■3月1日 今日は朝から寝る。インフルエンザのピークは過ぎていたと思うが朝からガスターとグラン150mg入れる。3時、9時、15時、21時にチェナム0.5g入れる。0時、12時にミノマイシン100mgを、13時半〜赤血球輸血2時間入れる。

■3月2日 インフルエンザのお薬も効いたのか食欲も出てきて元気になる。治療後、インフルエンザであれだけしんどい思いをしたのかと思うと腹立たしい。主治医にも子供の不調を訴えているのに聴診器をあてることもなく、来ない日もあったし・・・こんなことで良いのかと思う。やっぱり、子供の様子が変わったとき、すぐに分かるのはいつも付いている親であり、主治医でも看護師さんでもないと改めて思いなおす。と同時に私がこの子を守らないといけないという気持ちが強くなる。

■3月3日 日に日に良くなってきて食欲も出てくる。点滴が長いせいか左腕を痛がる。元気なので夜11時に帰る。

■3月4日 朝、病院へ行くと元の部屋に戻っている。せきが出て、のどの調子も悪いので、スチームを入れてもらい、少しは楽になってきた。主治医が来て、のどを診てくれる。先週診てほしかったものだ。

■3月5日 腰がだるいというが、元気にしている。今日から吸入器始まる。(1日3回)インフルエンザの飲み薬も今日で終わり。

■3月6日 昼間は元気だが胸の痛みを言い出している。夜から熱がある。(38.5℃)20:00に痛み止めを飲む。主治医よりこれからの治療方針としてリニアック(放射線)と抗癌剤を組み合わせるかもしれない。と言われる。

■3月7日 熱もあり、胸の痛みもある。昼間、ずっと頭を冷やしている。

■3月8日 あいかわらず、熱は下がらない。38.5℃あり。体がだるい、だるいと言う。胸痛あり。

■3月9日 午前中に採血。CRP5あるので、抗生剤に変わる。夕方鼻血が止まらない。止血剤入りの綿花をもらい、それで詰めるが止まらない。看護師さんに「3時間止まらないので、耳鼻科の先生に診て貰えませんか?」とお願いする。何時間か経ってから耳鼻科の先生が来られ、処置してもらう。やっと止まる。もっと早く診てもらえばよかったと思う。何時間も何時間もティッシュや綿花で押さえても止まらなくて、大変な思いをしました。これからは、こちらの要望を率直に言って、病院側に聞いてもらおうと思う。
 夜、やっと主治医の上の先生が2回も診に来てくださる。何をしてもらうわけではなかったが、様子を診に来てくれるのは(何時間も鼻血が止まらなかったので)心強いものだ。きっと息子も同じ気持ちだと思う。

■3月10日 熱はまだ、38.0℃ある。昼間、鼻を診てもらう。鼻血はようやく止まるが、熱は続く。血管痛もあり。

■3月11日 朝採血。結果CRP5.まだ熱は38℃ある。夕方エコーの検査をする。土曜日当直していた主治医の上の先生が「どうやー」と診に来てくれる。主治医も来る。

■3月12日 やっと熱が37℃になる。MRIの検査あり。少しは元気になったが、検査の際、車椅子を使って行くが、体はキツイみたい。帰ってきたらすぐベッドに横になる。

■3月13日 回診あり。採血の結果。CRPはやっと3になる。体は全体的にだるい。体重も量る。38.5kg。今、妹が小学校5年生で32kg。入院時は50kgあったのに・・・

■3月14日 食欲も朝はなんとか食べてくれるが、昼夜はあまり食べてくれなくなる。熱は37.4℃が最高で、やっと下がってくる。

■3月15日 白血球も3,000になり、数値上は上がってきたが、ゆう自身体はだるくてしんどいと言う。今日から外泊OKと言われるが、帰れない。体を動かすのが大変だと言う。熱はまだある。

