■5月1日 以前から病院とは別にNDrに相談していたこともあり、現状のお話をしに行くことと、ゆうを初めて連れて行き、診察してもらう。NDrはゆうに「いつもがんばっていることを聞いているよ」とやさしく声をかけてくれた。そして主人と私が今後どうしていけばよいかを話し合う。Drは言った。「私の息子がこの状態であれば、息子のしたいことをさせてやる。」と・・・
■5月7日 昼までゆっくり寝かせ、昼食を家でゆっくり食べ病院に行く。夜、主治医と話し合う。リニアックも終わり、次からどうするか。主治医は単発でトポテシン(イリノテカン)を使用する治療を行うと言う。年末もこれが効いていたようなので、してみようと言い、私はイヤになったが、主人はふたつ返事で答えていた。 ■5月8日 寝るのが遅かったのか、昼まで寝ている。昼食は私が持ってきたお弁当を少しだけ食べる。回診の際、主治医が来て「1日2時間だけ点滴の治療をしよう」と本人に話し、息子もOKを出す。体はだるいようだが、元気なので帰る。 ■5月10日 週末なので外泊。 ■5月12日 体はガタガタながらも、クラブの顧問の先生が、展覧会をしているので見に行く。先生の作品の前で写真を撮る。これが先生との最後になる。 ■5月13日 先週Drとの話し合いで、来週治療と言われていたので、いつも月曜日からなので、こちらも今日だと思い、主人に仕事を休んでもらったら、治療はなかった。おまけにゆうは、37.7℃も熱があり、心配。 |
【12クール目投与】
トポテシン300mg |
■5月14日 朝9時より開始。10時からCPTを入れる。1時間後おう吐と強い下痢。昼間少し寝るので、その間止まる。氷を1個食べる。この日の治療もトポテシンを入れることだけしか知らなかった。治療が始まり、量を見たら300mg入っていた。また、主治医から量を増やすことなど説明はなかった。しっかり、私が見ないといけないと思う。この日は泊まることに。
■5月15日 体調は悪い。泊まってほしいと言うので、泊まってあげる。 ■5月17日 午前中、昨年の夏から一緒に頑張ってきた9歳の男の子が詰め所前の一人部屋に移動。ゆうもかわいがっているだけに心配している様子。ゆうには「今、データが悪いので、菌が体に入ったら大変だから、一人部屋に行って輸血しているのよ」と説明する。 ゆうは採血して外泊する。 ■5月18日 昨夜からゆうの体調が良ければ、どこかに遊びに行こう。と話し、ゆうに「どこにする?」と聞いたら、「鳥取」と答えたので、行くことに。朝から実家に電話して、私の妹と娘に「お泊りの用意して」とお願いする。ゆうの体調をみながら昼すぎに出発。鳥取へ向かう。午後3時ごろ、皆生温泉に到着。宿泊できそうなので、観光協会へ行き、車椅子が入れる宿を探してもらい、ホテルに泊まることになる。夕食までゆっくりする。海で砂遊びなどしてすごく喜ぶ。気分がいいのか、顔色もよく、生き生きして笑顔もたえない。夕食もびっくりするくらい食べてくれる。気分でこれだけ変わるのかと感心するぐらいだ。来て良かったと思う。ゆうに残された時間は、どれだけかわからないが、できることは体調を見ながら、たくさんしてあげようと思う。 ■5月19日 次の日、朝も早起きして、朝食も驚くほどたくさん食べてくれる。夢みなと公園に行き、大好きな釣りを楽しむ。妹の竿には、イワシがたくさん来るのに、ゆうにはあたりなし。やっとの思いであたりがあり、リールを引くとイワシが一匹だけ。ゆうがぽつりと言う。「魚も病人がわかるのか、こない!」つらい一言。私は何も言えなかった。お昼はゆうの大好きなおすしを食べることに。ゆう「こんなおいしいのは、はじめてや」と言って食べてくれる。帰り、お菓子のお城へ行き、病院の人たちにお土産を買う。いろいろな人たちの顔を思い浮かべながら、お土産を選ぶ。ほんとに楽しそう。この1泊2日は来て良かったと思う。 ■5月20日 旅行の疲れもあるのに早起きする。