光明山城
所在 | 兵庫県相生市竜泉町 ![]() |
説明 | 建武3年(1336)赤松円心が築城した後、海老名弾正景知が居城、室町時代に宇野弥左衛門尉氏重、応仁の乱後は宇野一族の赤松下野守政秀が居城したと言われています。その後、郡代の内海弥四郎が居城し、永禄9年には龍野城主赤松政秀(二代目)の治める所となり、光明山城には内海勘解由範秀が居城しました。 |
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光明山城の中心付近までは車で連れて行ってもらうことにしました。 途中の山道はかなりの悪路で車の中で吊革をしっかり握っていないと、頭を窓にぶつけそうになります。 しばらくすると路面も少し良くなりました。 |
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車を停めた後、道路脇から「7郭」と呼ばれる曲輪へと直登して行きました(^^ゞ 此処は格好のモトクロス場となっているのか、バイクの轍が方々に残っていました。 |
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左の写真が城のどの辺りに該当するのか、撮影した時は覚えていたのですが、こうして後で見てみると、どこがどこやらさっぱり見当がつきません。 曲輪内部はこんな感じです。 |
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光明山城を突っ切っている林道です。 写真左手には4郭と呼ばれる曲輪がありました。 4郭には9本もの竪堀がありこれまた感動してしまいました。 |