■6月1日 食事は少し食べるようになる。夕方から熱が上がってくる。元気なので夜9時すぎに帰る。痛みはまだある。
■6月2日 夜中はずっと起きていて、朝4時ごろ寝たらしい。やっぱり、夜中はひとりでいろいろと考えてしまい、病院だと寝られないようだ。私も泊まる時は同じ気持ちなのだから、ゆうの方が、自分の身体のことなので、もっと不安いっぱいだと思う。昼間はいなり3個食べるが、相変わらず足は痛いと言う。夜37.9度熱が出る。 ■6月3日 朝、いつも相談しているNDrより電話。AFPが300になったので、OPの相談などをしていたが、やはりどの病院も数値が10以下にならないと言われる。熱はあるが9時すぎに帰る。 ■6月4日 昨日から赤ちゃんと同室になり、イライラしている様子。あたりちらされるので、朝いつもよりゆっくり行くと「遅い」とどなられる。ごはんは少しずつ食べられるようになるが、昼間おう吐する。あまりにイライラしているので、車椅子に乗せ、少し散歩する。夜37.8度まで熱は続く。昨日から血管が痛いと言う。9時すぎに帰る。 ■6月5日 6月10日まで外泊。家でゆっくりする。ビーズ作りが楽しいようなので、ビーズを沢山そろえる。ゆうと一緒にチーズケーキを作ったりもして、家でゆっくり過ごす。 ■6月10日 昼1時まで外泊。病院に戻ると、夕方から熱が出てくる。明日の治療に不安あり。明日から治療なので今日は帰ることにする。 ■6月11日 朝8時半に病院に着く。熱は微熱なので、ゆうの意見を聞いて、治療をすることになる。副作用で下痢はあるが、まだ水のような下痢は今日なかった。でもオムツ生活。オムツもかなりの枚数を交換する。今日は泊まる。 |
【13クール目投与】
抗癌剤 トポテシン300mg |
■6月12日 副作用の下痢は引き続き。今日もオムツ生活。昼から主人が来てくれるので、家に帰り、お風呂に入ったり、洗濯をしたりして夜病院へ行く。今日も泊まる。
■6月13日 前がむれるので、パンツに替える。下痢も止まったようだ。体と足はだるいと言い、一日さする。少し元気なので、今日は帰ることにする。 ■6月14日 午前中採血し、CRPも下がってきたので、昼過ぎに外泊する。食欲もあり、少し食べるが、口の中は「なんかヘン!」と言う。早いもので、今日で入院してからちょうど一年が経つ。気持ちはすごく重い。 ■6月15日 娘は熱があり、心配なので実家に行く。ゆうにうつると大変なので、私は実家に泊まり、娘の看病をする。 ■6月16日 主人とゆう2人なので、2人でおからクッキーを作って遊ぶ。明日、病院に戻るので、Drや看護師さんに沢山クッキーを作る。 ■6月17日 病院へ戻り、みんなにクッキーをあげて、楽しむ。主治医とゆうが話をして、今日から外泊することに。 ■6月18日 朝早く起きるが、腹痛あり。少し昼寝して、夕方2人でスーパーに買い物に出る。夜も沢山食べてくれる。やっぱり治療がないときは、家に連れて帰ってきて、家で過ごしたほうがいいと思う。 ■6月19日 朝10時頃起きる。入院して一年過ぎてもよくならないことが自分で一番よくわかるのか、心の中の整理ができず、大泣きして、いろんな思いを私にぶつけてきた。このときも私は思った。「やっぱり、告知しなくて良かった」と・・・そしてゆうに「ゆうの病気は時間がかかるけど、よくなっていることは確かなのでがんばろうー!よくなっているから苦しい治療もしている。もしぜんぜん良くならなかったらさっさと退院していると思わない!?」と言った。ゆうも「そうだと思う。ほんとに良くなっていなかったら、だれがあんな治療するか」と言っていた。そうして少しは楽になったのか泣きつかれて赤ちゃんのように昼寝をしてしまった。そんなかわいい寝顔を見て、「うそにうそを重ねても、本人のためを思ってつくうそだから、これでいいの」と・・・ ■6月20日 家で過ごすと、精神面ではすごく安定するが、体力のほうはきつい。採血はしていないので、はっきりしたことはわからないが、貧血がおきているようだ。体が重く、動作もにぶい。一年もゆうの体の様子を見ていると、だいたい顔色でわかってきた。