リハビリ開始

 生後6ヶ月(NICU卒業2ヶ月)を過ぎ、家族3人での生活も落ち着いたころ、B病院主治医の”そろそろかな”という合図で、多くの肢体不自由児が通うC病院の小児神経科に通うことになった。
 そこで、リハビリ訓練を開始し、体の発達を診てもらうのだ。
 当時、B病院では障害を負いNICUを卒業する子の多くが、発達面に関してはC病院に通っていた。

 当時、かあちゃんもとうちゃんもは小児リハビリについても赤ちゃんの発達についても知識が全く無かった。
 よって、C病院の主治医の話を私はすべて聞き入れるようにしていた。

 C病院でのリハビリはボ〇タ方法といわれる昔からのやり方であった。
 ゆーさくのからだの神経の一部を刺激すること(訓練)により、正常な体の動きが反射的に導かれ、その反射的な体の動きを繰り返すことで、正常な発達がえられる、という考えがボ〇タである(とかあちゃんは理解しているのだが・・・違っていたらすいません)。
 訓練は、毎日、何回か繰り返さないといけない。
 よって、親であるかあちゃんが訓練方法を習得しなければいけなかった。
 C病院通院開始、しばらくして、ボ〇タ訓練方法習得の為の5週間の母子訓練入院をした。
 母子訓練入院後は2週間に一度は外来でPT(理学療法士)によるチェックを受け、3カ月おきに外来でC病院主治医によるゆーさくの発達具合の判定(診察)を受けた。

 C病院での診察において、ゆーさくの脳性麻痺は、PVL(脳室周囲白質軟化症)の子供に多い下半身麻痺だけでなく、手や顔面などの上半身麻痺もあることを知る。
 かあちゃんは、一応真面目に訓練していたほうだと思う。

 C病院の主治医の診察はいつも”お母さん、訓練頑張ってるね。良くなってる。これからも訓練を頑張りましょう”とそればかりであった。
 当時、かあちゃんは発達に対しての知識が無かったので、先生の言葉をそのまま受け止め、素直に喜んでは、訓練にはげんでいたのである。

 ところが、C病院通院半年を過ぎたころ、発達以外を継続で診てもらっていたB病院の外来で、PT大ちゃん先生にばったり会う。
 大ちゃん先生はゆーさくがうまれてからNICUを卒業するまで、ずっとゆーさくを診ていてくれていた先生である。
 その大ちゃん先生が”今、ここの外来でも小児のリハビリを始めているんですよ”と教えてくれた。
 そして、大ちゃん先生に”ボ〇タとは全く違うやり方なんですけど、ぜひ一度リハビリ室に来てください”と言われる。
 
 大ちゃん先生の言葉にかあちゃんは悩む。
 C病院で、ボ〇タを知り頑張っている最中なのに、新しい方法をやっていいのかなあ、と。
 NICUのゆーさくの担当だった看護師さんに相談する。
 看護師さんは”最初は、おかあさんたちみんな知識ないし、悩むのは当然だと思う。でも、お母さん自ら、新しいことを知ることは無駄なことじゃないよ。世の中には子供のリハビリ方法って一杯あるし、ゆーちゃんに何があうかは先生が決めることじゃない。情報を集めて、おかあさんとゆーちゃんがきめることだよ。それに○○先生(大ちゃん先生)はすっごくいい先生だよ”と言ってくれた。

 私は、看護士さんの言葉にすっと新たなリハビリ方法をやってみることを決意した。
 当時、B病院には2週間に1度通っていたこともあり、通院ついでに大ちゃん先生の所に行けばいいわけで、ボ〇タ訓練と並行することができるかも、という思いもあった。
 
 こうして、ゆーさくのリハビリ生活はC病院通院開始半年後に、C病院でボ〇タとB病院で認知運動療法を平行してすることになった。
 
 そして、その半年後、またいずれ記述するが、認知運動療法一本に絞ることになり、C病院への通院は1年くらいで終わることになる・・・。

C病院通院開始のころの
家での様子