午後1時前に病院に戻るが、採血だけして帰ることを考えていたら、熱が出てきたので、今日は病院にいることに。 ■5月21日 主治医に家にいるほうが元気になるので、外泊したいと願い出て、外泊する。昨日の採決の結果で、AFPが500になっていた。トポテシンが効いているようだ。研修医の主治医も喜んでいるようだが、私は心から喜べない。ゆうの腫瘍は1つのかたまりの中に良性と悪性が混在していて、いくら悪性の細胞が死んでいっても、また別の悪性が活発になり、AFPが上がってくるので、いくら500まで下がっても素直に喜べない。それより、どんどん痩せていくゆうが心配だった。体重がとうとう30kg台になってくるし、心配でたまらなかった。 ■5月23日 いくら腫瘍マーカーがさがっていても、ゆうの体力はどんどん落ちていって、手術などとてもできないと思った私は、父母に「どうなっていくか分からないから、ゆうと4人で近場で旅行しよう」と誘う。ゆうもおじいちゃん、おばあちゃんは大好きなので、「行きたーい」と言ってくれる。淡路島に行くことにして予約をとる。でも、熱がある。 ■5月24日 熱は36.9℃に下がったが、ゆうの体調が第一なので、ゆうに「どうする?」と聞く。「行ける」と言ってくれるので、私の運転で1泊2日の旅をする。運転中、淡路島に入ったところで、病院のお友達(お母さん)から電話が入る。ゆうがかわいがってた9歳の男の子が亡くなったと。本当につらい知らせだった。泣くこともできず、ただただ運転するだけ。とうとう9歳の子も・・・ゆうには見せなくてよかったと思いながら、今まで9ヶ月を共にした思い出が次々とこみあげてくる。そして、いつか自分にもそんな日が来るのかと思ってしまう。夕食前、少し時間があったので、洲本の街を車椅子で散歩する。海を見たり、小川を見たり、ゆったり過ごすことで、ゆうも体はしんどいが、リラックスしている様子。散歩しながら、もう先のことは考えず、1日1日を大切にしようと思う。夕食は、鳥取ほど食べないが家や病院にいる時より食べてくれる。うれしい。 ■5月25日 朝も早起きする。朝食もたくさん食べ、ごはん3杯もおかわりする。元気だが体調は良くない。時間はたくさんあるので、28号線を走り、明石海峡へ行く。明石海峡で、お土産をたくさん買い、海を見ながら車椅子で散歩した。これがゆうにとっても大好きなおじいちゃん、おばあちゃんとの最後の旅行。みんな心の中では最後と思い、時間を過ごす。 夜、ゆうを実家にあずけて、主人と9歳の男の子のところへ行く。私にとってもこの子の死が一番つらかった。9ヶ月同じ部屋で過ごし、共にがんばり、時にはお母さんにグチを聞いてもらったりと、クリーンルームで過ごした人しか分からないことがあり、何かあるたびに相談にのってもらっていた1人。ゆうも私も、病気、病院のこと、主治医に対して思うことをその子のお母さんに何でも話していた。ゆうが知ったら、きっと救いようのないぐらい落ち込んでしまうだろうと思う。 お通夜が終わり、男の子の顔を見せてもらう。病室でいつも見ていた寝顔で、とても安らかだった。まわりにはいつも病室で見ていたものばかりが飾ってあった。この時、私は感じた。クリーンルームはガン患者と親しか入れないので、兄弟や家族などなかなか会えない。24時間いつも同じ部屋で過ごしてきた私たちのほうが、亡くなる前の症状や両親のつらさなどがその子の身内より痛いほどよく分かる。そして、9歳の子が遊んでいた姿や食事していた姿も私たちのほうがよく知っている。だから、飾ってあったものも、ついこの間まで見ていたものばかりで本当につらかった。と同時に自分も、いつか、この立場に立たされると思うと怖くて、何も考えられない状態で帰った。 ■5月26日 昨日はつらい思いで私自身眠れなかったら、朝7時頃ゆうが胸の痛みで目が覚める。激痛が走り、呼吸も乱れる。痛み止めを飲ませようとするが、胸の痛みで水など口にできないと言う。1時間かけてなんとか痛み止めが飲めた。