■1月3日 主人と2人病院へ。主治医と話し合い、検査の結果も聞きに行き、今度の治療方針も話し合う。主人も私も心して行ったところ、検査の結果、トポテシンが効いたようなので、1月は大量療法をやめ、トポテシンを入れ、他の抗療剤を組み合わせて考えるとのこと。なぜか少し安心した。
■1月5日 年末からお友達のDrや知人のDr等いろんな方に、ゆうの症状について相談しその中の一人、N先生にゆっくりお会いして相談する日。N先生はいろんな国立大の教授を経て名誉教授までなさっていたので、いろんな人脈もありすごく相談にのっていただいた。この先生のおかげでいろんなことにも(治療に対しても)迷わず最後まで頑張れたと思う。 |
【8クール目投与(1月8日〜14日)】 タキソテール 100mg トポテシン 40mg 5日間 ランダ 24mg 5日間 |
■1月6日 外泊から病院に戻り、気分はリフレッシュしているはずだが、治療が待っているのでブルーになる。主治医との話し合いで「8日から始めましょう」と言われるが、7日の夜から点滴される。確かに抗癌剤は入っていないが、それだったら、8日からではなく7日の夜からと言ってくれていればと思った。 ■1月8日 この日は昼まで寝ている。夕方まで元気でビスケットなど、自分の食べることができるものを食べ、自分なりに体力をつけているようだ。夕方からひたすら寝る。そろそろしんどくなってきたようだ。気になるので、病院に泊まることにした。今日は吐かない。 ■1月9日 昼まで寝ている。起きると気分が悪いと言って、夕方付き添いベッドを借りて今日も泊まることにした。夜中に1回吐く。 ■1月10日 お薬が入って3日目ということもあり、ダウンしている。水も飲めない。今日も泊まる。 ■1月11日 やはり吐いている。下痢もあり。吐気はいつもに比べて少ないがやはりしんどそう。夜「チキンラーメンが食べたい」と言うので作ったが、麺を1本だけ食べる。 水分は一口も摂らない。今日も泊まる。今回は肝機能が少し悪い。 ■1月12日 肝機能が悪いせいか、体はかなりだるそう。夕方熱あり。今日も泊まる。 ■1月13日 今日は主人がお休みで、泊まりを代わってもらう。下痢は12回(トイレに行く)午前中に薬は終わる。 ■1月14日 下痢がきついので、紙おむつを買いに行く。夜は紙おむつをしてあげる。 ■1月15日 白血球は600になる。胸骨や肋骨の形が気になるので、主治医に診てもらう。 湯豆腐などが食べれるようになってきたので、今日から帰る。 ■1月16日 今日は教授回診。教授が主治医(研修医)に「この先の方針は?」と聞いている。“うちの子助けてよ!”、“なんとかして!”って心が叫んでる。 ■1月17日 白血球が400なので、夕方から白血球を増やす薬を入れる。夕方に熱が出るが元気でいる。 ■1月18日 食欲もなく、熱が出てきて尿も思うように出ない。少ししんどそう。 昼間、地下鉄に乗って、N先生の所へ行く。(治療中何度も自宅に電話を頂いていたが、話すことができなかったため) ■1月19日 体調は今日も良くない。白血球は600になっていたが、CRPが0.5から2.0に上がっている。昼から点滴。夜は39.2度になるので座薬を入れる。下痢もまだ続く。 血小板は90,000になる。泊まることにした。 ■1月20日 今日も体調は良くない。夕方までに39度の熱が出る。 ■1月21日 「ホットケーキが食べたい!」と言うので、病院の売店に買いに行くが、少しだけしか食べれない。腹痛がひどくめまいもある。白血球600、血小板20,000、炎症反応8、胃薬が出て夜飲む。 ■1月22日 朝、鼻血が出て止まらない。下痢も熱も続いている。熱もあり、右膝が痛いと言う。夜、おむつをして帰る。 ■1月23日 朝、カステラ等が食べることができるようになる。下痢はまだある。鼻血が出たら止まりが悪い。今日から抗生物質の飲み薬が増える。明日、血小板輸血があるかも。 ■1月24日 この日は、N先生の紹介で、国立病院へ行く。まず、N先生の後輩にあたる縦隔専門の先生の所へ。