」

「黙れっ、あほリュウ!?」

 間髪いれず、隣に座るセリアはリュシアスの頭部に手刀を叩き込んだ。

「――ブペッ!? 痛いやないかっ! 何すんねんクネクネ!?」

「……クネクネ言うなぁっ〜!!」

 セリアは先ほど以上の威力の手刀を連続でリュシアスへ食らわした。「クネクネ」とは、セリア・リープクネヒトのクネを二回続けることでセリアの呼称としたわけだが、とりわけセリアはこの呼称を忌避していた。

「いい加減にしなさいよ、リュシアス! サキちゃんを見てみなさい」

 苦痛に顔を歪めながらも、リュシアスは目の前のサキを見やった。サキは顔を赤くして俯いてしまっていた。どこか困惑しているような様子だった。

「――ガーン!? リュシアス、ショック……」

 一人頭を垂れるリュシアスであった。

「お待たせいたしました〜」

 料理を注文してからしばらくすると、愛想の良い表情を浮かべて店員が食物を運んできた。先ほど、リュシアスが文句を連呼していたが、結局シンヤの奢りという話は無効になった。とはいえ、半ば自棄になったリュシアスは、色々料理を注文して店員を驚かせていたようだが。

「――サキ、おまえそれだけしか食べなくて大丈夫なのか?」

 サキの隣に座るシンヤが、運ばれてきたサキの料理の量の少なさを気に留めて話しかけた。サキが注文したものはわずかに一品。特に量が多いわけでもないサラダ一つだけだった。

「わたしはこれで十分にお腹一杯になるから大丈夫だよ」

 サキは特に気にすることもなく微笑んだ。ただでさえ華奢な体をしているというのに、おまけに少食とくれば、兄のシンヤとしては放っておけない思いなのである。

「――あっ!? もしかしてサキちゃん、ダイエットしてるの?」

 何かを思いついたように手を叩いて、セリアは口を開いた。女の子が少食である理由……それがダイエットであると、セリアは考えたわけなのである。

「そんなのじゃないですよ、セリアさん。本当にわたしにはこれで十分なんです」

 少し戸惑いながらもサキは答えた。小さな肩に細い手足。ちょっとでも強く抱きしめれば壊れてしまいそうなぐらいか弱い女の子には、確かにダイエットは必要ないように思われた。

「本当にダイエットじゃないの? サキちゃんはだいたい軍の訓練で体を動かしてるんだから、むしろたくさん食べて栄養を取らないといけないのよね。少しはあたしを見習って、食べるようにしないと」

 多少食物が口の中に残ってはいたが、セリアは言葉を続けた。はっきり言って行儀が良いとはいえないが、セリアという少女は割と大雑把な性格をしているのである。サキと比べて、セリアは自分で言うように、シンヤと同じくらいの食事量であった。リュシアスの大食いは論外にせよ、シンヤは少食というわけではないので、年頃の男の子が食べるだけの量をセリアも食しているというわけなのだ。だからといって、セリアが肥満傾向にあるというわけでは決してない。いや、むしろ魅力的な女性の体型をしていると言えるだろう。

「――あかん、あかんでサッちゃん。セリアの真似なんてしたらえらい目に遭うのは目に見えとるわ。サッちゃんは今よりちょっとだけよおさん食うようにしたらええさかいに。……ここだけの話、セリアには運動は運動でも、夜の運動をよおさんしとるという秘密があってな――」

 リュシアスのその声は十分にセリアの耳に入る音量であった。

「――リュウ……あんたは頭の運動でもしてみる? さぞかし頭がスッキリして、ポックリするでしょうね……」

 無性に迫力のある低い声で、セリアはリュシアスへと迫った。

「……あ、あのー、セリア様? ポックリだけは堪忍して欲しいんやけど――」

「――問答無用よっ!?」

 レストラン内での食事中にもかかわらず、セリアとリュシアスは乱闘した。

「……あの、お兄ちゃん? リュウさんが言ってた夜の運動って何なの?」

 無垢な表情で、サキがシンヤへと尋ねかけた。

「……サキ、おまえはそんなことを知らなくていいんだ……」

 妹想いのシンヤにとって、サキはとても純粋な存在であった。

 アデレードの街は人で賑わっていた。今日が休日であるということも相乗してか、街通りは人で交錯していた。そんな街中を三人の少年少女が歩いていた。

 そもそも街に出かける予定などなかった。それが三人の中の一人、茶髪でセミロングの少女、エミリー・ロバーツの一言により状況が一変する。

「――あの、お姉様。まだ合流の時間までは幾分か余裕があるので、少し街を出歩いてもいいですか?」

 確かに当初の目的であったアデレード基地の偵察は、滞りなく終了した。エミリーが「お姉様」と呼んだのは、彼女の隣を歩く黒髪を腰まで伸ばした少女、リーナ・ツヴァイクのことである。三人の中のリーダーであるリーナは、任務遂行中に不謹慎であると当然思いながらも、持て余す時間があったのも事実であったし、特に断る理由もなかったので、エミリーの意見に賛同することにした。

 残りの一人、茶髪で短髪の少年、アーネスト・マッキンリーにも異論はなかったため、三人は街に出向くことになったのだ。

「うわ〜、この服すごくカワイイ〜♪」

 いつの間にやら、エミリーの姿はリーナの隣にはなく、洋服店のショッピングウインドウに飾られている商品に眼が釘付けになっていた。

「……何やってんだ、あのバカ……」

 呆れた表情でアーネストは口を開いた。ウインドウにへばりつくように商品を眺めるだけでは飽き足らず、さらにテンションの高くなったエミリーは、うっすらと目を閉ざし店頭に飾られている商品を自分が身につけている姿をイメージするかのように、人目もはばからずに、その場でクルクルと回り始めたのだ。

「……何をやっているの、あの娘は……?」

 理解できないといった顔で、リーナも呆然とエミリーを眺めた。

 ちょうどそんな時、どこか感じの悪い二人の男がリーナの前に立った。

「へい、そこのお嬢ちゃん! オレたちと一緒に遊びに行かないか?」

 男の一人が下卑た笑いを浮かべて、リーナへと話しかけてきた。いわゆる、ナンパというやつである。リーナもエミリーも、互いの雰囲気は違えど、共に魅力的な美少女である。街を歩いていてナンパの一つや二つをされても、まったくおかしくないのだ。

 リーナは自然とその男二人を無視して通り過ぎていった。話をする価値もないと判断したのだろう。

「おい、嬢ちゃん。無視はよくないんじゃないか?」

 もう一人の男がリーナの前へと立ちふさがった。これで前後から挟み込む形となり、男二人は再び下卑た笑みを浮かべた。自分たちのほうが有利であると思っているのであろう。その後ろで殺気を沸き立たせているアーネストにすら気づかないというのに。

「――邪魔よ、どきなさい」

 リーナは静かに言った。リーナの放つ威圧感にその男二人は一瞬戦慄したが、すぐに我に返った。

「おっと、怖い怖い。――でも、怖い顔もカワイイもんよ。……んっ? これはいけないな、かわいらしい嬢ちゃんがこんな古汚い物をつけてちゃいけねえよ」

 男の一人がにやけた笑みを浮かべて、リーナに一歩近づいたかと思うと、彼女の首にかけられていた古めいたペンダントを手にとって毒づいた。

 その瞬間、先ほどまで無表情だったリーナに変化の兆しが見えた。それは、目に見て分かるほどの怒りの表情。リーナのペンダントに手を触れたその男が宙に浮かんで地に叩きつけられたのも、それとほぼ同時のことであった。

「……貴様の汚れた手で触れていいものではない」

 凄まじい速さでリーナは相手の手をとり、足を払い、その回転力で相手を地面に叩きつけたのだ。あっけなくその男は悶絶した。

「こいつ、調子に乗るなよ!」

 仲間をやられて怒り狂ったもう一人の男が、リーナの後ろから勢いのままに突進してきた。

「――フン、所詮は素人の隙のある攻撃ね……」

 ぼそりとリーナは呟くと、まるで背中に目でもついているかのように、絶妙のタイミングでその男の体当たりを避けると、即座にその足を払う。すると、おもしろいほどうまくその男の体は宙に浮き、ちょうど一回転して地に倒れこんだ。

