子育てと絵本

私の子育てに、絵本はなくてはならないものだった。絵本抜きにして、息子の成長は語れない。本来、小さな子どもは、母親のすることに関心を向けるものだ。しかし息子は違った。母親の私には全く無関心で、それではと、逆にこちらが彼の好きなことに関心を向けても、彼が好きなのは、水の流れる様を見ることであったり、遮断機が下りてくるのを見ることであったり、トンネルをくぐることであったり、ボタンを押すことであったり…。それらを繰り返し一人で楽しんでいるだけで、いくら私が傍に寄り添っていても、その笑顔を私に向けてくれることはなかった。それらの楽しみは、人と共感しあう性質のものではなくて、彼の世界に属するものだった。

彼には彼独自の文化があるようだった。親としては悲しいことだが、違う人間であるのだから仕方がない。でも、一緒に生活していく以上、互いの文化は大切にしつつも、交わる部分も作らねば。一人で生きていくことはできないのだから。

まずは私と息子が二人で楽しめる何かを見つけようと思った。彼が好きなことで、私がいないとその楽しみが得られないこと。一つには「高い、高い」や「ひこうき!」「ぐるぐるまわし〜」のような身体を使った遊びがあった。彼はそれらが大好きで、何度も何度もしてもらいたがった。

他に息子は、テレビのCMや「となりのトトロ」のビデオを見るのが好きだった。けれどもテレビやビデオは、スイッチを入れさえすれば、彼の大好きな世界を何度でもそこに生み出してくれる。私の入り込む余地はない。でも絵本は違った。彼が好きなもの―電車・トンネル・数字・アンパンマン─それらが描かれた絵本を私が開くと、彼はそれに関心を示す。読んであげると、絵本を読んでいる私に注意を向ける。隣でじっと聞いているわけではないが、部屋の外へは出て行かず、ごろごろしながら絵本と私とに注意を向けていた。絵本を介して、二人に共有できる空間ができるのだった。

そこで私は、絵本を聞く息子の様子を観察しながら、彼が興味を向ける絵本を探した。絵本の種類は膨大にある。その中には「大好き」になる絵本があるはずだ。彼は電車が大好きだったので電車の絵本を中心に探した。しかし、同じ電車の絵本でも、特に好きな絵本とそうでない絵本があった。電車が描いてあったら何でもいいというわけではなく、やっぱり、絵本の質の高さや、特に彼の興味をそそるような演出があるかないかで、引きつけられる絵本とそうでない絵本に分かれたのだろう。

息子が読んでほしがる絵本は、何度でも繰り返し読んだ。『しゅっぱつしんこう』という福音館の幼児絵本などは、1年以上にわたって毎日読んだと思う。そんな大好きな絵本は私の膝で、私の傍で、彼はじっと聞いていた。大好きな場面がくると、嬉しそうに私の顔を覗き込んだ。大好きな言葉が読まれる前には、期待に満ちた表情で、笑いをこらえながらじっとその言葉を待った。自分ひとりで絵本を見ることもあったが、お気に入りの絵本は何度でも私に読んでもらいたがった。新しい絵本、まだ読んだことのない絵本を持ってくることはなかった。一度私が読んであげて、気に入ったものを読んでほしがった。

絵本を読んでもらう楽しさを知った彼は、大好きな絵本を、私以外の人にも読んでもらいたがった。おばあちゃんや親戚のおばさん、近所のおばさんなど。彼が絵本を持っていくと、大人たちは「読んでほしいの?」と言って、よろこんで彼のために読んでくれる。彼はその人たちの膝に座らせてもらって絵本を一緒に楽しむ。彼は、今まで誰に話しかけられても、そ知らぬ顔で人の前を通り過ぎていた。それが、絵本を手段として、他人とのかかわりがもてるようになった。絵本が橋渡しをしてくれたのだ。

他にも絵本は、めちゃくちゃだった彼の生活リズムを整える助けになった。夜遅くまで家の中を走り回っていた彼に、9時になると時計を示し、布団に入るようにいい、それから大好きな絵本を毎日決まった冊数読み、読み終わると電気を消して寝る。そのことを毎日繰り返していると、おもしろいくらいに生活リズムがついた。電気を消したからといって、すぐに眠ることはできなかったようだが、それでも布団から起き出してくることはなかった。おかげで「いつになったら寝てくれるのだ!」とイライラしなくてもよくなった。

また寝る時は娘も一緒だったから、息子の選んだ絵本と、娘の選んだ絵本を、二人に読むようにしていた。姉の選んだ絵本にはあまり興味を示さなかった彼であるが、息子の選んだ絵本には娘が興味を示してくれたので、絵本を介して、聞き手二人に共通の楽しみが生まれた。例えば絵本の中に出てくる息子のお気に入りの言葉。それを姉が口にすると、弟は笑い転げた。姉はそれが嬉しくて、よく弟を笑わせた。言葉に振りをつけて二人で踊ったりもした。そんな風に、息子の世界に寄り添う形ではあったが、姉にとっても弟にとっても楽しい時間が持てるようになった。こうして絵本の「読み手」と「聞き手」という一対一の関係から、聞き手どうしの横の関係が持てるようになった。姉弟二人のつながりが生まれた。

この横のつながりを、もっと広げられないだろうかと思い、息子を図書館の「読み聞かせ会」に連れて行った。絵本を介してなら、他の子どもたちと同じ空間を共有できるのではないかと思ったのだ。読み聞かせボランティアの読む絵本を、彼は、好きなものは身を乗り出して一生懸命聞き、興味のないものだと堂々と寝転んで聞いた。お話会で読まれる絵本の中には、私が読んでやったことのない絵本もあった。はじめての絵本でも集中して聞けるのがあり、彼の興味の幅が広がるのが嬉しかった。また、図書館の読み聞かせ会では、彼のような勝手気ままな聞き方も許容された。私自身も読み聞かせボランティアをさせてもらって、他のボランティアさんに息子の非礼を謝りつつ、理解してもらうよう努めた。その活動は今も続いていて、私のライフワークになっている。息子のおかげである。図書館の読み聞かせ会のように、はじめて出会う子どもたちどうしの間で絵本を介しての横のつながりを持つことは難しい。しかし、保育園や幼稚園、小学校のような、同じクラスの仲間どうしで聞く「読み聞かせ会」は大変有効だと思う。それはボランティア活動をしていて感じることだ。

そして絵本は、さまざまな行事の内容を事前に彼に伝えるためにも役立った。保育園から「遠足」に行く。「遊園地」に行く。「電車にのって」行く。「運動会」。「山登り」など。事前に絵本で擬似体験することで、彼はいくらか見通しをもって行事に参加できたと思う。

最後に、私の周囲に「うちの子は絵本には興味がないので」とおっしゃるお母さんがおられるが、そんなことはないと思う。絵本の種類は膨大にある。その中からたった一冊でも、その子が大好きな絵本を見つけてあげることができたら、その子の心に一生の宝物を贈ったことになると思う。そして、そんな絵本を見つけてあげられるのは、回りにいる大人だけである。回りに絵本がなければ子どもは絵本を手に取ることはできないし、質のよくない絵本ばかり置いてあっても宝物にはならないだろう。大人が環境を整えてやらなければ、子どもは自分では宝物を見つけることはできない。子どもにお気に入りの絵本が見つかったら、後は繰り返し読んであげればいい。是非多くの子どもたちに絵本の楽しみを知ってもらいたいと思う。