全国の城(兵庫12)

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黒井城二の丸の石垣
黒井城二の丸の石垣
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黒井城登城口。車も駐車出来る様になってます。山頂へは向かって右の石段から登ると早い。 黒井(保月)城
所在:兵庫県氷上郡春日町黒井  (地図)
城主:赤松貞範・赤井直政・斎藤利三・堀尾吉晴・川勝秀氏          
歴史:
黒井城は保月城とも呼ばれ丹波の山城では八上城と並ぶ戦国期の名城である。城山は猪ノ口山といい標高375mで、建武3年(1336)赤松円心(則村)の次男貞範が築いたと言われる。16世紀の半ば、この城の城主となった赤井悪右衛門直正が天文〜弘治年間(1532〜58)にかけて、城郭の全面的な改築補修にあたっている。

【平成14年10月訪城:写真は黒井城の登城口。無料駐車場があり、10台程度止められます】
途中までは階段がついてます。この階段どこか、三重の「五ヶ所城の鍛錬の石段」と似ています(^^; 山頂の本城部分に本丸・二の丸・三の丸・東曲輪・西曲輪が連郭式、階段状に配置され、高さ3〜4mの野面積の石垣とともに、戦国時代の山城の特徴をよく表わしている。他にも砦・土塁・用水路跡も残っており、山全体が要塞のようである。

【駐車場右手よりの階段から登っていきます】
中腹にある「石踏の段跡」。この曲輪右奥には赤井氏の招魂碑が建ってます。 織田信長の丹波攻略に、黒井城は八上城とともに頑強に抵抗し、天正3年(1575)明智光秀の黒井城攻略が開始された。城主赤井直正はこの城を拠点として、諸将を率いて奮闘善戦し武名をあげた。直正の病没後、子の直家が叔父幸家の後見のもと抵抗を続けたが、明智勢の大軍の前に天正7年(1579)8月9日、黒井城は落城した。これを皮切りに氷上郡は光秀に完全に制圧される事になった。

【写真は中腹にある「石踏の段跡」。赤井氏の招魂碑が建っている】
中腹にある「太鼓曲輪(太鼓の段跡)」 黒井城はその後光秀の家臣、斎藤利三が管理することになる。利三は城を拡張、整備してほぼ今日残る規模にしたという。
その後、堀尾吉晴も黒井城主となり、関ヶ原の合戦後の慶長6年(1601)には、川勝秀氏が入城、城の整備にあたった。

【写真は中腹にある「太鼓の段跡」。ここは下草がかなり茂ってました。】
登りきると最初に出くわす「東曲輪跡」 頂上の本丸までは、下の駐車場からは約40分で登れます。
駐車場のところで、地元のおばあさんから「アンタの足なら30分もあれば登れるよ。右の階段を登って行けばすぐよ!」って言われ意気揚々と出発しました。

【写真は「東曲輪跡」。野面積の石垣が印象的です。】
さらに進むと「三の丸跡」があります 午前中に竹田城に登った後だったので、途中何度も息切れしながら、「石踏の段跡」などで一服しながら登っていきました。

【写真は「三の丸跡」】
「二の丸跡」に出るとだいぶ広く感じます 途中、水分補給しながら辿り着いた場所は「東曲輪跡」で、いきなり目の前に現れた昔ながらの石垣に暫し見とれていました。

【写真は「二の丸跡」。曲輪は幾分広くなってます。】
「本丸跡」は見晴らしがよく、かなり広い。丹波の山並みがとても美しかったです。 本丸がある山頂からの眺望は素晴らしく、春日町の町をはじめ、市島町の谷々まで見渡せる絶好の場所でした。

【写真は「本丸跡」】
ふもとにある興禅寺。黒井城の下屋敷と言われる居館跡で、石垣は当時の遺構と伝えられる 黒井城登山口右手にあるのが大梅山興禅寺(曹洞宗)です。
寺の前には七間濠という濠をめぐらせ、高石垣と白い連塀は城郭を思わせ、黒井城の下屋敷の様子を今に伝えています。


