■4月 放射線治療が始まり、私たちはいままでの先の見えない治療がだんだん不安になりながら過ごす。相変わらず説明不足の主治医を信頼するしかない現実のギャップの中、息子を励ましながら頑張る。放射線治療は確かに抗癌剤に比べ、体に対する副作用は少ないが、やはり1年近くガン治療をしているので、体力も精神力も親子共々くたくただ。週末は家で過ごすほうが、息子にとっても好きなものを食べさせてあげられるし、夜中も人から干渉されず、ぐっすり眠れるので主治医に「自宅に帰るほうが元気になるので、家に帰ります」と言って帰ることが多くなる。

■4月4日 いつものようにリニアックが終わり、病室でゆっくりしていると学校の担任の先生が息子と仲の良い友達3人と面会に来られた。体はかなりキツイが、久しぶりに会った友達と大はしゃぎ、2時間ほどハイテンションで過ごす。友達と話している息子を見て、どれほど学校に行きたいか、どれほど友達と会いたかったか、どれほど元の生活に戻りたいと思っているかを強く感じた。本当に辛いだろうなと思う。いつも閉鎖された空間で辛い治療をし、それでも良くならない現実を受け止めていくのは経験した人じゃないとわからないと思う。でも友達と会えたうれしさと過ごした楽しい時間はゆうにとって、本当に
貴重な時間だったと思います。そしてその感激が体を少し元気にしてくれた。

■4月6日 この日は高校の入学式。本人も行く予定にしているが、朝、目と頭は起きているが、体がいうことをきかない。なかなか起きることができない。やっとの思いで制服に着替え、お父さんと車で学校に登校する。入学式はすでに終わっていた。門のところで記念に写真を撮っていたら、中学時代の友達が沢山集まってきてくれた。「元気かー」と声をかけてくれる。先生達も声をかけてくれた。「中学からこの学校に入学してよかったー」とゆうも言ってくれる。高校の教室は一度も足を踏み入れることはなかったが、制服を着て学校に行けたのはよかった。これがゆう最後の登校になる。
週末はいつものように家で過ごし、月曜からまたリニアック。

■4月10日 ゆうは以前からMRIの画像を見てほしいと主治医にたのんでいた。私たちは見せることをさけていたが、Drと話し合った結果、現在のものを入院当初にし、入院当初のものを現在のMRI画像として息子に見せてもらうことになった。画像を見せる見せないで主治医(特に研修医)ともめたことがあった。主治医は一度見せれば本人の納得するはずだと主張する。でも、私達は今回このやり方で見せたら納得するが、次にどのように対応したらいいのかすごく不安だった。現実、腫瘍はどんどん大きくなっているし、以前もめた時に「ゆうくんだけが患者ではありません」と言われた一言が私の中にずっと残っていた。息子はそんなことは何も知らず、主治医にたのんで画像を見せてもらった。見た後、ひどく落ち込んでいた。かなりショックだったようだ。こんな時、主治医や看護師達が心のケアをしてくれたら、もっと信頼関係を築けるだろうと思うが、テレビドラマのようにはいかない。現実は子供のことが理解できる親しか守ることはができない。このとき、私達は告知しなくて良かったと再認識した。

■4月11日 ショックで夜は眠れなかったようだ。やっぱり辛いだろうなぁーと本当思う。昨日、リニアックをしながら薬を投与するかどうかDrから聞かれて、ゆうは「がんばる」と答えた。薬が抗癌剤であることは知らないが、治療の苦しみは十分すぎるくらい体で感じているはず。イヤダ!とは言えず、頑張るしかないゆうに「頑張りなさい」とは言えず、ただ何も言わず見守るしかなかった。
【10クール目投与】
 リニアック(放射線)
 抗癌剤トポテシン  240mg
■4月12日 午前中からいつものようにリニアックをし、午後2時から点滴開始。夕方下痢おう吐あり。お薬が入ると即下痢が始まり大変。トポテシンの副作用はやっぱりキツイ。

