野間神社 
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秋祭り情報
2009/10/02
 10月11日18時  〜野間神社宮入
     19時  〜獅子舞奉納
     20時15分〜演芸(和太鼓・民謡・歌謡)

 10月12日09時  〜野間神社地車引出
     10時  〜神輿出発・松だんじり引出
     12時  〜御陣屋到着
     12時30分〜獅子舞奉納
     13時30分〜演芸(猿回し・太鼓・曲芸・歌謡)
     14時  〜神輿・松だんじり巡行
     16時  〜御陣屋出発
     17時45分〜御旅所到着
     18時45分〜獅子舞奉納
     19時45分〜演芸(和太鼓・マジック・歌謡・漫才)



2009/09/23
 今年は本祭りが予定されています。

 日程:10月11日・12日

 詳細は、別途お知らせします。




2008/09/01
 今年も本祭りはありません。

2007/09/29
 今年の本祭りはありません。

 ただし各地区毎に、下記の予定で「だんじり」は出ます。

     地黄区   10月7日(日)
     出野区   10月13(土)14日(日)
     稲地区   10月13日(土)
     野間中区  10月14日(日)


2007/07/10
[name]だんじりっこ
[message]今年は何日なんでしょうか??&台集まりますか??教えてください。お願いします

メールで返信したのですが、送れないためこのページに載せました。

問い合わせいただき有難うございます。
今年の予定はまだ決まっておりません。
祭があれば、多分10月13日(土)14日(日)になると思います。

本祭りをすることが決まれば、だんじりは6台出ます。その他に神輿が1台と、獅子舞いも奉納されます。
本祭りがなくても、個々には、だんじりはを引く地区があります。

ホームページの容量の関係で更新をストップしていましたが、秋祭りの内容が決まり次第、野間神社のページに
UPしていきますので、時々覗いてください。
いずれにしろ、具体的に決まるのは9月に入ってからと思います。


2005/10/10
おかげさまで、今年の秋祭りも無事終了いたしました。
8日は、朝から雨に時々降られ苦労しましたが、夕方には雨も上がり、提灯に灯が入れられ、大勢の皆様の声援の中無事6台の「だんじり」の宮入が終わりました。
その後は、出野の獅子舞奉納に続き、能勢の人形浄瑠璃の中から三番叟の舞が、「だんじり」の前に組まれた舞台の上で演じられ、日ごろひっそりとした神社の境内が、遅くまで歓声に包まれました。




10/09
   御輿・だんじり




    10/9御陣屋へ
       (能勢城跡)







2005/10/07
大阪21世紀協会のホームページ10月5日付け、「総合イベントガイドブック大阪秋のまつり」の9ページに「野間神社の秋祭り」が紹介されております。


2005/10/02 演芸プログラムが決まりました
            

2005/09/24 御神輿・だんじりの巡行詳細が決まりました。


2005/07/9
この度、(財)大阪21世紀協会の「大阪秋のまつり」総合イベントガイドブックに野間神社のお祭りが掲載されることになりました。
大阪に残された数少ない農村部にあって、250年余り続いている格式のあるお祭りとして野間神社のお祭りが広く紹介されることを、地元の人間として、大変喜んでおります。
大阪では岸和田のだんじりが余りにも有名ですが、岸和田を「動」とすれば、規模こそ小さいものの、「静」のだんじりとして、のんびりと田舎の情緒を味わってもらえるのではないかと思っております。
7月24日に最初の実行委員会がもたれます。
このページに逐一、情報として載せさせて頂きたいと思います。








野間神社ご案内

由緒及沿革
 當社は推古天皇13年、即ち今より役一千四百年年前勅によって、大和布留神廊(今の官幣大社石上神宮)から奉遷したのである。故に當社を布留宮とも申し、昔は官幣社の待遇をうけていたのである。延喜式内宮であって御祭神は饒速日命で、御靈代は命か頸に懸けさせられた勾玉である。命は神武天皇御創業の時、其御子可美眞手命と共に鬼賊長隨彦を討って大業を翼賛し給うた軍神であり、又天降りの祭天神より賜った十種の神寶を以って、諸病を平癒し給う御神徳を兼ね備へ給うのである。
 (別説に當社は饒速日命奉祀の前に鹿屋野比賣を奉祀して居ったいう説がある)
 天正の頃織田信澄が當地へ乱入し兵燹の為古書類焼失しとあるから社殿も其時大破したものと想われる。天正八年九月十七日塩川伯耆守の為に能勢頼幸が討死をしたので當地は島津兵庫頭の領地となり、郡代戸成掃兵衛、福崎新兵衛等が天正十九年九月に社殿を大修理し、超えて慶長五年能勢頼次が関ヶ原合戦の巧によって再び當地を領有するに至って、社殿を榮繕したのである。
 思うに鎮座地は古来野間庄と稱したので大和より布留宮を奉遷の際土地の名に據つて野間神社としたのであって、又現在の地黄の名は大和から多くの人が御靈代を供奉移住し来って地黄草(薬草)を栽培して生業とした為に、地黄村と言うに至ったものである。猶現に散見する寄付札等より當社は東能勢、歌垣、田尻、吉川村等の總社であったことも推定できるのである。

 境内神社
  七朗神社
    御本社大和から御遷座の砌多くの人之に供奉し、此地に移住した其四十六戸の祖を祠ったのである。
  祓戸神社
    御祭神は祓戸四柱神、文政八年能勢頼富の勸請したものである。
  住吉神社
    御祭神は住吉大神、天正十九年島津義弘の勸請にかかる。
  春日神社
    御祭神は春日大神、年人の勸請による。

 明治四十年五月神社合併の際村内所在の神社を合祠したるものに

  幡比賣神社
    御祭神、天之忍穂耳命の后神たく幡比賣大神、本社本殿に相殿として合祠す。
 他に
  春日神社、山王神社、西山神社、御神器八幡神社、岩崎八幡神社、来見神社、杵築神社、地才神社、蟻無神社、蛭子神社、
  稲荷神社、黒替伊奈利社、辨天神社

 「野間社」の標柱に就いて
  境内入口石の鳥居の東側にある、「野間社」とある石の標柱は享保年間碩儒並河誠所(贈従四位)其他二十三有志の建言に依り、幕府より大阪町奉行の手を經て、延喜式神名帳所載の由緒正しき神社の證として下附したものであって、裏面に「菅 廣房建」の文字あるは其有志の一人で石標建立の經費二十両を支出した人なのである。右と同時に石標下附の神社は攝津にて大阪府十三社、兵庫懸下七社である。是實に當社の由緒ある神社であることを物語る有力なる證である。

お祭り風景



 野間神社に関係する地区が宮本である地黄と、野間中、野間稲地、野間大原、野間出野、野間西山と6っ有ります。それぞれの地区に「だんじり」(山車)があり、すべての「だんじり」が野間神社に揃う本祭りが昔は毎年行われていました。しかし最近は2〜4年毎になっています。
今年はその本祭りが予定されております。
 









地黄の「だんじり」の「はま」を交換しているところです。
    







地黄の「だんじり」の引き綱ないの様子です。





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