南竹 Nanchiku
江戸時代の絵画、書、和歌、俳句、古文書
Since December 23, 2015

< 桃山より以前 Momoyama and Earlier >
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桃山より以前 Momoyama and Earlier. -1604

狩野山楽、雲谷等顔、秋月等観、等源、登米水月、岡本宣就、雪工は名が残る画家。狩埜道、友信印は不明の画人。
和歌は飛鳥井雅量、阿野実時、正広。徳川家康の書状写し。

●3D効果をマウス動作で見せるcssアニメーション
Roman Cortes氏の遠近感あるcssアニメーション3D-Meninasを勉強し改変したものを作成した。中の画像はすべてNew York Public Library所蔵のposterで使用は許可されている、感謝して使わせていただいた。古い雑誌の表紙は大変美しい。
http://www.romancortes.com/blog/css-3d-meninas/
New York Public Libraryのサイトはhttps://digitalcollections.nypl.org/collections/


●3D効果をマウス動作で見せるcssアニメーション 続編
これは2階から1階へ段々降りてきてポスターを見ている像である。美しい中の画像はNew York Public Library所蔵のposterで感謝して使わせていただいた。
New York Public Libraryのサイトはhttps://digitalcollections.nypl.org/collections/


●立ち位置を動いて対象を見るcssアニメーション
位置を動いて対象を見ている像なので、やや立体的にみえる。外枠は撮影して中央を透過にしたもの。上のstartボタンをクリックして下さい、2回位押し溜め可能。下のスクロールバーをスライドさせても動く。有名なRomán Cortés氏のcoke-canのアニメーションから改造したもの。

 

●正広 Shoukou 1412-1493
室町時代の歌人で僧。別名、日比正広(ひびの)。1424年(13歳)著名な歌人で東福寺の僧、正徹(1381-1459、号松月庵、師冷泉為尹)に入門し35年間師事。正徹歿後に松月庵流歌道を継承。応仁の乱(1467-1477)で京都を離れ、各地有力大名の歌会に招かれた。また将軍足利義尚(1465-1489)や管領細川勝元の和歌を指導をした。1473年(62歳)正徹の膨大な和歌集「草根集」を筆写して残す、同年大和長谷寺より富士への旅行記「正広日記」。1482年(71歳)将軍足利義尚の歌会に出席。他一条兼良、飛鳥井雅親、宗祇など公家武家と幅広い交流、温和で誠実な人とされた。82歳で歿。自作集「松下集」、「正廣自歌合」。作品は古今集を書写したものを後に断簡にしたもので肉筆である。信弌(一)印の鑑定書を伴い「日比正広」の作とする。正広の字は大変読み易い、自筆の「草根集」「松下集」から探した同じ字を下に示した。字は大体に合致していると思う、また正広は著名な歌人とはされていない、作品は表装はなし。以上より作品は鑑定通り正広の作でよいとみた。特に「あ」が特徴的で勅筆流といわれる。なお中の和歌2首は古今集の紀貫之(866-945)の作である。参考論文:立正大学白井忠功氏:正広と「正広日記」。参考サイト:明星大学前田雅之氏:明星本「正広自歌合」をめぐって。 Shoukou was a zen monk who was very good at waka.

●徳川家康 Ieyasu Tokugawa 1543-1616
1603年(慶長8年)に征夷大将軍になり江戸に幕府を開いた著名人。作品は印刷か木版画のようである。書状で宛名は山川讃岐守、山川晴重である。筆跡や花押は家康の書状のコピーで矛盾はないと思う。しかし家康ともなると祐筆(書記)がいたわけでやや複雑となる。他所に掲載の字はきれいだが祐筆のものが混在したはずである。「新春の祝儀として手紙と1種1荷送りくださり悦喜です。なお大久保治部輔に申上ます」。并:ならびに。一荷:天秤棒の両端にかけて、肩に担う荷物、2樽。「1種1荷」は1種類で1荷の量の贈り物である。山川晴重讃岐守(1566-1593)は28歳で死去した下総の武将。「徳川家康文書総目録」には家康から山川讃岐守への手紙は5通ある。すべて奥州葛西大崎一揆頃のものであり、年号は天正18-19年と想定されている。この作品の内容の手紙はなかった。年号は不明ながら他の手紙より1591年=天正19年頃で家康49歳、山川晴重26歳と思われる。「徳川家康文書総目録」には家康が「一種」「一荷」を書いた書状は4通以上ある。大久保治部輔は家康の家来である。これが家康の出した手紙の内容か否かであるが、おそらくよいと思う。内容は「1種1荷の品を贈っていただきありがとう」という単純な内容である。また宛先の山川晴重は著名な人物ではない。従ってこの内容が事実か否かはさほど重大なことではないだろうと思う。この紙は表装されておらず掛軸にもなっていないので、贋作として使われてきたものではない。他の手紙同様に「山川文書」にこの手紙の原本があるのか否かは不明である。参考論文:徳川林政史研究所、川島孝一氏「徳川家康文書総目録」。 Ieyasu Tokugawa was the first Tokugawa shogun who established Edo city(Tokyo). This is a letter from Ieyasu to Harushige Yamakawa at around 1851. This paper is probably a wood block copy of the original letter. The letter content may not be recognized previously.

