<メンフィスの本当に安かったホテル>
アメリカ大陸横断旅行の途中、初めて降り立った南部の町、メンフィス。
プレスリーのうちを見に行こう、とかブルースを聞きに行きたいとか、サンスタジオにも行ってみたいし。そんな情報は集めていたものの、その時、旅も半ばに差しかかっていた我々に、ホテル情報はなく空港のインフォメーションも閉まっていたので、とりあえずタクシーに乗り込み(メンフィスでは車をレンタルしなかった)タクシードライバーに『どこか安くていい宿知りませんか』と尋ねてみたところ、一見無愛想な、タクシードライバーさんは、小さく2回うなづいて、車を発進させたのでした。しばらく走って、タクシーはホテルエントランスに滑り込む。『いやん、大きなホテルじゃん。日本人だから高級なとこにつれてこられたのかなぁ、私、安いとこって言わなかったっけ』などと思いながらタクシードライバーに、ここ?ときくと、ここだという。必要以上のチップも請求せず、タクシーは走り去って、私と友人は少しおどおどしながらフロントデスクへ。
『部屋ありますか』『ございます』『一泊おいくらですか』『OOドルです。』『え?安い』とても安かったのです。部屋も見せてもらうこともなくチェックイン。エレベーターで部屋へ上がる。ドアを開ける。広い。きれい。バスルーム?もちろんバッチリきれいです。そう、まるで日本人観光客の皆さんがご利用になるような、そんな部屋です。おまけにカーテンを開けると、めのまえにミシシッピ川が雄大に流れている。そこで不安になったわたし。まず自分の英語力に疑いを向ける。もしかして一泊料金を聞き間違えたかと、フロントへ電話してみる。
『あのぉ、今チェックインしたOO号室の者ですが、一泊いくらでしたっけ?』
『OOドルです。』
『O・Oドル?(区切って聞く)』
『はい、そうです。』
やっぱり間違いない、思わず、『こんなにすてきな部屋なのに?』というとフロントマンは笑いをかみ殺したような声で『はい、そうでございます。』と答えたのでした。(彼の苦笑いした顔がおもいうかんだ)
メンフィスにはビールストリートという繁華街があって、その辺りが夜遅くまでにぎやからしいのでふたりして出掛けることにする。フロントで尋ねると歩いて行けるとのこと。食事をして、ブルースのライブを堪能して、いい気分での帰り道、前を緊張感を漂わせて急ぎ足で歩いて行く人は、どうも日本人らしい。緊張感のないフラフラ歩きの私たちは彼にすぐ追いついてしまい、彼は我々が日本人と分かると、ほっと安心した顔で歩きながら話しかけてきた。彼は一人旅で、ここにくる長距離列車の中で、先頭車両まで車内探索して、のんびり写真などを撮っていたところ、途中、駅について『あ、荷物のところに戻らなきゃ、とあわてて戻るも列車は長く、自分の座席の荷物のところまでたどりついたときにはバックパックごと荷物は跡形もなかったとか。『貴重品は身につけてたからよかったんですけどね。ここが最終地だったんで、お土産とか買い物した物ぜんぶなくなっちゃって・・・』『ああ悲しい話やねぇ』とうなづきつつ、『どこに泊まってんの』と尋ねたら、『駅から、電話で泊まるとこ探したら、なんか足元みられちゃったみたいで、高かったっす。』重ね重ねかわいそうな奴だ。だって我々の倍近く払ってた。しかもそうこうしているうちに我々はホテルについたのに、彼はまだ遠い道程をまたひとり緊張感をきりりとしめなおし、肩を落として(そう見えたよ)『じゃあ、気をつけて』と歩きだしたのであった。遠くて高いなんて・・・ 『あんたも気をつけてね、もう最後まで何もないといいね。』と心で手を振る私たちであった。どうだっただろうか、彼のその後は。
翌朝、プレスリーのうちを見に行き、ブルースを聞き、サンスタジオでTシャツを買って、マーチン・ルーサーキングJr牧師の暗殺された、ロレインモーテルまでも捜しだし、黙祷を捧げて、メンフィスライフを堪能した私たちは、早朝の列車で、ニューオリンズへ向かうことに。しかし私たちが目を覚ましたのは、列車の時間まで後わずかという、きわどい時間で、目にも留まらぬ早さで支度を整え、タクシーを呼び、チェックアウトを済ませて駅へ向かった。が、何の忘れ物もなく、列車に間に合い、一安心。あの彼だったら、間に合ってなかったかも。なんちゃって、ごめんね。列車は一路湿地、沼地の間を縫って、ニューオリンズへと眠りこける二人を乗せてガタゴト走るのでありました。
<旅の記録;1992.6(一泊35j)同行者:S>