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感状山城
(かんじょうざん城)
感城山城本丸跡

所在 兵庫県相生市矢野町森  地図
説明 感状山城は相生市矢野町瓜生と森にまたがる標高301mの感状山の尾根上に築かれていました。規模が雄大で眺望がよく、人の手による破壊などがされてなく、石垣や建物・礎石・井戸などの遺構が比較的よく残されているといった点では、西播磨地方の代表的な中世山城の遺構です。
発掘調査は昭和60年度から3ヵ年をかけて実施され、多くの建物群が発見され、曲輪群の全貌が明らかにされています。
城の歴史は、『播磨古城記』『岡城記』などによると、鎌倉時代(1192〜1336)に瓜生左衛門尉が築いたとする説と、建武3年(1336)に赤松円心の三男赤松則祐が築いたとする説があります。
建武年間(1334〜1336)、足利尊氏の追討をしていた新田義貞率いる軍勢を赤松則祐が奮戦し、50余日にわたり足止めをした結果、足利尊氏の反撃の機会を与えることとなり、その功績により足利尊氏から感状を貰った事から「感状山城」と呼ばれるようになったと言われています。
総石垣による曲輪の構えは、当初からのものでなく、後世に手を加えたもので、戦国時代(1467〜1568)にこの周辺を支配した宇喜多氏の手によって改修されたものではないかと言う説もあります。
(兵庫県相生市教育委員会発行パンフレットより)


感状山城麓の「瓜生羅漢の里」風景

感状山城麓の「瓜生羅漢の里」一帯は、春は桜、秋はもみじ、夏はキャンプが出来る深山幽谷の味わえる場所で、渓谷のさらに奥には釈迦三尊の石仏と十六羅漢が安置されているそうです。

感城山城への登城口
右手にある登山道を登って標高301mの感状山城に登る事にします(^o^)丿

物見岩
感状山城は「総石垣の城」です。
整備された階段を登って行くと、足元には崩れた石がゴロゴロ見えてきます。滑り易くなった枯れ葉を踏みしめながらさらに登っていくと、最初に「物見岩」のある場所に辿りつきました。
その名の通り、此処からの眺めは最高でした♪

V曲輪群にある案内板
物見岩を過ぎると、左手に「倉庫跡」、右手に「V曲輪跡」、左奥に「出曲輪跡」がありました。
写真はV曲輪跡で、近世の城の「三の丸」にあたります。この曲輪群は七段で構成されていて周囲には犬走りが配置されています。

倉庫跡
また、南北約7m、東西約8mの正方形に近い建物遺構が発見されているそうで、建物の周囲には「方せん」と言う瓦が縦に埋められていました。
写真の「倉庫跡」には食料などを保管する倉庫があったとみられていて、城の台所に相当する場所ではないかと考えられています。

井戸跡
大手門方面に降りる途中にはご覧のような「井戸跡」が残っています。
井戸は箱型の石組みで、説明によると底に粘土を引いた跡があり、真夏でも水深30cm程度の水があり、涸れる事がないと言われています。
この井戸には感状山城が落城した時にまつわる伝説が地元に残っているそうです。

大手門跡
こちらが「大手門跡」になります。
石段は六段あるそうです。
登り口は広くなっていて、上に行くほど狭く造られているようです。
大人数で一斉に上がれないような工夫がなされています。

南曲輪群の石垣
この城の圧巻の一つ、南曲輪群の石垣です。
南曲輪群は、自然の尾根を利用して六つの削平地を階段状に造られています。
ここは大手門から本城へ侵入する敵を防ぐ為の要所で、石垣は「野面積み」で大きなものでは全長21m。高さ4.5mもあるそうです。

南曲輪の最南端にある虎口
南曲輪の最南端には虎口と見られる入り口がありました。パンフレットの地形図を見ると、ここから大手にも通じているようですが、この先のブッシュが激しそうだったので踏査するのは諦めました(^^ゞ

南曲輪からの眺望
南曲輪跡にはご覧のような石塔が、登山客の手で幾つか作られていました。

南U曲輪跡
U曲輪跡は「北」と「南」の二つがあります。
西側には犬走りと呼ばれる「帯曲輪跡」があります。
南曲輪には隅櫓と大型の建物が建っていたとみられています。本丸(T曲輪)の本丸御殿に対して、ここには常(平常時)の御殿が建っていた可能性があるそうです。

北U曲輪跡

T曲輪(本丸)下、腰曲輪の石垣
T曲輪跡へ向かう手前の腰曲輪にも野面積みの立派な石垣が残っていました。
石垣は城郭としての初期のものであるとみられています。

T曲輪跡(本丸跡)
T曲輪跡は標高301.05mにあり、城の一番奥の北隅にあります。建物の礎石跡や排水溝と思われる横一列に並んだ石組みが発見されたそうです。
この敷地いっぱいに本丸御殿が建っていたのでしょうね。

T曲輪(本丸)跡からの眺望
本丸からの眺望は最高です。
遠くには瀬戸内海の海や島々が見て取れます。

T曲輪西側に位置する井戸跡
もう一つある「井戸跡」に寄ってみました。
こちらの方は、中には枯葉が積もり、水は全くありませんでした。

搦手門の石垣
その後、ブッシュを掻き分け「搦手門」を目指しました。
搦手の石垣はご覧のように崩れ方が相当ひどいのですが、門跡ははっきりと分かりました。
搦手門を見た後、出曲輪まで戻り、もと来た道を降りて麓まで帰ってきました。
麓には水車小屋があり、昔にタイムスリップしたような気持ちになりました。

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