 一分にも満たない内に、リーナは男二人に圧勝した。といっても、リーナは全然本気の力など出してはいない。何の訓練も受けていない普通の男を相手にすることなど、リーナにとっては造作もないことであった。

 しかし、わずかに別の弊害が生じた。

「……なぁ、リーナ隊長よ。これはちょっと目立ちすぎじゃないか?」

 呆れた様子でアーネストが口を開いた。というのは、いつの間にやらリーナの周囲には人だかりができていたのだ。先の男二人とのもめ合いで、注目の的となっていたのだった。

「――分かってる。ちょっと、調子に乗りすぎたわ。――あそこの裏通りを抜けるわよ」

 言うやいなや、すぐ側の細い通り道へと走り出した。

「……やれやれ困った隊長さんだ」

「エミリー!? あなたはいつまで回り続けてるのよ! さっさとこっちに来なさい?!」

「……へっ? ちょっと、リーナお姉様? 待ってくださいよ〜!」

 我に返ったエミリーは、慌ててリーナとアーネストの後に続いた。

 リーナが先頭になって三人は裏通りを走った。この時のリーナは明らかに動揺していた。不要な争いをして目立ってしまったことがその原因である。だが、それ以上に許し難いことは、リーナが身につけているペンダントをその男がバカにしたことである。いまだに頭に血が上ったまま怒りの冷めないリーナは、注意散漫に走り続けていた。

「――きゃっ!?」

 半ば足下を見ながら走っていたリーナは、細い通りを抜け出たことに気づかずに、大通りに出たその時、ちょうど前にいた通行人と衝突した。

「……だ、大丈夫?」

 リーナの頭上から心配するような男の声が聞こえてきた。気づいた時には、リーナはその通行人――帽子を被った男に抱き止められる格好となっていた。……ちょうどその豊かな胸部を男の手に覆われる形としてだが。

「――き、貴様……くっ?!」

 わずかに一瞬だけ、鋭い眼光でリーナはその男を睨みつけた。これにはその男も驚いたようで、一つ息を呑んだ。このまま男を殴りかねない勢いのリーナではあったが、彼女はようやく正気に戻ることになる。少なくとも、この帽子の男には罪がないという、簡単なことに気がついたのだ。

「礼は言わないわよ! ……おあいこだからね」

 少ない言葉を残して、リーナは再び走り出した。すでにもう、リーナの怒りは静まっていた。後方でエミリーが何かを叫んでいるようであったが、リーナは特に気にすることもなく走り続けた。

 

 

「わたしのお姉様に何すんのよ〜!?」

 突然の事態に、シンヤ・ミナヅキの頭はパニックを起こしていた。裏通りから急に飛び出してきた女の子とぶつかったかと思えば、一瞬ではあったが、その娘には強く睨まれた。さらに災難はそれだけでは終わらず、その女の子が走り去った後、続けざまに突進してきた別の女の子には、あろうことか額を平手で強打されてしまったのだ。

「……何だったんだよ、いったい……」

 走り去る少女を見やりながら、シンヤは言葉を漏らした。シンヤの隣では、リュシアスが不満げな表情でシンヤを眺めていた。

「シンヤ〜っ!? おまえというヤツはなんちゅう運の良いヤツなんや〜!!」

 シンヤの予想を裏切ることに、リュシアスはシンヤに同情するのではなく、シンヤへと怒りを表したのである。

「どこをどう考えたら、僕の運が良いことになるんだよ。衝突されただけじゃなく、殴られたんだぞ?」

 明らかにシンヤの反論には理はあったが、リュシアスはまったく納得した様子ではなかった。

「……そんなん関係あらへんがな! ――ていうかシンヤ、おまえあのカワイイ娘の胸触ったやろ?」

「――は? む、胸!」

 かわいい娘だったかどうかは、シンヤは彼女の顔をよく見なかったので分からなかったのだが、確かに温かくて柔らかな何かに触れたような気がしなくもなかった。

「そうや!? あんなカワイイ娘の胸を触った後で一発殴られたところで、よおさんお釣りが返ってくるがなっ!?」

 リュシアスが一理あるのかさえ怪しい、我の強い意見を述べた。

 呆れ果てたシンヤがリュシアスの文句を聞き流していると、手前の店から買い物袋を待ったサキとセリアが出てきた。サキとセリアが店内で買い物をしている間、シンヤとリュシアスは長々と外で待たされていたのである。

「――ど、どうしたの、お兄ちゃん?」

 シンヤの顔を見るや、サキは驚いて目を見開いた。

「ほぅ〜、これはまた立派な跡をつけられたものね」

 セリアも感心した様子で、シンヤの顔を眺めていた。

「このシンヤのほっぺたの跡はな、罪と罰の印や!?」

 シンヤの頬の跡、それは先ほど突進してきた少女から頂いた平手打ちによるものである。その威力が強かったためか、今もシンヤの頬には平手の跡がくっきりと残っていたのである。

「――あの〜、リュウさん? 罪と罰の印って何ですか?」

 訳が分からなかったサキはリュシアスに尋ね返した。その一方でセリアはというと、大方の事情を察したようである。

「聞いて驚いたらあかんで、サッちゃん!? シンヤのヤツな、ワシら四人でのダブルデートの最中にもかかわらず、通りかかったごっつうカワイイ娘の胸を――むぐぐっ!!」

 リュシアスの口からクリティカルな言葉が飛び出る寸前に、シンヤは彼の口を閉ざすことに成功した。このままリュシアスに喋らせていたら、あくまでアクシデントの被害者であるのが、一気に犯罪者まで昇格してしまうところである。

「――サキ、僕は何も悪くない。ただ、闘魂を注入されただけだ……」

 赤くなった頬以外もなにやら赤く染まりつつあるシンヤが、必死にサキに弁明した。

「……闘魂注入?」

 サキはシンヤの言っていることがよく分かっていない様子であったが、幸運なことにシンヤがこれ以上特に責められることはなかった。

「――ところで、リュシアス? あんた、さっき微妙にダブルデートとか口走ったわね?」

 打って変わって、今度はセリアがリュシアスの発言に対して異議を唱えた。

「もちろんっ!? これは立派なダブルデートや!! ワシとサッちゃんと……ついでにシンヤとセリアのな」

 リュシアスが大きく胸を張って言い切った……のだが――、

「あの、リュウさん? わたし、そんなつもりはないんですけど……」

 困った様子でサキは答えた。

「……そ、そない殺生な〜」

 心底落胆したような表情で、リュシアスが嘆いた。そして、石になった。

「まったく、何を言ってるんだよ、リュシアスは……。おまえとサキなんて言語道断。それに僕とセリアとだって、なあ?」

「――えっ? そ、そうね、当然そうだわ?!」

「……どうしたんだ、セリア?」

 何がどうしたのか、動揺しているようで、その頬に赤みを覚えたセリアだった。

「ぷぷっ、クネちゃんが照れてクネクネしとんねんな」

 不運にも、石から復活したリュシアスは禁断の一言を発してしまった。

「……リュウ? あんたはいっぺん地獄に落ちるべきね……」

 この時リュシアスの目には、普通では見えるはずもない、セリアの体の奥から滲み出てくる怒りの闘気が見えた気がした。

「お姉様……後生やさかいに――」

「――クネクネ言うなぁっ〜!!」

 セリアの気合の一声と共に、大きな破裂音がアデレードの街中に轟いた。

「――お姉様? どうして急に走り出したりしたんですか?」

 人込みの少ないアデレードの街外れに、三人の少年少女はいた。リーナ・ツヴァイクとエミリー・ロバーツ、そしてアーネスト・マッキンリーである。三人はかなりの距離を相当のスピードで走り抜いたはずなのだが、まったく息が切れている様子ではなかった。