(輸血が必要なときも)ひたすら寝ている。 ■6月21日 今日も貧血がきつく、1日ひたすら寝ている。 ![]() ■6月23日 1日中パン作りをする。看護師さん用と先生用に分け、何十個も作った。自分の食べる分(病院用)も作っていた。いつもの病院に戻る夜になると、もやもやしているのか、私にあたりちらす。 ―――――主治医(研修医)のことを思い出した。 「治療もようやくきざしが見えてきて、あと1、2回で終わるよ」そして手術のことをゆうに話していた。「どうして今、そんなことをゆうに話すのよ!?」と私は腹を立てた。そのあと、ゆうは泣きながら「お母さん、先生(研修医)はあんなこと言ったけど、僕どれだけこわいかわかる?」 「ゆうの気持ちはすごく分かるよ。一年間がんばってきたものね。でも、その話はDr(研修医)が言ったことでしょ。上の主治医は何も言ってないし・・・お父さんにもお母さんにも何も言わないよ。もし本当に手術をするのであれば、ゆうと上の主治医とお父さん、お母さんの4人でしっかり話をしましょう!そして考える時間をもらって、この間会ったNDrにも相談しましょう。それから知り合いのDrにも・・・みんなの意見を聞いてからゆうとお父さんで決めたらいいわ。だから主治医(研修医)の話なんか忘れるのよ。だいたい1年ぐらいの研修医にゆうの何がわかるっちゅーのよね」と言って、不安を少しやわらげて、その後、ゆうの思いを何時間も聞いてあげた。「もう夜中3時だし、明日は病院だから寝よう」と言って寝かせた。 ■6月24日 午前中に病院へ戻る。採決の結果、AFPが1900になっていた。「やっぱりー」と思う。やっとの思いで3ケタになってもゆうの細胞は抗癌剤では効かないよなと思う。1年間、こんなことばかりで、この先どうするの?と主治医に聞きたいくらい。きっと主治医だって、どうすることもできないはず。でも、私たちにはそんな態度を出さず、共にがんばろうという態度でもなく、これが大学病院なのかと思う。ゆうは私たちがこんな思いをしていることも知らず、皆にうれしそうに自分の作ったパンを配っていた。みんなゆうに“おいしい!”と言ってくれて、会話もはずむ。今日の採決の結果は、他から聞いた。主治医2人からは何も教えてくれない。結果報告もなし。 |
【14クール目投与】
トポテシン 300mg |
■6月25日 9時半から治療開始。いつものようにメイロンを入れ、吐き気止めも入れ、11時からトポテシン300mg入れる。12時半頃からおう吐が始まり、次に下痢。今回の下痢は、前回の下痢と同じ23回。オムツの取替えも大変だが、ゆうのほうがもっとつらそう。ほんとうにいつも口からと下からの副作用にも負けずがんばっている、と思うと胸がつまる。今日は泊まって夜中じゅう共に頑張らなくては・・・
■6月26日 午前中、下痢はまだ続く。昼から少し水分を摂るようになる。夜はたこ焼きが食べたいと言うので、1コの1口だけ食べる。主人も月末で仕事が忙しいが、夜9時頃に顔だけ見せに来てくれた。ゆうもうれしそう。辛い時はいつも親子でがんばってきたし、ゆうもお父さんに何もしてもらわなくても顔を見るだけで緩和するようだ。今日も私は泊まる。 ■6月27日 昨日の昼でやっと下痢が止まる。このイリノテカン(抗癌剤)は全国で何人もの人が亡くなっていることを新聞の記事になったことがあった。この病院のDrたちもきっとゆうの病気がこの薬で少しでも効くとは想像もつかなかったと思うが。1日短時間で15歳のまして標準中1か小6の成長しかない子供に300mlを入れるのはすごく危険なことだと思うので、私自身、吐いたものやオムツを計り、ゆうの体から排泄されたものを全部記録していた。もちろん回数も。でもDrたちは私ほど神経質ではなかったと思う。きっとゆうのような治療(このお薬と量など)は始めての使用だと思うのだが・・・ ■6月28日 採決の結果 ヘモグロビン 7 赤血球の輸血を昼から夕方にかけて入れ、夜から外泊する。 ■6月30日 色ねんどで1日妹と遊ぶ。じゃがいもやキャベツを細かいところまで工夫して作っていた。今では大切な思い出の作品の一つです。 |