遠い出自     津木林 洋


 コロナが始まってしばらくすると、旅行ライターとしての仕事が激減どころかゼロになってしまった。
 山川珠雄は恥を忍んで十年前まで在籍していた出版社に顔を出して、編集次長に出世している元同僚に仕事を求めてみたが、「もう年金で気楽にやったらどうなの」と言われる始末だった。まだ俺には年金が出ないのと心の中で突っ込んだが口には出さず、「年金なんて微々たるもんだから」と答えると、「だったら小説でも書いてみたら」と編集次長が言った。
 その時はお帰りを願う体のいい言葉だと思ったが、他の出版社に当たってみても仕事が取れないのがはっきりしてくると、その言葉が何だか示唆的に思えてくる。
 珠雄は考えた。自分には養うべき家族もいない。母親は老人ホームに入っているが、その費用は三十年前に死んだ父親の軍人恩給と厚生年金の遺族分で賄えるのでこちらの負担はなし。実家暮らしで貯金も五年くらいは収入がなくてもやっていける金額はある。その間小説執筆に専念して、たとえ物にならなくても、その頃にはコロナも収まっているだろうから旅行ライターの仕事も復活するだろうし、年金ももらっているだろう。
 そう思うと焦る気持ちが薄らいで、コロナ感染のニュースも余裕を持って見られるようになった。人間、物の見方を変えるだけでこんなに楽になるものかと新しい発見をした気分だったが、かと言ってそれで小説が書けるようになるわけではない。
 今まで文章を書いてきたが、それはすべて取材をした事実を情報として文章化したのにすぎず、想像したものを書くなどということはやったことがない。
 取りあえずノートパソコンを立ち上げてみたが、真っ白い画面を目の前にしてハタと困ってしまった。取材時の失敗談でも書こうかと思ったが、それはエッセイだろうという気持ちが勝って指が動かない。
 珠雄はノートパソコンを閉じると、机の上に両肘を置き、指を組んで顎を載せた。
 ネタがいる。小説になりそうなネタが。
 その時、ふっと思い出した。六、七年前に国から父親の「軍事日記」が送られてきたことを。アメリカの元軍人の遺族から返還されたものらしかった。あの時、それをぱらぱらとめくってみて、プロの作家ならこれをネタに小説を書くかもと思ったのだ。
珠雄は一階に降り、母親の使っていた部屋に入った。母親が仕舞うとすると、たぶんここだろうと思いながら、小卓にのった小抽斗(ひきだし)を下から開けていく。老眼鏡とか爪切り、鋏、輪ゴムの束などの入った段の次は領収書の類いと家計簿、その上の段に裏が白いチラシが溜められて、その底に軍事日記があった。
 茶色い革製の表紙に軍事日記という金色の文字が型押しされており、表紙をめくると、山川洋道(ようどう)と鉛筆で書かれている。隷書体風の独特の文字は一目で父親のものと分かる。この前手に取った時は、カタカナの読みにくい文字に閉口して、ほとんど中身を読まなかったが、今回は一文一文丁寧に解読していった。
 父親は、サイパンの戦闘で負傷してアメリカの捕虜になったことしか語らず、戦争については全く口にしなかった。左脇腹にある貫通銃創について「撃たれた時どんな感じだった」と尋ねても、「忘れた」の一言ですまされてしまった。「もう十センチ内側だったらお前はこの世におらん」と付け加えはしたが。
 サイパンでの戦闘の実態が書かれているかもと思いながら読み進めたが、そんな一文は全くなく、「編成完結ス。部隊及ビ師団長軍装検査」とか「チャランカニ於イテ、ホ号演習実施」などの軍隊の記述ばかりで、たまに「ガマ・トカゲ・サソリノ多イノニ驚ク」とか「不平ハ弱イモノガ言ウモノナリ」などの父親自身の言葉が入っているとほっとするくらいだった。
 そんな中で、比較的長い日記のページを見つけた。「熱発。アゴガ腫レル。軍医殿イワク、コノ年デ**トハメズラシイトイウコトナリ。軍人トシテ半人前ト言ワレテイル気ガシテ大イニ恐縮ス」とあり、**の部分が黒く塗りつぶされている。
 その数日後の日付のところに「コウガン怒張ス。軍医殿イワク、一ツナラ問題ナシ」
 しかし翌日には「二ツトモ腫レアガリ、軍医殿ニ、オマエハ長男カト尋ネラル。ハイト答エルト、嫁ハオルノカト再度質問アリ。イイエト答エルト、ソウカト言ワレタダケデ後ハナシ」
 一週間ほど経って軍務に戻る日の日記には「太田衛生兵ニヨルト、子供ガデキニクイ身体ニナッタカモシレント教エテクレタ。ソンナコトカト安心ス。オ国ノタメニ命ヲ捨テル覚悟ナレバ、ソノ後ノコトハ考エル必要ナシ」