●狩野山楽 Sanraku Kano 1559-1635
近江国蒲生郡生まれの狩野派の絵師。浅井長政の家臣の子。豊臣秀吉の命で狩野永徳の養子となり障壁画の作製に参加。徳川時代は門人の狩野山雪を後継者とし京狩野として一家を立てた。作品は無落款、印は「修理」、「光O」。右は本に掲載の印。画題は「慧可の雪中断臂」。慧可が少林寺の達磨の弟子となるため、胸まで雪に埋もれながら自分の腕を切り落とす場面。達磨の表情が迫力。「お前は何と無茶なことをするのだ!早くこちらに来い」。慧可の真摯な表情もよく表現されている。 Sanraku Kano has been a very famous artist who was active in the Momoyama-early Edo period. This picture depicts a scene; Eka is cutting his elbow in the snow to show his faith to Daruma.

●等源 Tougen ?-? active ca. 1500
古画備考に記載。「足利義政(1436-1490)の四男。香厳院に住む。画を好んで周文、唐画を学ぶ。高野山の所蔵作あり。」天龍寺香厳院は足利義政と関係の深い寺。作品は落款はなし、印は等源之印、毛定軒。大きな鯉に蝦など小魚でよく画いている。今日この人の作品に関した情報は全く出ない。下に古画備考の記載を掲載した。 Tougen was a painter who was a son of Yoshimasa Ashikaga(Shogun). A big carp is nicely painted here.

●秋月等観 Shugetsu Tokan ?-? active ca. 1493
室町後期の画僧。薩摩生。禅僧となり、雪舟等楊に師事。その画風を継ぎ、山水・達磨の画を能くした。明応2年(1493)入明して学習、帰国後は薩摩で雪舟画風の水墨画を広めた。門下には等碩など。70余才で入寂。作品は落款はない。確かに肉筆に違いなし。骨董市でみて作者不明だが、画の雰囲気に迫力とただならぬものを感じて購買した。帰って印を注視「入唐秋月居士」と読め、この人の印と判明して驚いた。 Shugetsu Tokan was born in Satsuma and was a pupil of Sesshu, who has been a very famous monk. Shugetsu went to China, Min to learn painting skills. After coming back to Japan, he lived at Satsuma and was active in teaching his pupils painting skills. He died at around seventy years of age.

●登米水月 Tome Suigetu ?-? active ca.1467
落款は釈水月筆。印はO景。画は文殊菩薩で獅子に跨る。登米水月は以下古画備考より参照。 「文殊像、渡唐天神および雑画を描く。雪舟門人。筆力秋月に似る。印文に「彦景」とある。応仁(1467年から1468年)頃の人。」雪舟門人の大変古い人で薩摩の秋月(?-1520年)に似た筆力。文殊菩薩の画を得意とした。この菩薩の画は当時の人に好かれたに違いない。一方悪人のような顔の獅子である。落款は古画備考などに矛盾しない。右に古画備考に記載の落款。印の左はまさに景、右は不明。元禄の本朝画印にも記載あり。サイトでは画像は全く出ない。 Tome Suigetsu was a painter who was a pupil of Sesshu, who has been a highly evaluated monk for the painting skills. Tome Suigetsu was good at the pictures of Monju bosatsu, like this one. Monju bosatsu is a boy riding a lion. The signature is consistent with his own. His works are rarely seen today.

●雲谷等顔 Togan Unkoku 1547-1618
戦国時代から江戸初期に活躍した。毛利氏の御用画師で雲谷派の祖。 このような抽象的な墨絵を溌墨山水と呼ぶ。印は本に記載の印(右)に合致。彼の溌墨山水の画を右に示す。  This type of an abstract picture,"hatsuboku sansui" is very unique. Togan Unkoku has been called as a father of an Unkoku school. He belonged to a governor of Nagato, Mouri. Two seals of this picture and seals copied from a book are shown on the right.

