■8月1日 昼間起きるが、腹痛ですぐに座薬を入れる。痛みがおさまり、やっとごはんを食べるが、時間を見たら4:00だった。岩戸館のおかみさんから二見のおみそ、にがりの塩、しょう油、おかきなどが届いた。本当におかみさんを通じて人間のやさしさを感じ、私自身考えさせられる。痛みも少しましなので、久しぶりの夜、家族で本屋に行く。ゆうのほしいものを買う。ゆうも久しぶりに外に出れて少し気分転換する。

■8月2日 今日は朝早く起きる。ゆうも気分が良さそうなので、私も主婦の仕事をやめ、ゆうとの時間を大切に過ごす。昼間「りんくうに行きたい」と言うので、行く予定だったが、昼寝をしてしまい、夕方主人と待ち合わせてりんくうへ行く。レゴやバンダイを堪能するまで見て帰り、ユニバーサル前に寄り、ユニバーサルのお土産を楽しむ。今日は気分がよく、座薬は使用しなかったが、右足が歩けなくなっていた。両手で足を持たないと動かなくなっていた。

■8月3日 昨日は楽しんだ分、今日は苦しむのか朝から激痛あり、痛み止めの座薬を入れる。痛みも和らぎ、少し歩ける。便も出て、少しほっとする。夕方、大エビが食べたいと言うので、妹に頼み、買ってきてもらう。岩戸の塩を付けて焼くが、ぜんぜん食べられない。だんだん体はもちろん骨と皮状態で食も細く食べられなくなってきている。ゆうとのお別れが近づいてきているのか?と不安になってくる。夜中までゆうの体をさすりながらテレビを見て深夜に寝る。

■8月4日 ゆう昼まで寝ている。お昼からマドレーヌを一緒に作って楽しむ。夕方、ゆうの親友と言えるお友達とお母さんが遊びに来てくれる。腹痛はあるが、ゆうは気を使うところがあり、痛みをガマンして友達と過ごす。夜、おばあちゃんが「ゆうの大好きなウニを買ったから」と言って届けてくれる。食欲もないのに「ウニだけ食べる!」と言って「おいしい!おいしい!」と言ってくれる。たとえ食が細くなっても1口、2口でも口から物が食べれておいしいと分かってくれるのならば、それで幸せだと思う。今日はゆうが一言へんなことを言った。「お母さん、あと1ヶ月で僕退院だってー」「誰が言ったの?」と聞くと「霊界から」とへんなことを言う。ボルタレンの入れすぎでおかしいのかなと思っていたが、1ヵ月後、ゆうはいなくなる。

■8月5日 今日は病院へ9:00過ぎに着く。ゆうが病院にいることもあり、安心して昼間パーマ屋に行く。2時間程度で戻り、ゆうが痛みを訴えるのでずっと体をさすりっぱなし。主治医より、痛みの座薬を変えると言うので、OKする。PM9:00より新しい痛み止めの座薬を開始。看護師さんより座薬をもらい、受け取った際、「これ、モルヒネじゃなですよね!」と伺ったら「勉強しておきまーす」と答える。看護師さんも1年生だし・・・と思い、まさかーモルヒネ使用するんであれば説明ぐらいあるだろう!?と思い、とりあえず、夜9時に座薬を入れ、座薬のパッケージを持ち帰る。夜10:30頃家に戻り、座薬を調べる。ゆうに使用していた座薬は“モルヒネ”であった。

