台風被害の救済をめぐって――2つの政府の対応――


8月8日に台湾南部を襲ったモラコット台風の救済をめぐって、ここ数日、馬英九政府の対応に
ついての批判が強まっている。
8月13日づけの『自由時報』ほか主要新聞電子版は、水利及び海洋工程の専門家で成功大学
副校長の黄煌W教授の発言を掲載している。黄教授は12日に国民党中央常任委員会に招か
れ、席上、八八水害の反省というテーマで報告した。黄教授によれば、台湾では水対策は経
済対策の成果よりも重要で、台湾が旱魃や水害から抜け出すには、総統府(大統領府)を水
浸しにしてみるのが一番いい方法だという。
黄教授は専門家の観点からすれば、台湾はこれまで水害対策を軽視してきたため、今回の水
害が深刻な事態を招いたのは当然であるとする。台湾南部は1999年の集集大地震で地盤が
弱くなっており、また台湾の河川は傾斜が急で、大雨で水量が増えると河床が削り取られ河の
構造を流し去ってしまう。さらに、海岸地域では長期に渉って地下水を汲み取ったため、今回、
被災した屏東県の佳冬郷、林辺郷などでは3・2メートル地盤沈下しているのである。また、黄
教授は屏東県で橋の寸断が起こったのはプロセスに不備があったためだとし、安全点検をす
る業者が一定していない、地方政府が責任を果たしていない、官と商が結託してこうした安全
上の欠陥を見てみぬふりをしているといった原因を指摘した。
加えて、防災に関して、アメリカや日本では防災の作業(原文ママ、救援作業の誤りか)につい
て厳密に定められており、トップが軍を発動すれば、いかなる官庁も従わなければならない
が、台湾においては、なんと各官庁の長官のコンセンサスが必要で、なんとも奇妙なことになっ
ているという。
こうした政府の対応に関連して、同日づけの『中時電子報』では、今回の政府の対応を2000
年、陳水扁政権時に生じた「八掌渓事件」の折と比較している。この事件は2000年7月22日、
中部嘉義県の八掌渓・呉鳳橋で経済部水利署の派遣した作業員が河床工事を行っていたと
ころ、豪雨により一瞬のうちに水かさが増して8人の作業員のうち4人が川に呑み込まれたとい
うもので、当時、岸辺にいた作業員の友人が救援を要請し、またメディアまで駆けつけたが、
結局、政府の救援は間に合わず、わずか2時間の間に4人の作業員を下流に押し流してしまっ
た。
この事件と今回の水害とは、気象予報の正確さや雨量に対する誤った認識という点において
異なっているが、防災と救援の効率という点において同様の問題を露呈している。今回の水害
では、政府は水不足にばかり気を取られて、防災を怠った。1000ミリの降雨予想を意に介さ
ず、住民の避難を提案する声を無視し、土石流の警戒を怠り、被害を最小限に食い止めるゴ
ールデンタイムを失ったのである。結果的に、当局の救援体制の混乱ぶりはCNNに非難され
ることとなった。
政府に関していえば、八掌渓事件の折の陳政権は発足後わずか2ヶ月ですべてがまだ確立し
ていない段階であったが、今回の政府は劉兆玄行政院院長(内閣のトップにあたる)のいう「準
備万端」のベテランである。それにもかかわらず、その混乱ぶりは陳政権同様である。また、
八掌渓事件の際には中央政府と地方政府とでトップの政党が異なっていたが、世論は、救援
における責任は中央政府にあると認めた。今回は水害が発生して一週間近くで、責任が中央
に帰するのか地方に帰するのか、なすりあいをしている。この10年来、台湾は防災、救援また
国民の保護といった能力はいくらも進展していないが、論客の自己防衛の技量は大いにアップ
したようだ。
また、八掌渓事件では2ヶ月前に就任した唐飛行政院長が辞表を申し出て、結局、唐氏は慰
留され替わりに副院長だった游錫?氏が辞任、消防署署長、警政署署長、航空警察隊隊長は
ミスを記録され、嘉義県県長は弾劾された。高官の辞任が必ずしも救済に有効なわけではな
いが、恥を知るは勇に近し、とは民主主義の基本である。民進党はこの事件に際して繰り返し
陳謝し、行動によって社会に恥を知るという態度を示したのである。今回の水害において、当
局の責任の担い方は、陳政権に遥かに劣ると思われる。

2009年8月14日



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