1978年3月(その1)

1978年は四畳半の石津から、会社近くの次屋に居を構えて数年。部屋は6畳と4畳半の畳の部屋、
それに4畳半のキッチンで風呂はなし。風呂は近くの銭湯へ行っていた。




今は昔、1978年3月、次屋の友の会事務所(つまりMoの部屋)に

No、Ta、Be の3人がやって来た時の事であった。

来たる5月の連休の時、2泊3日くらいで何処か旅行へ行こうじゃありませんかと

求職中の Be さんから提案があり、モデルコースが提示された。

Ta 氏 と No 氏はすぐ賛成しました。

尼崎勤務の No さんは4月から芦屋の○○学校へ再教育のため戻るそうですが、

Ta 氏の賛成の弁、

『このモデルコースによるとフェリー代、ガソリン代、それに ○○ 代、×× 代、

うにゃむにゃうにゃむにゃ、パッ!うーん、だれも四畳半疑獄事件を起こさないとして、

一人2万円ぐらいやな。うーん、うーん、うーん、

・・・ちょっと便所いってくる。紙!・・・・・・空白・・・・・・・。よしっ、これで行こ。

わしゃチョット行けへんやろけど。なにせ休みは稼ぎ時やから。

つらいなぁ。もう親2回も殺したし、そうそう同じ手口は使われんしなぁ。』、ということでした。


それから数日後の日曜日、Ta さん、珍しく 事務所にパンを買ってきてくれましてね。

その日、丁度 Be さんもお見えになりまして、いやぁ、大変面白かったです。

Ta さんというと何を思い出そうぞ? 「世の中、銭や、銭、銭!」 のTaさん?

卒業する時50万円も定期預金していた Ta さん?

A さん、あんたさんも思い出がありますやろ。長いこと、背広、背広、四万円、四万円と責めたてられましたやろ。

その Ta さんと Be さん、これまた有名な等式の成り立つ人、『Be=散髪屋』の伝説的な人物。

彼ら二人を会わせるとどんなことになるかご存知でしょう?

当然話はそっちの方へ行くのは決まってま。

彼ら、火と水の関係というんですやろな。

Ta さん、めらめらめら、ぼうぼうぼうと火の勢いで銭返せ、銭返せといえば、

Be さん、一生懸命、うにゃむにゃうにゃむにゃ・・・手で水をすくい、ピシャピシャピシャと消してはるんです。

当時、近畿在は Mo 、Ta 、Be 、No 、Na の5人だったかな?みんなそれぞれの会社勤めが忙しく、
私は月曜から金曜まで泊まり込み出張で家を空けることが多かった。


   次のページへ  友の会menuへ