「気にしないで、エミリー。ちょっとした準備運動よ」

 ほんの一瞬、エミリーは戸惑うような表情をしたが、

「――そうだったんですか?! さすがリーナお姉様です♪」

 何がさすがなのかはエミリーのみぞ知るだが、彼女は十分に納得したようだった。

「それよりも聞いてくださいよ、お姉様?」

「何なの?」

「街でお姉様にぶつかってきた失礼なヤツですけど、お返しに一発ぶってきましたよ」

 エミリーの言葉を聞いて、リーナはふと思い出す。先ほどの帽子の男に衝突してしまったこと。どこかリーナは落ち着きのない状態だった。それはおそらく、この街に着いた時から始まっていたのかもしれない。

 遠い日の約束と……幼き頃の思い出……。

「――なぁ、リーナ隊長?」

 何かを察したかのような顔で、アーネストが口を開く。

「隊長はこのアデレードの街に来たことがあるんじゃないか?」

 アーネストからの問を受けても、リーナの表情は変わることはなかった。悲痛とまではいかないが、どこか憂愁を帯びたような顔。

 リーナは無言のまま、ただ首を縦に振った。そして、街とはちょうど反対方向にその視線を移す。その先には、ぽっこりと膨らんだ小さな丘が見えた。すぐ側にある細い道を行くと、子供の足でも苦もなく辿り着けるぐらいの距離に、その丘はある。

 その丘は、今も時が止まったままの、少年と少女の約束の場所……。

「――この街も、人も……何も変わっていない。……ただ、あの子がいないだけ……」

 エミリーやアーネストには聞こえることのないぐらいの小さな声で、まるでその丘に語りかけるように、リーナは静かに呟いた。

 その手は古めいた、けれどリーナにとってはとても大切なペンダントに。そして、その瞳の奥には、まだ叶えられることのない約束と、あの少年の姿を思い浮かべながら……。

 リーナのその頬は、沈み始めた太陽のせいか、赤く染まって見えた。

 

 

第五節

(Reunion in Sad Battlefield)

 日が沈み夜になった。アデレード一帯は深い闇に包まれた。

 時に新西暦1182年五月十八日。現時刻は午後十時三十分になろうとしていた。今から十年前に締結されたダカール休戦協定及び三ヶ国通商条約の失効まで、残り一時間三十分となった。

 アデレードの沿岸から沖合いに数百メートル離れた距離には、いまだに巨大な影が潜んでいた。日没の後、再び海上に浮上したこの潜水艦は、三人の少年少女の乗る一隻のボートを収納した。そして、その影は今海中にある。来るべき時を気長に待っているかのようであった。

 その艦内の一室でのこと。リーナ・ツヴァイクを始めとして、エミリー・ロバーツ、アーネスト・マッキンリー、そして昼間の偵察任務からは外れていたレオン・ケレンスキーの四人は、今回の作戦のブリーフィングを行うためこの部屋に呼集されたのだ。

 背筋を伸ばして横一列に並んだ四人の前には、同じく軍服に身を包んだ男――当艦の副艦長であるユークヴィスト・ライシャワード大尉が直立し、その横には艦長であるアルフレッド・ヴァージル中佐が机に肘をついてイスに腰かけていた。

「それではこれより、本作戦のブリーフィングを行う。諸君、今回の作戦は重要な意味を持つ。肝に銘じて聞くように」

 副長であるライシャワード大尉は、覇気のある声で話し始めた。

「既に熟知の通り、本作戦の目的はアデレード基地に秘密裏に配備された新型TBWの強奪にある。我々は隠密生に富む三機のレイを用い、アデレード基地に奇襲をかけ、混乱に乗じてこれを奪取する。機体の格納場所は本日二三〇〇を持って各自の機体に転送する。基地施設と併せて脳髄に叩き込んでおくように」

 その言葉に、リーナは小さくうなずいた。機体の奪取要員が彼女であり、速やかに格納庫まで到達することが任務成功への必須条件である。

「まず二三三〇、本艦はアデレード南岸の沖合い五百の地点で貴君らを放出。貴君らはMCSを展開したままで作戦位置まで移動、明〇〇〇〇を持って予定通りに行動を開始せよ。交戦開始を確認後、本艦は速やかに浮上し、クラスターを用いて援護を行う。その間に貴君らは作戦目的を達成し、基地を離脱、本艦と合流する。以上、何か質問はあるか」

 このライシャワードの最後の言葉はある意味蛇足であった。質問などこの期に及んであろうはずがない。

リーナはハワイ出航以来、何十回となく繰り返してきた仲間たちとの机上演習を思い起こした。アデレード基地の外周のどの辺りに味方が位置し、戦闘開始と同時にどう動くのか、敵新型の捕捉から妨害を排除しての奪取、そして撤退までのルートを一瞬で想起し、すべて頭に入っていることを確認する。何百回となく読み返したオーストラリア皇国軍のTBW制御用OSの操作方法・ロック解除の手順は今すぐ空で暗証することが可能である。それを誇らしく思う気持ちは皆無だ。これらのことができないならば、自分は今ここにはいない。他の三人にしたとてもそれは同じである。任務自体は簡単なものではなかったが、リーナは失敗を恐れてはいなかった。そのための海兵隊、そのための第八特務小隊なのだから。

「それでは各自、機体に搭乗して出撃まで待機せよ。機体の最終チェック、怠らぬようにな。解散!」

 ライシャワードの号令を受けて、リーナたち四人は洗練された動作で敬礼し、すぐさま部屋を後にした。

 

 

 ブリーフィングを終えた少年少女たちは、出撃に備えるため艦内の格納庫へと向かった。そこには、三機のTBW――戦術戦闘兵器が横たわっていた。TBWとは、巨大な人型を採用することによった既存の機動兵器を超えたまったく新しい機動兵器である。この三機のTBWはレイと呼ばれるシリーズで、量産型のTBWとは違い、アメリカ大陸同盟軍の海兵隊の専用機であり、レアリックというカテゴリーに属す少数量産型機である。機体整備班からの確認を受けて、リーナ、エミリー、アーネスト、レオンの四人はそれぞれの機体へと向かった。

 まず、アーネストが搭乗したのは、レイシリーズの中でも中距離戦に特化したアームズ・レイである。肩部大口径ビームガトリングガンを左右に二ヶ所装備し、四連装脚部地対地ホーミングミサイルポッドも同様に備えてある。大量生産型TBWの機動性、並のパイロットの操縦技術では、蜂の巣にされたところで何もおかしいことではないのだ。

 次に、エミリーが搭乗したのは、スナイパー・レイと呼ばれるタイプである。アームズ・レイとは異なり、このスナイパー・レイは遠距離射撃に特化している。狙撃用ビームライフルとビームショットライフルを併用した銃兵器が一丁と、135mmスナイパーライフルを一丁装備している。射撃能力に優れたパイロットがこの機体に搭乗すれば、まさに鬼に金棒と化すのである。

 最後に、リーナとレオンが搭乗した機体はソード・レイと呼ばれるものである。今回の作戦上、敵であるオーストラリア皇国の新型兵器の奪取要員であるリーナが一時的とはいえ、レオンの搭乗するソード・レイに同乗しているのである。このソード・レイタイプは特に格闘戦において、その本領を発揮する。ロングビームサーベルが二刀とツインビームソードとデュアルビームソードが共に一刀。この装備を見るだけで、いかに格闘戦にこだわっているかが理解できる。

 このレイシリーズはノーマルタイプ・ソード・アームズ・スナイパーのいずれを取っても、機体の性能を最大限に発揮できるパイロットがこれらに搭乗したとなれば、オーストラリア皇国軍の主力量産機であるランゼンをレイ一機にして、十五機は無傷のまま撃墜できると言われているのだ。