■4月13日 朝9:00すぎに点滴をとってもらう。夕方から外泊することにする。体力的にキツイが家に帰ることによって少しでもリラックスして食欲もでるので連れて帰る。

■4月14日 ゆっくり寝かしてやる。午後3時頃やっと起きて、大好きな味のラーメンとギョーザを食べる。抗癌剤をするとやっぱり味の濃いものしか食べれないようだ。夜は久しぶりに和食を作り、けっこう食べてくれる。やっぱり家に帰って過ごすことは心にも体にもいいようだ。

■4月15日 午前中、病院に戻る。朝が早いので病院までの距離も車に乗っているのが辛くなってきている。病院に行って、いつもの時間にリニアックに行く。体もだんだんキツク何度か吐く。同じ病室の9歳の男の子(ゆうがかわいがっていた子)の様子がだんだん悪くなってきている。今日は尿が出にくいようだ。痛みもかなりあり、ゆうも心配になりながらもその子のことを口には出さない。夜、学校の先生(学年担当と担任)が面会に来られるが、歩くのもつらいので車椅子で面会。

■4月16日 朝一番にリニアックに呼ばれるがしんどいので断る。10:30頃、放射線科の先生に診察を受ける。Drから「あと5回だから頑張ろう」と言われる。昼間、信頼おけるN看護師さんがゆうを誘って病院の屋上に行こうと言ってくれる。ゆうも大喜び。紙パックのジュース2つとおやつ少々。2人分持って、2人で屋上でおやつを食べ、いろんな話をしてもらう。ゆうも少しは心のモヤモヤが楽になったようだ。Nさん、ありがとう。もっともっと患者とこのような関わりを持っていただければ、私たちも病院に対してもう少し安心しておまかせできたと思います。

■4月17日 放射線の副作用もかなりきて、気道のほうも炎症が起きてきてつらそうになってきた。リニアックに行って待っている間も気分が悪く何度も吐く。

■4月18日 朝から体がだるいと言って、体を動かすのも大変。何とか力を振りしぼってリニアックに行く。放射線治療もかなりつらくなってきた。夕方、友達が面会に来てくれても体を起こすことができず、「すまんと言っといてくれ」と言って会えない状態。よっぽどだと思った。友達は面会できないので、自分の組章を「僕からのお守り」とゆうに渡してほしいと言ってくれた。すごく嬉しかった。夜、ゆうに渡すと、しんどいながらにも「うん」と言って笑ってくれた。そして、夜9時頃おかゆを2口だけ食べた。

■4月19日 放射線の治療が終わり、いつものように週末は家に帰る。ゆうを実家に預け、いつも相談しているNDrのところへ行く。NDrは「ここまでして効いていないのならば、いろんなことを考えて本人のしたいことを親として沢山してあげたほうが・・・」というアドバイスをいただく。私も本当にそう思う。そういえば、数ヶ月前、婦長さんに治療をやめて家に帰ったら(退院したら)」と言われたことがあった。そのときは正直(なんてこと言うんだろう)と腹が立って自分を抑えるのに必死だった。そのことで主治医に「主治医がそんな話をしていないのに、どうして婦長が退院したらなんて言ってくるのか」と詰め寄ったことがあった。そして、そんなことがあるごとに主治医のはっきりしない態度に腹立たしく思い、信頼のおけるNDrに相談しながら乗り越えてきた。と同時に自分の子供は自分で守ろうという思いが強くなっていった。

■4月20日 朝から学校に休学届を出す。いつものように土日は好きなものを沢山作り、沢山食べさせてあげる。楽しく週末を過ごす。病院でも使用できるような接続方法でインターネットができるようになって、ひとつ楽しみができる。友達ともメールができるようになる。

