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白旗城

〜赤松円心ゆかりの地を訪ねて@〜


標高440mの白旗城本丸跡
白旗城(本丸跡)

白旗城遠景です。正面奥に見えるのが白旗城址になります。 白旗城・二の丸(二郭)です。ここから北東に向かって「馬場」「本丸」へと続きます。
所在:兵庫県赤穂郡上郡町細野 (地図)
説明:
(上郡町教育委員会「中世播磨・備前・美作の太守 赤松氏のふるさとをゆく」パンフより)

白旗城跡は標高440mの白旗山上にある、南北朝〜戦国時代(14〜16世紀)の山城です。建武3年(1336)に足利尊氏に与した赤松円心によって築かれ、新田義貞率いる軍勢による50余日の城攻めに耐えた堅固な城です。
以降、嘉吉の乱(1441)で赤松氏が一旦滅びるまで、播磨・備前・美作の守護大名赤松氏の本城として固守されました。現在残る縄張は戦国時代前半までの改修を受けており、全長800mを測り、尾根上や南谷筋に本丸・二の丸・三の丸・櫛橋丸・馬場丸・侍屋敷・桜門と伝えられる曲輪跡や堀切・土塁・石積などの防御施設が残っています。
城址へは、細野口・野桑の両方から近畿自然歩道を通って登る事が出来ます。
白旗城跡は、感状山城(相生市矢野町)・置塩城跡(飾磨郡夢前町)とともに国指定史跡になっています。
白旗城の三の丸にあたります。三の丸は城址の北東にある曲輪です。 櫛橋丸跡です。城址の西南にあたる曲輪です。
赤松氏の居城「白旗城」とゆかりの地を訪ねました。
先ず兵庫県赤穂郡上郡町の上郡町郷土資料館へ行きました。
郷土資料館は、元は学校の校舎か役場?と思われるほど、とても味わいのある建物でした。
続いて赤松円心の菩提所で、苔縄城の麓にある建武4年(1337)に円心が建立した法雲寺に行きました。
ここには円心手植えの県指定の天然記念物である樹齢700年と言われるビャクシンの木がありました。
その後、赤松円心の次男で赤松貞範が建立した松雲寺に寄りました。
ここにも上郡町指定の樹齢700〜800年と言われる天然記念物のカヤの木がありました。
次に訪ねたのが、赤松円心の三男赤松則祐が建立した「宝林寺」です。
境内の「円心館」には赤松三尊像をはじめ、赤松氏ゆかりの資料が展示されています。
赤松三尊像は、赤松円心・則祐・別法和尚(雪村友梅という説も)・覚安尼(則祐の娘千種姫)の坐像と言われています。
外を見ると雪がかなり強く、横なぐりに降ってきましたが、思い切って白旗城(440m)へ登ることにしました
白旗城の石垣です。水の手と呼ばれている(庭園のように広い)曲輪の下にあります。 二の丸と本丸を結ぶ、「馬場」です。長さ約100mの平坦地です。
登り口は「赤松」方面から入りました。
登りだしてすぐに、石ころだらけの山道となります。結構しんどいです。
二の丸辺りまで来た時は、息切れがするほどでした。
二の丸の一段下には水の手があります。井戸があり、ちょっとした庭園のようにも見えますが、この下に白旗城の中でもかなり綺麗に石垣が残っている場所があると聞き下りてみる事にしました。かなりのブッシュでしたが、冬枯れの時期でもあり、比較的すんなりと探索できました。
「堀切」です。櫛橋丸と二の丸との中間地点に切ってあります。 白旗城で確認されている唯一の三の丸の「土塁跡」です。この頃から急に天候が変わりだしました(^^ゞ
二の丸を見た後、馬場を通り抜け、本丸へ向かいました。本丸に着いてしばらくすると、いきなりの雪。でもよく見ると霰です。降っていたのはほんの数分に感じましたが、一面あっと言う間に雪化粧に変わってしまうほど強く降ってきました。
本丸です。あられの様な横殴りの雪が降ってきて、あっと言う間に一面真っ白になりました。目の前は真っ暗でした(笑) 本丸に建つ「白旗城址之碑」です。雪が一面を真っ白にしてしまいました。
しばらく散策をし、下山する事にしました。
白旗城は、さすが播磨でも1・2を争う険しい山城でした。
しかしその分、踏破した満足感と、赤松氏の堅城を訪ねる事が出来た喜びの一日となりました。

〜赤松氏ゆかりの地を訪ねて〜A

法雲寺 【左の写真は法雲寺】:赤穂市上郡町苔縄

法雲寺は建武4年(1337)、赤松円心により苔縄城の麓に建立された赤松氏の菩提寺です。開山として元(げん)で修行を積んだ高僧、雪村友梅が招かれました。境内には兵庫県指定の天然記念物で円心手植と伝えられている樹齢700年のビャクシンがそびえ、円心の武者姿の像が安置されている円心堂があります。
(上郡町教育委員会パンフより)
【右の写真は松雲寺】:赤穂市上郡町赤松

松雲寺は、もと赤松円心の居城として名高い白旗山(東方の峻険)山麓に赤松貞範(円心次男)が建立した栖雲寺を継承しています。赤松氏とのかかわりの深い名刹です。
(松雲寺の案内板より)
                                      
松雲寺
円心館 【左の写真は宝林寺にある円心館】:赤穂市河野原

宝林寺は、文和4年(1355)、赤松円心の三男赤松則祐により備前国新田荘中山(岡山県和気町)から現在の地に移されました。境内の円心館には赤松三尊像をはじめ、赤松氏ゆかりの資料が展示されています。赤松三尊像は、赤松円心・則祐・別法和尚(雪村友梅「せっそんゆうばい」と言う説もあります)・覚安尼(則祐の娘千種姫)の坐像と言われています。南北朝時代(14世紀)の作とみられ、兵庫県指定文化財となっています。
【写真は円心館に展示されている宝林寺の模型です】

約300年前の宝林寺模型
円心坐像 【左の写真は、円心館に保管されている赤松円心坐像です】

松雲寺の和尚さんに特別に撮影の許可を貰って写しました。

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