「――リーナ、いよいよだな」

 機体に搭乗して出撃の準備が完了したソード・レイのパイロットであるレオンは前方に視線を向けたまま、隣に立つリーナへと話しかけた。

「ええ、そうね。相手も警戒しているだろうから、慎重に行動しなさいよ」

「そんなことは百も承知だ。――と、ところでな……」

 普段は淡々と話すレオンだが、珍しく歯切れの悪い口調だった。どこか恥ずかしがっているような、そんな感じだった。

「どうかしたの、レオン?」

 怪訝そうな顔でリーナがレオンへと目を向ける。今のレオンはどうも落ち着きを欠いているように思えた。

「こ、この作戦が終わったらな、おまえに話したいことがあるんだ……。リーナ、聞いてもらえるか?」

 リーナに悟られることのないように、レオンは極力自然を装って彼女に話しかけた。レオンがリーナに話したいこと。それは、レオンのリーナを想う気持ちについてである。

「別に構わないわ。そのためにも、今回の作戦はがんばって頂戴ね」

「――お、おう! 大船に乗ったと思って、安心していればいいぞ!?」

 気合を入れるように手と手を叩き合わせて、レオンは機体の機動スイッチを稼動させた。その横では、リーナが柔らかな微笑みを覗かせていた。

「――その意気よ、レオン」

 艦内の格納庫では、ソード・レイが起動したのを始めとして、順にアームズ・レイ、スナイパー・レイが起き上がった。これはすなわち、三機のレイの出撃を意味していた。

 少年が見た夢はとても懐かしいものだった。過去の大切な思い出。どうしてこんな夢を見たのかは、まったく理解できなかった。まあ、それも夢であるという一言で片付くかもしれない。夢とはそんな不思議でいて儚いものなのである。

 少年の夢の中には、一人の少女が登場した。今も少年の記憶の中から決して消えることない少女である。その時の少女との別れ、そして今も果たされることのない約束を夢に見たのである。

 正直、不思議な感じがした。けれど、それと同じくらいに新鮮な気持ちになったのである。悲しくもあり、嬉しくもあったのだ……。

 

 

「――どうしたの、お兄ちゃん? ぼうっとした顔をして」

 少年、シンヤ・ミナヅキが我に返った時には、妹であるサキが不思議そうな顔をしてこちらを眺めていた。

「別になんでもない。ちょっと考え事をしていただけだよ」

 サキに余計な心配をかけないようにと、シンヤは笑いながら答えた。

 シンヤとサキは今、オーストラリア皇国軍アデレード基地にて警護任務についていた。常に最悪の事態を想定して事に臨むという基本思想の下、たとえ休戦中といえども警戒を怠らないのである。しかしながら、今日という日は少し事情が違った。今から十年前に締結されたダカール休戦協定及び三ヶ国通商条約が失効となるのである。その時が刻一刻と迫りつつあった。

「――あれ、シンヤとサキちゃんじゃない?」

 声のした方向に目をやると、そこにはセリア・リープクネヒトの姿があった。その後方からは二人の少年――リュシアス・ウェリントンとクレーデル・ロッシュがこちらに歩いてきた。クレーデルも、シンヤたちと同様にこのアデレード基地にて任務につく十七歳の少年である。

「おっす、サッちゃん! 相変わらずカワイイなぁ〜」

 シンヤには丸っきり目もくれず、リュシアスがサキへと話しかけた。

「もう、リュウさん。恥ずかしい冗談言わないでくださいよ〜」

 いつものこととはいえ、サキは顔を赤くして下を向いた。

「こら、リュシアス。任務の最中に不謹慎だぞ」

 隣で見ていたクレーデルが咎めるように言った。彼の言うように、今は歴とした警戒任務遂行中なのである。

「へいへい。そんな硬いこと言わんでも分かっとるがな、クレーデル。やるべき仕事はちゃんとやる! これはワシのポリシーやさかいに」

 少々バツの悪そうな顔をしながら、リュシアスは答えた。それから、彼にしては珍しく真剣な表情になった。

「――ワシに与えられた使命は二つ。生まれ育ったこのアデレードの街とサッちゃんを、ワシの命に代えてでも守りきることや。ほなな〜、サッちゃんにシンヤ」

 しっかりとした使命と己の希望を皆へと話し終えて、リュシアスはその場を歩き去った。

「じゃあね、シンヤ、サキちゃん。――サキちゃん、後であのあほリュウを一発殴っといてやるから、安心してなさい」

「セ、セリアさん。殴るって……」

 リュシアスの後を歩いていくセリアをサキは苦笑をもって見送った。

「それじゃあ僕も行くよ、シンヤ、サキ」

 クレーデルはすぐ側の窓から外を眺めた。その視線はどこか願い訴えかけるようなものであった。

「――僕はいつまでも、平和な世界が見ていたいんだ……」

 夜の空へと小さく呟くと、クレーデルもセリアたちの歩いていったほうへと姿を消した。

「わたしたちもそろそろ行こうか、お兄ちゃん?」

 サキが立ち上がり、シンヤのほうを振り向いた。その顔はまだ十五歳の少女とは思えないぐらいの決意めいたものであった。

「ああ、そうだな」

 サキの言葉に返事をして、シンヤもゆっくりと立ち上がった。サキとシンヤの二人も、セリア、リュシアス、クレーデルと同様に、各自の搭乗する機体が収納される格納庫へと足を向けた。

 

 

「――いやあ、それにしても、しばらく会わないうちに本当に綺麗になったね、クリスちゃん」

 オーストラリア皇国軍アデレード基地内でのこと。オーストラリア皇国本部から当基地に視察にやって来たユウ・ススキ大将、ニスト・ナガン准将、ユリアーノ・クリス・ミストラル大佐は、アデレード基地副司令官であるセイイチロウ・ミナヅキ技術少将に連れられて、基地内を歩き回っていた。

「あの……セイイチロウさん? それ言うの、今日でもう三回目ですよ?」

 苦笑を浮かべながら、クリスはセイイチロウに答えた。確かに、今日セイイチロウがクリスに会ってから、今でちょうど同じ言葉を三度口走った。ちなみに、セイイチロウ・ミナヅキ技術少将はシンヤ・ミナヅキとサキ・ミナヅキの実の父にあたる。身長は百七十センチ後半、中肉中背の中年の男性である。今年で不惑の年を迎えるこの男は、渋さも含んだ若々しい容姿をしており、とても四十歳になるとは思えなかった。

「そうか? 同じ事を三度も繰り返した覚えはないのだがねえ。いやはや、クリスちゃんも知っている通り、実はこの私にも君と同じくらいの歳の子供が二人いてね、話しているとどうも親の心が前面に出てきてしまうんだよ」

 申し訳なさそうに、セイイチロウはクリスに告げた。

 セイイチロウ・ミナヅキはユウやニストとはあまり面識がない一方で、ユリアーノ・クリス・ミストラルとはちょっとした繋がりがある。オーストラリア皇国軍総帥に属する各部門の中で、セイイチロウとクリスは共に開発局に入っている。開発局におけるセイイチロウのポストは開発次官、それに対してクリスのポストは開発局長である。セイイチロウの少将とクリスの大佐という階級から分かるように、セイイチロウはクリスの上官にあたる。開発次官というのは、総帥であるユウの次に開発局での指揮権を有している。しかしながら、弱冠十八歳にして大佐の階級を持ち開発局長を務め、さらには本国の執政部会のメンバーでもあるクリスに対して、セイイチロウは少なからず敬意を表しているのである。

「――セイさんの息子のシンヤ・ミナヅキと娘のサキ・ミナヅキはHighシリーズプロジェクトの重要なパイロット候補だからな、俺でも知ってるよ」

「おっしゃる通りです、総帥。ということは、ナガン君も知っているのかね?」

「――承知しております、少将殿」

 上官への礼儀作法は当然のものであったが、これに対してセイイチロウは困ったような表情を浮かべて苦笑した。

「ナガン君、そんなに硬くならんでくれ。君やクリスちゃんは、私などよりもオーストラリア皇国にとってずっと偉大な存在なのだからね」

「――それは謙遜かと思われますが、少将。あなたも我が国一の頭脳の持ち主であるという点では、十二分に偉大です」

 あくまで真剣な表情で話すニストに、また一つ苦笑を浮かべるセイイチロウ。

「いやいや、そんなことはないよ。ナガン君、それこそ私を過大評価しているにすぎない。私は何も普通の人間と相違するところなどない。――いや、敢えて一つだけ言わせてもらうとすれば、人より少しだけ頭が良いぐらいさ」

