NICU卒業の日

・NICU出発前のスタッフとの記念撮影

・自宅での様子

 平成14年6月22日。
 ゆーさくがNICUを卒業し、新しい家での家族3人の生活が始まった。

 数日前から、とうちゃんもかあちゃんもどきどきしていた。
 当時、車を持っていなかったので、当日はベビーシート付でレンタカーを借り、B病院までゆーさくを迎えにいった。
 NICUで最後の沐浴指導をとうちゃんが受け、今まで来ていたNICUっ子の制服みたいな病院専用のベビー服から、私たちが用意した私服に着替える。
 年配の方はどう思うかわからないが、当時はお宮参りのことなど考えられず行く予定ではなかったので、ベビードレスはもったいない、またゆーさくに白いベビードレスが似合うとは思えない、という理由で、G○Pで購入した服を持っていった。
 看護士さんたちは”おかあさんらしいくていいですね〜。ゆーさくも白いドレスよりやっぱりこっちのほうが似合いますね!”とみんな言ってくれた。
 新生児サイズを買ったのに、ゆーさくにはぶかぶかだった。
 ズボンとおそろいの柄の新生児用の帽子も用意したが、脳の萎縮により遠いが少し小さいゆーさくには、かなり大きかったようですぐずれてお面状態になる。
 その後、スタッフや主治医を交え、たくさん写真を撮って、最後にみんなで記念撮影をした。

 そして、とうとうNICUをでる。
 短期間であったが、さまざまな経験をし、いろんな方々に出会い助けてもらい、ゆーさくだけでなくとうちゃんかあちゃんも親として育ってきたNICUの卒業は、学生時代の卒業の時よりはるかに感慨深いものがあった。

 帰り道、病院と家の間は、山でありくねくねとした山道を通って帰る。
 その日、天気はとてもよかった。
 たまにお日様の光が、寝ているゆーさくの顔に当たる。
 今までNICUの中でずっと生活したきたゆーさくは、今初めて自然をたくさん体に浴びつつどう感じているのかなあ、とかあちゃんは帰り道、ずっと思っていた。

 家に帰る。
 狭い家の中で荷物が散乱する中、即効、ゆーさくの食事の注入時間が来た。
 経管栄養(当時はミルク)をセットする。
 初めての家での経管栄養、病院で何度もやってきたので、別に緊張はしなかった。
 
 ・・・と、NICU卒業の日、ここまでの記憶は鮮明に残っている。 
 その後は、ほとんど記憶が残っていない。
 赤ちゃんを産み退院してからは、しばらく、みんなバタバタするのと同様で我が家もバタバタした。
 経管栄養うんぬん、障害児であるということうんぬん、以前の問題で、赤ちゃんの世話はわからないことだらけだ。
 家事はあるし、ゆーさくの注入やら泣き声やらで、ひたすら目の前にある現実をこなしていくのみであった。
 
 <退院時のゆーさくの記録>
 体重2942g 身長47.0cm 胸囲31.5cm 頭囲33.5cm