三草山城
ここは源平古戦場で有名な所です。
標高423.9メートルで、山頂には京都北野神社から勧請し
菅原道真公を祭った「三草山神社」があり、受験シーズンには学生で賑わうとの事です。
三草山城 登城レポート(平成18年3月26日)
(登山口にある説明板より) 三草山は播磨平野の北東にあり、標高423.9m、面積1,100fで、そのほとんどが国有林です。歴史的には、播磨風土記や平家物語、新平家物語などに記されています。寿永三年二月、平家追討の源義経が平家と戦ったのがこの三草山で、追われた平家はここから一の谷・壇ノ浦へ逃げていったのです。 その後、建武三年、赤松出羽守則友がこの山に山城を築いたのです。また、「嘉吉の乱」の後にも、赤松満政、則尚が三草山城で山名方の軍勢と一戦を交えて敗れたことなど、三草山にまつわる歴戦の史である。 頂上からは、播州平野が一望、瀬戸内海や淡路島、遠くは紀伊半島が見えます。県立自然公園内に位置するこの三草山は、ひょうご文化百選に指定されています。 |
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登城したのは平成18年3月26日の日曜日でした。
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標高423mの三草山城は、源平合戦や山名・赤松合戦でも有名な山城です。 昼前に自宅を出発し、宝塚インターから名神高速に乗り、中国自動車道を通り滝野社インターで降りました。 三草山の登山コースは、「三草コース」「鹿野コース」「畑コース」の三通りがあります。 この日登ったコースは、急坂ではありますが、いちばん短時間で登れる「畑コース」です。 登り始めるといきなり長い階段が続きます。 整備はされていましたが結構キツかったです。 |
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しばらくすると曲輪跡のような広場に出ます。 ベンチが置いてあり、徐々に眺望が開けて来ます。 |
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更に登っていくと幾つかのアップダウンがあり、それを過ぎると、「井戸ヶ谷」の案内板が立っていました。 「どんな所だろう、ちょっと寄ってみよう」と思い、横道にそれたのですが、あまりに藪がひどくすぐに元のコースに戻りました。 |
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山頂まではご覧の土橋のような細い道が続きます。 |
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しばらく歩くと、目の前に山頂が見えてきました。 山頂手前にある説明板には
「源平古戦場(三草山)」 平家物語によると、寿永三年(1184年)二月、源九郎義経率いる一万騎は、丹波小野原(現篠山市)に布陣し夜半、民家や山野に火を放ち、三草山西の山口に陣取る小松三位中将資盛ら平家七千余騎を襲撃しました。不意の闇討ちに平家の軍勢は弓矢を取るいとまもなく、屋島をさして敗走していったとのことです。 また、それから後の南北朝の時代、播磨から京都に入る要衝の地として、三草山には城がありました。城主は赤松出羽守則友といい、山名氏との戦いにおいて軍功のあった人です。当時の名残である土塁が今もなお山頂付近に残っています。 とありました。 |
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さらに歩いて行くと広い場所に出ます。 ここは「鹿野コース」との分岐点になります。 |
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そこから少し登って行くとようやく三草山山頂に到達しました。 写真は山頂にある「三草山城」の城址碑です。 |
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頂上は360度見渡せる、最高の眺望です。 中央に見える池は「昭和池」です。 三草コースと鹿野コースの中間にあります。 |
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本丸跡にあるベンチに座り、コンビニで買ってきたおにぎり弁当を食べながら小一時間休憩する事にしました。途中から急に風が出てきて曇り空になってきたので、早々に下山する事にしました。 三草山城には尾根筋に十数か所の曲輪があり、土塁や切岸の他、土止め用の石積などが本丸下の斜面に残っているとの事です またいつか訪れる機会があればゆっくりと周辺を散策してみたいものです。 |
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