 ネットで「顎と睾丸が腫れる」で検索すると、おたふく風邪の項目が出てきて、成年になってから罹ると無精子症になる場合があるとあった。軍医の沈黙はそのことを告げるのをためらったからだろう。
 しかし、姉と自分という二人の子供を授かったのだから無精子症ではなかったということになる。
 私的な部分はこの辺りだけで、後はまた軍務の記述が続いた。珠雄は、貫通銃創を受けた時の日記があればという期待で読んでいったが、「夜、行軍。敵ノ飛行機一機飛来セリ」という文章で終わっていた。改めて考えれば、負傷してすぐに日記など書けるはずもなく、捕虜になって日記も取り上げられたのだから後から書くこともできなかったはずだ。珠雄は自分の馬鹿さ加減に苦笑して日記を閉じた。
 プロならばこんな日記でも小説に仕立てるのだろうが、自分には荷が重すぎる。かと言って他にネタはなしと考えているうちに、じいさんなら小説の主人公になりそうな気がしてきた。戦中に軍需工場を興し、その時儲けた金を石炭事業につぎ込んで一代で財をなした人物である。ただ珠雄が物心ついた頃には事業も手放し、彼が小学一年の時に祖母と相前後して亡くなっている。女遊びと賭け事で一財産を消費したという噂もあった。

 母親の入っている老人ホームからガラス越しの面会ができるようになったという連絡が来た。祖父がどんな人物だったか取材を兼ねて、久しぶりに見舞いに行こうと予約を入れ、五日後、車で出かけた。
 施設では中には入れず、外付けの非常階段を上って二階のベランダに案内された。コンクリートの柵に囲まれた狭いベランダにパイプ椅子が二脚置かれている。窓ガラス越しかと思わずつぶやいたが、これが一番安心かと納得するしかなかった。
 マスクを外しパイプ椅子に坐って待っていると、車椅子に乗せられた母親がやって来た。窓ガラスに掌を付けるようにして手を上げたが、半年ぶりに見る母親はぼんやりとした顔をしたままだった。認知症が進んで俺の顔も忘れてしまったかと珠雄はどきりとした。
 三年前に転倒して大腿骨の骨折をし、人工関節と入れ替える手術をしたのだが、旅行ライターとして全国を飛び回る珠雄にはその後の面倒を見る時間がなく、本人の希望もあって老人ホームに入居させたのだった。
 車椅子を押してきた係員がガラケーを開き、ボタンを押している。一瞬間があって、ポケットのスマホが鳴り、珠雄は取り出してタップした。
「息子さんですよ」という声がスマホと室内の両方から聞こえる。母親の耳にガラケーが当てられたタイミングで「お母さん、元気?」と呼びかけた。
「ああ、珠雄か」母親の顔が綻(ほころ)んだ。「統子は?」
 母親の視線が動く。自分のことを忘れていないことにほっとしながら、
「今日はおれ一人。次は姉さんと一緒に来るから」
「そうか」
 食事はきちんと食べているか、何か欲しいものはないか、コロナが収まったら外出もできるからもう少しの辛抱だよなどと呼びかけても、頷きながら、ああ、そうやな、別に今のままで、などという曖昧な言葉しか返ってこない。珠雄は大丈夫かなと思いながら、
「今日はちょっと聞きたいことがあるんだけど、おじいさんてどういう人だった」
 と聞いてみた。
「だれ?」
「おれが小さい時、脳溢血で死んだおじいさん」
「ああ、正吉さんか」
「そうそう、正吉のおじいさん」
 話が通じたと珠雄はほっとした。
「……厳しい人やったな」
 続きがあると待っていたが、それきり母親は黙ってしまった。
「それでどう厳しかったの」
「子供ができんかったからな。跡取りができんかったら離縁やとさんざん言われてな……」
 突然、母親の顔がくしゃっとなったかと思うと、目から涙がこぼれ落ちた。それを押さえるように右掌を両目に当てる。珠雄はどぎまぎして、どう声をかけていいものか分からなかった。付き添いの職員も同様で、うろたえているのがはっきりと分かった。
「お母さまの動揺が激しいので、今日はこれくらいで」
「申し訳ございません。余計なことを言ってしまいまして」
 結局、祖父の取材どころの話ではなかった。
 母親からなかなか子供ができなかったという話は聞いていたが、結婚したのがいつだったか、覚えていない。それを確かめようと、珠雄は母親の部屋の押し入れにあった行李の中から古いアルバムを引っ張り出し、二人の結婚式の写真を見つけた。母親は文金高島田に白い角隠し、金襴緞子の衣装。セピア色でも衣装の豪華さは伝わってくる。父親は羽織袴姿で、硬い表情をしている。珠雄は台紙の四隅の切れ目から写真を外して裏を見た。
