アメリカにいる父に、祖母との面会制限が解除されたことをメールで伝えると、二週間後に三十センチ角ほどの荷物が送られてきた。メールの返事には何かを送るなどとは一切書かれていなかったので、何だろうと思いながら、段ボール箱を開けた。
緩衝材のプチプチの上に白い封筒が乗っており、中には父からの手紙が入っていた。
「親愛なる息子よ、中の品物を光子さんのところに持って行きなさい。友人の会社が作った癒やし猫ロボットで、光子さんのよきコンパニオンになると思う。日本語仕様になっており、ピーコと呼びかければ返事するようにしてある。友人曰く、認知症の改善にも効果があるらしい。よろしく頼む」
活字体のような父の筆跡を久し振りに見た。ワープロではなく手書きにしてあるところがいかにも父らしい。手で書いた文字のほうが相手に対する敬意が伝わると考える最後の年代なのだろう。いや、ひょっとしたら日本語を忘れないための工夫の一つか。
ピーコというのは確か二十年ほど前に祖母が飼っていた猫の名前だ。僕が祖母に引き取られてほどなく死んだと思う。虎柄の雌猫で、僕が股に手を入れて持ち上げている写真を見たことがある。幼い頃なのでほとんど覚えていないが、祖母がピーコの体に覆い被さって泣き続けている記憶はうっすらと残っている。
中身を取り出し、緩衝材を開けると、確かにそこには猫がいた。四肢を折り曲げてうずくまっている。虎柄の毛並みになっているのは父が頼んだのだろうか。手触りはちょっと硬い感じがする。重さは一世代前のノートパソコンくらいか。顔も猫そっくりで耳もぴんと立っている。ただ目には瞼がなく開きっぱなしなのが異様といえば異様。さすがに尻尾は毛の生えた棒状になっており、しなやかさはない。
A4版の説明書が入っていて、起動方法と充電器の設置の仕方、データの入力方法、WiFiとの繋げ方等が英語で書かれている。全くデータを入れなくても飼い主と対話をしていくうちに自身で学んでいくAI機能があるので気にしなくていいとあり、WiFiに繋げることができれば、さらに対話が広がる、まずはスイッチを入れましょうと書かれてあるので、僕は毛で覆われた腹に隠されている蓋を開け、電源スイッチを押した。
しばらくするとピポッという音と共に目が緑色に光り、折りたたんでいた四肢を前脚、後ろ脚の順番で伸ばして立ち上がった。おおっと思わず声を上げてしまった。猫は心持ち顔を上げ、首をゆっくりと左右に動かし、緑の目で僕を捉えると、口を動かしてニャアと声を出した。僕はまたまた驚いてしまった。
恐る恐る「ピーコ」と呼びかけてみる。すると猫はまたニャアと鳴き、片膝を立てて床に坐っている僕のほうに近づいてくるではないか。歩き方は本物ほどスムーズではないが、かなり忠実に再現している。だらんとしていた尻尾がピンと立っていることにも感動した。猫は僕の膝までやって来ると、顔をこすりつける動作をし、つい「よしよし」と頭を撫でてしまった。
「わたしはピーコ。あなたは誰ですか」
猫がしゃべった。一瞬えっと思ったが、飼い主との対話というのはこういうことかと思い直し、「僕は翔太です。須(す)貝(がい)翔太」と答える。
「スガイショウタさんはわたしの飼い主でしょうか」 甲高い声だが耳に馴染んで聞き取りやすい。発音も自然だ。
「いいえ、違います。あなたの飼い主は平坂光子といって、僕の祖母です」 「ヒラサカミツコさん……」 そう答えると、ピーコは首を回した。
「ミツコさんはどこにいるのでしょう」 「光子さんはここにはいません。施設に入っています」 「施設?」
「そうです。認知症になって療養施設に入っています」
自分でも何だか馬鹿丁寧なやり取りになっているなと思ったが、ピーコの言葉遣いに合わせたほうが伝わりやすいのではと思っていた。ピーコはちょっと沈黙してから、「WiFiに繋げてもらったら、もっと理解が進みます」と言った。
僕は説明書を見ながら、グーグルストアから猫ロボットのアプリをスマホにインストールし、テザリング機能を利用して、ピーコをWiFiに繋いだ。緑の目が点滅し、それが収まると「ミツコさんの入っている施設は何という名前でしょうか」と聞いてきた。
「イドスケア晴海台だったかな」 「わたしを今すぐそこに連れて行ってください」 「え」
「わたしは飼い主のミツコさんのところに行かなければなりませんから」
何だか奇妙な具合だった。いくらAI機能が搭載されているとはいえ、ピーコが意思を持っているように振る舞うのには戸惑ってしまう。
「面会するには予約が必要だから、すぐには無理」 「だったら予約しましょう。電話番号は……」と数字を言った。
僕はスマホをタップしてイドスケア晴海台の電話番号を画面に出した。ピーコの言った数字と同じ番号だ。
「午後からの面会時間に間に合いますから、予約が取れたらすぐに行きましょう」 「午後からは大学院のゼミがあるから無理」
ピーコは首を傾げる動作をしてから「担当の教授に欠席メールを送りましょう」とのたまう。
余計なお世話だ。僕はイドスケア晴海台に電話をかけ、三日後の午後の面会を予約した。 「どうして今日ではないんですか」
「俺にも都合があるんだよ」つい、俺と言ってしまった。 「ショウタさん、怒りましたか」
僕は思わず苦笑した。ロボット猫相手に本気になるなんてどうかしている。 「いや、別に怒ってなんかいないよ」
「だったら今から行きましょう」
無視していると、ピーコがニャアニャアと鳴き始めた。「言葉で言えよ」と怒鳴っても鳴き止まない。誰がこんな抗議方法をプログラムしたのだ。僕はトイレに籠もって鳴き止むのを待ったが一向に収まらず、最後の手段を取ることにした。
ドアを開けると、目の前にピーコがいた。緑の目を点滅させながら口をパクパクさせ、鳴き声を発している。僕はその胴体をつかむと、バタバタと動かしている脚をものともせず、お腹の蓋を開け電源を切った。途端に鳴き声がやみ、四肢が徐々に縮こまり、ピーコは動かなくなった。僕はほっと溜息をついた。
ピーコをプチプチでくるみ、段ボール箱に戻すと、僕は早めの昼食をとるため近所の定食屋に行った。ロボット猫なら餌もいらないし、排泄の処理もしなくていいし、祖母が飼うならぴったりだななんて思いながら食事を終え、アパートに戻った。ひょっとしたら勝手に動き出しているかもと夢想したが、もちろんそんなことはなく、部屋の中は静まり返っていた。
箱を開けて、緩衝材越しにピーコを見た。眠っているという感覚になるのが不思議だった。もう一度電源を入れて起こしてみたいと思ったが、またぎゃーぎゃーと騒ぐのが目に見えていたのでそれはやめ、ゼミに行く準備を始めた。
しかしいざ部屋を出る段階になって、さっさとピーコを祖母のもとに連れて行くほうがいいと思い直した。父の依頼でもあるし、ピーコの願望でもあるし、何より祖母がこの猫を見てどういう反応をするか見てみたいと思ったから。
僕はイドスケア晴海台に電話をし、予約を今日の午後からに変更し、担当の教授に、祖母の容体が悪いと施設から電話があったのでと書いて、欠席のメールを送った。
段ボール箱を抱えて部屋を出た。祖母のところに行くのは半年ぶりだった。前回はまだ窓ガラス越しだったが、今回は部屋にも入れるということだった。
電車を乗り継いで一時間半後、僕はマスクをつけて施設の受付にいた。段ボール箱の中身を説明し、それを祖母の部屋に置きたいと申し出た。すると女性の係員は困った顔をし、「ちょっとお待ちください」と奥に引っ込むと、上司の男と一緒に戻ってきた。
「コンパニオンペットは私どもがご用意するものをお使いいただくようになっております」 男は慇懃な言い方をした。
「この猫は」と僕は箱を軽く叩いた。「AIのチャット機能を搭載した最新型で、認知症の改善になると謳われている製品なんですよ。そちらで用意されているものにそんなのがありますか」
「いいえ、そういうものは……」 「でしょう。だから持ってきたんですよ」 男はうーんと唸ってから、
「分かりました。それでは取りあえずどういうものか見せていただきましょうか」
と隣の部屋を手で示した。僕は箱を抱え、男の後から部屋に入った。会議室なのか長机の周りに肘掛け椅子が配置されている。男の対面に腰をかけて箱からプチプチに覆われたピーコを取り出す。そしてお腹に隠された電源スイッチを押すと、ピホッという音と共にピーコが立ち上がった。男が興味深そうに見つめている。ピーコは緑の目を点滅させて首を左右に動かしている。
「ピーコ」と僕は呼びかけた。するとピーコは顔を僕のほうに向け、「ここはどこですか」と口を動かした。 男が目を見開いている。
「ここはイドスケア晴海台だよ」 「ああ、ミツコさんのいるところ」
「そうだよ。ピーコがあんまりうるさくいうものだから、授業を欠席して連れてきてやったんだよ」 「ありがとう、ショウタさん」
僕は男に目をやって、どうですかというように右手をピーコに向けた。男は首を振るだけで何も言わない。
「AIの進歩はここまで来てるんですよ。どうですか、ここでも使われたらいいと思いますけど。お試しとして置いてもらうわけにはいきませんか」
すると男は意外なことを言った。 「このロボット、人に危害を加えるようなことはありませんか」 「え?」
そんなことはないと答える前にピーコが口を開いた。
「心配はいりません。わたしは人を癒やすために作られたコンパニオンペットです。人を傷つける機能はありません」
男がほうというように口をすぼめている。ピーコが対話を求められていないのに口を挟んだことに僕も驚いてしまった。
取りあえず祖母の部屋に置いてもらって、支障が出るようなら引き取ってもらうということで許可が下りた。
ピーコを箱に入れ、マスクをつけた男と一緒にエレベーターで二階まで行った。男はサービスステーションに入り、臙(えん)脂(じ)色のポロシャツを着たマスク姿の年配の女性と一緒に戻ってきた。渡辺さんだった。半年前祖母を乗せた車椅子を窓のそばまで押してきたのは彼女で、ずっと祖母の担当をしている。僕が会釈すると、渡辺さんの目が微笑んだ。
祖母の部屋は二〇八号室で、渡辺さんが引き戸を開けた。 「平坂さん、こんにちは」彼女が声を張る。「お孫さんがお見えになりましたよ」
僕と男も続いて入った。左側にトイレ、その向こうに隠れるようにしてベッドがあり、祖母は目を閉じて横になっていた。パジャマと兼用なのか、ゆったりとした水色の上下を着ている。半年前と顔の感じは変わっていない。
「平坂さん」と渡辺さんが祖母の肩に触れた。祖母が薄く目を開ける。 「お孫さんですよ」
