全国の城(滋賀8)

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近江坂本城

近江坂本城址

所在 滋賀県大津市下坂本
地図
歴史 比叡山の麓の坂本は古代より比叡山の門前町として栄えたところです。明智光秀は叡山と湖南・湖西の押さえとして、元亀3年(1572)に坂本城を築きました。織田信長は光秀に穴太衆を掌握する目的もありこの地に城を築かせたと思われます。天正10年(1582)、本能寺の変の後、明智光秀の腹心・明智左馬助秀満は、坂本城天守で自刃し、城に火をかけ城は灰燼に帰しました。
遺構は琵琶湖に沈んだ石垣と船着場と思われる石段と井戸があるだけですが、城跡には明智光秀の石像が建てられ、現在は公園として残されています。
琵琶湖西岸に築かれた坂本城 何故か可愛い「明智光秀像」(^^ゞ

比叡山の麓の坂本には「穴太(あのう)衆」と呼ばれる石工集団が住んでいました。
穴太積の特徴は、積み石の比重のかけ方で、表面から3分の1程度に重力がかかるように設計され、石垣の奥に小石を詰めて排水を良くする工夫がされ、堅牢さでの秘伝の技が潜んでいます。
穴太積の石垣が残る坂本の町 坂本にあった300年以上続く蕎麦屋さん

この総門は天正年間に坂本城門を移築したと伝えられている城門で、昭和59年に老朽化が進み修理が加えられましたが、形はそのままの姿で復元をしたものだそうです。境内には他にも明智光秀寄進の坂本城陣鐘や光秀一族の墓地があります。
西教寺
坂本城遺構の西教寺総門
西教寺
(訪問レポ)
比叡山の麓には日吉大社を初めとして、多くの社寺仏閣や、修行僧が食べた坂本蕎麦の店などが並んでいます。
日吉大社は全国4千余の山王さんの総本宮ですが、今回は日吉大社には寄らず、近江坂本城の総門が残ると言う「西教寺」に寄ってから、市民センターで、昔琵琶湖が渇水した時に現れた「坂本城」の石垣の写真を見せてもらい、ついでに場所も教えて貰ってから城址へ向かうことにしました。
城址碑に気付かず一旦前を通り過ぎてしまい、慌てて戻って写真を撮って来ました。
残念ながら水中に没した当時の石垣を見る事は出来ませんでしたが、今は公園となった坂本城の場所で、雰囲気だけは味わってきました。