南竹c Nanchiku-c
江戸時代の絵画、書、和歌、俳句、古文書

Since December 23, 2015


/*等有観音様*/


/*刀鍛治*/


/*牛と寝る子*/


/*森林*/


/*六歌仙3*/


/*種徳*/


/*牛若弁慶*/


/*柳李扇*/


/*延安*/


/*かすり2*/


/*職人と子*/

栞に進む BOOKMARKS

Chapter2 江戸前期 Former half of Edo. 1604-1720

徳川家康の政権成立から享保の改革まで。1615年大坂夏の陣で豊臣を一掃し、1635年参勤交代で徳川の各外様大名への締付けが確立。一方江戸は各地江戸屋敷の武士で繁栄。狩野派の画家が狩野探幽、狩野安信、狩野探雪、清原雪信、狩野洞春福信、狩野元仙、狩野探信守政、狩野古信など大活躍の時代。風俗画の英一蝶、琳派の野々村信武、本阿弥光甫、住吉派の住吉具慶、大坂の大岡春卜、京は高田敬輔、山口雪渓、波多野等有など。雲谷等悟、武田親庸、豊臣倁長、筆天斎も面白い。書家、儒者は梁田蛻巖、伊藤仁斎、伊藤東涯、亀田窮楽、谷秦山(谷重遠)、太宰春台、北島雪山、細井広澤、熊沢蕃山。ほかに徳川光圀、小堀政尹、真敬法親王、石川丈山。俳句、和歌では平元梅隣、鉄丸。

 

●安東左次兵衛 Sajihei Ando ?-? active ca. 1653
作品は安東左次兵衛から近藤左門への小笠原流礼法の相伝書。癸巳=1653年=承応2年5月の作品。短冊のことが書かれている。御製:ぎょせい、天皇作の短歌。天皇の短冊は一般より太く6cmも長い。小笠原家は戦国時代は信濃国主であったが後に豊前小倉藩主、肥前唐津藩主などが著名。諏訪氏は江戸時代も諏訪藩主として続いた。小笠原流礼法、弓馬術の内容は広範のようだ。愛知県西尾市の個人の文庫に同様の文書があり、これは1821年のもので新しいものである。

●鉄丸 Tetsugan ?-?
不明の人。讃岐丸亀の俳人で「元禄百人一句」江水編、1691年刊、に記載がある人かもしれないが、他には全く出ないので不明。「まつ島の 島あひ漕わけて なつさふ舟立は 侍すともよし」。なつさふ:海に浮かぶ。侍る:はべる、居る。松島の島の間を漕ぎながら浮かぶ舟たちは居なくてもよい。松島の景色をみて素直に感想を歌にした。字からは江戸時代の作品。写真は松島の景色。 Tetsugan was a haiku maker who is unknown today. "Small ships among the Matsushima islands. If the ships are absent, the scenery will be much better".

●細井廣澤 Kotaku Hosoi 1658-1736
細井廣澤の2作目。落款は廣澤老人書、印は廣澤氏、細井知慎。「長河落日圓」。これは唐の王維が辺境の地、甘粛省の武威へ赴任の途中に作った詩の1節。長い河には夕日が円くみえる。長河は黄河。中国でも「大漠孤煙直 長河落日圓」の1節が特に取り上げられる。大きな砂漠には一筋の煙が真っすぐ昇る。王維:701-761、唐の官僚、詩人。詩人たちは朝日より夕日を好むようだ。たしかに斜陽は詩情を催すと思う。人生も元気な朝日の青年の時よりも晩年の夕日の方が味が出て趣があると私は思う。私が廣澤のこの書で少し残念と思うのは主役の「日」が小さいこと。参考書:岩波文庫「唐詩選、中」。 This is the second presentation of Kotaku Hosoi. This is a part of a poem made by Wan Wei(王維). "A red sundown upon a long river and a large desert".

●谷秦山 Jinzan Tani 1663-1718
土佐の生まれ。別名谷重遠。儒学者、神道家。1679年(17歳)京都に出て山崎闇斎、浅見絅斎に学ぶ。21歳帰郷。香美郡山田野(現高知県香美郡土佐山田町秦山町)に住む。40歳神道の印可を受ける。以後神道問題を講究。56歳で歿。著書に「土佐国式社考」など。作品の大体の内容。「7人570歳が集まり、紫の烏帽子(?)と朱の直垂、そして白鬚(ひげ)。三盃を飲んで、詩吟、狂歌を歌えば、婆は酔って舞う」。落款は鏡野谷重遠。辛巳=1701年=元禄14年正月、本人39歳の作。正月に老成の神官たちが集って楽しんでいる情景を祝墨した。丸い典型的御家流のきれいな書である。文中の四皓とは秦代末の乱世を避け、商山に隠棲した四人の隠士で鬚眉が皓白の老人だった。皓:こう、輝く白。鏡野は香美郡山田野にあり住んでいた場所。 Jinzan Tani was a scholar of old Japan related to shinto. He wrote a lot of books of shinto.