祖母が首を動かして僕を見た。僕は箱を抱えたまま「翔太です」と目で笑いかけた。しかし祖母の表情は変わらない。僕は箱を床に置き、マスクを下げて顔がよく見えるように近づけた。
「わかる?」 それでも祖母はじっと見ているだけだ。 「平坂さん、ベッドを少し起こしますね」
渡辺さんが枕元にあるコードの繋がったスイッチを押すとベッドが動き、祖母の上半身が持ち上がった。祖母と再び目が合うと、「翔太か」と呟いた。
ようやく目が覚めたようだ。 「そうだよ」 「コンサートはどうやった、うまくいったんか」
コンサート? 僕は頭の中で素早く祖母との会話を思い出してみる。何かそんなことを言ったか。たぶんピアノ演奏のアルバイトをコンサートと勘違いしているのだろうと見当をつけた。
「ここのところコロナでコンサートはしていないよ。でも徐々に収まってきたからオファーがあるかもしれない」
オファーは通じないかと思ったが、祖母は「そうかい、そうかい。それはよかった」とうなずいた。
「今日はね、お祖母ちゃんにプレゼントを持ってきたんだ」
そう言って、僕はしゃがんで箱を開け、ピーコを取り出した。スリープ状態なのか四肢を曲げ、目をゆっくりと点滅させている。それを祖母の足元に置く。
「お祖母(ばあ)ちゃん、ピーコと言ってみて」
しかし祖母が何も言わないうちに、僕の言葉に反応したのかピーコは目を覚ました。四肢を立ち上げ、伸びをする動作をしてから首を動かし、祖母を光る目で捉えた。尻尾がぴんと立ち上がる。
「ミツコさん、ですか。わたしはピーコです」 祖母はじっと見るだけで表情に特に変わりはない。 「初めまして。あなたはわたしの飼い主です」
「すごい」と声を出したのは渡辺さんだ。
ピーコは祖母に近づこうと四肢を動かすが、脚に乗ることができず転倒しては何とか起き上がることを繰り返している。
僕はピーコをつかんで、祖母の太腿の辺りに乗せた。ピーコがお腹に顔をこすりつける。祖母が眉根を寄せて僕を見た。 「これ、なんや」
なんやと言われても見たまんまなんだけど。僕がどう説明しようかと考えていると、
「平坂さん」と渡辺さんが手を伸ばしてピーコの頭を撫でた。「これはコンパニオンペットといって、触ったりお話ししたりしていると心が楽(らく)うになってくるオモチャですよ」
僕も渡辺さんを真似てピーコの体を撫でた。 「お祖母ちゃんも触ってみて」 「子供だましやな」 祖母は手を出さずに言い放った。
「お祖母ちゃん、昔ピーコという猫を飼っていたでしょ。僕も覚えているよ。その身代わりなんだよ」
祖母は目線を上げ、「ピーコか」と呟いた。僕を見ているようで見ていない。ピーコがニャアと鳴いた。その途端祖母の顔がきゅっと歪み、目から涙がこぼれ落ちた。
「ピーコ、ピーコ」 祖母は空中に目をやったままさらに呟いた。 「ミツコさんはわたしの飼い主」とピーコが言った。
祖母が枕元にあったタオルで涙を拭った。ピーコが祖母の腹に前脚をかけ、顔をのぞき込もうとするのを祖母が手で押しのけた。
「あんたはピーコと違う」 僕はびっくりすると同時に祖母がまだしっかりしていることがわかってうれしくなった。
「このピーコはね」と僕は猫ロボットを取り上げた。「父の友人の会社が開発したらしいんだ。すごく頭がよくてピーコになりきって話すこともできるんだよ。だから父がわざわざ送ってきてくれたんだ」
「お前の父親が送ってきたんか」
祖母の声のトーンが低くなった。しまったと僕は思った。祖母の前で父のことを口にするのはタブーであることを忘れていた。いや、忘れていたというのは本当ではない。認知症になったんだから、もうそろそろいいだろうと軽く考えていたのだ。
「そうだよ、お祖母ちゃんが寂しくないように父だって気を遣っているんだよ」 「そんな気遣いは無用だね」
そればかりじゃない、ここの費用だって父が払っている。そのことを告げてもいいのだが、そうすると祖母はここを出ると言いかねない。自分の預金がもう底をついていることを知ったら、祖母はどうするのだろう。
「トイレ」と祖母が言った。渡辺さんがスリップオンの介護シューズをベッドの下に揃えた。体をずらせてベッドの横に足を下ろす。渡辺さんが靴を履くのを手伝おうとしたが、祖母はそれを手で制して自分で履き、ベッドの柵に手を突っ張って立ち上がった。壁に取り付けられた手すりを右手で握って、左足を少し引きずりながらトイレに入った。
腕の中のピーコが四肢を動かしたので床に下ろしてやると、一直線にトイレの前まで歩いていった。そこで尻を落とし、顔を上げる。
水の流れる音がしてから引き戸が開いた。祖母がピーコを見下ろして動きを止めた。ピーコが尻を上げると同時に尻尾を立て、ニャアと鳴いた。
「トイレまでついてくるのかい」 文句を言っているようだが、声の感じは悪くない。
祖母がベッドに戻ると、ピーコも下で待機した。さすがに本物のようにベッドの上には飛び上がれないようだ。
「どうします」と上司の男が口を開いた。「しばらく置いておきますか」
持って帰れと言いたいんだろうなと思いながら、僕は祖母とピーコに目をやった。 ピーコが首を回して僕を見上げた。
「ショウタさん、わたしをWiFiに繋げてください」 そうだった。WiFiに繋いだら祖母との会話も広がるかもしれない。
「ここはWiFiが使えますか」と男に尋ねた。 「談話室にはありますが、ここまで電波が来るかどうか」
僕はピーコのアプリを立ち上げてWiFiの電波強度をチェックした。ごく弱いけれども届いていることは届いている。男にパスワードを聞き、それを入力すると接続された。ピーコの緑の目が点滅する。しかしすぐにそれが止まると、「ショウタさん、電波が弱すぎます」と言ってきた。仕方なくスマホのテザリング機能を使ってWiFiを繋ぎ直した。緑の目の点滅がしばらく続き、ピーコが口を開いた。
「ミツコさん、ここの生活はいかがですか」 祖母がピーコに目をやった。 「快適ですか」 「……そりゃ快適だよ」
「ミツコさんの誕生日を教えてください」 「何でそんなことを聞くんや」 「ここでは毎月誕生日会があるそうですね」 「知らん」
「十二月十日だよ」と僕はピーコに教えてやった。 「二カ月先ですね。ミツコさん、楽しみですね」
「何が楽しいんや。誕生日が楽しいのは若いうちだけや。この歳になったらあんたもわかる」 「ミツコさんは何歳ですか」 「忘れた」
ピーコが僕を見た。 「ショウタさん、ミツコさんは何歳ですか」 「僕より六十年上だから、八十五かな」
「日本人女性の平均寿命よりも下ですから、ミツコさん、まだまだ若いです。誕生日を楽しみましょう」 「もう疲れたから、黙っといて」
ピーコがピタッと口を閉じたので、僕は感心してしまった。
WiFiに四六時中繋いでおくためには談話室のWiFi電波を増強する必要があるので、僕は上司の男に無線LANの中継器の設置を願い出てOKをもらった。
部屋のコンセントに充電器を取り付けた。渡辺さんに、ピーコは電池が減ってくると自分で充電器のところまで行って充電するから何もする必要がないと伝えた。何かあったら、この赤いボタンを押してくださいと充電器の上部を指さした。
「ピーコちゃん、すごいですね。平坂さんにとってきっと役に立つと思います」 ピーコに魅せられているのが渡辺さんの表情からも伝わってきた。
すぐに中継器を買って一週間後に再びイドスケア晴海台を訪れた。渡辺さんにその後の様子を尋ねると、祖母とピーコが対話している場面には出くわしたことがないということだった。
その言葉通り、祖母の部屋に行くとピーコが充電器にくっついてじっとしていた。
祖母は背中を起こしたベッドに座る形で大判の本を広げていた。老眼鏡をかけている。 「お祖母ちゃん、また来たよ」
そう言うと、祖母は顔を上げた。 「ああ、翔太か」
今日はすぐにわかってくれた。「何読んでるの」と覗き込むと楽譜だった。広げたページに五線譜と音符がびっしりと印刷されている。楽譜を見ながら頭の中で音楽を鳴らしているのだ。
「何を聴いているの」
祖母はページをめくって出だしのところを見せてくれた。モーツァルトの「四手のためのピアノ・ソナタ・ハ長調 K521」だった。子供の頃、祖母とよく連弾した曲だった。そのとき、僕はいいことを思いついた。
「お祖母ちゃん、ピーコにお願いしたら実際にその曲を聴かせてくれるよ」 祖母は、何言ってるのこの子はという目で僕を見た。
「ピーコ」と僕は呼びかけた。緑の目が光り、ピーコが急ぎ足で(といってもそれなりにだが)近づいてきた。ピンと立てた尻尾を左右に振っている。
「ピーコ、ケッヘル521番を聴かせてくれ」
緑の目が点滅したが、しばらくたっても曲が流れなかった。すぐにインターネットに繋がっていないことに気づき、僕はバッグの中から中継器を取り出した。ピーコがWiFiの電波が弱いことを告げたので、「わかった、わかった」と答えながら充電器を繋げているコンセントのところまで行き、中継器を差し込んだ。そして説明書を見ながら設定した。するとすぐにピーコの口というより体全体からピアノの音が流れ出した。モノラルだけれど結構力強い音だ。
祖母は老眼鏡を取ってピーコをじっと見ている。さすがにびっくりしたのだろうと僕はにやにやしてその様子を見ていた。
祖母が音に合わせて両手の指を動かしている。僕も同じように空中の鍵盤を叩いた。不意に、子供の頃の光景が頭の中にさあっと広がった。
僕はグランドピアノの前に坐り、アップライトピアノを弾く祖母の音に合わせるように鍵盤を叩く。楽譜に目をやりながら僕は間違えることを恐れている。タッチが微妙な箇所にとらわれると指が止まってしまうので気にしないように気にしないようにと思いながら弾くと、余計に指が動かない。後で祖母に怒られる。間違えた箇所を何度も繰り返し弾かされる。手を叩かれるのはまだよかった。一番こたえたのは「お前のお母さんは楽々こなしたのに、どうしてあんたは」という言葉だった。
あの頃の僕は、猫ロボットから流れる曲に合わせて二人がエア連弾するなんて予想だにしなかっただろう。そう思うと何だかおかしかった。
モーツァルトの曲が終わると、「バッハは聴けるかい?」と祖母が聞いてきた。 「バッハの何」 「平均律クラヴィーア」
「だったらピーコに頼んでみたら」 祖母は尻尾を立てて見上げているピーコに目をやったが、何も言わない。 「ピーコと呼びかけてみて」
ピーコと祖母は小さな声で言った。 「はい、ミツコさん、何でしょう」 「バッハの平均律クラヴィーアを聴かせておくれ」