MRIの画像を見て、なんか重〜い雰囲気。小児外科の先生2人も来て、MRIを見たまま3人であれころ話している。一通りの治療の仕方やデータ見て、 Dr「いままで、これだけの腫瘍をもった呼吸困難はありませんでしたか?」 私 「ありませんでした」 Dr首を斜めにして「こんなの見たことがない。実は、同じ年の男の子で同じ位置に腫瘍があり、僕達手術したんですよねぇー」 この話は私も夏に主治医から聞いたことがあった。(学会で発表されていたとかで) 私 「その子は、その後、どうなったんですか?」 Dr「元気に退院しました」 「その子と息子さんの違いは、その子は化学療法した時に小さくなったけど、息子さんは大きくなってきている」 「お母さん、生検しましたか?」 私 「いいえ、一度も」 「生検しても、かたまりの腫瘍の中に良性と悪性が混在していて、細胞をとってもダメと主治医に言われました」 Dr「ふぅーん」 私 「先生、MRIの画像を見て、全部わかることを説明してください」 この後、6月から12月までの分を比較しながら、いろいろな説明をしてもらう。 “今まで、病院で画像を前に説明を受けていたのはなんだったんだろう“と主治医に対して疑問を抱いた。そしてN先生という偉大な方の紹介からなのか、それともこの病院の先生方の人間性なのか、息子に対しての思いやりやなんとか助けてあげようという気持ちがすごく伝わってきた。いままで入院していた病院はなんだろー・・・ Dr「お母さん、今日相談に来られてどうされますか?」 「転院を考えられているのでしたら、今すぐにでも来てください」 「僕達も早く来ていただけるほうが・・・」 私 「主人にも相談してみないと」 Dr「とにかく、小児科が受け入れないとだめなので、とりあえず小児科の先生と話をしてみてください」 小児科へ行く。 私 「先生、これまでの治療の仕方などをみてどう思われますか」 「抗癌剤治療しても思うように効かなくて・・・」 「やっぱり大量療法すべきでしょうか」 「私、大量療法して子供が苦しんで死んでいくのだけはイヤなんです」 Dr「息子さんのこと、知っています。一度主治医の先生からお電話ありました。いずれこちらに来るんでしょう?」 私 「はぁー?そんなお話は一度も聞いていません」 Dr 話をごまかし「こちらに来られるんでしたらいいですよ。受け入れは致します。でも本人に告知はして下さい。これからの治療は、かなり過酷です。本人が生きるということを分からないとがんばれません。同年代の子達と総室なって分からないと・・・」 私 「・・・・・」 Dr「お母さん、わかってますか」 私 「・・・・・」 Dr「今子供さんは、生死に立たされているんですよ。抗癌剤も体いっぱい入って限界にきています。僕だったらもっと量を入れて治療したかなぁ。お薬は同じようなものを使うけど・・・」 − 省 略 − 小児科の先生とお話をして、やたら「胚細胞腫」という言葉を出してきました(息子の病名です(種類だそうです) 私 「それってうちの子の病名ですか」 Dr「はい、そうです」 私 「主人とよく相談してまた伺います。ありがとうございました」 息子が病気をして色々と調べても縦隔腫瘍ではあまり記載されていなくて、載っていても分かっていることばかりでした。インターネットなどで小児ガンの胚細胞腫で調べるとやっと色々と出てきますが、やはり息子と同じようなものはなく、なかなか参考にはなりませんでした。 いろんな思いを胸に病院へ戻る 病室では・・・ 同じ部屋のお母様に事情を話してお願いしていたので少し安心して私も行けました。この日もやっぱり鼻血が出たら止まりが悪く血小板も少なく血小板輸血することになりました。 前回、血小板輸血をしたときに副作用が出たので、今回は点滴を落とすのにゆっくり落とすことにしました。ゆっくり落としたら前回のような副作用は出ず、無事輸血できました。 ■1月25日 朝から元気。午後2時頃点滴がもれたので、そのきっかけで抜くことに(お薬をきちんと飲む条件で)赤血球の輸血はなしになる。 熱は出るが少しずつ回復にむかう。 |