■8月5日夜よりモルヒネ開始

■8月6日 説明もなく、麻薬系を使用するのだから私達にとっては一大事。主人も仕事を休んでもらって2人で病院へ行く。朝一番に主治医(研修医)を見つけ、主人が「昨日使った座薬はモルヒネじゃないですよね?」と聞く。Dr「いいえ、ちがいます。痛み止めです」と答える。ここで私だったら奮闘するが、さすが男の人、一拍置き、自分をコントロールしに病室に戻ってきた。気を取り戻し、もう一度詰所に行ったら主治医も座薬を調べていたらしく、Dr「お父さん、かんちがいでしたー」だけだったそうだ。それはないやろー!と思うが、それよりゆうのこれからのことが大切なので主治医と主人と私、3人で話し合う。結果、痛みはあり、ボルタレンではダメなので・・・モルヒネでコントロールしてあげることが、ゆうにとっても楽なので、朝入れることを決意。ゆうは、まだモルヒネに体が慣れていない様子で寝てばかり。とうとう、この時期に来たか、と心の中で落ち込んでしまう。昼から、上の主治医もいたので、今後のことをしっかり話し合う。モルヒネの副作用が私自身わからなかったので、ゆうの体が慣れるまで、病院に泊まらせてもらう。夜9:00にアンペック10g入れる。

■8月7日 朝9:00にアンペック10g入れる。すぐ寝てしまう。さすがに主治医も今日は何度も様子を見に来てくれる。回診あり。大学病院で治療をやめるということは、こんなに冷たいものか、と感じる。別に何かを言われたわけではないが、皆の態度がそう言っている。採血はしてもらえる。ヘモグロビン6.7。昼間から真っ青な顔をして、唇も真白。いつもであれば、ヘモグロビンが7を切っていれば、赤血球の輸血をしてくれるのに、なし。ゆうもすごくしんどそう。夕方、主人が来て、今日1日のゆうの状態を話し、輸血してもらうよう主人から主治医に話してもらう。輸血することになる。

■8月8日 朝10時に寝ているゆうを起こして、アンペック10g入れる。私が一番信頼している薬剤師さんも朝一番に様子を見に来てくれる。すごく私もうれしい。採血とCTを撮る。昼1:00から輸血開始。今日からモルヒネも体になじんできたのか、寝たきりから少しずつ起きる時間が長くなる。夜9:00にアンペック10g入れる。

■8月9日 AM9:00 アンペック10g入れる。朝、ゆうの親友のお友達が旅行のお土産を門に置いてくれていて、手紙には“早く元気になれよ”と書いてくれていた。すごくうれしい出来事だった。病院からその子のお母様にお礼の電話をし、お母様だけにゆうの病名と現状を話す。ゆうが外泊したとき時間があれば、会いに来てやってほしいとお願いする。今日は、春休みに治療で来た子がまた夏休み最後の治療で入院に来ていて、同じ年ということもあり、気が合い、2人で1日中ガンダムを作って遊ぶ。ゆうも楽しそうだった。

■8月10日 モルヒネのコントロールもでき、午前中外泊のために病院を出る。帰りにトイショップに行き、ガンダムなどを買い込む。夕方、親友2人がゆうのために泊まりに来てくれる。ゆうもすごくうれしいらしく、食事もいつもより沢山食べてくれる。(体は起き上がるのも手を貸さないと立てない状態だが・・・)気分が良いとこんなにも元気になれるのかと感心する。

■8月11日 午前中、1人の友達がクラブの試合のため、家まで送っていく。ゆうもお昼頃起きて、もう1人の友達と夕方まで遊ぶ。モルヒネで夢うつつのところもあるが、友達2人に“ありがとう。本当にありがとう。2人とも、僕の親友やー”と言っていた。これが友達との最後の思い出になる。夜、痛みがあるので、モルヒネを入れる時間までまだあるので、ボルタレン25ml座薬1本入れる。朝、夜9:00にアンペック入れる。

■8月12日 朝8:30に起きる。お腹が痛いと言うので、いつものようにさすっていたら、便が出て少しほっとする。AM9:30にアンペック入れる。口の中が乾くと言い、氷水ばかり飲む。水を飲むと水が食道に通る時に痛いと言う。昼食もそうめんなど少しだけ食べてくれる。だんだん食欲も赤ちゃんの頃のようになってきている。4日から足もむくみだし、日増しにむくみがひどくなっている。腰痛も出てきた。夜38.5℃熱あり。氷などで冷やす。PM9:00アンペック入れる。