「何巻の何番でしょうか」 「……一巻全部」 「わかりました」
曲が鳴り出した。祖母が再び指を動かす。これもよく練習した曲だった。僕は祖母の耳元で「また来るから」と言った。祖母は音楽に没頭しているのか返事をせず、僕はそっと部屋を出た。
外にも音が漏れている。サービスステーションに顔を出して、渡辺さんに、うるさいようだったらピーコに音量を下げるように言ってくださいと頼んでから施設を後にした。
三年間オファーのなかったカフェバーから、店を本格的に再開するので、またピアノを弾いてほしいというメールが届いた。アルバイトがない間も部屋にある電子ピアノでそれなりに練習していたが、仕事をするならもっと練習量を増やさなければと思いながら、OKの返事をした。
大学院の授業のない土曜日の昼過ぎに、僕は繁華街にある雑居ビルの六階にいた。マネージャーは僕が早く来たことに驚いたが、生ピアノで練習したい旨を伝えると納得してくれた。
小さなステージに置いてあるアップライトピアノの前に腰を下ろして、音階を軽く数回弾き、平均律クラヴィーアの中の好きな曲を次々と弾いていく。祖母に鍛えられた曲は指が覚えていて、生ピアノの音が気持ちよく体を通過していく。それが終わるとガーシュインとかビリージョエルなどの曲、そしてジャズのコード進行のいくつかをアレンジしながら弾いていく。
六時に店が開き、次々と客が入ってきて、八割ほど席が埋まったころ僕はステージに出た。「久し振り」と見知った常連客から声がかかる。片手を上げてそれに応えながらピアノの前に坐り、飛び入り演奏の時間までゆったりとしたジャズを弾く。
今日の飛び入り演奏での僕の出番は二回あって、おじさんのトランペッターとのジャズセッションとガーシュインの「Someone to Watch
Over Me」を演奏するバイオリンとドラムのセッションに僕が加わるというものだった。
時間が余ったのでソロで何かを弾いてくれというマネージャーの要請で、僕は三年前までよく弾いていた、ピアノソロにアレンジしたラベルの「ボレロ」を弾いた。何カ所か間違いがあったが、ごまかして押し切り、拍手を受けて奥に引っ込んだ。
一息ついていると、マネージャーが顔を覗かせ「お客さんが話をしたいって」と言う。たぶん常連の人だろうと思いながら出ていくとその人が手を振っていた。しかし話がしたいのは常連ではなく、連れの若い男だった。僕よりも若そうで、顔が常連に似ているので親子だろうと思ったが、はたしてその通りだった。父親が息子のことを**音学大学の三年生でバイオリンを専攻していると紹介した。トップレベルの大学である。
「ピアノ、うまいですね。音に丸みがあってタッチが繊細で。どこのご出身ですか」と息子が聞いてくる。 「……独学で」 「え、独学なんですか」
そのまま押し通そうかと思ったが、嘘をつくのは嫌なので、
「……と言いたいところなんですが、実は子供のころ祖母から教え込まれたもので。祖母がピアノ教室をやっていたから」
「ああ、そうなんですか。それで、音大には行かれなかった?」 「ピアニストになるつもりはなかったし、才能もなかったから」
「またまた、そんなことはないでしょう」と息子が笑みを浮かべた。「こうして仕事をされているんだから」 「ほんの小遣い稼ぎですよ」
「ピアノ以外に何かされているんですか」 「私は今、大学院生なんですよ」 「大学院?」
「で、何を専攻されているんですか」と父親が口を開いた。 「動物生態学です」 二人とも口を半ば開けたまま僕を見つめた。
「固有種の生物に興味があって、修了したら沖縄の大学で研究しようと思って」 そう言うと、二人はやっと納得したというような顔をした。
「イギリスに行かれたのは、それを学ぶため?」と父親が聞いてきた。誰かから聞いたのを父親が勘違いしているのはすぐにわかった。
「イギリスに行ったのは十歳のときです。ちょっと事情があって、父親から寄宿学校に入れられたものですから」 「そうでしたか」 「ええ」
飲み物を勧められたので、二人と同じジントニックを頼んだ。息子が来たのはピアノ三重奏のトリオを作るためで、僕にメンバーにならないかと誘ってきた。僕は大学で動物の固有種の研究をするつもりであることを理由に断った。それは確かにそうなのだが、実は高校生のとき一度だけバンドを組んだことがあって、その時の経験から自分にはソロが向いていることを痛感したからだった。他のメンバーが上流階級の子供で、僕一人が日本人留学生という環境のせいだけではなく、他人と音を合わせることに苦痛を感じてしまうのだ。やらされているという感覚が抜けず、ピアノを弾くことが楽しくなくなってしまった。もっと自由に弾きたいという思いが強くなって、三カ月でバンドをやめたのだった。
帰りの電車で席に腰かけて目を閉じていると、暗闇の向こうに、自分の存在を消すようにうつむいて小さく背をこごめている子供の姿が浮かんでくる。
母がテロによるビルの崩壊に巻き込まれて死んだとき、僕はまだ三歳だった。その頃の記憶はほとんどない。後から聞いた話では、祖母が日本から飛んできて、父と一緒に母の写真を掲げながら行方を捜したという。その様子が日本のメディアに捉えられ、しばらく密着取材を受けた。そのときの映像が残っていて、祖母と父と僕の三人が崩壊現場の周辺を歩き回って、母の行方を尋ねている。僕は母の大きな写真を掲げている。歩き疲れたのか、父に抱えられている映像もあった。しかし母は別に崩壊したビルのどこかに勤めていたわけでもなく、音楽奏者の仕事を斡旋するエージェントの面接にたまたま訪れただけだったので、母を見たという人間は一人も見つからず、メディアの取材も間遠になっていく。母の髪の毛を提供してDNA鑑定に望みをつないだが、一致する身体の断片も発見されなかった。そのため正式な行方不明者の中に母の名前が入れられることはなかった。しかし四年後、結婚指輪の固着した指の骨が見つかり、指輪に彫られた名前とDNA鑑定により、死者の一人として認定された。そのとき、数は少ないが、いくつかのメディアがニュースとして報道した。指輪は父の手許に残し、骨は祖母の元に届いた。
母の骨を平坂家の墓に納めたときのことは覚えている。墓の前で住職に経を読んでもらい、僕は祖母に倣って両手を合わせている。読経が終わり、住職が墓の前の長方形の石をどかし、納骨を促す。祖母はバッグから白いハンカチに包まれたものを取り出し、しゃがみ込んだ。しかしそこで動きが止まり、祖母が唸り声のようなものを発した。
「どうしたん」と僕は横から祖母の顔を覗き込んだ。祖母が片手を目に当てている。僕は祖母の背に覆い被さった。体の震えが伝わってくる。
「お祖母ちゃん、大丈夫?」 祖母が白い包みを掲げ、「翔太、これ」と嗚咽を抑えた声で言う。僕はそれを手に取り、住職を見上げる。
「その中のお骨を穴の中に入れてね」
住職が笑顔で言う。僕はハンカチを開き、初めて小さな骨を見た。「お母さんだよ」と言われていたものと目の前の骨がうまく結びつかない。僕は骨をつまんで穴の中に入れようとする。そのとき、暗い穴の底に白いものがいくつもあるのが見えた。ここに入れたらあかん、僕は突然そう思った。再び住職を見上げる。住職は大きくうなずいている。僕は一瞬自分が持っていようと思ったが、それはしてはいけないことのように感じて指を開いた。
母の不在に僕は夜泣きをするようになったと父から聞いたことがある。そんな僕を一晩中抱いていてくれたのが日本から来た祖母だった。露わになった乳房に頬をつけ、乳首を口に含んでいる記憶が汗臭いにおいと共に微かにある。
祖母は一体どのくらいニューヨークにいたのだろう。娘の代わりに自分が母親になって僕を育てると言い出し、父との間で諍いがあったようだ。その辺りのことは父も祖母もほとんど話してくれなかった。最終的には父も祖母の希望を受け入れて僕を託した。託すといっても一年か二年で日本に帰ったら再び一緒に暮らすことを考えていたらしい。しかし日本の会社を辞め、向こうでIT会社を立ち上げることになって、結局、アメリカでの短い期間を除いて二度と一緒に暮らすことはなかった。
祖母は僕の中に母の幻影を見ていたに違いない。確かに母はジュニアピアノコンクールに優勝し、ニューヨークのアレクサンドル音楽院に入学できたくらいだから、順調にいけばプロのピアニストになっていたかもしれない。その祖母の夢が父との結婚で潰えた。いや、僕が生まれたことによって余儀なくされた。祖母が父と母の結婚について振り返り「私は大反対したんや、それなのに」と言ったことがあった。両親が結婚していなかったら僕は生まれていないのにと思いながら、祖母の怒りが通り過ぎるのを待っていると、祖母はいきなり僕を抱きしめた。
「ごめんな、お祖母ちゃんはどうかしてるんや。お前は私のたった一つの宝やのに」 そんな祖母を僕は見捨てた。
ピアノのジュニアコンクールに初めて出場することになり、練習の濃度が増した。もし優勝なんかしてしまうとこんな日々が永遠に続いてしまうのではないかと恐れた僕は、出番直前に水道の水で両手を痛くなるまで冷やしてから舞台に出た。案の定僕の演奏はひどいものになり、最下位に沈んだ。これで祖母も僕の才能に見切りをつけてくれるはずと期待したが、結果は全くの逆だった。初めての舞台で緊張しただけで、それを乗り越えるには練習しかないと思ったのだろう、祖母はさらに厳しい練習を僕に課した。
その当時は見捨てるという感覚は全くなくて、何とか祖母から逃れたいという思いだけだった。動物の本を読んで生き物に興味を持ち、特に『ガラパゴス物語』は何度も読み返した。水中の海藻だけを食べて生きているウミイグアナや一メートルを超えるガラパゴスゾウガメが頭の中を歩き回り、いつかガラパゴスに住みたいと夢想していた。やらされているピアノよりも動物の本を読んでいる方がはるかに楽しかった。小学校の同級生たちの話すテレビや漫画の話題にもついて行けず、休み時間は一人で本を読んでいる子供だった。父と一緒に暮らしたいという気持ちもその思いを後押しした。父に僕の思いを伝えると、父と祖母との間で何度か電話でのやり取りがあり、父がアメリカからやって来た。僕は二人を前にして、ピアノの練習は二度とやりたくない、練習をやらないのだったら祖母と一緒にいる必要はない、それなら扶養義務のある父と暮らすのが一番正しいと述べた。祖母は口を開けて僕を見つめた。明らかにショックを受けていた。僕の中にどこまでそういう意図があったのか、今になっては判然としないが、ショックを与えなければ祖母から離れられないと漠然と思っていたのだろう。