 セイイチロウの言葉を受けても、ニストは納得した風ではなかったが、

「おい、ニスト。セイさんがああ言ってるんだから、それでいいだろう」

「そうそう、セイイチロウさんは元からこんな人だもんね」

「――わかりました。善処しましょう」

 ユウやクリスからの説得(?)を受けて、ニストはセイイチロウへと話しかけた。

「うん。改めてよろしく頼むよ、ナガン君。――ところで、クリスちゃん? こんな人って言ったが、私のことをどういう男だと思っているのかね?」

「――えーと、ですね……素敵なおじ様だと思います♪」

 にっこりとかわいらしく微笑むクリスを見て、セイイチロウは途端に目頭が熱くなった。正直な話、感動さえ覚えたほどである。

「クリスちゃん……お世辞でも涙がでるくらい嬉しい言葉だよ……うんうん。私の娘のサキなどは『お父さん……少し変です』と言うもので、私は衝撃のあまり三日は快適な睡眠をとることができなかったこともあったほどだよ」

 面目なさそうに笑うセイイチロウを見て、クリスも声に出して小さく笑った。少し天然の入ったクリスの性格からいくと、本当に疑いもなくセイイチロウのことを「素敵なおじ様」であると思っているのだろう。

 ニストとユウはそんな二人を見て目を見合わせた。声に出さずとも、お互い同じことを感じていたのである。

 ああ、変なヤツらだと。

 

 

 オーストラリア皇国軍はかねてよりTBWを上回る新兵器の構想を練り続けてきた。その計画はHighシリーズプロジェクトと呼称され、人知れず密かに進行されてきた。そして、新西暦1182年。Highシリーズプロジェクトは部分的にとはいえ完成することになる。これを完成に導くにあたり、中心となった人物がセイイチロウ・ミナヅキ技術少将とユリアーノ・クリス・ミストラル大佐なのである。

 Highシリーズプロジェクトの内容は簡単に二つに分けて説明することができる。まず初めが、MTBW――多目的戦術戦闘兵器である。これは新しいタイプのTBWであり、その特徴は二つある。その一つは機体の変形能力である。すなわち、通常の人型から陸海空宙のそれぞれの地形に特化した形態に変化させることによって、非常に高い汎用性を獲得することにあるのである。二つ目の特徴としては、戦闘における柔軟性が挙げられる。これはつまり、決まった間合いでしか有利に戦いを行えないというリスクを除去し、MTBWの機体ごとにそれぞれ特に戦闘効果を発揮する間合いはあっても、狙われては危機的状況に陥る間合いを存在しなくしたことにあるのである。もちろん、従来機に対する基本性能の優越は言うまでもないことである。この多目的戦術戦闘兵器――MTBW(マルチタクティクスバトルウェポン)は可変型TBWとして「ハイブリッド」と呼称される。次に、Highシリーズプロジェクトの内容の二つ目にくるのが、「ハイグレード」タイプのTBWの存在である。ハイグレードとはすなわち高級機のことであり、通常の大量生産機のTBWを大きく凌ぐ性能と強力な武装を有しているところに特徴がある。

 この度、オーストラリア皇国軍開発局はハイブリッドタイプの機体三機と、ハイグレードタイプの機体二機を完成させるに至った。以下に各機体に関しての簡単な説明を挙げようと思う。

 まず、世界初のMTBWとなるハイブリッド。その名はラウズ。空地形に特化した白虎モード。陸地形に特化した玄武モード。海地形に特化した青龍モード。常時のノーマルタイプは陸及び宇宙において有効である。基本性能の優秀さは言うまでもなく、白虎・玄武・青龍のそれぞれの地形に特化した形態に変形できることが大きな特徴である。注目を引く武装としては、正規空母を一撃で吹き飛ばすことができるツインプラズマランチャーが強力である。覚醒を意味するラウズという機体名、これには開発者であるセイイチロウ・ミナヅキ技術少将の強い想い――この機体の力によって戦争という悪夢から人類が覚醒せんことを切に願う――が込められている。パイロットは開発者セイイチロウ・ミナヅキの実息のシンヤ・ミナヅキである。

次に、オーストラリア皇国軍二機目のMTBWのウインドについてである。この機体は史上初の人型による重力下飛行を実現している。主力武装は二丁備えつけられている高出力のビームバスターガンである。また、空地形に特化した形態であるフライングフォーム時の最大速力はマッハ四という数値を誇る。パイロットはセイイチロウ・ミナヅキの実娘であるサキ・ミナヅキ。

 そして、三機目のMTBWはエアリス・セイバーという機体名である。この機体は徹底的に「剣」による近接格闘戦にこだわったところに特徴がある。ロングビームソードが二刀、ビームソードが二刀、ミドルビームソード二刀にショートビームソード二刀。さらには、ビームサーベル一刀とビームダガーを四刀装備しているのである。また、陸地形に特化したウルフモードという四足獣形態へと変形することができる。パイロットはクレーデル・ロッシュである。

 四機目の機体はハイグレードと呼称される高級機で、アーク・フォートレスという機体名である。この機体の特徴は中距離火力に重点を置いて設計された点にあり、その常軌を逸した大火力をもって敵主力を正面から迎撃し、殲滅するという運用が意図されている。武装としては、左腕部メガビームガトリングガン、右腕部150mmダブルキャノンなどがある。弱点は比較的容易に弾切れを起こす点にある。パイロットはリュシアス・ウェリントン。

 最後となる五機目の機体は、これもハイグレードタイプのラーク・ガンナーである。この機体は射撃、特に狙撃を志向した機体であり、専用のロングレンジコンバータライフルはビーム、レーザー、実体弾の三種類をカートリッジ交換によって撃ち分けることができる万能武器である。また、両手首のポケット状の部分に隠し持っている二丁のハンドガンは最後の攻撃手段として、敵機のコクピットへの零距離射撃を可能にする武器である。パイロットはセリア・リープクネヒト。

 以上の五機の新型ハイブリッドとハイグレードを開発・完成させた場所が、オーストラリア皇国軍アデレード基地なのである。本部からわざわざ視察に訪れたのも、これら新型機の完成度を確認するためといっても過言ではないのである。

 

 

 もうまもなく、時刻は午前零時を迎えようとしていた。すなわち、条約失効の時がやってくるのだ。

「ふう、早く家に帰って風呂にでも入りたいものだ」

 オーストラリア皇国軍アデレード基地の外周の一角。直立不動のまま警護につくカルロス・フォルスター二等兵は疲労もあってか不満を漏らした。

「そう文句をたれるな。これも立派な任務の一つだ。真摯に取り組もうではないか」

 隣に立つ兵士が硬い表情でカルロスに答えた。立派な任務の一つであるということは、カルロスも重々承知しているのだが、敵襲の確率の稀少さを考慮すれば、少々の怠慢は十分に入る余地があった。

 カルロスがそんな些細なことを考えている横では、先ほどの兵士が疑惑の表情で目を凝らして前方を見ていた。

「どうかしたのか、何もないところを見て?」

 隣の兵士と同じ場所をカルロスも眺める。特に違和感もない極普通の風景としてしか捉えることしかできなかった。

「……何かが動いた……景色が変だった……」

 ぼそりと呟くとその兵士は前方に歩み出た。

「――おい、何を訳の分からないことを言っている……っ!?」

 その時、異変が起こった。それはとても信じられないようなことだった。前に進み出た隣の兵士の姿が突然消失したのである。

「……な、何だよ、何が起こったってんだよ!? ――ひ、ひぃっ!!」

 カルロスは戦慄により腰を抜かした。彼にとって、さらに驚くべき事態が起こったのである。何もない風景から、突如として巨大な影が姿を現したのである。それは、とても大きな人型の物体。そう、TBWである。

