『井ノ口城(井ノ口構居)』について





加古川市にある温泉旅館「みとろ荘」がかつての井ノ口城の本丸にあたり、この付近一帯が城跡になります。

最近、井ノ口城の御城印が発行された事と、色々な文献に三木合戦当時、依藤小八郎が城主だったと出ている事もあり、一度自分の足で訪ねてみようと思っていました。




「井ノ口城」の城主については前から疑問に思う事があり、今も私の中で解決には至っていません。

それは、城主として書かれている「依藤小八郎(依藤三河守)」の人物像についての事です。

以前に調査したのですが、依藤小八郎は別所安治の三男・別所長治の弟、別所小八郎のことで、依藤氏と養子縁組したと「赤松家播備作城記」に書かれています。

みとろ荘の城址案内板も、城主は依藤三河守(小八郎)とそのまま載せておられます。


ここで依藤氏と別所氏との関係ですが、

両氏は播磨の覇権争いで激しく戦い、その後依藤氏が敗れ、一族の中には別所氏の配下として家を保ち、三木合戦に加わった依藤氏が幾人かいます。

その事からも、別所が依藤と姻戚関係を結んでいたとしても決しておかしくはないのですが。

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この時の両者の関係を詳しく書かれている書物がどこにもないので、後世の創造なのかも?と頭をひねってしまっています。

本当のところはどうだったのでしょう。

ご参考までに、

以下は拙ホームページで自分の所見として掲載している内容です。

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圖説三木戦記には、印南郡平津庄・井之口砦城主依藤小八郎の名も見える。

この依藤小八郎は「赤松家播備作城記」にも井ノ口城主としても記載されていて依藤三河守小八郎治定とあり、「実父は別所大蔵大輔安治の末子で養子也 天正6年落城」とある。

「播陽古城記」には井ノ口構居の領主伊藤小八郎とあり、「志方の家臣 天正の乱に退去す」とある。

そして「播磨古城址一覧表」には、印南郡上荘村大字井ノ口、井口砦城主伊藤小八郎とあり、本丸二十六間四方・二の丸二十六間に二十一間、志方の幕下といふ。(「播城志」天正の乱に落城といふ)とある。

因みに同じ印南郡平野庄都染村には「いさか砦」があり、そこの領主が伊藤大隅守時員と言い、伊藤小八郎とも何らかの繋がりがあるのかも知れない。

その他、多くの資料、書物などにも依藤(伊藤)小八郎の名が見えるが、依藤氏と同じ一族なのか?それとも別所氏の一族なのかは判然としない。

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結果ですが、現段階では私の中では「依藤小八郎(依藤三河守)が井ノ口城の城主だった」としておこうと思ってます。

モヤモヤを突き詰める事が出来なくて、引き続き頭の中がスッキリとはしませんが・・・

みとろ荘から車で行ける近くに、「美登姫の石仏」があります。


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