【写真は「興禅寺」】
興禅寺正門。正門脇には「春日局出生地」の碑がある。 興禅寺の前に「春日局庵」という建物があります。
ここは無料で休憩できるようになっており、ゆかりの場所などの写真が張られております。参拝客が記帳出来るようにノートが備え付けられてます。

【写真は興禅寺正門。春日局出生の地の標柱があります】

平成18年11月3日訪問。

興禅寺にある「お福産湯の井戸」
指月殿(経蔵)の裏手にあり、深さ1.7mで、中には水もあります。
お福(春日局)が生まれたとき、この井戸の水を汲んで初湯に使ったと伝えられています。
興禅寺にある「お福腰かけ石」
本堂に向かって左側にある平たい大石で、お福がまだ小さい時に腰をかけて遊んだと伝えられています。
子供の頃、春日局は「斉藤屋敷のお福さま」と呼ばれていたのでしょうか。
兵主神社です。
往古より公家・武家・丹波・但馬・播磨等をはじめ、各地の崇敬厚く、特に戦国時代からは疱瘡の神様として崇められてきました。
道の駅「丹波おばあちゃんの里」です。
丹波特産のお土産も売っていましたよ♪

平成18年11月18日
黒井オフ
丹波の紅葉も見頃となった平成18年11月18日に
KAIさん・迷いの介さん・ひでサードさん・そして私の4人で黒井オフを開催しました♪
日程の都合がつかないanne猫さんと、体調不良の天々宇知栗さんは残念ながら欠席となりました。
てなわけで今回は私の体力に合わせ、その名も『軟弱オフ』と題し、本格的な山城は黒井城のみとして
その支城の幾つかを回ることにしました。

最初に行ったのは、「国領城」です。
春日町国領の進修小学校の裏手にあります。
現在この地には「流泉寺」(写真)が建っていて
寺の正面には「三尾城址」である三尾山(標高596m)が聳えています。
城主は黒井城主荻野直正の弟・赤井刑部幸家(よしいえ)で天正7年に
黒井城落城とともにその幕を閉じました。
流泉寺には赤井刑部幸家の墓があります。
お寺を訪ねた所、幸いにも奥様から色々と話を聞くことが出来ました(^。^)
墓の背後には3m以上ありそうな土塁が残っていて屋敷を取巻いていた
のが分かります。。
次に向かったのが「国領岩戸神社城」です。
国領城から東南東へ少し走ると舞鶴若狭道の下をくぐります。
「長谷大池」と言う看板に沿って走ると、途中に「岩戸神社」があり
その裏山が城跡です。
この日は町から委託を受けたシルバー会の方?による山の下草刈りが
行われていました。
皆さん歴史好きな人達ばかりで、城の話や甲冑の話に花が咲きました。
岩戸神社の紅葉です。綺麗でしょ(^。^)
台風で被害のあった屋根の葺き替えも、昨年無事に終わったとの事でした。
その後、本日最大のお目当ての「黒井城」へ登ることにしました。
仲間に歩調を合わせてもらって今回も無事登りきりました(^_^;)
城址は以前来た時よりも綺麗に下草が刈られ、帯曲輪も歩きやすく
石垣の写真などを撮りまくりました(笑)
本丸跡でセルフタイマーにより恒例の記念写真を!(^^♪
帰りは「東出丸」へ立ち寄り、「太鼓の段」に戻り下山しました。
黒井城の下屋敷だった興禅寺の庭にある「お福腰掛石」を
案内している所です。
黒井城の東の押さえ、「多田砦」からの眺望です。
円光寺の裏手に登城口があり、比高約50mの所にあります。
黒井本城からも東出丸を通り、この多田砦に通じるようになっていますが
途中に猪避けのフェンスがあるようですね。
正面の小高い山が「兵主西砦」です。
西方面の押さえの砦です。
この日は兵主神社(写真右手の建物)だけ立ち寄って山には登りません
でした(^^ゞ

オフの最後は春日町歴史民族資料館へ寄り、春日の歴史を充分学んだあと
近くのお店で軽食を取りながら反省会を開きました(^^♪
お蔭様で今回も楽しいオフ会を開催する事ができました。
皆さん本当にお疲れ様でしたm(__)m