■9月1日 今日はDASH村の写真を整理したり、お礼の手紙を書いたりする。娘が家に帰ってきて明日から学校のため、実家へ送っていく。ゆうも行きたいと言うので、一緒に送っていく。おじいちゃん、おばあちゃんと会い、2時間ほど話す。これが最後の会話となる。
アンペック8:00 20ml入れる。16:00 20ml入れる。23:00 20ml入れる。

■9月2日 午前中、主人に休みをとってもらい、3人で病院に行く。もう私一人でゆうを病院へ連れて行くのは大変になってきた。病院へ行き採血する。HGBは6だが、輸血なし。ゆうは夢ばかり見ていてベッドの上で寝ている。結局主人もゆうのことが心配で1日休みをとり、16時頃家に戻る。熱は相変わらずあるが(38.2℃)、家に戻りゆっくりする。
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■9月3日 朝、主人に座薬を入れてもらう。ひたすら寝て夢を見ている。腰から背中にかけ、むくみがかなり上にあがってきている。おしっこは出にくそう。自分なりに水分を沢山とっておしっこを出している様子。私も気になりだし、尿器に出た量と時間をつけるようになる。ケロッグを少し食べた。夜、主人が帰ってくる前にゆうが変なことを言った。「お母さん、いまねぇ、仮面をかぶったやさしいやさしい人が、ずっとぼくのそばにいてくれた」その人は男の人か女の人かわからなかったそうだが、とにかくやさしかったとか。モルヒネで夢を見ているのか、それともお迎えなのか?気になりながらも、気にしないようにする。今日は動くことすら大変そうなので、リビングで寝ることにする。
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今日はひたすら寝る。熱は38.0℃あるが、氷で冷やし37.5℃になる。

■9月4日 朝、主人と一緒に起きてごはんを食べる。といってもお茶漬け2口だけで流し込んでいるようだ。8:00に座薬を入れ、また二度寝する。日に日に親の私でさえ、ゆうの顔が変わっていくのがわかりました。声もあまり出なくなってきて、動きもだんだんにぶくなってきている。ゆうを見て、こらえきれなくなりました。でも、ゆうのためにも最後まで笑顔と明るさで努めてあげないと、ただただ1日を大切に何も考えず、ゆうとの2人の時間を1分1秒大切にしている自分がいました。
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熱もあり、氷まくらで1日冷やしっぱなし。耳がおかしいと言い出す。むくみはすごい。お腹の血管もひどくなってくる。

■9月5日 朝から熱がある。38.0℃。ボルタレンを使わず、氷まくらで冷やす。「ヨーグルトや牛乳がほしい!」と言うので、食べさせてあげる。全部食べてくれるので、うれしかった。昼食は食べられない。水分ばかり摂る。夜、主人が帰ってきて、ほっとしたのか、今日はごはん少々と、冷奴、エビフライ1尾を食べてくれる。アイスも1本食べる。
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すごく神経質になる。物の置く場所まで決め、少しでもずれると気になるらしい。耳はおかしいと言う。しゃべりにくくなっている。ゆう自身つらそう。でも、今日は沢山食べてくれて、すごくうれしい。夜、アイス1本食べる。口当たりがよさそうだ。

■9月6日 今日は朝から便が出る。モルヒネの副作用で便秘になることがあるが、ゆうは毎日出てくれるので、それだけでも安心のひとつ。ゆうのお腹の腫瘍は胸に比べて、とてつもなく、腸を圧迫している。そんな状態で便が出てくれるのは、幸せなことだと思っている。だんだん、体力が落ちてきて、朝から起きているが、目を閉じることが多くなる。朝は「いちじくが食べたい」と言うので食べさせる。昼間も寝ていることが多い。昼食は「目玉焼きが食べたい」と言うので、岩戸の塩を使い食べさせる。ごはん少々と目玉焼きは食べてくれる。今のゆうにしてはよく食べてくれた。夜、娘が帰ってくる。みんなでお鍋を食べる。夕方まではぼーっとしていたが、夜は普通に戻り、私の妹に“泊まってほしい”と言う。“一緒に寝てほしい”と言って、今尿器で尿もとっている為、“僕のちんちん今こんなん”と言って、妹に見せていた。妹は辛くて、見られなかったそうだ。ゆうなりにそうすることによって、妹と一緒に同じところで寝られると思ったらしい。娘も帰ってきていて、夜中2時までTVゲームを仲良くしていた。ゆうはモルヒネの副作用で寝ては起きてゲームをして、娘は本当に眠くて居眠りしながら2人は楽しく遊んでいた。これが2人の最後のひとときとなる。
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耳がおかしく、夜2回ほど首がゆれて、止まらなくなる。朝から便は普通に出ているが、こう門が赤く腫れているのが気になる。