 昭和二十五年五月七日大安とペン字で書かれている。姉の生まれたのが昭和三十三年だから八年かかっている。その二年後に自分が生まれて、祖父の言う跡取りができたことで母親はさぞかしほっとしたことだろう。ただ、その後没落して跡取りという言葉の重みはなくなってしまったけれど。珠雄が独身を通してこられたのも、それが軽くなったせいだと思う。
 昔の写真が珍しく、珠雄は他の写真も見ていった。戦前であろうと思われる祖父の写真がいくつかあって、ボタ山の前で帽子をかぶりステッキをついて胸を張っているものや、壇上でランニング姿の祖父がラジオ体操の指導をしているものなど、どれも鼻の下に髭を蓄えており、よく見ると結構イケメンだった。仏壇にある年を取った写真とはかなり違う。この顔で金もあったから、色町だけでなくてもきっとモテただろうと思ったとき、ふっと、俺は祖父の子供かもしれないという閃きが降ってきた。なかなか子供のできない息子に代わって、直接自分が跡取りを作れば山川家は安泰と考えたのかもしれない。当時祖父はまだ五十代のはずで、男盛りといってもいい。男の子を産むプレッシャーに押しつぶされそうな母親が、その重圧に負けてもおかしくはない。
 珠雄はアルバムを閉じ、宙を見つめた。記憶の底からゆらゆらと浮かび上がってくるものがある。脳出血で寝たきりになった祖父の胸を母親が濡れタオルで拭いている。何か話しているのか母親の口が動いている。たぶん三歳くらいの記憶。珠雄はその記憶に、先日の母親の涙を重ねてみる。あの年になっても心が揺さぶられるのは祖父との関係がつらい記憶として残っているからではないか。これが小説のネタにならなくて何がなるというのか。
 そう思ったとき、暗夜行路かと気がついた。以前、鳥取の大山の記事を書いたことがあって、志賀直哉の『暗夜行路』にも触れたのだ。二番煎じかと気落ちしたが、志賀直哉にとって祖父と実母の関係は妄想であったのに対して、自分の場合は事実なのだからと思いが走ったところで、珠雄は事実だと思い込もうとしていることに苦笑した。
 もし自分が祖父の子供だったとしたら、顔とか体つきとかどこか似ているところがあってもよさそうだが、そんなことを言われたことは一度もない。姉にしても、母親似と言われるのは聞いたことはあるが、祖父似と言われたことなどないだろう。祖父の葬式にそんな話が出たかもしれないが、葬式自体の記憶が全くないし、父親の葬式にも誰かに似ているという話は聞かなかった。
 はっきりさせるには母親に直接尋ねるのが一番だと考えて、再び老人ホームに予約を入れた。
 しかし、実際に対面してみると、職員が控えている前で、「俺はおじいさんの子供か」と聞くことはできなかった。仕方なく「正吉のおじいさんて男前だったね」とアルバムから剥がしてきた写真を窓ガラスに押しつけた。
 母親はちらと目をやったが、興味を示すこともなく「何やそれ」と言った。
 この前のように動揺されたら困るなと思いながら、珠雄は祖父をネタに戦中から戦後の激動の日本を小説にしようかと考えていることを話した。母親の顔には何の反応もない。聞こえているのかどうか判然としないまま、窓ガラスに付けた写真が祖父のものであることを告げると、そうかと母親は答えた。分かっていることにほっとしながら、
「それでおじいさんはどんな人だった」と聞いてみた。
「姑はんがえらい苦労してはったわ。色町から家に帰らず、直接会社に行くことも再三やったしな」
「脳溢血で倒れた時、面倒を見たのはお母さんだったんだろう」
「しょうないがな。姑はんが絶対嫌や言うて手を出しはれへんかったから」
「寝たきりだったのは何年」
「何年かな。私も嫌で嫌でしょうがなかったけど、何しろ山川家の嫁やからな。逃げるわけにはいかんかった」
「亡くなったとき、ほっとした?」
「まあ、肩の荷が降りたわな」
 母親の表情は淡々としていて、祖父に何かの思いがあるとは全く思えなかった。
 自分が祖父の子供であるというのは、志賀直哉の場合と同じく妄想であったかとがっかりしたが、これでよかったのではと思う気持ちもどこかにあった。
 とにかくと珠雄は考えた。祖父という人物は面白そうなので、書けばそれなりに読ませるものになるかもしれない。
 この前アルバムを見たとき、丸型の窓がいかにも昔を思わせるビルディングの前で祖父が数人の男たちと一緒に写っている写真があった。後ろの壁面に看板がかかっていたことを思い出し、アルバムの写真を見てみると、「山善炭鉱株式会社」という看板の文字がうっすらと見えた。しかしネットで検索しても、そんな名前の会社はヒットしない。やはり祖父に繋がる親類縁者にコンタクトを取って、地道に調べるしかないだろうが、コロナの間は身動きが取れないなと考えていたある日、滅多に鳴らない固定電話が鳴った。携帯電話ぎらいの姉かもしれないと受話器を取ると、果たして統子からだった。お母さん、どうなのという質問に、珠雄は窓ガラス越しに対面したことを話した。