 言葉にすらならない声を発するカルロスが呆然と見つめる中、そのTBWは厳かな動きでビームライフルの発射体勢へと入った。

 この時の時刻がちょうど午前零時であること、そしてその意味することを考える余裕はすでにカルロスにはなかった。

 カルロスが敵機を発見できなかったのにも、明確な理由がある。その理由がMCS――ミラージュ・カモフラージュ・システムである。この最新技術は特殊な素粒子を対象の周囲に展開することによって、目視を含むあらゆる索敵手段の無効化を可能にしたのである。

「――こちらスナイパー・レイ、エミリー・ロバーツ。目標、敵基地司令部! 第一撃、発射します!?」

 エミリーの一声と共に撃ち放たれたビームは、一km近く距離のあるアデレード基地の中枢司令部に寸分違わず直撃した。

 ――歴史は今、戦争と平和の反転が起こらんとしていた……。

「始まりました! ロバーツ機より、交戦開始信号を受信!!」

 アデレードの沖合い三キロ、深度百二十メートルの地点で息を殺していた潜水艦――ブラック・スパインの発令所で、レーダー管制官が事の始まりを告げたのは、ヴァージルの腕時計が丁度十二時を指した時だった。

時間通りだ。やはり、紳士は時間に正確でなくては、と心の中で呟きながら、おおよそ十年ぶりとなる実戦での号令を発する。

「緊急浮上と同時にMCSを解除、最大戦速! 針路二−七−〇。ミサイル発射管、全門クラスター装填! さて諸君、この攻撃をもって新たな始まりとなそうではないか!?」

 ヴァージルの言葉に呼応して、ライシャワード以下発令所クルーの顔に不敵な笑みが浮かぶ。ここにいるのは実戦と聞いて恐怖のあまり小便を漏らす新兵でもなければ、臆病な平和主義者でもない。実戦経験者こそ数名しかいないが、彼らもまた、不屈の闘争心と優秀なる技量を誇るれっきとした海兵隊の一員なのだ。

「アイ・サー! 全バラスト、強制排水、緊急浮上! 同時にMCS解除、加速最大、続いてミサイル発射管全門クラスター装填! 迅速にな!?」

 続いてライシャワードが復唱し、各担当官が手際よくそれぞれの作業をこなしていく。皆実戦は初めてだが、仕事の速さはさすがだ。

 まもなく、バラストの排水が終わり、艦体が急激な浮上を始めた。体が浮き上がっていく感覚。スパインはものの数秒で浮上を完了した。と同時にそれまで艦体を覆い隠していたMCSが解除され、その全長百メートル近い巨体がその姿を現す。

今まで敵制海権下でまったく発見されることなく自由に航行出来たのはすべてこのMCSのおかげであった。それを解除すればたちどころに敵に発見されるが、解除しなければ最大速度を出すことができず、満足な戦闘機動も行えない。

そして、間髪入れずに出力全開で作動を開始した高性能の水流ジェット推進システムがスパインの巨体を瞬く間に六十ノットの最大速度まで加速させた。

同時にライシャワードが叫ぶ。

「ミサイル発射管、全門発射! 目標、アデレード基地。さあ、ミサイルのシャワーをたっぷりとお見舞いしてやれ!」

「全門五斉射、後MCS起動、六十まで急速潜航、巡航速度にて回収地点まで移動する!」

 艦尾に設置された六門のミサイル発射管のシャッターが開き、凄まじい速さで次々とミサイルが発射されていく。五斉射三十発。十秒あまりの内に、なけなしの艦載対地攻撃用のミサイルを撃ちつくしたスパインは、再び速度を落とすとMCSを起動し、潜航を開始した。そのまま九十キロ南に移動し、新型を強奪して脱出してくるリーナたちを待つのである。いくらMCSがあろうとも、攻撃地点に潜んでいるのは愚かだ。

「ふふっ、艦長。これからおもしろくなりそうですな」

「――ああ、そうだな……」

「なあに、心配せずとも事はすべてうまくいくでしょう」

「そうかね? ならば、大尉は確信する根拠があるのかね?」

「もちろんです。こんな任務をこなせないようなヤツらではないですよ」

「それなら私も分かっておるよ。見込みのない技量なら、上もこんな計画を実行させたりせんさ」

 ヴァージルの言葉は、リーナたちだけではなく、スパイン全体の能力を指してのものであろう。

発射したミサイルの着弾までは五秒ほどだ。既に着弾し、その災禍を余すところなくアデレード基地に与えていることだろう。ともあれ、彼らにできることは当面の間待つことだけだった。

 

 

オーストラリア皇国アデレード基地の視察を一通り終えて、中枢に建つ司令部に戻ろうとしたユウ、ニスト、クリス、そして案内役の副司令官であるセイイチロウの目に衝撃の光景が広がった。突如として眩いばかりの一条の閃光が司令部を直撃し、一瞬にして廃墟に変えてしまったのだ。中にいた司令以下のスタッフの運命は考えるまでもない。

 それはちょうど、午前零時になるのと同時のことであった。

「……ど、どうしてこんな……ひどいこと……」

 言ってみれば、戦争慣れをしていないクリスにとって、まさにこれは最高の恐怖であった。体の震えと恐怖が収まらないクリスは、隣にいたニストに力なく抱きついた。

「――ははっ、これは酷くやられたものだ。夢なら覚めて欲しいぐらいだ」

 一見泣き言を上げたようにもとれるセイイチロウの一言だが、そんなことはない。むしろその真剣な表情は、すでにこの状況に対しての最良の対策を必死に考え出そうとしているようであった。

「ちっ、これは悪夢以外の何ものでもないな!?」

「そうだな。問題はどのようにして、この悪夢を覚ますか、だ」

 ユウが大きく憤慨する隣では、ニストが冷静な表情のまま焼け焦げて破壊された司令部を見上げていた。

「総帥、ナガン君、クリスちゃん。君たちはすぐにシェルターに避難してくれ。このままでは君たちの命にさえ危険が及ぶかもしれない」

「――セイさん、あんたはどうするつもりなんだ?」

 大方想像はつくものの、ユウはセイイチロウへと問いかけた。

「私は仮にもこの基地の副司令官だ。やるべきことはたくさんあるのさ。――私のことは心配しなくてもいい。君たちの任務はこの状況から生き延びることだ。こう見えて、私は意外に運の良い男なんだよ」

 この状況にもかかわらず、セイイチロウは一つ笑みを浮かべた。そこからは、彼独特の何ともいえない威厳が漂っていた。

「……ミナヅキ少将、幸運を祈る!?」

 ユウは小さくも力のこもった声を発して、セイイチロウへと敬礼した。ニストもユウに続いて敬礼を送った。

「――しっかりとまかされたよ、総帥、ナガン君」

 セイイチロウは二人に敬礼を返した。そして、彼の側に控えていた兵士の一人がニストたちをシェルターへ先導すべく走り出した。その兵士の後方に続く形でニストたちも足を進めた。

 

 

 アデレード基地一帯に警報が鳴り響いたのは、午前零時ちょうどのことであった。突然の非常事態に動揺する兵士は、決して少なくはなかった。

 そんな中、少年、クレーデル・ロッシュは冷静さを欠くことなく、我先にと格納庫へと向けて走り出した。パイロットの待機室は機体の格納庫から距離にすれば約百メートルある。パイロットの俊敏性が高ければ、ものの一分も経たぬ内に、機体を起動させることも可能なのだ。

「――再び戦争の世の中になど、絶対にしてはいけないんだ!?」

 息をする間もなく、クレーデルは全力で走り続けた。クレーデルの搭乗する機体、エアリス・セイバーは新型のハイブリッドと呼ばれるMTBWで、他の機体――大量生産機であるランゼンとは区切られて、一機だけ別のスペースに格納されていた。

 そのエアリス・セイバーが格納される場所へと難なくクレーデルは辿り着いた。ちょうど中央に横たわる機体へとクレーデルは疾走した。そして、まさにコクピットに乗り込もうとしたその時、大きな爆発音を伴って格納庫の壁が一瞬にして吹き飛ばされた。