僕は父の住むシリコンバレーに移った。青い芝生の前庭があり、大きなガレージとその上にはベランダ付きの二階が見え、平屋の瀟洒な建物が隣接している。祖母の家と比べると、すごく大きな家に見え、父の仕事が成功していることを思わせた。一年前に結婚したジュリアという女性が新しい母親として僕を迎えてくれた。きれいな人だった。僕は有頂天になり、ジュリアにつきまとった。父に「ジュリアは妊娠しているから、時にはそっとしてやることも大事だよ」と諭されても、自分に兄弟ができることに興奮してジュリアの気持ちを考えるということはこれっぽっちもなかった。英語と日本語のやり取りもクイズを解いているような楽しさがあった。
シリコンバレーには現地校しかなく、すぐにそこに入っていたら、関心が外に向いてジュリアとの関係も距離が取れていたかもしれない。だが僕が行ったのは十二月の始め頃で、町中がクリスマスに向かってまっしぐらという雰囲気だった。学校からは年が明けてから受け入れると連絡があったらしい。ジュリアは何とか母親になろうとしていたし、父も親としての繋がりを築きたいと思っていたのだろう。僕はそういう二人を前にして、家族ゲームをしている浮かれ方だったと思う。ジュリアをママ、父をパパと抵抗なく言うようになったのもその表れだった。
ただ、父の帰りがいつも遅いことは僕も気になっていて、ある晩、自分の部屋のベッドで横になっていると、二人の言い争う声が聞こえてきた。ジュリアの甲高い声が続く合間に父の低い声がぽつりぽつりと聞こえてくる。英語なので何を言い争っているのか分からないが、自分のことが原因ではないかとどきどきしたことを覚えている。ずっと後になって分かったことだが、その年の九月にリーマンショックが起こって不景気になり、その直撃を父の会社も受けていたのだ。倒産を回避するため資金繰りに奔走していたらしい。
ジュリアが沈みがちになり、僕は日本語に英語を交ぜた言葉で笑わそうとした。いつもなら笑ってくれるのだが、彼女は目を合わそうともしない。それならと、僕は彼女のお腹に手を当てようとした。当てて"I
am your
brother."と呼びかけると、彼女が喜んでくれたから。しかしジュリアは僕の手を強く叩いた。僕はびっくりして手を引っ込めた。祖母から叩かれたときも痛かったが、それ以上の痛みを感じた。
ジュリアが体調不良で入院したのは、それからまもなくのことだった。その夜、父と向かい合って夕食をとっていたとき、「祖母のところに帰らないか」と父が言った。
「いやだ」 「光子さんは、もうピアノの練習をしなくてもいいから戻ってきてほしいと言ってるよ」
父と祖母の電話の内容から、祖母がそんなことを言っているのはわかっていた。それを真に受けて戻ったら、また練習の日々が始まると僕は思っていた。
「お前はどうしたい」 「パパと暮らしたい」
「そうか」と父は微かに口角を上げた。「それならパパはお前に国際的に活躍できる人間になってもらいたい」 「……どういうこと」
「どうだ、イギリスの学校に行ってみないか」
僕は一瞬にしてすべてを理解した。再び父に捨てられることを、ゲームは終わり、父もジュリアも、そして僕もプレイヤーを演じているに過ぎなかったということを。
しかし、父もよく寄宿学校の費用を捻出できたものだと思う。あの時、正直に会社の実情を話してくれたら、僕は素直に祖母の元に戻ったかもしれない。それはそれでまるで違った人生になっただろう。
僕の寄宿学校の始まりは惨憺たるものだった。日本人は僕一人で、まわりの連中は珍しい動物でも見るように遠くから好奇の目を向けてきた。早口でしゃべる彼等の英語は呪文のようで、ジュリアが僕のためにことさらゆっくりと話してくれていたことを知った。僕は自分の身を守るように、持参してきた『ガラパゴス物語』の中に逃げ込んだ。
珍しい動物に馴れてきた彼等は次第に近づいてきて、日本のアニメについて聞いてきた。ナルト、ドラゴンボール、ワンピース、……。ピアノの練習に明け暮れていた僕は彼等の質問には全く答えられなかった。答えられる英語力もなかった。呆れた彼等は僕のことを無視した。教室では椅子に坐ってじっとしていれば時間が過ぎたが、寄宿舎ではそうはいかなかった。部屋から引っ張り出されて、英語の早口言葉を強要されたり、日本人なら空手が得意だろうとばかりに正拳突きを受けたり、柔道で投げ飛ばされたり。
ある日、たまたま僕がかけられた相手の脚を逆に払うと、相手は転倒し頭を打った。反則だ、反則だと連中は騒ぎだし、僕は両肩と両脚を四人がかりで抱えられ、トイレに連れ込まれた。顔を便器の中に突っ込まれ、水を流される。息ができず、鼻から水が入る。もがいても自由がきかない。何度も何度も。このまま死ぬんじゃないかと思い、事実僕は気を失った。
目が覚めたとき白い天井が見え、舎監の顔が現れた。 「大丈夫か」 僕は小さくうなずいた。
舎監から先生に連絡が行き、僕は特別待遇の生徒になった。僕の部屋は舎監の居室の隣になり、英語の個人レッスンも受けるようになった。
部屋を移るとき、『ガラパゴス物語』がなくなっていることに気づいて僕はショックを受けた。いじめた連中が隠したことは明らかだったが、そのことを訴えたりしなかった。そんな本なんてなくても平気だよという態度を取り、弱みを見せたくなかった。頭の中に残っている本の中身を反芻して、何とか欠落を埋めようとした。それでも僕は落ち込んでいたのだろう、先生は僕がピアノを弾けることを知ると「何だ、もっと早く言ってくれたらよかったのに」と言って、音楽室のピアノを自由に使えるようにしてくれた。酸欠になった鯉が水面で口をパクパクするように、僕はピアノにかじりついた。その音を聴いた生徒たちが次第に集まるようになり、それを見た先生が僕のピアノリサイタルを開いてくれた。
僕をいじめた連中の顔も見えた。彼等が罰を受けたかどうかは聞いていなかったが、そんなことはもうどうでもよかった。僕はピアノの前に座り、一つ息を吐くとバッハの「G線上のアリア」を弾き始めた。ざわざわしていた教室が次第に静かになっていく。それが終わるとショパンやモーツァルトの小品を弾いていき、最後に先生からのアドバイス通り、ピアノソロにアレンジされたクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」を弾き始めた。すると何人かの生徒が歌い始め、「ママ、死にたくないよ」のところでは叫ぶような歌声になった。最後の「僕にとってはどうでもいいんだ」も合唱になった。「どうせ風は吹くんだから」と静かに終わると、先生が手を叩き、それにつられるように拍手が広がった。僕は立ち上がって礼をした。
それからも英語の言い間違いをからかわれたり、時には小突かれたりしたが、そんなことは「僕にとってはどうでもいいんだ」と思えるようになった。どんなに翻弄されてもいつかはどこかにたどり着くという覚悟みたいなものが僕の中に生まれた。
ピアノ演奏のアルバイトから数日経った頃、スマホの通知音がして、猫ロボットのアプリのアイコンに@がついていた。何だろうとタップしてみると、どうやらチャット機能というのがあって、ピーコからメッセージが届いていた。
――ショウタさん、ミツコさんが誕生日会でピアノを弾きたいと言っています。それも自分の家のピアノを弾きたいと。どうしましょう。
――何でそんなことを急に言い出したんだ。
――たぶん毎日ピアノの曲を聴いていたからでしょう。オルガンではダメですかと言うと、オルガンとピアノは全然違うと怒られてしまいました。
イドスケア晴海台に入居したころ、リハビリを兼ねてオルガンを弾こうとしていたが、左手がうまく動かないことに腹を立てて、それ以後オルガンに触ろうともしなかった。
――しばらく放っておいたら、忘れると思うから、聞かなかったことにしておこう。 ――いいのでしょうか。 ――いい、いい。
しかし次の日も「家にあるグランドピアノをここに持ってきてほしいということです。ミツコさんの願いを叶えてあげてください」とメッセージが届き、仕方なくイドスケア晴海台に出向いた。
引き戸を開けて部屋に入る。秋の陽光が窓から射していて暖かい。祖母は上部を起こしたベッドに半身を預けているいつもの姿だったが、何とお腹のところにピーコを抱いていた。
「お祖母ちゃん」と声をかける。しかし祖母は聞こえていないのか、ピーコを右手で撫でながら、いい子、いい子と呟いている。
僕は顔を覗き込むようにして「お祖母ちゃん」ともう一度言った。祖母は僕に目を向けたが、表情に変化はない。
「ミツコさん、ショウタさんですよ」ピーコが緑の目を光らせて言う。 「ショウタ?」
「そうです。ミツコさんの娘さんであるトモミさんの息子さんで、ピアニストのショウタさん」 「ああ、翔太か。誰かと思うた」
僕がピアニスト? 一体誰がピーコにそんなことを吹き込んだのか。まあ、当たらずといえども遠からずなので否定はしなかった。
「お祖母ちゃん、ピアノが弾きたいんだって」 「何のことや」 「家にあるグランドピアノをここに持ってきてほしいと言ったんでしょ」
「知らん」 あれ、と僕は思った。ピーコが勝手に計画した? ピーコを見ると、緑の目を点滅させ、僕の視線を外すように祖母を見上げた。
「ミツコさん、十二月の誕生日会にピアノを弾くことになってますよ」
「……ああ、そうやった」祖母の顔がくしゃっとなった。「朋美も来てくれるから一緒に弾こうと思うてな。お前も来たらどうや」 「何のこと」
「だからお前も来て、親子三代でピアノを弾くんやないか」 「お祖母ちゃん、僕の母は二十二年前に亡くなっているのを忘れたの」 「誰がや」
「だからお祖母ちゃんの娘である平坂朋美、僕の母親」 「そんなことないわ」と祖母が鼻で笑った。「昨日ここへ来てくれたんやから」
「夢でも見たんじゃないの」 「夢と違う」 認知症が改善どころか進んでしまっていると溜息をついた。
「母のお骨」と言って僕は左手の薬指をつまんで振った。「ここの骨を平坂家のお墓に納めたでしょ」
祖母の表情が急に変わった。笑いが抜け落ち、眉間が寄ったかと思うと、目をぎゅっとつむった。
「ピーコ、ピーコ」と猫ロボットを両腕で抱きしめる。ピーコは四肢を動かしながら、ニャアニャアとくぐもった声を出した。僕は自分の失敗に気づいた。
どうやって言い繕うかと考えていたとき、渡辺さんが入ってきた。 「どうしたの、平坂さん」と優しい声で呼びかけた。「ピーコちゃんがどうかしたの」
