出発=近鉄 奈良駅 到着=近鉄 奈良駅
近鉄奈良駅を出て大宮通りを東へ県庁前を過ぎて、国道369号線(京街道)を地下道で横断してすぐに左へ横断歩道を渡った正面に氷室神社がある。
 | 氷室神社
春日野に氷池や氷室を作り、そこで春迎えの祭祀を行っていたのが起こりで、平安時代の初めにこの地に遷された。
鳥居を入ってすぐ右奥にある樹齢100年と言われるしだれ桜は、その枝ぶりの華やかさと、花の優雅さには誰もが息を呑むほど美しい。
「氷室」とは冬に出来た氷を夏まで保存するために土中に作った深い穴である。 |
道路へ出て左へ、左奥に東大寺の南大門が見ながら直進すると、前方に大きな建物が見える。奈良県立新公会堂である。
 | 奈良県立新公会堂(入場無料)
以前にあった旧公会堂を壊して新しく建てられた、ゆったりとした建物である。中に休憩所やレストランもある。
建物よりもさらに素晴らしいのは裏側の庭園である。前は起伏のある一面の広い芝生で、左へ降りてゆくと池があり、色々な樹木が植えられている。
その間を縫って続いている小道を辿ると、広い庭園の外側を廻ることが出来る。 |
公会堂を出て、左へ、さらに左へ、公会堂の南側を東へ歩く。車道の左にある歩道を歩くとよい。やがて歩道に小さな橋があり、道はほぼ直進と左へと分かれているが、直進の道を進む。右側は春日神社の境内である。やがて左側に若草山の麓に通じる石段が見えるが、そのまま直進する。道はやや左へカーブしながら続いている。この辺りは南にある春日山と若草山の間にある谷間に当たる。やがて道は右や左へ曲がりながら若草山を登ってゆく。木立の間の緩やかな坂道を30分ほど上ると、若草山ドライブウエイの山頂駐車場へ出る。駐車場を抜けたところが若草山の3重目の山頂で、右手向こうに鶯塚古墳の石碑が見える。
 | 鶯塚古墳
若草山三重目頂上にあり、南側を向いた前方後円墳である。標高300m以上の山頂にある古墳としては、我が国最大級で、仁徳天皇の皇后磐之姫の墓といわれている。
宮内庁は佐紀に磐之媛陵を比定いるが、清少納言が枕草子第十七段に「みささぎは うぐひすのみささぎ」と書いている。その鶯陵とは「大和若艸山之頂字鶯陵」で、若草山の山頂にある全長103メートル、南に前方部をもつ前方後円墳のことである。 |
ここから2重目の山頂へ降りるが、途中で入山料を払う。
 | 二重目の山頂
若草山は、山頂までに2つの鞍部を持つ3重の山になっているので、以前は「三笠山」と呼ばれていた。
ここも周囲に大きな樹木が無くて、背の低い草に覆われているので、展望がよくきく。 |
<<この辺りはお弁当を頂くのに好適な場所である>>
この下の鞍部はかなり急坂で、背の高い薄のような草が生い茂っているので、北の端にある登山道と階段を使って下りる。
 | 登山道の階段状の部分
ぐるりと廻りながら降りるので、それほど傾斜はきつくなく、展望を楽しみながら降りることができる。
途中から1重目の山頂になるので、登山道を外れて降りてもよいが、勢いがつくと止められないから、老人には要注意である。 |
下まで降りると、お土産店が並んでいて、人通りの多い道になる。
 | 若草山の裾野
最初はそれほど傾斜がきつくないので、登れるが、だんだん傾斜がきつくなってくる。
毎年1月に、この部分の枯れ草に火を付けて焼く。「若草山の山焼き」と呼ばれて、1月の風物詩となっている。 |
この道を若草山を背にして右へ歩く。間もなく車の道は左へカーブしているが、そのまま直進して鳥居をくぐると手向山八幡宮である。
 | 手向山八幡宮
