上月城
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平成22年3月27日(土)に上月城へ行きました。 写真は上月城の麓にある「上月歴史資料館」です。 |
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資料館の中には上月城の説明のほか、周辺にある城址の説明や、地元早瀬で明治の中頃から約30年にわたって作られていたと言う「早瀬土人形」の展示、皆田(かいた)付近で作られていた和紙の皆田紙(かいたがみ)をすく作業の演出などが行われていました。![]() |
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上月城へは歴史資料館正面の登城口を登っていきます。 上月城は標高140mの荒神山山頂にあり、東に作用川、北に菖蒲谷、南に荒神谷があり、要害の地にあります。 菖蒲谷の北には旧本城だった大平山城、荒神谷の南には大亀山城があり、この三城を中核としていたようです。 |
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しばらく歩くと本丸に着きます。 本丸跡は東西23m、南北20mで、当時は石垣もあったそうですが、現在では公園の広場のような感じです。 本丸には赤松政範などの供養碑が建っていました。 これはここで討ち死にした大谷義房のご子孫が建てられたものだそうで、三つの碑には132人の戦死者の名前が彫ってあるそうです。 |
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こちらは二の丸跡です。 東西38m、南北13mあります。 |
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上月城から利神城址を俯瞰できます。 この日は遠くが霞んでよく見えませんでしたが、双眼鏡でよくよく覗くと、石垣らしきものがある山が遠くの方に見えました(^^♪ |
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上月城には土塁や堀切などが残っています。 西の端には二重の馬落としも残っています。 |
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下山してくると、逆側の登城口に「山中鹿之介追頌碑」がありました。 |
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また隣には「尼子勝久公四百年遠忌記念碑」もありました。 |
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こちらは大谷総家住宅です。 赤松氏家臣の上月城で討ち死にした、大谷義房のご子孫のおうちなのでしょうか。 訪ねたときは時間が遅くて門が閉まっており、はっきりお聞きすることが出来ませんでした。 |
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上記大谷家の入り口に標柱が二つありました。 一つのほうには「赤松円心公廟所」の文字が彫ってありました。 家の裏山裾野に廟所らしき墓地がありましたがそこに円心廟所もあったのでしょうか。 |
一方の入り口には、明治維新志士 立石孫一郎生誕之地の標柱がありました。彼の名前は良く知らなかったのですが、立石孫一郎は、大谷恵吉としてこの大谷家で生まれ、倉敷の大商人大橋家の婿となり大橋敬之助を名乗り、その後、立石孫一郎と名を替え、倉敷代官所襲撃事件(倉敷騒動)と浅尾藩陣屋襲撃事件を起こしました。明治維新の先駈けとなる事件とか、過激な尊皇攘夷などと、見解も様々なようです。 |