とうちゃんに抱っこされる(生後2ヶ月くらい)。

 NICU(未熟児集中治療室)にゆーさくは5ヶ月ちかく入院していた。
 本来かあちゃんのおなかの中には後3ヶ月いなければならなかったし、さらには脳性麻痺や摂食障害があり、それを考えると5ヶ月くらいの入院は当たり前のことであった。

 当時、我が家にはマイカーというものが存在していなかった。
 現在はもう車を持っており、病院まで30分あればつくのだが、当時は電車と地下鉄とバスで1時間半くらいかけてかあちゃんは大体毎日、とうちゃんは毎週末病院にゆーさくに会いにいっていた。
 今思うと、片道1時間半もかけてよく毎日通っていたなあ、と正直思っている(ひどい親だ・・・)。

 入院中、いろいろなことがあった。
 PVLの告知などつらいこともあったが、今となればNICU入院生活はいい思い出のほうが強い。
 毎日通っていると、看護士さんなどスタッフとも交流が深まってくる。
 ゆーさくの担当だったSさんは、若いのにとてもしっかりとしてるしなおかつ明るい方で、とても私たち夫婦は助けられたと思う。
 他にも、B病院のNICUのスタッフのみなさんは、NICUが他の病棟に比べ隔離され閉鎖的な空間の中で、小さな子供の病気や死と対面し、また感情的になる親たちを面と向かい対応しないといけないという、とても大変な仕事を担っているというのに、みんな明るくておおらかな方が多かったように思う。
 私たち夫婦にとってはとても居心地がよかった。
 PVLを告知され、とうちゃんはショックが大きく受け入れるのに時間がかかったが、毎日NICUに通うことができたかあちゃんがすぐ受け入れることができたのは、NICUスタッフのおかげが大きいと思っている。

 B病院のNICUは親に限られるが、24時間面会OKであった。
 今、他の病院のNICUにいた子のお母さんに話を聞くと、他の病院では面会時間が限られていたということを聞き、びっくりしたものだ。
 また、私たち夫婦は照れ屋で、ゆーさくの様子をつづってある面会ノートに親からの書き込みはほとんどしなかったのだが、スタッフはかかさず楽しいことを書いてくれた。
 今、こうやって、ゆーさくの成長記録を振り返れるのはこの面会ノートの存在がとても大きい。
 退院にむけての、入浴指導、さらには摂食障害のゆーさくのための経管栄養(鼻のチューブ)の管の交換など、こちらが完璧!というまで、何度も指導してもらえた。
 退院後も気軽に電話でわからないことが相談できた。
 また、未だにゆーさくが入院すると、小児科病棟までゆーさくの顔を見に来てくれる。
 
 たまたま、かあちゃんが搬送された知らない病院であったのだが、NICUでの入院生活から始まり今も続いているB病院とのお付き合いを思うとB病院に搬送されてとても幸運であったように思う。
 ゆーさくを通じて、私たち夫婦は、いろんな人たちに出会いお世話になったり友達になったりする機会が増えた。
 そういう面ではNICUはゆーさくを通じ知り合った方々では一番の古株の人の集まりであり、今もたまにNICUスタッフに会うとゆーさくのことで毎日一杯一杯のかあちゃんの心がやすらぐように感じるのも、当然のことなのかもしれない。(いつも忙しいのにすいません。)
 もちろん、できるだけお世話になりたくはなかった空間ではあるけれど・・・。

 

NICUを振り返って…
  
かあちゃんの独り言