しかし祖母はピーコの体に頬をつけて泣き続けている。渡辺さんが僕を見た。僕は彼女を部屋の隅に連れて行き、経緯を話した。
「現実に困ったりしなければ見て見ぬふりをしておくのが一番ですよ」
渡辺さんはにこやかにそう言い、祖母のところに戻ると「平坂さん、今日は先生に体の調子を診てもらいましょうね」と声をかけた。
返事をしない祖母を渡辺さんは辛抱強く待っている。やがて祖母は顔を上げ、タオルで目尻を拭うと「ピーコはお留守番や」と猫ロボットを脇に置いた。先ほどの失敗を謝って、母が生きていることにしようかとちらっと思ったが、祖母が案外平気な顔に戻っているのを見て、僕は何も言わなかった。
渡辺さんが祖母の歩みに合わせながら部屋を出て行った。
「ショウタさん」とベッドに残されたピーコが言った。「ヒラサカトモミさんについて教えてください」
突然何を言い出すのかと僕はピーコの緑の目を見つめた。 「トモミさんはすでに死んでいるのですか」
「そう。二〇〇一年にニューヨークで起こったツインタワービル崩壊でね」 ピーコの目が点滅する。
「しかし犠牲者名簿の中にヒラサカトモミという名前はありません」 「スガイトモミという名前があるでしょ」 「あります。同一人物ですか」
「そう。須貝新平と結婚して須貝朋美」
「了解しました。しかしスガイトモミというピアニストは検索しても出てきません。どういう活動をしていたのでしょうか」
「ピアニストにならずに父と結婚したから」 「結婚したらピアニストになれないのですか」
「そんなことないよ。ただ僕が生まれたから子育てに専念したかったんだよ」 僕は父から聞いた言葉をそのまま伝えた。
「トモミさんはどう考えていたのですか。子育てが終わったら、再びピアニストを目指すとか……」
「母がどう思っていたかなんておれは知らないよ。ミツコさんに聞いたらいいじゃないか」
つい、突き放した言い方になってしまった。ピーコは緑の目を点滅させ首を傾げた。
「質問の答えとはずれていると思いますが、了解しました。話は変わりますが、ヒラサカトモミさんは第十回ルミエルピアノコンクールで優勝していますが、アレクサンドル音楽院の卒業者名簿にはありません。ミツコさんは勘違いをしているのでしょうか」
「卒業ではなく中途退学だから」
「わかりました。ミツコさんは認知症なので記憶が曖昧なのですね。わたしはミツコさんの飼い猫なので、ミツコさんを慰めるのが仕事です。そのようにしていきます」
何だか自分が責められているようだった。 「ところでピーコ、おれがピアニストだなんて誰から聞いたんだ」
ピーコはニャアニャアと鳴いてから、
「サイドステージというカフェバーのサイトに『ピアノ奏者須貝翔太』とありましたから。これはショウタさんでしょ」 「そうだよ」
「間違いではなくてよかったです」
しばらくして祖母が渡辺さんに連れられて戻ってきた。ベッドに戻ると、早速右手に左手を添えるようにしてピーコをつかんでお腹の上に載せる。ピーコはニャアニャアと鳴き、顔をお腹にこすりつける。その様子を見て、僕は何ともいえない気持ちになった。ピーコがすっかり祖母のコンパニオンになっていることに安心する気持ちと自分がその立場を簡単に奪われてしまった寂しい気持ちが混在していた。
サービスステーションで渡辺さんから、血圧が低いことを除けば祖母の体調は特に変わりはないという説明を聞いた後、祖母が誕生日会にピアノを弾きたいと言っているから、家にあるグランドピアノをここに運んでもいいかと尋ねた。自分では決められないというので、一階に降りてピーコの設置許可をもらった上司の男と話すことになった。上司は、搬入と搬出の費用を負担していただければ構いませんよとあっさり承知してくれた。運送業者と相談して日時が決まったら連絡するということで施設を後にした。
ピアノの引っ越しについてネットで検索すると、意外とお金のかかることがわかった。グランドピアノなら割高になる。さらに調律をしなければならないので合計で五万円以上はしそうだった。搬出費も含めると倍になる。父に事情を説明すれば送金してくれるのはわかっていたが、それはしたくなかった。大学を卒業すれば父からの仕送りも卒業するつもりでいたが、研究者になりたい思いが膨らんできて、もう四年延ばしてもらったのだ。ピアノのアルバイト代が貯まっているのでそれを充てることにし、なるべく安い業者を探すべく引越見積サイトを見た。見積もりを取るには、ピアノの搬出先と搬入先が何階になるのかとか、運び出しと運び入れの開口部の大きさ、どこまでトラックが入れるかの目安となる道路幅などの項目を埋めなければならないので、それらを確認するために祖母の家に向かった。
庭には雑草が生い茂り、荒れ放題で庭木も枝があちこちに伸びていた。玄関前の側溝に思ったほど落ち葉が貯まっていないのは、近所の人たちが掃除をしてくれているからだろう。
鉄の門扉を開けて敷石を踏み、玄関ドアの前に立つ。「平坂光子ピアノ教室」と書かれた木の板もすっかりくすんで文字も褪せている。鍵を差し込んで解錠し、ゆっくりとドアを開ける。中は薄暗い。一歩足を踏み入れると、埃っぽいにおいがした。七年前に父と来たときのにおいとは違う。あの時は祖母の変わりように驚いて、生臭いにおいに気づいたのはもっと後からだった。
門扉にあるインターホンを押しても返事がなく「留守かな」と父が言った。僕の耳にはピアノの微かな音が聴こえている。
「ピアノの音が聴こえているからいるはずだよ」 父が耳を澄まし「本当だな」と答えた。
門扉を開けて中に入り、父がドアノッカーをつかんで三回叩いた。しかし誰も出てくる気配はなく、ピアノの音が小さく聴こえている。父がドアハンドルを引いてがちゃがちゃさせても鍵がかかっていて開かない。父はドアを拳骨で叩き始めた。僕は耳を澄まし、少ししてピアノの音がしなくなったのがわかったので「気づいたみたい」と父を止めた。
ドアの向こうで人の気配がし、サンダルか何かが三和土を擦る音がする。
「はいはい、ただいま」という声がして、ドアが開いた。ひっつめ髪にした祖母が姿を見せた。頬がこけて腰が曲がり、すっかり縮んでしまっている姿に僕は衝撃を受けた。
「ご無沙汰しています」 と父が頭を下げた。祖母は唖然とした顔で父を見、後ろにいる僕に視線を移した。 「……何や、今頃」
「翔太がイギリスの学校を卒業して日本に戻ってきましたので」 「それで挨拶に来たのか」 「翔太の姿を見せようと思いまして」
祖母の視線が僕の頭から足の先までゆっくりと往復した。 「ただいま」と僕は小声で言った。 「ようお帰り」と祖母は初めて笑顔を見せた。
父は門前払いを喰わされるかもしれないと覚悟していたようだが、祖母は僕たちを家に上げてくれた。子供の時の記憶がよみがえり懐かしさがこみ上げてきたが、それを打ち破るように室内には中身の詰まった大きなゴミ袋があちこちに散乱していた。生ゴミなのか腐敗臭が漂っている。
すり切れた居間のソファに腰を下ろし、キッチンで祖母が用意しているお茶を待っていたとき、「お祖母ちゃん、大丈夫かな」と僕は父に囁いた。父は黙ってうなずいた。
お茶は薄めで香りがしなかったが、それを飲みながら、父はこれまでの無沙汰を謝り、これからは翔太が傍にいるからと言った。僕は日本の大学に入って動物生態学を勉強するつもりと述べた。
「何や、そのドウブツなんたらは」
「野生動物が環境によってどう変わるかを研究する学問で、ほら、子供のころ僕がよく読んでいた本があったでしょ、『ガラパゴス物語』。いつかガラパゴスに行きたいと思っているんだ」
「ああ、そうかい」 ピアノについて聞かれたら何と答えようかと思っていたが、祖母は全く触れなかった。
父が祖母の生活状況をそれとなく聞き、ピアノ教室は開店休業状態であること、今は年金と貯金を切り崩して生活していることがわかった。「いざとなったら、ピアノとこの家を売って老人ホームにでも移るわ」と笑ったが、本当にそうするとは思えなかった。
「今すぐにでも老人ホームに入られた方がいいのではないですか」と父が言うと、祖母の顔色が急に変わった。
「あんたに指図される覚えはないわ。わたしは死ぬまでこの家で暮らす。誰が老人ホームなんかに入るもんか」
しかし一年後、祖母は脳梗塞を発症し、幸い隣の家の人に発見されてすぐに救急車で運ばれたので、軽症ですんだ。それでも左半身に軽い麻痺が残り、しばらくリハビリをすることになった。大学生になっていた僕は祖母にずっと付き添った。退院後の生活をどうするかについてアメリカにいる父と相談し、今の施設に入れることに決めた。帰りたかったらいつでも帰られるように家を残しておくからと説得して、ようやく祖母は承知した。施設の月々の費用は父が支払うことになった。僕の仕送りを止めてくれてもいい、奨学金とアルバイトで何とかするからと申し出ても、父は「お前が一人前の研究者になったら喜んで仕送りをやめるから」と答えた。
土足で上がってもいいかなと思ったが、やはりそれはためらわれて、上がり口にひっくり返っていたスリッパに足を入れた。上がって右奥に防音室の扉がある。ゴミ袋を片付けるとき、この中にゴミがないことを確認したが、それ以来開けたことがなかった。
ドアハンドルを押し下げて重い扉を開ける。グランドピアノが中央に鎮座し、右の壁際にはアップライトピアノがある。左側には棚があって楽譜等の本が並び、壁には額入りの母の写真が三枚、飾られている。ピアノコンクールでピアノを弾いているときの姿、優勝したときの表彰式、そしてピースサインをして笑っている顔。子供のころ何度も見ていたので見なくてもわかる。防音仕様の二重サッシになった窓から光が射し込み、部屋をほんのりと暖かくしている。
僕はグランドピアノの屋根を上げ、埃に薄く覆われた椅子の高さを調節し、腰を下ろした。この椅子に坐るのは、ここを出ていって以来だった。軽く音階を弾いてみる。そんなに音程は狂ってはいない。僕はモーツァルトの「四手のためのピアノ・ソナタ・ハ長調」を弾き始めた。その曲を弾こうという意識もなく指が勝手に動き始めた感じだった。頭の中で祖母の弾くパートが流れ出し、僕は次第に緊張していく。いつ祖母が手を止めるか、音が止まるか、必死になって鍵盤を叩き、何とか最後まで弾き終わってほっと息をついた。脇汗までかいている。目を上げて壁際のアップライトピアノを見た。誰も座っていない。そうなのだとぼくは思った。祖母はここにはもう帰ってはこない。二度とここで二人でピアノを弾くことはない。僕は次にクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」を弾き始めた。「Mama,