■8月13日 朝8:00前に起きる。腰痛を訴える。AM9:00アンペック入れる。少し寝る。午前中ゆうの祖母が買い物してきてくれて、昼食は一緒に過ごす。買い物があったので、1時間だけ祖母に見てもらい、ゆう、祖母と2人で過ごす。その間、ゆうは祖母に指輪を作ってあげる。祖母にとってもこの指輪はゆうの形見になる。痛みがありながらも、夕飯は食べてくれる。PM9:00アンペック入れる。夜38.4℃あり、冷やす。ふくらはぎもむくんでいる。腰痛もひどく、気休めに湿布しさする。

■8月14日 朝9:00前に起きる。モルヒネが切れてくると痛みで起きるようだ。起きて便がすぐ出てくれたので、おしりをきれいにふいてアンペック入れる。アンペックが効いてくるとうつらうつらと眠りだす。昼食は“ピラフが食べたい”と言うので、作ってやり食べさせる。起きては寝てと繰り返している。その間、私は以前買っていた1つの本を必死で読んでいた。『ガン告知を受けた家族の本』(秀羽倭文子著)それも「第四章 ガン終末期の看護」。これは、本当に私にとって役立ちました。採血に病院へ戻って「最期はどうなるのか?」とたずねても、今までモルヒネでコントロールした子はいないようなので、わかりやすく説明してくれる人はほとんどいませんでした。ほとんど家出過ごしていたため、私に全部ふりかかってくるので、この本は私にとって“命綱”といえるものでした。夜、いつものように38.0℃の熱が出る。冷やして下げる。足のむくみあり。左足首が異様に太い。

■8月15日 朝、やっぱり痛みで起きるようだ。便が出て、それから座薬を入れ、痛みがひどいので、体をさすりっぱなし。夜中から何度も座って寝る。午前中、MAWJからお電話をもらう。まず、ゆうの面接があるので、18日にとアポイントを取る。夕方、38.0℃の熱と痛みがひどく、さすがにしんどいのでボルタレンを入れ、痛みを和らげる。少し痛みがましになる。PM9:00、いつものようにアンペックを入れる。足のむくみ、腰痛ひどくなる。1日中さすりっぱなし。

■8月16日 病院へ行く日。朝から病院に行って、採血だけする。大学病院で治療をしないとなると、なんとなくみんなが冷たいように感じる。朝から婦長さんが部屋のことでいろいろと言ってくる。ベッドを空けてくれとのこと。つまり退院と言っている。言っていることはわかるが、私も不安を沢山かかえて24時間毎日過ごしている。最後は主治医に看取ってもらいたいのが私たちの希望だが、難しいのかと思う。私も私なりにホスピスなど考え探してみたが、小児科でホスピスはなかった。まして、本人に告知をしていなければ、もっと難しい問題だった。昼から主治医と話し合い、胸の内を話す。毎日不安で過ごしていること。この選択をしたくてしたのではないこと。決してゆうの死を待っているのではないこと。ただ、ゆうのことを考えて、望みがないのであれば、最後だけでも苦しいことはせず、楽しく、楽に過ごせる時間を沢山作れれば、と願っている。いろんな話を主治医として、“最後は見ます”と言ってくださった言葉で少し気持ちは楽になり、“病院にいてください”といってくれたので、安心した。
 ゆうは昼から腰痛もひどく、熱もあるが、ボルタレンを入れ、帰ることにする。帰り“中華を食べたい”と言うので、車を飛ばし、ゆうの大好きな神戸中華街へ行く。さすがに食べたかっただけあって、すごく食べてくれる。あまりにもの食欲に、こちらのほうが心配になるほどだった。無理をしたのか太ももまでむくみだす。