手向山八幡宮は聖武天皇が大仏造営に際し、東大寺の鎮守の神として天平感宝元年(749年)宇佐より招聘し、鏡池の辺りに祀ったが、その後、北条時頼が建長2年(1250年)現在地に移した。
古来、紅葉が美しかったようで、菅原道真の 「此の度は弊(ぬさ)も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」 という歌が有名である。
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八幡宮を背にして右に三月堂、さらに二月堂と続き、三月堂の前に四月堂があるが、こちらの方は「奈良公園外周散策コース」で紹介しているので、そちらの方へは行かずに八幡宮の正面を真っ直ぐに出ると間もなく、鐘楼が見えてくる。
 | 東大寺の鐘楼
この鐘楼は国宝に指定されている。中の梵鐘(ぼんしょう)は752年に鋳成されたものだから、東大寺創建当初のまま残っていることになる。重さが26.3トンもある巨大な梵鐘である。
東大寺の除夜の鐘はここで突かれるが、一般の人でも先着順に108人に鐘を突かせてもらえるというので、毎年、長蛇の列が出来るそうである。 |
鐘楼の西側に大仏殿が見えているが、そちらへ行かずに南の方へ林の中を抜けてゆくと、1段と高くなっている土壇がある。これが東大寺の東塔跡である。
 | 東大寺の東塔跡
東大寺は聖武天皇の勅願で西暦752年に完成したが、その伽藍配置は二つの塔と一つの金堂(大仏殿)と講堂を持つ薬師寺方式であった。
この塔跡は東塔で、この西の方、大仏殿を中心に対照的な位置に西塔跡がある。
両塔ともに巨大な五重塔であった。 |
鏡池の畔から大仏殿の前を通って西へ、道をやや斜め右手に取って行くと、戒壇院がある。
 | 東大寺戒壇院
754年、唐から招聘した鑑真和上により、東大寺に戒壇が設けられ、聖武上皇以下400名に戒が授けられた。
この戒壇は、勝手に僧を名乗る私度僧を防ぎ、戒律に基づいて修行を行った僧のみに戒を与える所であった。この東大寺の戒壇の他に、下野国の薬師寺,大宰府の観世音寺にも戒壇が設けられ、日本三戒壇と言われた。 |
戒壇院のすぐ北東に勧進所がある。
 | 東大寺勧進所
江戸時代に戦国時代松永弾正によって焼かれた大仏堂を再建するために再建大勧進職を務めた公慶上人がここに一院を置き、復興の寺務所とした場所である。
公慶上人像を安置する公慶堂や秘仏「僧形八幡神坐像」を安置する八幡殿、同じく秘仏の「五劫思惟阿弥陀像」などが安置された阿弥陀堂などがある。普段は非公開だが、10月5日転害会の日だけは門が開き秘仏が公開される。 |
戒壇院正面の石段を下りて暫く真っ直ぐに歩いて行くと、突き当たりが吉城(よしき)園で、その手前の左側が依水(いすい)園である。
 | 依水園(入園料 600円)火曜日休園
東大寺の南大門と若草山を借景にした奈良でも屈指の美しい庭園である。
園内にある寧楽(ねいらく)美術館は東洋の古美術を展示している。
園内には食事をする場所もある。 |
 | 吉城園(入園料 250円)火曜日休園
万葉集にも詠まれた宣寸川(よしきがわ)に隣接する庭園である。
興福寺の子院である摩尼珠院から民間の所有になった後、大正8年に現在の建物と庭園が造られた。
庭園鑑賞や茶会に広く開放している。 |
吉城園を背にして左へ行くと京街道(国道369号線)に出る。左へ曲がって暫く歩くと、朝通った横断地下道に出るので、地下道に入って右へ、地上に出ると左側が興福寺の境内である。5分ほどで近鉄奈良駅に着く。
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