「……な……そ、そんな――」

 言葉を発する間もないほどの刹那の出来事だった。少年、クレーデル・ロッシュが最後に見たものは、こちらを鋭く睨みつける一機のTBWのギラつくツインアイであった。

 素早い動作で腕を軽く一閃したその一機のTBW――ソード・レイは今まさに新型TBWに搭乗しようとした一人の少年をいとも簡単に弾き飛ばした。生身の体へのTBWの一撃はそれだけで生の存亡がどちらに傾くかは容易に想像できた。

 腕を振り払ったその次の瞬間には、ソード・レイのコクピットが慌てた感じで開いて、中から一人の少女が飛び出してきた。長く伸びた黒髪を任務に支障が出ないようにと、ポニーテールにうまくまとめていた。

「――ふう、脅かしやがって。予想よりも三十秒は敵パイロットの行動が迅速だった。誤差がプラス三十秒ほどさらに加わっていれば、由々しき事態になっていたかもな」

 額からは脂汗を流しながら、ソード・レイのパイロットであるレオン・ケレンスキーは呟いた。

「不要な思考よ、レオン。とりあえず作戦の第一段階は成功した。今から一分であの新型機を起動させる」

 俊敏な動きでエアリス・セイバーのコクピットに入り込んだのは、小隊長であるリーナ・ツヴァイクである。すでに機体の起動方法、操縦マニュアルは熟知していた。後は円滑にこれらの過程を進めていけばいいだけだ。

「――起動ロック解除。アップデート再構築。システムフロー良好。オールウェポンズグリーン。システム、戦闘ステータスで起動……」

 機体の起動準備が完了したところで、前方の画面に文字の羅列が表示された。おそらくこの機体の名称であるかと思われた。

「――AE−MHH03Aエアリス・セイバーか……。この武装は私にとっては好都合ね」

 エアリス・セイバーの武装確認まで終えて、速やかに機体を起動させたリーナは、ある一つの事実に気がついた。

「……機体の型番が03だと? ま、まさかとは思うけど、これは……」

 リーナの予想はずばり的を射ていた。そう、新型TBWは一機だけではなかったのである……。

 

 

 オーストラリア皇国軍アデレード基地は、敵軍の奇襲を受けて多大なダメージを受けていた。敵数は三、そのすべてがアメリカ大陸同盟軍海兵隊の専用機である、レアリックと呼ばれるカテゴリーに属するTBWである。その機体名をレイと言い、皇国軍の主力機であるランゼンを遥かに凌ぐ性能と武装を誇っていた。

 格納庫から次々と出撃してくるランゼンを容易く破壊し、また出撃する前を狙って格納庫ごと吹き飛ばすという破壊活動を苦もなく実行し続けていた。

 さらに言うならば、基地への攻撃はTBWによるものだけではなかった。おそらくこれらの機体の母艦からの攻撃であろう。対地攻撃用のクラスターミサイルがアデレード基地の上空で散発して、大地へと降り注いだ。三百メートル上空で爆発し、千数百発の小型焼夷弾と榴散弾を撒き散らして基地施設と兵員を殺傷する兵器である。

「――うわあああっ!!」

 大きな悲鳴を上げたのは、ニスト、ユウ、クリスの前方を疾走していた名も知らぬ兵士であった。クラスターの破片の幾つかがこの兵士へと直撃した。見て分かるように即死であった。

「……いやっ、きゃあああっ」

 その兵士の死に様を注視することができずに、クリスはニストへとしがみつきながら泣き叫んだ。幸運なことに、ニストたちは散発したクラスターのちょうど中央に位置していたため、無傷ですんだのだ。

「こんなシャワーで昇天してたまるかよ!?」

 クラスターの被害で周囲の施設が破壊されていく様を眺めながら、ユウは大きく地団太を踏んだ。

「このままではまずい。本当に時間の問題だ。何とか……何とかしなければ――っ!!」

 ニストたちのすぐ側の施設がTBWの格納庫だったのであろう。大きな音を立てて崩れ落ちる施設から、偶然にも二機のランゼンがニストたちの至近距離に倒れこんだ。起動することのないランゼンを見るからには、パイロットは搭乗していない。おそらく、機体へと搭乗する前に、クラスターの散弾に襲われたのだ。ちなみに、その二機のランゼン自体はまったくの無傷である。TBWの装甲にクラスターは無力なのだ。

[――ニストよ、俺は道端に落ちた小銭でも拾うほうなのだが、おまえはどうだ?」

 ユウがニストへと視線を送る。二人とも、すでに取るべき行動は決まっていた。シェルターへと先導しようとした兵士が亡き今、このまま止まっていても命を失うのは時間の問題であったのだ。もう、出すべき答は決まっていた。

「――もちろん、私も同じだ」

「うむ! そうと決まれば、もたもたしてはいられんぞ。――ニスト、クリスをしっかりと守ってやれ」

 ユウが気合の入った声を上げて、その機体へと走り出した。ニストもその後に続くべく、今もニストの体にしがみつくようにして戦慄するクリスのその小さな肩に、優しく手を置いた。

「――クリス、あのランゼンに乗り込むぞ。走れるか?」

 ニストの語りかけに、クリスはすぐには返答しなかった。いや、彼女を襲った恐怖のため、すぐには返答することができなかったのである。

「……ニ、ニストお兄ちゃん……わたし、怖いよ……」

 直接的な戦争を知らない少女の恐怖は当然のものである。それはニストも理解していた。だから、この恐怖その小さな体から少しでも除こうと思い、ニストはクリスを優しくも力強くその胸の中に包み込んだのである。

「少しでいい。ほんの少しでいいから、失うことのない勇気を持て、クリス。――後は、私がおまえを守り続ける」

「……ニスト……お兄ちゃん……」

 確かに、今もクリスの胸の中には拭い去ることのできない恐怖があった。だが、ニストの言う小さな勇気を心に生んだクリスにとって、その恐怖は立ち向かうことができないほど、強大な敵ではなかった。

「――ごめんなさい、ニストお兄ちゃん。余計な迷惑をかけちゃって……。でも、もう心配しなくても大丈夫だから」

そう言って、クリスはわずかに微笑みを浮かべた。そのクリスの微笑み、その生み出された勇気は、そのままニストの力になるのだ。

「ニスト、クリス!? 何をもたもたしている? 早く来るんだ!」

 一足先に機体へと辿り着いたユウは、立ち止まったままのニストとクリスに声をかけた。

「ごめんなさい! わたしが悪いの、ユウお兄ちゃん。――行こう、ニストお兄ちゃん?」

「ああ、もちろんだ」

 ニストとクリスは一度顔を見合わせると、横たわるランゼンへと駆け出した。

 オーストラリア皇国軍の主力TBWであるランゼンは、明らかに敵機であるレイシリーズより劣っていた。しかしながら、かつて「ライトニングゴールド」の異名をとったユウと、皇国軍親衛隊総隊長であるニストのTBWの操縦技術は比類なく優れていた。

「クリス……おまえをここで死なせるわけにはいかない。――だから、私は戦う!」

 幾度となく乗り慣れたランゼンを、ニストはユウに続いて手早く起き上がらせた。TBWに搭乗したからには、ニストもユウもそう簡単にやられてやるつもりは毛頭なかった。

 ニストとユウは各機体のレーダーを注視する。味方機の反応が次々と消滅していく様が確認できた。しかし、これは何もおかしなことではない。三機のレイを相手にランゼンが戦えば、こうなることは目に見えていたのだ。

「好き勝手やってくれるじゃねえか。――ちぃっ、レーダーに敵機の反応だと!?」

 不運にも、ランゼンに搭乗してまもなく、敵の影に相対した。その機体はレイシリーズの中でも、射撃能力に優れたスナイパー・レイと呼ばれるものである。

「ランゼンが二機と……。あんたたちに恨みはないけど、落とさせてもらうわよ!」

 スナイパー・レイのパイロットであるエミリー・ロバーツは、戸惑うことなく二機のランゼンの内の一機にビームライフルの照準を合わせると、そのままトリガーを引き抜いた。

 敵機の発見から攻撃体勢に移る迅速さ、それに加えて精密度の極めて高い射撃。並のパイロットであるならば、あっという間に機体を貫かれているところである。あくまで、並のパイロットであるならだが。