●無記名 Anonymous ?-?
仙人が剣に乗って自由自在の図。「蕩々心海 浮出舟釼 気風乗得 自在夫来」。”波でゆれうごく海、浮き出る剣の舟、気分は上々剣に乗って得る、自在に思い通り”。蕩:ゆれうごく。釼:剣。自在夫来:じざいふき=自在不羈(き)、自由自在。羈:手綱でつなぐ。不羈:自由、手綱でつながれない。太い墨線を自在に使う狩野派の画家だろう。サーフィンを自在不羈に楽しむ仙人には笑みが見られる。気持ち良さそうだね。関連に南竹bに伊藤長秋の「富貴自在図(ふきじざい)」があり。 This is anonymous. An old man having a magic power is enjoying a surfboard of sword. "On the sea of high waves, enjoying a surfboard of a sword."

●狩野探幽 Tanyu Kano 1602-1674
京都生まれ。狩野永徳の孫で幼少より天才的画家。1617年(16歳)幕府の御用絵師、鍛冶橋狩野家の祖。江戸城、二条城などの障壁画を中心に室町絵画から大和絵まですべて堪能。圓山応挙と双璧の江戸時代の画期的画家。門人や私淑する画家多数。73歳で歿。作品は落款は法印探幽行年六十八歳筆、印は宮内卿法印、筆峯。1669年の作。落款の筆跡に矛盾なし。仙人の衣の線がきれい。 Tanyu Kano has been a very famous painter who was a first head of a Kajibashi Kano school which was supported by Tokugawa Shogun. He was very good at paintings since 10 years of age and became a master of any type of Japanese paintings during the early Edo period. He taught a lot of pupils. This work was painted in 1669.

●狩野安信 Yasunobu Kano 1614-1685
狩野安信の2作目。落款は安信筆。弁天様をきれいに丁寧に画く。ふくよかだが、締まった顔つき。好きな画だ。賛は作者不明。自徃由来(徃=往)。自分が往けば、その理由付け(由)は来る。理屈は考えずに往きなさい。寿月亀は長寿の象徴か?「生く端荷ふO 浄し雪まつ」。生きる端(岩の先端)で荷(琵琶のことか)を持って、清浄な雪を待つ。こんな意味だろうか? This is the second presentation of Yasunobu Kano. This picture shows Bentensama. Just beautiful.

●狩野探雪 Tansetsu Kano 1655-1714
狩野探幽の次男。朝鮮贈呈屏風や御所の障壁画制作など従事。60歳で歿。落款は探雪図、印は探雪之印。剣研鐘馗の図。袖を捲り上げて真剣な表情の鐘馗さんが刀を研いでいる。 Tansetsu Kano was a son of Tanyu Kano who was a very famous painter. This is Shoukisan sharpening a sword.

●梁田蛻巖 Zeigan Yanada 1672-1757
江戸の旗本の生まれ。字は景巒。1682年(11歳)で幕府の儒官、人見竹洞に入門。1693年(22歳)に加賀藩に仕え、後に美濃加納藩、播磨明石藩に出仕。新井白石などと交流。漢詩、書家として成功。86歳で歿。作品は落款は七十九翁蛻巖、印は景巒。「鶴舞千年樹」。1751年=宝暦元年、79歳の作。千年樹は常緑樹、松である。 Zeigan Yanada was a poem maker and a calligrapher. This work was written in 1751. "Cranes are dancing on a tree of one thousand years of age." The meaning of this tree is a pine tree.

栞50 

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●太宰春台 Shundai Dazai 1680-1747
信濃国飯田生まれ。名は純、字は徳夫。江戸へ出て朱子学を学ぶ。1700年(21歳)より畿内を遊学。1711年(32歳)江戸に戻り荻生徂徠に入門。1715年(36歳)小石川に塾を開き、門人を集めた。68歳にて歿。著書に「経済録」など。作品は落款は太宰純、印は太宰純印、字曰徳夫。春日偶成。内容は未解読。少し右上りの尖った字が特徴的。右は他所の作品。 Shundai Dazai was a Jukyo scholar who was active at Edo.

●雲谷等悟 Togo Unkoku ?-?
不明の人。落款はなし、印は雲谷、等悟。長門の雲谷派の画家だが、江戸末期には名が消えている人。大黒さんの後に俵、前に大袋。「わしゃもう疲れた」という顔で袋にもたれている。これを見ているとつらくなってくる。そう今晩はもう眠ってまた明日はよい日が来ますよ、大黒さーん。 Togo Unkoku is unknown today. This Daikokusan is so tired. There will be a good tomorrow, just forget everything and go to sleep now.

