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赤松館

兵庫県三田市東山字下中

平成16年1月19日(月)
もうずいぶん前の話ですが、三田市の「赤松館」を訪ねたことがあります。
「赤松館」は赤松氏の庶流であった赤松満政が居を構えた所でした。
満政は当初、足利幕府側として嘉吉の乱の首謀者、赤松満祐(赤松惣領家)の追討軍とし活躍し播磨三郡を受領したのですが、その後、山名氏との敵対関係もあり、文安2年(1445)、幕府側の細川勝元と有馬郡(現在の三田市)で合戦となりました。
同族の有馬持家が満政に加勢しましたが、有馬方は370人が討たれました。
有馬持家は自家の保全もあり、満政とは従兄弟同士でしたが、已む無く満政を討つことにしました。
赤松館の場所はすぐに分かったのですが、麦藁葺きのかなり荒廃した民家で、写真を撮って、一旦は帰ろうと車まで戻りましたが、何故か気になりもう一度ひき返して、玄関から「こんにちは〜」と声を掛けてみましたヽ(^^)
そうしたところ、ラッキーな事に中から当家のご主人が出て来られました。
訪ねてきた理由を説明しましたら「せっかくだから敷地内に満政公のお墓があるのでご覧になりますか?ついでに家の中も見られますか?」と親切に言って下さいました。
お墓に参った後、お家の中にも入らせて頂き、床の間の横にある室町時代の「欄間」や、多くの「古文書」、そして赤松満政が自刃の直前に書いたと言われる「自筆の書」2点(たぶん時世の句だと思います)などを見せて頂きました。
ご主人のご了解が得られたのでこれら写真に収めてきました

ご主人によると、昔から何度も盗賊や盗人に入られ、一杯あった古文書や武器などがかなり盗まれたとの事でした。
残っている古文書は学者などが来て、調査・解読していったとの事でしたが、現物はまだ残っておりました(少し拝見しましたが残念ながら古文書の解読は私には無理でした。
私の連絡先をお知らせして帰ろうとした所、ご主人から「事前に電話いただければ、古文書など何時でもお見せします」との有難い言葉を頂戴し、お名前を聞いてきました。
その後、「すぐそこにある少し高くなった所が城の本郭です。ここは居館でした」と教えていただきました。
東山八幡宮(氏神さんです) 赤松館(現在もれっきとした民家です)


赤松館の手前の畑には、かつては重臣たちの居館がありました。 この辺りは昔は御狩場でした。有馬持家や赤松満政などが、狩の他にもこの有鼻池で釣り糸を垂れていたのかも知れませんね。


赤松館の裏庭にある「赤松満政」の墓。重臣の中村八郎が建てたのだと、赤松館の御当主より教えてもらいました。 同じく「赤松満政」の墓です。


赤松館の御当主に、家の中を案内して頂きました。
写真は室町年間に彫られた床の間の欄間です。
赤松氏に関する古文書(写)の数々です。古文書の実物もありました。
ご当主のお話ですと、赤松満政が自刃の前に、この館の地下で書いた「自筆の書」との事でした。 600年前の書だと伺って、正直、こんなに綺麗に残っているの?!と驚きました。


当時、城の天守があったとされる辺りです。
城の名前や、縄張りなど、詳しい事は分かりません。
同じく、城の本郭辺りだ思われる場所です。

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