●岡本宣就 Nobunari Okamoto 1575-1657
落款は無名氏、印は石上氏。多数まとめて購入した中にあり、当初下手な作とみえた。”無名”の検索で戦国時代生まれのこの人も出てはいたが放置。後に再調査して印がこの人に一致した時はまさに驚き。隠元が来る1654年以前は和歌や澤庵など僧の書しかなく斯様な二行書はないと思っていた。岡本宣就は戦国時代の兵法家。上野国生。石上氏。武田家に仕え、氏隆流の兵法を学び、のち彦根藩主井伊直孝に仕え軍師となる。書を能くし、和歌・画に通じた。その眼でみれば軍師らしい迫力の書かな。 At first glance, I consedered that this work had no importance. But after studying this calligraphy again, I found that this calligraphy was a very old work. Nobunari Okamoto was an advisor of the battle-strategy in the Sengoku period and finally belonged to a governor of Hikone. He was good at a calligrahy.

●狩埜道 Michi Kano ?-?
狩埜道は不明の人。印は2つ。1つは「道」。朝岡興禎(1800-1858)が古画備考46巻に「難弁印」、弁別の難しい印として掲載しているもの(右)。もう1つは「狩埜」で狩野と同じ。かなの題は「はすとは蓮花のもO也 蓮花とははすの花也 且有(道) そ日OOてらむ 咄(はなし)」。蓮花とはすの関係の解説のようだ。作者は画や印の形より探幽より古い狩野派の画人とみる。 Michi Kano is an unknown artist who was probably older than Tanyu Kano. This picture depicts lotus and the flower.

●雪工 Sekkou ?-? active ca. 1501
雪舟の門人で師の画風をよくする。文亀(1501年から1503年)頃の人。雪江は別人。名家墨跡鑑定便覧(安政)にはこの作品の印と同じ印が掲載あり。別の本には僧雪工とあり僧のようだ。画題は「掬水月在手」。掬:すくう。唐の干良史の詩作の一部。水を掬えば月が手に在り。遠くてとても手に入りそうにないものが偶然ひょいと手に在る。面白い一句で解釈は各様。画では水面に写る月と舟でそれを指差す人の対比が面白い。かわいい老人。 Sekkou was a monk and a painter who was active at around 1501. Apparently it is impossible to get a moon. However a man got a moon on the water in his hands on one day by chance.

●阿野実時 Sanetoki Ano 1525 or earlier-1606
公家阿野家の桃山時代の人。山城国に領地。号は休庵。和歌を嗜む。子の阿野実顕(1581-1645)は細川幽斎、烏丸光広から和歌を学び後水尾院の歌壇で活躍。「八十あまり 二つの山をけふこへて 道も半は すまふ古里 休庵」。八十:やそ。新春に82歳になったお祝いに書いた和歌。素朴な字と文句で達筆よりも味がある。82歳でもまだ道のなかばで半分というのがよいね。まだ先は長いのだと元気で幸せそう。 Sanetoki Ano was a Kuge who belonged to the royals. He was eighty-two years of age when he wrote this waka.

●作者不明 unknown artist ?-?
作者は不明。落款は等碩筆、印は快(?)信。この快信の壷印は本朝画印(元禄4年)、古画備考(江戸末期)に狩野養拙のものと掲載されるものに極めて近い。等碩:薩摩の秋月等観(1500年頃)の子で,雪舟の画風を学ぶ。狩野養拙:狩野元信(1500年頃)の養子。山水・人物・花鳥画を得意。両者共に自筆の落款の掲載は得られなかった。従って作者不明だがおそらく1500年代の画家と看る。画は黄初平という中国の仙人が杖で魔法をかけて、岩を羊に変えている。おもしろい墨画である。 The artist who produced this painting is unkown. This shows Koushohei, a magician who could change the rocks to the sheeps. Probably this picture was painted by Touseki or Yosetsu Kano. Both painters were active in the period between 1500 and 1550.

●友信印 Tomonobu ?-?
えびすさんの作品。落款はなし、印は友信の壷印。古い作品である。「墨跡鑒定」-安政2年(1855年)発刊-はこの印は狩野正信と掲載。狩野正信(1434-1530)は室町時代の人で狩野派の祖である。「本朝画印」-元禄-は正信の別名を友清。鯛を釣って喜びの顔である。 This seal could be read Tomonobu and had been attributed to a Masanobu Kano's seal. Ebisu is so happy to get a Tai fish here.

●飛鳥井雅量 Masakazu Asukai ?-? active ca. 1530-1563
戦国時代の公家、歌人、蹴鞠道家。号は曽衣(そえ)。1530年(享禄3年)に従五位下、後従四位下少将に叙任された。天文期(1532年-1555年)、京師の戦乱を避けて土佐に下り、一条家の賓客となる。1563年一条氏滅亡後は長宗我部元親や子弟に鞠道を教えた。この短冊は曽衣の落款。「なにことも あめの開けし かみの代に 又あらたまの 春やくるらん」。紙に薄い画が画いてある。 Masakazu Asukai was a member of Kuge and a waka specialist who was active at around 1550.

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