●狩野秀信 Hidenobu Kano ?-?
不明の人。狩野秀信と名乗る人は6名。祖酉、眞笑、淳信、寿石、玉燕、元俊。得られる資料が少なく絞りきれない。落款、印共に秀信。溌墨山水である。雪景色を巧みに表現した。 There are six painters who was "Hidenobu Kano". There are few informations about them to specify.

●真敬法親王 Shinkeihoshinno 1649-1706
後水尾天皇の第16皇子。1659年(11歳)興福寺一乗院で得度。1665年(17歳)興福寺住。黄檗隠元、高泉と交流。画は狩野常信に学ぶ。58才で薨去。作品は落款はない、印は釈氏眞敬。夕日のきれいな作品。 Shinkeihoshinno was a son of Royal Gomizuo tennou. He became a monk and was good at paintings.

●作者不明 unknown artist ?-?
印はあるが読めない。溌墨法を使った画。「敗荷に鶺鴒図」。敗荷:やれはす。蓮の葉が秋に萎んでしまったもの。鶺鴒:せきれい。せきれいが萎んだ蓮葉に止まっている。かわいいね。狩野探幽の作に同様の絵柄がある(右)。 This is a painting of an unknown artist. A wagtail is clinging to a shrunk lotus leaf. A similar picture was painted by Tanyu Kano(right).

●狩野探信守政 Tanshin-Morimasa Kano 1653-1718
狩野探幽の子。鍛冶橋狩野2代目当主。法眼となる。66歳で歿。作品は落款は探信筆、印は藤原。抽象画的な狩野派の山水画。なかなか味のある画。 Tanshin-Morimasa Kano was a painter who was a head of a Kajibashi-Kano school which was supported by Tokugawa Shogun. He was a son of Tanyu Kano who has been a very famous painter. This abstract painting depicts a scenery of hills.

●狩野古信 Hisanobu Kano 1696-1731
狩野如川周信の子。木挽町狩野家5代目当主。36歳で歿。 作品は落款は古信筆、印は榮川。狩野探信の作品に似た狩野派の山水画。これは明らかに山に見える。 Hisanobu Kano was a head of a Kobikicho-Kano school which was supported by Tokugawa Shogun. This is another abstract painting of Kano. His paintings are rare today because he died at thiery-six years of age.

●作者不明 Unknown artist ?-?
この作品は落款は雪舟とあるが、本物ではない。印は藤田東湖のもので彼が収蔵していたことを示す。藤田東湖:1806-1855、尊王の水戸藩士で藩主徳川斉昭に仕える。徳川斉昭から藤田東湖に贈られたものかも知れない。江戸時代は大名たるもの雪舟を掛けるという位、雪舟の画が重宝され、需要は非常に高かった。依って”雪舟作”は必要となり数は増える。画師は江戸前期と看た。この寿老人は大変迫力がある。 A painter who made this work is unknown. This Jurojin has a strong impact.

●狩野安信 Yasunobu Kano 1614-1685
狩野孝信の三男で、狩野探幽、狩野尚信の弟。狩野宗家当主となる。号は牧心斎。1662年(49歳)に法眼。弟子に英一蝶。「画道要訣」執筆。72歳で歿。奇を衒った作品はなく丁寧な画が多い。作品は落款は牧心斎筆、印は牧心斎主人。画は中国の高貴、諸葛孔明である。特徴的な頭とゆったりした顔である。 Yasunobu Kano was a top of a Kano main school which was supported by Tokugawa Shogun. His paintings are generally orthodox and not unique. This painting depicts a Chinese gentleman, Shokatsu Komei.

●守珍 Shutin ?-?
不明の人。珍はほとんど「ちん」だが、稀に「はる」「たか」と読むようだ。守があり、狩野探幽守信の門人であろう。印は読めない。穏やかな表情の老人と子供である。 Shuchin is an unknown painter who was probably a pupil of Tanyu Kano.

栞40 

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●豊臣倁長 Yukinaga Toyotomi ?-? active ca. 1677
不明の人。落款は豊臣倁長謹図之。丁巳=延宝5年=1677年の作。倁:ゆく。木下(豊臣)俊長(1649-1716)豊後日出藩主。この人は画を狩野常信に学んだ。名が似るので、血縁かもしれない。格調高い寿老人の画。子供はかわいい。 Yukinaga Toyotomi is an unknown painter today. This work was painted at 1677.