■3月16日 昼間、主治医が来て、次の治療の話をする。納得をしてゆうもOK。次からは放射線治療!頑張ってほしい。今日はゆうが大好きな研修医の先生が2回も来てくれた。やっぱりこの先生が来たときが一番うれしそう。こういう先生が居てくれるから、私たちもゆうもこの病院で頑張れると思う。
次の治療まで、3/17〜24まで外泊。

■3月17日 ゆうの親友がインフルエンザで入院。お見舞いに行く。自分も入院の身なのに他人のお見舞いに行くのはちょっと変な気分。と言いながら、お友達も元気だったので、長居しながら楽しいひとときを過ごす。
外泊するとどんなにしんどくても家の食事は沢山食べてくれる。私もお料理をしてこんなに「おいしい、おいしい」と言って食べてくれるのは家族でゆうだけかもと思いながら嬉しく思う。3/20は中学の卒業式。出席させてやりたかったが、熱があり、体を動かすのも大変なので欠席する。3/22は高校の入学説明会。ゆうはもちろん欠席なので、荷物もあることだし、娘を連れて2人で行く。あたりを見渡すと、同級生の子達がいる。やっぱり、中学になると一年、一年の成長が著しく、みんなの成長ぶりを見て、時が動いていることをすごく感じて落ち込んでしまう。
自分達が閉鎖された空間で毎日を過ごし、数ヶ月病気のことばかりで頭がいっぱいで頑張ってきたのに、ゆうは見なくてよかったと思う。

■3月23日 卒業式が出られなかったため、校長先生が卒業証書を自ら家のほうへ持っていくと言われるので、ゆうを連れて学校へ行くと、体は思うように動かないがなんとか学校へ到着。校長室にてゆうだけのささやかな卒業式をしていただく。
その後、友達2人が家に遊びに来てくれて、夕食を一緒にする。ゆうも大喜び。食は落ちてきているが、気分が全然違う。重い病気を乗り切るには、うれしいことやたのしいことがたくさんあって、リラックスできることがとても大切だと認識した。

■3月24日 今日は家族でゴロゴロゆっくり過ごす。入院するまではこれが普通だったのにこんなことすら今はできない状態。明日からはまた病院生活で家族がバラバラになると思うとやっぱり悲しい。

■3月25日 午前中から放射線科へ行き、放射線科の先生とシミュレーション。午後からCTを撮り、放射線の位置を決める。
 とうとう手術もできず、放射線治療が始まる。Drの話では体力をみながら続けていくとのこと。この時期から、私たちの心は『オペはできないかも』と思いはじめ、今できることはなるべくしてあげて時間を大切にしていこうと思う。

■3月26日 午後からリニアック開始。胸に数箇所のバツがつけられて照射される。リニアックが終わったあと吐いてしまう。夕方から胸、肩の痛みが出てくる。

■3月27日 朝から気分が悪いという。リニアックには看護師さんと行く。放射線科の先生からいろいろとお話を聞く。ゆうは夕方まで気分が悪い。採血の結果、ORP1.2で気になる。

■3月28日 体調は良くない。午後から、小児科で近くの公園にてお花見をしてもらう。久しぶりに、外に出て遊ぶのでハイテンションになるが、呼吸が少し苦しくなって、すぐ部屋にもどる。夜3回ほど吐く。抗癌剤治療より体は楽だと思うが、やっぱり休みなしの治療は体力をなくし、キツイものだ。

■3月29日 今日から外泊になるが、かなり体力が衰えてくる。夕方に帰る。外泊中、歩くのも体力がないため、しんどそうだったので、車椅子を借りたい旨病院にお願いするが、聞き入れてもらえない。

■3月30日 昼過ぎに起きて、梅田のポケモンセンターへ行く。入院中ゲームボーイのポケモンでいろいろと育てているようだ。ポケモンセンターへ行くと、卵をもらえるらしく行きたいと言う。その後、神戸へ行く。神戸の中華街は大好きでいっぱい中華を食べたいと言う。歩けるか心配だったので、しんどくなればすぐ座れるよう携帯の椅子を持って行く。体はキツイようだが、フカヒレラーメンや骨付きウィンナーが大好きで食べることができたことに大満足。