■4月22日 朝、病院に戻る。昼から主人が病院に来てくれたこともあり、ゆうには内緒で放射線科の先生に時間をとってもらって、治療の状況などの話をする。放射線科のDrより「このての腫瘍は放射線が効きにくい」「これ以上、治療は続けられない。」と言われる。その理由は、これ以上治療すると、肺に穴があいて死亡するとのこと。今、トポテシンを単発で入れて治療をしていると言ったら、放射線科のDrはひどく驚かれ、「エーッ。そんな怖いこと!僕だったらそんなことはしません!」と言われる。「トポテシン(イリノテカン)は副作用で何人も死んでいるじゃないですかー。」私もそのことは知っていた。だから何度も、小児科Drに「イリノテカンをそんなに使用して大丈夫ですか?」と何度も聞いている。そのたびに「大丈夫です。大丈夫です」と言われた。大学病院は各専科に細かく分かれていて、各専科の連携がうまくできていないようだ。私は放射線科のDrはずばずばと本当のことを言ってくれるので、MRIの画像を見てわかることがあれば何でも教えてほしいと頼んだ。すると、「胸やお腹に少し水がたまっているね」と教えてくれる。小児科では検査をしても結果も言わないし、画像を見せてもらうこともない。放射線治療の効果はなかったが、他の科で同じものを見てもらい、意見してもらうことは私たちにとってすごく良かった。ついでに、今までのAFPの中で小児科では聞いてないものについて教えてほしいとDrにお願いする。すると、すぐパソコンからプリントアウトしてくれた。見たらAFPが13000になっていた。放射線から戻り、主治医をさがし、夕方時間をとってもらう。1月にも主治医と主人と私の3人で、治療のことで時間をかけて話し合ったことがあった。その際に本人には今まで通りとぼけていてくれてよいが、私たちには何でも伝えてほしいとお願いした。そして、転院も考えたが、ここまできたら先生を信じて協力し合い、共に頑張りたいと約束したのに・・・また説明不足!だからやっぱり信頼関係は築けない。でも、子供を助けてほしい。こんな気持ちをどうしてよいかわからず、ただ日々だけが過ぎていく。

■4月23日 今日で放射線治療終了。ゆうは放射線科の先生に診察してもらいDrより「治療は効いているのでこれで終了します」と言ってもらう。
【11回クール目投与】
 トポテシン  240mg
 おう吐、下痢がすごくひどい。夜中も下痢続く。
■4月24日 朝から体がだるいと言う。下痢はまだあり。水曜日なのでいつものように教授回診。ゆうには聞えていないが、1年生の研修医に「セカンドオピニオンダメ。」と言っていた。くそ〜!と思う。主治医もやっとゆうに対して声をかけてくれるようになる。病室も来るようになる。主治医に対していつも思うが、なにか欠けているように思う。

■4月25日 夜中も下痢が多かったので少し疲れている。体がだるいのと足が痛いと言っている。トポテシンは副作用として下痢がひどい。トイレなど行けないほど。オムツの生活が何日も続く。ゆうもつらいだろうなぁーといつも思う。そして、この副作用で大人でも亡くなっている症例が沢山あるのを新聞などで見たことがあるので、そうならないよう祈るばかりだ。

■4月27日 いつものように外泊する。夕方ホームセンターに車椅子を見に行く。病院内では病院の物を借りられるが、外泊のときは貸してもらえない。だからと言って、歩くと呼吸が苦しくなるし、車椅子があるとゆうも体の負担がましなのだが、買うかどうか考えて帰ってくる。

■4月28日 やっぱり車椅子を買うことにした。売場に行くと中学時代の友達が接客してくれた。友達は薬剤師になって国立大の病院にいたこともあったと言う。でも、心がないのがイヤでやめたと言う。その友達も子供を病気で亡くした経緯があり、今の私にすごく共感してくれて、励ましてくれた。うれしかった。
 今日のゆうはお腹が痛い。お風呂に入るが、風呂上りはかなり呼吸も苦しそう。

■4月30日 午前中、病室に戻る。ゆうと2人で車椅子で商店街へ行き、焼きそば等を買って病室で食べる。昼からMRIを撮る。夕方、今日の採決の結果。白血球が600だったので、グラン(白血球を増やす薬)を入れ、家に帰る。
ゴールデンウィークの為、5/7まで外泊。この間、友達に泊まりに来てもらったり、おいしいものを沢山食べたりして過ごす。