■8月17日 さすがに疲れて昼まで寝る。何も食べれないが、昨日買ったぶたまんを食べてくれる。夜、“焼肉が食べたい”と言うので焼肉を食べに行く。自分から食べたいと思うものは、沢山食べてくれるので、親としてできる限りのことをしてあげたい。夜、太ももが一層むくんでいることに気づき、「足がだるい」と言う。主人と私2人でずっとさすっていた。深夜やっと寝てくれる。

■8月18日 朝、早起きする。今日は小児科の看護師さんが3人家に遊びに来てくれるから、ゆうもハイテンション?と思ったが、体はついてこなくて血液まじりの便が出る。今日はやけに便が出る。食欲はなくて水分だけ取る。昼から腰痛、足のだるさがさらに強くなる。4:00頃ボルタレン入れる。夕方、皆が帰ったので少し休む。夜7:00、以前ボランティア団体にお願いしていて、今日は夢を叶えてくださるということで、ゆうの面接あり。しんどいながらも、DASH村への熱い気持ちを語り、行きたいことを伝える。いろんなことが終わり、疲れたのか、夜は便が意識なく出てくるのでオムツ生活。夜9:00になり、いつものようにモルヒネを入れようとしたら、肛門の穴が開きっぱなしで、異常なことに気づく。おりしから粘々した便混じりのものが出てくる。明日は病院へ行く日なので、主人も仕事を休んで来てもらうことにする。痛みがあり、ゆうも私も寝ていない。

■8月19日 主人と3人で病院へ行く。朝、激痛あり。11:00頃痛み止めの注射をする。3時間後アンペック入れる。痛み止まる。主治医が休みのため、N先生が見に来てくれる。夜9:00頃アンペック入れる。

■8月20日 痛みがきついため、モルヒネの量を今日増やす。アンペック10ml 9:00,16:00,23:00に入れることになる。症状は使用始めより話をしていても一瞬寝たりというのはないが、目は閉じてしまう。MAWJより主治医に電話が入る。(夢が叶うかも)DASH村に行けそうだ。ゆうも大喜び。体はしんどいが、うれしさいっぱいで、元気になってくれる。今、お腹の腫瘍も大きくなり、まるで臨月のようなお腹をして、腫瘍の重みで体重も増えてきた。胸からお腹まで何本もの血管が出てきて、足もむくみ、胸から下はパンパンになっている。血液の循環も悪いのか体のあちらこちらとかゆみが出てくる。昼からゆうの好きな主任が来てくれて、ゆうの体をずっとさすってくださる。いろんなお話を長い時間して頂き、ゆうも“うれしい、ありがとう”と言っている。“今日は主任さんとお話できてうれしかったー”と言っていた。主人もゆうのことが気になり、昼から病院へ来る。

■8月21日 朝ごはんも沢山食べてくれる。午前中、婦長さんが来てくださり、MAWJの話をする。モルヒネをアップしてもうまくコントロールが出来ていっているので、明日家に帰ろうと思う。便一回あり。夕方、MAWJの方から電話あり。DASH村行きがダメとのこと。ゆうに話せないので、お父さんから話してもらおうと思う。

■8月22日 朝8:00にアンペック入れる。座薬が効いてきてから、トースト1枚食べる。腸が動いたのか、お腹が痛いと言うので、ずっとさする。寝不足もあるので、少し寝る。昼間、38.6℃熱が出てきて、トイレでしんどくなる。14:30アンペック10ml入れる。20:00アンペック20ml入れる。座薬が切れだすと、痛みが出るので時間まで待てず、早い目に入れるようになる。夜は量を増やすことになる。夜中もモルヒネのせいか、のどがすごく渇くようになる。水分を沢山とる。汗もすごく出る。