薬が効いている間に酸素を吸いながら病院へ行く。病院に到着しても車椅子からなかなか動けない。なんとかベッドに座り、酸素マスクの状態。主人は「旅行に行ったからや」と言うが、少し熱があったぐらいで・・・食事や便もちゃんとできていたし、いつだって良い状態などあるわけがないと思う。少しぐらい無理しないと行動できない。本人も喜んでいたのだから私は後悔していない。1日様子をみて、当直の先生達にお世話になる。夜、主治医が休みなのに来てくれる。以前から胸水がたまってきていたので、少しぬくと楽になるかもと言われて、胸水をぬくことになる。ゆうの場合、腫瘍で右肺はとっくにつぶれている為、ぬきやすいようだ。通常、肺が動いていると針がつかないよう気をつけないといけないが、ゆうは大丈夫なので、その点は安心。Drも慎重にぬき、800mlとれたと、後で看護師さんに教えてもらう。この日、はじめてゆうに対して、主治医が何かをしてくれたような気がする。主人も同じことを感じていた。胸水をぬいた後、だんだん熱がでてきて、少し苦しそう。ゆうには「楽になるからね。がんばりなさい。」と言う。熱があるため、点滴をする。心配なので主人と共に、二人で泊まることにする。 ■5月27日 主人は仕事があるので朝6時に病院を出る。採決の結果、CRPは10になっている。かなりしんどく、ひたすら寝ている。足は力が入らず、熱もとうとう39度台に。主人もゆうのことが気になり、午前中だけ会社に行き、病院に来てくれる。熱も高く、胸のキズも痛むので、今日も主人と一緒に病院で泊まろうとするが、看護師さんにほかの人に迷惑になるという理由で、注意される。しぶしぶ主人は帰り、私だけ泊まることにする。 ■5月28日 熱は下がらず、足にはサーチを付け、様子をみている。呼吸はだいぶましだが、胸が痛いらしい。夜、主人が来たので、交代。娘が明日から修学旅行のため、気になるので帰る。9時頃戻り、今日も私が泊まる。 ■5月29日 午前中、担当の看護師Kさんが、いろいろとゆうに対してしてくれる。Kさんに感謝。昼から助教授が回診。カルテを見て、胸水をぬいたことを知り、胸の傷口を見たり、触診したりしている。そして一言。Dr「又、水たまるでしょう」と言う。こんなことがあったからか、それとも、入院が長くなりストレスがたまるのか、その子が退院したのがねたましいのかわからないが、こんなことがあった。以前入院していた2人が面会に来てくれて、修学旅行でディズニーランドに行ってきたお土産をもらったあと、その場では「ありがとう」と言うが、2人が帰った後、私にあたりちらした。私も気を張りつめて毎日がんばっているのに、あまりにもわかってくれない息子に腹が立ち、荷物をまとめて帰る。(夜には主人が来てくれるのもわかっていたので)こんな日もあってもいいだろうと思う。心の中で、子供をほって帰るぐらい元気な証拠だと思う。ゆうにとっても、いつもわがまま言っているようではだめなので、ゆうのためにもよかったなぁと思う。 ■5月30日 今日は昨日のことが効いたのか、すごく素直。きっと心の中ではゆうもわかってくれているのだと思うが、どうしようもないのだろう。大人でも不安になったら感情をコントロールできないのだから。ゆうだってそうだと思う。もうすぐ入院生活も1年になろうとするのに症状はよくならない。荒れて当然だと思う。熱は下がってきたが、頭痛あり。肩、胸、足の裏に痛みあり。 ■5月31日 今日は娘が修学旅行から帰ってくるので、新大阪まで迎えに行く。それで、主人が昼から休みをとって来てくれる。AFPもかなり下がり300までになったので、このままトポテシンを入れ、下がれば手術と言われる。望みが出てきたので、いつものN先生のところへ相談に行く。娘が病院に寄り、ゆうに幸福になるように“ふくろうの置物“と自分で作った腕時計をお土産として渡す。夜9時まで詰所で兄弟みずいらずで遊ぶ。なかなか会えないので、少しでも2人の時間を作ってあげなければと思う。 |