●梅爾風 Umenikaze ?-?
落款の梅爾(尓)風は不明の人。三社託宣。天照皇大神宮(伊勢神宮),八幡大菩薩(石清水八幡宮),春日大明神(春日大社)の三社の託宣。江戸時代に床の間に飾られ庶民信仰として普及した。すごい迫力の書。民間の歌舞伎の字などを書いた人ではないか?三社託宣は僧の海門禅恪にも掲載。 Umenikaze is an unknown calligrapher who was active in the people. The names of three gods are written on this calligraphy. This calligraphy was used to prey.

●狩野寿仙正信 Jusen-Masanobu Kano ?-? active ca. 1715
不明の人。落款は東都狩野洞春門弟狩野寿仙正信筆。名は残っていないが、駿河台狩野の2代目当主、狩野洞春福信(?-1724)の門弟。正徳頃の人。天照皇大神宮(伊勢神宮、中央),八幡大菩薩(石清水八幡宮、右),春日大明神(春日大社、左)の三社の託宣。これは三神を描いた作品。 Jusen-Masanobu Kano is an unknown painter today. But it is known from a sentense written on this painting that he was a pupil of Doshun-Fukunobu Kano. This is a painting version of three gods.

●亀田窮楽 Kyuraku Kameda 1687-1758
京都の書家。書、画に一家を成した。洒脱で名利を超然とした。69歳で歿との記載があるが、72歳の落款があり。作品は落款は窮楽七十二書、印は窮楽、亀氏。「十洲三嶋鶴乾坤 四海五湖龍世界」。十洲三嶋:広大な陸地。四海五湖:広大な海や湖。陸地は鶴が天地を支配し、海は龍が支配する。雄大な詩ですね。 Kyuraku Kameda was a calligrapher who lived at Kyoto. This calligraphy was probably written in 1758. "Tsuru(crane) governs the land while Dragon governs the sea."

●石川丈山 Jouzan Ishikawa 1583-1672
三河国泉郷の譜代武士の生まれ。号は六六山人、凹凸窠、詩仙堂。1598年(16歳)徳川家康の近侍。大坂夏の陣後浪人。1617年(35歳)藤原惺窩に儒学を学ぶ。後に広島浅野家に仕官。1636年(54歳)京都に隠棲。1641年(59歳)一乗寺村に詩仙堂を建て住む。儒学・書道・茶道にも精通。90歳で歿。作品は落款なし、印は六六山洞凹凸窠夫、頑仙子、詩僊堂印。隷書を得意とした。「酒酔琴為枕 詩狂石作箋」。大字はO茗。 Jouzan Ishikawa was a calligrapher who lived at Kyoto. This is Reishotai.

●伊藤仁斎 Jinsai Ito 1627-1705
和泉生まれの儒者。名は維禎。京都で活躍。古義堂で儒教古学の一派を立てた大儒者。79歳で歿。作品は落款はなし、印は維禎之印。「OO白鶴飛」。ユニークなこつこつした唐様。Jinsai Ito was a famous Jukyo scholar who established his own theory.

●伊藤東涯 Togai Ito 1670-1736
京都生まれ。儒学者伊藤仁斎の子。古義堂の2代目。名は長胤、字は元蔵。古学の興隆の基礎を築いた。仁斎の遺した著書の刊行。67歳で歿。作品は落款は長胤書、印は長胤之印、元蔵。丁未=1727年=享保12年仲夏、58歳の作。先子仁斎の読経。摂州(摂津)の舟中で書いた。同じ文章が先哲墨宝.甲(近代デジタル)に掲載(右下)。これは少し古く享保辛丑=1721年=享保6年、52歳の作。6年の開きがある。字からはまじめな性格の人のようだ。内容は未解読。 Togai Ito was a Jukyo scholar who was a son of Jinsai Ito. This calligraphy was written in 1727. He had written the same sentense of calligraphy in 1721(Right).

●武田親庸 Chikanobu Takeda ?-?
不明の人。落款は探幽斎図親庸筆、印は武田。狩野探幽の画に倣って親庸が画いた。菅原道真である。賛の人も不明。落款なし、印は冥牧、倉虚、百尺竿。「百尺竿頭進一歩」(無門関)。竿の百尺先の頭に到達しもう一歩進む=悟りに達したが更に一歩進む。賛の人は禅僧のようだ。詩は字は読めるも内容不明。この天神さんは悩んでいるようにみえる。梅の香りに京都に帰りたくなったかな。 Chikanobu Takeda is an unknown painter today. This Tenjinsan is worrying about something. Maybe he is thinking about comeing back to kyoto under the perfume of an ume tree.

●無記名 Anonymous ?-?
聖徳太子をきれいな色彩で画いた作品。この仏画は民画ではなく高価な鮮やかな絵の具を使用。高位の武家、寺などで飾られたものだろう。 This painting is anonymous. The picture of Shotokutaishi was depicted here.

