全国の城(千葉8)

御茶屋御殿

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「御茶屋御殿」…幅約6m・深さ約3mの薬研(やげん)堀が、約120m四方のほぼ正方形に掘られ、その内側に幅約7m・高さ約2.5mの土塁で囲まれた、方約90m(50間)の御殿跡です。

土塁が切れた所に土橋がかかっています。こちらが南門にあたります。 所在:
千葉県千葉市若葉区御殿町2549番地

歴史:(現地説明板参考)
徳川家康が東金への鷹狩のために休息地として造営したものです。このような御殿は千葉市のほかに御成街道の起点である船橋に「船橋御殿」、お狩場である東金には「東金御殿」が造営されましたが、寛文年間(1661〜72)に取り払われて、その跡地も現在大きく改変されています。この御茶屋御殿もほぼ同じ頃取り払われたものと考えられますが、跡地はよく旧態を止めています。
周囲を巡る壮大な薬研堀。 御殿跡は一辺約110mの方形で、周囲に幅約5mの薬研堀の空堀と高さ約2.5mの土塁をめぐらし、南北2ヶ所に出入口があって、その内側に枡形土塁が構築されていました。
内部の遺構については発掘調査により、主殿と思われる基壇部分のほか、長大な掘立柱建物跡群や井戸跡の他、17世紀中葉の陶器などの遺物も発見されています。
御茶屋御殿の土塁と土橋(北門) 方形館跡の中に入っていくと、中ほどに土橋(左写真)がは残され、土塁も切れて入口となっています。北門と南門があり、いずれも枡形土塁の痕跡を残しています。とにかく周囲を取り巻く土塁と空堀は立派です。綺麗に整備されておりました。
歩いてみて分かったのですが、御殿敷地内の土質は柔らかくて火山灰のような感じで、靴が土埃でみるみる内に真っ白になってしまいました(^^ゞ

今回は行かなかったのですが、南門を出て約180mほど行くと左右に見渡す限りの一直線の道路があります。これは船橋と東金を結ぶ「御成街道」と呼ばれる道です。
この御成街道を北西へ10分ほど行くと、右側奥に金光院(真言宗)があります。正応2年(1289)の創建と伝えられていて、鷹狩り往復の家康らは実際にはこちらに宿泊したと言われているそうです。
その先には、長屋門の多い金親(かねおや)の集落に、高札場跡や道普請の際に目印にしたと言うちょうちん塚が残っています。