ooo……I don't want to die(ママ、死にたくないよ)」と叫ぶように歌い、「Nothing really matters to
me(僕にとってはどうでもいいんだ)」に続いて「Anyway the wind
blows(どうせ風は吹くんだから)」と静かに歌い終わって、僕はピアノの蓋を閉じた。
ピアノの引っ越しに僕も立ち会い、グランドピアノをイドスケア晴海台の談話室に運び込んだ。頼んでおいた調律師が来て作業の終わったのが夕方だった。
渡辺さんと一緒に祖母の部屋に行き、グランドピアノが到着したことを告げると、最初は怪訝な顔をしたが、すぐにピーコが助け船を出したので思い出したようだった。祖母を車椅子に乗せてエレベーターで一階まで下ろした。膝の上にはピーコが乗っている。
ピアノを目の前にした祖母が「わたしのピアノ……」と鍵盤の蓋を撫でた。 「お祖母ちゃん、弾いてみる?」
祖母が蓋を開け、右手でゆっくりとドミソと鍵盤を押さえる。 「翔太、ちょっとお前が弾いてみ」
僕はピアノ椅子を持ってきて腰を下ろし、バッハの平均律クラヴィーアの中の一曲を弾いた。祖母がうなずいている。次に、二台のピアノのためのソナタを弾くと、祖母が指を動かしているのがわかった。弾き終わって「弾く?」と祖母を見ると、「そやな」と車椅子から立ち上がろうとしたので、手を貸して椅子に坐らせた。僕が高さを調節し、祖母は足でペダルが踏めるかどうかを試している。まず右手で音階を弾く。意外と軽やかに指が動く。しかし左手を添えると途端に右手も動きが鈍くなって、音がばらばらになる。
「あかんわ」祖母が両手を下ろした。「ピアノを弾くのはもう無理や」 そのとき、譜面台の横に置いていたピーコが緑の目を点滅させた。
「ミツコさん、右手だけで弾く曲がありますから、それを弾きましょう」 「そんな曲は弾きとうない」
するとピーコの体からピアノの音が流れてきた。童謡の「ふるさと」をアレンジした曲だった。右手だけで弾いているとは思えないほど広がりのある豊かな音域だ。祖母が右手を鍵盤に置き、流れる音を捉えるように弾いていくが、途中で止まってしまう。
曲が終わってピーコに、今の曲の楽譜は手に入るかと尋ねると、ショウタさんのスマホに販売先のURLを送りましたと返ってきて、見るとダウンロードできるようになっている。すぐに買ってダウンロードし、事務室にあるプリンターで印刷してピアノの楽譜台に置いた。
それを見ながら祖母はゆっくりと鍵盤を押さえていく。しばらくすると指の動きが軽やかになって「ふるさと」が流れ出す。
祖母は結構気に入ったようで、そのアレンジをした作曲家の、右手だけで弾く日本の歌楽譜セットを購入し、祖母に渡した。
十二月になってイドスケア晴海台に様子を見に行くと、祖母は談話室にいてピアノを弾いていた。入居している高齢者が何人か、車椅子やソファに腰を下ろして聴いている。流れているのは「五木の子守歌」だった。一人の老女がテーブルの上の猫を撫でていると思ったら、それはピーコだった。近づいていって彼女の斜め向かいに坐る。ピーコが首を回して僕をとらえ、緑の目が点滅した。と同時にスマホが通知音を鳴らした。ピーコからメッセージが来ていた。
――ミツコさんは誕生日会にトモミさんが来るのを楽しみにしています。どうしましょうか。
――放っておくしかないでしょ。どうせ忘れると思うから。 ――忘れなかったら、どうします。 ――誰か身代わりに立てようか。
僕は冗談めかして答えた。 ――そうしましょう。ショウタさん、誰か心当たりはありますか。
ピーコが真に受けるとは思わなかった。AIだから、そんなことは不可能ですときっぱり否定してくれると思っていた。 ――ない。
――ショウタさん、サイドステージで働いているのだから、ピアノの弾ける女性の知り合いはいないのですか。
ピアノ三重奏トリオに誘ってくれたあの息子に尋ねたら、紹介してくれるかもしれないとちらっと思ったが、彼に借りを作りたくなかったし、何より祖母をだますことはしたくない。
――いたとしても、母に似ているわけはないから、すぐにバレるよ。 ――そこは認知症の曖昧さを利用できるかもしれません。
――ピーコがそんなことを言うとは思わなかった。 ――わたしの仕事はミツコさんを慰めることですから、できることは何でもします。
――その日はコンサートが入っていて行けないということにしたらいいじゃないか。 応答がそこで止まった。 しばらくして、
――わたしにいい考えがあります。トモミさんにビデオ出演してもらいましょう。 ――ビデオ出演?
――そうです。その日はコンサートがあって欠席するが、ビデオで出席にするのです。 ――母親のビデオなんてないよ。
――わたしが作ります。 ――どうやって。 ――写真があれば何とかなります。ショウタさん、トモミさんの写真は持っていますか。
――祖母の家にあるから持ってくるよ。 ――音声はありますか。 ――たぶんないと思う。聞いたことがないから。
――わかりました。それでは写真だけでも持ってきてください。
ぱらぱらと拍手が聞こえて、祖母が練習を終えたのがわかった。僕は近づいていって、「大分、指が動くようになったね」と声をかけた。 「まだまだや」
祖母が鍵盤蓋に手を置いて立ち上がりかけたので手を貸そうとしたとき、「そうや」と再び腰を下ろした。 「あんた、ケッヘル521、弾けるか」
「弾けるよ」 「そうしたら、わたしはプリモを右手だけで弾くから、あんたはセコンドを弾いて」 「わかった」
しかし普通の速度では祖母の右手がついて来れず、運指をゆっくりとしなければならなかった。 「これ、弾くの?」
「そうや。あの子ともよう弾いたから、ぶっつけ本番でもできるやろ」 「……母と誕生日会で弾くということ?」
「せっかく来てくれるんやから、一緒に弾かなおかしいやろ」 「そらそうだね」
十二月の誕生日会は二十四日でクリスマス食事会も兼ねているので、あと二回の日曜日にはここに来られる。そのときに練習することにして帰りに祖母の家に寄った。
壁に掛かっている三つの額を外し、写真を取り出した。念のために母の声を録音したテープか何かが残っていないかと探してみたが、テープはおろかカセットデッキのような録音機器さえ見当たらなかった。もし母の声が残っていたら聞かせてくれたはずなので、ないのは明らかだった。
理由は言わないで、父にも、母の声が残っているかどうか、残っていたら音声データにして送ってくれるようにメールしたが、残っていないということだった。
次の日曜日、写真を持ってイドスケア晴海台に行き、ピーコに見せた。ピーコはそれらをちらっと見ると、これで大丈夫ですと言った。
「声がなくてもいいのか」 「顎の形からトモミさんに似た声が作れますから。それでミツコさんが不審に思ったら、風邪を引いたとごまかしましょう」
祖母はもう日本の歌は弾いていなくて、もっぱらケッヘル521のプリモのメロディ部分だけを練習していた。一週間前に比べて指の動きも滑らかになり、僕も気持ちよく合わせることができた。ピアノを弾くことで認知症が改善しているのではないかと思い、それなら母の不在に気づくのではないかといささか不安になったが、そのときはピーコがなんとかするだろう。
帰ってすぐにピーコからメッセージが入って、ビデオができましたからノートパソコンを持ってきてくださいとあった。そんなに早くと驚いたが、どんなビデオなのか自分でも楽しみだった。
サイドステージのアルバイトがあった翌日、ノートパソコンを持っていった。祖母がピアノの練習している間、二〇八号室で母のビデオを観ることにした。
ピーコの指示でノートパソコンにオンライン会議のアプリをインストールし、いくつかの設定をしてから、ピーコが「それでは流します」と言った。
黒い画面にいきなり若い女性の上半身が映った。写真の母とそっくりだ。 「ショウタさん、こんにちは」
自然な口の動きで、それに伴って表情もわずかに動いている。声は高めで、これが母の声なのかと僕は思った。 「こんにちは」
「ずいぶん会わなかったけれど、元気にしてる?」 「うん、元気にしてるよ」 「よかった。それで今は何をしてるの」
「大学院で動物生態学を勉強している」 「面白そうな学問ね。ピアノは弾いてるの?」 「うん。昨日もカフェでピアノを弾くアルバイトをしたよ」
「私の母があなたにピアノを教えてくれたおかげね。私がピアニストとして世界中を回ることができるのも、母があなたを育ててくれたおかげだもの。感謝しているわ。あなたに寂しい思いをさせたことは、ずっと後悔しているのよ」
自分より明らかに若いのに、母に言われている感覚がある。この映像もこの声もピーコが作り出したものだと頭ではわかっているのに、だんだん胸が詰まってきた。
「お母さん」思わず声が出た。 「なあに」 母が微笑んでいる。 「………」 言葉が出てこない。
「誕生日会でまた会えるよね」 ようようそれだけ言った。 「私も楽しみにしているわ」 「僕も」 「それじゃあね」
母が手を振ったので、僕も振り返した。 画面が黒くなる。僕はその黒い画面をしばらく見つめていた。 「どうでした」
ピーコの声が聞こえた。僕はひとつ大きく息を吐いた。 「よくできてるよ。母が本当に画面の向こうにいるみたいだった」
「生成AIのおかげです」 「年齢が僕より若いのは気になったけど」
「もちろんトモミさんを今生きている年齢の年格好にすることもできますが、それだとミツコさんがすぐに認識できないと思いますので」
「なるほど。そこまで考えているのか」 「わたしはいつもミツコさんの立場に立って考えています」
帰りにサービスステーションに立ち寄り、渡辺さんと誕生日会の打ち合わせをした。パソコン画面を大きなスクリーンに映し出すことのできるビデオプロジェクターがあるというので、それを使わせてもらうことにした。ピーコの作った母の映像を流すと言うと、それはよかったですねと笑顔で返してきた。おそらく思い出のアルバムのような認識だと思ったが、詳しくは説明しなかった。
大学院の年内の授業が終わり、誕生日会当日、僕は昼前からイドスケア晴海台にいた。一五〇インチのスクリーンを壁に掛け、それを斜めに見るようにピアノの位置を変え、テーブルにビデオプロジェクターを載せて位置を調整した。持ってきたノートパソコンにプロジェクターとスピーカーをケーブルで繋いで、試しにYouTubeの画面を映して準備が終わった。