●波多野等有 Toyu Hatano 1624-1677
長門出身。雲谷等顔の門人の画家。古画備考の記載では梅、竹、鮎の作品があり真相(相阿弥)風。他に洋犬の作あり(右下)。作品は落款はなし。印は等有。大変美人の観音様である。画はきれいだが透かすと修復の跡がたくさんあり。この人の作品でよいと観た。 Toyu Hatano was a painter who studied the painting skills from Togan Unkoku. This painting shows a beautiful Kannonsama. A seal of this painting shows Toyu(等有).

栞30 

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●筆天斎 Hitsutensai ?-? active ca. 1734
画家、作家。「御伽厚化粧」ー享保19年(1734年)刊の作者。落款はなし、印は筆天。おそらくこの人の作。尾形光琳に似ている所あり。かわいい大黒さん。 Hitsutensai was a painter and a novelist who was active around 1734. This Daikokusan is so cute.

●平元梅隣 Bairin Hiramoto 1660-1743
出羽秋田藩士の子。医者、俳人。1679年(20歳)京都にて医術、俳諧を学び朴玄と名のる。1715年(56歳)秋田に帰郷。梅隣と号し俳諧にて一家を成した。84歳で歿。著作に「梅の月」「中庸私説」。落款は梅隣。「つま先て 海原切て すすみ哉」。足を舟に喩えてつま先を「舟のへさき」にみなしている。夏の日に足を海原(水面)に漬けて前へ進んでいる。すずしいね。 Bairin Hiramoto was a haiku maker who was active at Akita. "In a day of hot summer, I am soaking my foot in the water and moving the foot forward like a ship. It is so comfortable."

●鴫立舎 Sigitatsusha ?-?
鴫立舎は不明の人。印は不明。江戸前期とみる。ほていさんはほっこりしている。大淀三千風(俳人)が元禄の頃作った鴫立庵(神奈川県大磯町)という俳諧の庵があり、一世の庵主となっている。この人の筆跡「鴫立」が右下だが異なるようだ。その後庵主が続く。たぶん関係ありとみる。 Sigitatsusha is unknown today but possibly might be a haiku maker. This painting shows Hotei. Look at the big belly and a huge sack.

●山口雪渓 Sekkei Yamaguchi 1648-1732
京都の画師。宋・元時代や室町時代の水墨画に傾倒した。特に雪舟と牧谿に私淑。画題は何でもこなし、一定以上の実力。作品は落款はない。印は雪渓で掲載のもの。山水画は室町時代の作家に近い。墨の色を巧みに変化している。 Sekkei Yamaguchi has been a pretty famous painter who lived at Kyoto. His sansuiga looks like the works painted in the Muromachi period. Although this work has no signature, the seal is consistent with his own.

●山口雪渓 Sekkei Yamaguchi 1648-1732
山口雪渓の2作目。「ひょうたんから駒」。落款はなし。印は雪渓で他に掲載の印に一致。仙人の嬉しそうな顔がいいね。 This is the second presentation of Sekkei Yamaguchi. A horse came out from a calabash.

●清原雪信 Yukinobu Kiyohara 1643-1682、 貫斎 Kansai ?-?
久隅守景の娘。母の国は狩野探幽の妹の鍋の娘。狩野派随一の閨秀画家。17・8歳探幽へ稽古に通っていたが、尼崎武士の子と通じ家を出た。別宅し画を描いて、大いに繁盛し尼崎にて没したという。作品は落款、清原氏女雪信筆。烏が活動的。俳句は「神共の よろこびありや からすとび」。俳句作者の貫斎は印は甲斐、源氏。不明の人。俳句はこの画を引き締めている。 Yukinobu Kiyohara was a female painter who studied the painting skills from Tanyu Kano. She was a daughter of Morikage Kusumi. She was very good at birds and flowers and has been favored by many people. This bird is a crow.

●徳川光圀 Mitsukuni Tokugawa 1628-1701
常陸水戸藩第二代当主で江戸定住。家康の孫。1636年(9歳)諱を光国。1657年(30歳)『大日本史』(尊王論で幕末に影響=水戸学)の編纂に着手。1661年(34歳)水戸藩主。1665年(38歳)明の朱舜水(17年間交流)を招き、儒学を奨励。1679年(52歳)諱を光圀にする。1690年(63歳)水戸西山荘に隠居。水戸黄門と呼ばれた。漫遊は関東のみであった。73歳で歿。落款は西山隠士光圀。印は源朝臣光圀章、西山、七峰人。よって1690年-1701年の間の作。右に他所の落款。「春になり暖かく風も和らぐ。虵(へび)も目覚め、新たに活動。梅の香が芳しい。」 早春の景色をきれいに詠んでいる。 Mitsukuni Tokugawa was a governor of Mito, Hitachi and lived at Edo until the sixty-three years of age. He proceeded a Jukyo scholarship and a book of Japanese history. A scenery in a warm spring associated with the ume fragrance was written in this calligraphy.