「そうしたらメイちゃん、見せに行けるわね」
「メイちゃん?」
「生まれたのよ、私の孫」
「ああ」
 一年ほど前の電話の時、娘の美波が妊娠していることを聞いていた。
「お母さんにとっては初めてのひ孫なんだから、見せに行かなくちゃね」
 子供を持たない自分に対する皮肉のように聞こえるが、思い過ごしだろう。
「お袋、まだ惚けていないから喜ぶだろう」
「そうそう。だから早く行きたいのよ」
 コロナ禍で赤ん坊を連れていくリスクなどを話し合ってから、近いうちに美波とメイちゃんの三人でこちらに来るということになった。
 珠雄はふっと思いついて「姉さん、正吉のおじいさんのこと何か聞いていない?」と尋ねてみた。
「何でそんなことを聞くの?」
 珠雄は事情を説明した。
「コロナがあんたの仕事を直撃したということね」
 統子の口調に笑いが含まれていることに珠雄はいささかむっとした。
「どうなの、何か知ってるの」
「知らない。あんたも私も小さかったから知るわけないでしょ」
「たとえば」と珠雄は少し間を置いた。「姉さんも俺もひょっとしたらおじいさんの子供であるとか」
「え? 何て言った」
「俺、家にあった親父の軍事日記を読み返してみたんだけど、親父は戦地でおたふく風邪にかかったらしく無精子症かもしれなかったんだ。なかなか子供ができなかったのはそのせいで、だから二人ともおじいさんの子供とか……」
「何を馬鹿なことを言ってるの!」統子の声が裏返った。「そんなこと、あるわけないじゃない、馬鹿も休み休み言いなさい」
 突然電話が切れた。呆気に取られたが、姉の慌てようは尋常じゃない。ひょっとしたら姉はすでに誰かから「そんなこと」を聞いて、知っていたのではないか。そう思うと、急に動悸がしてきた。珠雄は深呼吸をした。自分で口にしておきながら、混乱するのはおかしいと思っても気持ちは鎮められない。
 もしそれが本当だとして、母親はどんな気持ちで祖父を受け入れたのだろうか。父親はそのことを知っていたのだろうか。「もう十センチ内側だったらお前はこの世におらん」という父親の言葉が蘇る。今まではどこか小説のネタとして眺めていたのが、突然崖っぷちに立たされ、深い谷を無理矢理見させられている気分だった。その谷を想像するのが生々しく、珠雄は、変なパンドラの箱を開けてしまったなと意識して口に出してみた。しかしそんな軽口も心を軽くしてはくれない。
 珠雄はこの件に関してはもう一切考えないほうがいいだろうと思った。そもそも小説などを書こうとしたのが間違いだったのだ。分不相応なことには手を出さず、旅行ライターの仕事が復活するまでおとなしくしておいた方がいい。
 しかし気持ちは簡単には切り替えられない。珠雄は台所でインスタントコーヒーを濃いめに淹れて、ブラックで飲んだ。苦みが熱さとともに胃の腑に降りていき、ふうっと息を吐いた。
 その時、再び居間の固定電話が鳴った。珠雄はどきりとした。姉に違いない、今度は真実が語られる。受話器を取るのが躊躇われた。電話のベルがいつまでたっても鳴り続ける。珠雄はマグカップを持ったまま居間に行き、覚悟を決めて受話器を取った。
「いつまで待たせんの。早く出なさい」やはり統子だった。甲高い声が響く。
「ちょっとトイレに行ってたものだから」
「さっきは突然電話を切ってごめんなさい。美波が側にいて、あれ以上話せなかったから。今、公衆電話から掛けているのよ」
 やっぱり。耳の奥で鼓動が聞こえる。
「もう、その話はいいから、止めてくれ」
「その話って、あんた知ってるの?」
「おじいさんが俺たちの父親だっていう話だろう」
「それは違うって言ったでしょ。何度言ったら分かるの。いい、びっくりしないで聞いてよね。私が聞いたのは……」統子はそこで言葉を切った。「私たちはお父さんの子供ではなく、お母さんが好きだった人の子供だったってこと。お父さんの葬式の時にお母さんが打ち明けてくれたのよ。若い頃お父さんはおじいさんの会社で働いていたでしょ。その時の同僚の人と恋仲になって私たちが生まれたんだって。私が生まれたことによって次は男の子だとおじいさんが期待して、あんたが生まれたのよ。あんたが先に生まれていたら、私はこの世にいなかったわけ」
 うん?