■9月7日 朝から便は出ているが、やっぱりこう門が赤くなっていて、8時に座薬を入れるが、油分が出てくる。病院に電話したらTDrが出て「大丈夫」とのこと。やっぱり気になるのでもう一度病院に電話する。NDrが出て「30分おしりを押さえる」とのこと。様子を見る。貧血もあり、顔色もよくない。ゆうに「何度も病院に戻ろう」と言うが、「家がいい」と言う。夜、ゆうの大好きなウニと中トロを妹が持ってきてくれる。1口ずつしか食べれないが、おいしかったので「ごはんも食べたい」と言って、何口か食べてくれる。「おいしーい」とあまり出ない声で言ってくれる。うれしい。夜8時にアンペックを入れるが、効きが悪いので10時にボルタレンを入れる。
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ボルタレン 22:00
便1回
今日は主人と寝たいと言うので、2人で寝る。ゆうが「手をつないでほしい」と言う。これが主人と寝る最後の日となる。

■9月8日 朝起きて、トイレで便をするが、おしりから透明なものが出てくる。量はそんなに出ないが、じわじわとにじみ出ている。お腹も痛いと言うので、シップを貼ってさすってあげる。今日は夕方から看護師さん(Nさん)が家に遊びに来てくれるので、ゆうも楽しみにしているが、体がついてこない。ゆうに何度も「やめておく?」と聞くが、大丈夫と言うので、焼肉をするため、買い物に出る。お昼が過ぎ、ゆうを見ていても、やっぱり苦しそうなので、もう一度ゆうに「今日どうする?」と聞くと、やっと「やめておく」と言う。午後3時ごろ病院に電話して状況を話す。呼吸も苦しそうだがなんとか頑張る。夜、病院に電話して、便状のねばねばしたものが1日出て、おむつしているので病院へ戻ると言う。私も状態を見て(これで病院に戻ると、最後かも・・・)と感じる。妹と娘に「病院に戻ってモルヒネを点滴で入れだしたら、もう帰れないと思っておいて」と言う。「毎日病院に娘を連れてきて!」と言う。私も食事し、主人と2人泊まるつもりで、シャワーを浴び、病院へ行く。とうとうゆうの足は動かなくなってきていた。
「あと、どれくらい?」と心で思いながら、いろいろな覚悟をして家を出る。妹たちは辛すぎて、ゆうに何も声をかけなかった。病院に着き、車から降りるのも一苦労。ストレッチャーを借りて、病院に入る。ゆうに「個室に移ろうね」と言って、荷物を全部移す。病院で、当直の先生に診てもらうが、点滴もせず、気休めに酸素マスクだけする。腰に痛みがあるので、ずっとさすってあげる。
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腰と背中の痛みあり。

