序章
「スリープ and パズル」
「――よし、校長に話を」
一人の男が立ち上がった。彫りの深い顔に刈りこんだ頭髪。毅然とした態度から、この中年男性の生真面目さがうかがえる。
山本誠(やまもと まこと)、五十二歳。私立高揚学園の教頭を務める有能な人物である。
私立高揚学園は、都会からは少し離れた郊外の市街地である桜ヶ崎に建っており、ある程度の自然と、ある程度の賑やかさのあるところである。そして、その高揚学園の校訓はというと、「物事を楽しもう」である。
「まったく、校長はあまりに楽天家すぎる。いや、校長だけではない。我が校の教師陣にも同様のことが言えるな」
ぶつぶつと不満を漏らしながらも職員室を出て、校長室に向かって歩き始める。
「我が校はまず、校訓からして改善の余地がある。私なら、……そうだな、『真面目に真摯にコツコツと』といった、本来あるべき姿を提案するのだが……」
それはそれで生徒たちからの不満の声があがりそうな気はするが、山本誠はいったて真面目な性格であるので、疑う余地すら持たなかった。
校長室は職員室の隣室になっている。扉の前に立った山本は、自分を落ち着かせるかのように一つ大きく息をつくと、コンコンと軽く扉をノックした。
「――校長。少し話があって参ったのですが」
――待つこと数十秒、
「……校長、聞こえていないのですか?」
……待つこと……数分、
「……。校長、誠に勝手ながら失礼させてもらいます」
さすがに我慢の限界がきたのか、いつものこととはいえ、山本は少しためらいながらも校長室の扉を静かに開けた。
室内は校長室という名にふさわしくない派手な装飾である。珍しい置物やら、西洋風の鎧、他にも意味不明な物体がそこかしろに散らばっている。
ちょうどその中央、かなり値がはりそうなイスに座り込んでいる人物がその部屋の主である。
小太りの体型にパーマをあてたような毛髪、サングラスをかけたその顔は起きているのか寝ているのかの判別に苦労するところである。
「――校長、いつものこととはいえ、居眠りはよくないですぞ」
山本は校長のかけていたサングラスをはぎとると、机のすぐ隣に位置する窓際の閉ざされたカーテンを開け放った。
途端に、午後の眩しい陽射しが室内へと差し込んでくる。
「…………」
しかしながら、校長は目を覚ます気配すら感じさせない。安らかな寝顔で口の辺りからよだれを微妙に垂らしていた。
「校長――――! 校長、校長、校長――――!」
山本は渾身の力を込めて叫びながら、校長の肩を大きく揺さぶった。
「――ん、ん……。む、む――ん!」
ようやく、校長の目が見開かれた。
「はっはっは! 実に価値のある一時であった。グレイトォッ!」
目覚めて早々に活気が宿る校長に対して、叫び疲れたのか、山本がガックリとした様子で溜め息をついた。
「それにしても、昨日の入学式……アレは実によかった! おじいちゃん、瞳の立派な晴れ姿を見ることができて、もう感動した!」
目の前にいる山本の存在に気づくこともなく、校長はただ感動にむせ返るばかりである。
桜舞う季節。今年もその季節がやって来た。
つい昨日、ここ私立高揚学園でも入学式が行われたばかりである。
「――あの、校長。実は気づいていて無視していたりなどはしていないでしょうな?」
山本の言葉により、校長の視線がようやく山本を捉えた。
「ん? おやおや、教頭。いったいどうしたのかね?」
「……いえ……と、特には……」
このときにはもう、山本は憤慨を通り越して呆れ果てていた。当初の予定であった話など、すでに脳裏の果てである。
「特に用事もないのにわざわざやって来るなんて、教頭もおかしな人だ」
もはや校長の独壇場であった。校長はひとしきり笑った後、上着のポケットの中に手を探り入れた。
「ところで教頭、これが何か分かりますかな?」
ポケットから取り出したそれを教頭へと見せる。
「――ただの百円玉ではないですか」
山本のいうとおり、それは何の変哲もない百円玉である。
「ふむ、そのとおり。これは百円玉だ。もう少し切り詰めてみてはどうなるかね?」
校長の言葉の意味が分かりかねたが、目の前にある百円玉をじっと注視していると、ふとあることに気がついた。
「――百円玉の……裏ですかな?」
山本から見るその百円玉は、硬貨に数字の百が刻まれていた。それを見て、百円玉の裏と判断したのだ。
「ほぅ、そうだな。だが、わしから見れば表になる」
当然の答えを校長は返す。山本は校長の話の意図をイマイチ理解しかねていた。
「そんなに難しい顔をせんでもよいだろ、教頭。なに、簡単なことだ。百円玉に表と裏があるように、多くの事象には必ず表と裏が存在するのだよ。――この世界さえもな……」
ますます訳のわからなくなった山本は、呆然とただ立ち尽くすばかりである。
「教頭、そう深く考えなくともよい。ただの、妄想だよ」
根拠のない妄想というわりには、どこから来るのかその様子は自信に満ち溢れているようであった。
私立高揚学園校長、姫岸鷹王(ひめぎし たかお)五十八歳。ただのお気楽じじいとは、一味違うようである。
多くの事象に表と裏があるように、果たしてこの世界にも同様のことはいえないか。
ここが表の世界であるとすると、裏の世界も存在する。裏の世界の側からすれば、そこが表となり、ここが裏となる。
もし、百円玉のように簡単に表裏を返すことができるのなら、いったいどうなるのだろうか。
「とりとめもない、ただの妄想に過ぎんよ……」
再度、校長、姫岸鷹王はいった。
その顔はどこかほくそ笑んだものであった。
(一話へと続く……)
[次回予告]
すべては無から有となることにより、存在しているという実体を得る。しかしながら、無から有が生じるというのは、時に奇抜な様相をみせる……って、硬い話はその辺にしとくとして、簡単にいうとだな……「まじかよっ!」→「燃えるぜ――!」→「オレにもその熱き魂を!?」……ってことになる。えっ、まったく分からないってか? そんなもん、オレにもわからねえよ! ただ、一つだけいえること……それは、あいつはオレの前に現れた。その事実だけだ。……んっ、何かメモ書きが……なになに、詳しくは本編を読んでくれ……当分日の目を見ることはないだろうが……だとよ。
と、いうことで!
ドゥ・アット・ランダム デビュー 第一話
「ファイヤー and フライヤー」
期待せずに楽しみに……永久のアデューより……
著者 YUK