 珠雄はエアポケットにはまり込んだ思いで聞いていた。統子の話は物事が収まる場所に収まったと思わせるに十分だった。
「で、相手は何という人なの」
「それだけは教えてくれなかった。ただ、相手も妻子持ちで、あんたが生まれてほどなく事故で死んだらしい」
「それって、本当のこと?」
「お母さんはそう言ってた。私はそれ以上聞く気はなかったわ。そうしておくのが一番いいでしょ」
「どうして俺には教えてくれなかったんだろう」
「ごめんなさい。お母さんから珠雄には絶対に言わないでって言われていたのよ。娘の私ならその時の自分の気持ちを分かってもらえるって思ったんじゃない。息子のあんたに言えば、軽蔑されるかもしれないって思ったのかも」
「それでどうなの。親父が自分の父親ではないと知って、姉さんは納得したの?」
「納得するも何も、当時、美波が生まれて、しかも病弱だったから、病院通いでてんてこ舞いだったのよ。だから、そんなものかと思っただけよ。いきなり見知らぬ他人が父だと言われても、私にとってはお父さんは一人だけだからね。……でも、ちょっと落ち着いて考えてみたら、お母さんの告白ってすごいことだと思えてきたのよ。だって不倫よ、不倫。あのお母さんにそんな情熱があったなんて想像できる?」
 そう言われても、珠雄の頭に浮かぶのは、割烹着を着て台所で忙しなく立ち働く姿とか思い立ったように部屋の模様替えをする様子など日常の姿でしかない。父親よりもずっと長く一緒に暮らしているのに印象的に切り取られた光景は全く浮かんでこなかった。珠雄が答えないでいると、
「できないでしょ。私も全然。だからその時の気持ちなんかを聞いてみたのよ、そしたらお母さん、何と言ったと思う? お父さんのことも好きだったから、すごく苦しかったんだって。だから相手の男が死んだとき解放された気がして、山川家の嫁として生きていこうと覚悟が決まったって言うのよ。お父さんとも寝ていたらどちらの子供か分からないんじゃないって聞いたんだけど、お母さんは、あんたも女やろ、分からないわけないやんかって笑ってたわ」
「親父はそのことを知ってたのかな」
「お母さんはたぶん知らなかったって言ってたけど、もし知っていたら、お父さんも大した役者よね」
 珠雄の脳裏に、肩車をされて視線が急に高くなったとき父親の頭をぎゅっとつかんだ感触とか、自転車の補助輪が初めて外されて父親が支えてくれていると思っていたら、突然ぐらぐらと揺れて視界が傾いていく記憶が掠めるように流れていった。
「びっくりした?」
「そりゃあ、するだろう。今まで父親だと思っていたのが違うって言われたら」
 驚いていないのにそう答えた。
「もういいじゃない。お互い、生まれた時のことを心配するより、死ぬ時のことを心配する年になったんだから」
 何かずれていると思いながら、珠雄は姉の言葉に小さく笑った。
「今度メイちゃんを連れて行くけど、あんたは一緒に来なくていいわ」
「どうして。車で連れて行ってやるよ。その方が楽だぜ」
「今日私が言ったことをお母さんに聞いたりしない?」
「今さら聞くわけないじゃないか」
「そう。それなら車に乗せてもらうわ。日取りが決まったら連絡する。あんた、ヒマだからいつでもいいんでしょ」
「まあね」苦笑しながら珠雄は答えた。
 電話を切ろうとすると、「そうそう」と統子が言い出した。「お母さんの好きだった人の写真、見たことがあるのよ」
「え」思わず声が出た。
「私は別に見たくもなかったんだけど、お母さん、私にすべてを知っておいてもらいたかったらしく。今でもアルバムの中にあるんじゃない。確かあんたが生まれたときにお母さんと一緒に写っていたやつ。お母さんに聞く代わりに、それで我慢しなさい」
 我慢の意味が分からないと思いながら、分かったと珠雄は答えた。
受話器を置くと、珠雄は早速母親の部屋に向かい、この前眺めたアルバムを引っ張り出した。年代順に貼られたページを急いでめくっていき、赤ん坊を抱いた母親とその傍に男が立っている写真を見つけた。男は確かに父親ではない。珠雄は写真を外し、裏を見た。「昭和三十五年十月二十三日自宅の庭にて」と父親独特の隷書体で書かれている。写真の赤ん坊は自分で、生まれて二ヵ月の頃だ。母親は赤ん坊を見詰めているが、背広にネクタイ、中折れ帽の男はカメラの方を向いている。