●狩野洞春福信 Doshun-Hukunobu Kano ?- 1724
駿河台狩野家の二代目。江戸時代前期の画家。障壁画の製作など尽力し、幕末ー河鍋暁斎 へ継承された駿河台狩野家の地固めに貢献。正徳2年=1712年=壬辰の元日に画いた作品である。印は現状で読めないが、 落款はほかの作品に合致(右)。 Doshun-Hukunobu Kano was a top of a Surugadai Kano school. This school continued up to the Meiji period. This work was painted at 1712. The signatures copied from other pictures are shown on the right.

●狩野洞春福信 Doshun-Hukunobu Kano ?- 1724
狩野洞春福信の作品。この落款、印もよい。印は洞春之印。画題が新鮮。八々鳥(ははちょう) はからすのようで目元に毛が特色。かっこいい。木の滲みは「たらしこみ」と言う。 薄い墨が乾燥する前に濃い墨を入れるとこう滲む。琳派のおはこに言われるが、光琳と同時代の 駿河台狩野二代目が完全にマスターしている。狩野派から逸脱した新鮮な画題、画技、駿河台いいね。  This is the second presentaton of Doshun-Hukunobu Kano. Two birds are hahachou resembling crows. He looks handsome. The wood trunk was painted by a technique,"tarasikomi" which uses the mixture of thick and thin sumi.

●狩野元仙 Gensen Kano 1685-1751
狩野洞春福信の長男。1724年駿河台狩野家の3代目となる。67歳死去。作品は落款はなし。印は元仙、守運之印。狩野派では面白い駿河台である。お爺さんと嫁さんと唐子2人。お爺さんが「あれを見てごらん」。椅子の下に隠れる子と顔を覆う子。嫁さんは「へえー」と目を見開いて興味を示す。祭りで怖いお面を見るような場面。面白い画題で一目で気に入った。若書きであろうか。 Gensen Kano was a third boss of a Surugadai Kano school. He was a son of second boss of Surugadai. The picture is so interesting. An old man says "Wow, look at that! ". Grandsons don't want to see it. Mother of the children looks at it carefully with widely opened eyes. May be something like a monster-mask-man in a festival.

栞20 

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●本阿弥光甫 Koho Honami 1601-1682
冬の枯木に雪景色。中に5羽の鷺。空には父鳥。下に母鳥に3羽の子達。 父鳥の愛情が描かれる。印は光甫之章。書家で有名な本阿弥光悦の孫、本阿弥光甫の作と想像する。 東博に作品があるが、他は出ない。宗達とともに琳派の基礎を作り、光琳にバトンを渡した人である。  Here, a family of heron was painted. A father bird shows so much love for his family members under a snowing weather. A seal shows 光甫(Koho). Koho Honami was a grandson of Koetsu Honami who was a famous calligrapher of kana. Koho was good at paintings and ceramics. However his painting works are seldom seen today.

●野々村信武 Nobutake Nonomura 1619-?
野々村通正信武七十三歳筆の落款。従って1691年の作。その割りに保存はよい。 印は野、通正信武。いずれも本に合致。野々村信武は京都の画家。尾形光琳風の画法と称されるが、 絵は大和絵風の人物画が得意。これは貴顕と刀鍛冶の対話。刀鍛冶は無理な注文を受けたのだろうか? ややつらそう。 Signature and two seats shown on this picture are consistent with his other works. He was a painter who lived at Kyoto. He was good at yamatoe. This picture shows a meeting of a noble samurai and a swordsmith. The swordsmith may be annoyed by severe orders of the noble man.

●住吉具慶 Gukei Sumiyoshi 1631-1705
落款は法橋具慶筆で他作品に一致。菅原道真を描く。顔は迫力あり。絹本の痛みはあるが、 色はよく保存されている。住吉如慶の長男で住吉派の2代目。江戸前期を代表する大和絵画家のひとり。 京に生まれ、のち江戸に移り幕府の奥絵師となる。肖像画など右に示す。 Gukei Sumiyosi was one of well-known yamatoe painters. This picture shows a signature which are consistent with his handwriting. He was born in Kyoto, moved to Edo and belonged to Tokugawa Shogun. This painting is depicting Michizane Sugawara.

●小堀政尹 Masatada Kobori 1625-1694
小堀政尹は江戸時代前期の武士,茶人。通称は権十郎。小堀遠州の三男。父に茶道,書をまなび、 山水画や陶芸にもすぐれた。父の小堀遠州(1579-1647)は豊臣、徳川に仕え、1617年に近江小室藩大名となる。 造園家として名を馳せ、歌、書、茶人としても有名。この作品は落款はない。印は政尹で、「古画備考」にも記載のもの。ひょうたんとその花、小さな蟻が画かれた微笑ましい作品。蟻がかわいいね。 This work has a seal which is consistent with Masataka Kobori. Masataka Kobori was a son of a governor of Komuro, Oumi. He was good at a performance at tea ceremony, calligraphies and paintings. A calabash was smoothly painted togeather with a flower and an ant. This ant is cute.