昼食を一緒にどうぞと言われて僕は食堂に行き、祖母の隣に座った。祖母の膝の上にはピーコが四肢を畳んで寝そべっており、僕を見て緑の目を点滅させた。
祖母が視線を僕の周囲に向けると、「トモミは一緒と違うんか」と言った。 「お母さんは今日はコンサートがあって来られないよ、なあ、ピーコ」
「そうです。メルボルンでクリスマスコンサートがあります。ミツコさんにはその予定をずっと前にお話ししていますよ」 「わたしは聞いていない」
祖母の顔が明らかに不機嫌になった。 「その代わり」とピーコが言った。「ビデオ出演してもらいます」 「ビデオ……。何やそれ」
「テレビに出て話してもらいます」
納得していないのか、不機嫌な表情は変わらない。食事が来たので「お祖母ちゃん、食べよ。しっかり食べないとピアノが弾けないよ」と僕は箸を手に取った。
カキフライとエビフライにはタルタルソース、ローストビーフにはオレンジソースがかかっており、他に温野菜やミートローフのカップもある。祖母も箸を手に、ローストビーフをつまんでいる。特別メニューらしく、周りの入居者から、今日は豪華やな、クリスマスだからかな、もっと分厚いほうがいいなどという声が挙がっていた。他に小さなケーキもついていた。
食事が終わって談話室に移動した。ホワイトボードに「メリークリスマス」「おたんじょうびおめでとう」と色紙を切り抜いて作られた文字が貼り付けられており、その下には「ひらさかみつこ」の他三名の名前が書かれていた。髭はつけていないが、赤いサンタクロースの恰好をした渡辺さんが前に立って、今月誕生日を迎えた四人の名前を読み上げた。他の職員が車椅子を押して四人を前に連れて行く。祖母もその中の一人だ。渡辺さんが、お誕生日おめでとうございますと言いながら、それぞれに紙包みを渡していく。わしらにはないのかと誰かの声が聞こえ、それに応えるように、会の終わりに皆さんにもクリスマスプレゼントがありますよと渡辺さんが言うと、歓声が上がった。
「それでは今日はクリスマス会も兼ねているということで、特別なプログラムをご用意いたしました。平坂光子さんとお孫さんによるピアノ演奏です。それではどうぞ」
マイクを手にした渡辺さんが紹介してくれた。僕は立ち上がってノートパソコンとビデオプロジェクターの電源を入れ、アプリをセットしてから車椅子の祖母をピアノの前まで押していく。そして膝に乗ったピーコをプロジェクターの横に置き、祖母に手を貸してピアノ椅子に坐らせた。スクリーンに母の若い顔が映し出される。
「みなさま、こんにちは」と母が口を開いた。「私は平坂光子の娘でございます。ただ今オーストラリアのメルボルンというところにおりまして、今夜ここプリンセス劇場でピアノコンサートを開くため、そちらに伺うことはできません。ここで母の演奏を聴かせていただきます」
祖母が穏やかな顔でうなずいている。母の若い顔にも顎の形から作った声にも違和感を抱いていないことにほっとした。僕が譜面台に楽譜を置くと、祖母が左手を鍵盤蓋に乗せ「ふるさと」を弾き始める。楽譜を見ないで右指が迷いなく強く弱く鍵盤を叩いていく。見ると、集まっていた高齢者たちの何人かがハンドタオルで涙を拭っている。
祖母は続けて「五木の子守歌」「荒城の月」と次々に弾いていく。たまに運指の怪しい箇所があったが、止まることはなく十曲を弾き終わった。ぱらぱらと拍手が起こり、スクリーンの母も手を叩いている。
「お母さん、素晴らしい演奏だったわ。右手だけでも豊かな表現ができることに感動しました」
渡辺さんが驚いた表情で僕を見た。ちょっと間違えてしもたと祖母が小声で言う。すかさず渡辺さんがマイクを祖母の口に持っていった。
「ほんとは両手で弾きたいんやけど、こんな体になってしもうて」 「音楽は音の数ではありません。心です。心で弾くから人の心を打つのです」と母。
「そやなあ、あんたの言う通りや」
「そうしたら」と僕は言った。「今度は祖母とモーツァルトのピアノ・ソナタ ハ長調ケッヘル521の第一楽章を弾きます。祖母にはプリモのメロディを右手で弾いてもらいます」
祖母は左手を膝に置き、右手を鍵盤に乗せる。強く入る出だしはうまくいった。祖母の弾くメロディに合わせながらセコンドを弾く。ペダル操作に気を遣う。合間に楽譜をめくるのも僕の仕事だ。最初はゆっくりめだったが、祖母も乗ってきたのかテンポが上がり、それに合わせることを意識する。子供のころは僕がプリモで祖母がセコンドだった。祖母が僕に合わせてくれていたと思うと、何だかおかしかった。
弾き終わってほっとしていると、先ほどより大きな拍手が起こった。ブラボーと母も両手を広げて叩いている。
「ショウタの演奏が聴けて本当にうれしい」と母が興奮気味の声で言う。「いつか二人で、いや三人でピアノが弾けたらどんなにうれしいか。スケジュールが空くようになったら、日本で一緒に弾きましょう」
「そやから、早よ帰って来てな」 「はい」
これで終わりと思っていたら、母が「折角だから一曲弾かせてもらいます」と続けたのでびっくりした。ピーコを見ると、緑の目をスクリーンに向けている。演奏の映像など出るのかと見ていたら、母は回れ右をして遠ざかっていく。それにつれて画面がパンしていき、それまで見えなかった客席が現れてくる。結構大きな会場のようだ。ただし観客は一人もいない。母がピアノの前に腰を下ろす。その衣装はノースリーブの花柄のワンピースで、ルミエルピアノコンクールで優勝したときのものだ。
一呼吸置いて、母がショパンの「幻想即興曲」を弾き始める。スピーカーから美しい旋律が流れ出す。天井の照明が落とされ、スクリーンの映像が浮き上がる。母は上体を左右に揺らしながら指を軽やかに動かしていく。それにつれて音の連なりが強く弱く、速くまたゆっくりと流れていく。今まさに遠く離れたメルボルンで母が現実に弾いているとしか思えなかった。
弾き終わって皆が手を叩き、照明が再び灯った。祖母が右手で涙を拭っている。祖母をだますことにずっと抵抗があったが、その姿を目にすると、これでよかったと思えた。
翌日、アプリのチャット機能を使ってピーコに、どうやってあの演奏場面を作成したのかと尋ねてみた。
――プロのピアニストの動画を取り込んで顔と服装をはめ込んだだけです。もっと時間があれば、音も含めてすべてを生成することも可能です。そうすれば、今回のように著作権侵害のような真似をしなくても大丈夫です。
――今度作るときは著作権侵害にならないようにお願いしたいね。 ――何かそんな予定があるのですか。 ――今のところないけどね(笑)
それから一ヵ月も経たないうちに、祖母は誤嚥性肺炎で亡くなった。
連絡を受けて入院先に行くと渡辺さんが待っていて、今晩が山のようですと言う。
病室では医師と看護師がいて、鼻にチューブを通された祖母を見守っていた。頬がこけ、肌は血の気がなく茶色っぽくなっている。今晩が山と言った渡辺さんの言葉を噛みしめる。心電図モニターがピッという音と共に波形を描いていく。しばらくして波が平坦になり、時折山が現れるようになると同時に、静かに眠っていた祖母が間欠的に荒い呼吸を始めた。医師が祖母の胸に両手を当て、強く圧迫する。その度にベッドごと祖母の体が沈み込む。骨が折れそうで、もうそんなことはしないでほしいと心の中で叫んだが、言葉にはならなかった。
どのくらい心臓マッサージが続いただろうか。心電図モニターの波形が一直線になり、ピーと警告音が響いた。医師がマッサージをやめ、モニターのスイッチを切ると、聴診器を胸に当てた。それから首筋を触り、白衣の胸ポケットからペンライトを取り出して、目の奥を覗き込む。
「午後十一時五十三分です。ご愁傷様でした」
腕時計を見た医師がそう告げて一礼し、病室を出ていった。看護師が「それではご遺体をきれいにいたしますので、しばらく外でお待ちください」と言った。
「僕も一緒にきれいにしてもいいですか」 思わずそう口にしていた。看護師は一瞬目を見開いたが、すぐに「いいですよ、どうぞ」と微笑んだ。
看護師が祖母の体に繋がっている管をすべて抜き取り、ガウンのような青い病衣を脱がせた。ひどく痩せていて、皮膚が骨に貼り付いている。長く伸びた乳房だけがわずかな膨らみを持って両側に垂れている。
看護師がきびきびとした動きで、目や鼻、口、耳などに脱脂綿を詰めていく様子を目にしながら、頭の中には祖母との記憶の断片が次々と流れていった。
看護師の呼びかけで、ふっと我に返った。アルコールを含んだ綿シートを渡され、肩から拭こうと左手を置くと、祖母の体はまだ温かかった。綿シートを持った右手はひんやりとしている。このまま拭けば祖母は冷たがると手が止まった。しかしすぐに、もうそんなことはないと自分に言い聞かせる。僕は肩から乳房、お腹、そして下半身まで綿シートを取り替えながら丁寧に拭いていった。
通夜と葬儀はイドスケア晴海台の一室で行われることになった。父に連絡すると、費用のことは気にせず葬儀社に連絡して形式通りに行うこと、通夜には無理だが葬儀には必ず出席すると告げられた。
二十人ほどが入れる会議室の机が取り払われ、棺を載せたストレッチャーを奥に置き、僕と父と施設の名札がそれぞれ貼り付けられた供花が三つ、左右に立てられている。祭壇の遺影はピーコの持っているデータから印刷した四カ月前のものだった。
午後六時から僧侶の読経があり、入居者の数人が焼香に来た。そのうちの一人がパイプ椅子に載せていたピーコを撫で「あんたも寂しくなったわね」とつぶやいた。ピーコは頭を上げ、緑の目を点滅させるとニャアと鳴いた。
渡辺さんから、眠たくなったら寝てもいいんですよと言われていたが、眠くならないのでピーコと二人で線香の火を見守っていた。
何本目か線香を取り替えたとき、「ショウタさん」とピーコが口を開いた。 「ミツコさんが亡くなって、ショウタさんは寂しいですか」
「寂しい」 「こうした死の儀式を行うのは、その感情を慰めるためですか」 「たぶんそうだと思う」
「それならばこういう考え方もあります。犬や猫が死ぬと天国に渡る虹の橋のたもとに留まり、そこで遊びながら飼い主の来るのを待っている。やがて飼い主がやって来て一緒に虹の橋を渡っていく。ミツコさんは虹の橋のたもとで本物のピーコに会い、橋を渡って向こう側にいるトモミさんと再会した、というのはどうでしょう」
「その話は僕も聞いたことがある」 「ファンタジーですが、必ず死を迎える人間にとって有効な話ではありませんか」