 珠雄は小卓の小抽斗を開け、虫眼鏡を取り出すと男の顔に近づけた。男の顔が拡大される。そして鼻翼の広がった鼻を見た瞬間、二の腕に鳥肌が立って思わず虫眼鏡を外した。自分とそっくりなのだ。子供の頃、両親や姉とも違う低い鼻にコンプレックスがあって、隠れて洗濯鋏でつまんだこともある。鼻に手を当てる。しばらくして動揺が収まってくると、珠雄はもう一度虫眼鏡で見た。目、眉、耳、顎、顔の輪郭。どことなく全体も自分に似ているような気がする。父親だと思って見るからそう見えるのだと自分に突っ込んでみても、見え方は変わらない。姉は昔から母親似だと言われていたことを思い出す。
 母親の笑顔に比べ、男は口を結んでまっすぐにこちらを見ており、それが挑むように見えるのは、写真を撮っているのが父親だと自分が勝手に想像しているせいかと珠雄は思った。祖父かもしれないではないかと思ってみたが、それなら父親も一緒に写っているはずだという考えがそれを打ち消す。
 父親はどういう思いでカメラを向けていたのか。男はどういう思いでカメラを見ていたのか。母親の笑顔をどう捉えたらいいのか。ひょっとしたら三人全員が知っていて、共犯意識で結ばれていたとしたら。これは小説になるかもしれないと思ったが、いやいやと珠雄は否定した。何しろ六十年も前の話なのだ。男も父親もすでにこの世にいない。母親もいつお迎えが来るのかしれない。そんな話を今さら掘り返して誰が喜ぶというのか。自分の足下を掘って自分がぐらついたら、誰が支えてくれるのか。姉の言うように、生まれた時より死ぬ時のことを心配するのが正しい。
 そのとき、今まで忘れていた記憶が突然蘇った。自分が父親のことを父親ではないと思った唯一の記憶。小学四年生くらいのときだったろうか。何が原因か思い出せないが、父親にひどく叱られ、自分は物干し台にいる。夜で、半月のかかった空を見上げていると、自分の本当の父親がこの空の下のどこかにいるという思いが不意に湧いてきて、その人を探さなければならないと、まさに使命感にとらわれる。そしてみんなが寝静まった夜中に家を出たのだった。家出をするのに何の準備もしなかったのは不思議だが、とにかく家を出て、近くの川縁を上流に向かって歩き、翌日の夕方に家に戻った。家では騒ぎになっていたと思うが、その記憶はなく、父親に叱られた記憶もない。ただ、母親が出してくれた握り飯をほおばったことは覚えている。
 子供心にも、自分はこの父親は本当の父親ではないと思える何かがあったのだろうか。それとも父親に対する反発として誰もがそういうことを夢想するのだろうか。
 珠雄は写真をアルバムに戻し、行李に入れて押し入れにしまった。
 もう二度とアルバムを見ないつもりでいたのに、数日後、他にも男の写っている写真があるかもしれないと思いついて珠雄は行李を再び引っ張り出した。しかし自分と似た鼻を持った人物は男の他にいなかった。母親が男の写真を別のところに隠しているかもと紙袋を開けたり、いくつかの本の間を調べたりしたが、どこにもなかった。
 彼は母親と男の写っている写真をアルバムに戻さずに手許に置くことにした。男の顔を見たいと思ったときにいつでもすぐに見られる状態にしておきたかった。それがどういう心境なのか、少しでも父親と思われる男に近づきたいという気持ちの表れなのか彼自身にも分からなかった。

 十日ほど経った頃、統子から母親を見舞いに行く日を一週間後の十六日に予約したからという電話がかかってきた。その日の昼過ぎにはこちらに着くから、車で一緒に行こうということになった。レンタルでいいからチャイルドシートを用意しておいて、料金は払うからと統子が言うので、そのくらい払わせてよと珠雄は答えた。
「ありがと」
「ところで俺たちの父親の写真、見たよ」
「そう」
「俺には似てるけど、姉さんには似てないね」
「私は母親似だからね」
「お袋の話、本当かな。ひょっとしたら姉さんは本当に親父の子供で、俺は写真の男の子供かも」
「あんたがそう思いたかったら、それでもいいわよ。私はお母さんの言ったことが本当だと思ってるけど」
 そう言われると返す言葉がなかった。
 ネットでDNA鑑定を調べてみると、父親のDNAが分からなくても姉弟のDNAを調べるだけで、同一の父親かそうではないかの推定ができるとあって、珠雄はちょっと心を動かされたが、さすがにそこまでしなくてもという思いの方が強かった。姉に持ちかけても拒否されるに決まっているだろうし。
 父親のDNA鑑定ができれば一番簡単なのだが、三十年前に死んだ父親の残した身体に関するものといえば焼いた骨しかない。DNA鑑定のサイトでは、火葬した骨ではほとんど不可能となっている。臍の緒では64%とあって仏壇の抽斗を開けて調べてみたが、姉と自分の分は見つかったが、それ以外にはなかった。この二つを使って姉に内緒で父子鑑定を依頼することもできるが、高い料金を払って仮に推定できたところで、それが一体何になるのかと考えると、自分が何をしようとしているのか分からなくなった。
