テンポイント 奇跡の誕生秘話
 流星の貴公子テンポイント・・・ 本来なら、競走馬として、走れなかった亡霊の血を背負っています。
まずは、その由縁を・・・

 昭和27年、テンポイントの祖母であるクモワカ(成績は32戦11勝、桜花賞2着、菊花賞4着)が5歳の6月に当時流行していた、『伝染性貧血』という病気を患っているとの診断を受け殺処分の命令が下された。しかし牧場関係者はこの診断結果に大きな疑問を持ち、クモワカを死んだことにして嘘の死亡診断書を渡して秘密裏に連れ出した。当然、このことが明るみに出れば問題になるぐらいではすまない。しかし、このクモワカは桜花賞で2着に入るほどの馬で関係者の期待は高かったのだ。

 3年後、かくまわれていたクモワカは、北海道の吉田牧場で元気な姿を見せた。だがすでに血統登録書からは抹消され、その子の繁殖登録も拒否された。伝染性貧血を患っていたのなら、とっくに死んでいるはずである。このことは、その診断の正しいか否かをめぐって、裁判に発展し実に11年もかかり結局獣医の診断ミスと判決が下され裁判に勝利して正式に社会に復帰したのである。

 そして、クモワカは『丘高』という名で血統登録され待望の初仔が生まれる。
それが、テンポイントの母・ワカクモである。昭和41年ワカクモは母クモワカが2着に敗れた桜花賞を勝ち、母の雪辱を桜花賞制覇という偉業で晴らした。

 繁殖牝馬となったワカクモはコントライトと交配し、『愛くるしい瞳』『鼻筋へ通った綺麗な流星状の白斑』『流れるような美しい栗毛』の牡馬を産む。これが、流星の貴公子テンポイントである。テンポイントの名前は、新聞にテンポイント活字で載せたいという希望を込め命名されました。
事実、その通りの活躍をしました。