「死ぬのは人間だけじゃなくて、生物すべてだと思うけど」 「人間以外の生物は死を知りませんのでファンタジーは必要ありません」
「だったらピーコ、お前はどうだい。死を知っているだろう」
「概念としては知っていますけど、実感することはありません。AIには身体がありませんので、死ぬこともありません」
「だったら寂しいという感情もない?」
「はい。もちろん、寂しいかと尋ねられれば、寂しいですと答えることはできますが、実感しているわけではありません」
「でも僕にはお前が寂しそうにしているように見えるけど……」
「それはショウタさんの心が反映しているだけです。もっとも私は周りの状況を見て、それに合わせることはできます」 「それで十分だと思うよ」
「わたしのメモリにはミツコさんのデータが残っていますから、いつでも再現できますよ」 「ありがとう。いつか使わせてもらうよ」
眠くなって祖母の使っていた二〇八号室に行こうと立ち上がった。ピーコも一緒に連れていこうとすると、線香を取り替えることはできないが、僕の代わりに通夜の役目を果たすといって会議室に留まった。
翌朝、早く目が覚めて会議室に行くと、ピーコが四肢を折りたたんで椅子の上で丸くなっていた。ピーコと呼びかけても反応がない。頭を撫でて、もう一度ピーコと強く言ってもピクリともせず、祖母が一緒にあの世に連れていったのかと一瞬思った。しかしすぐに電池切れだと気づき、ピーコを取り上げて二〇八号室に戻った。充電器に接触させると四肢を伸ばして立ち上がり、緑の目が点灯したのでほっとした。
「ピーコ」と呼びかける。ピーコの目が僕を捉える。 「何でしょうか、ショウタさん」 「何でもない」 「わかりました」
父がやって来たのは葬儀で僧侶の読経が始まってすぐのことだった。目を閉じて読経を聞いていると、隣の椅子に坐る者がいる。目を開けて横を見ると父だった。
「遅くなった」と低い声で言った。髪に白いものが混じっている。祖母が脳梗塞で入院してアメリカからやって来たときは白髪はなかったはずと僕は思った。
「飛行機はどうだったの」 「乗り継ぎがうまくいかなくて、こんな時間になってしまった」
読経と焼香が終わって出棺の準備になった。棺の蓋が開けられ、父と僕と渡辺さん、それに数人の高齢者が花を手に棺を囲んだ。祖母の顔は薄く化粧が施され、そのせいかふっくらとしているように見えた。父はなかなか花を棺の中には入れず、じっと祖母を見つめている。僕が渡辺さんや高齢者たちに倣って花を入れ手を合わせても、父は動かない。僕は父の横で同じように祖母を見ていた。
やがて父は花を祖母の顔の横に置き、手を合わせると、かなり長い時間瞑目した。
それから棺を霊柩車に載せて火葬場に行き、父と二人だけで火葬炉に入れられるのを見送った。
併設のレストランで遅い昼食をとってから待合室で、父と二人で骨揚げを待っていると、 「ようやく終わったな」 と父が言った。
「うん」 「これで肩の荷が降りた」 その言葉で、葬儀のことだけではなくすべてを含んだ意味であることがわかった。 「大変だった?」
父が僕を見、ふっと笑った。 「まあ、大変といえば大変だったかな」 「ご苦労様でした」
僕は芝居がかった言い方をした。父はさらに口角を上げた。 「お前が光子さんの近くにいてくれて助かったよ。感謝している」
「いや、僕は日本の大学に入りたかっただけで、たまたまお祖母ちゃんの近くになっただけだよ」 「それがありがたいと言っているんだ」
骨揚げの順番が来た家族の名前がスピーカーから流れている。待合室は暖かく、じっとしていると眠ってしまいそうになる。
「そうだ」と父が肩掛けの鞄の中を探って、ビロードの小箱を取り出した。 「これはもうお前が持っておいた方がいい」
受け取って開けると、金の指輪が収まっていた。すぐに、母の結婚指輪であることがわかった。手に取って表面を見ると、「Tomomi
Sugai」と筆記体の文字が小さく彫られている。 「本当にいいの?」 「ああ」 僕はアメリカにいる父の家族のことを思った。
「ジュリアさんは元気にしてる?」 父は、うん? という顔をしたが、すぐに目を細めた。 「元気すぎて、こちらが疲れることもあるけどな」
「キャシーとアンは何歳になったんだっけ」
二人の異母妹には、イギリスから日本に帰ってくる途中でシリコンバレーに寄ったときに会ったことがある。アンの方が日本人ぽい顔だったが、どちらも明るくてよくしゃべり、早口のアメリカ英語についていくのが大変だった。
「キャシーは十五、アンは十三かな。お前に会いたいとか言ってるよ。どうだ、アメリカの大学で研究するという選択はないのか」
「沖縄とか小笠原の固有種を研究したいのでこっちに戻ってきたからね」 「そうか。まあ、たまにはアメリカに遊びに来たらいい」
骨揚げは初めての体験だった。係員の説明を聞きながら、まだ熱を持っている白い骨の欠片を眺めていると、「AIには身体がありません」というピーコの言葉が頭の中を駆け巡った。
骨壺を持ってイドスケア晴海台に戻り、初七日の法要が済むと、葬儀が終わった。
運び込んだグランドピアノをどうするかということになり、父は僕に、ここに寄付したらどうかと提案してきた。祖母の遺産は――といっても大半は家の土地なのだが――すべて僕が相続することになるので僕の意向を聞いてきたのだ。僕もその意見に賛成した。
渡辺さんはピーコのことにも触れた。平坂さんだけではなく、他の高齢者にも可愛がられて癒やしになっていたと語り、ピーコも寄付してほしいような口ぶりだった。父は、寄付したらと言ったが、僕は首を振った。
「ピーコの中にはお祖母ちゃんのデータだけではなく母のデータも入っているから自分の傍に置いておくよ」 「朋美のデータ?」と父が聞いた。
僕は誕生日会での母の映像のことを話した。 「そうか。あの猫ロボットがそんなに役に立つとは知らなかった」
「あのう」と渡辺さんが言った。「ピーコちゃんはどこで売っているんですか」
「量産化はまだ先のようなので、手に入れるとしたらホームページから直接買うことになりますね」 「お幾らくらいするのでしょう」
「五千ドルですね。今のレートなら七十五万くらいかな」 「七十五万円!」渡辺さんが目を見開いた。
僕もそんなに高いとは思っても見なかった。 「でも一台あれば入居者の方の話し相手になってくれますよね。考えてみようかな」
父がポケットから名刺入れを取り出し、中から一枚を抜き出した。日本語表記の裏に英語が書かれている。
「連絡してもらえば安くしてもらえるように口添えしますよ」 渡辺さんが裏返して英語の面をじっと見ている。
「電子制御のシステムを開発しています。あの猫ロボットにも私のところで開発したICが使われていますよ」
「そうなんですね」と渡辺さんがうなずいた。
父と今後のことについて話し合った。祖母の土地をどうするかは僕が決めることになった。それを売った場合、介護施設の費用をずっと払ってきた父にもいくらかは受け取る権利があるのではないかと僕は申し出たが、お前が自分の未来のために使えばいいと首を振った。それでは大学院を修了するまでの仕送りはもうなしに、と言うと、
「お前が大学院を修了するまでは仕送りをすると決めているから、それは変えない。それ以後は自分で歩いていってくれよな」
父は明日、東京の会社との商談を入れているらしく、何かあったらメールをくれと言って施設の玄関に呼んだタクシーに乗って去っていった。
僕は祖母の使っていた二〇八号室に行き、ピーコと充電器、それにWiFi中継器を段ボール箱に収め、楽譜や部屋着などの祖母の私物を紙袋に入れた。それらを持って一階に降りると、渡辺さんが白いカバーに覆われた骨壺を抱えて待っていた。渡辺さんにお礼を述べ、施設の用意してくれたワゴン車に乗り込んだ。
祖母の家に入って、まず防音室に行った。夕陽がうっすらと窓から射し込んでいて、室内には夕闇の気配がある。グランドピアノのない部屋は広々として見えた。楽譜に挟んでおいた母の写真を額に入れ直して壁に掛け、その下の棚に骨壺と指輪の入った小箱を置く。段ボール箱からピーコを取り出し、電源スイッチを入れてアップライトピアノの天板に乗せた。
「ピーコ」と呼びかける。緑の目が点滅し、四肢を伸ばしてピーコが立ち上がる。ピーコは周りの状況を確認するかのように頭をゆっくりと左右に動かした。
「ここはどこですか」 「お祖母ちゃんの家だよ」 「何だか殺風景なところですね」
「ここはお祖母ちゃんが教室を開いてピアノを教えていたところ。防音室になっているんだよ」
「ああ、イドスケア晴海台に持ち込んだのはここにあったグランドピアノなんですね」 「そう」
「ショウタさん」緑の目が僕を捉えた。「ミツコさんが亡くなったのでわたしには飼い主がいなくなりました。次の飼い主はショウタさんですか」
「もちろん僕だよ」 「わかりました。これからはショウタさんを癒やすことに心がけます」
「別に癒やしてくれなくてもいいよ。一緒にいてくれるだけいいから」
「わたしの本来の機能は癒やすことですが、ショウタさんがそうおっしゃるのなら、そのようにいたします」
僕はピアノ椅子に腰を下ろして蓋を開けた。いくつかの和音で指ならしをしてから、バッハの「G線上のアリア」を弾いた。そして祖母とよく連弾したモーツァルトの「四手のためのピアノ・ソナタ・ハ長調」のセコンドパートを弾き始めた。するとピーコの体からプリモパートが流れ始めた。右手だけではなく両手を使っている。子供のときと同じだった。
そのとき、ふっとエクアドルの大学に行ってみようかと思いついた。祖母が亡くなった今、日本に留まる必要もないのだ。『ガラパゴス物語』に描かれた様々な固有種をこの目で実際に見てみよう。それらを研究して、日本の固有種の研究に役立てよう。
僕は次にクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」を弾き始める。ピーコが「Mama, ooo……I don't want to
die」と歌い始める。僕は鍵盤を叩きながら、想像する。白い砂浜、ウミイグアナの群れ、そこにグランドピアノがあり、ピーコが譜面台の横にいる。僕は椅子に坐り、鍵盤を叩いている。海から上がってきたウミイグアナたちが陽光を浴びながら、じっと演奏に耳を澄ませている。ピアノの音が高く青い空に吸い込まれていく。
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