 約束の日、統子から今から行くからと連絡があって三時間後、インターホンが鳴った。外出着に着替えていた珠雄はスニーカーを履いて玄関を出た。姪の美波は抱っこ紐を使って赤ん坊を胸に抱いている。
「チャイルドシート、用意してあるわよね」と統子が言う。
「ああ」
「叔父さん、お久しぶりです。今日はお世話になります」と美波がマスク越しに笑顔を見せて、小さく頭を下げた。赤ん坊をのぞき込むとすやすやと眠っており、乳臭さがマスクを通してじわじわと匂ってくる。かなりしっかりとした顔立ちになっており、「誰に似たのかな、鼻はだんなに似てるね」と珠雄は結婚相手の顔をぼんやりと思い浮かべる。
「目は私に似ているって言われます」
 美波がにこやかに答える。
 その時、思考の波紋がゆっくりと到達するように、本当に似ているかどうか分からないまま鼻に言及したのは無意識下で自分が鼻にこだわっているせいかと珠雄は気がついた。
 手慣れた様子で美波は赤ん坊を後部座席に取り付けたチャイルドシートに乗せ、その横に坐った。統子は助手席に腰を下ろした。昼食は済ませてきたということで、老人ホームに直行することにした。
 統子も美波もガラス越しといっても部屋の中だろうと思っていたらしく、非常階段を上がってベランダに案内されると驚いた表情を見せ、統子はこんなところでと不満をあらわにした。それでも車椅子に乗せられて母親が現れると、統子はマスクを外して笑顔になった。お母さんと言って、パイプ椅子から身を乗り出すようにしてぺたぺたと窓ガラスを叩く。母親はその音にびっくりしたのか目を見開いたが、すぐに口角をゆっくりと上げた。俺の時とは違って、滅多に会いに来ない姉の顔の方がすぐに分かるのかと珠雄は嫉妬してしまった。
 職員が携帯電話を操作すると珠雄のスマホが鳴り、彼はそれを統子に渡した。
「お母さん、元気?」
「ああ、元気やで」ガラス窓を通して小さく聞こえてくる。
「今日はね、お母さんの初ひ孫を連れてきたんよ。分かる? は、つ、ひ、ま、ご」
 母親は笑っているが、理解したのかどうか分からない。
「あんた、美波と替わって」
 珠雄は後ろに控えていた美波と入れ替わった。パイプ椅子に浅く腰掛けた美波は「お祖母ちゃん、見て」と抱いていた赤ん坊を窓ガラスに近づけた。赤ん坊はキャッキャッと笑いながらガラスを叩いた。母親の表情がぱっと明るくなり、ガラスに手を伸ばすと、赤ん坊の手とガラス越しに一瞬触れ合った。
「この子がお母さんの初めてのひ孫。分かる? メイって言うのよ、メイちゃん」
 統子が大きな声で言う。母親はうんうんと頷いている。
「お母さん、分かったみたい」と統子はスマホを耳から外すと美波と珠雄に顔を向けた。
「メイちゃん」部屋の中から母親の声が聞こえた。
「そうよ、お母さんのひ孫でメイちゃん」
 美波が赤ん坊を再び窓に近づけると、母親がまた手を伸ばした。統子が涙ぐみ、左手を口に当てた。
帰りの車を運転していると、一仕事を終えた安堵感が漂う中、「お母さん、だいぶ痩せたわね」と統子がぽつりと言った。
「そうかな」
「あんたは定期的に会っているから分からないと思うけど……」
「あの年になれば痩せるのは仕方がないと思うけどな」
「コロナでなければ、思う存分抱っこしてもらえるのに」
「お母さん」と後ろから美波の声がした。「コロナが収まったらまた来ようよ。この子、おばあちゃんのこと気に入ったみたいで、ずっと笑っていたんだもの」
「そうね。ひ孫が元気の素になってくれるものね」

 統子たちが帰って何日か経った頃、珠雄の心に実の父親の詳細が知りたいという気持ちが芽生えてきた。今さら知ってどうなるものでもないともう一人の自分が突っ込むが、それでもその気持ちは収まりそうもない。「生まれた時のことを心配するより、死ぬ時のことを心配する年ではないのか」という姉の言葉はその通りなのだが、死ぬ前に真実を、詳細を知っておきたいという気持ちを否定するのもおかしな話だと思う。姉が父親の同僚の子供だと聞かされても大して動揺せず、父親は父だけと言い切れるのも、自分たちが生む性であるからではないだろうか。母子の繋がりは父子の繋がりより確信に満ちたものであり、そのことが姉や母親を支えているのではないだろうか。
 もし自分に子供がいれば、と珠雄は考えた。自分は姉のように真実を動揺せずに受け入れることができただろうか。彼は、先日の見舞いの時の姉と自分を入れ替えてみたが、姉のように涙ぐむことはおそらくないだろうと寂しく思うばかりだった。自分だけが血脈の外に投げ出された感覚は消えそうもなかった。