「――くっ!? この程度で!」

 ニストとクリスの搭乗するランゼンに向けて、間髪いれず敵機からビームライフルが発射された。しかし、敵からの攻撃を予想していたニストは、ランゼンの良いとはいえない機動性でも、そう苦労することなく回避に成功した。

「――ちっ、ランゼンで一体どこまで持ち堪えられるか?! だが、私はやられるわけにはいかないのだ」

 ニストは静かに、でもその内には強い力の入った言葉を発した。

「――っ!? な、何よこいつ! ただものじゃない?!」

 一方で、スナイパー・レイを操るエミリーは明らかに動揺を隠せなかった。これまで一撃でランゼンを撃ち落としていたというのに、こうもあっさり避けられてしまったのだから仕方がない。今の射撃で、エミリーはランゼンを落とす自信があったのだ。

 二機のランゼンと一機のレイ。

 互いに睨み合う沈黙の時が、まもなく破られようとしていた。

 

 

「――何でこんなに戦争がしたいんだ!?」

 新型MTBWラウズのパイロット、シンヤ・ミナヅキは皇国軍アデレード基地の惨状を目の当たりにして、大いに憤慨した。条約失効の直後に、まさかこんなことになろうとは思ってもいなかった。このままずっと平和が続けばいいという、儚い希望はあっさりと打ち砕かれてしまったのだ。

「おまえたちの好き勝手にさせるわけにはいかないんだよ」

 ラウズの格納されていた第一格納庫から程近い距離にある第三格納庫付近に敵機の反応が確認された。シンヤはすぐにでも、この戦いを終わらせたい気持ちで一杯だった。

 第三格納庫へとラウズが辿り着いて、最初にシンヤが目にしたものは二機のTBWだった。一機は皇国軍の新型MTBWエアリス・セイバー。もう一機は米大陸同盟軍海兵隊の専用機であるレイ――そのソードタイプである。

 二機のTBWが対峙するその局面に、ラウズは勢いよく突撃した。

「どうしておまえたちは戦う?! どうして平和を裏切る!?」

 頭部バルカン砲を牽制目的で発射し、さらに加速してラウズは背中に二刀装備されたビームサーベルの一つを引き抜いて、ソード・レイへと斬りかかった。

「――くっ!? 何ぃっ、新型だと?」

 ラウズの反応を察知したソード・レイのパイロット、レオン・ケレンスキーは咄嗟に抜いたロングビームサーベルで敵機の攻撃を防御した。

「――ちっ、そう簡単には終わらないか……。――おい、クレーデル! 何をしている?!」

 今の戦闘において、ラウズがソード・レイに斬りかかるタイミングに合わせて、エアリス・セイバーが斬撃を叩き込めば、早々簡単には回避できなかったはずだ。それを成功させるだけの操縦技術が、クレーデルにはあるはずなのだ。

「――残念だったわね」

 シンヤを一層驚愕させたのは、その通信回線から彼の耳に届いた、明らかな女性の声であった。それの意味するところの事をシンヤは瞬時に悟った。

「――っ!? ……ク、クレーデル……」

 エアリス・セイバーから撃ち放たれたラウズへの予想外の攻撃――狙い澄ましたビームサブマシンガンによる射撃を、シンヤは間一髪のところで飛びのいた。小さく嘆いたシンヤの内には、静かな怒りが沸々と起こってきた。

「エアリス・セイバーのパイロットっ!? 名をなのれ!!」

 再び回線を開いて、シンヤは怒号した。驚いたことに、そのパイロットは自分とそう歳の変わることのない少女だった。――それだけではない。それと同時に、シンヤは何とも言いようのない違和感に襲われたのだ。

 そう、苦して例えるならば、完全に凍りついてしまった氷に、一筋のヒビが入ったようなもの……。

「……て、敵に名のる名前など、私は持っていない……っ!?」

 エアリス・セイバーに乗る少女、リーナ・ツヴァイクは動揺を隠せないまま言葉を返した。動揺の次に表れた感情は、言葉に形容しがたい、不思議でいて懐かしいもの。それは、敵であるラウズのパイロット、シンヤ・ミナヅキと寸分違わぬ想いである。

 少年、シンヤ・ミナヅキは通信画面に映るその少女の身につけていた物――首にかかる古めいたペンダントを見て、それを確信した。

 幼き日の約束の成就。――だが、その状況はあまりに悲しみ満ちたものだった。

 戦場という名の悲しみの場所。

 それでも、シンヤは言わなければならなかった。いや、言わずにはいられなかったのである。

「――僕の名はシンヤ、シンヤ・ミナヅキだ! 覚えているか、リーナ。君はリーナ・ツヴァイクなんだろう!?」

「……っ!? ……シ、シン君……?」

 ――シンヤの想いとリーナの想い。二人の想いは戦争という障害に遮られながらも、今この時、わずかではあれど通じ合えたのだ。

 一瞬の油断さえ許されない戦いの最中、二人の時間は止まっていた。

 それはまるで、永遠の時の流れのように……。

 その一瞬の永遠が終わる時、凍りついたままの時間がようやく動き出すのである。

(新暦戦記ラウズ 第一話「再会は悲しみの戦場で」 終)

 

 

[次回予告]

時に新西暦1182年。

条約が失効を迎える時、新たな戦いの幕が上がった。

平和が終わり、戦争が始まる中で、人々は一体何を目にするのか。

戦場で再会したシンヤとリーナの心境は如何に。

次回

新暦戦記ラウズ

第二話

「動き始めた時間」

新たな歴史を、切り開けラウズ!!

 

 

[あとがき]

 どうも久しぶりです。YUKです。心労甚だしくも、なんとか一話を完成させるに至ることができました。一話総字数、約四万。珍しく結構書いたように思います。時間のほうも一ヶ月に満たない内に完成しました。

 ところで、今回は序章にも書きましたように、私一人の力によるものではないのです。『地球歴史』でおなじみヒロキ氏が、メカ設定等の軍事的設定を担当されております。ヒロキ氏はまあ独特の方でありますので、大方私が口を挟む余地は存在しないわけであります。一度、口論になり「俺はもう降りる(設定協力を止める)」と言われた際には、さすがにこれは言葉を慎むべきであると承知したわけであります。彼の軍事的見地は、私が地上だとしますと、軽くエベレストの頂上は越えるものかと思われるわけです。機体にビームサーベルを追加して欲しいという要望を御理解頂くのに多大な時間を費やしたものです。正直、まだ山を登りきれてはいないのですが、私虚弱体質なためそろそろ下山です。

 さて、とにかく何が言いたいのかといいますと、なんであれヒロキ氏の実力は確かなものであるということに尽きます。そもそも、私筆者には軍事的見地は存在しないのです。

 ではでは、内容等についてのコメントを。『新暦戦記ラウズ』は完全オリジナル志向の作品として作りました。基本的にはコメディ系な筆者が一度は書いてみたいと思ったのが、未来型戦争物小説なわけです。まぁ、コメディ的なノリはどう転んだところで入ってしまうのですが。とにかく、戦争です。それと決して、どこぞの作品を模倣しようという意志などは存在いたしておりませんので。平和とは何なのか。戦うとはどういうことなのか。戦争と平和。昔の小説にこのような名前のものがあったかどうかはいざ知らず、この言葉を少年少女がどう受け止めるのか。また、戦うことに対する責任・義務・信念。これは、上手く描きたいなあ、と思うのですが、まあ無理でしょう。戦いの中で、人々は生きる。それは、平和の中で生きる人々とどこが違うのか。人それ自体は変わらないというのに。

 まままあ、堅い話はその辺で。要するに、戦い、笑い、泣き、戦い、笑い、そしてまた泣き。恋をしたり、別れたり、出会ったり、別れたり。そんなシリアスであり笑いもある戦争がいいなあ(超個人的嗜好)。

 ではでは、また第二話で会えることを楽しみにしながら、筆を置かせてもらいます。

 私たちの新西暦時代(あした)を共に覗き見んことを。

2004年11月18日

著者        YUK

設定協力・執筆補助 ヒロキ