2001年6月、小児ガンと分かり、1年4ヵ月間闘病生活を送り、2002年9月9日に眠るように亡くなりました。

 最期の2ヶ月間は、ゆうが少しでも楽に過ごせるように努めました。
病院の先生方や看護師さんのご協力で最後は本人らしく生活を送り、自分らしさを戻して、思い出を沢山作りました。

そして、天国に行きました。


−ゆうが亡くなり−
 ゆうが亡くなり、お通夜、お葬式とあわただしく過ぎ、四十九日までは毎日ゆうの最後を思い出しては頭の中で、さっと切り替えて思い出さないようにしました。
 少し落ち着いてきた頃、病棟でお友達になったお母様を家に呼び、ゆうの思い出話をして楽しく食事などして過ごした日々もありました。その中には、同じように子供を亡くされた方もいて、共感し合うこともあり、皆クリーンルームで共に過ごした中なので、ゆうがどれほど辛い治療をしていたか、みんなが知ってくれていて、“最期の選択はこれで良かったよ”と言ってくれた人もいました。“もし、私たちも同じ立場になれば、同じことを考えたと思う“と言われて、少し気持ちが楽になりました。
 入院生活が長かったこともあり、Drや看護師さん、薬剤師さんなど、いろんな方と仲良くなり、ゆうがいなくなってからも、ゆうに会いに来てくれます。私たちもなぜか病院関係の方と会うと、なんとなく落着いてきた頃、私は突然ひどいめまいにおそわれました。
 2ヶ月間、家に閉じこもり、何もできない時、私にとって1つの出会いがありました。それは整体です。別に整体師になりたかったわけでもないのですが、昔、妹がこの学校の学院長と知り合いということもあり、何か外にでるきっかけと母が私を心配して、私と妹を専門学校に通わせてくれました。始めは2ヶ月間家から一歩も出ず、こもりっきりだったので、すごく体も精神面でも辛かったのですが、授業を学んでいく間に、どんどん自分の体が良くなり、元気になりました。そして、学校で、いろんな勉強をし、いろんな人と出会い、夢が持てるようになりました。
 私にどれだけのことができるかわかりませんが、少しでも人の役に立ち、人を癒すことができたらと思い、リラクゼーションサロン(リラクゼーション サン)をオープンすることにしました。これもゆうが天国から体調をくずし、ひきこもった私を明るく元気になるよう導いてくれたような気がします。

リラクゼーションサロン サンはこちら