●英一蝶 Itcho Hanabusa 1652-1724
尾形光琳とともに元禄期の代表画家。特に働く庶民を中心とした風俗画がよい。江戸時代の 画家には子供を描く画は多くないが、この人にはかわいい子供の画が多い。一時期三宅島に流罪となるが、 画風は総じて明るい。私は彼の画が大好きだ。右に他所の落款、花押を示す。花押入りは少ないが、これは 宴会などの席画でさらさらと描いたあと花押を入れたものだろう。牧童の子と隣で横になる牛。一蝶の 子供への深い愛情が感じられる。最高。 Itcho Hanabusa has been a very famous artist. He was good at the pictures of working people and children. A cute boy is sleeping along the cow. His works are generally cheerful. I love his paintings so much.

●英一蝶 Itcho Hanabusa 1652-1724
英一蝶の2作目。寿老人である。迫力のある太い線が特徴。落款、印ともに矛盾なし。 This is the second presentation of Itcho Hanabusa. He painted a Juroujin here.

●英一蝶 Itcho Hanabusa 1652-1724
英一蝶の3作目。生き生きとした人物像と袴の太い線が特徴。落款は矛盾なし。 This is the third presentation of Itcho Hanabusa. The thick lines of the wear are consistent with his brushing works.

●英一蝶 Itcho Hanabusa 1652-1724
英一蝶の4作目。落款は北窓一蝶自画賛。庶民の楽しそうな交流が最高。着物の太い尖った線がきれい。この作品には俳句があって、意味は鉢たたきに布施がなく啼きかけて、やっと門で依頼がひとつあったという意味らしい。同じ俳句の英一蝶の自筆の作品が発刊本に掲載されていた(下右)。鉢たたき:人家の門前で音曲を奏する芸をして金品をもらう。鉢たたきの依頼は多くなかったようで淋しい俳句が多い。 This is the fourth presentation of Itcho. A very cheerful picture! Just great.

●英一蝶 Itcho Hanabusa 1652-1724
英一蝶の5作目。青砥藤綱の物語。夜に失くした銭10文を川で探している所。武家の衣装はのりが利いてぱきっとしているため袴の線は直線的。これが庶民との違いで英一蝶の特色。 This is the fifth presentation of Itcho. This picture shows a story of Fujitsuna Aoto. They are searching a cheap coin lost in a small river at night at the expense of fuels. Fujitsuna Aoto is standing here and stresses the importance of metals for the nation.

●英一蝶 Itcho Hanabusa 1652-1724
英一蝶の6作目。いも洗いは英一蝶の得意な画題。他の画像を下に示す。 This is the sixth presentation of Itcho. This is a man washing imo or yam.

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●英一蝶 Itcho Hanabusa 1652-1724
英一蝶の7作目。楽しく踊り合うえびすさんに大黒さん。鯛も大袋も放り出して踊る。この画題も画譜にあり英一蝶の得意。 This is the seventh presentation of Itcho. Ebisu and Daikoku enjoy dancing while a tai-fish and a big sack are left aside.

●英一蝶 Itcho Hanabusa 1652-1724
英一蝶の8作目。上の児の上には凧が画かれています。衣装の太い線で見事に人物の動きが出ます。英一蝶の特技です。二児の顔は”英一蝶の描く顔”です。彼には太い線のない大和絵のような作もあるが、やはり庶民や児の動きを太い線で画く作品が好き。 This is the eighth presentation of Itcho. Two childs are playing with a kite. The motion is nicely expressed with thick lines of the kimono(wear).

●英一蝶 Itcho Hanabusa 1652-1724
英一蝶の9作目。鐘を造る職人さんに手伝いをする児。松の木は一蝶の得意。やはり庶民を画いたものはすばらしい。 This is the nineth presentation of Itcho. This picture shows that two craftsmen are fixing a big bell. A child helps their work. Pine trees are nicely depicted here.

●英一蝶 Itcho Hanabusa 1652-1724
英一蝶の10作目。籠に何かを入れて行商している人が疲れて、荷を降ろし一休み。いいね。 This is the 10th presentation of Itcho. He is walking from door to door to sell something. He is taking a rest here.

●英一蝶 Itcho Hanabusa 1652-1724
英一蝶の11作目。衣文掛けのようなものを造っている職人さんと手伝いをする児。児は「しっかり見とけよ」と叱られているようだ。ほかの児と遊びたいのにつらいね。 This is the 11th presentation of Itcho. This picture shows a craftsmen making a kimono-hunger. He is saying to his son; "Look at my work carefully." The boy does not like to learn the father's work here.