■8月23日 朝、38.1℃あり。毎日連日38℃台の熱が当たり前になっていた。ゆう自身、熱が出ても痛みのほうが辛いので気にもしなくなってきていた。朝からMAWJの方から電話があり、DASH村行きがOKになったそうだ。ゆうに“ダメ”と言わずに良かったと思う。ゆうの体を考え、26日現地着でゆっくりし、27日DASH村に入り、28日帰宅の予定で、2泊3日と決まる。
K病院の小児科、NDrも全面協力してくださるということで、すごく心強い。ゆうも楽しみにしている。夕方、MAWJの方が3人来られて、いろいろ説明してくださる。ゆうの夢が叶えられ、NDrはじめ病院側、看護師の皆さん、MAWJのスタッフに、ゆうのために一生懸命動いてくださって、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

■8月24日 午前中、テンジンより酸素を持ってきてくださる。酸素の説明など聞く。夕方、DASH村へ行くため、赤血球に輸血しておく。熱も上がってきているのか、モルヒネの副作用なのか会話にならない。おかしなことばかり言うが、それに合わせてあげる。主人に病院に泊まってもらい、旅行の用意のため帰る。

■8月25日 ゆうの大好きな看護師さんにも同行していただくため、飛行機やホテルなど、予約をとったりする。明日からの旅行のため、準備に追われる。

■8月26日 朝から病院のベッドでゆっくりする。主人と娘は伊丹空港で合流する。小児科の教授も「何かあれば、福島大学に行けるようにしてありますので・・・」とわざわざ言いに来てくださる。病院側もゆうに対してすごく協力してくださり、本当に感謝の気持ちでいっぱいになる。
アンペック8:00 20ml入れる。16:00 10ml入れる。23:00 20ml入れる。熱があるので、ボルタレン25mlも入れる。あとは氷などで熱をさます。

■8月27日 朝早起きする。朝食も食べてゆっくりする。11時に日本TVのスタッフとMAWJスタッフ待ち合わせ。昼、DASH村に到着。ゆう感動の連発。明雄さんにお会いした時は感動して涙してしまうシーンも!一日ゆっくり過ごさせていただき、ゆうにとって最後の最高の思い出作りをさせていただく。
8:00 16:00 23:00といつものようにアンペック入れる。

■8月28日 朝は、昨日より食べてくれる。やっぱりあの体でかなり体力を使うのか、夢ばかり見ていて、へんなことを言っていることが多い。でも、これはモルヒネのせいだから・・・と心に言い聞かす。午前10時にホテルを出て、空港へ。病院に到着したら、ホッとしたのか、口が言うことをきかなくなって、話せなくなる。夜中便一回出る。疲れているせいか夜中じゅう、夢を見て、寝言を言う。

■8月29日 寝て起きての生活。ゆうと話をしても寝てしまう。そんな状態でも看護師さんがゆうのために朝から足を洗ってくださる。足浴すると気持ちいいようだ。午後からは洗髪器で顔を洗ってもらう。お風呂など長く入っていないので、と言うよりゆう自身の体が入れなくなっていたため、体を拭くことしかできていなかったから、すごく気持ちよかったようだ。夕方、お世話になったMAWJのスタッフがDASH村の写真などを持ってきてくださる。
アンペック8:00 20ml入れる。16:00 10ml入れる。23:00 20ml入れる。

■8月30日 朝から座薬を入れても腰痛などがあり、あたりちらす。昼間に何度か下痢あり。4時ごろから赤血球輸血あり。モルヒネも効きが悪くなってきたため、16時から量を増やす。昼からこう丸も腫れあがってくる。輸血をして21時ごろ外泊する。
アンペック8:00 20ml入れる。16:00 20ml入れる。23:00 20ml入れる。

■8月31日 久しぶりに家でゆっくり寝る。ゆうは寝たきりの生活。夜、病棟で花火大会があるため、主人と私、ゆうの3人で行く。この花火大会は少しでもゆうに希望と目標を作り、元気になってもらうため、N看護師さんが企画してくれました。花火大会はゆうも病棟の子供たちも大喜びでした。やっぱり、子供は外で遊ぶのが一番だと感じる。
アンペック8:00 20ml入れる。16:00 20ml入れる。23:00 20ml入れる。
むくみは一段とひどく腰まできている。