 なぜ母親は自分に真実を話してくれなかったのだろう。三十年前にそのことを聞いていたなら、たとえ男がすでに死んでいたとしても、男の詳細を知る手がかりは多くあったはずで、それを知って自分の中で決着をつけられたはず。やはりここは母親に直撃取材をするしかない。
 と決意したものの、職員の前で真実を聞くことができるのか、母親が動揺して体調を崩してしまわないか、終わりの日々を穏やかに過ごさせた方がいいのでは、などと考えると、珠雄はなかなか踏ん切れないでいた。
 しかしそれを押し切ったのは、子供は自分の出自を知る権利があるという建前論だった。母親の口からそれを告げられることが大事であり、そのことが母親自身の心を軽くすることでもある、と自分に言い聞かせた。
 珠雄は早速老人ホームに電話をした。しかし電話に出た職員は「昨日から施設内でコロナ感染が広がったので面会を中止しています」と告げた。
「山川絹江は大丈夫ですか」と思わず声が大きくなる。確認しますのでしばらくお待ちくださいという返事の後、保留音のメロディが流れた。ゆったりとした曲調が苛立ちを募らせる。いつまで待たせるんだと思ったとき、ようやく職員の声が戻ってきた。
「山川絹江様は今のところお元気なご様子です。本日、施設内の全員のPCR検査を実施しておりまして、何かありましたらご連絡を差し上げますので、よろしくお願いいたします」
 ところが、三日後には母親の発熱とPCR検査の陽性が告げられ、入院先を探しているが、なかなか受け入れ先が見つからない、提携病院の医者に往診をお願いして施設内で療養しているという話になり、その急展開に珠雄はついていくことができなかった。対応に苦慮している様子は職員が早口になっていることからも想像でき、彼は「よろしくお願いします」と受け入れるしかなかった。
 ワクチンも二回打っていることだし、まさか死ぬことはないだろうとは思うものの、九十二歳という年齢なら何があってもおかしくはない。もし母親が死ねば、彼女の口から真実を聞く機会は永遠に失われてしまう。
 珠雄はテレビニュースで、コロナ患者と肉親がビデオ通話で話している映像を目にして、これを使おうと決めた。看護に追われている職員に余計な作業を依頼するのは気が引けたが、そんなことを斟酌している場合ではない。彼は思いきって、老人ホームに電話をした。母親を励ましたいのでビデオ通話をお願いしたいと申し出ると、それはお母さまにとってどんなにいいことか、早速ご用意いたしますと快く引き受けてもらったので、珠雄はほっとした。
 しかしスマホの画面に映し出された母親の顔――入れ歯が外されて頬がこけ、鼻からチューブを差し込まれた様子を見ると、何も言えなくなってしまった。咳き込む声とともに、母親の体が揺れた。
「お母さん、しっかりして。大丈夫、絶対に治るから」
 母親がわずかに顔を横に向け、こちらに視線が向いた。
「珠雄だよ、分かる? お母さんの息子の、た、ま、お」
 しかし母親の表情には何の反応もない。スマホよりもっと遠くに視線をやっているようなぼんやりとした顔をしている。ああ、これはもう駄目だなと彼は思った。
「元気になったら、ひ孫のメイちゃんにまた会えるからね」
 結局どこまで母親が認識しているのか分からないまま通話を終えた。
 統子に電話をして、母親の状況を伝えると、えっと驚き、どうしてもっと早く教えてくれなかったのよと詰られた。急に症状が進んだからと言い訳しても許してくれなかった。ビデオ通話のことを告げると、こちらでも早速お願いしてみると言って電話が切れた。
 母親が死んだのはそれから一週間後のことだった。遺体は納体袋に入れ、棺桶は密封するので顔を見ることはできないと葬儀社の担当者に言われた。小さな葬儀会場に列席したのは珠雄と統子、美波とその夫の四人だけだった。メイは美波の義母に預けたという。僧侶の読経の後、焼香をするだけの簡素な式が終わり、火葬場に移動した。コロナ死ではない他の遺族たちと動線が交わらないように、くねくねと曲がりながら四人で棺桶を載せた台車を押した。
 火葬炉に入れ、二時間後骨になった母親と対面した。こんなに小さかったのかと思うほど骨の量は少なく、大腿骨に入れた人工骨だけが黒く目立っていた。
 職員の指示を受け、まだ熱さの残る骨を箸で拾いながら、俺の本当の父親は誰だったのだと珠雄は母親に呼びかけた。俺はそのことを知らなくてもいいのか。骨は何も語らず、骨壺の中に入れたとき、かさっと音がするだけだった。


 

もどる