●熊沢蕃山 Banzan Kumazawa 1619-1691
落款は蕃山了介、印は蕃山。熊沢蕃山は16歳岡山藩番頭を勤め、後に中江藤樹から陽明学を習う。 号は蕃山、字は了介。27歳岡山藩主池田光政に仕えると、三千石の番頭となる。日本初の庶民学校、「閑谷学校」の 前身を作り、藩民救済のため治山治水を施行。しかし、朱子学者林羅山による中傷、岡山藩家中の反感で39歳で引退した。以後は山城、大和など点々とし、下総国古河藩で活動後73歳で死去。作品の落款は落款集などに一致。この書は手紙を書くようにさらさらと御家流で丸い。 Banzan Kumazawa was a scholar of Youmeigaku in Bizen. Youmeigaku is a type of culture which recommends the importance of action. He made an effort to increase the harvest for farmers. He also opened a Shizutani school for the education of people.

●大岡春卜 Shunboku Ooka 1680-1763
大坂で活躍した画家。狩野派を 習得し、名画を掲載する数多くの画 本を出版した。享保3年(1729年)法橋、同20年(1746年)法眼になる。作品の落款は法橋春卜、印は法橋春卜。落款は右の法眼に似る。1740年頃の作だろう。ほていの動作がかわいいね。 Shunboku Ooka was a famous artist who lived at Osaka. He published a lot of books for Japanese painters. This picture shows Hotei in motion and was painted at around 1740. How cute!

●高田敬輔 Keiho Takada 1674-1756
近江日野生まれ。京狩野家狩野永敬に師事。62歳で法橋、69歳で法眼。82歳で没。曽我蕭白、月岡雪鼎、島﨑雲圃は弟子。最近注目されている画家。落款は行年六十七翁法橋敬輔。印は敬輔之印。この画は寿老人だが非常に太い墨線が目立つ。これが特徴。1740年の作。賛は大安浄桃で下に記載。 Keiho Takada was born in Hino, Oumi. He was a teacher of Shohaku Soga. In this picture, Very thick lines were used for the wear of Juroujin. This work was painted in 1740. The title was written by Jotou Daian shown below.

●大安浄桃 Daian Jotou ?-? active ca. 1702-1744
黄檗宗の僧。1702年嗣法。1728年摂津昆陽新田村(兵庫県伊丹市)の法雄山常休寺住職。落款は法雄桃大安老衲。印は僧桃、大安印。甲子=延享元年=1744年の賛なので、画が画かれた4年後となる。内容は寿老人の外見についてのべている。敬輔を這老画人と書いているが、高田敬輔は1744年に立位歩行不能だったのだろうか。なお賛は、画の中の人が向く方向から読むことで間違いない。これは左から読む。 Daian Joutou was a zen monk, who belonged to Oubakushu. He was a top of a temple at Itami. This kanbun title was written in 1744. The kanbun title should be read from the side which a man in the picture faces towards. This case is left.

●北島雪山 Setsuzan Kitajima 1636-1697
書家。肥後熊本生まれ。来朝明人愈立徳に唐様の書風を学ぶ。名は初期に蘭隠。1677年(42歳)江戸に出て細井広沢など育てる。晩年肥後藩に仕えた。豪放磊落で大酒豪、権勢を嫌った。豪客に席上揮毫を頼まれた時、紙に陰茎を大書。作品の落款は雪山蘭隠。印は璞卿、知者不言。題は隠溪。「いんけい」と読む?隠れた所の渓谷。御家流に近く、唐様をマスター以前の書だろう。下に唐様の書と落款を示す。作品は少ない。 Setsuzan Kitajima was a famous calligrapher who studied a Chinese style(Karayo). He has been considered the origin of the karayo style in Japan. Many pupils studied his style of calligraphy. This calligraphy is rather Oieryu and may be written in his young life.

栞 最後 

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●細井廣澤 Kotaku Hosoi 1658-1736
遠江掛川の武士の子。書家・篆刻家。名は知慎、字は公謹。室号に蕉林庵。11歳父と江戸へ、朱子学、書道を北島雪山などに学ぶ。他にも博学をもって元禄前期に大老格柳沢吉保に仕えた。79歳死去。著書に『観鵞百譚』『紫微字様』など多数。関思恭、三井親和、松下烏石など多くの優秀な書家を育てた。落款は廣澤知慎書。印は弓馬餘興、公謹。款記に東武蕉林菴南窓下。内容は未解読。 Kotaku Hosoi was a famous calligrapher who taught a lot of pupils. The calligraphy is the karayo style.

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