■9月9日 −まさか、この日がゆうとのお別れの日とは思わなかった−
 昨日から病院に戻り、ゆうは痛みとだるさで寝れなくて、私もずっと寝ないでゆうの腰をずっとさすっていた。朝、主人は仕事のため、気になりながらも仕事に行く。あまりにも痛みがおさまらないので、当直の先生に診てもらい、痛み止めの注射をしてもらう。10分後、いつものようにアンペック入れる。呼吸が気になるので、サーチで計るが酸素は100%と出る。気休めだが、酸素マスクをつける。朝、主治医が来てくれる。ゆうの様子を見て、Dr「点滴でモルヒネ入れていこう」と言う。私「とうとうこの日が来たか」「もう家には帰れない。心して頑張らないと・・・」
廊下で主治医に「先生、あとどれくらいですか」と聞くが、なにも答えない。今日、この日とも言ってくれなかった。心停した時にどうするかだけ聞かれて、もう一度確認しあう。今日のゆうの担当看護師さんはSさん。今日はなぜかおむつを替えるのも、尿をとるのもSさんにしかさせない。今までは年頃なので絶対に私にしかさせなかったのに。Sさんもゆうに笑顔で接してくれている。私も心強くなる。昼間、ゆうも食欲もないのに何か口にしないとと思い、大好きなチョコパイを食べたいと言うので売店に買いに行く。ゆうに「食べてみる?」と聞くと、「うん」と言うのでひとつ渡すと、苦しいのにもかかわらず、重たそうにもちながら、1口分をゆっくり口に入れて、何度も何度も噛んでから少しだけ食べた。お茶も少しストローで飲んだ。昼からは、Sさんと両足を上げて、2人でオシボリで足を温めて、マッサージしてあげる。ゆう「少し楽になった」と言ってくれる。
4時ごろ、主治医が見に来てくれる。ゆう「先生、寝たいから眠り薬入れて」と言う。痛みと呼吸の苦しさで私もゆうも寝ていなかった。モルヒネを増量したり、他の薬を入れたり、いろんなことをしてくださるが、この日だけはゆうには効かなかった。そうしているうちに、ゆうが「吐きそう」と言うので、受けてやると量はそんなに出なかったが、鼻からも口からも茶色のものが出てきた。いままでは私自身ゆうの前で泣いたことはなかったのに、この時だけはこらえきれず、ゆうの前で目からポロポロと涙がこぼれてしまった。ゆうが私の顔を見て、変な顔をする。私も気をつけないといけないと思い、気を取り戻し、母となる。
夕方、6時ごろ不安になって、病室から携帯の電源を入れ、主人に「ゆうが少ししんどそうだから早く来て」と言う。今まで病院内で携帯を使用したことはなかったが、この日だけはゆうから少しの時間も離れるのが怖くて、病室から電話した。それは胸さわぎがしたからだった。
主人が7時に到着。ゆう「お父さん、おかえり」と言って、ニコッと笑い、手を振る。主人も酸素の量を調整したり、ゆうの体をさすったりといろいろしてくれる。主人自身も今日はいつもと違うと感じた瞬間「お互いの実家に連絡しよう」と私に言ってきた。私も同感した。Drから「家族を呼んでください」と言われたわけでもない。これは不思議だが、私と主人とゆうしかいない病室で何か感じたものがあり、私は外に出て7時40分ごろ連絡した。「いまどうこうじゃないけど、病院に来てほしい」病室に戻ると、ゆうが「苦しい、先生呼んで」と言う。「僕、もう死ぬと思う」「何言ってるの。ゆっくり酸素吸ってはいてごらん。大丈夫よ」
廊下に出て、看護師さんに伝えると「先生には報告しています」という感じで、別に様子を見に来ることもなかった。主人がゆうをさすっていて、すーっと寝たので(寝たのかな)と思ったら、息をしてなくて、ゆうをさすり「寝るなっー」と言った。
私は部屋を出て詰所に向かって走っていた。Dr達が何人か病室に来てくれたが、何もしないで病室を出て主治医に連絡。何十分も経ってから、主治医が到着し、脈をみて「8時04分です」と頭を下げる。
私は一瞬の出来事で、何か夢の中にいるようだった。
主人と私の中で、苦しまず、すーっと眠り、最後まで言葉を交わせたのはよかったと思っている。主人は「ゆうは僕の帰りを待っていたみたいだ」と言っていた。「お父さん、おかえり」と言うために・・・
いろんな処置が終わり、主治医がもう一度病室に来た。Dr「息子さん、連れて帰られますよね」主人「はい」Dr「ここは大学病院なので、本来であれば解剖のお話をしなければならないのですが、連れて帰ってください」と言う。
主治医も子を持つ一人の親だったのか、Drであるまえに人間であってくれてよかったと思った。今までの主治医に対する思いも、この一言で全部なくなった。
そして、主人も私も最後まで頑張れたのは、告知せず、ゆうと共に頑張り、痛みをコントロールして、ゆうのしたいことをさせてあげられたこと。家族で、ゆうの時間を大切にできたことが本当によかったと思う。
人それぞれいろんなものの考え方がありますが、これを読んで、ガン患者をもつ親の気持ち、家族の大切さ、時間の大切さを考えていただければと思っています。最後まで闘病記を読んでいただき、ありがとうございました。